第97話 魔法にかかる
--幕が上がります……
暗転した体育館のステージから見下ろす観客席からは静寂と視線が集まっています。体育館全体がステージの上の世界に吸い込まれて来るように、一人の登場を待つ。
静寂を切り裂くのは足音。
ステップを踏むように靴底を鳴らし、ドレスの裾を花弁のように広げ、両の手に握った金に輝く毬を手に…
風と戯れるように設置された中央の大階段を降りる。
舞台に降りるのは“私”--
私は辺境の王国の第4王女……
森の湖で自然の妖精に囲まれ、毬と戯れる無垢なる純潔の王女--
集まるスポットライトに照らされながら私は踊るように階段を駆け下りる。
観客席からの静寂が濃密な空気になって、私の体を熱くする。ライトの熱じゃない程よいプレッシャー…
それも一度手の中で鞠を宙に放れば霧散した。
私の世界から観客席が消えて、ステージ上の階段や背景が消えて……
妻百合初音の心は消えて王女様が降りてくる…そして深い緑に包まれた世界が広がった--
「ふん♪ふん♪ふん♪」
毬を投げながら回るようにステップを踏む私の視界の端に、世界の端っこから舞ってくるように一匹の蝶がやって来る……
「おやおや。お城の王女様ご機嫌だねぇ」
「こんにちは蝶々さん((ポ)って何?)」
「わぁ(ポ)なんて素敵な手毬なの!」
「お父様から貰ったのよ。綺麗でしょう?」
「素敵だなぁ(ポ)私にも貸してくれないかしら?」
「だめよ。これはお父様から決して無くしてはいけないと言われてるものだもの」
「あら(ポ)そんな大切なものを持ち出してはいけないじゃない!お城の王様に言いつけてしまうわよ?私は蝶々…この森からお城までなんて直ぐに飛んでいけるんだからポ…あ、間違えたポって言っちゃったポ」
「そんな…意地悪をしないで蝶々さん」
「じゃあ貸してちょうだい(ポ)?」
「それは……」
「えいポ!」
意地悪な蝶は私の横をすり抜けるように透明な羽を広げながら金の毬を掠め取っていく。王女の胸の中には父からの叱責を恐れて焦りが生まれる。
「返して!」
焦りから私を揶揄うように踊る蝶へ手を伸ばす。蝶は私が体ごとぶつかってくるものだから手を滑らせて毬をあらぬ方向へ放ってしまう。
心臓がキュッと締まるような感覚……やってしまったとざわめく心の映す視界の中で毬はチャポンという水音と共に世界の端っこの舞台袖に吸い込まれていくのだ。
「しーらないポ」と舐め腐った態度でテテテと駆け出してどこかへ消えていく蝶に取り残される私はその場にへたり込んで途方に暮れるしかなかった。
「どうしよう……こんなに深い湖の中に…お父様に叱られちゃう……」
「--お嬢さん、お嬢さん」
底の見えない湖を覗き込む私の耳をノックしたのはそんな軽薄な声。
「?…だぁれ?」
「私だ」
王女の問いかけに応えたのは舞台袖から左脇の階段をするりと跳ぶように降りてくる一匹のかえる…
緑色の大きな頭のかえるだった。
「ひっ…気持ち悪い……」
「え…酷くない?」
「かえるが喋ってるんだもの…」
「……お嬢さん。森の向こうのお城のお姫様でしょう?毬を落としてしまったのかい?」
「ええ…お父様から怒られてしまうわ…このままじゃお城に帰れない……」
「いいよ。私が取ってきてあげよう」
なんて優しいかえるなんでしょう。私は胸の前で両手を結び体をいっぱいに使って飛びあがり、喜びを表す。
「本当に!?」
「その代わり…条件があるんだけど…」
「え?」
「私をお城に招待して、一緒に食事を摂って一緒のベッドで眠ってくれる?私は君のお友達になりたいんだ」
「……えぇ」
かえると?かえるよね?やだ気持ち悪い…私は隠すことなく不快感を顔に宿す。そんな私の気持ちも知らずにかえるは無邪気にその場で私の周りをくるくる回る。
「お友達ならそれくらい当たり前だろう?どうするんだい?大切なものなんだろう?君じゃ深い湖の底まで潜って毬を取って来れないよ?」
「……」
逡巡の沈黙。しかしお姫様はこのままでは帰れない。眉をひそめたまま不気味なかえるに私は肯定の頷きを返すしかなかった。
「よぅし、約束だよ?」
……完璧だった。
僕の目に映る彼女の姿の感想はまず、その一言。
目の前で純白のドレスを着こなす少女は僕のよく知るあの、礼儀正しく歳の割に大人びて見える妻百合初音ではなかった。
暑苦しいかえるの被りものから覗く彼女は今、世間知らずで幼稚で、汚れを知らないお姫様だ。
舞台のスポットライトを浴びた途端、和装の似合う大和撫子は森の城に住む西洋のお姫様に変身したのだ。
かえるとの約束を反故にしてそろりそろりと駆け出すお姫様の姿は、真面目な妻百合初音からは想像できない。
役を演じているので当たり前なのだが、芝居とは思えない程彼女の表情、仕草は自然に見えた。
観客に伝わるように大仰に見えがちな舞台の芝居……
しかし演じる妻百合初音は物語の中で本当に生きているように自然だ……
大袈裟に見えない自然な芝居に動きの華を持たせる為に合わせた大きなドレスが、無機質なステージ上を彼女の動きに合わせて童話の世界に塗り替える…
本当に役になりきる…いや、役がそのまま降りてくる、憑依型の芝居。
事実、目を覗き込んだ僕の読み取った彼女は本当に汚いかえるを嫌悪してたもん……
雨宮小春、傷ついた……
彼女なら僕の、相手の気持ちを引き出す演技と完璧に調和する--
開幕の数分で観客は完全に僕らの世界に呑まれてたから……
「お姫様、約束を守っておくれよ」
「きゃー♂」「喋るかえる!?デカっ!?」「なんなのよこのかえるは!?」
「お、お姉様……あの、このかえるは……」
才能がある、か……
舞台袖で見守る希屋パイセンをちらりと見る。彼は妻百合初音の演技をじっと見つめていた。彼女はそうなるべくして舞台女優を志したのかもしれないな…
彼女は俺の名前は風見大和bot君や小鳥遊らいむやかつて出会った白羽ハイルの域に居るのかな…
「娘よ(怒)約束は守らなきゃならない(怒)」
「お、お父様……でも、かえる……」
「かえるとかカンケーねぇから(怒)大体大事な毬を勝手に持ち出して何してくれてんだてめぇ(怒)」
「(口悪っ…)それは蝶々が……」
「黙れ(怒)そしてかえる(怒)あんたは恩人だ。今日は恩に報いる為に盛大な宴を開いてやる(怒)うちの娘と踊っていいぞ(怒)」
「いいんですか?嬉しいです。是非お友達になりたいと思っていたんです。ところで、なに怒ってるんですか?」
「怒ってんのはデフォルトだ(怒)」
「そうですかー」
素人連中の芝居が問題にならないくらいには妻百合初音が物語の主人公として観客の目を釘付けにしていた…
私は可愛い--
私が存在する、その事実だけでその世界は輝きだし、例えばエナジードリンク中毒患者でもその灰色の世界が輝きだすだろう。
私、日比谷真紀奈がそこに存在する--
その緊急事態を前に正気を保てる一般人など皆無。美の体現とも言える私の存在を無視して他のものに熱中するなんて不可能…
しかし……
--文化祭のレベルじゃなかった。
もちろん学校の文化祭。セットや照明、音響なんかは目を見張るものはなかった。
私も芸能人……舞台なんて腐るほど観た。
中学生の演劇で感動する事なんてない。事実、別段感動とかはなかった。
でも……
目を見張るのはあの子……妻百合初音っていう子の演技だ。
あれは演技じゃない。あの子は本当に、お城に住むお姫様になっている……
誰でも持ってる素質じゃないのは、見るものが見れば分かる。
5年近くこの世界に身を置いている私だから分かる。
そして認めたくはないけど、絶大な容姿を持っている--ただその一点のみでこの世界で這い上がった私には決して手に入らない才能だ。
簡素な舞台とその他の見栄えしない演技を帳消しにして私の目を舞台に注目させたのはそんな輝く彼女の存在感だろう……
違いない…はず。
でも……
「…なんだろう」
「?どうしたんだい?日比谷さん」
隣でエナジー野郎、橋本圭介が私の呟きを拾うけど、私はそんな反応を無視して舞台を見つめていた。
何度も言うけど凝ってるわけじゃない、文字通り文化祭用の簡素な舞台セットで煌びやかなお城の舞踏会を幻視させる光景--
その中で私の目を引いたのは身にまとった安っぽいドレスの衣装を翻す妻百合初音という少女……
では無いように思えた。
彼女の手を取って踊る、細身な体にでっかいかえるの被りものを被った少年……
彼の演技も凄い。
この2人は本物のかえるとお姫様に見える。彼もまた、才能を持ってる……
しかしこの舞台の主役はあくまでお姫様で、かえるはその演技を引き立てる事に徹してる。かえるとお姫様のリアリティ溢れる、芝居を見てるとは思えないやり取り--表情や見逃してしまうレベルの仕草は彼が最大限引き出している。
つまり引き立て役だ。主張の強い演技には見えない。
でも私は彼に……何かを感じていた。
演技とかそういうのじゃなくて……
「この子……どこかで……」
心だけが過去へ戻っていくような感覚のまま私の視線は自然かえるの少年を追う。
「--寝よう」
「…やっぱり、いや…なんかねばねばしてるし…嫌」
「一緒に眠ってくれると約束したじゃないか」
「いや……かえると一緒のベッドで眠るなんて…やっぱり……」
「約束を守ってくれないなら君の怖いお父様に言いつけてしまうよ?」
嫌悪感と苛立ちを見事に表現…いや、実際に胸に宿すお姫様がかえるに詰め寄る。壇上には2人だけ…この2人の演技は自然と観客の目を惹き付ける…
お姫様の前に躍り出るかえるにお姫様は渾身の拒絶を見せる。堪えてたものが爆発した、その感情の気迫が言葉を介さずに伝わってくる。
「嫌なものは……いやっ!!」
「エッ?」
もはや本物の拒絶……その証拠にお姫様はその可憐で清楚な印象から想像もつかない見事な一本背負いを披露してくれたから。
これは普通にかえる君可哀想……
演出じゃなくて普通に吹き飛ばさたかえる君に観客も若干驚きの声を漏らす……
かえるが吹っ飛ばされるのと同時にぽんっ!とポップな効果音が鳴り、一瞬照明が絞られる。
全体が暗闇に沈む中でスポットライトを浴びるお姫様の「え……」という驚きの呟き。
観客が注目する中で、暗闇からスポットライトを浴びるお姫様の下へ“彼”は歩み寄ってきた。
ライトが暗闇から切り取るその姿--かえるの被りものを取り去ったその少年の姿。
「--魔法が…解けた……」
--その男の子の姿に私は何故か目を離せなくなっていた。
私は……日比谷真紀奈はあの子を知ってる…




