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第163話 そこへ至るまでの道程

 雨音が窓を叩き始めた…

 廊下の照明が落とされて隔離病室が暗闇に落ちる。非常灯の明かりのみが不気味に廊下を照らしていた…


 雨宮小春は宇宙きらりの病室の前に立っていた。

 今日、覆面やろーがグローバル・チャレンジ・スピリッツを潰しに行っている。上手く行けば今日カタが着くんじゃないだろうか……

 雇い主が消えれば殺し屋も手を引く……


 雨宮小春が雨音を聞きながらそんな事を考えつつ眠気と戦っていると、時々部屋の中からくぐもった咳音が聞こえてくる。


 僕は少し心配になって部屋を覗いてみた。


「ゴホッ!ゴホッゴホッ!!」


 病室の中では宇宙きらりが口を抑えて苦しそうに咳を繰り返している…その耳にはイヤホンが付けられていた。

 彼女のさそり座の一等星のように赤い瞳が僕を見つけた。


「……今日はジャン・アンピエール・ルイホッコ・マッカンシー・モルケッチャロフ・ハルハルタン・ルイセルフ・L・アンジェリーナ・タナカ三世さんじゃないと思ってたら…あなたですか」

「……マーマミヤ・ハーコルです」

「雨宮小春さんですよね?ゴホッ!」


 限界が近いらしい彼女には初対面時の底の見えなさはない。全てが丸裸になった宇宙きらりは残り少ない命の炎を必死に燃やし何かを成そうとしている--ただの一人の人間だった。

 彼女のイヤホンから流れてきているであろう音楽がその証拠。


「……体に障りますよ?早く休んでください」

「ありがとう……」


 彼女は僕の忠告を受けて素直にベッドに身を沈ませた。

 もはやふざけて見せる余裕もないのか……宇宙きらりのそんな姿に僕は考えるより先に尋ねていた。


「……歌えそうですか?」

「……それは私が訊きたい」


 だろうな……刻一刻と確実に迫る死…しかしそれがいつか分からない。その恐怖は想像を絶するだろう。彼女はいつから、この恐怖を自覚して戦っていたのか…


「でも……」


 でも……と宇宙きらりは続けた。


「歌ってみせる……宇宙きらりの歌を世界が待ってますからね……」


 辛うじて形作るおどけた表情……


 僕は雨に紛れるそれに気づきながらも彼女の言葉を聞いてみたくなっていた。


「……宇宙きらりとして生きるのが、あなたのすべてなんですね」

「……ひまわりから貰ったものだから……」

「……あなたの今の体を支えてるのは、その決意ですか」

「……決意…違うかも……ゴホッ!これは私のわがままでもあるから……」


 酸素マスクの内側に赤い飛沫が少し散った。


「…………もし、夢半ばまで倒れてしまったら…そう思って怖くなる事ありますか?」


 何故こんな事を訊くのか……それは彼女も僕と同じくどこかを目指す者だからか…

 そして僕と違って彼女の道は確実に途絶えつつあるのだ。

 しかし愚問だとも思った。

 宇宙きらりは既に世界的に認知されている歌手……彼女の歌声は既に世界に届いているのだ。


 宇宙きらりの夢はその夢の道を歩き続ける事……後はどこで尽きるのか…それだけだ。

 僕とは違う。

 未だそこに至っていない僕とは……


 ただ死を前にもがく彼女の姿に僕は今までの人生を懸けた夢に届かず折れる自分の姿を想像してしまった。


 そんな僕に彼女は答える。


「……怖くないよ…」

「……」

「進んで来た足跡は…消えないから……」


 宇宙きらりという歌手はいつまでも人々の心に残り続けるだろう…

 それは宝華院ひまわりと宇宙きらりが生きた証…


「あなたも……」


 宇宙きらりは蕩けた眼で僕を見つめていた。


「……僕?」

「あなたの足跡も消えない……」

「……」

「あなたが何を目指してて…そして届かなかったとしても……だから……目指す先で出会った人達を大切にして……」


 宇宙きらりの心は目を見ても読めない。

 逆に自分を見透かすような瞳に射抜かれたのは初めての事だった。



 --おしゃべりは終わりだ。


「ありがとう…おやすみ」

「……おやすみなさい…」


 *******************


 宇宙きらりの病室にロックをかけて廊下に出る。廊下の窓から外を覗くと隠す気もない足跡が雨に濡れながら点々と続いていた。


 ……爆心活経


 彼岸神楽流の身体強化を繰り出しつつ、僕はポケベルで院長室へコール。


『もしもし?』

「無事ですか?」

『誰ですか?この番号はジャン…………なんとかさんの番号では!?』

「代理のマーマミヤ・ハーコルです。無事ですか?」

『ぶ、無事……ですが?』

「残ってるスタッフを連れて院外へ…なるべく迅速にお願いします」

『一体なにが--』


 ポケベルを切りながら、敵は実に巧妙に、慎重に、そして大胆に潜入を果たした事を知る。


 薄暗い廊下の暗がりの中から黒衣の殺戮者はゆったりと姿を現した。

 癒えぬ左腕の傷口がズキズキと痛む…


 僕は右手でジャケットから小太刀を引き抜いた。


「……その節はどうも」


 僕の声掛けに完全に非常灯の下に姿を現したガスマスクの殺し屋は緑色の照明に不気味に照らされながら僕の事をじっと見ていた。


 僕の事など覚えてない…そんな反応だ。


「忘れちゃいました?僕の事……」

「…………覚えているさ」


 くぐもった男の声が廊下に響く。ライオンの群れに囲まれたようだ。


「ここにはジャン・アンヒエール・ルイホッゴ・モルケッチャロフ・マルセルフ・ハルハルタン・ルイセルフ・L・アンジェリーナ・タナカ三世が居るのでは無かったのか?」

「違います。ジャン・アンピエール・ルイホッコ・マッカンシー・モルケッチャロフ・ハルハルタン・ルイセルフ・L・アンジェリーナ・タナカ三世です。今日は居ません」


「そうか……」と男は分かりやすく落胆の声を出した。


「お前が代理という訳か……」

「一応言っておきますけど…あなたの雇い主は今頃ジャン・アンピエール・ルイホッコ・マッカンシー・モルケッチャロフ・ハルハルタン・ルイセルフ・L・アンジェリーナ・タナカ三世が片付けてますよ。宇宙きらりを殺しても報酬はない。タダ働きです」


 僕の忠告を男は乾いた笑い声で吹き飛ばした。


「……もう殺した。俺の仕事にケチをつけてきたからな」

「……」

「……お前、何者だ?」

「……マーマミヤ…………いや、彼岸神楽流八段、雨宮小春」


 僕の名乗りに男は大した反応を見せずに両手でロングナイフを抜いた。

 それは戦闘開始の狼煙だった。


「……お前がここに立っている…つまりその奥の扉が宇宙きらりの病室か」

「どうしてここが分かったんですか?」

「お友達に言っておけ。法定速度は守れとな…」


 無駄口を聞くのは終わりだとばかりに男--殺し屋少林珍はロングナイフを構えた。

 呼応するように、僕は鏡写しの構えを取る。



 --雨宮小春の人生は日比谷真紀奈の元へたどり着く為にある……


 しかしこの戦いは違う。


 宇宙きらりの言うように、そこに至る道程で出会った人の為の戦い……


 自分を鼓舞するように僕は爆心活経・昇を発動する。極限にまで高まる身体機能…心臓の鼓動が無音の廊下に響き渡った。


 少林珍はガスマスクの赤い目越しに嬉々として笑った。


 そして……


「--彼岸神楽流」

「--彼岸神楽流」


 二人は息を合わせたようにその名を紡いだ。



死屍月宮厄震葬ししげっきゅうやくしんそう

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