第101話 雨宮小春の長い1日
「かかかかあっあっあっあっとっとっとっとっ!!」
「本日の撮影以上でーす」「荒井翔馬さんオールアップです!!」
ぱちぱちと口の中で弾ける飴みたいな音の拍手がベテラン俳優に降り注ぐ12月1日。駆け足で過ぎた一年もあと少し…
「お疲れ様でした」
「ありがとう」「どうも」
渡された花束は僕への誕生日プレゼントではなく、荒井先輩への労いの気持ちだったみたい…
時刻は18時。
KKプロダクショングループ俳優、雨宮小春中学一年生。今日をもちまして13歳。
貴重な日比谷教のカリスマの生誕祭も後数時間だというのに、お祝いの言葉は今朝の寧々ちゃんからの「おえでと」だった。
まだまだ舌足らずな妹のお祝いと共に過ぎる誕生日--『渋谷戦争』の撮影も滞りなく進行し、終わりも近い。
嘘である。予定ではそうであるが色々あって遅延しまくっていたので予定通りのクランクアップはまだ遠い…
「お疲れ様でした」
「……雨宮君」
本日のスケジュールを消化し、ようやく俳優っぽい生活になってきたなって思いながら帰り支度をしていたら後ろからぬっ!と現れる影が一人…
彼女こそ知る人ぞ知る、知らない人も実は知っている劇団ゴクドウの看板女優、芝原きき。
「お疲れ様です」
「……これ、ゴンズイ…」
「……あ、どうも」
「……雨宮君、なんか…最近いいね」
……ほう?
とうとう僕の男性フェロモンがメス猫を失禁させるレベルにまで達したか?男としての成長を実感しこれはそろそろ日比谷真紀奈との再会の時ではないのか?と身構える。
「……文化祭の映像観たよ」
違った。
「……一皮剥けたって感じだね」
「いやぁ…それほどでもありますがね?」
「……風の噂で聞いたけど、なんか色んなところから仕事のお話貰ってるんでしょ?」
「まぁ来週はハリウッドですけど…」
嘘である。
「……デビューの時から知ってる身としては、母親のような感動があるよ」
「え?お母さん……?」
「……お母さんじゃないよ?それにしても本当に…なんか……猛烈なオーラを纏ったよね?ね?細谷君…」
ヤッテ・ランネー・プロダクション所属『エル☆サレム』細谷心…
僕の知ったことではないけどこの撮影が始まってからきき先輩と細谷氏の距離感が怪しい感じだ…
「え?おぉ……なんか…後ろに女の顔が見えるレベルだよ。なんか寒気が止まらねぇもの」
『うーーーあーーー』
……助けてください。
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今向かっています。そこにいてください。
送られてきたメッセージを確認して僕は撮影現を出て少し歩いた場所にある道路脇に立つ。
心做しかただ立っているだけで周りの通行人からの視線を感じる。
「ねぇ…あの人…」「やっぱり?」「おいおい…まじかよ……」
……これも全て文化祭での覚醒のせいか?
『うーーー…あーーー…さむい……』
後ろから聞こえてくる幻聴を一旦忘れるべくニンジンドーDSで屍コレクションでもしよう…
と思ったけど、集めたはずの屍達はある一体の屍に食い尽くされ、屍ボックスには異様な存在感を放つ扼死体のみ…
その存在感ときたらもはやゲーム機を突き破って出てくる勢いである。
「あぶなーーいっ!!」
と、そんな事を考えていたら突然通行人が悲鳴をあげた。
何事かと思って面をあげたらその先に猛スピードで突っ込んでくる車が……
「--彼岸神楽流、極砕!!」
彼岸神楽流極砕とは、極限まで固めた肩の筋肉によるショルダータックルにより迫ってくる敵を粉砕する彼岸神楽流基本の当身技である。
我が彼岸神楽流により暴走車は食い止められた。が最近は鍛錬を怠っていたので車はボンネット粉砕のみで済んだ。
「……まさか、スターになった僕を狙って何者かが……!?」
「調子に乗らないでください」
「その声は…っ!」
何者かからの刺客かと思ったけど、エンジンが丸見えになった、グラセフで運転下手な奴が乗った車みたいになった車からパンツスーツのスラッとした脚が伸びてくる。
そこから降り立ったデキるキャリアウーマンを絵に描いて餅米で包んだ(?)みたいな、たった今歩道に車で突っ込んだとは思えないほど堂々とした女性は--
「はじめまして雨宮さん。KKプロダクションマネージャー、谷です」
--KKプロダクショングループ 管理部 タレントマネジメント課
谷涼香
「……美しい…これが本物の名刺…」
「名刺を褒められたのは初めてです」
恐ろしい事に廃車5秒前みたいな車(僕が壊した)を運転してどこかへ向かう諸橋マネージャーの代わり、谷氏はメガネをキリッと輝かせ夜の街をキリッと見つめている。
今度のマネージャーはおっさんではなく20くらいのお姉さんでした。
ボリュームのあるショートカットでカミソリのような瞳の上からレンズによって視力の補正や目の保護を行う効果のある医療器具をかけたお姉さん。
なんだかお固そうで諸橋氏の時より緊張感がすごい。
「お会いするのは初めてですね」
「そうですね…これからなんとお呼びしましょうか?雨宮さん?小春さん?マーマミヤ・モーハルさん?」
…なるほど、今までの狼藉は本社から共有済みだと。
「……なんでも」
「では歳下ですし…こはるんと」
「こはるん?」
「冗談です」
冗談とは笑いながら言うから場を和ませる冗談になるのであって無表情、なんならちょっと怒ってそうな雰囲気のある顔で言われてもちっとも和まない。
「小春、これから南戸監督の所へ行きます」
「あ、小春呼びなんですね…距離感の縮め方が分からない……えっと、こんな時間に中学生を連れ回す正当な理由が?」
「オファーが来てますので、その話を…」
南戸監督……業界では有名な映画監督だとか実はそんな事もないとか……
今映画撮っててまた映画か……
「その後本社の方へ顔を出してもらいます」
「こんな時間に?本社に?」
「なんか……らいむが用があると言っていましたよ。お知り合いなんですね」
らいむ……?ライムとはインドからミャンマー、マレーシア一帯の熱帯雨林を原産地とする柑橘系の果実をつける低木であるが…
時刻は19時になりそうだった。
「あの…なんでもいいけど急いでくださいね?明日朝から予定があるので」
「そうですか…どちらで?」
「この東京で……屍コレクションの全国大会なんですよ」
「ところで小春、背中に首吊った背後霊が憑いてますよ?」
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連れ去られた先はなんか大きなビルだった。
「…ふむ、これだけ巨大ならば四隅の柱を落とせば後は自重で…」
なんて破壊の算段をつけていたらいつの間にか僕は会議室とやらに通される。机に置きっぱなしにされたパソコン達からは時代の波を感じざるを得ない。数年前に流行したゾンビウイルスの残したリモートワークの爪痕は根深い。
「お待たせしました」
たっぷりお待たせされた後に現れたのは50代くらいのガッチリしたイケおじであった。どうやらこの男が監督らしい。学生時代はラグビー部だったに違いない。
「はじめまして、南戸と申します」
「KKプロダクショングループの雨宮と、マネージャーの谷です」
僕を見る、こんな時間に未成年を働かせる不届き者はその歴史を感じさせる顔を破顔させ馴れ馴れしくも話しかけてきたではないか。
「君が雨宮小春君か……会いたかったよ。どうだい?最近の調子は?」
「古き良き人と人の繋がりが薄れていく事に心を炒めています。野菜炒めです」
「?」
「申し訳ございません。この子は北桜路市出身なので」
「?…ところで、事務所の駐車場に見慣れない大破した車が停まってたけどあれはまさか…」
「申し訳ございません。歩道に突っ込みまして」
「警察に行きなさい」
世間話も程々に僕らは席に着く。肉まんみたいな体型のおばちゃんがお茶を出してくれた。感激である。
「……雨宮君、君の例の舞台、実は現地まで赴いて拝見させて頂いた。素晴らしいものだったよ」
「ありがとうございます」
世界がようやく僕に追いついた…という事か……
「そこで君と是非一緒に仕事をしたいと思ってね。図々しくもこうしてお声かけした次第だ」
「ありがとうございます。映画出演のオファーというお話でしたが…」
「ああ」と谷氏に頷きながら監督は何枚かの、小難しい書類を容赦なく中学生の僕に差し向けてきた。この文量は強敵だった。
谷氏が代わりに書面に目を通す。谷氏は槙島聖護が愛用するカミソリばりに鋭い視線を監督へと向けた。
「……出演依頼というふうに伺っていましたが?」
「すまない。連絡した者の手違いがあった」
え?違うの?
「今度作る作品の主演をオーディションで決めようと思っていてね。是非、雨宮君にも挑戦して欲しい。その思いでキャスティング会社と調整して、連絡した」
「では出演確約……という話では?」
「オーディション次第だね」
おいおいこんな失礼な話があるか?
僕は隣に置きっぱなしになった真っ黒なノートパソコンの液晶画面を見つめる。反射したその向こうには僕同様憤慨した様子の背後霊が映っていた。
誰か助けてください。
「受けてくれるかな?」
てめぇで決めろと言わんばかりに谷氏は僕の方へ書類を放り出す。僕は背後霊にも見えるようにしっかり目を通す……
この雨宮、小学生で広辞苑を読破した男…
しかしその雨宮をもってしても書類に書かれた小難しい内容は読解困難である。
ただなんか0がいっぱい書いてあるのは見えた。ギャラだろうか?ギャラに違いない……
「……受けます♪」
雨宮小春はこういう時、深く考えないのである。
そしてその後のマネージャーと監督の話も右から左に聞き流した。
雨宮小春は人の話を聞かないのである。
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……面白い少年だった。主に言動が。
私のような特殊な業界に身を置いてかつ、相手が10代でなければ多分、キレていただろうけど…あの子、多分何も理解してないが……
まぁ彼も芸能人。深く心配する必要もないだろう。
いずれにしろ舞台上で目撃した、あの見る者を引きつけるような演技をする少年とはイメージが乖離していた。
私はスマホを手に取りすぐに着信を入れる。相手は連絡を待ち遠しく思っていたのか、ワンコールで出た。
『監督?』
「この間はどうも…分かったよ」
電話の向こうでは夏の夜風に吹かれる鈴の音のような声音が鼓膜をくすぐる。美しい声だ。この声で白飯の他は納豆だけで事足りる。
「日比谷さん分かったよ……名前は雨宮小春。KKプロダクション所属の現役俳優だ」
『KKプロ……超大手じゃん』
「君のところにも居ただろ?確かKKから移籍した子が……確か……」
『風見大和?』
「の同期生だ。そしてあの小鳥遊らいむとも同期らしい」
もし雨宮小春がこれから日本の芸能界を牽引していくような逸材に育てば、この三人は黄金世代と呼ばれるだろう……
まぁ、風見大和は知らんが……
なんて、未来への期待にドキをムネムネさせる私の耳元で世界の至宝--現代に生まれ落ちたヴィーナスこと日比谷真紀奈は『雨宮小春』と噛みしめるようにその名を繰り返していた。
「……日比谷さんすまない。今のトーンで「南戸先生」って囁いて?」




