22."生くるダンジョン"―勇者レクカイン―
その眼が見開かれた時、神の化身は憎悪した。自身が滅ぼさなければならない理を外れた絶対の敵がそこにいる。この世界から一刻も早く消去しなければならない存在の出現は、化身に残り少ない桃色の花弁の全てを攻撃として使うことを決意させた。
精神集中を終え、ゆっくりと目を見開いたレクカインが手に持つ魔剣が青い空をさらに蒼く染める。神の化身は、己の敵に対して正しい反応を見せたが、それより遥かに小さな目にもしていない虫けらへの対応を間違えた。
フルプレート姿のエイラメインが雌しべに着地する。聖女の結界に守られていたその体に、落下の衝撃がはしることはなかった。やはりあれでも聖女なんだな、と妙に感心しながら彼女は"三残湾刀"を抜いた。
その魔武具に、自身の掌で燃えていた青き炎の魔道具を纏わせる。たちまち刀身が青く輝き、彼女はすぐさま迸る炎を神の化身の雌しべへと全力で刻み込んだ。
一太刀。二太刀。三太刀。
流石に神の化身たる存在は固い。強化された湾刀でも、大して傷を付けられない事実にエイラメインは奥歯を噛み締める。
"生くるダンジョン"で常に感じていたことだ。新興勢力の主も、尊敬する勇者レクカインも、人の領域を外れた怪物だった。それと比べて、"王国三剣"の自分の力不足たるや。
それでも彼女は、自身に出来る精一杯をやり遂げる真面目さがあった。自らが振るう湾刀の丸みとはおおよそ似つかわしくない勤勉さは、己の無力感をそのままで終わらせなかった。
手の中の"三残湾刀"を三回転させる。太刀筋を空間に記憶させ、回転数だけ再現させるその魔武器だが、代償なしに使えると言うわけではない。回転数を増やせば刀を握る手に倍々の負荷がかかる。だから彼女は最大でも三回転までに留めていた。
それを破りさらに三回転。骨が軋み、砕ける激痛が頭を痺れさせる。だが化身とは言え、神のその玉体に傷を刻めるならあまりに安いと言うもの。
「喰らええぇぇぇえ!!<<六重斬撃解放>>!!」
一つの線が、空間を裂いた。細い細い線。だがそこに込められた六重の斬撃は、雌しべの頂点をほんの少し削り取る。同時に青い炎がその線から溢れ出し、化身全体を侵食していく。
では、もはや雌しべと雄しべと茎程度しか残っていない、一見貧相な化身にダメージを与えられたかと言うとそうではない。これはあくまで前座。エイラメインはそれが悔しかったが、嬉しくもあった。
力の入らない脚が掬われ、体が宙に投げ出される。どこまでもどこまでも落ちていく。そんな中、エイラメインはその蒼き炎を見た。
幼少の頃からの憧れであり、人類が讃える英雄が放つ希望に満ちたその炎が、自分が神の化身に付けた傷を利用してまた偉業を成すのかと思うと、体が震えて来る。
しかしやはり最後には、負けず嫌いな"王国三剣"はこう思うのだ。
次こそは自分が偉業を打ち立てて見せる、と。
地面に倒れ込んでいたヴァリスは、空にその光を見た。
今日は何度もとてつもない光と言うものを目にしてきたが、その中では一番規模の小さなものだ。人の身を越えながら、どこまでも人の身に相応しい蒼き光。
レインは言っていた。自分は勇者などではない。それはあくまでスキルに操られた結果に過ぎない。本当の自分は、中身の無い人形だと。
『絶対勝利のやり直しLvMAX』そのスキルの内容を知るヴァリスは、そのレインの言葉に疑問を持っていた。もしかしたらレクカイン本人は、自身のスキルの詳細を知らないのではないかと。
『絶対勝利のやり直し』は、そのスキル所有者が勝利を望む限り、そのための前提条件を作り上げ、実行出来る能力を与える。頭の中に入って来た情報はこれよりもさらに膨大だが、元妖怪の彼には小難しいことはいまいち飲み込めない。あまり回らない頭で何となく単純にまとめた内容がこれだった。
彼はどれだけの歳月を、あの"生くるダンジョン"で過ごしてきたのだろう。百年はくだらないと言っていたことを、ヴァリスは覚えている。もしかしたらその歳月の長さは『絶対勝利のやり直し』が、"生くるダンジョン"を破壊する条件を揃えるために必要とした時間なのかもしれない。
だが何より肝心なのはその長い長い間、レクカインが"生くるダンジョン"を破壊することを諦めなかったことだ。勝利を望まなければスキルが発動することはない。そうなると彼は、ダンジョン内で物言わぬ骸になっていた。いっそその方が楽ではあっただろうが。
百年以上の歳月をダンジョン内で一人で過ごすことになっても。その膨大な時間の殆どを、スタート地点のただただ虚しい仕掛けを突破するためだけに使うことになっても。自分が無力で無価値なものであると思い知らされても。死んだ方がマシな、いや実際に天に届くまで自分の死体がうず高く積み上がるほど死んでも。
蘇るたびに仲間との旅を思い出し、虚しい仕掛けを突破したこともあるのだと自分を勇気づけた。
彼は諦めなかった。常に与えられ続けてきた勇者の人生の中で唯一それだけは、誰かに、何かに与えられたわけではなかったのだ。
間違いなく、彼自信の内にあるもの。
どれだけ惨めでも、どれだけ苦しくでも、どれだけ先が見えなくとも、どれだけ無力でも、どれだけ救えなくても、どれだけ自身の望まない事ばかり与えられても。
それでも――それでも誰かのために。
その気持ちこそがレクカインの本質だった。
蒼い星が落ちる。その力強く、けれど温かな輝きを見てヴァリスは苦笑した。
何が勇者として相応しくない、だ。これ以上に誰かに希望を与える光なんてあるもんか。
そう、思いながら。
レクカインは静かに、だが確かに高揚していた。神殺しに?いいや、この冒険の結末にだ。
最期の冒険は、たった一週間程度の思い出だ。それでもかつての仲間達との思い出に勝るとも劣らないほど楽しかった冒険のフィナーレを、自分が飾れることが嬉しくて仕方ない。
人は自分を勇者と呼ぶ。英雄と呼ぶ。だがそんな大した人間じゃない。ただただ、童心を忘れられない子供だ。結局最期まで自分は、大人らしく割り切れなかっただけなのだ。
全ての人間を救いたい。
笑顔に満ちた世界にしたい。
人の希望であり続けたい。
そんな、幼子が見る夢を諦めきれなかっただけの子供。無理だと知りつつ、思い知らされつつも、それでもと足掻き続けただけのガキ。一縷の希望を見て、諦めきれなかった愚者なんだ。
それでも。例えそれが、スキルによって生み出された感情でも構わない。今この時ばかりは、子供で、ガキで、愚者で良かったと心から思う。
レクカインは魔剣の刀身を下に向けた。頭上の巨大な眼が何であるのか気にならないわけではなかったが、少なくとも敵意が無いことが分かればそれで良かった。
勇者は、エイラメインが神の化身の雌しべに残した小さな傷跡を見つけて、即座にその意図を読み取った。
魔力全てを魔剣に捧げる。"生くるダンジョン"から解き放たれた勇者の多大なる魔力に、魔剣が悲鳴を上げた。だが構わず、魔力をこれでもかと喰らわせる。かつて魔王から半ば強制的に受け取らされた人間にはない臓器。魔力を生み出し続ける魔王の核臓が、空っぽになるまで。
「これで終わりだぁぁぁあああ!!<<蒼炎希星>>!!」
蒼き流星のように。
空に瞬く一条の星が化身の雌しべに付いた僅かな傷に突き刺さり、そのまま散り際の花のような姿の化身の核を一息に打ち砕いた。
どうしても切りたかったので、ちょっと短めになってしまいました。




