4.サブルバーナ平野の戦い②
新羅は、自身の体の大切な何かが潰れる音を聞いた。
すぐさま本能的にスキルを発動させる。転生前は発揮される機会の無かった戦闘に対する天稟が、己が命を辛うじて守った。
「ぐぁっ……!っ……<<肉体超越>><<適応進化>>!」
スキル『適応超越』の力の一部を行使した彼は、潰された内臓や骨が今の自分にはそれほど必要ないものであることを感じていた。残された臓器が潰されたそれの機能を担い、砕けた骨の代わりに筋肉が複雑に伸びて硬化し、骨と骨を紡ぐ。粉々になった臓器や骨は、魔力を蓄積する器官へと変貌していく。道理を越えた身体の変化だが、何故か新羅はそれでも一命を取り留めていた。
まだ、武器を振るえる。
亀裂の入った刀を地に突き刺し、血を吐きながら立ち上がる。聳え立つ赤黒の巨体は少し驚いた様子を見せたが、それは新羅が優位に立ちうる隙ではなかった。
自分よりも遥かに長いリーチ。巨体に似合わない俊敏な動作。新羅はヴァリスに食らいつこうとしているが、それは死を賭して彼の足首に小指一本引っかけられるかどうか程度に過ぎない。
「な、何を呆けている!魔術兵!前進し、シンラを遠距離から援護せよ!あれだけ的がデカければ、多少狙いをつけずとも大魔法が当たるであろう!早く!同調詠唱の準備をせよ!」
ジェイバム伯の大声に、呆気に取られていた魔術兵たちは我にかえったようだった。続いて中央の歩兵が魔術兵たちの護衛のために再び前進を始める。だが彼らは、異形となった新興勢力の主の威容にすっかり縮み上がっている。その異形の意識を引き付けてくれている存在がいるから、辛うじて戦意を保てているのだ。
だが歩兵たちより前を行っていた騎兵たちなど更に悲惨だ。手懐けるのに苦労するほど気性の荒い軍用動物たちがすっかり怯え、進むことも退くことも出来ず戦場で立ち往生している。もしヴァリスが大地に刻みこんだ亀裂を越えていたら、鉄砲狸たちのいい的となっていただろう。
「(何が勇者レクカイン級の可能性だ!…………いや、シンラがどうと言う問題ではないのか!?あれが化け物すぎるのだ!本当にたった一人で、龍を屠ったのか!?そんな化け物が何故今まで龍瘴の森で大人しくしていたのだ!?私は何に……何に戦を仕掛けたのだ……?)」
異世界転移者の強靭な体が、ヴァリスの軽い一振りによって紙切れのように大空を舞う。相手にならない。武器を盾にして、肉体の両断を防いでいるだけで驚嘆に値すべきことだろう。
新羅はスキルを発動している間、常に自分自身を状況、環境に適応させ、一秒前の己を超越し続けている。最初は死の予感としてでしか察せられなかった化け物の横薙ぎが、今では僅かながら見えている。大地を破壊せしめんとする剛腕の一撃を、加速する思考と強化された脚力で躱す。化け物の分厚い皮膚を突き刺す剣捌きと威力は、最初に放った袈裟斬りとは比べ物にならない。十回近く死んでいるであろうほど損傷した身体部位は、もはや普通の人間にはないような機能を持った何かへと姿を変えている。
新羅は人が到達できる限界を越えた領域に到達していた。
だが、遠い。新羅を一番苛立たせているのは、この化け物が手を抜いていることだ。慈悲なのか、弄んでいるのか、それは彼にとってどうでもいいことだ。あるのは手加減されていると言う事実。自身の渾身の一撃が、薄皮一枚傷付けられないと言う屈辱。
少年はずっと、そのような怒りに突き動かされてきた。元の世界でも、この世界でも。
とあるダンジョンで手に入れた二刀のA級魔具"散華"と"瞋恚"が、今は逆に邪魔だった。その二振りはもう、圧倒的強敵を前に加速度的に超越し続けている新羅の肉体に置いて行かれている。
だから彼は壊れかけている武器を投げ捨てて拳を構えた。
新羅にとっては忌々しいことに、それに応えたつもりなのか、化け物も巨大な氷の矛を投げ捨てて彼と同じ構えを取った。
こっちは拳の方が強いからそれで戦わざるを得ないのに、赤黒の化け物、いや鬼は面白半分で拳を使うのだ。
「ふざけるなあぁぁっぁぁ!!」
絶叫。自分より強大なものに対する反抗心を顕にして、新羅の右足が地を砕いた。強敵との戦闘を糧に、一時的に『適応超越』を超越したスキルとなったそれが、勝利のために拳を鋼へと変化させる。念押しとばかりに、彼の意思を受けて殴打するために適応した肘から魔力が弾け、その拳を限界まで加速させた。
己の体重を全て乗せた右ストレートが、自分の体よりも大きな鬼の拳と交わる。この日一番の一撃。瞬間、頭上で何かが炸裂したような轟音を聞いて。
気が付くと新羅は雲を眺めていた。もはや指一つ動かせない。体は宙を弾丸のように滑り続ける。戦場が、遠く遠くに離れていく。
「くそがあぁぁぁああ!!!」
異世界の空に、転移者の怨嗟の声が響き渡った。
「……五十人もの魔術師が同調詠唱をした大魔法『極星の軌跡』ですら、傷一つ付けられんのか……」
傭兵団"白き木の瘤"の団長であるエイグレインは、愛用のモーニングスターを地に落とした。こんな武器が、何の役に立つと言うのだろう。ただの玩具だ。
ヴァリスと新羅の拳が交わる寸前、ガルドオズムの魔術兵五十人が編み上げた大魔法『極星の軌跡』がヴァリスに直撃した。一条の巨大な鈍色の光は、魔法への対策がされていない城壁なら、厚めのそれでも崩すことが出来るほどの威力を誇っている。その大魔法は、複数の魔術師が詠唱しても完了まで時間が掛かり、さらに軌道設定・修正に膨大な魔力を消費することから、基本的には動かない物体に対して使われるのだが、それが直撃してほんの少し後退し頭を振る程度で済んでいる存在を生物と呼んでよいのか、エイグレインには分からなかった。
鬼が、白眼を魔術兵に向ける。その存在の注意を今まで引いていた転移者は、空の彼方へと飛ばされた。生死は分からない。代わりに鬼のターゲットになった魔術兵たちは、鋭い殺気に中てられて次々に気を失っていく。
「ぐっ……退くぞ!撤退だ!急げ!」
一度も交戦することなく、エイグレインはそう部下たちに指示する。敵はあの赤黒の化け物だけではない。その後ろに、魔物たちや得体の知れない異形、そしてサロイザース軍がいるのだ。もし今、赤黒の化け物と共に突撃でもされれば総崩れは必至だろう。昨夜の騒動の渦中にいた士気の低い兵士の一部はもう、ジェイバム伯の指示に従わず逃走し始めているのだ。
「しっ、しかし。ガルドオズムからの指示は」
「指示と一緒に死にたいのならそうしろ!!」
副官の言葉を遮ってエイグレインは、ヴァリス・サロイザース軍に背を向けた。丁度その時、鬼が動き始める。一歩進んでは地を割り、また一歩進んで地を割る。追いつかれれば死。それは、ガルドオズム軍に対して最終決断を迫る遅々とした前進だ。
「ひっ、ひいぃぃぃ!逃げろ!あの化け物に殺されるぞ!!」
「走れぇぇ!撤退だ!あんなのどうしようもない!」
「死にたくない……死にたくない……あぁ、ああああぁぁ!!」
戦場は阿鼻叫喚の様相を呈していた。騎兵は軍用生物から降りて鎧を放り投げ、一目散に逃げ出していく。歩兵も、傭兵も、武器から手を離し潰走する。
ジェイバム伯は、少しずつ迫りくる化け物を前に撤退の指示を出すことも、破れかぶれに突撃を命じることも出来ずに放心状態となっていた。
四千もの兵を揃えた。この規模ならば、鎧袖一触だろうと高を括っていた。事前の情報で八都市連盟の援軍が来ないことは分かっていたし、龍瘴の森の勢力など異世界転移者が強いだけのちっぽけな戦力だと思っていた。
だが異世界転移者同士の戦いは、大人と赤子のそれだった。あの巨大な生物になることが、新興勢力の主のスキルなのだろうか。本当に、同じ異世界召喚で呼ばれた者同士なのだろうか。そのような、考えても意味のないことばかりが脳内を埋め尽くす。
そうだ。
ジェイバム伯は、もう一人の異世界転移者のことを思い出してその姿を探した。勝てなくとも、自分が逃げる時間くらいは稼げるかもしれない。そう期待し希望に縋ったが、日向コガネの姿はどこにもない。
自分の側を通り過ぎる兵士の悲鳴が聞こえ、ジェイバム伯はびくりと体を震わせる。たった数十分。数十分で威光に満ちた四千の軍は、悲鳴と怒声が飛び交う秩序なき敗軍となった。
あまりに現実離れした結末。
「ははは……あぁ、馬鹿げている。ヴァリヴァダス神よ、ウデゥナス神よ。あなた方は何をお求めなのですか。この地獄のような光景が、あなた方が望んでいたものなのですか!……違うと言うのなら、どうか奇蹟を見せて頂きたい……ああぁぁああ、ああああぁぁあ!!」
身に付けていた装飾品を力任せに剥がし、鎧を脱ぎ捨てる。サロイザースをその掌中に収めようとした伯爵がサブルバーナ平野で成せるのは、もはや意味なき悲鳴だけだった。
負ける者が居れば、勝つ者が居る。サロイザース軍の指揮官であるオクト・ラズームは、しかしこれを勝利と称して良いのだろうかと考えあぐねていた。
たった一つの暴力の権化が、四千の兵を潰走に追いやった。だがその暴力の権化がこちらに振り返ったとき、その手に持つ矛を向けてこないと断言できるだろうか。
残念ながらその保証はない。
とは言え、サロイザース側に被害が出ないよう一人で最前線を張ったことも、サロイザースの危機を救ってくれていることも事実なのだ。
確かなことは。と、そうオクトは考える。もはや老いたこの身には、刺激が強すぎると言うことだけだ。
サブルバーナ平野に敵の姿がほとんど見えなくなった頃、赤黒の化け物は前進を止め静止した。
サロイザースの人間たちが、固唾を飲んでその動きを目で追う。
化け物が振り返る。それは、その存在にとっては小走りで荒れ果てた平野を移動し、ヴァリスの軍勢とサロイザースの軍勢が待つ本陣まで戻って来た。それを恐れたのか、サロイザースの兵士たちが後退していく。
「何か凄い人間がいたな。あれが出水を襲ったって言う転移者なのか?」
体躯が縮む。人間の姿に戻った、と言って良いのだろうか。それともあの赤黒の異形こそ真実の姿なのか。オクトには分からない。
「いえ、あの人間の小娘を襲った存在なら、体の一部を魔物と変えたり、魔物自体を召喚してきたはずです。もう一人のほうかと」
「そうだったな。まぁ、これで勝利……って言って良いのか?」
「ガルドオズムの兵力はほとんどそのまま残っていますが、主様の威風堂々たる姿を目にして、再び剣を取る気概がある人間などそうはいないでしょう。そうですよね、オクト殿?」
ニコリ、と色素の薄い雪女が笑みを浮かべる。何も知らないものが見れば、脳が蕩けるような極上の笑顔だ。
「……全くです。そのように考えられるものなど、敵に……味方でさえも居ませんよ」
「流石はオクト殿ですね。とは言え、我々にガルドオズムを占領、維持、統治出来るほどの兵力はありません。手段を選ばなければそうではありませんが、それは主様のご意向に反します」
「あ、そうだヴァリスの旦那。聞きたかったんですけど、シェグルダール王国と事を構える気はあるんですか?」
ヴァリスが人間の姿となった後、サロイザース勢の中で最初に話しかけたのはリーダスだった。突然のその問いに、先ほどまで暴力の化身だった男は一つ唸ってから答える。
「今のところ、シェグルダール王国の指示だって情報はないしな。宣戦されたり、争いの落としどころがあまりに不平等だったり、証拠が見つかったなら戦うしかないと思うけど、俺としては積極的に争いたくはないな」
「なるほど。ありがとうございます。そこんところ気になってたんで」
「…………」
ユキヒメの突き刺すような視線がリーダスに向けられる。先ほどのリーダスの問いは、彼女を苛立たせるものだったのかもしれない。
「戦場の片付けとかもあるし、今日はここで一旦休むか。これからどうするかも話し合おう。オクト、それでいいか?」
「勿論です。異論はありません」
初老の代理領主が静かにそう言って頷くと、その様子にヴァリスは軽く頭を掻いた
会議の結果、ヴァリス・サロイザースの異種連合軍は、八都市連合とシェグルダール王国の国境であるホセナド川の関所まで進軍することになった。
それは地下深くで、ずっと傷が癒えるのを待っていた。勇者の一撃によって、二百年以上も機能不全に陥っていた神の道具は、遂に完全な修復を果たしたのだ。
自らに与えられた役割を果たさん。自分を生み出した神に与えられた使命によってそれは、ガルドオズム近辺の地下で怪しく胎動するのだった。
戦闘描写が非常に苦手な上、あまりにも戦力差があったため、想定より物凄く短くなってしまいました。上手く描写出来る方は本当に凄いと思います。こんな拙作ですが、よろしければお付き合い頂けましたら幸いです。




