第76話 さささつつつえええいいい
その日も雨が降っていた……
車窓から眺める東京の街は曇天の影に埋もれ傘を差し道行く人々は足元に跳ねる水溜まりの汚水も気にせず忙しなくつま先を前に出す。
慌ただしい都会の雑踏をサングラス越しに見つめながら僕は目的地に向かう車の振動に……
「おぇぇぇぇっ!!」
「あっ!雨宮くぅん!?」
酔っていた。
初めましての方は初めまして。
芸能界の天女、日比谷真紀奈神との再会とイチャイチャを夢見てゲロを吐く、日比谷教教祖、副業で俳優をやってます。KKプロ所属雨宮小春です。
『渋谷戦争』
とあるお方のとある漫画のとある映画化とかで今回僕にお声がかかった。今日はその撮影日なんだとか。
パイセン女優芝原ききからの紹介でこうして仕事をゲットしてから早数ヶ月……
主演が日比谷真紀奈の同級生という餌に釣られここまで来たけどそれまでに脅迫事件の解決に奔走させられ長かった。
しかししばらく振りの仕事だ。
「演技の仕方忘れたけど頑張るぞ」
「大丈夫なのかい!?雨宮君!!」
『渋谷戦争』なのにロケ地が江東区だということに驚愕しつつ僕と、僕のゲロを「汚ったねぇなぁ……」と処理するKKプロマネージャー、諸橋氏は現場入りする。
『渋谷戦争』は架空の近代日本を舞台に渋谷で「革命戦士軍」と「日本解放軍」が戦争する漫画である。
今回はその第一部『渋谷大火編』だそうだ。そして僕の役は敵対勢力「日本解放軍」リーダーにして第2の主人公の側近らしい。
原作を全巻読んだが感想としては「面白くなかった」である。
撮影は昨日から始まっている。
今回のロケは主人公「革命戦士軍」のエースと「首都解放軍」リーダーが作中初邂逅する廃倉庫で行われる。ちなみに、江東区である。
なんで渋谷じゃないんですか?って訊いたら渋谷は貸倉庫確保出来なかったらしい。あと、先日のテロ(宇佐川結愛と覆面やろうの苛烈な戦い)で首都圏の復興がまだ進んでないからだ。渋谷はとても撮影どころではないらしい。
「雨宮小春さん現場入りでーーす」
「よろしくお願いします」
久しぶりの、それも映画の撮影…今からドキドキが止まらない。
スタッフさんに迎えられ撮影現場へと足を運ぶとそこは芸能人達の戦場だ。
雨粒叩きつける陰気な倉庫の中で既に衣装に着替えているキャストの面々が撮影陣と打ち合わせをしている。
「はぁ!」「ぐぎゃっ!?」
リハーサルだろうか……?演者とスタッフがビンタの打ち合いをしてるがその打ち合わせではない。
「……雨宮君」
「この間を空けた話し方は…っ!」
背後から突然忍び寄ってきたその人の声に振り返るとそこには『劇団ゴクドウ』のエースが立っていた。
「……久しぶり……最近見ないけど元気してた?」
「ききさん。三十路おめでとうございます。小じわ、増えましたね」
「……え?死ぬ?」
芝原きき--『劇団ゴクドウ』所属実力派女優。今年30歳。僕のデビュー作ドラマ『虚空』にて初共演を果たし以来、演技の勉強などで何かとお世話になったパイセンである。
今回も共演させて頂く。ちなみに彼女は主演の一人。役は「渋谷国女王」である。
「今回はお声かけ頂きありがとうございました。またゴンズイ釣りに行きましょう」
「……なにやらバタバタしたみたいだけど無事クランクイン出来て良かった…雨宮君もよろしく。あと、今度はゴンズイじゃなくてミノカサゴ釣りに行こう」
「よろしくお願いしやーーす」
僕と芝原ききが熱く見つめ合っている横を気軽な挨拶と共に駆け抜けて行ったのは主演、細谷心だ。
あの何かと話題の『ヤッテ・ランネー・プロダクション』所属、『2代目エル☆サレム』の男性アイドル。
「……よろしくお願いします」
「よろピクミン」
僕の礼儀正しい挨拶に色白細マッチョ、デュアドロップ型のサングラスかけて海でサーフィンしてそうなアイドルが「ん?」と反応した。
……速い、この反応速度…恐らくカルビーのお客様センターの電話対応に匹敵する。
この男デキるな……
「……あれ?君、もしかしてKKプロの雨宮?」
「初めまして、雨宮小春と申します」
「……うちの宇佐川が言ってた子かな?」
やばい。コイツから濃密なトラブルの予感が……
僕は一度外したサングラスをかけ直して吹けない口笛を鳴らそうと必死である。
「うちの『おひねりちょーだい』がなんか世話になったんだって?君、便利屋として優秀らしいじゃん?宇佐川主任が話してたよ」
「べ…便利屋?」
「そうそう。宇佐川主任が「覆面ヤロー」はどうなったんだってなんか言ってたな…KKプロの便利屋に頼んだとか何とか……」
……ヤバい。この男、危険だ…
「なんの事でしょう……」
「まあいいやよろしく。俺も演技とかあんまりだからさ、色々教えてよ」
不穏な空気だけ残して国民的アイドルは颯爽と監督の元へ向かって行った。この男と関わるのは危険だ。僕の第六感が警笛を鳴らす…
その後ろからぬっ!と顔を覗かせてきたのが諸橋氏である。
「雨宮君!分かってると思うけど余計な事に首突っ込まないでよ!?社長から言われてんだから!」
「……分かってますよ」
「……?」
芝原ききに飛び込み営業が弟子入りするレベルの愛想笑いを返しつつ僕は足早にその場を立ち去る。
……ヤバいよなぁ…覆面ヤローの調査忘れてたよなぁ……
覆面ヤローとは『おひねりちょーだい』を脅迫していた妻百合真一郎が雇った殺し屋(?)である。あの魔人宇佐川から逃げおおせたらしい。信じられない。
さて、そんな不安は一旦そこの側溝にでも捨ておいて僕は礼儀正しいデキる男なのでちゃんと監督にも挨拶する。諸橋氏と共になにやら神妙な顔をして話し込んでいるスタッフ達の輪に乱入していく。その乱入っぷりは本能寺に討入る明智光秀であった。
「初めまして、KKプロの雨宮です。本日はよろしくお願い申し上げ候」
「KKプロの諸橋です。変な奴ですがよろしくお願いします」
僕らが頭を下げた先で腰がバイブレーションするひょっとこ顔のハゲは映画監督、勅使河原さんである。
「……よよよよろろろろししししくくくく」
腰のバイブレーションが止まらないこの齢77の監督は頭がマルハゲドンであるが映画業界ではちょっとした有名人なんだとかかんだとか…
しかし腰の震えが酷すぎて声まで震えていた。
「うちの雨宮はまだ無名ですが…結構見所ありまして…今後ともよろしくお願いします」
と、諸橋氏が媚びへつらうくらいには有名人らしい。
「しょしょしょうううじじじきききぼぼぼくくくもももまままんんんがががのののえええいいいがががはははきききがががのののらららななないいいけけけどどどねねね」
監督としてはあんまり今回の作品は乗り気じゃないらしい…
「ききききききちゃちゃちゃんんんかかからららきききいいいてててるるるよよよ。。。いいいしししばばばいいいすすするるるっっっててて」
「頑張ります」
この男…震えすぎて句読点までタブってる…
*******************
「それじゃ本番始めるぞオラァ!!」
リハーサルを全てこなし、かつてない仕上がりを実感しつつ雨宮小春、いざ本番撮影へ…
僕はセットされた機材の合間を縫いながら歩き共演者達を評価する。
『2代目エル☆サレム』の細谷心に関しては本業がアイドルということもあり、演技のレベルで言えば目を見張るものはなかった。恐らく『おひねりちょーだい』のキャスティングと同じく集客目的の選出なのだろう。
しかし映画出演が初という訳でもないらしく、可もなく不可もなくと言ったレベルか…
芝原ききに関しては相変わらず安定したパフォーマンスだ。役より10歳以上上なんだけどそれを感じさせないフレッシュさ、青さ、危うさを見事に表現している。
「私は負けない!!」
「芝原さんまだキュー出てないです」
どっぷりと役に浸かっている様は圧巻だ。もはや役に取り憑かれている。この浸かり具合は一夜干しでは実現できないだろう。
……そして今回密かに僕が色んな意味で期待していた……
『よっしゃ!いきますか……』
『ハニー・プロダクション』所属、江口連夜。
あの芸能界の伝説、日比谷神と同じ事務所に所属しているこんちくしょうである。
若手で注目の実力派ということだけあって演技のレベルは……
『よろしくお願いしまぁぁぁぁぁす♪』
演技のレベルどころではない。
この伸びの凄まじい、オペラ歌手かてめーはという声質。そして無駄にデカい声量。
リハの時鼓膜を彼岸神楽流で守るのに必死だった。この肺活量、高笑いで機材をぶち壊す城ヶ崎麗子に匹敵する。芸能界にはイロモノしか居ないのか?人体にダメージを与えるレベルの個性がなければ売れないというのか?
しかしこの男には媚びておかなければならない。
なぜなら彼は現在僕の手元にある、日比谷神と繋がりを持てる可能性がある唯一のカード。
『おひねりちょーだい』がああなった今、奴は僕にとって目標への片道切符なのだ。
「……え?……あなたもしかして……」
「だから芝原さん、早いっス」
強烈すぎるソプラノ音響兵器により共演者の鼓膜は破れてしまったようだ。
「いいですか!?いいな!?始めるぞ!!聞こえてんのかコラァァ!?」
「え?なに?ガスの元栓?」
「この人でなし!!」パァン!!
誰も彼も鼓膜がやられて誰の声も届かない中怒号を飛ばすスタッフとガスの元栓が気になる細谷氏ともう始まってると思って細谷氏をビンタするききさん。
現場はカオスなまま本番へと……
「よよよよよぉぉぉぉぉいいいいい………ああああくくくしょしょしょんんんっ!」
ブレブレな合図と共に監督の頭が照明として現場を照らす。この監督、照明効果に異常なこだわりがあることで有名で自分の頭の輝きに勝る照明はないと豪語している。
「……?」「……え?なんて?」「始まってんの?これ」『早くぅぅぅぅぅぅ♪』「何とか言いなさいよ!!」パァン!「痛っ!?」
……残念ながら誰も聞こえてなかった。
「…………すぅ…」
が、しかしそこは業界のプロ。
唯一鼓膜が無事な僕がスイッチを入れた瞬間、皆瞬時に役が降りて来たように目の色が変わる。それだけで本番が始まったのだと理解したのだ。
「だから答えなさいよっ!!」バチィィン!!
唯一既にスイッチの入ってしまったききさんのみ役に没頭し細谷心へビンタを繰り返している。
「……」「……」「……」
「答えてよっ!!」バチィィィン!!
……いや、おかしくない?
段々張り手からグーパンに変化していくききさんの暴挙は細谷氏が鼻から赤い線を垂らし始めても止まらず、むしろその表情は狂気的に歪みヒートアップしていく…
「ちょっ…ちょ待てよ」
『芝原さぁぁぁん♪本番ですよぉぉ〜♪』
「どうして無視するのぉ!?」
…いややっぱりおかしくない?
こんな台詞ないし、リハの時のききさんの演技とも別物…リハ時点でのききさんを危うい正義感を持て余した青臭いヒロインだとしたら今は夫の浮気現場に居合わせた若奥様…
いやおかしい!
雨宮小春、歴戦の勘が危険信号を鳴らす!
合わせて監督の方からも腰の骨が砕けないか心配になる程のバイブレーションと共に「かかかかかぁぁぁぁととととぉぉぉぉ!」とカットが入る。
…が、止まらなかった。
「私も出たいのぉ!!」
意味不明な言葉を叫び散らかすききさんの目が白く濁っていた。
分かりやす過ぎるホラー演出にこれはただ事ではないと察知した僕が身構えたより早く……
ききさん、撮影機材のライトから伸びるケーブルを引っ張りそのまま細マッチョ、細谷氏の首へ巻き付ける暴挙。
これには撮影現場は鼓膜を気にしている場合では無くなった。
ききさんが明らかにおかしい!!
過去の嫌な思い出を思い返してすかさず彼岸神楽流を発動しようとした刹那--
「ぐっ!?」
「あっ!雨宮くぅぅん!?」
誰も触れていないはずのケーブルが蛇のように地面を這い僕の首の肉にも食いこんだ。
太い送電ケーブルの締め付けは中学生の気道を容易に潰し声も出せず僕はジリジリと吊り上げられる…
視界の端に倒れた照明に照らされた廃倉庫、濃い影を映す壁際で海が似合う細マッチョの影がじりじりと僕の視点と同じように登って行っていた。
……まさか、これ…………
呼吸の術を奪われ、ここ最近で一番の苦しさを噛み締める中、薄ぼんやりしてくる意識と視界の中に……
--ぼんやりと天井から吊り下がった“3人目”のシルエットを僕は見た。
「ひっ……彼岸神楽流!断空裂破!!」




