5.龍瘴の森―介入―
ほぼ裸の屈強な男が、小柄な少女相手に土下座をしていた。美しい土下座だ。謝意が自然と全身から溢れ出すようであり、重い沈黙は彼の覚悟を充分に感じさせるものだった。
一方の小柄な少女はと言うと、非常に気まずい顔をしている。彼女は、自分と忍狸が町から待ち合わせの洞窟に戻る間に起こした騒動をまだ伝えてないのだ。
「本当に申し訳ない」
すでに二度目。子女郎が止めるのも聞かず、彼は謝罪を繰り返す。そんな謝罪より早く服を着てほしい、と訴えているのだが聞き入れる様子はない。
「そんなに裸で居たいのでありますか?」
「裸とは、つまり無防備と言うことだ。無力と言うことだ。これほど謝罪に適した状態はないだろう?」
なんて純粋無垢な眼差しだろう。男は裸であることが禊ぎの第一歩であると本気で信じているようだ。
「拳で魔物を血祭りにしている全身凶器が、白々しいでありますね」
呆れたように言う子女郎の小さな手が、土下座する男の頭をぺしりと叩いた。これで謝罪は終わり、と言いたいのだろう。
「……ごめんなさい。うん、じゃあ、服を着させてもらうとするか」
男は袖に手を通し、かなり無理をして服を着た。ともすれば弾け飛びそうなほどパンパンに服が膨らんでいる。ガタイの良い男の体に合った服を探すのは困難なのだ。
「激しく動かなければいけるな。本当にありがとうな」
「いえ……当然のことでありますよ。ただ、子女郎も、ちょっと、ご報告がぁ」
「?」
「ぼ、暴力反対であります!?」
「いやいや、俺もぺしりと叩くだけだから。ちょっとはたくだけだから。あ、こら、見た目を若くするな」
「主殿の、はたく、は死刑宣告と同義でありますよ!」
男は別に、町から脱出する際に起こした騒動を怒っているわけではない。そこまで子女郎にさせたのは全て自分の不甲斐によるものだ。ただ、泥棒役の少女に化けた忍狸と衛兵に化けた子女郎が、この洞窟に戻るまでに起こした悪戯の話は別だ。
「旅人の荷物の場所をこっそり入れ替えたり、寝ている人間の枕元に立ったり、随分楽しそうだなぁ?」
「はい!楽しかったでありま、あいたっ!」
ひまわりのような笑顔を浮かべた少女の後頭部に、ふんわりとしたチョップが突き刺さる。どうやら町から脱出してテンションがぶちあがった妖怪二匹は、その性がどうしても抑えきれなかったようだ。ちょっとした悪戯で済んでいるのはむしろ幸運なことだろう。
「やっぱ変化ってとんでもないな」
二匹から脱出についての一部始終聞いた男は、もうしわけないでありますよぉ……と謝る悪戯っ子に対してしみじみと言う。自分も使えれば、ギチギチの服を着ることもなかったし、子女郎に手間を掛けさせることもなかったのに、とため息をつく。
「まぁ、忍小狸の人間への変化は、性別はともかく少年少女の姿にしかなれないでありますし、何より喋れないのであります。なので使いどころは限られるのでありますよ」
その忍小狸は、三匹の鉄砲狸と何やら揉みあっていた。お前だけ楽しんでずるいぞ、とでも攻められているのかもしれない。
「それでも十分強力だと思うけどな……さて、そろそろ行こうか」
男は洞窟から出ようと立ち上がった。子女郎の話では、万が一ではあるが領主の手勢が森に送られてくるかもしれないとのことだ。早めの行動が肝心だろう。
「潜入できた時間が短かったので、間違いないと断言はできないでありますが、とりあえずある程度の地理は把握したのでありますよ。ここから離れてどこへ向かうかの参考にして頂きたいであります」
子女郎が語るには、彼女たちが潜入した町、ガルドオズムはシェグルダール王国と言う国の最南端に位置しているとのことだ。妖怪たちが沿って歩いた大きな川が丁度シェグルダール王国の南国境となっていて、国境からさらに南へ向かうとすぐに八都市連盟と言う勢力の、しばらく東側へ向かうと聖杖レバリス教国と言う国の勢力圏に入るらしい。
「北側は、巨大な山脈に阻まれるまでシェグルダール王国の領土が広がっていて、西、つまり子女郎たちが歩いているこの森の方角には何もないようであります。魔物が多数徘徊する危険地帯のようで、誰も開拓したがらないと聞いたでありますよ」
「なるほど……じゃあ、俺を召喚したのはシェグルダール王国の可能性が高いってことか」
「断定はできないでありますが、そうだと思うのであります」
召喚されてからずっと南下してきた男だが、山脈と呼べるほどの険しい地形を歩いた覚えはない。彼の南下がちゃんと南に向いて行われていればの話だが、シェグルダール王国が男を異世界転移させた可能性は高いだろう。
「あと、あの嫌な気配の森は、龍瘴の森と言われているらしいであります。何でも一説には、龍の骸が眠っているとのことでありますよ。資源が豊富に眠っているかもしれないのでありますが、外回り辺りはともかく奥の方は一流の冒険者でも立ち入れないようでありますよ」
「奥地は前人未踏かもしれないってわけか。ちょっと興味があるな」
「主殿が、ポイント、とやらを稼ぐにはいい場所かもしれないでありますね。子女郎はちょっと怖いので、あまり近付きたくないでありますが」
話していると、妖怪たちは再び大きな川にたどり着いた。人間が泳いで渡るには、かなり苦労する川幅だろう。荷物があるならなおさらだ。なんでも、子女郎たちが潜入していた町の近くに橋があり、そこが関所となっているようだ。
だが妖怪たちにはとっては、それほど苦労するものでもない。彼らの主は一息で川の半分まで跳躍し、少しばかり頭を出していた岩に着地すると、次の瞬間にはもう一飛びして渡り切っていた。
妖狸たちも泳ぎは得意なようで、川の流れがそれほど速くないこともあって、するすると泳ぎ切る。
「そうだ、俺も子女郎に報告しないといけないことがあるんだった」
水気を飛ばすために狸姿でブルブルと体を振っている子女郎に対し、男が言う。それは彼が人間に見つかった原因で、彼の少しおつむが足りない頭を悩ませているものだ。
「何でありますか?」
人間の姿になった妖狸が問う。真剣な雰囲気を感じ取っているようで、濡れた髪を気にすることなく、主を見つめた。
「この世界の冒険者っぽい奴の盾に、鬼の姿が描かれていたんだ」
「……鬼、ってあの鬼でありますか?」
「ああ、まさに鬼ってイメージの、二本の角に赤い肌、それに棍棒を持っていた姿だったよ」
「……似たような存在がいるのかもしれないであります。いや、流石にそこまでイメージ通りだと……なんだか気な臭い話でありますね。子女郎も武具店に入りましたが、そのような絵が描かれた装備は見かけなかったでありますよ」
それから男は、人間から途中まで聞いた龍神ヴァリヴァダスの話と、鬼がその従者として描かれているかもしれないと言う話を続けたところで、子女郎は憤ったように眉を顰める。
「鬼がこの世界の神の従者かもしれないでありますか?それはちょっと、許せない話でありますね」
そう言って主を見る。主は首を横に振った。
「大丈夫だ。俺も聞いたときはそう思ったが、あの人間の話が正しいとも限らないしな。まだまだ情報を集めないと」
子女郎の濡れた髪をくしゃくしゃと撫でる。少女は神妙な面持ちで頷くと、気を取り戻したように切り出した。
「それで主殿、どうするでありますか?ガルドオズムで噂になってはいますが、主殿の容姿については曖昧な感じで伝わっていたであります。服を着ている今なら、街道を歩いて、南や東へ向かっても問題ないかもしれないでありますよ?」
子女郎らしくない意見だ。主は疑問に思う。抗えぬ妖怪の性で町の門番を騙し、洞窟への戻る途中で悪戯を行ったものの、本来彼女は慎重な性格だ。せめて町から距離をとるまでは龍瘴の森を進もう、と提案すると思ったのだが。
「そんなにこの森へ入りたく、いや、もう入っているから……歩きたくないのか?」
子女郎は円らな眼を潤ませて哀願する。
「だって、幽霊が出るかもしれないでありますよぉ。安全な街道を進みたいのであります」
「妖怪が何言ってんの」
確かに、おぞましい雰囲気が蔓延している森だ、と妖怪たちの主は思った。
陽の光はほとんど届いてこない。背の高い木々に生い茂る枝や葉が遮っているのだ。ひたすら視界に広がるのは太い木々と青い闇。とにかく陰鬱なこの光景が、ここの全てを物語っている。
どこからか鋭い唸り声がする。そんなことは、しょっちゅうだ。だが姿は見えない。時々何かの死体が転がっているが、原形をとどめて居ない。
しかし、これまで歩いてきた森と比較して何が一番違うかと言われると、それは立ち込める瘴気や強大な魔物の気配ではない。
これまで妖怪たちは一度も襲われていないのだ。まるで敵わないことを、この森の生物たちが見抜いているかのように。
「まぁ、服が破れないからありがたいんだが、暇だな」
男がぼやいた。忍狸を召喚して『百鬼夜行』のポイントは三桁となっている。これではランダム召喚(小)すら行えない。
「何を言っているのでありますか!平和とは、素晴らしいことでありますよ……あのぉ、そろそろ街道に向かわないのでありますか?」
「まだ進み始めて数時間と言ったところだしな。今日一日は、この森を進み続けようと思っている。悪いが、我慢してくれ」
「うぅ……了解であります」
未だに襲われていないのは、この主の力を恐れているからだろう。子女郎も、主を越える力も持った存在が感じ取れない限りは、しばらくこの森を突き進むことが、最善だと分かってはいる。古着にもまだ予備はあるし、もし襲われても最悪返り血は次の町を見つけてから何とかする方法を考えれば良い。
だがもし主が居なくなれば、間違いなく大挙として魔物が押し寄せてくる。鉄砲小狸三匹、忍小狸一匹、そして小女郎ではその全てを撃退できないそうにない。
妖怪、とはいっても動物の要素があるだけあって、子女郎と小狸たちは獲物を狙うハンターの気配に敏感だった。身を寄せ合って、辺りをきょろきょろ眺め回している。
「そうだ、聞きたかったんだが子女郎。もし潜入した町を万全に調査するなら、どれくらいの妖狸が必要になると思う?」
子女郎の気を紛らわせようと、男が話題を振る。子女郎は、やはり、落ち着きなく顔を左右に動かしながら答えた。
「町の規模と日数にもよると思うのでありますが……この前潜入した町を基準に考えますと、忍小狸十匹、忍中狸四匹に、子女郎と同じような話せて諜報を得意とする妖狸が三匹ほど居れば、二、三週間程度で生産能力や流通、軍事力、町の変遷、政治傾向、機密事項などなどの調査が完了すると思うのであります」
「え、本当に?凄いな、忍狸軍団」
「まぁ、忍狸は隠密や幻術に優れていて情報取集、扇動などは得意でありますが、戦闘能力はほぼ皆無でありますから……その情報を生かして町を攻めるには、鉄砲狸や侍狸、盾狸、軍楽狸といった戦闘方面で優れた妖狸と、指揮を行える位の高い大物狸が必要になるのであります」
「町を攻める、ねぇ」
あまりしっくりこないのか、微妙なニュアンスを伺わせて男は呟いた。それはあまり自分にとって利益になるとは思えない。暴虐の限りを尽くし、略奪を行っても後に残るのは荒廃だ。それは刹那的な生き方で、かつてはそれでいいと思っていたが、今は少し違う。
まぁそもそも、現状は僅か五匹の妖狸しか居ないのだが。
まだるっこしいな、と男の思考を遮る声が心の内から聞こえてきたが、彼はそれを無視した。
「別に子女郎は、戦いたいとは思っていないでありますよ。人間たちを驚かせたくはありますが!」
龍瘴の森に入ってから初めて子女郎が笑った。毒気を抜かれる笑みだ。つられて、男もふっ、と笑った。
「驚かせるか。それもいいかもな」
「もうすでに主殿は、裸で人間を驚かせたのでありますよ?」
「そんな変態的な方向での驚かせ方は望んじゃいないんだよなぁ……」
一応裸が変態的であることは分かっていたのか、と子女郎は驚愕の表情を見せた。ちなみに狸たちも驚いてか、口をあんぐり開いている。
「なんで俺が露出狂みたいに思われてんの?それに裸が問題って言うなら、狸たちも、変化で服を着ているように見せている子女郎だって実質……あ、本当にごめんなさい。今のは最低でした」
白い目で見られて、最低野郎は深々と頭を下げた。
「子女郎は狸なので、裸だどうだと言われても気にならないのでありますが、絶対に女性にそのようなことを言ってはいけないのでありますよ。あと、子女郎は主殿と違って、裸の姿を見せつける趣味はないのであります」
「俺もないよ!」
倫理に真っ向から反したくだらない話に、狸たちも肩の力が抜けてきたのか足取りが多少軽くなっている。子女郎の言う通り、このまま何事もなく進めれば、それはそれで良いのかもしれないな、とこの森に似つかわしくないゆるりとしたことを男が考えていたその時だった。
キィィン、と何か甲高い音が小さく響いた。魔物の唸り声ではない。もっと何か、金属が衝撃を受けて発した金切り声のような。
「……子女郎でも聞こえたのであります。どうするのでありますか、主殿?」
子女郎と目が合う。いざとなれば、彼女は頼もしい。先ほどまでの怯えなど欠片も見せずに主の判断を窺ってくる。
「音は東側からだったな。ちょっと遠巻きに様子を見に行くか」
出来るだけ自分の強大な気配を抑えるように努めながら、主が提案した。
「了解であります」
音のした方向へ進んでいくと、今度は先ほどよりはっきりと大きな金属音がする。男の耳には、何かが争っている声も聞こえていた。東側、つまり街道に近づくということなのだから、金属音と言葉、そして荒々しい唸り声を聞けば、それが何と何の争いであるのか察しはつくものだ。
妖怪の身体能力と言えど、かなりの密度で木が生い茂るこの森ではそれなりに近づかないと確認ができない。妖怪たちが、音の発生源の正体を捕捉したのは、そこからそう遠くないところであった。
「人間とあれは……犬神!?いや、違うか。犬より狼っぽい顔つきの二足歩行の魔物が争っているな」
四人の人間たちが、陣形を保ちながら二足歩行の魔物三体を相手に押していた。魔物たちが手に持つ大きな木の棒は不可視の何かによって阻まれ、盾と剣を持った戦士らしき男に全く届いていない。魔物のうち二体はすでに戦士が付けたのであろう刀傷によって血を流しており、かなりの量が地面を紅く濡らしている。
「みたいでありますね。主殿、手を出すのでありますか?」
「……いや、ここで森の中からいきなり姿を現したら、不審に思われないか?」
「思われるとは思いますが、優勢とは言え助力に来た相手を無下にはしない可能性もあると思うのであります。子女郎たちは今、ちょっとした地理程度しか分かっていないのであります。上手く恩を売れば、有益な情報を得られるかもしれないのでありますよ。それに、もし敵意を向けてくるのならば……」
子女郎はその先を言わなかった。そこは主に委ねるということだろう。そもそも彼女は、この人間と魔物の交戦からさっさと遠のくべきだと考えていたのだが、主の言葉なき意思を感じて背中を押しているのだ。
「ありがとうな、子女郎」
何故主が彼らに手を貸そうと思ったのか、子女郎は分からない。ただ、主も自分も、中途半端だ、とは思う。合理的に行動するよう心掛けているのに、それを徹底できていない。とは言え逆に、それを徹底できるならば妖怪ではないのではないか、とも感じてしまう。
ああ、伝説や説話で語られるとおりに行動すれば良いのなら、こんなに迷わなくて済むのに。
子女郎は、何とも言えない感情がぐるぐる渦巻く胸中に嫌気がさして、そんなことを思った。
「流石に少女の姿は怪しすぎるので、子女郎は狸の姿に戻って様子を伺うのであります」
「ああ、じゃあ、行ってくるよ。子女郎も、子女郎の思う通りに動いてくれ」
妖怪の主はそう言って交戦している四人と三体の前に颯爽と姿を現した。妖怪の主と子女郎が相談をしているうちに大勢は更に人間側の有利に傾いており、満身創痍で動きの鈍い魔物たちに責め苦をあたえるためか、人間たちは笑みを浮かべながら彼らを嬲っている。
男は、自らの姿を重ねている。嬲る人間、嬲られる魔物、そのどちらにも。だからこそ彼は、動かずにはいられなかった。




