0.『百鬼夜行』から
八都市連盟に所属している港湾都市サロイザースは現在、非常に危うい立場に追われていた。すでに各国の密偵によって、死龍エグンシェムを斃した男ヴァリスと、サロイザースが三か月前に貿易協定を結んだことは、大陸中に広まっている。だが、それだけならここまでの大事にはなっていなかっただろう。あらゆる勢力が敏感になっているのは、エグンシェムを討ち果たした男ヴァリスが保有している軍事力が新興勢力とは思えないほど強大であり、かつ異形だからだ。
姿形が違うものに対して、敵意を抱くのは当然のことだ。しかも、一部の魔物まで配下に加えた悪魔の軍団を保有していると噂が立てば、それと関係を持ったサロイザースが野心を抱えていると見なされても不思議ではないだろう。
当然同じ八都市連盟の諸都市の代表からも追及を受け、サロイザースの代理領主であるオクト・ラズームはストレスで常に胃を痛めている状態だ。
では、彼はその悪魔の軍団から圧力を受けて渋々不利な貿易協定を結んだのか。
答えは、否だ。サロイザースとヴァリスが締結した貿易協定は、取引の損益を計算できるものなら誰が見ても公平なものだった。いや、国の基本も出来てはいないとはいえヴァリスが噂通り死の龍を打ち滅ぼすほどの強力な軍事力を持ち、龍瘴の森の豊富で希少な資源を手中に収めていると仮定するなら、彼の方が損をしていると言えるかもしれない。軍事力を背景に取引を有利に進めるのは、いつの時代も変わらない外交の基本だろう。 現に、国家クラスの経済力を持つと言われる大商会であるメイラハク商会は、龍や龍騎士が背後についていることを匂わせることで、一有力商会から一気にのし上がったのだ。
「……この部屋も、広くなりましたね」
もう二十数年面倒を見ていた、親友たちの息子の居ない執政室を眺めて、オクトはしみじみ呟く。彼は現在、サロイザースの代表としてヴァリスたちの元に派遣されている。強面には似合わない滂沱の涙を流し、膝も腕も笑わせて執政室から出て行ったその時の様子を、オクトはよく覚えている。何も嫌な役割を押し付けたわけでは、あるかもしれないが、それはその男の事を考えてのことだ。この街では、男は常に『英雄たちの息子』との色眼鏡で見られるのだ。いい加減、彼はこの街から解放されるべきなのだろう。
「さて、本日も山のように陳情書が来てますね……流石にこのままでは、近いうちに代理領主の座を追われるかもしれません。シェグルダール王国、と言うよりはガルドオズムからの工作員が日々、扇動のために多数やってきていますからね。そうならないように努力はしますが、あなた方にもその可能性を考えておいて頂きたい。いつまでも、ドワーフたちとの関係を盾にこの身を守ることは出来ませんから」
オクトはいつの間にか誰も居なくなっていた前方を向いてそう言う。だが少し上を見上げると、天井に張り付いている一匹の蜘蛛の姿がある。
「……了解致しました。主様がドワーフ九氏族共同体の領土から戻られた暁には、そのようにお伝えしておきます。また、こちらは太三郎殿からの手紙になります。主様が拠点に居ない間、停止している交流と契約の一部についてお聞きしたいことがあるとのことです。詳細は、その手紙の中に」
糸を垂らしながら天井から降りてきた一匹の蜘蛛は、見目麗しい女の姿になってそう言い、手紙をオクトに渡した。それから絡新婦はどこか残念そうに目を伏せ、ぺこりと一度頭を下げて蜘蛛の姿に戻ると再び天井に張り付き、そのまま天井を伝って窓から外へと出て行く。
「少し目を離すと、いつの間にか居なくなっている……私が気付かなかったら、何をされていたのでしょうかね」
オクトはやれやれとばかりに肩を竦めて、それから陳情書の山に手を付け始めた。彼らと付き合い始めてから、このようなことは日常となっている。いちいち、心の淀みにするわけにはいかなかった。
龍瘴の森の主であった龍が斃れ、この場所の特徴と言えた瘴気が少しずつ薄まり始めてから四か月と半月。その間に、ヴァリスと妖怪、そして魔物たちが暮らす龍瘴の森はその姿を一部とはいえ大きく変えていた。まだまだ、村と呼べるほどの規模ですらない。簡単な櫓や柵を設置し、あばら家に近い建物が数件建てられたのみだ。しかし、これまで龍瘴の森に人工物が建てられたことなど殆どなかったことを考えると、その進歩は大きいと言えるかもしれない。
現在そんな発展途上の場を預かっている『八百八狸』の大物狸である太三郎狸は、隣で様々な計算を行っている算盤小僧の横で、その人ほどにもある獣の体躯を軽く揺らしながら忍狸たちの報告を聞いていた。
「そうか。ご苦労様だったのぉ、忍狸たち。一班は拠点で休息をとっとくれ。二班は一班の代わりに、森の近くで活動しているガルドオズムやその他の勢力の密偵どもの監視を引き継いでほしい。あぁ、空飛ぶトカゲの目には特に気を付けるようにな。ただし、危険を感じたら撤収と報告を優先するように」
報告を終えた忍狸たちが日向ぼっこを始めたのを見てから、太三郎は額に滲んだ汗を拭う。現在この拠点の、この新興勢力のトップであるヴァリスは、サロイザースの貿易船団の一隻に乗船して、ドワーフ九氏族共同体の氏族の一つグジ族の元へと外交に出かけている。これから先、龍瘴の森から採掘される鉱石の取引相手としては最大手となるであろうドワーフ九氏族共同体に面を通すことは、非常に重要なことだろう。
しかし、もう少し情勢が落ち着いてからでも良かったのではないか。日々報告される他勢力の監視の目の多さに、太三郎は頭の片隅でそう思わずにはいられない。かといっていつになれば情勢が落ち着くのかと問われれば、正直予見のしようがないだろう。三週間ほど前、シェグルダール王国北東部の要衝、エンゲルボーム城塞へエルフたちが大挙として押し寄せてきたと言う情報が正しいのならば、今をおいて好機は無いのかもしれない。
少し考えこむように大きな白いお腹を撫でていると、コボルトリーダー率いるコボルトたち総勢三十体が巡回から戻ってきた。『従属百鬼化』の効果により、百鬼夜行の一員となった彼らとはやはり言葉は交わせないまでも、何となく意思疎通を行うことが可能となっている。戻ってきた彼らを労わる様に太三郎が出迎えると、コボルトリーダーも軽く手を上げて返した。
「戻ったか、コボルトの。拠点の周辺と、坑道はどんな様子だった?」
特に問題ない、との意思表示を受けて太三郎は満足げに頷く。
主に土を操る魔法によって、たった二か月半程度で曲がりなりにも坑道と呼べるものが完成したことには、現代の技術を知っているヴァリスも流石に驚愕せずにはいられなかった。オクトの手配した魔術師たちと土木作業員は、かなり優秀な腕を持っていたのだろう。魔物の中には土を操る魔法を使えるものも数体いたが、彼らの真似が出来るものは一体とて居なかった。もっともこれは専門的な技術の問題で、魔物たちの魔力が低かったり、魔法に対する知識が浅いわけではない。
「ふぅ。このまま今日は、何事もなく終わってくれればいいんだがのぅ……そうは問屋が卸さんだろうなぁ」
彼の予感は、早々に現実のものとして実現したようだ。少し遠くで、ヴァリスの仲間の魔物たちと妖怪が火花を散らしている姿が目に入る。
妖怪、魔物が入り混じるこの新興勢力は、まだまだ互いに互いの事を理解しきっていない。頭であるヴァリスの目が届く間は、その腕っぷしに畏怖してかそれほど諍いは起こらず、彼の意思には皆が大体従っている。だがその重しが一時的にとは言え無くなった今、それまで鬱積していた不満が爆発するのも当然だろう。
太三郎は仕方なく、己の力を行使する意思を固めた。相互の理解は、時間でしか解決できない。それまでに致命的なズレが生じないよう、彼は自身の力による抑圧を行い、憎しみが自分に向かうよう仕向ける。それが、彼の大将に対する忠義であり、仲間たちに対する彼なりの親愛だ。
コボルトリーダーを、ハイオークを数多の魔物や妖怪を幾度となく下し、自らの力量を証明し続ける太三郎は、自らが得意とする変化の術を―忍狸たちとは到底レベルの違うそれを―争いを始めそうな妖怪と魔物たちに、ではなく争いが始まりそうなその場所に向けて使うのだった。
八都市連盟の一つ、商業都市エンセームには決して破ってはならない大原則がある。
メイラハク商会の本社より高く大きく目立つ建築物を建てることなかれ。
ただ、そのような建築物を建てること自体が難しいだろう。大陸有数の資産、経済力を持つメイラハク商会の本社は、商業都市を号するエンセームの中でも群を抜いて巨大で、絢爛なのだ。もっとも地理上、貿易においてそれほど有利とはいえない場所にあるエンセームが商業都市などと声高に称せるのは全てメイラハク商会のおかげであり、この街で商いを始める者はそのおこぼれに与ろうとする人間ばかりなのだが。
そのメイラハク商会で今、長男と長女による後継者争いが起こっていた。と、言ってもメイラハク商会現代表であり、メイラハク家現当主であるサティーマ・メイラハクは至って健康である。メイラハク家は代々、現当主が四十を迎えた際に男女や歳を問わず、ある試験を行い次期後継者を決める風習があるのだ。長子相続を原則とする人間国家が大多数の中、これが許されているのはメイラハクだからこそだろう。
しかしこの試験が形骸化していることは、商いを行う者でなくとも知っている。すでに八都市連盟の諸都市、シェグルダール王国、レマイナル=マグレーフなどの各人間国家は、長男が跡取りになった先の事を見据えて行動を起こしているのだ。
陽光にも負けない麗しい金色の長髪を、襟足辺りで二つに分ける整った顔立ちの少女は、その財力を見せつけるかのように聳え立つ建物を睨め付けた。
サティーマ・メイラハクの長女であり、後継者争いの渦中にいるシェザーシャ・メイラハクはつい三か月前まで途方に暮れていた。
後継者争いの試験の内容は、単純なものだった。
メイラハク家に献上する貢物を、自身の力量のみで四か月以内に用意すること。
すなわち次期当主は、一番価値のある貢物をメイラハク家に献上した後継者だ。
それまで築き上げてきた人脈や資産、そして大陸に轟くメイラハクの家名などを利用せずに裸一貫から貢物を用意しなければならないことを考えると、それなりに大変かもしれない。もっとも、メイラハク家の人間は顔が売れているため、完全に家名の威光から脱することは不可能ではあるのだが。
しかし、例えそんなものが一切なくとも、どうとでも出来る自信がシェザーシャにはあった。
だが、それ以前の問題だった。それこそ、有力な商人から場末の物売りに至るまで、彼女と取引を行ってくれる者は見つからなかったのだ。いや、商人だけではない。冒険者ギルドや賭博場と言った施設、果ては移動のための馬車までも利用することが出来なくなってしまっていた。
サティーマが、そして兄が圧力をかけたわけではないだろう。ただ誰もが、次期当主となるであろう長男の不興を買いたくなくて自主的にそうしただけだ。
勿論シェザーシャは、大多数の商人が兄側につくことを覚悟していた。だが現実は、少女の想定など甘い夢想でしかなかったのだと突きつけてきたのだ。
それでも一か月間必死に走り回った成果は、手の中に納まるほどのほんの僅かな銀貨。どうしようもない絶望に打ちひしがれていた折、彼女が耳にしたのは龍瘴の森に突如として現れた新興勢力の噂だった。
龍を打ち倒した異形や魔物たちの根城。そんな場所に商いをするために足を運ぶものはほとんどいないだろうし、もしかするとメイラハク商会の勢威を恐れずに自分と取引をしてくれるかもしれない。
だからこそその噂は、サロイザースの東隣である農業都市シェザまで足を運んでいた少女にとって僥倖だった。それまで陰で護衛を行っていた者達が必死に止めるのも聞かず、龍瘴の森へと足を運んだのは二か月半前。そうして実に様々な―妖怪たちによって少女の肝がカチコチになったり、価格破壊を起こす気かと少女が軽く切れたり―ことがあり、いま彼女が手に抱えている貢物はその成果だ。
その成果の価値は、はっきり言って途方も無いものだ。これまで次期当主に選ばれた者たちの貢物と比べても、遜色がないどころか余裕で上を行っているだろう。
では、自分は次期当主になれるのか。
その答えを、シェザーシャはもう知っていた。だからこそ彼女がこれから行おうとしているのは、後継者争いではなくちょっとした宣戦布告だ。
「……今更何を怯えているのです、シェザーシャ・メイラハク。一商人として、かつて双龍国家の勃興に手を貸して急成長したメイラハク家の長女として、あれほど心躍る場所や勢力など今どこにもないのですよ。ヴァリス様も、歓迎すると仰って下さったではありませんか。今一度、あの場所で過ごした時間を思い出し、心を決めるのです」
自分にそう言い聞かせ、少女は軽く胸を二、三度叩いた。しかし、彼女の顔はみるみる真っ青になっていく。それは緊張がピークに達したからではなく、ヴァリスたちと過ごした一か月程度の時間を思い出し、自分がそこで如何に妖怪たちの標的にされまくったのかを思い出したからだった。
「(うぅ、思い出すのはやめましょう。いえ、あの方々の悪戯に比べれば、お父様など大したことないのだと思いなさい!)」
キッと目尻を上げ、シェザーシャは貢物を納めるため、メイラハクとの決別を告げるために歩き始めるのだった。
実質繋ぎの章になると思います。よろしければ、お付き合いいただけるとありがたく思います。




