7.不浄なるエルフたち①
グジ族の鉱山内、特に各施設を繋いでいる大坑道の本道では、十日ほど前に発生した"不死の神珠"の暴走による傷跡を少しでも早く修復しようとする者たちが激しく行き交いしていた。そんな激しい人の流れの中で、一人のドワーフの子供が泣いている。だが、その子供に手を差し伸べるものはいない。獅子は子供を千尋の谷に突き落とす、とまではいかないが、独立心が強いドワーフたちにとって困難とは越えるべき壁であり試練なのだ。当然限度はあるが、気遣わないことこそ子供に対する愛情だと言わんばかりに、誰もが気にした素振りを見せず、ただ丁寧に子供を避けていた。
そんなドワーフの子供の手が握られた。が、その手はとても冷たい。その冷たさに比した冷淡な表情を浮かべていることの多い雪女だが、子供を覗き込む彼女の面持ちは、慈愛と母性に満ちたものだった。
「どうしたの?大丈夫?何か、悲しい事でもあったの?」
ゆっくりと穏やかな口調で雪女が問うと、子供の嗚咽の勢いが少し静まった。何度も何度も鼻をすすり、それからドワーフの子供は自らの右膝を指さす。赤く腫れあがった膝は、子供がそこを強打したことを如実に表していた。
「ああ、痛いのね。坊や、足は動かせる?ええ、折れてはいないのね。よかった」
雪女は安堵の息をつくと、その息を吸い込んだ薄紅色の唇を軽く萎ませて氷の吐息を吐いた。患部を適切にアイシングしたユキヒメが次にもう一度息を吐くと、宙に様々な形をした氷の像が一瞬出来上がり、すぐに溶けていく。刀、斧、金床、槌。子供に見せるにしては物騒なラインナップだが、相手がドワーフなら話は別だろう。子供は泣き止み、小さな氷のショーに目を輝かせて見惚れている。
「わぁ、わぁ、凄い!お姉さん、息で鍛冶が出来るんだね!」
「ふふ、吐息で鍛冶ですか。そうね。私は氷の鍛冶師なの」
ユキヒメは笑ってそう言い子供を立たせたが、彼女はドワーフの気質をこの一週間でそれなりに理解していた。この子供は確かに泣いていたが、五分もすれば独りで立ち上がり、或いは這って帰っていただろう。だから彼女が子供に手を差し伸べたのは、彼女自身の基底から生じた行動に他ならなかった。
そんな様子を間が悪く目撃してしまった者が居る。人間の中でも高身長で筋肉質な大男リーダスだ。低身長ばかりのドワーフたちの中で非常に目立つ彼は、そろり、そろりと忍び足でこの場から離れようとする。見てはならないものを見てしまった。何故かそんな気持ちになった男の行動は、とても不審なものだ。
「……ネズミはネズミらしく立ち回って欲しいものですね。ですが丁度よいタイミングです、リーダス。私がこの子を抱えると、ドワーフたちに余計な警戒を与えてしまうかもしれません。まぁ、あなたの気配も似たようなものかもしれませんが、少なくとも氷の化け物よりかはまだ良いでしょう……何を困惑しているのです?この子を丁寧に抱きかかえなさい。早く、親元へと送り届けますよ」
「う、うす」
周りのドワーフたちが、余計なことを、とでも思っているかもしれないことを雪女は分かっていたが、彼女には子供を見捨てることが出来ないのだ。
リーダスは短く返事をして、ユキヒメの言う通りドワーフの子供を抱きかかえた。
二人は黙ったまま、ドワーフの子供の案内に従って歩き始める。
入り組んだ坑道内を数分間進み、小さな居住区らしき場所に出ると、ドワーフの子供の顔色がより明るい物へと変わった。と同時に、降ろしてほしいとラグダムに伝えてくる。抱きかかえられながら連れて来られた姿を、親に見せたくなったのかもしれない。
ユキヒメとリーダスにお礼を言って、子供は足を引き摺りながらもゆっくりと歩き始める。その後ろ姿をしばらく眺めた後で、雪女は小さく笑って踵を返した。
丁度良い機会かもしれない。リーダスは、まだそれなりの恐怖心を雪の化け物に対して持ちながらも、自身の胸中で渦巻くある疑問を前を歩くユキヒメにぶつけた。
「……姐さん、本当にあの決定で良かったんですか?」
あえてボカして、あの、と言ったリーダスに、雪女は不快な感情を隠さずに答える。
「私の不興を買ってでもその答えを知りたいのなら、はっきりと物を言いなさい。曖昧なその言い方は、余計に不愉快です」
「すんません……本当に旦那の言う通り、ドワーフたちの裏を探らないで良かったんですか?天敵のエルフをドワーフが匿っているなんて、絶対に明らかにできない何かがありますよ。もしかしたらそれこそが、"不死の神珠"がエルフからドワーフの手に渡った理由かもしれないですし」
「……主様は、ドワーフの裏を探るな、とは仰っていませんよ。ただ、エルフを匿っていると言う情報は冥天神との契約の中で得たものですので、それをドワーフたちに切る札として利用してはいけない、と言うだけです」
エルフをドワーフが匿っている。ヴァリスがそうラグダムに突きつけたとき、氏族長補佐のドワーフが瞬間固まったことをユキヒメは見逃してはいなかった。"不死の神珠"の騒動が解決し、ドワーフたちの用意した宴席を楽しんだ後、雪女は当然主に聞いたのだ。
ドワーフがエルフたちを匿っている理由や、経緯を。
しかしヴァリスが冥天神から与えられた情報は、加護を失ったエルフをドワーフが匿っている、ただそれのみだ。ドワーフたちへの切り札になり得るかもしれない情報は、残念ながら掴めていなかった。
だがドワーフたちは、ヴァリスがどれだけの情報を握っているのか分からない。そして、だからこそ見せたと思われる少しばかりの、ラグダムの動揺。
ヴァリスが持っている情報は形ばかりの幻の刃だが、相手を脅かせるのに十分なものであることをユキヒメは確信していたのだ。
ところが、その幻の刃を用いて有利に立ち回ろうと提案したユキヒメに、主は首肯しなかった。
曰く、加護を失ったエルフたちを迎え入れることは冥天神との約束であり、その約束の内容を利用するような形でドワーフを脅すことは、冥天神に対する不義理だ。また、その情報を利用してドワーフを刺激すると、冥天神との約束を果たすことが難しくなるかもしれない。だから悪いが、ドワーフたちの膨らむ疑心を利用することはしない、と。
結局騒動の翌日にグジ族の重要人物たちとの間で行った会議でヴァリスは、彼が持っている情報をあからさまに探ろうとしてくるラグダムを除いたドワーフたちに対して―それをドワーフたちが信じるか信じないかは頭になく―加護を失ったエルフをドワーフが匿っていること以外は何も知らないとあっさり白状したのだ。
いつまで経っても話が進まないことに苛立ったのか。冥天神との約束を果たす上でノイズになると判断したのか。だがその暴露の瞬間に溢れた気迫は凄まじいもので、氏族一、二の猛者である現氏族長ですら縮み上がり、ドワーフたちの気勢は萎びた枯草のようになってしまった。それ以降ドワーフたちは明らかにヴァリスの顔色を窺うようになり、やり過ぎたと彼が謝った時などは、逆にドワーフたち全員が平身低頭する異様な一場面が繰り広げられることとなった。
不思議と対等な関係にこだわるヴァリスとしてはその状況が好ましくなかったのか、彼の提案で話し合いは翌日に持ち越される。そして八日ほど前に、ヴァリス率いる新興勢力とグジ族の間で、幾つかの軽い協定が締結されることとなった。
グジ族側にとっては、技術提供や人材派遣、製造した武具の優先的な購入権、サロイザースへ支払う輸送費の負担、鉱石の取引価格の融通などなど、かなり不利な内容となっている。だが"不死の神珠"の騒動を収めた対価を支払っていることを考えると、それなりに妥当なのかもしれない。龍瘴の森から採掘される特殊な鉱石を独占してしまおうと言う意思が垣間見える協定も幾つかあり、グジ族もちゃっかり狙うところは狙っているようだ。
それらの内容と同じくらいヴァリスを喜ばせたのは、他の氏族の保護下にあるエルフをヴァリスへ引き渡すようグジ族が働きかける、と言った文言だ。もっともそれは、ドワーフの立場を考えた秘密裏の非公式的なものではあったが、そのことに関して神と約束した男は理解を示した。
そうして表面上は穏やかに、ヴァリスたちとグジ族の話し合いは終わりを迎えたのだった。
「勿論グジ族と、ドワーフと波風立てたくないってのは分かるっすよ。それでレド神との契約を履行しにくくなったら……神罰とか、考えるだけで恐ろしいですし。でも冥天神からの情報を利用しなくても、旦那ならその力を誇示するだけで大抵の相手に言うことを聞かせられるでしょう?そりゃ遺恨は残るでしょーが、そもそも旦那を今回の騒動に巻き込んだのはドワーフたちです。その腹を探られるのは仕方のないことですし、"不死の神珠"を無力化するためにレド神と交わした契約に、ドワーフが協力するのも当然のことでしょ」
ユキヒメは、肩を竦めてそう言ったラグダムに振り返り、胡散臭いものを見るような冷めた瞳をぶつけた。リーダスの主張は、細部は違うが大筋はユキヒメの考えと似ている。だが雪女は、この屈強に見える小心者がわざとそのように言ったのだと見抜いていた。
「次は警告しませんよ。はっきりと、物を、言いなさい。私を焚き付けたいのか、それとも他の意図があるのかは知りませんし興味もありませんが、苛立たせたいのなら見事に成功しています。今あなたの身が凍っていないのは、子供を送り届ける手伝いをして頂いた借りがあったから、ただそれだけです」
「す、すす、すみみません。ただだ、こおおって、ててますうぅ!」
しまった、と雪女は自然と漏れていた冷気を鎮めた。悪意があってリーダスを軽く凍らせたわけではなく、感情の高ぶりに合わせて勝手に冷気が広がってしまうのだ。見た目に反して激しやすい雪女は、だからこそ無表情に、冷静にいるよう努めているのだが、どうにもこの大男には苛立ちが隠せない。
「……探るようなことをしたことは謝ります。姐さんならもう手を打ってるんでしょうが、俺はグジ族の……恐らくドワーフたちの隠し事を何としても確かめるべきだと思っているんですよ。でもそれは、ドワーフたちの秘密に脅威を感じるからだとか、両親が係わったこともあって興味があるからだとかじゃないんです。いや、好奇心はあるんすけど。俺はドワーフたちの隠し事より、ヴァリスの旦那が恐ろしいんですよ」
軽く固まった毛髪をぐしぐしと両手で押さえつつ、大男はそう言った。ドワーフの秘密を明らかにするべきだと言う主張と、主が恐ろしいことがどう繋がっているのか雪女はいまいち解せなかったが、彼女はリーダスが続けて言葉を出しやすいように余計な口を挟まなかった。
「言い方が悪かったですね。俺が本当に知りたいのは、旦那が言う約束や対等って言葉を、ドワーフたちが反古にする可能性がどれくらいあるのかってことです。同じ言葉でも、考え方や立場によっては受け止め方なんかも違いますからね。ドワーフの隠し事は、旦那を裏切るかもしれないほど彼らにとって重大なものなのか、あるとしたらどう備えるべきなのか……俺は、激怒した旦那なんて想像したくもないんすよ」
人間の中ではもっともヴァリスと付き合いが長いリーダスは、そう言って上腕を反対の手で抱え、巨躯を一度大きく震わせた。
ユキヒメは得心したように、ああ、と小さくこぼす。彼女には、リーダスが言葉にしたような考えはなかった。雪女がドワーフたちの隠し事を暴くべきだと思っている主な理由は、それが自分たちにとってどのような影響を与えるのか、それを握ることで相手からどれだけのイニシアチブをとれるのかを知るためだ。
ユキヒメも、ドワーフが彼らの秘密のために、自分たちを裏切る可能性について想像しなかったわけではない。だが実のところ、それに対して備える必要性は大して感じていないのだ。
裏切りには報いを。雪女からすれば主がドワーフに激怒した際に、それを宥める理由が見出せない。鬼となった主と、そしてその配下たちによる魑魅魍魎の行進がドワーフを滅ぼすだけだと言う絶対の自信がある。主が追い詰められようなどとは、少しも思わない。そしてその後の事も、主の隔絶した力があればどのようにでもなり得る、と信じているのだ。
ただ主がそう望んではいない以上、雪女は自分の考えを押し通すことはない。
「ならば精々、主様の寛容さに感謝し、そして祈ることです。ドワーフだけが、主様の逆鱗に触れる可能性を孕んでいるわけではないのですから」
「肝に銘じます……まぁ、だから旦那は、約束とか対等ってのにこだわるんですかねぇ?強い存在が、自身の力を理由なく振りかざさないための線引きって言うのか何なのか。弱者の俺には、分からんのですが」
「……それは我々の存在がゆえ、なのでしょうがね。我々の値は、他の勢力はおろか我々ですら正確には付けられないのです……そろそろ時間でしょう。主様の元へと参りましょう」
そう言って雪女は、本道へと進めていた歩みを速めた。身長と身体能力だけならそれなりに高いリーダスだが、歩み、と言える足の動かし方ではその後についていけない。大男は仕方なく、小走りでその後ろ姿を追いかけ始めた。
その頃、新興勢力の主はと言うと目を丸くして驚きを露わにしていた。何故なら、ククルマズナ神に見棄てられたと言うエルフたちを引き渡す準備が出来た、とラグダムが言葉にしたからだった。"不死の神珠"の騒動から十日。グジ族との交渉からはたった八日。あまりにも早すぎる、と驚くには十分だろう。
「これがグジ族の力です、と言いたかったのですが、残念ながらそうではありません。実はヴァリス殿がレド神と契約を結ばれたその日、各氏族の庇護下にあったエルフたちに神託があったようなのです。そのこともあり、非常に早く話がつきました。流石にどの氏族長も、神罰を受けたくはないようですね。我々ドワーフは、"不死の神珠"に、レド神にトラウマもありますから」
「ほー、冥天神がねぇ。いや、それにしても早くない?ドワーフ九氏族共同体ってそんなに領土が狭いのか?」
「普段は物資輸送にしか使わない魔蓄動車を数台利用したのです。別種族、いえそもそも人を大量に移送するための設計ではないので、エルフたちには大変不評でしたが……ええと、馬車より速い移動手段とお思い下さい」
「自動車みたいなもんがあるのか?ドワーフの技術は凄いな。いや、本当に感謝するよ。言っても、ラグダムが色々手配してくれたからここまで早かったんだろう」
「……勿論、ヴァリス殿の要望に応じるためにグジ族も努力は致しました。ですが、これほどあっさり話がついたのはやはり、"不死の神珠"の騒動を収めたヴァリス殿のことが、エルフたちの口から各氏族に伝わっていたからこそでしょう。それでも我らの働きを認めて頂けるのでしたら、今後ドワーフに用事がある際にはグジ族にご用命頂ければと思います」
ラグダムの柔和な物腰や会話の中に時々混ぜられるちょっとした要求には、もはや聞き慣れたとばかりにヴァリスは苦笑した。ただそれらの要求は、必ずヴァリスに得のある働きを行った上で提示されるため、新興勢力の主にはどうにも断り辛いものがある。だから今回のこの要求にも、断言はしないが小さく頷いて見せるしかなかった。
もっとも、ドワーフ、特にグジ族以外の他氏族についてあまり知識のないヴァリスにとって、この要求を呑むことはさほど悪いものではないかもしれない。
「それも考えておくよ。他のドワーフたちに対する交渉の窓口になってくれるなら、ありがたい部分もあるし……こちらの意や利を汲んでくれるのなら、だけど」
「それは、もう。さて、もう一つ急な報告で本当に申し訳ありませんが、エルフたちの代表から、神託に従う前にヴァリス殿へお目通りしたいとの訴えがありまして。どうなされますか?」
鉱山の中だとは思えない、綺麗に整えられた貴賓室にヴァリスの悩まし気な唸り声が響いた。会うこと自体に特に抵抗はないのだが、交渉事が苦手な男は、そろそろこの部屋に来るであろう二人を待ちたかったのだ。
「会うのはいいんだが、ちょっと待ってて貰っていいかな。ユキヒメとリーダスが来るのを待ちたいんだ」
「分かりました。ヴァリス殿が望まれるなら、何時間でも待ってもらいましょう」
「いやいや、そんなに待たせる気はないさ。一時間後に連れてきてもらっていいかな?こっちの都合が悪くなったら、そのことを伝えるから」
「承知致しました」
ラグダムはそう言って静かに背を曲げて一礼した後、貴賓室の扉から退出した。
数分も経たないうちに、その扉が再度開かれる。扉から入って来た大男と雪女の姿を見たヴァリスは早速、エルフの代表と会うことになったことを伝え始めた。




