12.シェザーシャ
開店は、いよいよ明日にまで迫っていた。
だが、六時間ほど前にサロイザースでマディラと打ち合わせを行ったシェザーシャは龍瘴の森に戻って来ていた。店の商品を乗せた荷馬車二台は、三時間ほど前に冒険者を警護につけてサロイザースへと向かった。開店の一日前に全ての商品を納品するなど中々考えられないが、それだけこの開店は急ピッチだったのだ。
何故シェザーシャが龍瘴の森に戻って来たのか。それは、ドワーフたちが要望した鍛冶場を建てるための素材や道具がサロイザースから運ばれてくるからだ。思った以上の早さでの納品だ。何か目的でもあるのだろうか。とにかく納品を正確に確認できるのは仕入れに係わったシェザーシャだけだ。
―言う必要もなく、鍛冶仕事以外おおざっぱなドワーフたちに納品数量、納品の状態の確認などと言う行為を期待してはいけない。
当然、開店する店の方が気になる。だが、他の仕事もちゃんとこなすと自身に課した以上、やり遂げなければならない。
吐き気を感じても大きく息を吸い込んでごまかし、地面が波打つような眩暈を覚えても歩みは止めない。その鬼気迫る様子を見ていたヴァリスは、声を掛けようとして少し様子を見ることにした。
開店は明日だ。それを越えれば、線の細い少女も少しは息をつける。それにあの様子では、何を言っても頑として聞き入れないだろう。
また、今の彼はシェザーシャに気をかけてばかりではいられない状況であった。
先日、魔法の使えないエルフたちが調整していたスケイルアーマーが、ついに魔物相手の実戦に使われその防御力をいかんなく証明して見せた。問題は、このスケイルアーマーの頑強さを証明する相手がいよいよ魔物だけとは限らなくなる可能性が浮上してきたことだ。
忍狸たちが王国の最南端にある街、ガルドオズムで収集している情報は、ガルドオズムが戦争に振り切る可能性の高さを示している。大量の傭兵を雇い入れ、王国中から武器防具や物資を集め、軍事演習の頻度を増やし、更に数日前には異世界転移者と噂される者までもがかの街に姿を現したのだ。
シェグルダール王国が主導しているのか。ガルドオズムを治めるジェイバム伯爵の独断なのか、それはまだ判明していない。どのような口実で口火を切るのかも。目標は―考えるまでもなく第一候補としてサロイザース、次にヴァリス率いる新興勢力だろう。
惜しむらくは『百鬼夜行Lv2』のポイントが"不死の神珠"騒動でほとんど増えなかったことだ。"不死の神珠"が神の道具だったからか、それから生み出さるものがアンデッドだからか。とにかく、死龍エグンシェムを倒した時の様な大量のポイントを期待していたヴァリスだったが、その期待は裏切られていた。
ふと納品確認をしているシェザーシャの方にヴァリスが目を向けると、既に作業を終えたようだった。少女の周りにはドワーフたちが集まって来て、ついに鍛冶場が建てられるその喜びを飛び跳ねて表現する者さえいる。ドワーフたちの武器や防具が安定して生産出来るようになれば戦争においてこれ以上ないほどのアドバンテージになるだろうが、間に合うかは微妙なところだろう。
「ご苦労様。シェザーシャのことだ、すぐにサロイザースへ向かうんだろ?ここまで来たら、もう休めとは言わない。頑張ってくれ」
そう言ってヴァリスは確認を終えたシェザーシャに近付いた。だが、それにいち早く反応したのは少女ではなくむさ苦しいドワーフたちの方だった。皆なぜか、波を引く様にヴァリスから素早く離れる。あ、漏れた。などと意味の分からないことを言うものもいた。
「……あ……はい。もう少しで開店の準備が整いますので……気にかけて頂いて、ありがとうございます」
シェザーシャはそう言って笑ったが、明らかに限界を超えていることを表すような儚い微笑みだ。少し衝撃を与えると、壊れてしまいそうな。
向かい合っている二人に、しずしずと雪女が近づいてきた。どくん、とシェザーシャの心臓が跳ねる。先日の件が尾を引いているのではない。そこから、全てが破滅してしまいそうな死臭を嗅ぎ取ったのだ。酷い酷い匂いを。
「先ほど、サロイザースで活動をしていた忍狸が火急の知らせを持ってきました。マディラがサロイザースから離れて何者かと接触して金を受け取り、そのまま農業都市の方向に向かったそうです。しばらく追跡しましたが、サロイザースに戻る様子は一切見られなかったともあります」
「……え?」
シェザーシャは、疲労と衝撃でぐちゃぐちゃになっている頭を軽く押さえ、その意味を理解しようとした。だが、分からない。分かりたくない。
そんな少女にユキヒメは問う。
「店に商品が送られようしているのに、サロイザースを離れる理由はそう多くはありません。何者かから金を受け取ったと言うことは、奴が裏切った可能性は非常に高いでしょう。シェザーシャ。商品を載せた荷馬車の情報を、マディラに与えていますか?」
「え……はい。護衛する冒険者、荷馬車の確認札、商品の個数……その他すべての情報を……だって、これから一緒に働く仲間なんだから信頼して全部教えてくれって言われたので…………ああ。そっか」
ぺたり、と少女が地に座り込んだ。とても軽そうなのに、そこには動かしようのない絶望がある。
「シェザーシャ!呆けている場合ですか。荷馬車の情報を全て私にも教えなさい。恐らく手遅れでしょうが、今すぐ確認のために忍狸を向かわせなければなりません!」
「……何で……」
ぽつり、と少女がこぼした。それから、堰を切ったように言葉が溢れる。
「私……私なにか悪いことをしましたか!?開店のために体が痛くても頑張って!皆さんのお手伝いもして!商品も色々考えて!走り回って、動き回って!吐いても!転んでも!ずっとずっと一人で頑張ってきたんです!!なのに何で!?なんでよぉ……!?」
シェザーシャは円らな碧の瞳からぽたぽた涙を溢れさせ、両手で顔を覆った。ユキヒメが、忌々し気にその姿を見る。ヴァリスはどう言葉を掛けてよいか分からず、ただ黙って少女の話を聞いていた。
「そんなことも分からないのですか?……愚かな」
「っっ……!」
シェザーシャは精一杯の怒りを込めて、ユキヒメを睨んだ。だが、これまでそのような感情をほとんど誰にも向けたことのない少女の凄みなど、雪女にとってはそよ風にもならない。
「一人で頑張ってきたから、こんな結果になったのでしょう?あなたは一人で、愚直に、頑張り過ぎたのですよ。なぜ人間より優れた我らの力を頼りにしなかったですか?なぜ自分一人で全てをやり遂げようとしたのですか?あなたの頑張りは所詮、無力な小娘のただの独りよがりなのです。メイラハク商会を越えようとしているのでしょうが、龍瘴の森の資源があったとしても、あなた一人が彼らにとって何の障害になると言うのでしょう。いい加減、子供の夢から覚める時間です!シェザーシャ・メイラハク!!」
シェザーシャは敗者だった。後継者争いでは甘い予測をして取引相手を見つけられず。僥倖にも見つかった取引相手から手にいれた貢物で一泡吹かせてやろうとして父に嵌められ。マディラには恐らく裏切られ、妖怪たちには己の未熟さを攻められ。彼女は今、自分がどこまでもちっぽけな人間であるとはっきり思い知らされた。
メイラハク商会の成功譚を塗り替える?メイラハク商会を越える?つい先ほどまでは朧気ながらもたしかにあった夢想は、どこにも無い。彼女の心の拠り所であったそれらは今、自らの責によって呆気なく殺された。
もう何もない。
「ちっ……!もういいです。そこでそのままずっと、駄々をこねる子供のように動かずにいればいい。主様、ユキヒメに荷馬車とマディラの追跡をお命じ下さい。我らに仇名す者には必ず死を与えなければなりません」
何もない?いや、ある。彼女には罪がある。ヴァリスに、龍瘴の森の新興勢力に不利益をもたらした罪が。それは商人として、時には死よりも恐れるべき罪だ。
彼女は子供でも、商人だった。ならそれを少しでも償うためには何をすれば良いのか。解決しようとまた一人で動けばよいのか?
いや違う。自分一人では、商品一つたりとも取り戻せないだろう。ではどうすれば良いのか。
シェザーシャは立ち上がった。濡れて充血した瞳には、怒りがありありと見て取れる。その感情のままに動くのは、初めてのことだった。
「……ユキヒメ様、ヴァリス様、大変申し訳ありませんでした。この咎は必ず受けます。ですが今は、私も追跡に加えて頂きたいのです」
「ほう?ぐずるばかりの子供が、随分大きく出ましたね?ですが必要なのは荷馬車の情報であって、あなたではありません。分かったのなら、今すぐ」
「待て」
ユキヒメの声が遮られる。それまで黙っていたヴァリスが、真剣な眼差しでシェザーシャを射貫いた。
「荷馬車を取り戻す算段があるのか?」
「……私は、自分が依頼した荷馬車の形状を覚えています。街道にはたくさんの荷馬車が行き交っていますが、一目見ればそれが依頼した荷馬車かどうか分かります」
苦しい利であることは分かっている。だが、ここで何も言わないよりかは遥かにましだろう、とシェザーシャが主張する。
「……多少の時間の短縮にはなるでしょうが、効果的とまでは行きませんね。荷馬車を乗り換えられていても、処分されていても、効果がありませんし」
「荷馬車二台分の荷物を積み替えるためには、ある程度の時間を要します。それに、あれ程までに価値のあるものをどこかに放置したり、処分したりする可能性は低いと思います。時間を少しでも相手に与えないために、私を連れて行って下さい!」
「…………」
ヴァリスは後悔していた。もしこの龍瘴の森に、シェザーシャにブレーキを掛けさせることの出来るような"真面な大人"が居れば、今回の事態は起こらなかったのではないかと、ふとそう思ったのだ。
シェザーシャだけではない。止められなかった自分にも当然責任がある。
「行こう。背中に捕まってくれ。言っておくが、凄い衝撃だぞ?」
「せな……は、はい!ありがとうございます!」
ヴァリスは小さな少女を背負い、そのあまりの軽さにぎょっとした。この体があれ程まで苛烈に動いていたのかと思うと、ユキヒメが諭した子供の夢とやらも、案外馬鹿にできないのではないかと考えさせられる。
「あの……こんな時に申し訳ありません。その、重くないでしょうか……」
「ん?羽毛みたいに軽いぞ?」
そう言ってヴァリスは飛び出した。続いてユキヒメも。人間では到底出せない速度で、街道を突っ走っていく。
強風に晒された鯉のぼりのようになってもヴァリスにしっかりと掴まるシェザーシャと、爆速で通り過ぎる二体の人ならざる者を見た人間たちはみな、何が何だかわからず茫然自失となるのだった。
マディラは闇の中を歩いていた。丁度、何者かにダガーの刃を当てられた、あの日の晩の様な。
彼がベルトに結んでいる巾着袋には、取引によって得ることのできた金が入っており、それは歩くたびにちゃりちゃりと金属が擦れる音を上げる。その中身は重く、しかしそれがちょっとした油断であっという間に軽くなることを、商人時代に思い知らされていた。
街道を歩く、歩く。すでに農業都市シェザは通り過ぎている。対照都市ノメノまではまだまだかかり、彼が目的としている学術都市ラプラコーズまでにはどれ程かかるか分からない。
何故、歩いているんだろう。それも街道を。マディラは自分に問い、そして首を横に振った。徒歩で移動しているのは、少したりともお金を使いたくないからだ。そして街道を歩くのは当然だ。ここから数歩出た先に広がる荒れた荒野には、盗賊や山賊の類がでるのだ。それ以外に理由はあるだろうか。
街道とは境界線だ。安全と危険。法と無法。道理と不条理。そんな正しさと誤りを分かつ境界線。勿論、街道が絶対に安全かと言うと、とてもではないがそんなことはない。だが八都市連盟の衛兵や街道警備の依頼を受けた冒険者たちが巡回する街道は―彼らに追われる心配のない人々にとっては―無駄な危険を減らすことのできる、当然利用するべきものなのだ。
マディラはよろめいた。もう、何時間も歩き続けている。彼は街道からはみ出した足を上げようとして、動きを止めた。
「……そうか。無理だったか」
街道の外、荒野から姿を現したのは新興勢力の主。その背に縄で括りつけられている小さな少女。そして白装束を揺らす雪女。
「ああ、無理だ。すでに荷馬車は回収してサロイザースに届けた。荷馬車を盗んだ奴らは龍瘴の森で監禁している。情報を売ると自ら提案したことも、聞き出している。唯一意外だったのは、盗んだ奴らがメイラハクではなくガルドオズムに雇われた奴らだったってことだな」
「そうなのか。俺は、メイラハクだと聞いたがな。まぁ、どちらでも良い」
メイラハクという言葉を聞き、半ば気絶していた少女シェザーシャが縄をほどき、ヴァリスの背から降りて地に足をつける。少女の目には、怒りがある。その様子を見たマディラは、くっ、と軽く笑って言った。
「良い目になったな。メイラハクの屋号紋にずっと守られていたんじゃあ、ならない目つきだ」
「そのために裏切ったとでも?」
「まさか!」
心外だ、とでも言うかのようにマディラは大声を上げた。
「俺は金が欲しかったんだ!裏切った理由は、それだけだ」
「金のために、憎悪していたメイラハクの名を聞いても裏切ったんですね」
「……憎悪。憎悪か。なぁ、お嬢ちゃん。あんた、冬の海の中を見て綺麗って言ったよな」
事実に、不快ではあるがシェザーシャは首を縦に振った。海中に飛び込んだ時、彼女はその光景を綺麗だと思ったのだ。
「だがな。俺にとってあの海は、毎日毎日見ることになる何にも変わらない灰色の海なんだ。生きる苦しさと戦うためだけの海。憎悪なんてとっくに、その中に溶けてしまったんだよ」
「……店長として雇われれば、それなりの生活が出来たと思いますが」
「確かにな。だがお嬢ちゃん、あんたにこいつが払えるかい?」
マディラはベルトに結んでいた巾着袋を取り出し、それを逆さまにした。巾着袋の中から、大量の金貨が落ちていく。地面に積み重なっていく。
「……今の私には、到底無理です」
「そうさ。だだ、それだけのこと。そして"それだけのこと"は、この大陸のどこでも起きている。メイラハクの名に守られてきたお嬢ちゃんは、今までそれを実感したことが無かっただけなのさ」
シェザーシャは視線を落とした。彼女は、返すべき言葉を持たない。メイラハクの長女では、何も反論のしようがない。
束の間流れた沈黙を、ユキヒメが断ち切った。
「もういいでしょう。裏切者には死を。当然、覚悟は出来ていますね?」
「ああ。逃げようがないってことは、分かってるよ」
雪女は怪しく笑うと、自らの手に小さな氷の刃を形成した。そしてそれを、マディラの足の甲目掛けて投擲する。ヒュ、と小さなものが風を切る音がして、二本の刃がそれぞれ右足の甲と左足の甲に突き刺さった。
「ぐあああぁぁあああ!!」
足首、太もも、膝。ゆっくり、ゆっくり凍っていく。いっそのこと殺してくれ、と思うほどの冷たさを魂で感じ、マディラは夜闇に叫び声を響かせた。
「……シェザーシャ。これを預けましょう。あなたが決めなさい。これからも我々の仲間であるのか。それとも、そうでないのかを。結果によっては、それをもってあなたの咎を不問に致しましょう。主様がお許しになれば、ですが」
ユキヒメがシェザーシャの前に差し出したのは、一振りの氷の剣だ。シェザーシャの細く小さな体からすると大きなそれを何に使えと言うのか、分からない少女ではなかった。
「ユキヒメ……!シェザーシャを試すようなことは」
ユキヒメを止めようとしたヴァリスの前に、シェザーシャの小さな手が突き出た。
その時、この何回りも小さな少女の中でどのような感情が渦巻いていたのか、ヴァリスには分からない。
裏切られたことへの怒り?ほんの僅かな間とはいえ信頼していた者の最期に対する悲しみ?長い苦痛を終わらせてあげようと言う哀れみ?ユキヒメの信頼を得ようと言う打算?自分はこうなりたくないと言う恐怖?無力な自分に対する苛立ち?それともそのどれでもないのか、複雑に溶けあったものなのか。
結果として彼女は選んだ。
「……ありがとうございます、ユキヒメ様」
シェザーシャは氷の剣を静かに手に取った。途端に手の皮が引っ付き、痛みが走る。血が滴り、氷の鍔を紅く濡らす。彼女は武器を人に向けたことはなかった。だが止まらない。鋭利なそれは月に照らされて輝きを滑らせ、その切っ先は腰まで凍っていた男の胸元に、静かに突き刺さった。
もうシェザーシャは、純粋でも、子供でもないのだ。
男は最期、静かに笑っていた。
冬の海は寒い。そんなことは、子供だって知っている。荒ぶる潮風に身を晒されると、玉の緒を直接掴まれて揺さぶられるような気分になる。だがそれでも、握り潰されるよりかはマシだろう。
シェザーシャは防寒着を脱ぎ、海の中へと飛び込んだ。灰色の海。マディラはそう言っていた。シェザーシャの目にはどうか。
二回目の海の中は、まだ綺麗だった。だがそれは、一度目に感じたそれとは少々趣が違っていた。美しいながらもここで繰り広げられているのは、生存競争だ。
シェザーシャは犬かきで浮き上がって大きく息を吸い込んだ。顔を伝う水の中に、一筋だけ海水とは違うものが流れていた。
これは、一世一代の商機に全てを賭けて一度敗れた少女と、この世界の経済状況なんてなんも分からん元大妖怪たちが手を組んで大陸市場を席捲する、商業活動記の最初の記録だ。
後味が悪かったり、あっさりだったり、異世界転移ものっぽくねぇんだよぉ!と思われた方は申し訳ありません。ここまでが二章になります。
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三章はガルドオズムとの戦争とプラスアルファが始まる予定ですが、先に男組の異世界転移者たちと、ある組織について書かなければいけないため、まずは幕間になると思います。
ここまでの読了、ありがとうございました。よろしければ三章にもお付き合い頂けましたら幸いです。




