3.潜入
「子女郎隊員、あれは城壁ではないかね!?」
「隊長、子女郎は隊長ほど視力はよくありませんが、街道があるのは分かるであります!つまり我々探検隊は、魔物の徘徊する森林を抜け、ついに文明社会にたどり着いたのでありますよ!」
二人はおかしなテンションでがっちりと握手する。子女郎などは業とらしい涙を零し、男はうんうんと首肯する。木々に隠れながら、彼らは人間の視力では確認の難しい数キロメートル先の城壁を改めて見る。朽ち果てているような様子はなく、街道はその城壁が囲っているのだろう町に向かって伸びている。人が行きかう姿も見られ、少なくとも情報収集が出来そうな規模だ。
「ついに、ついに、やり遂げたぞ子女郎隊員!では早速」
森林から抜け出し、平地へと歩を進めようとした男の腕が引っ張られる。それはとても残酷な宣言の前触れだった。
「隊長はダメでありますよ?」
「……異世界に転移してから久しぶりの文明との触れ合いなんだ。別に裸でも大丈夫だろ?」
何が大丈夫なんだ、と子女郎が頭を振る。男の姿はもはや上半身だけでなく、下半身も裸同然となっている。街道を歩く人々が差はあれど衣服を纏っていることからも分かる通り、裸でうろつくことが許されているような世界でないことは明白だった。
「隊長、事前に相談したでありますよ。情報収集して衣服を見繕ったらすぐに戻ってくるでありますから。見つからないように、あの洞窟に隠れていてくださいであります」
「じゃあ俺はもう全裸隊長を止める!これからは普通の化け物に戻りたいんです!」
「もっと表を歩けないのでありますよ」
「むむむ」
川に沿って歩き始めてから二日。転移してからはそろそろ二十日が経とうとしている。森の中で過ごし続けることに飽きてきているのもそうだが、異世界に転移したからにはその文化や様式を見てみたいと思うのは当然の欲求かもしれない。未知の世界、と言うものはいつだって魅力的なものだ。
と言っても男とて今姿を晒すことの危険性は重々承知している。だからこの子供じみた問答は、逸る思いを自分の中で茶化すためのものだった。
「それじゃあ、行ってくるのでありますよ」
子女郎の容姿と衣服はすでに、街道を歩く人間を参考にしたものへと変わっていた。今までより少し大人びた容貌に、こげ茶色のチュニックと灰色のキュロットを基本として、いかにも旅人風な薄緑のマントを羽織っている。
少し眺めただけだが、男はとてつもない不安に襲われていた。何もかもが頓珍漢なイメージを受ける。本当に大丈夫なのだろうか。
「思っていることが顔に出ているのでありますよ。心配ご無用であります。この世界に触れながら、少しずつ溶け込んでいくでありますから」
スパイが自信満々に言う。他に手のない男は、頷くしかない。
「ああ、よろしく頼む。例の洞窟で、待ってるから」
「了解であります」
子女郎に少し嫉妬を覚えつつ、男は森の中へと引き返す。ほぼ裸体と言う恰好から言えば、そのほうがお似合いかもしれなかった。
子女郎の人間への変化にはいくつか制限がある。まず女性、それも子女郎と言う言葉が示す通り、少女と言われる年齢の間でしか姿を成せない。とある和尚の姿にはなれたりするのだが、例外は唯一それのみだ。その和尚への変化も、子女郎が拒否しているため、実質少女の姿だけと考えたほうが良い。
次に、一度人間に変化すると、その年齢、美醜に関わらず半日は容貌を変えることはできない。狸の姿に戻ることはできるが、時間が経過しない限り人間時の容貌は固定される。
極端に逸脱しない限り服装の変化に制限はないが、例え堅固そうな装備に変化させても防御力はない。見せかけには使えるかもしれないが、あくまでそれだけだ。
何より子女郎がイメージできる、一般的な人間、と言う存在の範囲でしか変化できない。凄まじい怪力、天才的な頭脳、常軌を逸した姿形。そのような特異性を持った変化はできない。あくまで年齢から考えて常識的な範疇に収まる人間にしかなれないのだ。
人間になっても妖狸の能力は問題なく使える。自分を好意的な人物と思わせるよう意識を誘導する手軽な幻術と、好意的に思われやすい姿。それらを主に駆使して人に混じるのが、子女郎の化け方だ。
「主殿には申し訳ないでありますが、少し不安になってきたのであります……」
子女郎は高く聳え立つ城壁の厳めしさを近くで身に感じ、そう独り言ちた。幾つも問題がある。まず、言語が通じるのか。次に、町の中へと入っていく旅人たちが門番に対して差し出しているものの正体。他にもあるが、まずそれらを解消するために、一人の旅人風な服装をしている人間へ話しかけることにした。
「申し訳ありません。少々お聞きしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「あん?何なん……嬢ちゃん一人か?ナニモンかは知らねえが、イヤに丁寧な言葉遣いだな」
子女郎の顔を確認するまでゾンザイな態度をとろうとしていた堀の深い壮年の男だったが、その端正さを目にすると、少し興味深げに対応を変化させた。
とりあえず、どのような仕組みか分からないが言葉は通じるようだ。
「何分、旅に出てからそう間が経っていないものでして。気に障ったなら申しわけ……すみません」
「ふぅん。レバリスの隠れ聖とかか?……いや失礼。無粋だったな。それで、あんたみたいな人間にはそぐわない、このしがない中年に何を聞きたいんだ?」
聞きなれない単語がいくつか飛び出てきたが、子女郎はそれらを頭の片隅に止めて男に問う。
「実は、門番に渡すはずのものをここら辺りで落としてしまって……近くで見かけませんでしたか?」
「……そりゃあ、お嬢ちゃん。身分や職種なんかで渡すものが違うんだから、あんたが何者か知らない俺にゃあ分からんことだわ」
やはり城門を通るには、そのための何かを渡すことが必須の様だ。身分や職種、と男が言っていることから証明書のようなものなのかもしれない。
さて、どうしようか、と子女郎は視線を地面に落とした。狸火で門番を誘導し、その隙に狸の姿に戻って中に入るか。身分が高そうな人物を街道で待ち、取り入ってみるか。或いは狸姿で入れるような綻びが城壁のどこかにあれば、そこから侵入できるかもしれない。
だがどれも確実ではないし、最悪大きな騒動が起きてしまうかもしれない。それに主の我慢がそろそろ限界のようなので、彼女はあまり時間を掛けたくなかった。
「それはそうですよね。迷惑をおかけしました。自分で探してみます」
子女郎は男に謝罪し、それから彼のいぶかし気な視線に向けて掌を見せつけた。そこから溢れた青白いが男の視覚を覆うと、彼は少し気分が悪くなって目を閉じ、体を少し横に傾ける。
男が目を開けると、少女は何処にもいなかった。それどころか、記憶が曖昧だ。女性と何か話をしていたような気がするのだが、内容も女性の姿もしっかりと思い出せない。
「何だったんだ?」
荒れた手で目頭を押さえ、ぼやく。胸のつっかえは残っているが、町まであと三、四百メートルのところでぼんやりし続けるわけにもいかない。話のタネぐらいにはなるかもしれないな、と考えながら男は歩き始めた。
そこから数十メートル先の馬車―と言っても荷車を引いているの首の長い頭を二つ持った四足の獣だが―の下に潜り込んでいく一匹の妖狸の姿があった。妖狸は荷車の裏にへばり付き思いっきり力む。普通の狸では到底無理な芸当だろうが、さすがにそこは妖怪、振動で何度も振り落とされそうになりながらも両手は僅かなでっぱりから離さない。
十数分後、馬車は城門を通過する。荷物は門番によって検査されたが、流石に荷車の裏側まで調べられることはなかった。
何とか潜入に成功した子女郎は、するりと馬車から離れて建物と建物の隙間に駆け込むと、再び人間の姿に化けた。数人に狸の姿を見られていたのか、辺りは不思議な生き物のことで一時騒然としていたが、じきにそれも収まっていく。
「(一番町に行きたかっただろう主殿が我慢しているのであります。子女郎も頑張らなければ!)」
痺れる両手両足を軽く振りつつも、子女郎は早速情報を集めに向かうのであった。
一方その主はと言うと、裸純度90%の姿で大きな岩の上に寝ころび目を閉じて、ストレスを解消しなけらばならなかった。子女郎との待ち合わせ場所ではないのだが、まだまだ時間が掛かるだろうと踏んでのことだ。念のため小狸たちには、その場所に残ってもらってはいるが。
近くで流れる川のせせらぎ。弾むような鳥らしき声。手首を這う小さな虫のくすぐったさを感じながら男は大自然を満喫していた。
こうしていると、自然の雄大さと言うものは世界が違えども変わらないと確信できる。摂理が解明されるまで、自然とは人間にとって神そのものだった。機嫌を常に窺わなければならない相手であり、決して人間の思い通りにはならない相手。
妖怪にとっても自然は神と呼べるかもしれない。数多の怪異が、自然に対する人間の畏れから生まれている。一説ではあるが、有名なヤマタノオロチなどもそうだし、風神雷神は自然そのものを指す言葉があてはめられている。
ほとんど裸のまま自然と一体化し寝そべる。もしかするとこれは妖怪にとっての胎内回帰と言えるかもしれないな、とぼんやりしながら意味不明なことを考えていたその時だった。
ぱきっ、と木の枝が折れる音に気が付いて男は目を開けた。音の発生源には、三つの影がある。人間だ。武装した三人の人間が辺りを警戒しながら歩いている。
「(しまった……物思いに耽ってて、こんなに近いのに気配に気付かなかった)」
男は岩の上からそっと立ち退いた。近い、と言ってもそれは彼の高い身体能力だからこそ、そう言えるのだ。見通しがあまりよくない森で、普通の人間が気が付けるような距離ではない。だから、すぐにこの場から離れれば難なく逃げおおせるだろう。
だが、男は見つけてしまった。それはこの世界では見つかるはずのないもので、だからこそ彼の口から、は?と疑問符が溢れ出てしまう。
同時に男の巨体が意図せず動いた。逃げるためではない。近づくためだ。反射的に動いた体を、彼は止められなかった。
男は三人の人間の数メートル前に、彼らにとってはいきなり現れた。ほぼ全裸の姿で。
「――へ、へ、へんたいだー!こんな危険な場所に、全裸の変態がいるぞぉぉお!」
「ち、違う!別に怪しい者じゃあ」
うるせえなぁ。さっさと黙らせりゃいい話じゃねーか。
男は、頭の片隅でそう訴える肉体の声を聴いた。
その声に突き動かされるように、人間が放った大きな声を遮ろうとして、男は少し右手を動かす。同時に、あまりに禍々しい威圧感が一瞬漏れだしてしまう。自身の疑問を解決する方法の一つとして、三人の一時無力化を考えてしまったからかもしれない。
人間たちはそれまでと違う意味で顔色を変えた。男にとっては、締めた直後の蛇口から零れ落ちた一滴の水にも等しい威圧感だったが、彼らは思い知らされたのだ。筆舌に尽くしがたい戦力差を。
「逃げるぞ!あれを使え!」
リーダーらしき男が逃走を指示する。その叫びにも似た声に他の二人が反応する前に、化け物は容易くリーダーの眼前に移動していた。
リーダー格の男が辛うじて楕円形の盾を数センチ上に持ち上げる。それは冒険者として積み重ねた鍛錬と経験の成果が成した、珠玉の動作だった。だが、彼の命を何度も救ってきたその硬度も、裸体の何かの前では薄っぺらな紙のように頼りなく感じる。
全裸の訳が分からないやつと森で出会って死ぬなんて、冒険者の笑い話にしてもあまりにくだらないじゃないか。
死の予感を感じてから、五秒、十秒。いや、更に経過している。リーダーの指示した"あれ"が発動するまでには加えて数分を要する。その隙は怪物に対しては致命的なものだったが、肝心のその死神は盾を前にして静止していた。リーダーからは盾が邪魔をしてその表情は確かめられない。ただ、何かに戸惑っているような気配は伝わってくる。
「やっぱりそうだ……何だ、どういうことだ?」
そう、怪物は戸惑っていた。一つは、盾の中央に施された龍のような装飾に既視感があったからだ。龍の装飾と言えば地球では割とポピュラーなもので、この世界で何故同じような造形が生まれているのか気になるところだったが、彼の既視感の正体は地球で見たことがあるから、とは違っていた。その龍そのものに奇妙な懐かしさを覚えたからだ。
そしてもう一つ。むしろこちらが困惑の原因のほとんどだろう。龍の装飾と対峙するように、その少し上に小さく描かれたとある姿。
二本の角と赤い肌、そして刺々しい棍棒を持ち顔を怒らせる姿。
鬼だ。
何故ここにこの姿が?
「なぁ、あんたら。ちょっと聞きたいんだが、いいか?」
体の力を抜き、声に知性を宿らせた化け物は、ただの不審者に戻っていた。だからと言って冒険者たちが安心できるわけがない。いつまた、先ほどのような威圧感を向けられるか分からないのだ。
今、彼らに残されている選択肢は男と会話して、"あれ"が発動するまでの時間を稼ぐことだ。
「な、なにを……?」
「その盾に描かれた……鬼が何なのか知っているのか?」
どう問えばよいのか決められなかった不審者が漠然と問うと、リーダー格の男は自分の盾を見て首を捻った。
「おに?」
どうやら、鬼、と言う名称は伝わらないようだ。
「……すまないが、あんたが何について聞いているのか分からない。盾の真ん中の装飾は龍神ヴァリヴァダス様の御姿で、その上に描かれたこの赤い姿は……ヴァリヴァダス様の従者だと聞いたことがあるような、ないような」
「じゃあ、あんたはこの赤い何かに会ったことはあるか?あと、ヴァリヴァダスってどんな奴だ」
戦士の守り神であり、人間が信仰する八司神の一柱を"奴"呼ばわりされたリーダーは内心むっとしたが、そんなことはおくびにも出さず不審者の疑問に応じる。
「いや、この赤い何かに会ったことはないし、そんな話も聞いたことがないな。ヴァリヴァダス様の装飾は戦士の装備にとって一般的なもので、この赤い従者?は稀にその近くに描かれることがあるんだ。具体的な理由は、正直俺には分からない……鍛冶師なんかにでも聞けば分かるかもしれない」
「そうなのか。ありがとう。それで、ヴァリヴァダスって?」
裸の男が、はやくはやくと催促するように聞く。彼からしてみれば、妖怪を従者にしているかもしれない神に対して敬う気持ちにはなれない。勿論、確実に従者だと言えないし、そもそも本当に鬼なのかすら分からない。しかしその赤い姿は、的確に鬼のイメージを捉えている。
「ヴァリヴァダス様は人間を解放したと言われている元龍にして神だ。もともとは遍く天を統べた、と言われる龍で―」
言葉はそこで途切れた。"あれ"が発動したからだ。突如、冒険者三人を囲むように眩い白い光が立ち上る。
化け物は素早く身構えた。発生した白い光から元の世界ではありえない未知の法則を感じとり、防御姿勢をとったのだ。しかし、どのような攻撃手段であろうとも、絶望的な力の差がある三人の冒険者を逃す気はしない。
だがその白い光は、化け物に対しては何も及ぼさず、脅威となりえなかった。代わりに光は、三人の人間の姿と気配を瞬く間に消失させてしまう。
"あれ"とは逃走手段そのものだったのか。
一人ぽつんと残された裸の男は、ここが常識の違う異世界なのだと改めて実感し、自身の不甲斐なさに憤って血が飛び散るほど強く頭を叩いた。
やはり自分は、役立たずの木偶の棒なのか。
「子女郎、本当にすまない」
一人謝罪する。いくつか情報を手に入れられたとはいえ、人間に見つかってしまったのも、その人間に逃げられてしまったのも彼の慢心によるものだ。
しかし、起きてしまったことは仕方がない。男は自身のミスを深く考えないように努めて、集合場所である洞窟に向かってとぼとぼと歩き始めるのだった。
それは、自身の胸中から今にも零れ落ちそうな黒い感情から逃げるような、重い歩みだった。




