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今日一日で、僕の財布は随分と軽くなった。思った以上に老人は容赦なかったのである。ホームセンターや工具ショップを巡りに巡り、言われたものをカゴにポイポイ放り込んでいれば、会計時にはギョッとする額だ。
プロの整備士というのは大変だなぁと他人事に思いながらも、財布の中身は他人事ではない。
買い物袋を大っぴらに広げ、工具類を一つ一つ取り出して、これまた新品の工具箱に納めていく。ソケットレンチ、スパナ、ドライバー、プライヤー。この時計みたいな奴は、えぇと......
『ダイヤルゲージだ。マイクロメーター単位の測定に使う』
老人が解説してくれる。どうやら精密機械どころじゃないぞ、というのは流石に僕にもわかる。
『シックネスゲージ。挟み込んで、隙間を測定する』
工具にすらずぶの素人な僕がなにかを手に取る度、老人は解説を続ける。なるほど、この板の集合体はシックネスゲージと言うらしい。
『コンプレッションゲージ。圧縮の測定に使う』
『それはギアプーラー。主にベアリングを引き抜く工具だ』
『バルブシートカッター。バルブの当たり面を出すための修正器具だ』
『マイクロメーター。0.01mm単位のサイズを測る』
「名前はマイクロメーターだけど、マイクロメーター単位ではないんですね」
『高級品なら測れるが、桁が2つ違うからな。流石にやめておいた』
どうやらこれでも、老人なりに遠慮、配慮はあったらしい。確かに、測定器具ひとつで2桁違いは全くもって話が違う......
『ハンマーだ。使い方の解説は居るか?』
それから、今日知った事だけれど、この老人はどうやら少しばかりの冗談も言うらしい。笑えるかと言われればそれほどでもない冗談だが、しかし人間らしいといえばその通りだった。
『メタルクリーン。昔からある洗剤だ。エンジン部品はこれに限る』
「このはなさかGって奴じゃ駄目なんですか?」
『駄目というほど駄目でもない......が、花咲かGはアルミに使えない。逆にメタルクリーンではガソリンタンクの錆落としが出来ん。一長一短、専門分野の違いというやつだ』
「でも、専門分野と言うならば、修理に関してはあなたの方が」
『出来るやつばかりがやればいいというわけでもない。工具は育たないが、人間は育つ。工具は育てなくても使えるが、人間は育たないと使えるようにはならん。わかるだろう?』
「確かにそうです。ですが、」
ですが......なんだ?僕自身、何に反論したいのかがわからなかった。自分には無理だと言いたいのか?それなら最初から諦めれば良かっただけの話なんじゃないのか?
なんで僕は”ここ”にいる?どうして”こんなこと”を?
「......ですが......」
老人は僕を見ながら、やはり不気味に笑った。
『洗剤に関してだが、いい質問だった』
『なぜ?という疑問を持つのは重要だ。それから、頭を捻って自分なりの考えを持つというのは、同等かそれ以上に重要だ。言われた事に従えばいいという思考をしていない。それは俗に応用力と呼ばれるものに繋がる』
『考えて、実践して、自身の考えの正否を確かめる。学ぶ。それは最終的に一番重要な事でもある』
『自動車を整備するということは、集約すればひとつのボルトを外して再び締め付けるということ、あるいは、定められた方法で測定すること、それに集約されるんだよ』
『ボルトひとつ締める事を応用してクルマは出来上がるんだ』
『つまり、クルマとは応用力の結集なんだよ』
爛々と目を輝かせる老人に対して、僕は言葉を失っていた。
考えても自分なりの答えが見つからない感情を抱きながら。
感服というのもまた違う、言うなれば、価値観の一致というものだろうか。
少なくとも僕にとって、それは指針となり得る言葉だった。