20."生くるダンジョン"―輪廻神イグルマルグイ―
<<転送門>>から飛び出たレインは、かの前に見える巨大な蛇を睨みつけた。しかし直ぐにその瞳孔が開く。彼がかつて放った渾身の一撃。その傷跡が未だなお、その蛇が抱える"生くるダンジョン"の核に残っているのを見て取ったのだ。
どういうことだ?レインは瞬間首を傾げたが、彼が武器を構える速さはその動きを感じさせなかった。
「えぇ!?あれがダンジョンのボスですかぁ?」
だがレインの疑問はパーティー全体の疑問だった。ダンジョンの守護者たるボスとしての威圧感が、その蛇にはない。体を覆う鱗も、口から伸びる長い舌も、獲物を穿つ二本の牙も、全てが疲れ果てたように色褪せ朽ちている。
「そのはずだけど……様子がおかしい。皆、用心してくれ」
レインとヴァリスが左右二手に分かれて蛇の抱えるオーブへと向かう。それに反応し、大蛇が口を開いた。その巨大な口内から、黒い霧が勢いよく吐き出される。
「むむっ!させませんよ!<<浄化の光>>!」
エイラメインに護衛されたサミアーナが、聖杖を蛇へと向ける。二重の光の円が杖から弾けると、淡い光がその先端から漏れ出してこの場を満たし、黒い霧を打ち払っていく。
簡単に浄化された大蛇の猛毒の吐息を見て、レインはより確信へと至る。猛毒と邪眼と大魔法によって自分を追い詰め殺した、あの大蛇とは違う。
まるで、脱皮前の弱っている蛇のような。
だが、迷っている暇はない。動きは鈍いとはいえ、その巨体だけでも強大な武器となるのだ。僅かな油断が命取りになる。
レインとヴァリスが、蛇が守るダンジョンの赤紫の核に向かって飛び上がったのはほぼ同時だった。大蛇はその眼光をレインに向け、しかしすぐに爬虫類のおどろおどろしい瞳を何もない天井へ向ける。
無抵抗だった。かくあるべし、と覚悟しているような佇まい。レインの魔剣とヴァリスの拳が、手応えの感じない核を捉えて粉砕する。
だが。
その先にあったのは新たなオーブ。心臓の鼓動のように激しく胎動する赤と紫の光彩。しかしそれは蛇の体から零れ落ち、ダンジョンの床に落ちるとその中へと消えて行った。
「な、なんだ、今のは!?」
想定外の出来事に、レインはそう言葉にしなければいけなかった。同じくヴァリスも、全身を襲う緊張を受けて地を凝視する。
何かが起こる。その予感は四人共通のものだった。彼らは無言で集結し、その来たるべき時を待つ。
しかし、何も起きない。倒れた大蛇が光の粒になって消え、豪華な宝箱を落としたのみだ。けれど、誰もその宝箱には近寄らない。サミアーナでさえ、冷や汗を掻きながら四方を警戒している。
「…………どう思う?」
剣を構えたまま、レインが他の三人に意見を求めた。だが、建設的な意見が出来るものなどいない。"生くるダンジョン"の核が磨かれた床に落ち消えた。それだけだ。
大蛇の後続が現れるわけでも、ダンジョン内に異変があったわけでもない。むしろなさすぎる。どこまでも続く静寂は、その空気を吸うものの胃を痛めつけるような不穏さを持っていた。
「開けるか」
意を決してヴァリスが言った。何かが起こるとして、その鍵はあの今までのものより豪勢な宝箱だろう。
獲物を持ち構える蜜のように玉体を晒す一つの箱。
「俺が開けるよ」
レインは他の三人の意志を目くばせで確認し、その宝箱に近づいた。
鍵の掛かっていない、幾つもの大きな宝石があしらわれたアーチ形の蓋。それに手を伸ばし、彼は一息に開けた。
待っていたと主張するように箱から溢れ出す神々しい光。天井まで美しき光を届かせる極大の魔石がまずレインの視線を奪い、次にその横にある青白い刀身が彼の興味を迎えた。
「何も……起きませんね」
そう言ってサミアーナが宝箱へ駆け寄り、魔石を右手に握った聖杖に触れさせた。溶けるように魔石が消えて行き、代わりに聖杖の周りに魔力を凝縮した球体が浮かび上がる。
全部で九つ。聖杖が百年以上魔力を自動貯蓄して七つだったことを考えると、ダンジョンの魔石は破格の効率と言えるだろう。
問題は九つで全員に"肉体再生"の奇蹟を行使できるかと言うことだが、その心配は必要なかった。
レインが青く揺らぐ柄を持った剣を手にした時、四人が立っていた床全体が<<転送門>>となったのだ。
彼ら四人の姿は"生くるダンジョン"内から消失する。代わりに地に沈んだはずのダンジョンの核が浮かび上がり、激しく脈動し、そして咲くように割れて途方もない魔力をダンジョン全体へと行き渡らせた。
誰もが、涙していた。
例外はいない。シェダリス三世も、王国密偵長のフォンベルンも、祝聖聖騎士のNO.3であるカーリヤも、王国軍も、聖魔術師たちも滂沱の涙を流し、自然と敬服の姿勢をとった。
"生くるダンジョン"内に三人が消え、同時に機械的な魔物が消失してからおおよそ一週間。何が起きても対応できるように準備を行ってきた。
だが。だがあれの前には全てが等しく無価値だ。直視すれば目が潰れかねない眩い光。五感全てを貫き、そして置き去りにする存在感。
上位存在。
"生くるダンジョン"を依代として降臨したそれは、あくまで化身ではあったものの、遍く大地を神の権能で満たした。
途端に、一人一人と倒れていく。輪廻神によって生を受けた者には逃れられない。それはすなわち、この世界に生きるほぼすべての存在がどこに居ようと、どれだけ強力な力を持っていようと同時に気絶し、地に伏した瞬間だった。もし仮に、輪廻神おん自ら顕現していれば、地に伏した全員が違う生き物に変えられていただろう。
逃れられたのはたった一握り。
神器に選ばれた者。
スキルによって権能の効果に対抗出来た者。
――輪廻神イグルマルグイに生み出されなかったもの。
<<転送門>>によってダンジョンから脱出したヴァリスは、天を見上げた。そこに咲き誇るは艶やかな桃色の花。目にするだけで極上の甘味を思わせるその色合いを見て、彼は舌打ちをした。あんなに美しいのに、同時に毒々しい敵意を持つものがあるだろうか。
「――――っ……ヴァリス君、君は大丈夫かい?」
スキル『絶対勝利のやり直し』によって生き返ったレインが、隣に立つ男に問いかけた。流石に危機に慣れた勇者の判断は早かった。神の権能を受けた直後に彼は、自らの得物を胸に刺したのだ。
「俺はなんともないが……あれは、どうにかなるもんなのか?」
「なりますよ」
神器聖杖ミュライアを手に携えた聖女が男二人に近寄り、そう言い切る。
「あれはあくまでイグルマルグイ神の化身です。さらにその権能は、精神攻撃に偏っています。攻撃能力、防御能力はほとんどないはずです」
聖女がそう言った途端、天に咲く花から何かが零れ落ちてきた。
"生くるダンジョン"が魔物を生み出す際に落とす黒い雫が、地に降り注ぐ。幸いにして、"生くるダンジョン"の時ほど数は多くない。だが、完全に無視できるほどでもない。
「……前言撤回します。攻撃手段、ありますね。どうしましょう、これ。援軍なんていませんし、私たち三人だけじゃあどうにもなりませんよぉ!……エイラメインさん、何すやすや寝てるんですか!!」
サミアーナが、八つ当たりとばかりに地に伏せるエイラメインを杖でつついた。彼女の言う通り、状況は最悪だ。
王国軍はその全てが気絶し無力化されている。聖杖レバリス教国から派遣されてきた祝聖聖騎士も、聖魔術師も同じくだ。もはやこの世界の存在はほぼ援軍とならない。
「いや、援軍はいるよ」
だが、違う世界の存在ならば。
ヴァリスは己のスキルを確認した。"生くるダンジョン"内では使えなかった全ての能力が、使用可能になっている。
当然、切り札も。彼はそれを躊躇いなく切った。
「『百鬼夜行』!」
異形の軍団。人の世にまつろわぬ民たちの寄り合い。どこかに居て、いつの間にか消えて行った者たちの集い。ヴァリスの仲間たち。
――百鬼夜行。
淡い光の円がヴァリスを中心に広がって行く。一体、また一体と異形の姿が円の範囲から浮かび上がり、新興勢力のトップの周りには幾体もの妖怪と、『従属百鬼化』のよって百鬼夜行の一部となった魔物が現れる。
「凄い……これがヴァリス君の仲間たちなのか。って魔物も居るじゃん!」
自分の周りに出現するヴァリスの仲間を見渡しながら、レインは驚愕の声を上げ、サミアーナなどは言葉も出せずにあわあわしている。
「大将!間に合ったようで何よりです!拠点を打綿狸と絡新婦に預けて、こっちに向かっていたのが功を奏しました」
『百鬼夜行』によって現れた妖怪と魔物たちの中で、もっとも力を持つ存在である太三郎狸が嬉しそうに声を上げた。
「急に呼びだしてすまなかったな。さて、"生くるダンジョン"に備えて陣を張っていたみんなでも状況は分かっていないだろうが、俺たちがやることはただ一つだ!」
ヴァリスは向かって来る魔物の集団を指さして叫んだ。
「俺たちの敵を蹂躙する!奴らを大行列の中に飲み込むぞ!さぁ……『百鬼夜行』を始めよう!!」
妖怪と魔物の軍勢と、天に咲く神の化身から生み出された存在が、ぶつかりあった。




