第106話 はじめまして、さようなら
冬休みになりました。
皆さんごきげんよう。妻百合初音です。
この冬、皆さんはどうお過ごしですか?私ですか?
神奈川県に居ます。
この度私、KKプロダクショングループ系列、劇団クレセントムーンへ正式に所属する事になりました。ありがとうございます。
文化祭のかえるの王さまがかなり好評だったようで、専務の百地浜さんが「今すぐ来い」と仰られていました。
すぐに仕事も貰えるとの事でしたので……
ので、こうして冬休みを利用して神奈川県まで来たのです。
「……こんなに上手くいくことなんてあるんでしょうか?」
社長室に通された私は大手芸能事務所のグループ会社の立派なビルから臨む神奈川の街を見下ろしつつ社長に呟きます。
ちなみに社長はこの机の上に乗ってるカタツムリ…名前はチョココロネだそうです。
私はここに来てカタツムリでも社長になれるんだってはじめて知りました。心做しか以前お会いした時より大きくなっておられます…
「…社長はどこから来られたんですか?」
「--社長はアフリカマイマイ…わざわざ原産地の東アフリカからお越しくださったのよ」
あ、このおば様が社長代理にして常務なのに会社の株を分けて貰えなかった人、百地浜さんです。
「…え?アフリカマイマイって持ち込んでいいんですか……?」
「遠いところからわざわざ悪かったわね、妻百合さん……早速だけど、気持ちは変わらないかしら?」
手にしてるのは契約書類でしょうか…
私は漠然とした夢だった芸能界が手の届く場所にある事に固唾を飲みます。
そして返事を返すのです。
社長の触覚がピクピクしてます。
「はい……お世話になります」
「学業との両立は大変よ?」
「頑張ります」
「…いいわ。印鑑持ってきた?」
「シャチハタでもいいですか?」
「ダメよ」
********************
妻百合初音、劇団クレセントムーンに正式に所属致しました。
契約が完了してそのまま仕事の話に入ります…スピード感がジェットコースターでした。
「まず、あなたのマネージメントは私が努めさせて頂きます。なにぶんそんなに大きな事務所でもないからね…専属のマネージャーは付けられないわ」
「よろしくお願いします」
「我が劇団クレセントムーンでは、主にタレントの舞台出演、舞台公演の主催、その他にもテレビやネット局での出演やY〇utubeのお仕事もしてます。妻百合さんには将来の我社のエースとしていろんな仕事に挑戦してもらいたいと思ってるわ。トップ層に食い込む程売れてくれば、親会社であるKKプロへの移籍も夢じゃないわよ」
「はい」
「その為にまず妻百合初音という商品を全力で売り出していく……」
「はい」
「最初にCM出演のお仕事を受けてもらいたいと思ってるわ」
CMですか……
私の思い描いていたお仕事とは少し違う気がするのですが……専務の話を聞くにどうやら私をこの会社の看板に育てたい様ですが……
「舞台のお仕事とかは…?」
「直ぐに入ってくるわ…焦らずに待っていなさい」
「はい」
「今回のお仕事は業界初心者であるあなたにまず芸能界のイロハを教えるいい機会にもなるわ」
--数日後……
刻一刻と冬休みを浪費していく中、私の初仕事の日がやって来ました。
社長、専務に連れられて車に乗り、撮影現場まで向かう道中で専務が仕事内容の説明をしてくれました。
「日本酒のCMを撮るわ。セリフはないから覚えることもないわ。あなたはバックダンサーよ」
「バックダンサー……?」
「一緒に出演るのはマルチタレントの片原イタイ」
「ハーフタレントさんですよね…有名な…」
「外国人向けに売り出す本商品のCMを和と洋の調和を映像で表現したい…それがディレクターの要望だったからね…そこであなたは片原イタイの共演者としてうってつけってわけよ」
「はぁ…それで私は具体的に何を踊れば……」
「あなたの一番得意な踊りでいいわよ。あなたは和服を着て片原イタイの後ろで日本舞踊を踊るだけだから」
芸能界にまで来て日本舞踊……
妻百合への執着を断ち切れたというのにこの提案。お芝居をしたいという気持ちもあり私は知らず知らずのうちに渋面を浮かべていました。
ですがそんな私の肩に専務の手が乗ります。
「あなたの事はよく調べてあるわ…日本舞踊妻百合流出身……でも、家元になるのを諦めたんですってね。あなたが踊りに対して複雑な気持ちを持っている事は理解してるつもりよ」
「……」
「でもね妻百合…いえ、初音さん。ここは芸能界。あらゆる天才が集い潰し合う魑魅魍魎の世界よ」
「そんな怖いところだったんですか……?」
「そんな世界で生きていくうえで、武器になるものは例えなんであれ、私は売り出すわ。あなたはお芝居だけじゃない…もちろん、あなたの演技は最高よ。でも、それだけじゃない。あなたの技術も、美しさも、強さも全て武器にしてあなたをこの世界の頂点にまで持ち上げる…それが私の仕事」
「……」
「どうか分かって…この仕事はまだ世間的な認知の低いあなたを世間に知らしめる初めの一歩なの。昔のあなたの踊りを拝見させて貰ったけど…あなたは踊りも素晴らしい」
「……専務」
「あなたの素晴らしさを余す事なく伝えるのも、私の仕事」
専務が私の手を握ります。専務の手の上で社長も這ってます。寄生虫が怖いです。
「……分かりました」
「このCM出演であなたの世界は必ず広がるわ」
********************
というわけでなんか乗せられてやって来ましたのは某県某所の某滝です。多分深夜とかになったら心霊スポットです。
「妻百合初音さん現場入でーす」
「さぁ初音、気合を入れるのよ…この業界、舐められたら終わりだからね…」
「あ、はい……」
「そして初音、この業界で売れる為に最も大事なことのひとつを教えてあげる」
と専務、急に下の名前呼びで容赦なく距離を詰めてきつつ、業界のイロハのイを教えてくれました。
「芸能人として売れる為に大切なこと…まずそれは技術やキャラクター人気ではなく、礼節よ」
「はい」
「ファンが付くには世間に多く露出する必要があるわ……でもその為にはまず業界で好かれなければならないわ…現場で嫌われ悪評が広まれば仕事に呼ばれなくなる…そうなれば世間への露出も減って誰も認知してくれない」
「はい」
「実力は仕事をこなせば自然と付いてくる…実力よりまず媚びろ。これがKKプログループの基本のキよ。頭に叩き込んでおきなさい」
イロハのイではく基本のキだそうです。
そうして専務は滝のマイナスイオンを浴びるおじ様を顎で指しました。
「あの小汚いおっさんが藤峰ディレクター…別名役者殺し。この現場で一番偉い野郎よ。挨拶してきなさい」
まず専務が礼節を覚えるべきです…
ともあれ礼儀は大事です。妻百合初音、役者殺しに突撃します!
「はじめまして」
ドゴッ!!
「うごっ!?」
あっ…不意打ちお辞儀したら頭がヒットして藤峰ディレクター、足を滑らせました……
「うぎゃぁぁぁっ!?」
「藤峰さぁぁん!?」「滝壺に落ちたぞ!?」
まぁ大変。
「……あなたが妻百合初音さんね?はじめましてでさようならをキメるなんてやるじゃない。中々居ないわよ、あなたみたいな人…」
そりゃ居ないだろうと滝壺に呑まれていくディレクターを眺めていましたら後ろから声がかかります。振り返りつつ私は今度こそ完璧なお辞儀を叩き込みました。
ドゴッ!!
「はじめまして」
「うぐっ…や、やるじゃない……はじめまして、私、片原イタイ……よろしくお願いします」
ドゴッ!!
「うっ…な、なんて石頭……っ」
「デビュー前から世間の話題をかっさらうだけはあるわね…ネット界隈で評判よ?「天才中学生役者」って……」
「光栄です……よろしくお願いします」
ゴッ!!
「っ……っ!あなたも中々の石頭ね!」
ゴッ!!
「ま、負けないっ!」
「ふんっ!!」
ドゴォォォッ!!
「ちょっとあんたら!撮影前から頭血まみれにしてんじゃねーよ!!」
失礼しました。
藤峰ディレクターが生還されたとの事なので撮影が始まります。ちなみにこのディレクター、こだわりが強すぎると業界では評判だそうで、今まで幾人もの役者をその過酷な撮影で葬っているんだとか……
「……えー……まぁ片原さんは適当にそこら辺に立ってもらって、酒持ってね……」
「はい」
「で妻百合さんはその後ろで滝の中に立ってもらって適当に踊ってもらって……あ、2カメは妻百合さん撮って……」
--ドドドドドドドッ
私が舞えと言われた舞台は滝のど真ん中でした。ほぼ断崖絶壁で横をものすごい勢いで水が落ちていく真横にちょこんと岩肌から飛び出した岩場です。
「……ここで?」
「ここで。片原さんのバックに立つならここがベストだから」
なるほど……死にます。
いえ、恐れている場合ではありません。さっき藤峰ディレクターも落ちましたけど生きてました。大丈夫です、死にはしない…
「頑張るのよ!初音!!」
「……行ってきます」
どうやって?
岩場に立つには藤峰ディレクターのように上から落下して着地するしかありません。四苦八苦しているとスタッフさんが寄ってきました。
手に持っているのはクナイのついた鎖でした。
「これで」
「……」
「お願いします」
芸能界がこれ程過酷だとは……
「ふんっ!」
「おおっ」「見事なコントロールだ」「やるじゃないかあの子…」
クナイを足場付近に飛ばして突き刺して、鎖を張り、雲梯の要領で渡っていきます。手を離したら滝壺にダイブです。
あと、なんかもう撮られてました。
「いいわよ初音…現場での掴みは上々よ…」
電波少年みたいな無茶ぶりに応えつつ、なにをしに来たのか分からなくなりつつ、専務が確かな手応えを感じる中、私はマイナスイオン一年分を浴びれる滝の流れの真横の岩場に立ちます。
切り替えなければなりません。
撮影開始と同時に私は舞わなければなりませんから。とにかくなんでもいい、和風な感じでとの指示を受けまして私は頭の中で久々に幼少の頃の記憶を辿ります…
思えば日舞など久しぶり……
無数のカメラのレンズが人の視線に感じられて、途端に私の体が固くなります。
まさか再び人前で舞う日が来るとは……
吹っ切ったはずの苦い思いが心の中に広がっていきます。自然着物の袖丈が重く感じられてきて……
--あなたは妻百合流次期家元候補ではなく、妻百合初音という1人の人間です
大丈夫……
私は私。私は私を魅せるだけ……
気づけば滝の音も消え去って、私の世界には私一人だけになりました。
「アクションっ!」
開始の合図を受け、私はただ何も考えず体に任せ袖を振りました--
隣で弾ける水滴達を転がすように袖を広げ、視線を遠くに投げ、髪を揺らし--
どんな風に映っているのかとか、これでいいのかとか何も考えずに、自分自身に身を委ね妻百合流の舞いを魅せるのでした--
「……美しい」
「ディレクター、うちの初音を今後とも、よろしく」




