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第167話 走馬灯

「…お母さん」


 ある日、野営の焚き火を囲む夜の事……私は唐突にその疑問を口にしていた。


「お母さんはどうして傭兵になったの?」

「……」


 幼き少女--安住の地を探し共に旅をする偉大なる我が母はそんな愛娘をじっと見つめていた。焚き火の火は幻想的に揺らめき母の優しい瞳を照らしていた…


 伝説の傭兵--ジャン・アンピエール・ルイホッコ・マッカンシー・モルケッチャロフ・ハルハルタン・ルイセルフ・L・アンジェリーナ・タナカ二世。

 各地の紛争地帯を飛び回り世界中にその名を轟かせた偉大なる母は娘の問いに優しく応えた。


「……お母さんは沢山の悲しみを見てきたの」

「……」

「多くの争い…そして死……仲間達の死んでいくその様は今でもお母さんの目の奥に焼き付いて離れないわ」

「お母さん……」

「私は誓ったのよ…復讐を……そして戦う事を……」


 人は愚かなものね…母は自嘲気味に笑う。


「あの日の光景は今でも目に焼き付いて離れないけど…いつの間にか私の中の憎しみは風化していってた。お母さんは戦うのが手段じゃなくて、目的になってた」

「……」

「なぜお母さんが傭兵なんてやってて、いつしか伝説と呼ばれるようになったのか…その理由は一言で言うなら、いつからかお母さんが戦う理由が復讐ではなくてご飯を食べる為になってしまったからね…」


 幼き少女は悟った。

 母は地獄を見てきたのだと。

 母を数多の戦場へ駆り立てた地獄へと……


 お母さんはどこで、どんな地獄を見たんだろう。


 少女を母と引き会わせてくれた友--佐伯達也と本田千夜。※1

 少女は人の善性を信じていた。輝かしい人の美しさ、優しさを信じていた。

 この世界の綺麗さを信じていたのだ。

 そんな彼女の中で母の言葉はどうにもすっぽり落ちてこない。


 これ程までに優しい我が母をそこまでに駆り立てた人の醜さ…憎しみとはどんなものなのか…


「お母さん…」

「我が娘よ……」

「お母さんはどこで、どんな目に遭ったの?」


 母は逡巡した。

 言葉を詰まらせたように目を伏せて答えを選ぶような素振りをみせたけれど、やがて母の面は再び焚き火に照らされる。


「……そうね、あなたもいつか、知るべきだわ」

「……お母さん」

「それは今より昔の話…お母さんの産まれた星の話よ」

「ほし?」


 何の話が始まったんだろう?…無垢なる娘はキョトンとしながらも先を待った。しかし待てど暮らせどそれ以上の答えは帰ってこない。

 少女は尋ねていた。


「ほしって…なんのほし?」

「お母さんの故郷……惑星ドコダッケ」


 この時娘は察する。母の言う『星』とは惑星かなんかの話で、母はこの真剣な場面で私は宇宙人ですとカミングアウトしたんだと…


「私達の星、惑星ドコダッケは地球人から侵略を受けたの…お母さんが産まれるよりずっと昔にね……お母さんが産まれた時には、私達戦闘星人ドレダッケは地球人による惑星植民地化計画の尖兵として使われるようになってたわ」

「お母さん…私達宇宙人なの?」

「我が娘…ジャン・アンピエール・ルイホッコ・マッカンシー・モルケッチャロフ・ハルハルタン・ルイセルフ・L・アンジェリーナ・タナカ三世…」


 母は娘の頭を撫でる。


「そうよ…私達は故郷を蹂躙され逃げ延びたこの世界でただ二人の惑星ドコダッケの生き残り…誇り高きドレダッケ人の最後の生き残りなのよ」


 そんな話を信じろと言うのか……

 幼いながらもある程度の常識を備えた少女は困惑する。

 しかし母の目は至って真剣だった。残念ながら。


「でも……ある時から地球人は私達異星人の力を恐れだした…広い宇宙の中には地球人では手に負えない強さの戦闘種族やオーバーテクノロジーがひしめき合ってたからね。時の米大統領、ジョーダン・ワシルトンは地球外侵攻計画を中断したのよ」

「…………」

「地球が宇宙へと侵攻していた…その証拠諸共ね。最近再び地球が宇宙へと侵攻を初め、それが歴史上初の試みとされてるけど、本当は違う。それ以前の事実は全て宇宙の藻屑と消え隠蔽され続けた…」

「お母さん……」

「私達の惑星ドコダッケは地球人により滅ぼされたの……」

「ドラゴ〇ボールじゃない」

「その時、私達の母性が砕け散る様を表して作られたのが『花火』だと言われてるわ…」

「花火が生まれたの江戸時代よお母さん」

「お母さんは復讐を誓って地球に来た……この星を滅ぼす為に…」

「……」

「でもね、お母さん気づいたのよ…全ての地球人がそんなに恐ろしく、愚かな人間ではないってことに……」

「もう話に着いていけないよ……」

「ある一人の男と出会って、恋をした…荒地のように荒んだ私の心をその男だけが癒してくれた…そうして産まれたのが…あなた。父の名はカカロッ--」

「お母さん!!」


 焚き火の火が揺れる程の声だった。我が母は優しく娘を見つめている……

 しかし、それどころではなかった。


「私達、宇宙人なの?」

「……」

「私達の名前が変なのも、宇宙人だからなの?」

「ジャン・アンピエール・ルイホッコ・マッカンシー・モルケッチャロフ・ハルハルタン・ルイセルフ・L・アンジェリーナ・タナカ三世」


 珍しく母の顔に厳しさが宿った。萎縮する少女に母はすぐに柔らかな微笑みを浮かべてみせながらも、刻みつけるように告げる。


「私達の名前は誇り高きドレダッケの証…変じゃない」


 ……変だよ…


 母の教えに少女は心の中で呟いたけど、その声が口から出てくる事はなかった。


「…最近、地球人は月面への進行計画を企ててる」※2


 母は遥か彼方の星々を見上げ、亡き母星を想うように目を細めていた。


「地球人は再び愚かな歴史を繰り返そうとしてる……」

「お母さん…」

「この星を愛してしまった私にもう、この星を滅ぼす気は無いけど……もし、どこかの星が再びあの惨劇を辿るなら……」


 再びその足を戦場へと降ろすこと--母は全てを言わなかったけどその決断に満ちた呟きに私はそんな続きを想像した。


 母の愛した……母星……


 少女も、知らない我が故郷へ想いを馳せるように夜空を見上げていた。


「お母さん…私達の星ってどこら辺にあったの?」

「そうねぇ………………えっと…どこだっけ?」


 ********************


「……ジャン・アンピエール・ルイホッコ・マッカンシー・モルケッチャロフ・ハルハルタン・ルイセルフ・L・アンジェリーナ・タナカ三世」


 その日は突然訪れる……


 野営の朝食に並ぶのは目玉焼き…そして…ソイソース…

 母は怒っていた。

 深い茶色に染まる少女の目玉焼きに……


「私達ドレダッケ人の辞書に目玉焼きにソイソースの文字はないのよ?」

「お母さん、私は塩コショウよりソイソースが好きなの。達也達の文化祭で飲んだ特濃ソイソース5リットルが忘れられないの」

「ジャン・アンピエール・ルイホッコ・マッカンシー・モルケッチャロフ・ハルハルタン・ルイセルフ・L・アンジェリーナ・タナカ三世…」

「……前々から言おうと思ってたんだけどさぁ…」


 跳ねっ返りの小娘はずっと胸の内に仕舞っていた、決して言うまいと秘めていた想いを打ち明ける。


「いちいちフルネームで呼ばないでよ…長すぎて誰も覚えられないしフルネームで呼ぶ度に尺を無駄使いしてるのに気づいてる?」


 少女は思春期真っ只中。そして反抗期だった。


 決して触れてはならないドレダッケ人としての誇り……そしてタブーなど、故郷を知らない少女には無かったのかもしれない。

 それは見事に母の地雷を踏み抜いた。


「……あなた、自分が何をしてるのか分かってるの?お母さんがどんな思いで……」

「……私の名前なんてお母さんの最後の二世を三世に変えただけじゃん」

「--どんな思いで毎日目玉焼きを作ってるとッ!!!!」

「そっちかい」


 母にとっては誇り高き名前よりソイソースだった。

 今まで一度も愛娘に向けたことのない、戦場の顔になった。揺らめく闘気が陽炎のように母の輪郭をぼやかす。

 サバンナのど真ん中で獣が逃げ出す中、少女もまた立ち上がる……


 少女もまた、気高く強いドレダッケ人なのだった。


「……いつまでも保護者ぶってんじゃないよ!私だってもう大人だ!!自分の目玉焼きに何をかけるのかは…私が決める!!」

「……(怒)」

「どうしても譲れないなら……私達のやり方で、決着を着けるしかないっ!!」


 ********************


 --獄炎の刃に叩き斬られた井の中の蛙、ジャン・アンピエール・ルイホッコ・マッカンシー・モルケッチャロフ・ハルハルタン・ルイセルフ・L・アンジェリーナ・タナカ三世は天を仰ぐ。

 熱を持つ傷口が降り注ぐ雨に冷やされていく。


 少し前に立つ殺戮者、少林珍は荒い呼吸を繰り返しながらも立っていた。それを見上げる私……


 敗けた…のか……



 偉大なる母の強さ……天変地異を巻き起こす魔人の力……

 そして今術を極めし極みの剣士の一刀の力の前に私は三度目の敗北を味わっていた。


 辛うじて生きているのは、奴の負ったダメージのせいか…少しだけ…浅かった……


 しかしそれも雨音小春の積み重ねたものが大きい…私は届かなかった……


 血濡れの凶獣は満足気な表情のまま私に背を向ける。向かう視線は壁の切り取られた病院に向けられていた…


 きらりを狙いに行くんだな……


 雇い主を自ら手をかけて尚きらりの命に執着するこの男にある狂気を前に私は激情も恐怖もなく、冷たくなっていく体だけを感じていた…


 立ち上がろうと頭を起こすが力が入らない。血泡が口から吹きこぼれるのみだ。


 力尽きた私はそのまま頭をアスファルトに預けて再び天を仰ぐ。

 雨雲に呑まれた先にある星々は見えない。



 --お母さんと喧嘩別れして以来、戦場を流れるように渡り歩き…生きてきた…



『……ジャ、ジャン……えっとごめん、もう一回言って?』


『は?なんだって?』


『ふざけてんの?』


『誰が呪文教えてって言ったよ?名前、名前訊いたんだよこっちは』


 ……お母さんと求めた新しい故郷は見つからなくて……名前が長すぎる私達の事を誰も呼んでくれなくて……




 ここが私の墓場…………




 --ジャン・アンピエール・ルイホッコ・マッカンシー・モルケッチャロフ・ハルハルタン・ルイセルフ・L・アンジェリーナ・タナカ三世?



 頭に響く声があった。

 今際の際に響いたのは母の声よりも脳にこびりついて離れない、あの声だった。


 小首を傾げて微笑む彼女の言葉に私は生まれて初めての衝撃を覚えたんだ。


「長い名前ですね…何人ですか?」


 迷い込んだ宇宙きらりの病室--

 斬り捨てた殺し屋の骸の前で、目の前で起こった凄惨な一幕を感じさせない、死んでるような…それでも確かに生きてる彼女は朗らかに笑っていたんだ。


「いい名前ですね。なんか偉そうで…ふふ。何様ですか?」

「…………あなたの…名前は?」

「……………………きらり。宇宙きらり…」

「…………きらり…訊いてもいいか?」

「なにか用ですか?って私が訊いてるんですけど……なんですか?」

「……あなたは……目玉焼きに何をかける?逆に、何をかけるのは許せない?」

「……別に何も……」

「…………」


 落胆が予感を塗りつぶした直後に、あの子は言ったんだよ。


「その日の気分じゃないですか?なんでも良くないですか?」




 --東洋の島国、ジャパン…


 ここは私の墓場……


 佐伯達也…本田千夜……私とお母さんを巡り会わせてくれたかけがえのない友人。

 雨音小春……時間はかかったけど私の名前を覚えて呼んだ、きらりの為に戦った男。

 宇宙きらり……私の名前を一語一句間違えずに呼んだ初めての人。


 ここには私の名前を呼んでくれる人が沢山居る。

 そうだよ……お母さん……


 ここが……沢山の思い出と出会いに満ちたこの国が私達の新しい故郷だよ。


 この国は私の墓場--

 私はここで、私の出会った人達の為に死ぬ。

 ジャン・アンピエール・ルイホッコ・マッカンシー・モルケッチャロフ・ハルハルタン・ルイセルフ・L・アンジェリーナ・タナカ三世の骨はこの地に埋まる。



 --ここで出会った人達が私の全てだから。


 --ここが私の故郷だからっ!!




「--ぬぅ…あああああっ!!!!」


 雄叫びと共に立ち上がる私の足下にボタボタと血が落ちる。

 叫びと共に血が熱され、震えが止まった。雨に打たれた冷たさが上昇する体温に上書きされていく…


 まだ……動ける……


 焼け溶けたナイフを捨てて私は最後のナイフを抜いていた。

 背中越しに振り返る殺戮者の目に初めて、人間らしい感情--動揺が見えた。


「きらりの所には……行かせない……」


 私の言葉に被さるように少林珍が地面を踏み砕き発進する音が聞こえた。


 ほぼ反射的に私はナイフを振り上げて、叫ぶ。


「私は……ジャン・アンピエール・ルイホッコ・マッカンシー・モルケッチャロフ・ハルハルタン・ルイセルフ・L・アンジェリーナ・タナカ三世だぁっ!!」






 ※1「お前なんなん?」エピソード「お母さんに会いに行こう」

 ※2「お前なんなん?」エピソード「世界情勢」

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