異世界転移者録①―空河内出水①―
あまりに狭く、暗い部屋だ。異世界転移者である空河内出水は、ここが自分のキルゾーンであることを十分に知っていたが、飽き飽きしていた。
壁のシミも、小汚いランプに灯る薄明りも、ヒビの入った足跡だらけの床も。そして何より、悪党の性根の腐った様な下卑た笑みも。
どうして悪人という存在は、誰しも同じように笑うのだろう。椅子に座っている目の前の盗賊の頭も。その後ろに待機している十数人の部下も。醜悪で、下劣で、吐き気がする。
少女は飽き飽きしたそのフレーズを自分に言い聞かせた。そうして、盗賊の頭と取引をしている自分の仲間が行っているその交渉を、早く終わらしてほしいとも、出来るだけ長引かせて欲しいとも思った。
「それにしてもあんたの連れ、奇妙な格好だな、ええ?手足は娼婦のように晒しているくせに、胸と頭は重装備じゃないか。そんなに胸と顔に自信が無いのかよ」
盗賊の頭が喉を鳴らしてゲラゲラと笑うと、部下たちも一斉に出水を嘲笑った。確かにその恰好はチグハグだ。頭部を覆う銀の甲冑と、胸部を厳重に守る鎧は一目で重々しさが伝わる物だ。反して細い四肢や少し引き締まった滑らかな腹部を守るものはほとんど無く、下半身も大腿や下腿がほとんど露わなっている。
奇妙な格好。そう馬鹿にされることは慣れていた出水だったが、不快感は慣れるものではない。ましてや、異世界に転移したからと言って慣れていいものではない。彼女は、軽く歯ぎしりして時間を待った。
「それで?これがあんたらが持ち掛けてきた、ウィラール伯爵の屋敷の平面図か?本物だろうな?」
盗賊の頭が、じろりと交渉を持ちかけて来た女性を舐り回す様に見た。勇者が魔王を打ち倒し、聖女がその支えとしての手本を示したラズリット王国の後継国家としての性質が強いシェグルダール王国において、前線に立つ女性と言うのは未だに受け入れられにくい価値観だ。もっとも、聖職者、魔法使いと言った後衛職においてはそう言った差別的な意識はない。盗賊の頭と交渉を行っている出水の仲間も、いや、正確には監視役も黒のローブを着た魔法使いだ。
「勿論、わざわざ下働きとして雇われてまで作ったものよ。その正確さは保障するわ。もしお望みなら、手引きもするわよ」
「へっ。伯爵の下女になりすました魔法使いが金のためとはいえ小汚い盗賊と交渉ねぇ。怪しさ満点だろう?連れも珍妙な格好だしな」
盗賊の頭は眼球をじろりと魔法使いの女性を向けてほほ笑んだ。しかしそれは獰猛な性質を纏ったものだ。小汚い、と自分で言っているが彼はそれなりに名のある盗賊だ。相当額の懸賞金もかかっている。彼の警戒はそのまま、経験の深さに繋がっている。
とは言え、盗賊の頭は自分が優位であることを冷静に判断していた。交渉を持ちかけて来た女性三人の武器は全て没収してある。有象無象の部下とは言え、人数だけは多い。もっともその人数の多寡を活かせるだけの広さがこの場にはないが、それこそ彼の最大の自信だった。袖に隠しているスイッチを押せば、壁に埋め込んでいる魔道具が火花を噴く。こんなおんぼろの部屋で、しかも大量の部下を配置しておいて、高価な魔道具なんて仕掛けるはずがないと言う思い込みを、彼はこれまでに利用してきた。歴戦の戦士でも、存外騙されるものだ。
何度も位置を調整したその仕掛けは、自分には絶対に当たらない。最悪部下の何人かは死ぬかもしれないが、自分は助かると言う絶対の自信が盗賊の頭にはあった。
だがその自信は、鍛えられた肉体と共に唐突にぐらりと揺れて倒れた。何が起こったのか、彼にも、彼の部下たちにも分からない。彼らも、めまいや吐き気を感じて、ほぼ一斉に地に伏せたのだから。
狭い密室は、出水のスキルにとって非常に相性が良い場所だ。交渉場所の情報を王国が事前に掴んでいたからこそ、彼女がこの場にやって来たわけだが、武器を振るうでもなく、魔法一つ唱えるでもなく対象を無力化したそのスキルは、場所や用途によっては非常に有益だった。もっとも出水本人は、使いにくいくせに、効率を上げるために肌の露出を高めにしなけばいけない自分のスキルは、他の転移者たちに比べて非常に劣ったものだと思わずにはいられない。
近くに寄って来ていた女性二人の監視者の手を取って、出水は密室を出るためにゆっくりと歩き始めた。去り際に彼女は、盗賊の頭の気絶した姿を一瞥する。その瞳は、僅かな罪悪感で揺れていた。
間もなく王国の兵士たちが扉を蹴飛ばしながら突入し、そうして盗賊の頭は呆気なく捕えられた。
王国の文化は南で編まれ、技術は東より発展する。その言葉に王国の民たちが耳馴染んだのは、ラズリット王国時代なのか、それともシェグルダール王国時代なのかは分からない。だがどちらの王国であっても、エルフたちと領地が面する東側と、比較的戦乱がなかった南側がそれぞれ方向性の違う発展をしてきたことは間違いがない。その方向性の違いは宮廷政争にまで波及し、現在王都シェダールの城内で激しく繰り広げられる権力争いはもっぱら東側と南側の対立によるものとなっている。そしてそれは年々、シェグルダール王国の王たるシェダリス三世の頭をより悩ますものとなっているようだ。
だから、私たちを召喚したのだろうか?出水は甲冑と鎧を脱ぎ捨て着慣れた学生服に腕を通し、それからその上に正に魔法使いの様な様相のローブを羽織りながら自分なりに考える。それは何度も何度も繰り返されてきた自問自答だ。
空河内出水は、現在異世界転移者たちのリーダー、の様なものとして振舞っている。男二人は協調性があまりない個人主義者とその腰ぎんちゃく。出水を除いた女二人は秘密主義者と精神的に落ち込んだ状態であり、消去法で彼女になってしまったと言うだけの話ではあった。とは言え、シェダリス三世に呼び出されて彼の疑問や要求に応えたり、年齢から考えると巧く交渉を行える彼女以上の適任者は、例え他の転移者たちに問題がなかったとしてもそうはいないだろう。
盗賊の頭の捕縛に協力した報奨金を受け取った出水は、監視者の二人を引き連れて王都の整備された道を歩き始めた。
「イズミさん、イズミさん!王都名物の冬獣メーズナの姿焼きが、何とぼったくり価格で売られてますよ!メイラハクに負けず劣らずのすげー欲深さです!でも、むっちゃ固い肉から溢れる野性味溢れる肉汁が溢れて、ぐわーってきて美味しいんですよ!」
露店の店主にも聞こえるほど大きな声で、小柄な監視者の一人が大きな魔獣の丸焼きを指さした。職務を完全に放棄したかのようなその行動に、もう一人の監視者が苛立ちをグーにして唇にふるまう。
「リネータ、煩い。溢れるのはあなたの馬鹿さ加減だけでいいわ。これ以上あなたがしゃべると、イズミが仕事以上に疲れてしまうでしょう?」
「はー!?いくら美人で仕事が出来て実はオフの日は優しいミナル先輩でも、言って良いことと言ってイイことがあるんですよー?さぁ、皆で言いましょう!リネータはうすしょっぱく可愛い!はい、二人とも!ってあれ、イズミさんはどこに!?私はクビに!?」
「すみません。小海と有紗さんへの手土産を買ってました。あと、大したもんじゃありませんが、いつもお世話になっているのでこれをお二人に……」
「イズミさん……!」
出水が持っていた城下の露店ではよく見る飴を大きくした様な菓子を、リネータが大口を開けてぱくりと口内に入れた。何度も見た光景ながら、たった一口で飴を消滅させた小柄な女性に、出水は改めて驚かずにはいられない。
「このリネータ、感動で唾液が止まりません!ああ、あな恨めしや我が食欲!何故涙は口から出ないのでしょう?なぜこの感謝を口から表現できないんでしょう?あ、喋ればいいや。イズミさん、ありがとうございます!」
馬鹿さ加減を捲し立てる女性の勢いに気圧されながら、出水は軽く苦笑した。喋り出すと頭のおかしな奴と一発で認定される監視役の女性だが、しかし風魔法の才能は人間としては非常に優れたものだ。監視対象から餌付けされている姿はどう考えても監視役として不適格だが、出水のスキルと対抗でき得る可能性のある人材を城内で選別すると、それは彼女と王宮魔術師長くらいのものだから仕方がない。
一方、真面目な監視役であるミナルは、申し訳なさそうにしながら感謝の言葉を述べた。
「ありがとうイズミ。ただ、あなたから物を受け取るわけにはいかないの。気持ちだけ、ありがたく頂くわね」
そう言うだろうなと思っていた出水は、軽く頷いて大きな飴を取り下げた。
「ミナル先輩はカタカタだなぁ。ありがとうは素直に受け取って、またありがとうと言われるようにお返しするんですよ!じゃなきゃあ、ありがとうの数は世界から減って行くばかりです。それは、いかんともし難いですよぉ!」
「そういう問題じゃないのよ……」
真面目な監視役は、頭を抱えてため息をつく。勿論彼女としても、出水との信頼関係は重視すべきものだ。しかし、信頼しすぎてもいけない。人の心の内は分からないものなのだ。信頼を利用して、召喚した途端に飛び出した男のように王国から出奔するかもしれない。万が一にも、転移者と言う貴重な戦力を失うわけにはいかないのだ。
だから当然、他の転移者たちにもそれぞれ監視役がついている。その中で最も楽をしているのは、倉橋小海と佐々木有紗の監視役だろう。彼女たちは基本的に外へ出ることはなく、二人で住むには大きな屋敷に籠っている。それが許されているのは、有紗や小海のスキルが屋敷に籠っていても王国に利益を齎すことが出来るものだからだろう。
出水がそんな籠り切りの二人への手土産を購入してからおよそ三十分。資産家、もしくは貴族たちの住居であろう屋敷が立ち並ぶ区画へとたどり着く。それからさらに十分程度歩くと、門の前に直立している一人の男性が見えて来る。小海の監視役である男は、出水の姿に素早く気付くと一礼した。
「お久しぶりです、イズミ殿。あなたのご活躍は、王国城下に轟いていますぞ!」
RPGのNPCの様なセリフを放った監視役に、出水は気まずそうに謙遜の返事して開けられた門を通過する。
非常に大きな二階建ての屋敷の庭は、監視役によって手入れされているのか、ガラスの様に透き通った花が咲き誇っていた。出水は思わず感嘆の声を上げる。庭一面に広がるその花は、もうかなり気温の低い時分にも係わらず生命の瑞々しさを見せつけていたのだ。
出水はその花を見たリネータがぼそりと呟いた、美味しそう、の言葉を聞かなかったことにして屋敷の玄関扉の両側に立つ監視役に挨拶を行う。監視役たちはそれに、はきはきした挨拶を返すと重厚な門を開けた。
清掃の行き届いた広い玄関ホールに、かつり、かつりと複数の足音が響く。屋敷内には、転移者二人と数人の監視役と、そして少数の下働きの者しかいないため、立派な外観に反して屋敷内の生活音はあまりない。出水たちの足音は殊更響き、それに気が付いたのか白い奇妙なものが階段を下りて来た。
「う~ん、いつ見てもひょろひょろですねぇ。ちゃんとご飯は食べてんのかー!?痩せすぎだぞ、きみぃ!」
「小海のスキルによって変質したとはいえ、元はただの紙ですからね……」
出水が言葉にした対象は、人の形をした巨大な紙だった。形代。陰陽師たちが人間の身代わりをさせるために使ったとされるそれは、明らかに歩くには不適当な薄っぺらい足で進んでくる。
「だとしても!顔さえないなんてかわいそーです!待っていてください。私がすぐに美形にしてあげますからね」
「やめなさい。この前は大笑いして許してくれたけど、今回もそうとは限らない。彼女は……オウミさんは特に機嫌を損ねてはいけない相手なのよ」
尚も、えー、と口を尖らせるリネータをミナルが力づくで引っ張って行く。
出水は職務に忠実な監視役の言葉を脳裏に反芻させ、その通りなのだろうと思った。倉橋小海は、食えない人物だ。歳は出水より一つ下だが、その雰囲気はどこか老練のものを漂わせている。異世界転移してきた際に最も落ち着いていたのは、転移者の中で一番若い彼女だった。出水の目には時折、倉橋小海が修羅場に対して場慣れしているように映ることがある。
巨大な形代が先導する形で二階へと上がっていく。一見して頼りなさそうな薄っぺらの紙の人型だが、それが訓練で次々に王国の兵士たちを薙ぎ倒す姿を出水は見ている。今は使用人の様な事をしているが、見かけほど安全なものではない。そしてそれは、小海のイメージと合致するものだった。
「小海、有紗さん。入りますよ」
二人が作業をしている部屋をノックし、出水がそう言った。やや遅れて反応が返ってくる。小海らしい少し低く気だるそうな声だ。それを部屋内に響かせたのち、扉が開かれる。
「いずみん、おひさー。元気だった?ケガしてない?まぁそれは、護法天童が知らせてくれるから、隠しても無駄なんだけどねー」
リネータに負けず劣らずの小柄な少女、小海の繊手がするりと伸びて、出水が羽織るローブのポケットから直径五センチ程度の紙を素早く掴みだした。
出水は、異世界に転移してからと言うもの女性の中では最も積極的に、熱心に訓練を受けている。だが彼女は、小海の手癖にぴくりとも反応できなかった。小海と会うたびに同じことをされているにも係わらず、である。
「うん。問題なさそうだねぇ。良かった良かった。あ、これ。新しい分ね」
ポケットから抜き取ったものと同じ形をした紙を差し出した小海は、にへらと相好を崩した。
出水はしばし沈黙し、その紙をゆっくり受け取る。危機が訪れたとき、身を挺して守ってくれるお守りのような物、と随分前に説明を受けたが、それが発動したことはない。もっとも、危機と呼べる状況ともこれまで出くわしてはいないのだが。
「うんうん。いずみんは何だかんだ素直に受け取ってくれるんだから。それに比べて野蛮な男二人ときたら……あ、でも、変な壺とか騙されて買わされないでよー」
「買わないよ……小海のことは信用しているからね」
小海は少し厚ぼったい瞼をニ、三度瞬かせたのち、へへ、っと笑い声を上げた。それから鼻歌を歌いながら部屋の奥にやって来た三人を招く。
「ありさ姉ぇ。いずみんが戻ってきたよ。作業に入ってからそろそろ四時間が経つし、ここらで休憩しよー。ありさ姉ぇが出て来てくれないと、私もいずみんが持ってきてくれたご飯を食べられないし」
「出水ちゃんが!?す、すぐ行きますから、私のことは気にせずに先に楽しんでいて……あ、お、落ちちゃう!あ、ああぁぁ……」
悲痛な声が聞こえて来た扉の先から、どたん、と重い何かが落下した様な重厚な音が発せられた。様子を見に行こうと扉に近寄ったリネータとミナルの前に、さっと小海が立ちふさがり扉に貼られた紙を指さす。侵入禁死。達筆な字で書かれたそれは、彼女がその部屋に何人であろうと通さない確固とした意志を示したものでもある。
「悪いけど、ありさ姉ぇの部屋に私といずみん、リーマさん以外を入れるわけにはいかない。例え監視役でも、例え親切心でも、それは譲らないよ。この部屋は、ありさ姉ぇのパーソナルスペースなんだ」
しかし、と食いつく姿勢を崩さないミナルの肩を出水が掴む。
「すみませんが、私も小海と同じ意見です。有紗さんは、王国から課せられたノルマを毎月こなしています。また、部屋の中に問題がないことは、有紗さんの監視役のリーマさんから報告を受けているでしょう……有紗さん、大丈夫ですか?手伝いましょうか?」
「だ、大丈夫!盾がテーブルから落ちただけですから……あ、床がちょっと傷ついちゃった……」
再び部屋の中から物音が聞こえてきたが、それは有紗が片付けをしている音なのか、先ほどのように大きいものではない。また、盾が落下した際の音を聞きつけて部屋に飛び込んで来た監視役もいたが、小海が事情を説明すると以外にもあっさりと納得したように持ち場へと戻って行く。
「(事情があるとはいえ、ちょっと監視が緩くないかしら……それとも、私が気にしすぎなのかしら?)」
ミナルは浮かんだ疑念をすぐに心の中から消し去った。小海の焦げ茶色の瞳に貫かれ、心中を見透かされた気がしたからだ。
「まぁまぁ。先輩だって、入られたら嫌な部屋とかあるでしょー?例えば寝室の奥の隠し扉の先とか……」
「あああ!もう、分かったわよ。と言うかリネータ!あんたなんでそのことを……!」
「どう見えても私、天才なんで!」
てへっ、と舌を出したその表情は間抜けそのものだったが、毒気を抜かれたミナルは頭を抱えて座り込んだ。そうしていると、侵入禁死の張り紙がされた部屋が開く。中から出て来たのは長身の、しかし背に似合わずおっとりとした雰囲気を持った長髪の女性だった。
「皆さん、ごめんなさい。お待たせしました」
長身が深々と曲がる。それから有紗は顔を上げ、すぐに出水に抱き着きかかった。
「あ、有紗さん?」
「出水ちゃん、良かったよぉ……!!噂でエルフとの戦争に参加させられるって聞いたから、心配で心配で……」
「ああ……」
約一週間前、エルフがエンゲルボーム城塞に押し寄せて来たとの報告が王城に届けられた時、確かに出水はへたをすると戦地に派遣されかねない立場にあった。もっとも、開けた戦場において出水のスキルが有用かと問われると疑問符がつくため、例えエルフと戦争に発展しようとも、彼女を現地に派遣する気はなかった。とはシェダリス三世の談だ。
どちらかと言えば、男二人や、小海の方が巻き込まれていたかもしれない。間接的に、と言う部分では有紗とて例外ではなかった。
結局、エルフとの戦争が起こることは無かった。エンゲルボーム城塞に押し寄せた彼らの目的は、会談だったようだ。どのような内容だったのかは、残念ながら出水の耳には届いていない。王城で、龍瘴の森の怪しげな新興勢力のことについてではないか、と言うひそひそ話を軽く聞いただけだ。
「大丈夫ですよ。有紗さんを置いて遠くに行ったりはしません。約束します」
「うぅ……みんなの中で一番年上なのに、役に立てなくてごめんね……」
「何を言っているんですか。有紗さんが『魔具製造』で強化した武器や防具を王国に供給してくれているから、私たちの行動にそれなりの自由が与えられているんです。私たちの方が、感謝しなければならないんですよ?」
ぽんぽん、と自分より背の高い年上の背中を叩いて出水が言った。その言葉に嘘はない。有紗のスキルは王国の軍事力に寄与できるものだ。『魔具製造』によって魔道具化された盾や剣の性能は、元のそれとは一線を画する。彼女が強化を施した武具は既にシェグルダール王国直属軍の一部に配備され、魔物相手ではあるが実戦において多大な成果を上げていた。
代わりに他の転移者たちの立場を保証してほしい。駄目なら、もうスキルは使わない。転移してから二か月程度経った頃、歯をかちかちと鳴らし、体を震わせながら、そう言った趣旨でシェダリス三世に交渉した姿を出水は忘れられない。何より幸いだったのは、シェダリス三世がそう言った交渉の通じる相手であったことだ。現在転移者たちが監視役の同伴が必須ではあるものの、ある程度の自由を得ているのにはそう言った経緯があったからだ。
謝る有紗を慰めながらゆっくりと座らせ、出水は持ってきた手土産を大きなテーブルの上に広げた。王国の主食としてよく見る魔物肉を混ぜたパンのような物や、ガダラスと呼ばれる楕円形の穀物を甘い液体に漬した物。転移前でも見たことがあるような物や、そうでない物。そしてそれらはほとんどどれも、彼女たちの中では日常にある当たり前となっている。
「味は良いんだけど、口に残るのがねぇ。やっぱり食感ってのは美味しさの一つの要素なんだって改めて思うよ」
ガダラスをスプーンで掬い口に入れながら、小海が批評した。小食な彼女は、更に三、四口ばかり口にしただけで食事を止めてしまう。毎度毎度良くそれで体が持つ者だと、出水は妙に感心してしまった。反して、同じく小柄なリネータは小海が食べない分まで喰らいつくす勢いで手を忙しくさせている。
「オーミさん、体は資本ですよ!資本と言うことは、あればあるだけ良い!こうして食べれば食べるほど、私の価値は増すわけです。はっ!つまり大柄な人は凄い資産家と言えるのでは!?目指せ、体重二倍!」
「あんたの場合は不良債権になるからやめておきなさい。後、口の周りの汚れが酷いわよ」
食事には参加せず、話にだけ加わるミナルがリネータの口元をハンカチで拭う。その一シーンはまるで母と子のようだ。
「お、大柄でごめんなさい。不良債権でごめんなさいぃ……」
「いやいや。ありさ姉ぇは大柄と言うか、一部豊満と言うか。そんな柔らかい不良債権があると思っていいわけ?よこせー!債権回収じゃー!」
「わっ、わわっ!小海ちゃん!」
実に喧しい昼食だが、数週間この館から離れていたこともあり出水はこの喧騒に安らかさすら感じていた。いきなりこの世界に転移させられたときは恐怖で身が竦む思いだったが、少なくとも今、笑うことは出来ている。
出水が自然と浮かべていた笑みを見て取って、有紗に抱き着いていた小海は居住まいを正した。あまり見せない態度に出水が目を瞬かせていると、見本としても全く問題ない綺麗な姿勢になった少女がしみじみと言った。
「いやー、でも数週間顔が見れないと本当に心配だったよ。最近は良くない噂ばかり聞いていたしねー。龍瘴の森とやらに現れた悪魔の軍団が八都市連盟を支配下に置いたとか、Aクラス以上の魔物が忽然と姿を消しているとか、レッドアラート地帯の蛇の王が活動を始めたとか……ちょっと前はガルドオズムとその近くの森に強大な力を持った変質者が現れた、なんて噂が流行ったかな。私の"耳"はいっぱいいるけど、そのうちの一つがいついずみんの不幸な噂を拾うか、気が気じゃなかったよ」
「小海……」
互いに照れくさそうにはにかんだ後、先に小海が耐えきれなくなったのか茶化し始めた。
異世界は、分からないこと、恐ろしいこと、あり得ないことばかりで、一日一日の日暮れに安堵の息を漏らしてしまうこともある。例え悪人であろうと、スキルを使って人を倒す罪悪感に胸を締め付けられることもある。だけど、少なくとも仲間が一緒に居てくれる間は何とかなるんじゃないか。出水は確証の無い、けれど温かな自信で一杯になっていた。




