色々な境遇
土壌改善計画によって育った作物。
それは途中から急激に成長し、出来上がった野菜はとんでもなく美味く、作物は枯れ難いどころか次々に実が生って、収穫後に常温で保存していても傷むのが遅い。
通常ではあり得ない、そんな作物になった理由を調査してもらうために来てもらったのが、商人ギルドのギルド長の姪である犬の獣人族のケルムさん。
王都の研究機関で植物の研究をしていたという彼女は、勤め先で干されていたこともあって仕事を辞め、すぐにこっちへ来てくれた。
そのケルムさんは今、目をキラキラさせて尻尾を勢いよく揺らしながら、義母上が用意した雇用契約を手に震えている。
「ほ、本当にこの条件でいいんですかっ!?」
「ええ。この領地の未来を左右する作物の調査をお願いするんだから、これくらいは当然よ」
義母上が用意した条件は、報酬の支払い、住居兼研究室として空き家を用意、原因を突き止めた後もバーナード士爵家付きの研究者としての雇用保証、そして雇用時は研究成果に応じた研究費兼給与の増額とボーナスの支払い保証。
調査の報酬だけでなく、雇用時の研究費兼給料の額も結構頑張った金額が記されている。
「報酬の支払いだけど、調査費用と当面の生活費として半分を前払い、残り半分は調査終了時に支払う形でいいかしら?」
「前払いしてくれるんですかっ!?」
「先立つものがなくちゃ、出来ることも出来ないでしょ」
義母上がウィンクしながらそう告げると、ケルムさんは涙を浮かべ、ヨレヨレな上着の袖で目を拭う。
「とても助かります。前の勤め先では、雀の涙な研究費の足しにするため薄給を費用へ回した上に、干される前の貯えを食いつぶしていたのでここへ来る費用もギリギリだったんです……」
随分と世知辛い人生を送っていたんだな。
干されていたとは聞いたけど、具体的にどんな目に遭ったのかは叔父である商人ギルドのギルド長も知らないらしい。
「大変な目に遭っていたんですね」
「そうなんですよ。私はただひたすら研究をしたいだけなのに、周りは派閥争いだの利権獲得だの契約先との接待だの、研究とは無関係なことばかり熱心だし、そいつらの研究は周りに馬鹿にされたくないからってそこそこなものばかりだし、お陰で時間とお金を掛けてでも今までにない研究をしたい私は馬鹿にされ続けた挙句に成果が出てないとかで閑職に回されて、何かにつけて減給や研究費の減額、復帰したければ愛人になれとか言われて、断ったらありもしない理由で王都郊外にある系列の小さな研究施設へ左遷されて、研究費は雀の涙にまでなってお給料は最低賃金ギリギリ。そんな環境で碌な研究ができるわけないじゃないですか!」
徐々に熱と怒りが高まっていきながら、一息で自身の境遇を長々と語ったケルムさんは用意された紅茶を一気飲みし、叩きつけるとまではいかないまでも強くテーブルへ置く。
その内容に怒るとか呆れるとかいう前に、思わずキョトンとしてしまう。
セリカと紅茶を用意してくれているサラさんも同じくキョトンして、義母上と商人ギルドのギルド長は無表情で怒っている。
特に商人ギルドのギルド長は、無表情で無言なのに灼熱の炎が背後に見える気がする。
「随分な目に遭ったようですね。兄は、両親はそのことは?」
「寮暮らしだったので、知りません。心配も掛けたくありませんでしたし。だからといって研究者の道を諦めたくなかったですし……」
そうしてズルズル続けて来た結果が、今語った内容ってことか。
尻尾と耳が力なく下を向いている。
「王都は研究機関でもそういうことが横行しているのね。お願いする調査が終われば、好きに研究していいから頑張ってね」
「はうぅ……あんな職場を辞めて、こっちへ来て良かったですぅ……」
涙目のケルムさんへ、隣に座る商人ギルドのギルド長がそっとハンカチを差し出す。
それを借りて涙を拭ったケルムさん。
って、鼻をかむのはやめ、あ~あ、かんじゃった。
ハンカチを返された商人ギルドのギルド長は、微妙な表情を浮かべてる。
あっ、サラさんが受け取って部屋を出て行った。
洗濯でもしてくるのかな?
「では早速、調査にかかりたいと思います! 経緯は叔父の手紙で把握しているので、調査用のサンプルを回収させてください!」
気分がスッキリしたのか、明るい表情でケルムさんが叫ぶ。
「だったらうちの菜園から回収するといいわ。同じ方法で耕して育てたから、差異は無いはずよ」
「ありがとうございます!」
急に元気になったケルムさんは、菜園がどこにあるのかも聞かず、足元に置いてある大きめの鞄を手に飛び出そうとする。
それを商人ギルドのギルド長が腕を掴んで止めた。
「待ちなさいケルム、場所も聞かずにどうやって行くつもりですか」
「はぁっ! そうでした!?」
……やっぱり大丈夫かな、この人。
一抹の不安を覚えつつ、義母上から俺とセリカで菜園と用意した空き家へ案内するように指示をされ、退室して菜園へと向かう。
「ここだ」
「わふぅっ!」
半分は何もせず普通に育てたから一般的な感じなのに対して、もう半分は土壌改善計画と同じ手法で手入れをしたから、立派に育った作物が生っている。
それを見たケルムさんの目が見開かれ、キラキラと輝く。
「中央から右手側が何もしていなくて、左手側には土壌改善を施してある」
「わほうぅっ! やはり見事な作物です、これほど立派なものは実も含めて、今まで見たことがありません!」
説明を聞いた途端、激しく尻尾を回しながら菜園の左手側へ飛び込み、せわしなく動き回って作物の観察をしだした。
スレンダー体型でなければ、胸がポヨンポヨンと縦横無尽に跳ね回っていただろうと思うと、ちょっとだけ惜しい。
だけどあれはあれで、無邪気な様子がなんか微笑ましい。
聞いたところによると、もうニ十歳らしいけど。
「きゃいん!?」
あっ、三つ編みが顔を振った勢いで顔面に直撃した。
「だ、大丈夫ですか!?」
痛そうに蹲るケルムさんの下へセリカが駆け寄る。
うん、見事にポヨンポヨンと揺れてるな。眼福眼福。
「きゅ~ん……大丈夫です。つい調子に乗っちゃうと、いつもこれなので……」
だったらいっそ、髪を解いたらどうだろうか。
「でしたら、髪を解いては?」
いいぞ、セリカ。さすがは愛する妻、気が合うじゃないか。
「それはそれで、研究中に邪魔になるんです。適当に手入れしているので、解くとボサボサなので」
「なら、いっそ切るのは?」
「髪を切りに行く暇があったら研究します」
つまりその長髪は本人の好みじゃなくて、切りに行く時間が勿体なくて、放置した結果伸びたってことか。
それを聞いたら、あのヨレヨレの衣服は研究にかまけて洗濯をサボったからじゃないかと思えてきた。
いや、さすがにそれはないかな。
鼻が利く犬の獣人で、なおかつ女性なんだから洗濯くらいはしているはず。
あのヨレヨレは、適当に扱ってしわだらけになっただけなんだ、そのはずだ。
「とにかくサンプルを回収しましょう。いくつかの作物、それと土と肥料をいただきますね」
「どうぞ」
セリカの許可を得たケルムさんは、鞄から手袋を取り出して手につけると、慎重に手で地面を掘って根っこごと作物を地面から抜いた。
そうやっていくつかの作物を抜くと、今度は何もしていない方の作物も回収しだした。
「そっちは何もしてないぞ」
「分かっています。ですが通常の物と比べる必要もあるので、こちらも回収させていただきます」
ああ、なるほど、そういうことか。
確かに通常のものと比べた方が、より違いが分かりやすいな。
さらにケルムさんは、鞄から瓶を取り出して両方の土と肥料を回収する。
肥料は「発酵」で作った物しかないと思ったら、前に使っていたのが少しだけ残っていたから、それを回収。
区別が付きやすいように、土壌改善した方には瓶へ赤い糸を何重かにして巻いていく。
「水は何もしてないんですよね?」
「ああ、水は何もしようがないからな」
「注水」で水撒き用の桶に水を注いで撒くことはできるけど、畑や田んぼの近くには必ず水場があるから、そこまでやっていない。
この菜園や領内の畑や田んぼに使っているのも、屋敷の敷地内にある井戸の水だ。
「そうですか。でも、一応回収しておきましょう」
そう告げて追加の瓶を取り出し、普段水やりに使っている水も回収した。
「わふぅん、サンプル回収完了! 早く調べたいです!」
よほど楽しみなのか、尻尾がぐるぐる回るだけでなく耳まで動いている。
「なら、次は用意した家へ案内しよう」
「きゅうん! お願いします!」
回収したサンプルと手袋を鞄へ入れたケルムさんを連れて玄関を出ると、結構な数の大小様々な木箱を積んだリアカーとそれに繋がれた一頭の馬、それから冒険者風の男女五人組がいた。
「彼らは?」
「なけなしの退職金と、領主様と叔父さんが移動費として送ってくれたお金で雇った、護衛の冒険者の方々です。リアカーと馬は、知り合いから古くなった物と年老いたのを格安で売ってもらいました」
そう言って、お待たせしましたと冒険者達へ駆け寄るケルムさん。
それもそうか、王都からここまでの長い道のりを女一人で旅するなんて、襲ってくれって言ってるようなものだ。
リアカーに積んだ荷物も多いし、なおさら盗賊に狙われそうだ。
護衛を雇うのも当然……うん?
「ひょっとして、ラッセルか?」
「おう、シオン殿。久しぶりですね」
小さく手を挙げて笑みを見せるのは、こっちへ来るときに護衛してくれたラッセルさんと、その仲間達だ。
なんか見覚えがあると思ったけど、まさかこんな形で再会するなんて。
「ああ、久しぶりだな。元気そうでなによりだ」
「冒険者から元気を取ったら、仕事になりませんって」
そりゃそうだ。
冒険者は体が資本、健康で元気でないと勤まらないもんな。
ラッセルとしっかり握手を交わし、その後に続く彼の仲間達とも再開を喜び合う。
「お知り合いなんですか?」
「旦那様がこちらへ来る際、護衛をしてもらった方々なんです」
「わふぅん。世間は狭いですね」
言えてる。
「はははっ、実を言うと偶然じゃないんですよ」
偶然じゃない? どういう意味だ?
「それは道すがら教えます。ケルムさんのお宅へ案内してください」
「あっ、はい。では付いて来てください」
彼らを先導してケルムさんに用意した空き家へ向かう。
その道すがら、ラッセルさんから偶然じゃない理由を聞かされた。
なんでも彼らは王都暮らしに飽きたから、活動拠点を王都からここへ移すつもりらしい。
「飽きたからって、そんなことで王都からこっちへ来たんですか?」
「いいんですよ。冒険者は本来根無し草、あっちこっち旅をして冒険をするのが本分なんです」
「それに私達はこうした田舎の村出身なので、正直王都暮らしはあまり好きじゃなかったんですよね」
そういえば一緒に旅をしている時、ラッセルさんとその仲間達は同じ村出身の幼馴染だって聞いたな。
「王都に行ったばかりの頃は、一人前になるためにがむしゃらだったから、それどころじゃなかったけどな」
「そうそう。周りに舐められないようにとか、碌でもないのに絡まれないようにとか、仕事中以外でも肩ひじ張っててさ」
「お陰でそれなりに成功して、たまに貴族様からも依頼を受けていたけど、段々と気づいちゃったのよね。もうここでの生活はいいって」
そうして王都を離れる決意をして、行き先を決める際に揃って浮かんだのが、故郷とよく似ているというこの地。
移動がてら何か依頼をこなそうと思っていた所へ、ケルムさんが発注した護衛依頼を発見し、依頼を受けてここまで来たそうだ。
「だったらいっそ、故郷に帰ったらよかったんじゃないか?」
実家に帰れば両親や兄弟姉妹といった家族といられる。
そう思っての発言だったけど、全員暗い表情になって俯いた。いやなんでっ!?
「以前に二度ほど帰ったことがあるんだ。そしたら、畑仕事を手伝わされた……」
「同じく、実家の宿で掃除や洗濯を……」
「私の実家は食堂だから、皿洗いと野菜の皮剥きさせられるの……」
「親父は木こりで、伐採と加工を手伝わされる……」
せっかく帰省したのに、実家の仕事を手伝わされたのか。
そりゃあ帰ろうって気も失せるよな。
「俺は村長の親父から、いい加減に身を固めろって嫁を勧められる」
「えっ? ラッセルは村長の息子なのか?」
それは聞いたことが無かったぞ。
「村長の息子と言っても、四男ですよ。勧められる相手も、近隣の村の村長や集落の長の娘ですし」
てっきり息子を心配する親心かと思ったけど、それって村同士の繋がりのための結婚じゃないのか?
なんとなくそんな気がしてラッセルさんを見ていると、それを察したかのように、遠い目で苦笑しながら頷いた。
そういう結婚って、貴族間だけじゃないんだな。
「とはいえ、結婚自体は悪い話じゃないだろ?」
「そりゃそうですけど、自由を愛する冒険者としては、まだまだ独り身がいいですよ」
確かに家庭を持ったら、今みたいにあっちこっち自由に動けないもんな。
おまけに冒険者は収入額が安定しないし、引退後の第二の人生への不安もある。
誰でもなれて一獲千金のチャンスはある反面、そういうリスクがあるのも冒険者という仕事だ。
「そういうシオン様とセリカ様は、どうなんですか結婚生活は」
「最高に幸せだ」
隣を歩くセリカの肩に手を回して抱き寄せ、一切の間を置かず答える。
「へぅっ!?」
一瞬で真っ赤になるセリカ、かわいとおしい。
「こんなに可愛くて愛おしい妻を貰えて、幸せでないはずがないだろう」
「わ、わらしも、やしゃしくて、とても愛してくれりゅ旦那しゃまで、しゃーわせ、れす」
恥ずかしさと照れで呂律が少しおかしいことになってるセリカもまた良し。
笑みもゆるゆるで、思わず全力で抱きしめたくなるじゃないか。
というわけで実行。
「だ、だんにゃしゃま、みにゃしゃんの目が!」
「気にしなければ、気にならない」
「気にしましゅ!」
うん、抱き心地最高。さすがは愛しの妻セリカ。
「あらあら、お熱いですね」
「ホント、急に気温が上がったみたい」
「ぐぬぬぬぬ……羨ましい」
熱そうに手で顔に風を送るケルムさんと女性冒険者。
だけどもう一人の女性冒険者は、羨ましがって悔しがっている。
ふん、羨ましいだろう!
目を回しそうなセリカへ頬ずりしながら、悔しがる女性冒険者へ向けてドヤ顔。
余計に悔しがるその女性冒険者は、仲間達に宥められる。
「シオン様、あまり彼女をからかわないでください」
「すまん、悪かった。でも後悔はしていない」
抱きしめから開放したものの、頬を染めてポーッとして足取りが覚束ないセリカを支え、ラッセルさんへ謝罪する。
だけど本当に後悔はしていない。
「ところで、私の家はまだですか?」
「もう少しだ。ほら、そこだ」
セリカを支えながら指差したのは、村の外れに建つ小さな一軒家。
かつては農家の老夫婦が住んでいたという、あの家がケルムさんに用意した家だ。
子宝に恵まれず、老夫婦が亡くなってからは空き家になっていたのを、そのまま使ってもらうことにした。
到着した家の前に馬とリアカーを止め、ラッセルさんが荷物を運び込む。
「わふっ、思ったよりも綺麗です。初日は掃除で終わっちゃうかと思ったのに」
「来てもらえると分かってから、掃除したからな。特に清掃魔法が使えるセリカが頑張ってくれたぞ」
「は、はい。頑張りました」
少し復活したセリカが肯定する。
するとケルムさんが駆け寄って来て、尻尾を振りながらセリカの両手を握る。
「きゅうん、ありがとうございます。わざわざお嬢様が、やってくれたなんて」
「いえ、そんな。うちは人手がいないので、清掃魔法を使える私がやっただけです」
それな。だとしても見事な手際だったぞ。
「洗浄」で壁や床の汚れを落としたり、「はたき掛け」で高い所の埃を落としたり、それを「排出」で床に溜まった埃ごと外へ出したりと、一緒に来た俺とサラさんの出る幕がほとんど無かったくらいだ。
「ケルムさん、荷物はここに置いておくぜ」
「ああ、どうも。後は私がやりますので。あっ、それは壊れ物が入ってるので、気をつけてください」
部屋の隅へ木箱を運ぶラッセルさん達。
しかし改めて荷物を見ると、木箱の大きさからして家具の類は無さそうだ。
「その木箱の中身はなんだ?」
「わふぅ。着替えとちょっとした日用品以外は全部、前の勤め先で廃棄予定だった旧式の実験用魔道具です。どうせ捨てるならと、必要そうなのをこっちでの研究用に貰ってきました」
全部って、どんだけあるんだよ。
結構な数の木箱のうち、どれぐらいが魔道具なんだろう。
本当に必要そうなのだけなんだろうな?
「旧式なんですか?」
「はい。といっても、製造されてから数年しか経っていない物ばかりですし、最新式との性能差はさほどありません。それなのに前にいた研究機関は、最新式だからという理由で次から次へと機材を買い替えていたので、まだ十分に使えるこういった機材も廃棄しちゃっていたんです。予算もそう潤沢でなく、買い替える度に毎回操作方法の習得に四苦八苦していたくせに……」
なんて勿体ないことしてるんだ。
性能にそこまで大きな差がないのなら、わざわざ買い替える必要は無い。
ケルムさんが経験した境遇といい、その研究機関は色々な意味で大丈夫だろうか。
「まあお陰で機材を入手できたので、良しとしましょう。さぁ、頑張って調査しますよ! わっふっふ~!」
やる気があるのはなによりだけど、その前に家具はいいのか?
まさか木箱を家具代わりにしないよな?
「はっ、そうです! 忘れてました!」
おっ、家具が無いのに気づいたか?
「商人ギルドから直接領主様の下へ行ったので、叔母さん達に挨拶をし忘れてました!」
いやそっちかい!
本当に大丈夫なのかな、この人……。




