4.脱出
「ぶふぉ!」
ギャグのような擬音語と共に、子女郎の口からまかない料理が飛び出してくる。場所は食堂の従業員用休憩室、と言うにはかなり狭い小部屋。可哀そうな薄幸の美少女を装って上手く食堂の従業員として雇われた彼女は、そこで客たちの噂話に聞き耳を立てながら食事をしていた。
そこに、頭のおかしな裸の男が危険地帯の森を縄張りにしているらしい、と言う噂が聞こえてくれば、子女郎の気管が食物を外へと送り返してしまうのも、当然のことだった。
「(何を面白そうな、いやいや、とんでもないことをしでかしているのでありますか、主殿!?)」
森で過ごす裸の男には心当たりしかない。それにしてもその心当たりの能力を考えれば、人間に見つかるなんてまずあり得ないことなのだが。
「ロコージちゃん、大丈夫?お水持ってきたよ」
もう一人の従業員であり、二十代前半と思わしき先輩が子女郎の吹き出した音を心配して即座にやってくる。昨日店長やコックと一緒に子女郎の悲壮に満ちた身の上話(嘘)を聞かされて涙を浮かべていた、心優しき女性だ。
子女郎、もといその偽名であるロコージは、薄く涙目を浮かべてごまかした。
「こんなにおいしい食べ物を口にするのは初めてだったので、急いで食べすぎちゃったみたいです……これ全部、本当に食べてもいいんですよね?」
「ロコージちゃん……」
ちなみにあまり美味しくはないが、それは狸の舌だからと言うことにしておこう。とにかくわざわざ口にしたいわけではないのだが、人間に化けている以上、それに合わせなければならない。
「ど、どうしたんですかお姉さん。なんで泣いているんですか?私、何か悪いことをしてしまったんでしょうか?」
「いいえ。あなたは何も悪くないわ。いっぱい食べて頂戴ね?」
「はい!ありがとうございます」
昨日、城門を潜り抜けた子女郎はその全貌を把握するためにほぼ一日かけて歩き回った。領主の館らしき大きな建物は実に立派なもので、その配下であろう兵隊の装備は見せかけではなく非常に立派に見えた。
城門から城門へと続く石畳で舗装された一本道の周辺は商業地区らしく、商店やら飲食店やらで埋め尽くされていて、非常に賑わっている。この食堂も、その内の一つだ。
だがその一本道から遠ざかれば遠ざかるほど、生活の質が下がり、全体的に粗末になっていく。もっとも、粗末と言ってもスラムの様になったりはしていないし、街道から離れれば離れるほどうらびれていくのはきっと当たり前のことだろう。
子女郎の身の上話に先輩が涙したのも、この町ではそのような年若き人間があまりいないからかもしれない。幻術と容姿に依るところの方が、大きくはあるのだろうが。
「(ただ、ここの兵隊の武装の質は気になるでありますね)」
子女郎は武器防具についてに詳しい訳ではない。調査のために訪れた武具店では、異世界の法則を用いていると思われる仕組みの分からない装備がたくさんあった。ただ彼女は、自分にとって脅威であるかを勘で感じられる。その目線で見ると、この町の兵士は脅威と言って差し支えない。
食事を終え、情報収取の一環としてしばらく働いていた子女郎だったが、思ったより事態が深刻であることを思い知らされる。
裸の不審者の噂は、今この町で最もホットな話題の様だ。三つの目と巨大な牙を持った全裸の化け物だとか、顔も足も手もないのに全裸の体で迫ってくる化け物だとか、容姿に関するバリュエーションは豊富にあるが、恐るべき力を持った変な全裸と森で出くわしたということだけは一貫している。
「あのジェイバム伯も、こんな大事になってるんだから流石に兵を送るんじゃねーの?」
「何言ってんだよ。こんな荒唐無稽な噂、普通信じられるか?仮にそんな魔物が居たとしても、森を縄張りにしてるんなら刺激しに行く必要はないだろ。大体、どこの領主が噂になってるからって真偽不明の魔物を狩るために兵を動員するんだよ。あるとしても、五星級の冒険者を向かわせるぐらいだろ」
「どうだろうなぁ。何せジェイバム伯は今、自分の手勢の練度を確かめたいと思っているだろうしな。お前も聞いただろ?近々、八都市連盟のサロイザースと事を構えるつもりだって」
「それはかなり前から言われている与太話じゃねーか」
こんな内容の会話が、そこかしこで行われているのだ。子女郎は情報収集を切り上げて、早めに主の元へ戻ることにした。あり得ない、と言う論調が大多数だ。また、規模にもよるだろうが兵の動員が数日で完了するとは思えない。だが、ここは異世界だ。すぐに派兵されることも考慮に入れて行動すべきだろう。
「(お姉さん、料理人さん、店長さん、感謝であります。いつか、お返しにくるであります)」
パッチワークに使っても良い、と店長が渡してくれた男物の古着を持ち、子女郎は隙を見て店の裏口からそっと外に出た。そろそろ日が暮れ始めることだ。日が落ちると城門が閉められるため、何とかしてそれまでに町から出なければならない。
だが、町に侵入したときと同じ方法を使うには古着が邪魔だ。店長からせっかく貰ったものだが、何も方法を思いつけなければ最悪手放すしかない。
もう二、三日あれば通行証を調達できたかもしれないのに、と彼女は唇を軽く噛み締めたその時。
「わぷっ!」
路地裏で悩んでいた少女の頭上から、小さな一つの影が飛び込んできて彼女の顔面に張り付いた。生暖かな何かで、形の良いつるつるとした額をペロリと舐められる感触がする。それが親愛を示す動作であることに、子女郎はすぐに気が付いた。
「ちょっと、今は潜入中であります!驚かさないでほしいでありますよ、忍狸!」
くるりと回転しながら、小さな影の正体、忍小狸が地面に着地をして手を軽く上にあげた。名前の通り、主に偵察、諜報、工作などに長けた狸だ。子女郎にとっては、鉄砲狸よりも近しい、直属の部下のような存在だろう。
「もしかして、主殿からの援軍でありますか?何々……ついでに大変申し訳ありませんでした、と伝えてくれと言われた、と。全くでありますよ」
ちょっぴり頬を膨らませながら軽く文句を言う。人間に発見された経緯は、本人の口から聞かなければ分からない。仕方のない状況だったのかもしれない。けれど結果としてこの町を賑わせる風聞となっているのだ。いや、もしかするとそれだけでは済まず、主を召喚した者の耳に入るかもしれない。その噂と逃げた転移者を確実に結びつけるものはないが、所在を把握する一因となる可能性はあるだろう。
だがとにかく、頼もしい援軍が来たのだ。忍狸の助力があれば、古着を持ったまま抜け出せるかもしれない。
「町に侵入する際、門番には見つからなかったのでありますよね?」
ぽん、と白いお腹を軽く叩いて完璧な潜入を主張する。どうやら忍狸は一晩かけて水路を調べ上げ、そこから潜入を成し遂げたようだった。
だが潜入場所は、服を持って出入りできるような広さではないという。狸の小さな体で無理やり通ってきたようだ。
「この上は、ちょっと騒ぎになることを覚悟するでありますよ……主殿の事を悪く言えないでありますね」
忍狸が小首を傾げる。なぜ危険を冒してまでその服を持っていく必要があるのか、不思議に思っているようだ。
実にもっともなことだ。そのほつれの目立つ衣服たちを置いていけば、水路から安全に脱出できるのだから。
「子女郎も分かっているでありますよ。でも服があれば、主殿が今回のような事態を起こさずに済んだかもしれないのであります」
仔細は分からないが服を着ていても同じような事態になったのではないか、と思わないでもないのだが、子女郎はそう訴えた。
そしてもう一つ。これは子女郎が子女郎である所以だろう。この衣服は、幻術による好意の誘導や、偽りの不幸な身の上がもたらしたものなのだろう。だが、欺瞞だと分かりつつも受けた恩をどこかに捨てることなど彼女には出来難かった。かつて受けた恩を黄金の茶釜に化けて返した時のように、この恩を受け取っていつか必ず返さなければならない。
勿論、どうしたって手段のない場合は子女郎も諦めていただろう。だが今は、忍狸が居る。
「妖狸は妖狸らしく、隙を見計らって人を騙しに行くのでありますよ」
忍狸は意外に素直に頷いた。この小さな狸も、それを求めていたのかもしれない。
夕方は、朝の開門時と昼時に次いで町への受け入れが多い時間帯だろう。暗い平原で野宿をするよりかは、少し無理をしてでも町の中へ入ってしまいたい旅人や行商人などが駆け込んでくることがあるからだ。だからまさにこの時間帯、門番たちは忙しなく働いていた。二人から三人に増員されることもあるのだが、大量の商品を抱えた商人が来た時などは手が回らなくなることすらある。門番たちにとっては可哀そうなことだが、非常に通行量の多い町らしい贅沢な悩みかもしれない。
幸いなことに本日は、手が回らなくなるような場面はなかった。だがそれもここまでの様だ。八都市連盟の一つ、商業都市エンセームに本拠を置く大商会、メイラハク商会の、龍と秤を組み合わせた屋号紋の描かれた馬車が数台接近して来るのを確認し、門番たちは内心で辟易してしまう。彼らがこの町を通るのは地理上仕方のないことなのだが、商品の種類も量も桁違いなのだ。唯一の救いは、この町の領主であるジェイバム伯にとって大口の相手であり、そのためか非常に簡単な、形だけの検閲で済むことだ。だがそれでも、ある程度の時間が掛かってしまう。
形式がそれなりに大事とは言え、いっそ素通りしてくれたほうがありがたいんだが、と思いながら御者の差し出した商品目録を門番の一人が受け取ったその時だった。
「この泥棒め!こらっ、待てぇ!」
甲高い女性の怒鳴り声が響くとともにメイラハク商会の馬車の横を、何かを抱えた一人の少女が走り去っていく。非常に機敏な動きだ。門番たちも、メイラハク商会を護衛する大勢の傭兵たちも、一瞬のことにしばし唖然として見送ってしまう。しかしそこはさしもの門番や傭兵たち、何者かが叫んだ"泥棒"との言葉にすぐさま状況を把握して、その中の一部が追いかけようと少女の逃げた方向へ体を向けた。
そこへ、先ほどの声の主であろう衛兵がやってくる。門番と同じ武装を纏ったその小柄な衛兵は、メイラハク商会の前で何をやっているんだ、と目を剥く門番とメイラハク商会の一同に息を切らせながら告げる。
「皆様、ご迷惑をおかけして大変申し訳ありません!必ず捕まえて見せますので、どうかお気に為さらずに」
門番の一人が、早く捕えてこい、とばかりに少女の逃げた方角へ少し顔を動かすと、小柄な衛兵は飛ぶように少女を追いかけていった。
やがて逃げる少女と追いかける衛兵の姿は城壁によって遮られ、城門で立ち止まる人々からは確認できなくなる。
結局この場の全員が、彼女たちの姿が見えなくなるまで視線で追っていた。が、やがて気を取り戻した門番三人は、メイラハク商会に対して深々と頭を下げて謝罪する。
「メイラハク商会の皆様、ご迷惑をおかけして申し訳ありません。あの衛兵には今日中にでも暇を出しますので」
先頭から三番目の馬車の扉が開く。門番たちはびくりと身を震わせた。あの衛兵の首だけなら寛大な処置だろう。メイラハク商会の不興を買ったとなれば、この三人も衛兵と同じ目に遭うのは間違いない。
馬車から降りてきた女性、襟足辺りで金色の長髪を二つに束ねた端正な顔立ちの少女は、考えこむように左手を少々口元にあて、それから口を開いた。
口から出てきたのは、門番に対する叱責ではなく、疑問だ。
「この町で女性の衛兵を見かけたのは初めてです。ジェイバム伯もついに、宗旨変えなされたのでしょうか?」
門番たちが顔を見合わせ、みるみる青ざめる。三人とも虚をつかれて気が付かなかったのか、それとも気が付かないような何かがあったのか。少女の言う通り、この町の兵は全員男だ。前時代的なジェイバム伯が領主としての地位を受け継いでからこれまで、女性が兵士として雇われたことは一度もなかった。
慌てて門番は、正体不明の二人が走っていった方向へ駆け出す。だが、彼女たちの姿は見当たらない。やがて夜が来れば、探し出すことは一層困難になるだろう。
「どこかの勢力からの密偵?いや、あんなに酷く目立つ去り方はあり得ない……そもそも、この国に女性の兵士があまりいないことは一般的に知られているはずなのに、何故兵士に変装したのでしょうか……うん、これは時間の無駄ですね」
メイラハク商会の馬車から降りてきた少女は、再び馬車に乗り込んだ。
それにしても、と少女は思う。捕まえて見せる、と言っていたあの謎の女性の衛兵は、何とも屈託のない笑顔をしていたものだ、と。




