1.子女郎狸①
「ぽいんと制?」
キョトンとした顔で小首を捻る。少女の愛らしい仕草だったが、それは計算された動きだった。つまり、人に好感を持たれるように考えつくされた動作だ。
子女郎狸。スキル『百鬼夜行Lv1』によって数十分前に、そして四番目に召喚された狸の妖怪は、スキルの持ち主が初めて言葉で意思を交わせた相手だった。
「ああ、ポイント制だ」
襲い来る魔物を撃退しながらひたすら南下すること十数日が経ち、子女郎狸を召喚した主である存在は、自身に与えられたスキルについて少しずつ理解を深めていた。
大前提として、生物の命を奪うとポイントを獲得できること。それこそ魔物のみならず、本当に微々たるものだが虫や動物からもポイントを得られたことで、恐らく生きている存在ならば何でも良いのではないのだろうか、と彼は予想している。また、辟易するほど牙を向けてきた魔物を骸にしたその経験から、対象となる生物が強靭であればあるほど、より多くのポイントが得られる傾向にあることもほぼ間違いだろうと結論付けていた。
「一体どのような仕組みなのでありますかね。異世界、と言うのも、子女郎にはまだピンとこないでありますよ」
子女郎が、ぶらぶらと丸太の上で足を遊ばせる。その動きに釣られるようにして首を左右に振るのは、三匹の小さな狸だ。彼らは子女郎より先にスキルによって召喚された物の怪だったが、立場は子女郎の方が上の様だ。彼女に付き従うようにして動いている。
男が狸ばかりを召喚しているのは、何も個人の趣向ではない。最初の召喚の際に最もポイント消費の少ないランダム召喚(小)を試したところ―というより、それしかなかったのだが―顕れたのが狸だった。それからすぐに系統図のようなものが眼前に浮かび上がり、それが『八百八狸』の一族図であることをスキルから理解させられたのだ。
ここで初めてランダムではなく男の意思で、と言っても『八百八狸』の中に限った話だが、召喚する妖怪を選ぶことが出来るようになったのだ。
さらにこの『八百八狸』の特性として、一族図が埋まれば埋まるほど召喚の際に消費されるポイントが割り引かれていく、といったものがあったため、何が召喚されるか分からないランダムよりかは、と『八百八狸』を優先させているのである。
もっとも、言葉を操れる狸である中位狸の中では一番低いポイントであった子女郎狸でさえ、十日に及ぶ魔物の撃退の成果でギリギリと言うところだったが。
「どうせなら学生割引なんかが利けばなぁ。転生直前までは、陰陽機動隊の連中に監視されながら高校生をやらされていたからな」
「……何歳の高校生でありますか?」
「1※※※歳、高校生です。趣味は蹴鞠です。最近は烏帽子にデコるのがマイブームです」
「これは色んな意味で間違いなくボッチでありますね……」
子女郎は頭を振る。召喚された妖怪はみな、召喚主の知識をある程度共有しているようだった。でなければ子女郎が高校生について突っ込みを入れられるはずがない。
「それにしても、それなりの距離を歩いたのに一向に森が開けないな。もう追手の心配もほとんどないだろうし、そろそろ森を抜けだして情報収集したいな」
その言葉を、子女郎が慌てて止めた。男の衣服は魔物との戦闘でボロボロになっており、体は返り血だらけ。明らかに文明社会に歓迎される格好ではない。その上未だこの世界の常識や文明レベルを何も知らないのだから、まともに情報収取ができるわけがない。
男の名誉のために言うと、彼は身だしなみにこだわりが無いとは言え、不潔のままでいて抵抗がないわけではない。道中、何度か小川を見つけ、その度に水浴びを行っている。だが、数時間もしないうちに魔物に襲われ再び返り血だらけとなってしまうのだ。
拳で魔物の体に風穴を開けているのだから、当然の結果だと言えよう。
「何処もかもが血だらけでありますよさらに言えば、獣臭くもありますよ……」
妖怪とは言え、狸が獣臭いと注意する。召喚主であり、自身より格が高い存在であることは彼女も分かっているが、しかし決してただ従順なわけではないようだ。スキル『百鬼夜行Lv1』は召喚した妖怪に絶対的服従的な首輪をつけるような能力ではないようだった。
「いやー、久しぶりにそれなりの力で暴れられたもんだから……襲って来られたからとは言え、確かにちょっとはしゃぎすぎたかもしれないな」
男はそう言って笑い、血まみれの手を力なく下した。
その汚れた左手を、子女郎が小さな両手で掴んだ。男は、汚れるぞ、と言おうと子女郎を見ると、彼女は演技がかった仕草や表情を止め、微かに笑顔を湛えていた。
「子女郎には、とてつもなく長い時間の中で主殿が感じてこられた無念、無力感は分からないであります。辛かっただろう、苦しかっただろう、そんな言葉が必要ないことも分かっているであります。ただ、これからは諦めずにいて下さった主殿のためにも、微力ながら子女郎がお手伝いするでありますよ!」
男はしばし沈黙する。
違う、本当は諦めていたんだ。そう、言葉にはならず。空いている右手で子女郎の艶やかな黒髪の頭を撫でた。右手もやはり血で汚れていたが、子女郎は嫌がる素振りもなく受け入れ、目を細めた。
それから、とびっきり童女っぽい笑顔を浮かべる。
「でもやっぱり、身綺麗にはするでありますよ」
「ですよね」
とは言え、お金のない身では衣服を買うことが出来ない。そもそも通貨制度が存在するのかも分からない。仮に存在すれば、倒した魔物の血肉を売ってお金に出来るかもしれないが、どこに売ればいいのか、売るために何か必要な資格のようなものはないのか、てんで分からない。
そしてそれを聞こうにも、身なりがどこぞの世紀末格闘漫画の主人公の服破り後もかくやと言うありさまでは嫌煙されるだろう。
つまるところ、服を買いに行く服がない、どころか服が一着もない。赤ん坊の前掛けほども残っていない。
男は運良く見つけた小川で血を拭い、子女郎にニコリと笑いかけて親指を立てたが、子女郎は変化の術で葉っぱをバツ印の描かれた札に変えた。
それからはたと気付く。どうして主は変化の術で服を用意しないのか、と。
子女郎の愛らしい十代前半の容貌も、その可憐さを引き立てる鮮やかな駒縫いの刺繍が入った赤い着物も、全て変化の術によるものだ。身体が汚れれば流石に洗うしかないが、衣服は変化の術で変えられるのだ。
「主殿は、変化の術を使わないのでありますか?」
使えない、でなくあえて使わないとしたのは主のことを思いやってのことではない。高位の妖怪が変化の術を使えない可能性が低いからだ。力を持つ有名な妖怪は、高い確率で姿形を変え人を誑かす様が説話や物語、草子などで語られている。
妖怪たちの中でも、格の高いものは当然変化の術に長けている、と言う認識がある。子女郎が使えることを前提として聞いたのは妥当なことだった。
だが男は腕を組み少しばかり唸ってから、軽く息を吐いて首を横に振った。
「陰陽師の連中に、このガタイの良い男の姿を何百年と強制させられていたからかな。自分がこの姿以外になるイメージが全く湧いてこないんだ。この姿以外に違和感がある、とすら言ってもいいかな。服についても同じようなもので、購入していた記憶、経験が邪魔をするんだよ」
「それは……申し訳ないことを聞いてしまったであります。では、情報収集、諜報は子女郎に任せてほしいであります。あまり強くはないでありますが、人の生活の中に溶け込むことは得意な狸でありますから!」
子女郎は平たい胸をぽんと一つ叩いて背中を後ろに軽く反らせた。三匹の狸たちも合わせて同じようなポーズをとる。小さな後ろ足で立っている姿は可愛らしいが、上手くバランスをとれずにぷるぷると震えている様は、あまり頼りになるとは思えなかった。
そもそも、子女郎とこの三匹とでは役割が違うのだ。
「もちろん頼りにさせてもらうさ。でもそれは何も情報収集に限った話だけじゃない。もし俺の行動や方針が上手くいきそうにないと思ったら、さっきの様に言ってほしいんだ」
そう言われた子女郎は、遠慮がちに返す。
「先ほどのような、人間的な視座が必要なことにはある程度自信がありますが……先の展望については子女郎のごとき小妖怪が口を出すべきではないと思うであります。それこそ我らが『八百八狸』の大長、隠神刑部様のような格の高きお方がいらっしゃるまでは、主殿のお考え通りが良いと思うのであります」
「え~、お手伝いしてくれるって言ったのに?」
わざとらしく口をとがらせて、慌てる子女郎の反応を楽しんだ後、男は真面目な口調に戻して続ける。
「上手く言えないんだが、今の俺は肉体と思考が繋がっている気がしていないんだ。力を少し取り戻した肉体が思考より逸るような、理性的に考えようとするあまり体にいらないリミッターをかけているような……だから自分の行動がチグハグにならないよう、他の何者かから一貫した視線を投げかけてもらいたいんだと、うん、思う」
言葉にするうちに実感できたようで、男は軽く頷いた。だが男の納得と反比例するように子女郎の困惑はいよいよ広がっていく。物の怪らしくない言動もそうなのだが、彼の言う何者とやらが指しているのはどちらの存在なのだろうか。
「……了解したであります。僭越ではありますが、子女郎もこの先について一緒に考えてみたいと思うのであります」
「ああ、改めて、よろしくな」
筋骨隆々とした腕が差し伸ばされる。血が洗われ綺麗になった手は、先ほどのおどろおどろしい血塗れの状態より遥かに掴みやすい。だが子女郎は、一瞬その手を取ることを躊躇ってしまった。強大な妖怪に対して畏れ多いと思ったわけでも、人間的な行為に戸惑ったわけでもない。むしろそのどちらにも思えなかったからだ。
結局子女郎は、大きな手を取った。このいまいちハッキリとしない存在ながらも、しかし自分を頼りにしていると言ってくれた主の逞しい、少し震えている手を信じてみようと思ったのだった。




