表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
198/530

第198話 アラビックコシヒカリ

「……どう思う?今回のドラマ」

「ん?」


 男は防波堤に座っていた。波の打ち付けるテトラポットを眺めながら咥え煙草から灰を落として…

 壮年の男はどこか哀愁漂う秋の空で冷たい風に打たれている。隣に立つトレンチコートの男は白髪の混じった長髪を男と同じように揺らしていた。


「今回のキャスティングは考えられる限り最高のメンバーになった」

「……どうした?お前らしくないな南戸。お前はいつも、周りがどんなに絶賛しようと自分の創ったものに自分で唾を吐く男だった」

「完璧なんて存在しない。満足しない事こそが成長の糧なのさ」

「その歳で成長もなにもないさ…」

「今回の主演に据えた三人にはある共通点がある」

「……日比谷真紀奈と小鳥遊らいむと妻百合初音か」

「未覚醒な才能達、だ」


 男--映画界の巨匠南戸は煙草を海に捨てた。カモメが鳴いている。海を汚すなと。


「この作品であの三人はそれぞれの武器をより強く磨き上げ、互いを意識して輝く…」

「素晴らしいじゃないか」

「……だが、欲張りすぎたかもしれん」


 南戸は灰色の空を仰いだ。隣に立つ男はその言葉の真意を待つ。


「強すぎる輝きは互いを食い合う。究極の一を映すんじゃなく、究極の三を映す事になった事で、互いが互いを潰し合う。共鳴した才能達は互いを意識するあまり、どこか空回ってる印象だ…それに……」

「それに?」

「中途半端な覚醒は彼女らの実力をかえって削ぐ」

「この作品……お前は誰を撮っているのか分からなくなったと…」

「それは違うな」


 南戸は口角を吊り上げ、悩ましくも楽しげな瞳で泡立つ海を睨みつけた。


「俺は誰かを撮ってるんじゃない。俺が撮ってるのは世界さ」

「キザな野郎だ……」

「天才達は確実に一歩先に進んでいる…後は調和……俺の描く世界を最高のものにする為に、ひとつに調和する事……」

「……」

「ところで……」


 南戸は隣の男を見る。男もまたその色の無い瞳で南戸を見下ろしていた。二人の視線が蛇のように絡み合う。


「……お前誰?」

「お前こそ誰に話しかけてたの?俺?」


 ********************


 隣で煙草なんか吹かすもんだから魚が逃げる。


 濁った空の下で濁った海に針を投げる僕達はたまたま隣に現れたそんな二人のバカの会話に程々に耳を傾けてた。


「……小春君、引いてるよ」

「おっ」


 天才雨宮小春、その釣りの腕前は誘引の春ちゃんとあだ名される程だ。魚は勝手に引き寄せられる。

 そして隣の先輩女優、芝原ききは通称、ボウズのききちゃん。

 芝原ききは僕のデビュー戦『虚空』や『渋谷戦争』でお世話になった劇団ゴクドウの女優。僕に芸能界のイロハのロを教えてくれた人だ。イとハの師匠はまたいずれ明らかになる事だろう…


「はちょぉっ!!」


 カランッ!


「……空き缶だね」

「……何もかかってないききさんよりはマシです」


 高校は通信制、仕事は『黒鉄荘』のみ。暇を持て余した神々は寒いけど釣りに来ていた。今日狙うのはサーカスティック・フリンジヘッド。


「……ききさん、テトラポットが邪魔で魚が全然かからねぇッス」

「……さっきの人、南戸監督だよね?」


 鼻水を垂らしながらききさんはそう尋ねる。都心はまだ暖かいけど海辺は寒かった。大女優芝原ききの青っ鼻である。


「……小鳥遊らいむって言えば君のところの…あ、失礼。君のいたKKプロのエースよね。私、あのドラマ観てるよ」


 全く人気者ですねらいむさんは、えぇ。


「それが?」

「……同期に先を行かれて焦ってる?」


 いくら自分の竿にかからないからってそんな喧嘩の売り方ないんじゃないか?


「……あのドラマ…回が進む度に役者の演技が良くなってる気がする。観てて楽しいんだ」


 ……やはり。

 らいむはハツネンに触発されてその才能を爆発させている。小鳥遊らいむという才能が開花していってるのが分かる。

 だからこそ、先程の南戸監督の言葉も気になる。


 ……いや気にしてる場合じゃない。今は自分の事を考えないといけない。


「……小春君。どうしてKKプロをクビになったの?」

「ききさん、来てます」


 ききさんの竿にヒット。激しくしなる竿が荒ぶる海人うみんちゅうの心を刺激する。清純派女優が般若の如き形相で竿を引く。


「…デカいっ!!」

「今夜は鍋だっ!!」


 ききさん行きつけの居酒屋には「今夜は大物で鍋よろしく」と伝えてある。これでポリバケツでも釣ろうものなら晩飯は死ぬ。

 二人とも必死なのだ。


「……ききさん」

「……ん?」


 なんか汚い海面に浮かび上がる巨大な影を前に僕は先程の質問に答える。


「僕も今、空回ってるのかもしれません」

「……」


 デカい…これは60…いや80センチ!いやもっとか!?ゴンズイではないことは確かだった。テトラポットにぶつかる魚影がビチビチ海面を泡立てる。溶き卵のように…


「……小春君、ちょっと前から君に関する気になる噂を聞いた」


 上腕二頭筋をモリモリさせる先輩は獲物から目を逸らさずに僕の問いに返した。竿は限界を訴えミシミシ言ってた。頑張れ。晩飯がかかってる。


「……どんな面倒事も雨宮小春に投げておけば解決する…芸能界の便利屋」

「……」

「……この前も門前仲Pのお遣いをしたんだって?小春君が芸能界でやりたかった事って、そういう事なのかな…?」


 激しい飛沫とともにききさんの腕力に引きずられた大物がビチビチいいながら釣り上げられる。

 なんか金色に輝く鱗の3メートルくらいありそうな体高のデカい人面魚…

 なにこれ?汚染された海で突然変異した怪魚?


「……小春君」


 ききさんは飛沫を浴びながら僕の目を見つめる。目に宿るのは歳の離れた弟を心配する姉のような感情……


「……君はどこを目指してるの?」

『痛いじゃないか』


 魚が喋った。


 ********************


「私は……お父さん……ううん、あなたの事が……」

「カット」


 無理矢理に絞り出した自分のセリフにもはや感情などは乗ってなくて、ただ文字をなぞるような言葉の旋律にカットが入ります。

 情けない女優、妻百合初音に南戸監督の表情も険しいです。


「どうした?妻百合さん」

「……いえ、少し調子が……」

「……」


 観察するように私を見つめる監督の視線が痛いです。


「……よし、少し休憩しよう」


 私のせいで中断する撮影。椅子に腰を下ろして項垂れる私は必死に台本とそこに書かれたト書を読み込みます。

 ですが、いくら読み込んでも、イメージしても私の中でそのシーンは現実味を帯びませんでした。


 第10話、結花の禁断の告白シーン。結花最大の見せ場を私は演じきれませんでした。

 スランプが尾を引いているのか他のシーンでも私の芝居は自分でも分かるほど精細に欠いてます。


 結花の気持ちが表現できない……



 恋をする人の気持ち……でもそれは…

 いえ……違います。




「やっぱりお父様を殺そうとしたの、あなたでしょ?」


 別シーンの撮影。小鳥遊さんと日比谷さんは今までにないくらい輝いて見えます。

 特に小鳥遊さん…彼女の演技は自由奔放でありながら、どこか一歩退いたような…

 何故でしょう。自己主張が控えめになったのに全体の画は以前より違和感がなく落ち着いて見えます。

 例えるなら……日比谷さんと小鳥遊さんがいいバランスで……


「カット!上々だね」


 なんて考えているうちにカットが入り、現場の空気が弛緩します。私は気を取り直して台本に再び目を落としました。


 演出の指導内容を何度も反芻して、台本の文字を追いかけて何度も結花の心情をイメージしますが、どうしてもこのシーンだけは…

 自分の心の中で感情が堰き止められているような感覚が……


 ……いえ、そんなはずがないのです。

 あの日希屋さんに打ち明けた相談…あの時の言葉に嘘があったかもしれない。

 そんな想いを私は否定します。


 私は恋を知らないのでしょう。だから……


「思い詰めた顔ね」

「あ…おにぎりさん」

「誰がおにぎりさんよ」


 どっかりと隣に腰を下ろして東京の地盤を沈下させたのは南戸監督の奥さんでした。今日も朝早くから現場に来て演者さん達におにぎりを振舞っていました。

 私は彼女から差し出されるおにぎりを反射的に受け取ります。このおにぎりを期待して朝昼夜の食事を用意してない自分が居ました。


「上手くできないみたいね…」

「……そうなんです」


 全てを見透かしたような、母親のような声音に私は心中を吐露しました。


「思うように表現できないんです。役者は知らないものは演じれないんだってはっきり分かりました。り方を変えても、役の心を理解できない私には……」

「……恋をする女の子のシーンよね」


 自分のおにぎりをむしゃむしゃと頬張る奥さんは慌ただしく次の撮影に備えるスタッフ達を眺めながら呟きました。


「……もっと上手にやらないと…」

「……妻百合さん」


 米粒の付いた右手が私に触れます。やめて欲しかったです。

 糊の代わりになるほどの粘着力を誇る米粒がそうさせるのか、奥さんは私の肩から手を離さず言います。


「思い詰めたお芝居はお客さんも喜んでくれないわ。南戸あのひとはね、作り手であると同時に自分のつくる作品を観るのが大好きなお客さんでもあるのよ」

「……」

「お芝居を楽しんでるあなたはとっても素敵だったわ」

「…………でも、今は楽しくないかも…しれません」

「そうね、そう見えるわ…」


 手が離れません。さりげなく体をよじってもまるで一体化したかのようです。米粒、恐るべし…


「お芝居を楽しめない理由は何かしら」

「それは……上手く演じれないから…」

「その理由は?」

「その…理由は……」


 結花の気持ちを表現出来ないから--


 答えるより早く奥さんは笑って言います。励ますような、お母さんの笑顔です。


「妻百合さん、少し話さない?」

「……離してくださいこの手」

「この後、時間あるかしら?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ