第202話 玉砕
やりたい事をやれ。後輩からそう助言を頂きました。
恋する乙女こと妻百合初音です。皆さん、ご機嫌よう。
なんやかんやあって私は雨宮小春が好きであるという事を自覚し、ならどうするのか?という問答の末「え?好きにしたらいいんじゃない?」とのアドバイスを頂きましたので…
好きにさせて頂きます。
私の演じる結花の恋心を自分のものにする為。
そして、この胸の中の気持ちに決着をつける為に。
膨らみ続けるこの恋という感情に答えを与える為に私は今日、東京に降り立ちました。
ところで女性専用車両とやらに初めて乗車したのですが何故か周りのお客さんがみんな青髭を生やしておりました。はて?
さてやって来ましたのはテレビ局です。
雨宮さんは電話に出やがらないので私、出待ちというものにデビューしてみようと思う所存です。
「ねぇあれもしかして…」「おいおい…」「マジかよ…」
何やら視線を感じます。
テレビ局の前を行き来する人達の視線にはて?と思いながら局の前を見ると、私の出てるドラマ『ゴルゴンの三姉妹』のポスターが堂々と飾られていました。
変装しましたけど流石にバレてるようです。私の知名度も捨てたものではありませんでした。
--雨宮さんの今日の予定は把握済みです。今日はバラエティ番組の生放送にゲスト出演、その後は家に引きこもるしかないはずでした。
一時はどうなる事かと思いましたが彼、今や新種のUMAの第一発見者として時の人のようです。
そうこうしてるうちに…
「……あっ」
通りの向こうから局の正面玄関を監視していた私は伊達メガネ越しにその姿を見つけて思わず間抜けな声を漏らしました。
テレビ局の前に停まったタクシーに向かって堂々正面から現れたその人こそ、私の待ち人。
誰も待ってないのに一人で手を振って無言の声援に応える悲しき男がそこには居たのです。
「……タクシー…まずいです」
この後用事でもあるのでしょうか?フリー中堅俳優の分際で局までタクシーを呼びつける傲岸不遜ぶり…私だってタクシーの送迎なんて経験ないのに……
とにかく、乗られたら声をかけられません。
急いで通りを渡ろうとする私の足を止めるのは、心の中の声でした。
声をかけてどうするつもりですか?
……どうするってそれは…気持ちを伝えます。その後の事は……
往来でいきなり?
妻百合初音の理性が逸る気持ちを抑えこみました。確かに、告白をするのはいいとして、どうやってそこまで持っていくのか何も考えていませんでした。
愚かなり妻百合初音……
そんな逡巡の間にタクシーは排気ガスを吐き出して発進してしまいます。
……あぁ。
困りました。雨宮さんの家は知りません…
「……行ってしまいました…」
「案ずることはない。別れの後に出会いはある」
「ぎゃっ!?」
突然背後を取られた私は勢い余ってスナップを効かせた平手を真後ろに放ってしまいました。
名家妻百合家で積んだ武芸の数々。その集大成とでもいうべき一撃は確かな手応えと共に容赦なく背後の御仁の鼻をむしり取ったのです。
「……」
「……っ…あっ、雨宮さんっ!」
そこに居たのはヴ〇ルデモート卿のコスプレ(鼻だけ)した雨宮さんでした。
ぬるっと背後に現れた想い人の姿に必要以上に心拍数が高まります。
これが恋に起因するものか、突然現れた事か、やってしまったという感情か、判断がつきません。
「……仕事中から君の気配を感じていたよ。久しぶりだね、ハツネン…10年振り…かな?」
「数ヶ月ぶりではないでしょうか?…あ、あの……」
「……その様子だと、僕に用があるようだね」
もぎ取った鼻を思わず握り込み何を言うべきかを思案します。そして気づくのです。
雨宮さんの鼻を毟るのこれで二度目です。この胸のドキドキはやってしまったという時のドキドキで間違いないようです。
告白どころではなくなりました。
……てか、この人の鼻とか耳とか、顔のパーツ脆すぎません?プラモデルですか?
「……ハツネン、ご飯食べた?」
言葉に詰まる私に雨宮さんは助け舟を出してくれました。今まではこんな事なかったのに…今は雨宮さんの顔を見れません。
だって……鼻ないし……
「いえ……まだ……」
「奢ってもらおうか?」
********************
鼻を取ってしまったので嫌ですとは言えませんでした。しめたと言わんばかりに雨宮さんがチョイスしたのは高そうなお寿司屋さんでした。昼からお寿司でした。
「……食いねぇ」
「そりゃ食べますけど…私の奢りですから…」
回ってないお寿司なんて実家に居た頃お家にお寿司屋さん呼んでた時以来です。値段の書いてないメニューにドキドキしながら私は大将に向き合います。
「…………おしぼりを」
「そこに置いてるだろ」
「大将、僕人面魚」
「あるか」
「HAHAHA!失礼!いやぁ先日人面魚釣り上げたもんだから…じゃあ大トロを」
雨宮さんは調子に乗っていました。
以前会った時、白く燃え尽きていたというのに…調子が良すぎてなんか腹が立ちます。
「今日はどうしたの?ハラペーニョ・ハツネンさん」
なぜこの人の事を好きになったのでしょうか?いえ、本当に好きなのでしょうか?
「妻百合初音です…あ、私かっぱ巻きお願いします…どうしたというか…まぁ、少し様子を見に……」
「わざわざ仕事終わりを待ち伏せまでして?」
サングラス越しに光る彼の目は何も変わっていませんでした。鼻が無いものだからサングラスはズレていました。しかし誰も彼には気づきません。
「まさかあの人……」「舞台女優の妻百合初音!?」
完璧な変装をしてるはずの私の方が気づかれていました。
「何か用事があったんじゃない?」
「へい大トロ、かっぱ巻き」
「……まぁ…大した用事ではないのですが…あ。ニュース観ました。人面魚、おめでとうございます」
「うん…まぁ、これを機に僕も一気に芸能界の第一線に駆け登る事になるかな…」
役者としてその出世の仕方としてはどうなんでしょう?あと、時期が過ぎれば忘れ去られそうな気も……
なんて事はこの場で口にするのは野暮というものです。
「ハツネンのドラマも観てるよ」
「えっ」
自然な流れで口にするそんな言葉に心臓がドキンッと跳ねます。そう言われると変に意識してしまいます……なんだか恥ずかしいです。
あときゅうりも跳ねました。すごい鮮度でした。
「……不思議なドラマだね。回を重ねる毎に演技が良くなってる…ハツネン、またひとつ成長したんだね」
「雨宮さん……」
やはり……この人の目にかかれば私達の変化は一目瞭然なのですね。
観てると言われれば、今の不甲斐ないお芝居をこの人に観せる訳にはいきません。私は決意を新たにします。
「私も『黒鉄荘』観てますよ…お互いもう少しで終わりですね…少し寂しいですけど…」
「楽しんでくれてる?」
「はい……やっぱり雨宮さんの演技は素敵です。引き込まれます」
嘘はありませんでした。あの日文化祭で演じたように、雨宮さんのお芝居は周りの全てを物語の世界に無理矢理引き込みます。
男性としても、役者としてもやはりこの人は私の憧れです。
……ただ今は…鼻がないのでちょっと……
「お待ち。わさびのわさび握りだよ」
「それただのわさびの塊では?」
「食ってみな…兄ちゃん鼻ないからノーダメージだ」
大将までいじってきます。いつ返しましょうか……
…………というか。私はここに寿司を食べに来たわけではありません。
この気持ちの答えを……出すのです……
そして、雨宮さんに見てもらうんです。より上手くなった妻百合初音のお芝居を……
……結果は、分かっています。恐らく、私は拒絶される。
それを意識した途端不安感が襲ってきますが、この気持ちと向き合う事、ここで戦う事こそが結花の気持ちの再現に繋がるはず……
切り出すんです……妻百合初音……
この瞬間の、胸の張り裂けそうな緊張…これが結花の振り絞った勇気……
「ハツネンのおかげでね……」
「……え?」
「らいむの演技が凄く上手くなったよ。小鳥遊らいむね」
唐突に話題に登るライバルの名前に一瞬、胸が締め付けられます。
私を見つめずわさびを口に放る彼の目は柔らかくて…隣に居る私にそれが向いていないのが…
「聞いたかもだけど、同期なんだ。あの子、昔は凄く泣き虫でね……でも今じゃハツネンと張り合うくらいすごい女優になったよ」
「……」
「それも、ハツネンと仕事したおかげかな?」
一瞬見つめてきたその目はどこか、挑発してるような含みのある目つきで、私はその瞬間、この人がどういう人なのかを思い出しました。
「……私の方がまだ上手です」
ブスくれながらそう返す私に雨宮さんは一瞬目を丸くしてから「……僕もそう思う」と一言添えます。
この人には隠し事とか、駆け引きは無駄でしたね……
切り出すまでもなく私の用を察してるような雨宮さんへ私は特攻を仕掛けるのでした。
「雨宮さん…今日私が神奈川からわざわざ来たのは近況報告の為ではありません」
「僕の鼻を取りに来た……と」
「違います」
私から視線を切った横顔に向かって私はストレートに、膨らむ気持ちをそのまま押し出すように言葉にしました。
「雨宮さんに告白しに来たんです」
「…………なんの?」
「おふたりさん、次は?」
大将黙っててもらえます?今大事なところなので。
「……ネギトロを貰「雨宮さんが好きです」
この店には私の存在に気づいているお客さんも居る様子でしたので、私は彼の耳元まで顔を寄せて玉砕覚悟で突っ込みました。
注文を切られた雨宮さんの反応は……
「…………やはり炙りトロにしようかな」
私から顔を隠すように更に横を向けています。表情からその心は読み取れません。
しかし、結果は覚悟している身です。
「私を女優にしてくれたのは雨宮さんです。中学の頃から、ずっと好きでした。その気持ちに今、気づきました」
「……」
「返事をください。今……」
あなたの心は決まっているんでしょう?
もし違うなら……私は激しく鼓動を鳴らす心臓の音を聞いて答えを待ちます。
この気持ちを忘れないように……
「……ハツネン」
「はい」
雨宮さんはようやく、私に横顔を見せてくれました。その無表情からは何も読み取れません。もし、今必死にそっぽを向いていたのが赤くなった顔を隠していたのなら、少しは雨宮さんを意識させられたのかと嬉しく思います。
……ですが…
「…………君の問いにアンサーを返す前に、まず僕の方から聞き返さなければならない事が--」
「異性として好きです」
その手には乗りません。雨宮さんはあの手この手で煙に巻く達人だと心得ています。
「私は…雨宮さんの気持ちをある人から聞きました」
「ある人?」
「なので、覚悟はしてるつもりです。なので、大丈夫です。今、ここで、今の気持ちで、返事をください」
「……炙りトロお待ち」
カウンター席に置かれるトロの油が私達を見つめています。
雨宮さんはカミソリのような瞳でトロを見つめています。
考えているのか…トロに見惚れているのか…前者である事を願うばかりですが……
「……美味い」
残念ながら後者でした。色気より食い気…
絶対にここで答えを聞くという意志を持って雨宮さんの袖を指先で掴みます。その覚悟、伝わったのか……
「ハツネン…いや、初音さん」
雨宮さんは真剣味を帯びた声を投げかけました。
「……僕は鼻のない男だよ」
華でしょうか?それとも鼻でしょうか?
「知ってます」
鼻なら私が取りましたから。
「僕より相応しい男は2000億人居るよ?」
「星の数程と言いたいんでしょうか…?」
「宇宙開発の目まぐるしい昨今、異星人との恋もそう遠い--」
「はっきりお願いします」
これも雨宮さんの優しさでしょうか?しかし、時と場合によってはこんなにイラつくものなのです。そしてこれではっきりしました。私の胸中に感じたことのない苦味が広がります。
忘れる事のないように、それを噛み締めます。
「……雨宮さんは日比谷真紀奈が好きだから、私ではダメですか?」
その一言に雨宮さんはようやく私に感情を見せてくれました。驚きすぎて目と眉毛が同時に動く雨宮さん…
「……それ、誰から聞いたの?」
「返事は…………」
私の覚悟、ようやく伝わったようです。
「……君の言う通り、君の想いには応えてあげられない」
妻百合初音、人生最大の負け戦は見事に砕け散り予想通りの結末を迎えます。
後悔は……ありません。
染み込む雨宮さんの言葉に対して込み上げるものをグッと堪えて私は唇を噛みました。
理由もはっきりしています。覚悟もしていました。理解した上で、伝えました。
これ以上ない形で私の恋は終われたのです。
「……知っていて、どうして伝えようと思ったの?」
問いかけながら私の方を向いた雨宮さんは一瞬また顔を驚きに染めながらも、すぐに私の目を真っ直ぐ見つめてくれます。
「……それが君にとって必要なことだったから?」
霞んで見える雨宮さんの姿に私は嬉しさを感じます。
やはりこの人は、こんなにも私の事を、言葉を重ねるよりも深く知ってくれている……
「……ありがとうございます。雨宮さん…」
膝の上にぽたぽたと零れる涙を感じつつ私は何とか笑顔を作れ…ていたと思います。
「これからも…仲良くしてくれますか?」
「…………今日は奢るよ、ハツネン……」
滲み落ちる涙と共に、私の短すぎる恋は終わりました--




