第73話 恐怖の幕が上がる時
彼岸神楽流、プチ炎斬とは。
彼岸神楽流奥義、炎斬をプチにしたやつである。ちょっと焼き斬りたいものがある時に使う。習得は彼岸神楽流六段以上が条件だ。これができるとバーベキューとかの時重宝する。
あとはそうだな……ドアにネクタイ挟まって首が絞まってる中年男性の救助とか。
彼岸神楽流八段、雨宮小春。
KKプロダクション所属俳優であり浅野探偵事務所非常勤職員であり宗教法人(予定)日比谷教の教祖でもある。
小2の小僧の時に僕は地元のハンバーガーショップで女神と約束した。
いつかその女神に見合う男になったらお付き合いしてください……と。
その女神は日比谷真希奈。
群雄割拠の伏魔殿、芸能界に御座す世界の女神。彼女の美しさ、慈母の如き温かさと言ったら闇落ちしたロールパンナちゃんの心も氷解させる程だ。
彼女との約束を果たし「俺の嫁世界の女神」っていつか呑み会で自慢する為に、今日も僕は芸能界を駆け上がる。
『……依頼してからどれくらい経ったよ?』
そんな野心家の僕へかかってくるのは地獄の鬼よりも恐ろしい女からの電話。
『ヤッテ・ランネー・プロダクション』警護主任、宇佐川結愛。恐らく僕が過去出会った何者より強い……そう確信できるオーラを纏った女である。
そんな彼女の殺気が電波に乗ってこの北桜路市を暗雲で包み込む。決して今が梅雨真っ只中だからではない。
『例の覆面ヤローは見つかったのか?』
「いや、誠意調査中でして…てか、まだそれ程時間経ってないのではないかと存じますが…」
『さっさとしないとお前を代わりにぶち殺しちゃうぞ♪』
芸能界とは群雄割拠の伏魔殿。そこに潜むは地獄の鬼より恐ろしい魑魅魍魎である。
「雨宮さん」
「ひぃ……なんて恐ろしい……僕はとんでもない女に目をつけられてしまった……」
「え?それって私の事ですか?」
「早く帰ろう……今日はドSステに日比谷真希奈が出るんだ……」
「待ってください。少しお話を聞いて下さい」
「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏……くわばらくわばら……」
「お葬式の場でそれはちょっとふざけすぎでは?」
雨音に紛れてまたしても余計な面倒事の気配が忍び寄っていた。
僕の後ろでビニール傘の向こうから僕を翡翠色の瞳で見つめていたのは見覚えのある品を感じさせる大和撫子だ。こけしみたいとか頭が大人のバイブみたいとか言ったら多分殺される。
彼女の名前は妻百合初音。
日本舞踊、妻百合流家元の実妹にしてこの学校で『演劇部』を設立させようとしている人物だ。
どうやらその『演劇部』には死んだ部員の呪いが宿ってるとか宿ってないとか宿取り忘れたとか……
僕達はエカテリーナとかいう先輩の葬儀場の外で向かい合っていた。ドラマならここで傘を放り出して抱きしめてキスをする。しかし葬儀の直後にそんな真似をしたら僕はこの地面に頭から埋められるだろう……
親族や仲の良かった友人、先生達が火葬場へ向かう車に乗って消えていくのを横目に、僕は彼女の話を聞くことにした。
「さっきは大変でしたね。お怪我はありませんでしたか?」
「立ち話もアレなんでどっかのお店に入ってお話しよう」
「……え」
え?だって土砂降りだし。こんな外で傘さして足ずぶ濡れにしながらなんか長くなりそうな話……
…………え?
何とか喫茶店まで連れ込むことに成功しました。
言い方。
「大丈夫なのでしょうか?その…雨宮さんは有名人でしょう?私と一緒に居るところをパパラッチに撮られたら……」
「ははっ、お前は一生パパラッチとは無縁だって言う嫌味かい?」
「……?ごめんなさい…?」
幸いな事に現在無名もいいところなので。
「それで?話って?」
「ええ……実は今回のエカテリーナ先輩の件と……さっきの白ひげ先生の事故なのですが…」
「白ひげ先生?」
「ネクタイに絞め殺されかけてた方です」
「あぁ……」
「雨宮さんはエカテリーナ先輩がどのような亡くなられ方をしたかご存知……ん?」
話の途中で妻百合初音が僕の首元を凝視する。そんなはずないのに「えっ!?キスマーク付いてる?」って身構えた僕の首を無遠慮に彼女の指が撫でた。
ちょっと爪が引っかかった。ガリって。
「この痣のような……これは……?」
「あぁ……気にしないで?なんか最近首締まる事が多くてね?まぁ鼻がもげるのに比べたら大したことないよ」
何言ってんのか分かんねーけど、最近僕の首はことある事に気道を塞がれるのだ。和服の帯とかコードとか魔人の手とかで……
僕の絞殺未遂痕を目の前にした妻百合初音は少し目を見開きその大きな瞳に驚きの色を滲ませた。
……何か深刻な事情があるらしい。
「……やはり、私達は開いてしまったのかもしれません……パンドラの箱を」
「…………魍魎の匣なら開いた事あるけど」
京極夏彦の魍魎の匣。あの百鬼夜行シリーズの文庫本の分厚さと言ったら……
「雨宮さん。あなたは…いえ、この学校は呪われてしまったのかもしれません。突然こんな事言うのは変ですけど……」
「……それはこの前話してくれた『演劇部』の呪いの話?」
僕の問いに彼女はえらく深刻に頷くのだ。こうも深刻そうだと僕も茶化す訳にはいかない。
けれど『演劇部』に無関係な僕にそんな話を振られてもどうしたらいいのか分からなくなってしまう。
とりあえず、彼女の話を聞こう。
「『演劇部』の呪いについて覚えていますか?」
「……たしか、『演劇部』だった女の子の呪いでこの学校で演劇?をしたら死ぬんだよね?」
「はい……過去の事件ではほとんどが、死んだ少女と同じく首が締まって亡くなってしまっていました……」
「たしかに最近僕の首はよく締まるけど……」
「エカテリーナ先輩も首が髪の毛で締まっていたのです」
彼女の発言に僕は思い出す。
ついさっき葬儀場で起きた不可思議な事故。白ひげ先生とやらもあの時たしかネクタイで首が……
「……たまたまさ」
「そうでしょうか…?」
「だって『演劇部』はまだ出来てないんでしょ?」
彼女はじっと僕の事を見つめていた。恋が始まる3秒前だったけどちょうど「お待たせいたしました、アイスコーヒーです」と店員さんが注文を持ってきて僕らの視線は遮られた。
気を取り直して。
恋が始まる3秒前というよりお前が犯人だって言われる3秒前っぽい視線の妻百合初音は僕を見たままこう言うのだ。
「ええ……ですが……雨宮さんは役者さんです。そして我が校の生徒…」
マジで僕が犯人だと言ってきた。
「『演劇部』か否かに関わらず、お芝居をしてはいけないのです。この学校では。この学校に在籍している間は……」
おいおい無茶言うなよ。僕は役者さんですよ?それじゃ仕事にならないじゃないか……
……と言いたいところだけど。僕は悲しき反論に打って出た。
「残念だけどね初音さん。僕は中学にあがってからまだひとつも仕事を貰ってないんだ」
正確には『渋谷戦争』があるけど撮影開始は後日。まだ僕は芝居をしてない。どーせ万年うだつの上がらないダメ役者さ。僕は。
「だから僕が呪いのきっかけになったってのは的外れな推論だよ?」
「お芝居のお稽古はするでしょう?」
「いや……入学直後から『おひねりちょーだい』の件で忙しかったから……」
「そうですか……」
これには妻百合初音も少し複雑そうだ。
まぁとにかく……話は終わったらしい。
「どちらかと言えば、『演劇部』復活を目指して活動してた君達の方が怪しいのでは?」
「……それは…そうですが私達もお芝居はしてません……」
「じゃあ、呪いじゃないよ」
「そう、言い切れますか?」
彼女の目の奥にあるのは不安--死んだエカテリーナとかいう生徒と自分の行動を結びつけてしまっているのだろう。
だからって僕を犯人に仕立てあげないでほしい。
ちなみに僕は幽霊も呪いも地獄のハゲも信じてる。ただ、この目で見て体感しない事には摩訶不思議な現象も超常的なにかの仕業だと結論付けない。
「考えすぎだよ初音さん。僕、もう帰るね?」
「本当に思い当たる節はありませんか?」
「ないね。僕は仕事もないダメ役者なので…」
僕はアイスコーヒー代だけ置いて席を立った。彼女はそれ以上引き止める言葉を見つけられずただ店を出ていく僕の背中を見送っていた。
……それにしてもそんな話をされたら『渋谷戦争』の仕事しにくくなるじゃん。
「まぁ……幽霊は経験済みなので?この雨宮小春からしたら幽霊だろうと地獄のハゲだろうと……」
--バチチチッ!!バチィィンッ!!
まぁなんてタイムリーなんでしょう!
突然なんの前触れもなく頭上で断線した電線がバチバチ言いながらまるで計算されたような軌道で降ってきてなおかつ生きてるかのように僕の首にクルクルって具合に巻きついたではありませんか!
……またですか?
更にどうどういった物理法則が働いたのか知らないけど電線が引き上げられてどんどん僕を宙吊りに……
「あっ!雨宮さぁぁんっ!?」
店から飛び出して来た妻百合初音の悲鳴が飛ぶ。
ビリビリ痺れる。
「……っ!彼岸神楽流…絶縁刀!!」
彼岸神楽流、絶縁刀とはビリビリする敵を斬るために使う技である。今回のように手刀でも可。
「ぐげっ!」
「ああっ!制服のズボンがずぶ濡れに!」
「気にするとこそこ!?」
着地に失敗して尻もちつく僕に駆け寄る妻百合初音が頭上で悔しそうに踊る切れた電線を見上げていた。
その目は降り注ぐ雨粒と不安に濡れて……
「……最近こういう事よくあるんだよねぇ」
「どう考えても呪いです!!」




