0-5.開戦前―ガルドオズムサイド―
四百にもなる騎兵が、整然と並ぶ姿には心躍るものがある。ガルドオズムを治めるオルマント・ジェイバム伯爵は、プレートアーマーが反射した陽光に一瞬視界を奪われ、しかしニヤリと笑う。
彼はこの日のために準備を重ねてきた。いや、彼だけではない。ラズリット王国時代から脈々と続くジェイバム家の当主たちが、この日を望み準備をしてきたのだ。
騎士が騎乗している生物は、魔物とランダと言う四足歩行の動物を掛け合わせ、繁殖させてきたものだ。それはランダと比べて非常に気性が荒いが、強靭な肉体とランダに負けない速度を出すことが出来る。冬の終わりに差し掛かった時分だが、例え地面が雪に覆われていようと関係なく疾走することが出来るその生物たちを駆る騎兵が、敵を蹂躙する様を想像すると、ジェイバム伯爵はますます笑みを深めた。
それに、彼らが装備している武具も非常に性能の高いものだ。ドワーフの武具と比べると流石に劣るものの、人間の名匠が鋳造したそれらは王国の他の領主ではそうは用意できない代物だ。シェグルダール王国と八都市連盟の国境近くに位置し、ホセナド川の関所を資金源にもつガルドオズムだからこそと言えるかもしれない。何よりサロイザースから送られて来ていた賄賂もこの武具の購入に使用されているかと思うと、ジェイバム伯爵の口はそろそろ裂けそうなほどのカーブを描いている。
勿論、装備が優れているのは騎兵だけではない。歩兵千五百も、魔術兵五十も、非常に質の高い装備によって身を固めており、もはやサロイザースに対する勝利は疑いようがないだろう。
この上雇った幾つもの傭兵団が戦に加わり、その数は総勢四千近くになる。四千と言う数は、そこらの一伯爵が動員できるものではない。公爵クラスでさえ、おいそれと集めることはできないのだ。
ジェイバム伯は長い口髭をねじりながら考える。
問題は、龍瘴の森で活動している無秩序集団の戦力だ。だがそれも、警戒はすべきだがそこまでの障害にはならないだろう。魔物を配下にしているらしいが、奴らは一体一体の戦闘能力は高いものの、戦術も戦略ももてない烏合の衆だ。軍隊規模でぶつかれば練度と数の差がものを言うだろう。異世界転移者らしい無秩序集団の長は要注意だが、それでもやはり不安材料にはならない。
何故なら異世界転移者はこちらにも居るからだ。
それも二人。
その二人が丁度、ジェイバム伯に近づいて来た。
「コガネ、シンラ!さぁさぁ二人とも、こちらに来るが良い!なんたる壮観!なんたる威容!この時ばかりは、かのヴァリヴァダス神もその翼の羽ばたきを止めてしまうに違いない!」
唾を飛ばしてそう叫ぶジェイバム伯に対し、二人の転移者の反応は両極端だった。
「流石は伯爵様!この光景に比べると、僕のスキルなんてみみっちいものです。未来のサロイザース領主様!今のうちに媚びを売らせてください」
日向コガネはそう言って分かりやすくゴマを擦った。
「ふん。そこまで正直に媚びを売ると言われると、意外と悪い気はせんな。私の役に立ってくれれば褒美は思いのままだ」
「ありがとうございます。いやー、本当に凄い光景だなぁ!これから戦争がはじまるなんて、楽しみですよ!」
日向コガネはにこにこと笑いながらそう言った。表情通り非常にワクワクしている様子だが、それはどこか他人事の様だった。
もう一人の異世界転移者である樫田新羅は、腕を組んだまま黙っている。だが、腰に差した二本の刀と、軽装の革鎧が言葉の代わりに戦うことへの意思を示していた。
無口な奴だ。ジェイバム伯は、鼻を鳴らす。とは言えその腕前は、ガルドオズムを襲ってきた龍瘴の森の魔物との戦闘で確認している。舌を巻くほど見事なものだ。彼は魔物を二振りの刀で容易く切り伏せ、実に五体もの魔物の命を瞬く間に奪ったのだ。輝一星級の冒険者でも、ここまでの腕を持つ者は限られるだろう。
異世界転移者の中で純粋な戦闘力が最も高いのが、樫田新羅だ。とはコガネの言葉だ。戦争において、個人の武力が戦局に与える影響はそう大きくない。だが極稀に、勇者レクカインのような存在が、戦局を大きく変えてしまうことがあるのも事実だ。そんな英雄と呼べる存在になり得る可能性をシンラが秘めていると、ジェイバム伯は感じていた。
「あとは、傭兵どもが準備を終えるのを待つのみだな。"白き木の瘤""一刀両断""ガラック傭兵団"などなど名の通った傭兵ばかりだ……オクト・ラズームめ。分家が領主であった時でさえ業腹だったと言うのに、継承権に引っかかりもしない平民がサロイザースの領主などと、そんなの許せるかぁ……!!」
うわー、また怒ってらっしゃる。ギリギリと歯ぎしりしながら顔を歪めるジェイバム伯の気持ちなど、コガネには一ミリも分からない。彼はただ、異世界の戦争、と言うものを見たいだけなのだ。
そのために彼は、魔物にガルドオズムを襲わせた。ジェイバム伯は、あの魔物の襲撃が龍瘴の森の勢力の仕業だと本気で思い込んでいるが、その犯人は近くでニコニコしている異世界の少年なのだ。
戦争が見たい、と言う理由以外にも一つ動機があるにはあるのだが。
「(まぁ、結局戦争にはなっていたと思うけど、出来るだけ早く見たかったしね)」
ジェイバム伯がオクトに対する恨みを土を踏むことで晴らしているうちに、コガネはその場から離れる。新羅はその後ろ姿に一瞥だけくれたが、特に何か反応することはなかった。彼がそうすることはもう、何度となく経験してきたことだ。
コガネは平原を素早く駆ける。少し遠くに見えるガルドオズムには今頃、準備を終えた傭兵が集結しているだろう。彼らはジェイバム伯率いる常備軍と合流し、明日にでも五千の兵が進軍を開始するのだ。
だがその前に、会わなければならない存在がいる。
「あ、すみません。待ちました?」
コガネは、この寒い中、小さな木の陰に座る女性に声を掛けた。声を掛けられた女性は、特に表情を変えることなく軽く頷いて見せる。その瞬間、彼女が被っているウィンプルが揺れ動き、左目が垣間見えた。
何もないような暗い穴。いつ見ても寒い、虚の眼窩。
彼女はそれを、隠しもしない。
「大丈夫ですかね?監視の目とかないですよね?」
「……ジェイバム伯爵が眉間に皺を寄せて怒っている。おそらく、少し前にあなたが居なくなったことに気付いた。それ以外に、問題はない。事前に無力化している」
あちゃー、とコガネは頭を掻いた。彼には、ジェイバム伯の姿は見えない。
「それで、僕はこのままジェイバム伯の軍についていってもいいんですよね?」
「ええ。予定の日は先だから。とは言え、あなたの出番があるかと言うと微妙ね。そのまま王国内で活動してくれる方が、こちらとしてはありがたい」
二人は木を挟んで会話する。互いに顔を合わせることはないが、女性にはコガネの表情が仔細に見えていた。
「でも王国が所有していた神器は力を失ったんでしょう?僕たちを召喚するための依代になって。だったら僕が王国で活動する意味、あります?」
女性は答えなかった。この少年が何故こちらに協力しようとしているのか、彼女にはまだ分かっていない。だから与えている情報も、彼女が観測していることからするとほんの僅かだ。裏切られたところで、特に支障のない程度の。
それはそれとして、裏切られたのなら処分はするが。
「あー、そんな疑うような顔をしないで下さいよ。僕はただ、その方が面白そうだって思っただけなんです。それにあなたには、助けて頂きましたから」
背中からそんな声がして、女性は振り返った。だがコガネは木に背中を預けたままだ。彼女は己の冷たい輪郭を軽くなぞり、コガネに聞いた。
「あなたにも、私と同じ能力があるの?」
「え?……はは、そんなの無いですよ」
「……じゃあなぜ、私の表情が分かったの?」
「う~ん。人間だから?」
「人間なら、誰でも相手の表情が分かるの?顔も見ずに?」
「……えーっと。なんか話が嚙み合っていないような?」
もはや疑問符だらけの会話に、コガネは苦笑いを浮かべた。
「どれだけ眼が良くても、自分の顔は見えないんですね」
「……私の能力を馬鹿にしている?」
コガネは肩を竦めると、女性が怒りださないうちにとその場から逃げ出した。
後に残された女性は再び木の陰に座り込み、もう一度自身の顔を撫でた。表情なんて、そうしないと分からない。
それから彼女は、ただただ予測した物が現れるのを待つのだった。
ジェイバム伯率いる四千の兵は、明朝進軍を開始した。これに対し、サロイザースを除いた八都市連盟の諸都市がガルドオズムの侵略を非難する声明文を発表。だが彼らがサロイザースに援軍を送ることもなければ、物資を提供することもなかった。
シェグルダール王国と八都市連盟を除いた正式な人間国家である聖杖レバリス教国、双龍委任統治国家レマイナル=マグレーフは静観を選択。サロイザースと龍瘴の森の新興勢力は一時的な軍事同盟を結び、ガルドオズムに対抗することになる。
これから始まるのは、この大陸の歴史において正式に妖怪についての記述がなされた、最初の戦いである。




