オープニング
※この話で登場した妖怪は、この世界の設定によって、現実でかたられる物語や説話とは若干変質している部分があります。大変申し訳ありませんが、そのことをご理解頂けましたら幸いです。また、そこはかとなく異世界転移ものっぽくなるのは二章のさぁ、商業活動を~の辺りからになります。
得も言われぬ衝動に突き動かされ、男は凝った装飾の大扉を打ち砕いていた。
自身の身に一体何が起きたのか。同じく唐突な異世界転移に状況を掴めていない五人の若者と戸惑いは一緒だったが、身体が、本能が自身にとって最も良い選択を知っているかのようだった。
後ろから、鋭い声が聞こえてくる。それは当然、彼を異世界から召喚した者たちが呆然から立ち直り、逃走する者の後を追うように事前に用意していた警備兵に命じた一声であったが、遅すぎた。
いや、追う者たちが遅かったのではない。あまりにも逃走者が速すぎたのだ。転移者とは言え、それはあり得ない速度で城の窓から跳躍し、あまつさえ落下の衝撃を感じていないかのように着地した地面をすぐさま蹴る。深く抉れた地面から散った土埃は、丁寧に管理されている庭が発した嘆きのようだ。
そのまま男は、何事かと戸惑う城門の門番たちの脇を反応できない疾走で駆け抜け、喧騒飛び交う城下の人込みに紛れていった。男の容姿を僅かしか確認できなかった追跡者たちは諦めざるを得ず、それでも仕事はしたと証明するために人混みの中を探し回ったが結局、変な男が変な勢いで変な言葉を呟きながら城外に出て行ったことを聞き込みから確認できただけだった。
もちろん城外から点々、と言うにはいささか大きすぎる足跡を辿れば彼を追うことは可能だっただろう。だが、それも魔物が蠢く鬱蒼とした森へと続いていることが分かれば、咄嗟に動員できた少数の兵では徒労に終わるだろう。
異世界に転移者五人を召喚したシェグルダール王国の王座に座るシェダリス三世は、せめて逃走した男が死んでいないように。あるいは敵にならないように祈るしかなかった。
――ただし、彼は知らない。召喚され逃走したその一人は、人間ではなかったことを。
異様に隆起した右腕が、深い闇の中を奔った。襲い掛かってきた魔物の断末魔が、迸る血しぶきの様に広がっていく。魔物の骸は積み重なり、陰鬱なオブジェとなっている。
何故逃げ出したのか。その理由は男にははっきりと分からなかった。ただあそこに留まれば、彼が何百年と託されてきた願いの実現にはたどり着けないと感じられたのだ。
彼は召喚前の地球において、ただただ無為に、無気力に時間を浪費していた。暗闇から恐怖を感じる対象が、いわゆる怪異、得体の知れない何かから、より現実的なものへと変わっていった現代において彼の居場所は何処にもなかったのだ。
かつては金銀財宝の中で眠りについた。かつては立ち向かうものの威を挫き平伏させた。かつては天女と剣で言葉を交わし伝説となった。
そんなおどろおどろしい力は、恐怖は、見る影もない。彼は現存する貴重なサンプルとして人間の監視下に置かれ、科学や娯楽の中に消え行く同族たちを何度も見送った。
最期を迎えるために幾度反旗を翻そうと思ったか。その度に消えていった同族たちが残した願いが頭をよぎり、拳を下した。しかしその願いも、絶え間なく流れる歳月によって朧気になっていき、翻す旗さえ手折られていく。
そして訪れた千載一遇のチャンス。
この幸運を逃すわけにはいかない。斃れた魔物たちから得た生命力が数値として頭の中に浮かぶ。彼のスキルは、同族の再興が可能であることを示していた。
だが、と彼は思う。前の世界と同じように怪異として、恐怖として暴れまわっても、きっと同じ結末になるだけだ。
何百年も管理されながら人間に混じって生活をしていた彼は、いつの間にか人間としての理性的な思考をも持ち合わせてしまっていた。
もはや怪物ではなく。されど人間ではなく。
木々の枝や葉から僅かに覗けた空を見やる。ただ本能のままに動かずして、何が化け物だ。かつての力をある程度取り戻したことを実感しながらも、人間のように思考してしまう自身の頭を軽く叩きながら、男はそう自嘲した。
しかし、それでも。
彼は一つ長い息を吐き、口元を引き締めた。
成せる自信はない。だが、自分にはそれしかないのだ。
さぁ、百鬼夜行を始めよう。
※この話で登場した妖怪は、この世界の設定によって、現実でかたられる物語や説話とは若干変質している部分があります。大変申し訳ありませんが、そのことをご理解頂けましたら幸いです。また、そこはかとなく異世界転移ものっぽくなるのは二章のさぁ、商業活動を~の辺りからになります。