10."生くるダンジョン"―突入前日―
「それじゃあ、ヴァリスの旦那。申し訳ないですが、戦場での後処理が大体終わったのでサロイザース軍は解散し、希望者だけここに残るようにします。サロイザースに戻って、色々やらなければならないことがあるので」
リーダスの言葉に、ヴァリスは神妙に頷いた。サロイザース側の大将であったオクト・ラズームは亡くなった。現在リーダスがオクトの代役を務めており、彼はサロイザースへ出来るだけ早く戻らなくてはならない状況にある。サロイザースの住民や、八都市連盟の諸都市の代表の動きによっては、彼が代理領主の座を引き継ぐことに問題が生じるかもしれないが、少なくともここにいるサロイザース軍の大多数は、リーダスを一時的な代理領主として認めているようだった。
「その……助けることが出来なくて悪かった。何かあったら龍瘴の森の太三郎狸に書状を送ってくれ。リーダスの力になるよう、俺も太三郎に頼んでおく」
「ありがとうございます……旦那、どれだけ強大な力を持っていても、助けられないものってのはあるんです。そんな顔しないで下さいよ」
あの時オクトの手を取ってなお、魔物の大群から逃げ出せる力が自分にあれば。リーダスの後悔は深かったが、それを見せないように彼はヴァリスを労わった。
「……ああ」
サロイザース軍はこうして解散したが、その内のほんの一部はヴァリスの指揮下に加わることを望んでいるようだった。彼らは皆、"生くるダンジョン"の騒動の中でヴァリスに命を救われた者たちだ。普段の龍瘴の森の主ならこれを大喜びで迎え入れただろうが、今の彼にはその余裕がない。
そんな新興勢力の主の元に、シェグルダール王国側からの伝令がやって来た。わざわざその役を買って出たエイラメイン親衛隊長は、妖怪と魔物から発せられる警戒の眼差しや唸り声を、いつも通りのフルプレート姿で受け流す。
「ヴァリス殿。シェグルダール王国は、八都市連盟の諸都市に"生くるダンジョン"を無力化するための越境の通達を終えました。一部の都市からは反発がありましたが、領内に"生くるダンジョン"を抱えることになったサロイザースからの了承は得られたため、これより越境し、第二波に備えて陣地を構築する予定です」
「分かった。ありがとう。俺たちの方も、どうするかそろそろ決めなきゃならないな……」
ヴァリスは礼を述べてそう返した。"生くるダンジョン"が龍瘴の森に拠点を構えるヴァリスの勢力の脅威となるかと言うと、実のところあまりそうではない。"生くるダンジョン"から拠点まではそれなりに距離がある。また、"生くるダンジョン"が生み出す魔物の数は驚異的だが、その平均的な強さは龍瘴の森の魔物には及ばない。拠点にたどり着くまでに龍瘴の魔物によって駆逐される可能性はそこそこ高い。経済的な面で言えば、シェグルダール王国と交易を行っていない現状、損失はそれほどでもない。
ユキヒメは、ガルドオズムとの戦争に対する交渉を今すぐに行わないだけでも最大限シェグルダール王国に譲歩している、と言っている。それもそうかもしれない。ヴァリスは一時そう納得したものの、心に残るしこりがこれまで方針の決定を避けていた。
「聞いてくれ。これ以上"生くるダンジョン"に関わる意味はあまりない。俺たちの拠点からは離れているし、人間が主に餌となるなら魔物や妖怪は積極的に狙われないかもしれない。だから……これ以上は俺のわがままだ。俺はどうしても"生くるダンジョン"が許せない。いきなり現れてシェグルダール王国との交渉を邪魔されたことも、俺の攻撃が全く通じなかったことも」
あえてオクトの事は言葉にせず、ヴァリスは続けた。
「俺はここに残って、シェグルダール王国に手を貸すつもりだ。だがさっきも言った通り、これは私怨だ。気の乗らないものを巻き込むつもりはない。だから俺たちもサロイザースと同じようにここで軍を解散する。当然、帰るからと言って咎めるわけでも、残るからと言って褒美があるわけでもない。それでも俺に協力してくれる者には、感謝でしか返せなくて申し訳なく思う」
ざわざわと魔物と妖怪たちが騒ぎ出す。どうすれば良いのか、迷っている者が多いようだ。魔物や妖怪は強い力を持った者も多いが、結局のところ軍人ではない。金で雇った傭兵や軍隊になら自分に従うようにと命令できるかもしれないが、ヴァリスは彼らを自分のわがままにまで付き合わせる気は無かった。
「申し訳ないが、打綿狸と絡新婦は帰る者を集めて拠点まで引率してくれ。くれぐれも衝突を起こさないように……頼む」
一体、また一体と魔物や妖怪たちが動き始める。ヴァリスは、それ程残る者はいないだろうなと考えていた。シェグルダール王国と協力すると言うことは、人間と協力することに等しい。それを快く思うものはそうはいないだろう。
果たして意外にも離脱者は出なかった。どうするか決めあぐねた者が多いのか、自身で意思決定を行える人間のような何かがまだ無いのか。
「みんな、ありがとう。ユキヒメ、残ってくれたものの指揮を頼んでいいか?」
「やはり、ダンジョン内に侵入されるつもりなのですね……承りました。しかし、シェグルダール王国がいつ主様を裏切るともしれません。王国に、主様の安全の保証をさせなければなりません」
ユキヒメは、何があろうとそれだけは譲らない、と言う意思を淡い瞳に宿らせてそう言った。
「道理である。ヴァリス殿に"生くるダンジョン"内部への侵入を打診したのは、このシェダリス三世なのだ。よって私には責任がある。どうだろう。ヴァリス殿が"生くるダンジョン"に侵入し帰還する間、私は単身でそちらの陣営に留まろう」
「……」
予測していたかのような返答に、ユキヒメは言葉が出なかった。つまり、王国の国王人質になると言っているのだ。魔物だらけの、異形だらけのヴァリス軍の中にたった一人で。
当然エイラメインや、王国騎士団長ザットルム伯爵が反対の声を上げた。しかしシェダリス三世は彼らを諫めて続ける。
「"生くるダンジョン"の攻略には、勇士が必要である。それも、万夫不当たる勇士が。恥じ入るばかりだが、私には戦士としての資質が微塵もない。此度の"生くるダンジョン"の出現に、我が身が成せることはこのくらいのものなのだ。私が不在の間の王国軍の指揮はザットルム伯爵が執るものとする。ああそうだ。勿論"生くるダンジョン"への侵入に対する謝礼には期待して頂きたい。ヴァリス殿。どうか、お願い申し上げる」
そもそもヴァリスは、このシェグルダール王国の国王に頼まれなくとも"生くるダンジョン"に侵入するつもりだった。聖杖ミュライアとやらを使って侵入する人員にどうやって選ばれればよいのかと、悩んでいたくらいだったのだ。
「ああ。願ってもないことだ。あ、そうだ。うちの陣地に来るんだったら、この前話したオークの作った料理が味わえるな!」
「……お、お手柔らかに」
一瞬素を曝け出したシェダリス三世だったが、すぐに王に相応しい表情を取り戻した。その周囲では聞きなれないオーク料理と言う言葉に、どよめきが走っている。
そんな中を、王国の密偵長が駆け抜ける。彼はエイラメインに近付き、親衛隊長に耳打ちをした。
いつも通りのやり取りの後、エイラメインがシェダリス三世に報告する。
「陛下!聖杖レバリス教国より四度目の連絡がございました。聖女は早ければ今夜にも到着するとのことです。また二度目の連絡の際に報告のあった通り、祝聖聖騎士二名と聖魔術師隊二十名の合計二十三名での来訪予定です」
報告を受けてシェダリス三世は僅かに眉根を寄せた。そうすると、若いとも老けているとも見える不思議な顔立ちに、威厳のようなものが刻まる。
「(……やはり、早すぎる。レバリスの老獪な枢機卿どもは、ここまで話がすんなり通じる奴らだったか?これまでの外交からは考えられない態度だ)」
そう考えるのは、シェダリス三世だけではないだろう。シェグルダール王国と聖杖レバリス教国の関係は、友好的とは言えず、けれど敵対的でもない微妙なものだ。少なくとも、今回のように王国の要請をすんなりと受け入れてくれるほど良好なものではない。
とは言え、王国にとっては好ましい話なのだ。難癖をつけるわけにもいかない。
「ヴァリス殿。早ければ明日にでも"生くるダンジョン"に侵入することとなるであろう。そちらの陣営から侵入に参加させたい人材が居れば、今日中に知らせて頂きたい」
「ああ、分かった」
「それでは予定通り、これより越境を開始する。くれぐれも八都市連盟を刺激するような行動をとらぬよう、各部隊長は一層気を引き締めよ!明日、"生くるダンジョン"攻略隊の護送を務める者は休息し、英気を養う様に!」
シェダリス三世の言葉を受けて、シェグルダール王国軍が行動を開始する。ヴァリスは訓練され、統制されたその動きに感銘を受けながら、明日の"生くるダンジョン"攻略に思いを馳せるのだった。




