5."不死の神珠"―冥天神レド―
気が付くとヴァリスは、ドワーフたちの鉱山内の薄暗さに似た闇の中にいた。骨に闇。強い既視感に、つくづくエグンシェムと戦った時のようだ、と頬を掻く。だがこの闇は、ヴァリヴァダスによって起こされたその場所とはまるで違っていた。
ふと横を見ると、人の形状をした白い影が何かを昇っている光景が飛び込んで来た。螺旋状に続くそれを、その白い影はひたすら踏みしめる。気になって螺旋の行く先を確かめるために上を見上げると、そこには眩い極彩色があった。
あの白い影は、目が痛くなる奇妙な光を目指しているのだろうか。再び視線を落とすと、また白い影が螺旋を昇っていく姿が見えた。だがその影は、先ほどのそれより小さく、歩みが遅い。
「何なんだ、こりゃ?」
自身が四か月半ぶり二回目の不覚を取ってこんなところに居ることは、彼も分かっている。ユキヒメに焦らないようにと言っておいてこの失態だ。唯一マシなことは、雪女やリーダス、狸たちにラグダムが恐らく巻き込まれていないことだろう。
そうして軽く落ち込みながらに下を見ると、そこにも白い影があった。最初に見たものとも、次に見たものとも違うその白い影も、螺旋状の何かをひたすら歩み続けている。妖怪ながら不気味に思って彼は、正面を向いた。
「……昇れ、ってか?」
螺旋状の階段がいつから正面にあったのか、いや、未だにあるのかすらヴァリスには分からない。最初から存在していたようにも、ついさっき現れたようにも、そんなものは何も無いようにも思える。
とりあえずヴァリスは、その存在が曖昧な不気味な階段より、まず周りの状況を調べようと右を向いて歩を進めようとした。
だが、そこにはあったのは螺旋状の階段だった。不思議に思い左を向くと、そこには白い影が、階段を昇る姿がある。意地になって、じゃあ、と左へ足を向けると、そこで淡く光るのは螺旋状の階段だ。
「魑魅にでも化かされてんのか?はぁ……」
右腕を力ませる。それが赤黒く変色し、何倍にも輪郭が膨れ上がったことを確認した男は、まぁ無意味だろうな、と思いつつその腕を足が踏みしめている闇に対して突き出した。
衝撃も音もなく、腕が闇の中へと突き刺さった。底なし沼のようなその中で藻掻く様に暴れる腕だったが、何の感触もないことが分かるとすぐさま大人しくなり、闇の中から引き抜かれる。
やはり、昇るしかないのか。なんだか癪に思って、ヴァリスは淡く白く光る階段に近づきその一段目、ではなく跳躍して数百段目に着地した。はずだった。
結局男の両足が踏みしめていたのは、一段目だ。上を向くとそこには無数の段差があり、下に至っては何段目か確認がいるほどの高さもない。どうやら、ズルは許されないらしい。それでも歯がゆく思って今度は階段から降りてやろうとしたヴァリスの頭を過ぎたのは、自身が生み出された瞬間の記憶だった。
「……!なんだ、今のは?」
気になって、ヴァリスはもう一段階段を上がってみた。その記憶がこの階段から去来したものだと言う予感があったのだ。するとやはり、生み出された次の瞬間の記憶が浮かんでくる。
三段目、四段目。続けざまに昇るとまたしても、錆び付いていた過去の記憶が紐解かれた。いやそれは記憶、と言うにしてはあまりにも実感的で、本当にその瞬間を生まれ直しているような気さえしてしまう。
大妖怪・大嶽丸であった頃とヴァリスでは、過去の行いに対して感じることに違いがある。次へ、また次へと昇り続けるうちに、男の表情は険しくなっていった。
だが、歩みは止めない。転移直後の男であれば、とても直視できるものではなかっただろう。だがヴァリスは、自分を生み出した何者かの目的に従っていたとはいえ、過去に行った己の悪行を今一度見つめ直していた。
何百段、何千段、何万段。男の生きてきた何百年もの月日の長さを考えれば、それは何処まで続くのだろうか。終着点はまだ見えない。すでに悪鬼羅刹として振舞っていた記憶は通り過ぎている。一段進んだ先にあるのは、生気の感じられない男がひたすら無為徒食の日々を繰り返すだけの、起伏の乏しい実感だ。
ふと、下を見る。そこには無数の白い影が、ヴァリスと同じように螺旋状の階段を昇る姿がある。一つ一つは煤け提灯のように小さく淡く光っているだけだが、それらが集まって出来た光景は、あまりに眩い。
ただ、それらには終わりがある。階段を昇り切った白い光が、ふっ、と姿を消す。その向かう先は何処なのだろうか。それとも向かう先などないのか。
ひたすら無言で、先へ先へと駆け昇る。科学ではなく神秘が人の拠り所になっていた時代を過ぎ、恐怖や不安が得体の知れない何かからより現実なものへと変化していき、超常がその正体を暴かれ管理されるものへとなっていく。
もうどれだけ経ったのだろうか。この暗闇の中で階段を昇る時間と、一段昇るごとに思い出される記憶の体感時間が、奇妙齟齬を起こしている。
一時間?二百年?六時間?八百年?
ひたすら続く砂漠を、歩き続けるような渇望感。しかし、それさえも感じられなくなったその時にはもう、記憶は現代まで迫っていた。
もう少し、あと少しでこの螺旋を昇り切ることが出来る。そう思い、残り少ない発光する階段をまた一つ踏みしめた時だった。
記憶にノイズが入る。二つの映像を重ね合わせたような気持ちの悪さが襲ってきて、ヴァリスは片目を瞑りながら顔を顰めた。
「……?今のは?」
いつぶりの独り言だろうか。ただ歩み、沈黙し続けていた男はつい先ほど見た記憶の異常さに、そう言葉を出さずにはいられなかった。
更に一歩。
「……」「まぁ、そう言うなよ。これは、君にとっても十分なリータンのある話なんだ。ちょっとくらい、耳を貸してくれてもいいだろ?」
一歩。
「……」「いやいや、その疑問は確かにもっともだけどね?でもこの世には、いや、別の世にも次元を超えた不可思議な力はあるもんだよ。人間の想像できることは人間が必ず実現できる。なんて言った作家もいるようだけど、私の経験として人間のそれは、所詮高位の存在が許した管理内で起る必然でしかないんだ」
一歩。
「……」「え?本当に断るのかい?そんなのありかよー。こんな運命的なデーモンミーツゴットを果たせば、普通は頷くもんじゃ……いや、なんかそれじゃあハルマゲドンでも始まりそうだな。撤回だ。撤回します」
明らかに覚えのない記憶。男には、気安く自分に話しかけて来るような存在が居た記憶はない。人間に混じって数えきれなほどの日々を送っていたとはいえ、友や恋人などは当然として、顔見知りと言えるような存在さえ作ったことはなかった。
なら、この気安く話しかけて来る存在は何だ。とは、ならなかった。今の彼は、その人間離れした中性的な美しき相貌を知っていたからだ。
「なんでヴァリヴァダスが、転移前の記憶に……!?」
頭が激痛で蝕まれる。その答えを、拒むように。
それでも、知らずにいるよりかはマシだ。突き動かされるよう一段先へと伸ばした足が踏んだのは、階段ではなかった。
そこには何の感触もない。いつの間に淡く輝いていた階段は消えている。何が起こったのかと眉を顰めていると、闇の中から青く燃える一つの線が顕れた。それは奥に、手前に、横に縦にと法則なく回転し、その軌跡が巨大な瞳のようなものを形作る。
「無聊」
頭の中に直接侵入してきたような、頭蓋に反響する音が響く。タイミングからして恐らく、この青い瞳のような、果てのないトンネルのような、世の円環を表現したようなそれが発したのだろうと、ヴァリスは勘付いた。
「無聊。汝の生と比較すると、ヴァーダンガーの創造物や理の不純物のそれ方が意味を感じる。我がツールは、先と違い見誤った」
「……俺の生がつまんないってのは否定はしないが、あんたはなんなんだ?この暗闇や、さっきの階段を用意した奴か?」
回転する青い円は、体と呼んでよいのならその身を伸ばした。勢いを大きさ増す回転は、青から赤へ、赤から紫へ。何度も何度も色を、速さを、大きさを変えていく。
「是。我が称されるは、冥天神レド。だが、名称など不必要。我はただ、我を実行できればよい」
抑揚のない、平坦な声だ。いや、声ではない。それは頭脳に直接情報を伝達する、意味のない音だ。壊れたラジオが発した耳障りなノイズなのに、それが何を言っているのか正確に分かるような、何とも言えない気持ち悪さがある。
「言ってることの意味がわかんないんだけど……そんなことより、さっきの階段まで戻してくれないか?確かめなきゃならない事があるんだ」
「否。生とは、その消滅までの一度限り。歩を進めた以上、振り返りは出来ても、下りは出来ない」
「……どうしても戻してくれないのか?」
「是。権能が綻びたならば、意味がある。我は等しく迎え。我は正しく送る。それ以外に、歓心はない」
自分に対して特に敵意はなさそうだが、そもそもそれほど興味もなさそうだ。ヴァリスはそう思いながら、まじまじとその円を見た。
神、と呼ばれるものにしてはあまり神威のようなものは感じられない。しかし、ヴァリスが手出しできる存在でもなさそうだ。ただの青い円に、どう有効打を与えれば良いのだろうか。
「はぁ。はいはい、そうですか……ん?冥天神って言ったら、"不死の神珠"を創造した神だったよな。なんかあれ、ドワーフたちの迷惑になっているからどうにかならないのか?」
記憶の不一致を確かめることが出来ないことが分かったヴァリスは、不貞腐れながらそこで初めて冥天神レドと言う名称に頭が回る。
あまりに気安い物言いに激怒でもしたのだろうか。回転する紫が、急速に萎み、増大する。紫から、黄緑へ。黄緑から赤へ。そうしてしばらくの沈黙の後返ってきたのは、変わらない機械的な音だった。
「熟考。完全停止で、良いのか」
それは、良い、と言えばすぐにでもそうしようと言うような気軽さだった。
アンデッドの軍勢を生み出し、殺戮と破壊を行う"不死の神珠"。ヴァリスの認識はそうだったのだが、その神器を創造した者にとってはどうなのか。
もっともヴァリスは冥天神レドについてほぼ知識がなく、また神の視座を理解できるはずもない。
「え?良い、って言ったら無力化してくれるの?」
「是。我がツールは、これより先、不要と判断」
「凄い話が通じる神様じゃん……なんで、さっきの階段には戻してくれないんだよ……?」
闇に手と顔を突っ込み落ち込むヴァリスに対して、冥天神はその疑問を無視して音を発した。
「条件提示。我が信奉者たちを、汝の領民とすること」
流石に無償じゃなかったか。立ち上がった男は、どうしたものかと腕を組んで考える。冥天神の信奉者として思い浮かぶのは、骸骨や腐敗した死体だ。ヴァリスにとってそれは、そこまで嫌悪感のあるものではなかったが、その周囲の者の反応は肯定的ではないだろう。
「その信奉者って、亡者たちか?う~ん、船に乗せてくれるのかなぁ。人間もマーマンも嫌がりそうだよなぁ」
「否。ククルマグナの傲慢たる加護を失いし者たち。人が称するは、エルフ。我が信奉者たちは、その名に烙印を押された者たち」
「ククルマグナ……ってえっと、エルフたちの神様なんだっけ?いや、エルフたちが住んでいるっている森に行く予定は今のところないんだけど」
「否。ヴァーガンダーの創造物、ドワーフに問え。我が信奉者たちは、彼らの監視下、庇護下にある」
「ドワーフの庇護下に?へぇ……」
それがグジ族なのかは分からないが、ドワーフにとって不倶戴天の敵らしいエルフをどうして庇護下においているのか。なんだか怪しい話だとヴァリスは低い声を上げた。
「まぁ、俺としても人手が増えるのはありがたいが……ドワーフが素直に応じてくれるのかな。神意だと言えばいいのか?まぁ、分かったよ。"不死の神珠"止めるためって言うなら、頑張ってみるさ」
乱雑に暴れ狂っているように見えるのに、青い線は絶えず正確な楕円を描いている。冥天神レドは、ヴァリスの返答を得ると短く、是、とだけ音にしてまたしてもしばし黙した。
「全機能停止完了。汝も、誓いを果たせ」
「勿論、約束は守る」
「是。汝に、期待する」
そう音を出した回転する青き線は螺旋を描き、小さく、また小さくなっていく。それともヴァリスの方が大きくなっているのか。遠ざかっているのか、近付いているのか。
神との邂逅を実現させていた空間が、ぐにゃり、とひずむ。合わせて、ヴァリスは浮遊感を感じていた。
無数の白い影が、屈強な男の左右を、上下を、通り過ぎる。光の乱反射が果てなく繰り返されているような光景だったが、膨らみ続ける極彩色がそれを飲み込んでいく。
その目に悪い眩さに男が瞬き一つすると。
そこは一面氷漬けになったドワーフの鉱山内だった。




