9."生くるダンジョン"―第一波―
その時、ヴァリスは会談場所のすぐ近くにいた。そこからはシェダリス三世の姿も見え、どちらも予定の時間より随分早く相手がこの場に来たことを意外に思っていた。
筋肉質な男がやって来たことに気が付いたシェグルダール王国の兵士たちの顔が、一斉にヴァリスへと抜けられる。奇異とも好奇とも怖れともとれる眼差しを受け、ヴァリスは見世物じゃないんだけどな、と少しささくれ立った気持ちになる。むしろ、シェダリス三世のすぐ傍に控えるフルプレート姿の親衛隊長と、王国側の警備の責任者のような男から注がれる、最大級の警戒の方が心地良くすらあった。
そしてそれは不意にやってきた。
ぞわり、とヴァリスの身に怖気が走る。本当に久々の底のない悪寒だ。死龍エグンシェムと対峙したときのような、心の臓に刃物を突きたてられたかのような恐怖。それが背後から漂ってきて、ヴァリスは素早く振り返る。
視界には、自身の鬼の姿よりも巨大な半円形の物体が写っていた。何と表現すれば良いのか、あまり学のない元大妖怪には分からない。だがそれが景観から明らかに浮いた異物であることは明白だった。周囲と調和、適応して自然と進化したようなものではなく、目的があって何かに用意されたかのような。
人工物、と言う表現がヴァリスの中で急に浮かび上がった。
「……主様、あの位置は……サロイザースの人間たちが野営を行っている場所の近くです……!」
「!!」
ユキヒメの言葉を聞くやいなや、ヴァリスは弾けるように飛び出した。自身の直感に応じ、すでにその肉体は鬼のそれへとなっている。
赤黒の体が瞬く間に巨大な半円形に迫りゆく。
今回の会談のもう一人の主役となるはずだったシェダリス三世の思考は、次々に起こった異様な事態を前に、しばし漂白されていた。
突然現れた巨大な何か。それ目掛けて突進する異形の巨体。
まさに、地獄さながらの光景。
だがシェグルダール王国の国王は、突如現れた巨大な半円形が何であるのか、嫌でも心当たりがあった。
勇者レクカインが最後に成した偉業の中で語られるものであり、彼のあまりに大きすぎる墓所。レバリス神の神器、聖杖ミュライアの力によってその内部に突入したラズリット王国初代国王レクカイン・ラズリットが核を破壊し、消滅したはずの神器。
輪廻神イグルマルグイの神器"生くるダンジョン"。
「――全員、あの物体の対岸に向かえ!!何があろうとあれから出てくる魔物を渡河させるな!!伝令はガルドオズムに、いや、付近の領主に至急救援を求めよ!サロイザース側に会談を中止することも伝えよ!後手に回ると、一帯がダンジョンに変えられるのだぞ!!急げ!!」
もはや会談どころではない。シェダリス三世は、会談がおじゃんにならないかな、などと思っていた自身を恥じた。
「エイラメイン!」
「はっ!」
「お前は無理のない範囲でヴァリス殿の援護に向かえ!」
「……よろしいのですか?」
いっその事、"生くるダンジョン"がヴァリスを始末してくれれば。そのような考えがエイラメインだけにあったとは言えない。国を治める者として、仮想敵の厄介なトップの排除を考えないものはいないだろう。
だがシェダリス三世は、心境的にも打算的にも彼に助力しないわけにはいかなかった。
「"生くるダンジョン"は生命力、魔力を糧にして周囲をダンジョンに変質させるのだ。その最も効率の良い餌は、人間だと言う記述もある。何より、人間の救助に向かった御仁に手を貸さない道理などないであろう」
「了解いたしました。このエイラメイン、王の剣としての役目を果たします」
エイラメインは王にそう誓うと、とてもフルプレートを装備しているとは思えない身軽さで、王国の兵士と、妖怪や魔物の混成軍の間を駆け抜けていった。
その姿をこの上なく待ち望むことになるとは。突然の大量の魔物の出現に逃げ惑うサロイザース軍は、赤黒い巨体が猛進して来る姿を認めて歓喜に震えた。
かつて、これほどまでに人間から肯定的に思われたことはあっただろうか。だが今のヴァリスにとってその肯定的な感情のありかなど、どうでも良かった。
薙ぐ、殴る、踏みつける。鬼の肉体は人間なら一対一では敵う望みの限りなく低い魔物でさえも容易く葬っていく。魔物が持つ牙や爪では、鬼は獲物になりえないのだ。
――それにしても数が多い。何よりこの魔物たちには本能が無かった。力のある相手を前にして、逃走をはかる魔物は意外にも少なくない。怯える魔物も、様子を窺う魔物も居る。生命を守るための反射的な行動、思考。それがこの魔物たちには見られない。ただ前進し、ただ目についたモノに食らいつく、どこか機械的な魔物たち。
「……くそっ!」
大妖怪とて一度に相手に出来る魔物の数には限りがある。氷の矛を握りしめ、地を凍結させて魔物の移動を妨害するが、その妨害が届かない距離にも魔物は存在する。それ程あの巨大な半円形から生まれた魔物の数が常軌を逸しているのだ。
逃した魔物の鋭い剛爪が、サロイザースの兵士に襲い掛かる。とても間に合わない。いや、間に合うわけにはいかないのだ。自分は今、大量の魔物を留めている。それが決壊すれば、より大きな被害が出るだろう。
すまない。ヴァリスの心中の謝罪に応えたのは、甲高い金属音だった。
「ヴァリス殿!助太刀……は必要なさそうですね。後方は任せて下さい!」
刃渡りの長い湾刀による一太刀を挨拶代わりに魔物の腕へと振り下ろし、切断する。そうしてフルプレート姿の戦士は、眼前で巨大な氷の矛を揮う妖怪に大声でそう告げた。
「あんたは!……ありがとう、恩に着る!」
「どうかお礼は我が王にお願い致します。私はただの剣ですので」
エイラメインはそう言って、何もない前方の空間に鋭い太刀筋を三度走らせた。同時に親衛隊長が持っていた武器の柄、そこに描かれている一、二、三を意味する文字が光った。
魔物が再びヴァリスの妨害を突破し、エイラメインに迫る。
「<<一撃解放>>!」
エイラメインが湾刀を回転させる。すると空間が裂けた。先ほどエイラメインの力強い太刀が空を切った場所だ。それによって抜けてきた魔物の一体が血飛沫を上げる。続けて飛び掛かって来た二体目の魔物に向かってむしろ飛び上がると、すれ違いざまに腹部を切り払った。
着地のために地に目を向ける。と、地面で待ち構えている魔物がいた。その姿を認めたエイラメインは、再び湾刀を手の中で滑らせた。
「<<二撃解放>>!」
位置が良かった。いや、それはエイラメインが誘導したからだ。哀れ魔物の首に見えない斬撃が襲い掛かり、赤の噴水が辺りをじっとりと濡らす。
瞬く間に数体の魔物を亡きものとした王国三剣の一人だったが、この状況は流石にまずいと感じていた。
魔物に際限がない。いや、あるのかもしれないが底が見えない。
この感触は久しぶりだな。一歩先で生と死が分かれる感触。エイラメインは甲冑の中でその表情を歓喜へと変えそうになったが、寸でのところで押し留まった。
「ヴァリス殿!"生くるダンジョン"はまず餌を狩る大量の魔物を生み出します!その正確な数は分かりませんが、一人で全ての相手を出来るものではありません!少しずつ後退し、あなた方の戦力と合流しましょう!」
「"生くるダンジョン"?あの大きな物体の事か!?っ……確かに、際限がないなっ!分かった!あんたの提案を―」
何だ?エイラメインは、血に染まった武器を握る自身の手が震え始めたことに気が付いた。
空が震える。いや、頭が震えているのだ。エイラメインはこれから何が起こるのかを直感で察し、素早く身を翻した。
後方では、ユキヒメの指揮によって、非常に簡易的ではあるが陣地が構築されており、大妖怪の攻撃から逃れた魔物たちは鉄砲狸の火砲や、スケイルアーマーを身に付けたコボルト、オーク、ゴブリンの集団によって一体、また一体と数を減らしていく。
シェグルダール王国領側では、河を渡ろうとする魔物の大群に、魔法の矢や投擲物が浴びせかけられていて、こちらも魔物に対し優位に戦局を進めているようだった。
そんな中、ヴァリスは周囲を薙ぎ払いながら前進していた。一撃一撃から感じるのは果てのない怒りだ。彼の見えすぎる視力は、二日前に約束を交わした男の、それがその男だと辛うじて分かるほど無残となった亡骸を見つけてしまっていた。
巨大な半円形を前に、振りかぶる。魔物に噛みつかれようが、爪を浴びせ掛けられようが気にならない。彼は聞くものの魂を震わせる慟哭と共に、巨大な腕を半円形の断面へと振り下ろした。
衝撃によって辺りの空気が激発する。ヴァリスに襲い掛かっていた魔物の体が遠くまで吹き飛ばされる。立ち上る土煙は大妖怪の姿を半分覆うまで大きなもので、誰もがその瞬間、ヴァリスへと目を向けていた。
続けざまに、二、三発。感情を吐露するように。例え王国の要衝エンゲルボーム城塞であろうと、城壁が吹き飛ぶであろう程の威力を持った拳が、"生くるダンジョン"を襲った。
だが。
「あれほどの威力であろうとやはり、攻撃は一切通じないのか。こうなればもう、レバリス教国に聖女の派遣を頼むしかないのかもしれないな」
エイラメインはヴァリスにも、"生くるダンジョン"にも驚きながら呟く。現れた物体に一切の攻撃が効かないことは、資料にも書かれていた。ヴァリスのあの一撃を以てしても無駄だとなると、やはり手段は一つしかない。
いや、人命を考慮しなければ"生くるダンジョン"を一時的に消失させられる方法はある。しかしそれは、敗北と同義だ。
「……それにしても」
エイラメインはヴァリスの大きく、隆起した背中を見て胸を撫で下ろしていた。暴走する危険性を見せられていると言うのに、何故なのだろう。
不思議に思いながら、湾刀をしまう。
その主君であるシェダリス三世は、魔物をほぼ掃討し終えてなお"生くるダンジョン"に拳をぶつけ続ける存在を見て、一つの決心をした。
「理由は分からぬが、異形になれる彼にもやはり、人間的なところがあるのだな……悲しい背中だ」
かくして"生くるダンジョン"が第一波として生み出した魔物は、そのほとんどが文字通り消失した。
しかしそれはあくまで先鋒を倒したと言うだけだ。文献によれば、第二波、第三波と続き、最後には一定の魔力、生命力を集め終わるまで止まらぬ魔物の大群が現れるとある。
止める術は、"生くるダンジョン"の内部に侵入しその核を砕くしかない。それが勇者レクカインにウデゥナス神が与えた最後の神託だった。
レクカインですら成し得なかったダンジョン攻略がいま、始まろうとしていた。




