第98話 魔法にかかって
「あのかえるが王子様だったなんて…♂」「あの子全部知ってたのじゃなくて?」「ぷんすか」
憤怒に駆られる姉達の密談にお姫様は複雑な気持ちになった。
姉達はいつも私に厳しくて、私達の事を嫌ってるに違いないから…
まさかかえるを投げつけたら王子様に変身するなんて……
「どうしたのですか?姫」
「……あ」
「こんな所に居たら風邪を引いてしまいますよ」
バルコニーに座り込む私にかえるの王子様は優しく手を差し伸べる。私はそんな彼の手を取ってその暖かい胸に顔を埋めた。肩を抱く王子様の手は大きくて、私の中に沈む冷たい鉛のような気持ちを融解していく…
「私はここには居場所がないんです…」
「……」
「お父様もお姉様達もいつも私に意地悪で…」
「……私もですよ」
王子様はスポットライトの眩しい天井--いえ、星空を見上げる。彼の横顔は寂しさに濡れていて、なんだか放っておけなくて……
「私は呪いの魔女に魅入られた忌み子として国で産まれました…そんな私の味方で居てくれたのはたった一人の家臣だけでした……」
「呪いの魔女……」
「私には家臣が…ハインリヒが居てくれた。だから私は彼の下に帰らなければなりません。私の国は魔女の呪いによって、大変な事になっていますから」
「でも、そこにあなたの居場所はないのでしょう?」
「それでも…私は国の為に戦わなければなりませんから」
悲壮な覚悟を背負った彼の瞳は深く、私如きではその深淵を覗き見る事は叶わない。
「私には居場所はなかったけれど、ハインリヒのお陰で魔女の呪いにかかり、かえるに変えられるまで倒れる事なく、生きてこれました。姫、あなたも心が折れてしまいそうなほど孤独ならば……」
王子様は跪いて私を見上げます。
「私があなたの居場所になります。私がされたように、私があなたを支えたい」
「……」
--心が、ざわめく。
しかしどうして……?
跪いて手を取る王子様が“誰か”に重なる。私はこの言葉を、優しさを知ってる…
“お姫様”の中で“妻百合初音”の心が浮かび上がった気がした。
「姫は一人ではありません」
手を取る王子様は優しく手の甲に口付けする。
お芝居だから、実際には触れてないけれど、皮一枚程の距離に近づく唇の熱が、手を伝って心臓まで上がってくるようだった。
……いけない。
折角塗り替えているお姫様の気持ちがブレていくのを感じる。
微かな動揺が顔に出た気がするけど、序盤最大の見せ場に観客達の視線は惚けたような熱を孕み舞台に注視してる。
そして私自身、かつてない高揚感に包まれてい“ました”--
以前にも私はこの人にこんなふうに、優しくされた……そんな妻百合初音の記憶が呼び起こされていました。
「私の妻になってください--」
初音の演技がブレた……
舞台袖から芝居を見守る俺、希屋凛斗の目に映る初音の表情に微かな変化があった。
王子様からのプロポーズ…
ラブロマンス色を全面に押し出したこの舞台において最大の見せ場と言ってもいいこのシーンで、初音の中に憑依していたお姫様が霞んだ。
王子の胸の中に抱かれる初音の表情は、初音のものに見えた。丹精に作り上げられたお姫様のイメージと乖離する。
しかし観客は呑まれた。
俺もだ。
嬉しいような不安なような、そんな不定形で危うい感情が形になって出てきている。
これは妻百合初音なのか…
お姫様なのか…
あるいはそのふたつが混じったのか…
舞台の世界に客も役者も何もかも呑み込まれた場で俺の視線はふと、観客席である人物を捉えた。
その人達は体育館の2階部分のギャラリーで手すりに体を預けてステージ上を眺めていた。片方は50後半くらいのガッチリした体格の男、もう一人は70過ぎに見える老婆だ。
厳つい風貌の初老のその男は業界ではあまりにも有名人だった。
あれは……南戸監督…?
超有名な映画監督じゃねぇか…最近だと「恋を超えて」が国際映画祭で受賞していたな…
そういえばあの映画、風見も出ていた。
あいつ最近名前を聞かねぇけど、今何してんだろうな……
もう一人は……たしか風見が移籍した『ハニープロダクション』の代表の…
こんな大物が一体なぜ?
もしかしてクレセントムーン経由で初音を観に来たのか…?
大物の見守る舞台袖で100カラットのダイヤモンドにも勝る才能の原石に俺は身震いした--
物語は原作のあらすじから大きく外れ、独自のストーリーへ向かっていく…
「あたし達…あなたが心配なのよ……」
泣き崩れる姉上を前にお姫様--私は途方に暮れるように立ち尽くす。
「意地悪してたわけじゃない。俺…あ、間違えた」
台無しである。出柄詩先輩。
「私達、いつもお転婆なあなたがいつか苦労しないかと…意地悪じゃなくて、あなたが恥をかかないようにって厳しくしてきたの…」
「そんな…じゃあ……私と王子様の婚約を邪魔するのはなぜなの!?」
「……それはあたしよ♂」
「姉上…」「もういいの!お姉様!!」
「それは……あたしがあなたを……愛してるからよ♂」
「……え?」
「違うのよ!?姉上は妹として--」「話を聞いて!?」
「いいえ。一人の女性として、あなたを愛してる♂」
思わぬ物語の展開に観客席からざわめきが起こる。それだけ、物語は観客も巻き込み体育館を一体にしていた……
--そんな中でお姉様…加納先輩は何故かスカートを大きく持ち上げ、その逞しい太ももを露出。
またしてもお姫様から妻百合初音に引き戻されたその暴挙に私も、出柄詩先輩も羽場先輩もギョッとします。
「実はあたし!男なの!!」
なんてアドリブぶち込んでくれてんですか先輩。
ネカマがまさかの女の子に愛してる宣言。属性を逆手に取った予想外のアドリブ……ですが観客にはそのギャップは伝わりません。
これには完全に私も舞台の世界から現実に引き戻されます。舞台袖で希屋さんが無言でキレてます。
「あなたをあの男に取られたくないの♂」
……落ち着くのです。
…………落ち着け。
「……お、お姉様…」
「でもあたし、気づいたの…あなたの事を愛してるからこそ、あなたの幸せの為に身を引くべきなんだって…だからあたし、決心したわ」
「姉様……」
「(加納!お前なにやらかしてくれてんだ!)」「(そんなアドリブ要らないわよ!汚い生足しまって!!)」
「あたし……取りました♀」
「……ヒュ」
「(まじ?)」「(まじで?)」
お、落ち着くのです妻百合初音…いえ、私はお姫様……戻ってきてお姫様!カムバック!!
「あなたへの愛を諦める意思表示として、正真正銘、女になったわ♀」
「(なんで恍惚としてんだよ(怒))」「(ねぇ、まじなの?)」
……あ、ダメだ。戻れない。
マジでどうしてくれるんでしょうかこの空気と焦っていたその時、突然舞台の照明が全て落ちます。
「え?」「え?」「なに?」「見えないよ」
ここで照明が落ちるなんて聞いてません。観客も突然の暗闇に困惑します。
アドリブからのトラブルに完全に頭が真っ白になる私……
そんな私の背中にひんやりした感触が触れました。
『--深呼吸。目を閉じて』
……っ!?
その声はきっと、私以外には聞こえなかったはず…
でも私は確かにその声を聞きました。
たった一度だけ、一回だけですが確かに耳にして、ずっと頭から離れなかった声……
その声はこの舞台を捧げるべきあの人の声でした--
「……さなえさん?」
あの時--この体育館で耳にした時の恐怖感はなくて、背中を押すように優しく鼓膜に溶ける声に私の取り乱した心はスっと、鏡面のような水面みたいに静まります。
そうして声に従って瞼を下ろし……ゆっくり開きます。
ステージはライトに照らされていました。
そして、私の視界に映るのは煌びやかなお城の広間で、私の前に立つのは美しく、そして本当は慈悲深かった姉達……
『もう平気ね--』
優しい呟きが離れていくのと同時に、“私”が沈んでいって……
姫が再び浮かび上がってきた--
藤島さなえの魔法にかかって、お姫様は再び舞台の世界に帰ってきた……




