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第158話 面倒な客だから水でいいよ

 病室の扉の隙間から風が吹き込んでくる…

 足下を冷やす風の冷たさに私はそっと扉を開いた。

 暗がりの中で宇宙きらりは目の前の壁に目を向けてじっと自分の世界に耽っているようだった。時間はもう遅い。


「……体が冷えるよ」


 私の声にきらりはゆっくりと首をこちらに向ける。窓から入ってくる月明かりが白髪を煌めかせている。いつ見てもその姿は幻想的な美しさだなと思う。


「夜更かしは体の毒だ」

「あなたもね… ジャン・アンピエール・ルイホッコ・マッカンシー・モルケッチャロフ・ハルハルタン・ルイセルフ・L・アンジェリーナ・タナカ三世」


 私の名前を淀みなく正確に呼べるのは世界で何人か……敬愛する我が母と、かつて我が母と再会させてくれたこの国のどこかに居る二人の友人以外この人だけかもしれない。

 命に替えても守ると誓った姫に私は歩み寄る。

 きらりは100年の眠りにつくオーロラ姫のようにベッドに体を預けて目を閉じた。

 そんなきらりに私は布団をかけてやる。


「……きらりはあの男を信じてるの?」


 目を閉じたきらりに私は問いかけた。脳裏にはあの新郷レオパルドの顔が浮かんでいる。

 きらりは薄らと目を開いて答える。


「私が信じてるのはあなた…」

「私?」

「あなたは信じたからこそ、私の所に連れてきたんでしょ?」


 きらりの瞳は宝石のように輝いている。その輝きに見つめられて私は言葉に詰まった。


 信じてる……それはきらりの味方であるという一点のみだ。


「……あなたは?」

「?」

「あなたは信じてるの?あの……雨宮小春という人を……」


 きらりには隠し事ができない。彼女の瞳はいつでも心の底まで見透かすように私を見つめている。


「……さぁね」


 私はきらりの体が冷えないようにしっかり足先まで布団をかけて、心電図を確認してから背を向ける。


「おやすみ…きらり」

「おやすみなさい」


 おやすみなどと言っても、安眠できる日々ではないだろう……


 扉を閉じた後、私に聞こえないように声を殺して咳き込むきらりの様子を耳だけで見守り私は目を閉じた。


 きらりにはもう、時間は無い--


 ********************


 体調が優れないので今日の取材は受けられないという旨を谷氏に伝えたらその日のうちに自宅に臭豆腐が送られてきた。

 台湾の珍味に箸を付ける食用はなく僕はただじっと室内で膝を抱えていた。


 雨宮小春の覚悟は揺らいでいた……


 人の死を目にするのは初めてではない。


 中学時代、呪いにより死んだ学生を目の当たりにした。

 人の死に慣れるなんて事はないだろうけど、目の前で無惨に命を散らす光景は左腕の傷の痛みと共に体から離れない。


 ……いや。


 それもあるんだろうけど…


 僕の中にあるこの異様な恐怖心は恐らく、別のところから来ている気がする…


 ふとスマホを見ると留守電が入っていた。


『妻百合流本家家元妻百合花蓮でございます。先日妹の初音から「雨宮さんに弄ばれた」と一報頂きましたでございます。どういう事か説明してくださいまし。場合によっては法的処置--』


 聞かなきゃ良かった。


 ハツネンには今度焼肉を奢るとしよう…しかし今はそれどころでは無い。


 ……あの殺し屋…まさか。


 僕の頭からあの殺し屋が離れない……あの時見たあの殺し屋に僕はひとつ心当たりがあった。

 見間違いではないはずだ…だとしたら……

 僕はスマホを再び操作しある男へとメッセージを送信した。


 新郷レオパルド君。

 しばらく地元に帰ります。宇宙きらりの件は上手くやってください。


 もしあの殺し屋が“そう”なら……

 僕はかつてない強敵と相対してるのかもしれない。


 ********************


 雨宮小春が地元に帰った。


 俺、新郷レオパルドはその足である場所へ向かっている。芸能事務所『スイートパフューム』である。


 俺が受付を終えるとエントランスに厳しい顔をしたお姉さんが出てきた。俺は丁寧に頭を下げる。


「新郷レオパルドです」

「……マネージャーの花田です」


 露骨に感じの悪いマネージャーは「こちらへ」と俺を上階の会議室に案内する。

 案内された会議室の中には今人気絶頂の音楽ユニット、Cボーイズが待ち受けていた。

 俺の入室に合わせて二人は立ち上がった。


「Cボーイズの柏田かしわだです」

「みーすけです」


 あどけない顔つきの男二人はそのベビーフェイスに似合わない固い表情のまま着席する。無駄話は無用とマネージャーが早速話を切り出した。


「ドラマ『国鉄荘』のオファーを降りてほしい…という要件と伺ってます」

「ええ……急な申し出で申し訳ないです。わざわざわお時間も頂き……」

「あの新郷レオパルドさんから直々のお願いですからね……」


 露骨に嫌味を含んだ枕詞を挟みマネージャーは挑みかかるような視線を向ける。

 レオパルドは内心ドキドキだ。雨宮小春ならばこんな場面でも冷静さを保っていられるのだろうが俺はそうはいかない。


「まず事情を伺ってもよろしいですか?」

「……ええ、しかしまず……喉の滑りをよくしたいので……お茶を頂ければ……」


 雨宮小春が言っていた。こういう時はお茶を貰えと。


「……」

「スミマセンイイデス……」


 飛ぶ鳥も弾け飛ぶ勢いの新郷レオパルドがなんてざまだ。


「実は今回のドラマは元々宇宙きらりに主題歌をお願いする予定だったのです」


 宇宙きらりの名前にCボーイズの二人は露骨に驚きの顔を見せる。長期間活動休止していた天才歌手だ。しかも活動再開を発表したばかり。歌謡界の人間でなくても彼女の話題性は大きい。


「宇宙きらりが?……もしかして、今回のフリーでの活動再開と何か関係が?」

「まぁ……とにかく、活動再開一発目のお仕事として調整してたんです。しかし諸々ありまして……」

「その諸々が片付いたのでやはり宇宙きらりに、という事ですか?」


 胡散臭い。マネージャーの顔に書いてある。俺は脳をフル回転させる。


「あの…そもそもなぜこんな話を主演俳優であるあなたが?」


 しかし再び回転を止めにくる横殴りなマネージャーからの指摘。俺は口がカラカラになった。


「……宇宙きらりへのオファーはこの新郷レオパルドたっての希望でして…」

「つまりうちのCボーイズでは不満だから…と?」

「いや、そういう訳では……」

「では、宇宙きらりさんに何があったかは存じ上げませんがそちらの都合でこちらが振り回されるのは何故ですか?既に契約は完了してます」


 ここで会議室に事務員らしきお姉さんが入ってくる。粗茶だ。


「水道水ですが……」


 え?水道水なの?どんだけ歓迎されてねーんだよ。

 お茶じゃなくて水道水だった場合はどうすればいいのか雨宮小春に聞き忘れた。とりあえず水を啜る。


「……無理は承知です。しかし、今回の仕事は宇宙きらりこそが相応しいと考えてます」

「それって僕らじゃ力不足って事ですよね?」

「自分ら年収一億ですよ?」


 噛み付いてくるCボーイズをマネージャーが制する。彼女は冷静さを崩さない。雨宮小春のマネージャーより遥かにやり手な印象だ。強敵かもしれん……


「その根拠は?」

「いや……えっと……色々」

「色々?」

「とにかく!今回は宇宙きらりにお願いすることになりますので!」


 理詰めで行っても戦えない。俺は強引に話を決めようと声を荒らげるが、女性マネージャーは眉ひとつ動かさない。


「……正当な理由なしに契約をそちらから切るのであれば違約金をいただきます」

「構いません」

「あなたが構わないと言っても、その辺の話は志乃プロデューサーとしているのでしょうか?」


 俺では話にならないって言うのか…


「……今回の主演はスポンサーの強い希望で俺になった。俺が降りるといえばドラマそのものの撮影が難しくなる…既に三話まで撮ってありますしね……プロデューサーは俺には逆らえない」

「それはそちらでお話ください。私共に言われても…」


 崩れない。鉄壁の牙城。若手最前線で活躍するCボーイズを支える敏腕マネージャー。

 俺の膝は力が抜けて崩れ落ちる。ダメなのか…?

 ここは一旦引き下がって志乃プロデューサーを連れて来て……


「……新郷さん」

「はい」


 ここでマネージャーが口を開く。


「私共から契約を蹴ると違約金が発生するんですよ。もしCボーイズに降りて欲しいのならそちらから契約打ち切りを、話の分かる人に打診して頂かないと。あなたではなく、決定権のある人にね……」


 この口ぶり……別にオファーから降りるのは構いませんって言ってる…?

 思わず水で口を潤す俺。


「……では、プロデューサーを連れてきます」

「ええ、そうしてください。ところで…」


 身を乗り出してマネージャーは探るような眼光をぶつけてくる。俺は距離を取るようにソファーの背もたれに体を倒す。


「……今朝方宇宙きらりさんの所属事務所、エイトクリエイト本社が襲撃された…という情報を入手しましてね…今日の夕刊にでも乗るでしょうが……」

「……え?」


 俺の脳裏にこの場には居ないあの男の顔が出てくる。


「社長がお亡くなりになったとか…」

「っ」


 違う。雨宮小春ではない。


「宇宙きらりのフリー宣言から事務所での襲撃事件……宇宙きらりさん、大丈夫ですか?」


 --大丈夫ですか?

 その一言がきらりの身を案じたものではないのはニュアンスで分かる。


 宇宙きらりなんかと関わってるあなた達大丈夫ですか?--そんな言葉の裏の意味を読み取り俺は目を伏せた。


「……オファーの件、検討の程お願いします」

「……新郷さんは余程宇宙きらりにご執心のようですね」


 席を立った俺に座ったままのマネージャーがそんな言葉を投げてくる。バカにしたようなその言葉に俺がちらりとそちらを見た時--


「まぁ、こちらが一度オファーを受けた時点で、こちらに明確な非がないのに急に降りてくれと言われても、それは無理な相談ではありますけどね……」

「……」

「この場で話をハッキリさせておけば志乃プロデューサーとのお話もスムーズに進むでしょう」


 Cボーイズの二人が何かを言いかけるのを眼力のみで制したマネージャーの一言に俺は座り直した。


「それほど宇宙きらりに仕事を回したいのならば…ですが……」


 魑魅魍魎渦巻く芸能界……その世界に生きる汚い人間の本質を顕にした眼を俺は見返した。

 今度は臆さない。


「……いくらですか?」

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