たまにはこんな日もある
土壌改善計画が順調に進む中、水を差されたかのように今日は朝から大雨だ。
さすがにこの天候で作業するのは危ないから、今日の作業は中止になった。
荒天時は中止って話は、全ての村や集落だけでなく道中の護衛をしてくれるレイさんとロットさんにも予め伝えてあるから、おそらくは中止と判断してくれているだろう。
小雨程度ならともかく、こんな大雨じゃ中止に決まってる。
「この大雨だと、明日は全ての村や集落の状況確認が必要ね」
「川が氾濫したり、橋が壊れていたりしなければいいのですが……」
「あとは土砂崩れね。伐採をし過ぎないように気をつけているとはいえ、他の要因で引き起こされる可能性はあるわ」
猛烈な勢いで降る雨を見ながら、セリカと義母上が呟く。
これくらい雨が大量に降ると、水関連の問題が浮上するのか。
領地運営をする立場では、そういうのを気にする必要があるんだな。
「ちょうどいい機会だから、シオンとセリカには豪雨の際の対応を勉強してもらいましょうか」
「分かりました」
「はい、お母様」
さすがは義母上、作業が中止だからってタダでは休ませてくれないのか。
作業が無いからこそ、勉強会の開催するとはさすがです。
場所をリビングへ移して、過去の記録を参考に豪雨時の対応を学ぶ。
川が氾濫して洪水になった時の対応、過去の家屋や作物への被害、橋が壊れた時の対応と、様々な記録が残っている。
特に開拓初期のものが多い。
「開拓の初期っていうのはね、水に関する問題が何かしら必ず起きるものなの」
飲み水や生活用水の確保、水を入手しやすくするための井戸掘り、川を横断するために橋の建設、氾濫対策の治水工事。
挙げればキリがないほど水に関する記録が残っていて、どれだけ水に苦労したのかがよく分かる。
「他にも畑や田んぼを作るための土問題に、開拓地を縄張りにしている動物や魔物の駆除問題、住居を作るのだって簡単じゃないわ」
次々に述べながら資料を見せてくる義母上。
何も無い場所に人が住める環境を作るのって、こんなに大変なのか。
分かってはいたつもりだけど、実際の記録を見ると認識の甘さを痛感する。
だけど、これを実際にやっていた当時の人達は、もっと苦労していたんだろうな。
というか水に関する問題から、いつの間にか別の事にも発展しかけている。
「この領地には未開の地がまだまだあるわ。将来的にその地を開拓することになったら、必ずこうした問題が付きまとうわよ」
どれだけ記録や教訓を残して、それを参考に場所を選んで対策を立てても、実際にやるとなると簡単にはいかないのが開拓。
それを物語っているような記録の数々に、義母上の言葉の重みを感じる。
「さあシオン、土壌改善計画が成功すれば新たな開拓が待っているから、今のうちに水との付き合い方をしっかり勉強してもらうわよ」
「分かりました」
「セリカ、あなたもね」
「はい」
そういう訳で始まった今日の勉強会は、とても大変だった。
外に出られない分、普段より時間を掛けて濃密な内容で、午前の分が終わった頃には俺もセリカもヘトヘトになっていた。
「午後は書類仕事をしなくちゃならないから、短時間で済ますわね」
そう言い残した義母上は、トルシェさんと資料を片付けるために退室。
サラさんは俺達に紅茶を出してくれたら、昼食の準備をすると言って退室した。
「……お疲れ、セリカ」
「旦那様も、お疲れ様です……」
お互いにもうグッタリだ。
俺は椅子の背もたれに寄り掛かって、セリカはテーブルに体を伏せている。
そんな体勢だと、存在感抜群の胸が押し潰されて変形して、それはそれで良い光景かもしれない。
「セリカ」
「はい……」
「午後の勉強が終わったら、部屋でゆっくりしような。二人きりで」
「……はい」
肯定する前にちょっと恥ずかしがるセリカの反応が可愛い。
うん、ちょっと気分が癒された。
これで午後の勉強も頑張れる……はず。
そう思っていたのは昼食を摂って、食休みをしている間までだった。
時間は短く済んだものの、内容がその分濃くなっていて、疲労度は午前とそう変わらなかった。
ようやく勉強が終わったら、セリカと一緒にフラフラになりながら部屋へ戻り、揃ってベッドへ倒れ込む。
俺はうつ伏せだけど、セリカは仰向けに倒れたから大きくブルンと揺れて、その後も余韻でプルプル震えてるよ。
「疲れましたね」
「ああ……」
これまでも義母上から領地運営について教わっていたけど、今日はやけに熱が入っていた。
水は生きていくのに欠かせず、それでいて牙を向く自然の脅威の代表格だからかな。
とにかく、水との付き合い方がどれだけ重要かつ大変なのか、よく分かる勉強会だった。
さてと、それじゃあ癒しの時間といきますか。
「セリカ、ちょっと体をこっちに向けてくれ」
体勢を横向き寝に変えてセリカに呼びかける。
「? はい」
首を傾げながらも寝転がり、向かい合う形で横向き寝になったセリカを抱き寄せる。
顔は胸元にやって、背中と腰には手を回してしっかり確保して密着させる。
「ひゃわっ!?」
可愛らしくも妙な声が上がり、胸元にやった顔が一瞬で真っ赤に染まる。
ああ、そうした反応にもまた癒される。
「あ、あにょ、だんにゃしゃま?」
「悪い、しばらくこうさせてくれ」
「ひゃ、ひゃい」
一切の拒否もせず受け入れてくれる、優しい妻に感謝します。
ついでに密着状態で胸がギュウギュウに押し付けられている点を指摘しないのにも、深く深く感謝します。
「あにょ、どうしてこんにゃことを?」
「言っただろ、午後の勉強が終わったら、部屋でゆっくりしような。二人きりで、って」
そっちも肯定したんだから、言質は取ってあるぞ。
「確かに言いましゅたが、これは……」
「嫌か?」
「……いえ」
恥ずかしがりながらも嫌とは言わず、胸元に顔を押しつけて照れるセリカは、実に可愛くて癒される。
しかし、貴族に生まれて政略結婚をしたっていうのに、こうして可愛くて愛おしい嫁に癒される時間を過ごせるなんて思いもしなかった。
本当にセリカとの結婚、そしてバーナード士爵家への婿入りを斡旋してくれた、コーギー侯爵とレトリバー辺境伯には感謝だ。
この件に関して俺を手放した以外、他に何もしていない実家には特に感謝とかは無い。
だからといって、恨んだり憎んだり怒ったりと負の感情を抱いている訳でも無い。
無関心、それが実家に対する俺の気持ちだ。
しいて実家に対して思うことがあるとすれば、トーマスや兄嫁といった交流のあった人達は元気だろうか、くらいだ。
そうだ、義母上に相談して許可を貰えたら、トーマス宛で皆へ手紙でも出してみるかな。
そんな事を考えていたら、外が一瞬光って雷が鳴った。
「ひっ!?」
腕の中にいるセリカが小さく悲鳴を上げ、ビクリと跳ねた。
「雷、苦手なのか?」
「い、いえ、苦手じゃないです。ちょっと驚いただけです」
上目遣いでアワアワする様子も実に愛おしい。
本当に苦手じゃないのか? 強がっているだけじゃなくて?
その答えはすぐに出た。
雷が最初よりも近くで二度、三度と鳴り響いても平然としているからだ。
「ほら、大丈夫です!」
強がっている様子も無く、フンスと鼻息を吐く。
そんなドヤ顔も愛しの妻なら最高です。
「ならいいんだ。さすがに雷まではどうしようもないからな」
見ないためには目を閉じればいいけど、どれだけ強く耳を塞ごうとも雷の音は簡単に防げない。
実家にいた頃、何度も鳴り響く雷が煩くて強く耳を塞いでも防ぎきれなかった実体験だから、間違いない。
「旦那様は苦手なもの、無いんですか?」
「あるよ。王都で飲んでた紅茶」
こっちで飲んでる物と比べると、雲泥の差だったもの。
初めてこっちのを飲んだ時は、本当に驚いたよ。
今まで王都で飲んでいた、というより飲まされていた紅茶はなんだったんだって。
こっちで採れるのを味わったら、もう向こうで飲んでいたのは飲めない。
「私は飲んだことがないんですが、そんなに美味しくないんですか?」
「この家で出されているのを飲んでたら、向こうのはもう二度と飲めない」
今飲んだら、間違いなく不味いと言い切れる。
「セリカの苦手なものってなんだ?」
「今は問題ありませんが、昔は計算が苦手でしたね。本当に、苦労しました」
「そうなのか」
そういえば聞いたことがある。
王都に住んでいる貴族は、当主であっても計算が苦手な人が意外と多いって。
なんでも理由は、学習すべきことの優先順位にあるらしい。
王都の貴族にとって子供に学ばせるべき優先事項は、礼節や作法やダンスといった、公式の場や社交の場での言葉遣いや立ち振る舞いが第一。
それを身に着けることで、不作法を働いたり周囲から侮られたりするのを防ぐとのこと。
その次が国に仕える貴族として必要な、国の歴史や文化の勉強、そのために必要な読み書きと、計算は割と後回しにされている。
爵位が上になるほどその傾向が強くて、計算はできる者を雇えばいいという考えが一般的で、計算が苦手でないのは仕事で金勘定をしたり、そういった人を雇えなかったりする貴族くらいらしい。
ちなみに俺の場合、一方的ながらも期待されていたから、どこに出しても恥ずかしくないようにときっちり計算も勉強させられた。
結果的に一方的な期待は裏切ったものの、領地運営の金額計算には困らないから皮肉なもんだ。
「お母様が本当に厳しくて。うちのように領地持ちの貴族は、自分で計算ができないと駄目だって」
「まあ、税金とかの計算ができずに国への収支報告が間違っていたら、大変だもんな」
「はい……」
同じ貴族でも王都暮らしか領地持ちで、学ぶべき事の優先度が違うってことか。
そういう点では、計算ができるのは助かった。
今日のような、領内での出来事への対応や領地運営については、まだまだ勉強不足だけどな。
「あとは……あっ、蜘蛛はどうしても駄目です。生理的に無理です」
蜘蛛……ね。
「旦那様? どうかしましたか?」
「いや、なんでもない」
そう伝えて背中へ回していた手を頭へ添える。
「あ、あの?」
「気にしないでくれ。このふわふわの髪に触れていたいんだ」
たまにトーマスがやっていたように、乱暴に掻き乱すようにはせず、ふわふわの感触を堪能するように優しく手を這わせる。
「そ、それは構いませんが、どうして視線が私の背後へ向いているのですか?」
やべっ、ミスった。ちょっと凝視しすぎたか。
「えっと、それは……」
「……まさか、いるんですか? いるんですねっ!? 背後にアレが!」
うん、いる。
セリカが背を向けている壁をカサコソ動いていて、今は動きを止めてる。
誤魔化しているうちに早くどっかへ行ってほしかったけど、バレちゃったか。
「気付いたのなら仕方ない。叩き潰すから振り向くなよ、絶対に振り向くなよ、フリじゃないからな」
「フリだとしても振り向きませんから、早く片付けてください!」
「だったら放してくれ、嫌なのは分かるけど、そんなにしがみつかれたら潰しに行けない」
蜘蛛がいると気づいてから、怖がるセリカがぎゅうぎゅうとしがみついている。
密着度が増して柔らかい感触がより広範囲に広がったし、体を摺り寄せてくるのも良い。
だけどこのままじゃ、肝心の蜘蛛を排除できない。
ハッとして気づいたセリカから解放され、離れるのを名残惜しみつつ、部屋に置いてある虫叩きを手に取る。
辺境で自然が多い環境だと室内に虫が入ってくるから、虫叩きは必需品だ。
「ほい」
止まっている蜘蛛へそっと近づいて、虫叩きを振って叩き潰す。
逃げた様子は無いし、ちゃんと虫叩きには潰れた蜘蛛がいる。
その蜘蛛は雨が吹き込まないよう、窓を小さく開けて外へ払い落とす。
「もう大丈夫だぞ」
窓を閉じて大丈夫だと伝えると、背中を向けっぱなしのセリカがこっちを向く。
そして確かめるように壁を見渡し、いないのが分かるとホッと息を吐いた。
「ありがとうございます。蜘蛛だけは本当に駄目で……」
「気にするな。誰にだって苦手なものはあるからな」
今回蜘蛛がいたのが俺に見える側で良かった。
もしも反対側でセリカが直視していたら、どうなっていたか。
そんなことを思いつつ、虫叩きを元の場所へ戻そうとした時にそれは現れた。
俺とセリカの間に、天井から糸を垂らしながら降りてきた蜘蛛が。
「あっ」
「ひっ――」
直後に響くセリカの声にならない悲鳴。
俺は即座に虫叩きで糸を切って床へ落とし、逃げようとする蜘蛛を素早く虫叩きで叩き潰し、これまた窓の外へ払い落とす。
「もう処理した……」
窓を閉めて振り向くと、蜘蛛を直視したセリカは枕を被って頭を隠し、衣服さえなければムチムチかつプリンプリンな尻をこっちへ向けていた。
どうして人って、頭を下げると尻が上がるのだろうか。
まあ、そんなのはどうでもいいか。今はセリカを安心させるのを優先しよう。
「セリカ、もう処理したから大丈夫だぞ」
「……本当ですかぁ?」
念のため天井と壁全面を確認。うん、大丈夫だ。
「本当本当、もういないから」
「はうぅ……びっくりしました……」
起き上がったセリカが胸をなでおろす。
悲鳴を聞いたこっちもびっくりだよ。外の大雨や雷以上に響いたんだもの。
安堵したセリカを慰めるため、虫叩きを置いてから頭を撫でてやる。
するとそこへ、バタバタとした足音が近づいてきた。
「ちょっと、今の悲鳴は何!?」
仕事中のはずの義母上とサラさんが扉を開け、駆け込んできた。
ああ、さっきのセリカの悲鳴が原因か。
悲鳴が上がってから来るまでが遅いけど、あの服装じゃ走り難いか。
「何があったの!?」
「いや実は……」
状況説明、二人とも一安心、その後で義母上だけ腹を抑えて笑いを堪える。
「くくくっ、壁にいるのを退治した直後に上からって、どんな喜劇よ……くくっ」
「笑いごとじゃありません、お母様!」
当人達にとっては真面目でも、周りから見れば喜劇か。
笑いを堪える義母上にセリカが怒る。
プンスカといった様子で怒るセリカも可愛くて愛おしい。合わせてかわいとおしい。
そんな勉強会あり蜘蛛騒動ありと、色々あった雨の一日は平穏に終わり、翌朝はカラッと晴れた。
大雨の翌日ということで、今日は村や集落の状況確認が優先され、土壌改善計画の続きは明日以降へ後回し。
だけど魔法による作業効率の上昇に従い、計画は前倒しに次ぐ前倒しで進んでいるから、一日や二日くらい作業しなくとも問題は無い。
そういう訳で今日は義母上とセリカと共に、状況確認と対応に徹する。
「ここの村の様子は、村長が調べて伝えに来てくれるわ。他の村や集落については、竜人族や飛行ができる鳥系の獣人族が調べて報告してくれることになっているの」
何かあったら一刻も早い報告が必要だから、わざわざ陸路で行かず空路での情報網を駆使するのか。
様々な種族が住んでいて、しっかりした協力体制が構築されているからこそだな。
それだけの繋がりが出来ていることに感心していると、ここの村の村長が報告にやってきた。
村長によると、ここの村は近くの川が多少溢れただけで人的被害は無く、作物や家畜や家屋も無事で、橋の方も問題無いとのこと。
「ぬかるみで転んで怪我をした者が数名いますが、いずれも軽傷です」
「分かったわ。では引き続き様子を注視して、何かあれば報告を」
義母上が指示を出している最中、廊下からドタドタという駆け足の音が聞こえてくる。
何だ? 何事だ?
「失礼します! 領主様、大変です!」
足音の主らしき竜人族の男が、慌てた様子で息を切らしながら、飛び込むように扉を開けて現れた。
「どうかしたの?」
「エルフの集落にて落雷による倒木と土砂崩れが発生、家屋数軒に被害が出ています! さらに同じく倒木と土砂崩れにより道が寸断されただけでなく、川の氾濫によって橋が倒壊! エルフの集落が孤立状態です!」
ちょっと待て、なんだそれ!?
雨だけじゃなくて、雷でも被害が出たのかよ!




