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憧れの先生  作者: 槇 慎一


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4 門下会


 試演会の後は門下会だった。

 そもそも私は「もんかかい」がわからなかった。近くのレストランを予約してあるらしい。楽しみだけど、何から何まで初めてで、ドキドキする。


 大学の教室から出る時、私が最後だった。先生の息子さん……お兄ちゃんがドアを開けて押さえていてくれた。確か小学二年生って聞いたような。紳士だなぁ。

「ありがとう。あの、さっき弾いていた曲は何ですか?」

 私は聞いてみた。

「ツェルニー24番の練習曲です」

 えっ?ツェルニー?24番?私はツェルニー100番、30番を弾いて、今40番……。言い淀む私に、お兄ちゃんは続けて教えてくれた。

「ツェルニー24番の作品番号はオーパス636です。30番はオーパス849、40番はオーパス299です。曲は短いけれど、どれも勉強になります」

 はあ~。またまた感心してしまった。ツェルニーの作品番号なんて、気にしたこともなかった。勉強になる、か……。おうちに帰ったら見てみよう。楽器店の楽譜売り場の方がいいかな。


 大学の門を出たところで、「しんちゃん!」と飛びつくような勢いの妹ちゃんがいた。男の人に抱っこされている。お父さんかな?格好いい!若い!るり子先生も若くて綺麗だし、若くて素敵な旦那さんだー!

 

 お兄ちゃんは妹ちゃんに微笑んだ。

「かおちゃん、ただいま。……お父さん、かおちゃんの靴はどうしたの?」

「るり子と同じこと聞くなよ。出掛ける時に寝てたからそのまま車に乗せて来ただけだ。ほら、慎一」

 妹ちゃんはお兄ちゃんの抱っこに喜んだ。可愛いなぁ。


 お兄ちゃんは、お父さんにも似てる。雰囲気がお父さん似で、性格はお母さん似なのかな。妹ちゃんはどちらに似てるんだろう?お父さんは色っぽいけど、妹ちゃんは天使だ。


 私はみかちゃんと話しながらレストランに向かった。

 すれ違う学生さんの会話が聞こえた。

「新しい門下生はもう取れないんだってさ。残念~」

「まだお子さんが小さいらしくて、学年二人ずつなんだって先輩が言ってた」

「いいなぁ~門下生。プライベートから習いたかった~」


 みかちゃんが、小さい声で私に言った。

「今の、るり子先生のことかな?私たち、すごいラッキーなんじゃない?」

 私はハッとした。夏期講習まで待っていたら、るり子先生に習えなかったんだ。地元の先生の知人の友人の紹介なんていう、僅かなつながりで門下生になれたのか……。

 レストランの入り口には、メニューを置く台に「槇るり子門下会」と書かれていた。「もんかかい」ってこう書くのね、というくらい私はわかっていなかった。


 門下会に来た学生は私を入れて10人だった。それに、るり子先生と旦那さんと、お兄ちゃんと妹ちゃん。妹ちゃんは裸足だったから、お兄ちゃんに抱っこされていて、それから椅子に座った。


 るり子先生が皆に挨拶をした。

 「受験生の皆さんは夏期講習、お疲れ様でした。それに試演会も。全員集まれなかったけれど、また機会を作りますし、皆さんもお友達同士で機会を作ってね。人に聴いてもらうのも、人の演奏を聴くのも、いい勉強になるから。これからも頑張りましょうね。パスタかリゾット、サラダとデザートと飲み物のコースなの。メニューを見て、この紙に書いて、今日の幹事は……支倉さん?……四年生の支倉さんに伝えて頂戴。では、私は弾きますけど、ゆっくりご歓談くださいね」


 るり子先生は、少し奥にあったグランドピアノのところに行って、演奏の準備をした。先生も弾いてくれるんだ?すごい。


 るり子先生が弾いたのは、組曲『展覧会の絵』だった。落ち着いた、正統派の演奏だった。私はレッスン以外でるり子先生の演奏を聴いたことがなかった。大学でも大学院でも優秀だったというるり子先生……。素敵。とてもおしゃべりをする気にはならなかった。


「むるるるきー!」

 妹ちゃんが何か言った。

「ムソルグスキー」

 お兄ちゃんが、妹ちゃんに聞こえる位の声で言った。

「むそん、きー」 

「ムソルグスキー」

「むるるる、すきー」

「ムソル・グスキー」

「むそう、うすきー」


 るり子先生は、曲名も作曲家の名前も言わなかったのに、妹ちゃんは言えないけど知っているんだ。それにしても本当に可愛いなぁ。


「皆、静かに聴かなくていいんだよ?支倉さん、オーダーは揃った?」

 旦那さんが笑った。

「あっ、はい。あとは慎一くん、何にしますか?」

「ありがとうございます。僕はこの子と一緒にチーズリゾットをお願いします」

 支倉さんが紙に書いた。

「まとめてくれてありがとう。俺が持っていくよ」

 旦那さんがさっと立ち上がって厨房に持っていった。いつ見ても格好いいね~っていう小さい声が口々に聞こえた。本当に格好いい。


 大学生の先輩方は、9月から始まる学科試験のこと、受験生は受験曲やソルフェージュのこと、夏期講習での出来事など、少しずつ話をしていた。

 

 私はみかちゃんにお礼を言った。

「一緒に泊まること、ありがとう。試演会だけで帰ってきなさいとか、お母さんと泊まるとか、一人だったら許してもらえなかったかも。あの、もしかしてみかちゃんは、おうち近くなんじゃない?」

「うん、るり子先生のお宅から電車で15分くらい。でも、夏期講習のお友達同士は寮で夜まで遊べるのに、門下のお友達もできたからってお願いしたの。だから、私もさやかちゃんのおかげだよ。今夜は、一年生同士で親睦を深めようね!」

「うん!」


「あなたたちは一年生なのね、私たちが高二で、こちらのお二方が高校三年生よ。よろしくね」

「よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

「新しい一年生ね。夏期講習の前からでしょう?るり子先生本当に人気ね、これでこの学年は決まりよ。私達は附属高校の三年生なの。高校受験の二年前からるり子先生に習っているの。だから、大学受験で門下になった先輩方と同じくらい面倒見てもらってます。かおりちゃん、産まれていなかったしね。附属でも実技試験はあるから、受験生としてもよろしくね」

「よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

 両隣の先輩方からも話しかけてもらって、私は一気に世界が広がったみたいだった。


「それじゃあ、私達はこれで。皆さんはゆっくりしていってね。今日来られなかった人には、次回是非ってお伝えしてね」

 るり子先生のご家族は、食事が終わると帰るみたいだった。旦那さんがカードでお支払いをしていた。妹ちゃんが眠そうで、お兄ちゃんに抱っこされていた。もう目が開いていない?私達は夜中までおしゃべりしたいくらいだけど、子供は可愛いなぁ。

 先輩方が立ち上がって先生と旦那さんに礼をした。

「ありがとうございました」

「御馳走様でした」

 私達も慌てて立ち上がって礼をした。

 旦那さんが笑顔で手を振って、私達にどういたしまして、と言った。


「……かおりは寝たのか?靴なくても大丈夫だったな」

 るり子先生に囁いているところも、大人っぽくて素敵だ。

「もう、たまたまでしょ?今度は靴を履かせてきて頂戴!それに、薄着すぎますから羽織る物も!」

「はいはい……っと、どうぞ?」

 るり子先生は、旦那さんにエスコートされて、仲良さそうに出ていった。はあ~素敵なご夫婦だなぁ。私は思わずため息をつきながら言った。

「素敵ですね~、あのお子さんたちも」

「そう思うよね?」

 先輩が言った。

「えっ?」

「兄弟じゃないのよ。かおりちゃんは、慎一くんの生徒さんなの」

「えええっ!」

「えええっ?」

 私とみかちゃんは同時に先輩方の言葉に反応した。

「るり子先生のご自宅は、社宅でね」

「かおりちゃんのお父様は、るり子先生の旦那さんの上司なんですって」

「かおりちゃんのお母様は、るり子先生の親友なの」

「慎一くん、かおりちゃんのこと、すごく可愛がってるよね」

「だからね、妹とか言ったら慎一くんは静かに怒るらしいわよ~」

「あの慎一くんも怒るんだ?」

 皆が口々に教えてくれた。何だかよくわからないけど、兄弟じゃないんだ?


「旦那さんいくつなのかな?誰かつきとめた人いる?」

「絶対、旦那さんは年下だと思う!」

「うんうん、でも私も知らない。るり子先生は大学院卒業したのが……年前だから今年36歳でしょ?それは間違いない」

「慎一くんは今小学二年生だし、旦那さんいくつなんだろうね?」

「慎一くんも、真面目そうなのはるり子先生に似てるけど、お父様にも似てきそうよね」

「楽しみすぎる!」

「音楽や仕事に理解があって、あんなに格好いい旦那さんに、ピアノの上手い息子!羨ましい~」

「慎一くん、上手かったよねー!早く行ってよかった。るり子先生教えてくれないんだもん」

「お手本みたいなツェルニーだったよね~、しかも全曲通し!」

「あれは移調もできるよ、絶対!」

「私達も、『平均律移調の試演会』とかされたらどうする?」

「きゃ~それは欠席したいかも!」


 私は思わず言ってみた。

「私、前回のホームレッスンで、かおりちゃんがバイエルを移調しているのを4つ位聴きました」

「それ本当に?」

「かおりちゃんにも負けてるわ~!」

「バイエルなら出来るでしょ」

「あ、確かにバイエルなら出来るかも」

「ツェルニーはどうかな?」

「100番でも後半はヤバいかも!」


 先輩方の話は、聞いているだけでも面白かった。


 








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