物事は簡単にはいかない
義母上曰く、土壌改善計画は予想の斜め上を行く形の大成功。
理由は分からないけど、作物が急激に育って味がとんでもなく良くなるのなら、大成功には違いない。
この件を蜥蜴人族の集落へ出向いた際に説明し、証拠として「冷蔵庫」に入れて持って来たキュウリとトマトを振る舞ったら、集落の長や農家の方々や護衛のルガーナさんは大騒ぎ。
恍惚の笑みを浮かべてぶっ倒れた人がいれば、絶叫した後に感想を長々と述べる人、この味を知ったら他の野菜が食えなくなると地面を叩く人と、反応は様々だけど美味いというのは共通のようだ。
特にルガーナさんなんて、らめえぇぇぇぇっ、とか叫んで絶頂して痙攣してるし。
「あ、あの、ひょっとして私もあんな反応を?」
「ああ。実に可愛らしい反応だったぞ」
「へうぅぅ……。旦那様の前で、あのような痴態を……」
大丈夫、実にムラッときて何度も我慢させられたけど、それは今夜のお勤めで晴らさせてもらうから。
それと照れて恥ずかしがるセリカは、やっぱりかわいとおしい。
「くくくっ、これだけの物が収穫できれば行商人との取り引きが楽しみですな」
長さんが悪い笑みを浮かべている。
義母上もそうだったし、この野菜にはそうした妙な効果があるんだろうか。
「そうと分かればシオン様! 今日の作業もよろしくお願いします!」
「勿論だ」
全部の村や集落に対して平等にやらないと、村や集落の間で軋轢が生まれかねないからな。
という訳で、今日も作業開始。
「発酵」での肥料作りと「撹拌」での耕作作業を繰り返し、昼休憩では道中に遭遇してルガーナさんが狩り、俺が調理魔法で処理した猪を味わう。
午後も残りの畑や田んぼで作業を続け、無事に蜥蜴人族の集落での作業は終了した。
畑や田んぼの持ち主に混ざって、長まで収穫の時を楽しみにしているようで、早くも表情が浮かれている。
「シオン様、ご苦労様でした。収穫できたら、必ず現物を持って報告に向かいます」
「よろしく頼む。それと環境によって何か違う変化があるかもしれないから、気をつけてくれよ」
農業組合の方々によると、あっちであれの栽培が上手くいったからこっちでも成功するに決まっている、とは言い切れないのが農業だという。
土地や環境によって育ち方に変化が生じ、場合によっては全く育たなかったり味が変わったりするらしい。
蜥蜴人族が暮らす場所は蒸し暑いから、それが何か変化を起こす可能性がある。そしてそれは、必ずしも良い変化とは限らない。
だからこそ注意を促しておいた。
「承知しました。十分に気をつけます」
「うん、頼むぞ」
最後に握手を交わしたら、長達に見送られて集落を去る。
昨日同様にセリカが前で馬を操り、俺は後ろで腰に手を回して同乗するだけ。
「この二日、ご苦労様でした」
「うん。ルガーナも、護衛ご苦労」
「これも仕事ですから、気にしないでください」
ニッと笑みを浮かべたのはいい、だけど小声で臨時収入が貰えますからねと呟いたの、バッチリ聞こえてるからな。
だけど聞いてないことにしてあげよう。
護衛しているんだから、報酬が出るのは当たり前だ。
「お母様の打ち合わせはどうなってるでしょうね?」
「さあな。正直どうなるか、全く予想がつかない」
だけどあれだけの味なんだ、外部へ売り出すのは確実だろう。
あんなに美味いのに、領内でだけ流通させるのは勿体ない。
「なんにしても、早く帰って義母上から話を聞こう」
「そうですね。でもその前に、体を洗いたいです。今日も汗でベトベトですから」
確かにベトベトで気持ち悪い。
だけど愛しの妻のセリカよ、君は昨日の入浴前に俺の汗まみれのシャツに顔を埋めて、満面の笑みを浮かべながら香りを堪能していたじゃないか。
気持ち悪くはあるけれど、今日もそれを堪能できると楽しみにしているんじゃないのかな?
だから話を聞くのより風呂を先にしたい、みたいなことを言ったんじゃないのか?
「話を聞くよりも先に風呂か?」
「お話は後でも聞けます。なら今日の報告後に汗を流して、サッパリしてからに打ち合わせの話を聞きましょうよ」
それはそうだけど、なんだか匂い好きをぶっちゃけてから欲に忠実になってないか?
人の趣味はそれぞれだし、あくまで俺の匂いが好きなのであって、他の人の匂いは全く好みじゃないらしいから別にいいけど、それならそれでこっちも欲に忠実にさせてもらおうかな。
ぶっちゃけ、今朝のゆるゆるに蕩けた表情は非常にそそられて、愛でたいのを随分と我慢させられたからな。
今夜の営みは我慢した分、思いっきり愛でながら激しくさせてもらおう。そうしよう。
「そうだな、そうするか」
「ありがとうございます!」
意見が通ったからセリカは満面の笑みだ。
実にかわいとおしくて、野外かつルガーナさんがいて不安定な馬上でなければ、今すぐ抱きしめて愛でて愛でて愛でまくりたい。
「仲がよろしくて、本当に羨ましいです。私もそんな相手が欲しいですが、そもそも相手が出来るかどうか……」
遠い目をしたルガーナさんは放っておこう。
俺達からの励ましは逆効果だというのは、先日のやり取りで理解している。
だからセリカも苦笑いを浮かべるだけで何も口にしない。
しばらく放っておけば自己完結するだろうと放置して、黙って村への道を行く。
やがて村へ到着した頃には無事に自己完結しており、にこやかな表情で別れることができた。
そして屋敷へ帰って馬を厩舎に戻し、義母上へ報告するために執務室へ行くと、前のめりに机に身を預けた義母上がいた。
「お母様!? どうしたのですかっ!」
心配したセリカが胸をゆっさゆっさ揺らして駆け寄る。
すると義母上は、ゆっくりと顔を上げた。
「大丈夫よ、ちょっと打ち合わせが白熱して、疲れただけだから」
確かに満足そうに笑ってはいるものの、表情には疲れが見て取れる。
あの調子だと、打ち合わせに参加した村長や商人ギルドのギルド長、それと農業組合の人達もクタクタに疲れているだろうな。
しかしなんというか、前のめりに机に身を預けているから義母上の胸元が正面からバッチリ見えている。
朝方はしっかり襟元まで閉めていたのに、疲れからか襟元が開いているからこその光景だけど、正直目のやり場に困る。
すぐに視線を愛しの妻のセリカへ向けたものの、押し潰された胸の谷間はしっかり記憶に刻まれた。
「でしたら義母上、報告は後ほどにしますか?」
「悪いけどそうして。もう少し休ませて」
そう告げた義母上は上げていた顔を下ろした。
深く息を吐く様子からも疲れが感じ取れたから、俺とセリカは静かに退室。
廊下で会ったトルシェさんとサラさんと挨拶を交わし、件の野菜や菜園について少し離してから、汗を流すために風呂場へ。
昨日同様にセリカは俺の脱ぎたてシャツの香りを堪能して、色々触れながらの洗い合いをして、一緒に入浴。
その後に改めて義母上の下へ行こうとしていたら、廊下で会ったサラさんからリビングにいると聞いたので、執務室じゃなくてそっちへ向かう。
「あっ、来たわね。十分休ませてもらったし、報告を聞くわ」
リビングへ行くと、休んで復活した義母上がトルシェさんの淹れた紅茶を飲んでいた。
俺達も紅茶を貰って一口飲んだら、今日の作業の報告をする。
「そう、蜥蜴人族の集落での作業は済んだのね」
「はい。作物の急激な成長と野菜の味についても伝えて、収穫できたり異変が起きたりしたらすぐに報告するとのことです」
「分かったわ。他の村や集落の方には既に人を向かわせて連絡は済ませたから、こっちも報告待ちね」
「それで、打ち合わせの方はどうなりましたか?」
白熱したそうだけど、不味い事にはなっていないよな?
「外部へ出して売れるのは間違いない。でも売り出すのは少し待つことになったわ」
えっ、なんで?
売れるのが間違いないのなら、すぐに売り出すべきじゃないのか?
「どうしてですか?」
「理由はちゃんとあるわ。まずは数の確保ね。どれだけ収穫できるかは土壌改善計画の進捗と連動しているし、エルフの集落への対応で一時的に土壌改善計画を停止させていたから、そこで生じた空白期間は供給が無いはず。つまり現時点において安定した供給が満たせないから、販売しても供給不足が目に見えているのよ」
供給不足か。
どれだけ需要があっても、ある程度の供給が望めないと顧客から不満が出て商売が成り立たない、というところかな。
おまけにエルフの集落への対応で、計画を一時停止していたのも痛いな。
そこに空白期間が生じた以上、後々供給が不安定になるのが目に見えている。
これじゃあ、今すぐの販売開始は無理か。
「だから全ての村と集落で安定した収穫が出来るようになるまで、販売開始は待つということになったわ。数の確保もそうだけど、種族や土地によって違う作物を扱っている点からしても、期間を置いた方が豊富な種類を揃えられるでしょうしね」
それについてはよく分かる。
土壌改善計画のために村や集落を回っていると、種族や土地によって育てている野菜が違っていた。
蜥蜴人族の集落では湿気が多い沼地なのを利用して、レンコンを育てていたしな。
「他にも理由はあるわ。あれだけ急激に育ったのなら、枯れるのも早いんじゃないのか、収穫後に傷むのも早いんじゃないのか、そんな意見が農協組合から出たのよ」
ああ、その可能性は考えてなかった。
指摘されて気づいたけど、そうなる可能性は十分にある。
「これについては作物の様子を観察、状態を慎重に確認することになったわ。販売開始を待つのは、それを確認するための期間でもあるのよ」
結果次第では取り扱いが難しくなりそうだし、収穫を踏まえての栽培計画の立案が必要になりそうだな。
「最後にもう一つ。これが土壌改善計画による影響なら、それはいつまで効果があるのかを調べたいのよ。一度実ったらそれで終わりなのか、ある程度の期間は続くのか、栽培と収穫を重ねるごとに下降線を辿るのか、永久的に続くのか、土の状態はどうなるのか。これらを検証する必要があるわ」
……思ったより課題が山積みだな。
調べるのに時間が掛かるものもあるし。
「これじゃあ販売開始の見通しが立ちませんね」
「そうなのよ。困ったものだけど、数と品質と継続的な入手の保証は大事だから、無視は出来ないわ。あの味で調子に乗ってた私と違って、諌めてくれた農協組合の人達と商人ギルドのギルド長には感謝ね」
それはそうだけど、義母上が彼らの意見をちゃんと聞き入れなかったらこそだろう。
それと周りが追従するだけの考え無しじゃなくて、そうして意見を唱えてくれるのも大事だ。
まあ彼らも生活が掛かっているから、下手を打ちたくないだけかもしれないけど。
「まあそういうことだけど、土壌改善計画そのものは続行することに決まったわ。という訳で、明日は竜人族の集落での作業をお願い。あそこは人数が少ない分、畑もそこまで広くないから、今のシオンなら一日あれば済むと思うわ」
「分かりました」
計画そのものは継続か。
そう決まったのなら、こっちはこれまで通りに作業をするだけだ。
「ああそれとね、作物が急激に育ったり品質がとんでもなく向上した原因もちゃんと調べることになったわ。いつまでも理由不明って訳にはいかないし、こういうのは調べるのに時間が掛かりそうだからね」
「尤もだと思いますが、どうやってですか?」
首を傾げるセリカが可愛い。
おっと、見惚れてる場合じゃない。
「レトリバー辺境伯様へ報告して、専門家を紹介していただくのですか?」
こういう場合、ツテが無ければ寄親を頼るのが一般的だ。
寄親はよほど無茶な要求でなければ寄子の頼みを無下にできないし、その程度のことにも対処できないのかという評価を周囲へ与えかねないから、なおさら無下にはできない。
おまけにレトリバー辺境伯は聡明と聞いているから、報告を聞いてその有用性に気づかないことはないだろう。
そういえば、がめつい貴族はそれを理由に多少なりとも謝礼を要求するって話もあったな。
さすがにレトリバー辺境伯のような大物が、そんなみみっちいことをするとは思えないけど。
「それについては大丈夫よ。商人ギルドのギルド長が、王都の研究機関で植物の研究をしているっていう、姪御さんに連絡を取ってくれるみたい」
意外な所にツテがあったー!
「才能はあるらしいけど、色々あって向こうでは干されてるらしいから、きっと喜んで来てくれるだろうって言ってたわよ」
「えっ、才能があるのに干されているんですか?」
「才能があるからこそだよ。それを妬まれて失敗の責任を押しつけられたり、できもしない無茶を要求されたりして、上司や同僚によって出世の芽や名声を得る機会を潰されるんだよ」
悲しいことに、そういう輩が一定数いるのも事実だ。
特に王都だと出世欲から、そういうことが度々あるらしい。
かくいう元実家の料理人トーマスも、元は王宮の厨房にいたのにそういう目に遭って辞めさせられ、当時はまだ存命だった先代当主の祖父ちゃんに拾われた経緯がある。
それを知った時は、どうりで料理が上手い訳だと驚いたもんだ。
「せっかく才能がある人が入ってきたのにですか?」
「自分が出世するには邪魔、ということね」
「そういうことです。悲しいことにね」
だから王都では才能がある人よりも、世渡り上手な奴の方が出世していることが多い。
貴族間でも足の引っ張り合いや粗探しをするのが少ないくないのに、職場でもそんなことになってるのが悲しい現実だ。
「全ての職場でそうなってる訳じゃないけど、そういう理由で閑職に回されたり左遷させられたりしている人がいるのは事実だよ」
「死んだ夫から聞いていた通りね。王都ではそういうことがあって、周りに神経を使いすぎて倒れる人もいるそうよ」
そういった話も聞いたことがある。
もしも授かったのが調理魔法でなかったら、勝手かつ一方的な期待を寄せていた連中によって、そういう世界へ巻き込まれていたかもしれない。
本当に、ここへ婿入りすることになってよかったよ。
かわいとおしい最高の嫁も得られたしな。
「王都の貴族社会は怖いんですね」
「元王都暮らしの貴族の一員として弁明するけど、全員が全員そうじゃないからな」
中には真面目な貴族だって、ちゃんといた。
元実家の寄親のコーギー侯爵家も、その類だったはず。
「うちのような辺境の小さな領地を治めている貴族には縁遠い話ね。さっ、こんな話はここまでにして、そろそろ夕食にしましょう」
だな。もう王都から離れた地の次期領主になる予定の俺には、縁遠い話だ。
それよりも今は、目の前の土壌改善計画とその行く末に集中しよう。
あと、今夜のお勤めにも。
この日の夕食は、今朝農家の人達が置いて行ってくれた野菜を使った、激旨料理。
さすがは日頃から料理しているトルシェさんとサラさん、調理魔法を授かってから少し齧った程度の俺とは大違い。
この野菜が領地の発展に貢献できることを願いつつ食事をして、夜はとても激しい営みをした。
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それから数日して、無事に全ての村と集落にて土壌改善計画の作業が終了。
エルフの集落の復興は、物作りが得意なドワーフと力自慢の獣人族を主体とした支援隊の協力と、国から届いた支援金のお陰で順調に進んでいた。
特に畑の野菜が早く収穫できると知ったエルフ達からは、食料不足の現状を解消するためによろしく頼むと、熱烈に歓迎されるほどだった。
そうした作業をこなしている間に作物に対する検証は進む。
「作物はすぐに枯れるどころか生き生きとしていて、収穫しても新たな実が数日で生る?」
「収穫物は通常のものより傷むのが遅く、常温でもしばらくは新鮮な状態が保たれる?」
「ええ。驚くべきことにそんな結果が出たわ」
回数を重ねるごとの品質や土の状態に関する報告はまだだけど、現状ではその二点が判明。
ますます意味が分からない状態に、仕事を辞めてすぐにそっちへ行くという返事があった商人ギルドのギルド長の姪御さんが、早く来てくれることを願った。
それからさらに数日後、その姪御さんが到着して挨拶に来てくれた。
商人ギルドのギルド長に連れられてやって来たのは、茶髪を三つ編みにして前髪を切り揃えて眼鏡を掛けて大きな鞄を手にした、真面目って印象が強い犬の獣人の女性だった。
「初めまして、ケルムと申します! 道中に畑や田んぼを見させていただきましたが、凄いですね! どうか研究させてください!」
商人ギルドのギルド長が俺達を紹介した後、自己紹介をしたケルムさん。
やたらテンションが高くて、目をキラキラさせている。
その割には服装はヨレヨレで靴も泥だらけという、長旅を終えてそのまま来ましたって感じだ。
前情報で、研究馬鹿で嫁の貰い手がいないと商人ギルドのギルド長から聞いていたけど、なんとなくその片鱗が垣間見える。
「勿論よ、だけどその前に雇用に関する話をしましょう。さあ、座って」
「失礼します!」
やる気はありそうだし才能もあるとは聞いているけど、別の意味で大丈夫かなこの人。




