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憧れの先生  作者: 槇 慎一


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5/13

5 発表会


 もうすぐ高校二年生になる。


 高校一年の夏から新幹線で一週間置きにレッスンに通い、誰かに何かを聞かれても、

「◯◯音楽大学を目指して槇るり子先生に習っています」

と堂々と言えるようになった。


 毎回のレッスンは充実して、私は地元のお友達とは遊ばなくなり、復習して、練習して、次に先生が注意しそうなことを気を付けたり、次に先生が課題を出しそうなことを予習してからレッスンに行き、質問してから帰宅するようになった。


 地元のお友達は、進学校でも一年生はそんなに受験を意識していない。私は夏に志望校を決め、お友達に伝えた時から浮いてしまったようだ。少し寂しかったけれど、いじめられた訳ではなく、少し距離があっただけだった。二年生からは進路にそってクラス替えがある。何人かのお友達から相談されたりした。そして、私が早くから進路を決断したことに対して、勇気があって羨ましかったと、それぞれに打ち明けられた。

 一番冷たい言葉を言ったお友達が、

「普段の姿勢とか、視線がブレてなくて、ピアノのことはわからないけど、格好いいなって思った。ここ半年くらいの伸び方が、傍目にもわかるくらいだよ。応援するね」

って私にお菓子を持ってきてくれたりした。


 お母さんも、私の日頃の行いや態度が以前と違うと言って、試演会や門下会、東京で行きたい演奏会がある時には一人でもホテルに泊まらせてくれるようになった。毎回迷ったりしないように、るり子先生のお宅の近くにある、◯◯◯ホテルと決めた。


 夏期講習の最終日の試演会の後にも、試演会は度々行われた。私は出来るだけ参加した。初回はバッハのシンフォニア2曲にツェルニー40番を10曲だった。次に行われた時は、次のシンフォニアに次の練習曲を10曲、という風に進めていき、集中力を長い時間保つこと、人に聴いてもらい、本番を楽しむことも少しずつ意識していった。


 試演会にはるり子先生の息子さんの慎一くんもいて、やっぱり開始時刻前に前座みたいな感じで弾いていた。皆も、彼の演奏を聴くために集合時刻より早めに来て、熱心に聴いていた。いずれ、ピアノを教えるようになったら、このように弾けるように、生徒を教えていくのだということも伝わってきた。彼はまだ小学二年生で、たくさんのレパートリーがあった。その完成度に、教えたるり子先生もすごいが、慎一くんもすごいと思った。


 私が慎一くんの演奏を初めて聴いたのは、ツェルニー24番の練習曲、全24曲だった。スケールとアルペジオ全調と3度・6度の重音のスケールの時もあった。インヴェンション全15曲の時もあった。モシュコフスキーの練習曲の時もあった。バッハのフランス組曲の時もあった。どれも初めて聴いた時の感動以上の、新たな感動を与えてもらった。


 4月の発表会に、私はベートーヴェンのソナタ7番を全楽章弾くことになっていた。夏から言われていたから、年明けにはもういつでも来い!という気持ちだった。

 地元の先生の教室の発表会が3月にあった。私は既に生徒という立場ではないのに、この楽器店の期待の星と言われ、皆さんに応援され、ゲストとしてソナタを演奏させていただいた。東京まで泊まりで通い、何回も試演会に参加した成果があり、腕の疲れもなく、長い曲でも集中力を切らさず、アンコールであと何曲か弾くことも出来そうな感じだった。

 地元の先生は「たった半年でこんなに立派になって……」と言って泣き、お母さんもお礼を言って泣いていた。地元だったから、お友達も来てくれた。男子も何人かいた。サッカー部の、私がちょっと気になっていた人もいた。このクラス、仲いいもんね。二年になったら皆クラス離れちゃうだろうけど、いい思い出になった。

 

 新年度。

 発表会の4月2日。この日は、慎一くんの誕生日なのだと、先輩方が教えてくれた。こっそり何かお祝いをするのかなと思ったけれど、「お気持ちだけで。この日に夫と慎一と皆と音楽があるだけで幸せなの」と、プレゼントなどはしないように言われているそう。お嬢様学校の出身だというるり子先生は、アクセサリーも付けないし、旅行に行った話なども聞かない。身なりは綺麗だけれど生活は質素で、常に私達門下生のことを気にしてくれ、旦那さんに愛されて、音楽と幸せに包まれているように見えた。



 発表会の当日。


 初めてのホールに着いた。ホールよりも少し小さめで、サロンというらしい。

「いらっしゃいませ。さやかさん、こんにちは。女性控え室はあちらです。会費はこちらにお願いいたします」

 慎一くんが受付に立ち、かおりちゃんはお行儀良く椅子に座っていた。慎一くんは、暗い紺色のスーツを着ていた。お父さんも背が高い。彼も同じだろう。とても小学三年生とは思えない、見た目と落ち着いた態度だった。

 かおりちゃんは胸の辺りまで伸びた真っ直ぐな髪の毛をおろして、明るいグレーのボレロにフレアスカート、襟元には赤いリボンを結んでいて、お人形さんのような愛らしさだった。あれは幼稚園の制服なのだと誰かが教えてくれた。


 一番最初にかおりちゃんが演奏した。

『お人形の夢と目覚め』という曲だった。3月末の誕生日で、四歳になったばかりだという。神秘的な程に美しい演奏だった。


 慎一くんの凄さは試演会でもうわかっているし、何を聴いても驚かないぞと思ったけど、とんでもなかった。ベートーヴェンのソナタ8番『悲愴』は、子供にも、こんな表現ができるのかと恐ろしくなった。


 そうだ。私だってこの発表会のためにものすごく長い時間をかけて丁寧にじっくり取り組んで、今の自分の最大限を出しているんだ。この子たちも同じように、子供でも真剣に取り組んでいるんだと理解した。


 次に演奏したのはみかちゃんで、ハイドンのソナタ。そして、私のベートーヴェンのソナタ。


 高校二年生の先輩、三年生の先輩方、大学生、大学院生と続いた。


 全員の演奏が終わった。こんなに全員の完成度の高い発表会は見たことも聴いたこともなかった。


 放心状態でお手洗いに行くと、門下生じゃないらしい人達の会話が聞こえた。

「やっぱりここには入れない」

「聴きに来てって言われたけど、レベルが高すぎてお願いする気になれないわ」

「子供もいるって聞いたけど、あれは何万に一人の天才だよね。それが二人……」


 私は何も言わなかったけれど、その中に自分が含まれていることを自覚した。子供は、明らかにあの二人のことでしょうけど、私だって最初からこうだった訳じゃない。るり子先生のおかげ、遠い関係でも繋げてくれた地元の先生のおかげ、レッスン代と新幹線の交通費、勉強に行くための宿泊費……。

 そして変な言い方だけど、まだ二年生なのに、大学受験で不合格になる気がしなかった。大学の費用と数年分の下宿代と生活費は、それがどんなに大変なことなのか私には想像もつかない。


 話していた人達は帰ったみたいだけど、私は個室から出ていく気持ちになれなかった。


 出ていくのが遅かったからか、お母さんが心配して探しに来てしまった。まだ着替えてもいない。

「さやか?大丈夫?え?どうしたの?」

「何でもない。お母さん、ありがとう。私、まだまだだけど頑張るね」

「え?うん、いつもすごい頑張ってるじゃない。びっくりしたわよ。そんなに頑張らなくていいわよ、なんて言ったら変かしら」

「ううん、ありがとう」


 まだお手洗いの中にいた私は、慎一くんとかおりちゃんの声が近づいて来たのがわかった。私が中から顔を見せると、慎一くんが私に話しかけてきた。

「さやかさん。すみません、かおちゃんをお願いできますか?多分一人でできますが、困ることがないか見ていていただけますか?」

「うん!かおりちゃん、お姉さんが一緒にいるからね」

「ありがとう」

 かおりちゃんは、小さい声だけど、きちんとお返事をした。


 慎一くんから、ピンクのタオルハンカチを預かった。平仮名で『かおり』という文字と、バラの花の絵柄が刺繍してあった。これはかおりちゃんのお母さんかな……素敵だなぁ。


 かおりちゃんが個室から出てきて、蛇口の水をゆるく出してあげた。かおりちゃんを抱っこして水に手が届くようにした。なんて軽くて小さくて柔らかいんだろう。

 かおりちゃんは、私が出したタオルでゆっくり手を拭いた。

「かおりちゃん、『お人形の夢と目覚め』とっても素敵だった。また聴かせてね」

 私は小さなピアニストに伝えた。

 彼女は、

「ベートーヴェンのおねえさんでしょう?デードゥアの。あかるくて、たのしそうで、しわわせだった」

と、ゆっくりお話してくれた。

 あまりにも可愛くて、さっきのまとまらない感情が溢れてきて、私は泣いてしまった。


 「さやかったら、どうしたの?ほら、かおりちゃん、お兄ちゃんのところに行きましょうね」

 お母さんは、かおりちゃんを連れて行こうとした。慎一くんは、お兄ちゃんと妹扱いされると嫌がるらしいことを思い出した。


 「お母さんダメ!私が預かったんだから、私が行く」

 私は涙を拭いた。


「しんちゃん!」

「かおちゃん、……さやかさん、ありがとうございました。ご迷惑おかけしませんでしたか?」

「そんな、全然!私の演奏を、明るくて、楽しそうで、しわわせだったって言ってくれて、嬉しくて泣いちゃったの」

「……僕も、そう思いました。展開部からは、更に表現が広がったし……今後もよろしくお願いいたします」

「よ、よろしくお願いいたします」


 慎一くんは、かおりちゃんの手をつないで受付に戻っていった。


「格好いいわね~」


 私は自分で声に出しちゃったかと思ったけど、お母さんの声だった。








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