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憧れの先生  作者: 槇 慎一
13/13

13 未来に向かって



 あれから何度めかの春。


 今日は、久しぶりにるり子先生の発表会に来た。自分の練習なんて、全然出来ないから、聴きに来ただけだ。

 私のお腹には、夏に出産予定の赤ちゃんがいる。この子は三人目。上は二人とも男の子。一人でお出かけなんて、どれだけ久しぶりなんだろう。でも、今日を逃したらもうなかなかチャンスはないだろうからと、息子たちは夫と義母に任せて来てしまった!


 会場に着いた。若くて綺麗な女性が一人で受付をしていた。かおりちゃんだ。いつも慎一くんの隣にいたかおりちゃんが一人で受付をしているなんて!懐かしくて涙が出てきそうだ。

 私の前の方が受付を済ませ、私は彼女と向かい合った。

「さやかさん?」

 覚えていてくれた! 

「さやかさんに、ずっとお会いしたかった……」

 次の瞬間から、かおりちゃんが顔を覆って泣き出してしまった。

「かおりちゃん、久しぶりね。なかなか来られなくて……私も会いたかった」

 私も、一言ずつ伝えた。

 

 慎一くんが現れた。

「かおり、どうした?……さやかさん?」

「慎一くん、お久しぶりです」

「ご無沙汰しております。遠くからありがとうございます。かおり、受付は代わるから、一緒に控え室に行っておいで」


 私達は控え室に向かった。開演まで、まだもう少し時間がある。


 控え室から、何か音が聞こえた。かおりちゃんがドアを開けると、小さな男の子がヴァイオリンを弾いていた。


「ママっ!……どうしたの?」

「さやかさんて言うの。ママのお姉さんみたいな方なの。久しぶりに会えたから嬉しくて……ご挨拶して?」

「ママはすぐ泣くんだから……こんにちは」

 男の子は弓を下ろし、ヴァイオリンを脇に抱え、両足を揃えてお辞儀をした。

 ひと目で慎一くんの息子だとわかる程、よく似た男の子だった。長男と同じ年頃とは思えない物腰だ。

「こんにちは」

 私も挨拶をした。

「パパが『カイザー』のリズム練習を見ててくれたの。10こやったら終わりって。あと7つ。あ、今度はパパがいる!」

 あぁ、モニターがある。慎一くんが受付をしているのが見える。慎一くんは、ここから受付を見ていたんだ。


 私達は開演までの間、仁くんのヴァイオリンの練習を聴きながら過ごした。おしゃべりに花を咲かせるわけでもなく、胸がいっぱいで、本当に一緒にいただけだった。

 それでも、何だか言葉は要らなくて、ただただ幸せだった。 


「できた!リズム練習10こ終わったよ!」

「きちんとハッキリ弾けたね。すぐ出番だから、調弦して手を洗っていらっしゃい」


 ちょうど開演五分前だ。仁くんはヴァイオリンの音を調弦して、少し直して控え室の外に走っていった。

「仁、歩いていくのよ?」

 かおりちゃんは言ったが、あの速さではもう遠くにいることだろう。

 何もかもぴったり物事が上手くいく様子に感心した。


 慎一くんが顔を見せた。

「かおり、伴奏譜は譜面台に置いたから。さやかさんも、どうぞごゆっくり」 

「はい」

 私は客席に移動した。素敵な雰囲気は変わらないなぁ。


 プログラムの一番は、


藤原 仁 ザイツ作曲コンチェルト第1番


と書いてあった。

 かおりちゃんのピアノ伴奏だった。


 それはまるで、オーケストラの音だった。私は楽器店の電子オルガンでオーケストラの音色を使うけれど、それよりもずっと深く、ピアノだけでもオーケストラの音が浮かんでくるような音色だった。


 ヴァイオリンの音は、聴音ができるくらいに音程もリズムもくっきりと鮮やかで、丁寧で綺麗な音色だった。伴奏がなく、ヴァイオリンだけの短いカデンツァもあった。ヴァイオリンのことはわからないが、慎一くんの正統派な音楽性と、かおりちゃんの豊かな音色と、良いところだけを取り出して抽出したような、素晴らしい演奏だった。




 会の後、るり子先生に会いに行った。

「先生、お変わりなくて……」

「さやかちゃん!来てくれてありがとう。元気そう。赤ちゃん?」

 先生は、私のお腹に気づいたようだ。

「はい、三人目なんです。上に二人男の子がいて……」

 私は義母に撮ってもらった写真を見せた。

 夫が長男を、私が次男をだっこして、構図も斜めだし、破裂しそうなほど笑っている写真だった。一瞬たりともじっとしていなくて、写真なんて撮れやしない。

「暴れて動きまわって大変なんです。これは奇跡の瞬間です」

「どれどれ?俺にも見せて……いい笑顔だ」

 先生の旦那さんが来てくれた。次の瞬間、仁くんが走ってきて、旦那さんに抱きついた。

「こら、仁?走ってきちゃだめだ!」

 旦那さんは強い口調で窘めた。

 慎一くんも追いかけてきた。

「仁、走っちゃだめだと言っただろう。ここに来なさい!」

 慎一くんが怖い顔をして、仁くんを私の前に立たせた。

「このお姉さんは、お腹に赤ちゃんがいる。仁が走ってきて、ぶつかったらどうなる?仁も痛いだろうが、赤ちゃんは?お姉さんは?」

 仁くんは、ハッという顔をした。わかったみたいだった。少し口を開けて、ごめんなさいを言おうとしているのがわかる。ぽろぽろと涙をこぼした。

「あ、かおりちゃんと一緒だ」 

 私は思わず言ってしまった。

「……ちがう、これはごめんなさいだから」

 仁くんが言った。わかるんだ。お利口さんだな。かおりちゃんも来て、仁くんのお顔の高さに合わせて膝をついた。

 「さやかさん、ごめんなさい。仁、あなたがママのお腹にいた時にも、皆に守ってもらったの。わかる?」

「はい、ごめんなさい」

 仁くんは私にそう言って、わぁーっ!とかおりちゃんの胸にしがみついた。

「仁くん、大丈夫よ。皆さん気を使っていただいてすみません。私の息子も走って暴れて、しょっちゅうぶつかっています。こんな風に教えてあげていないなと反省しました」

 私は自分はともかく、息子たちに、他の妊婦さんに対しても大切にする気持ちを育てていないと気づかされた。


「るり子先生~ちょっとすみません!」

 誰かが呼んでいる。

「はい、今行きます。ちょっと行ってくるわね」

「お外にお月さまがいるか、見に行こうか」

 かおりちゃんも、ひっくひっくしている仁くんを抱っこして外に出た。


「やれやれ。まだ乳離れのできない子供だな」

 旦那さんが言った。

「まだまだ可愛い盛りですね。いくつなんですか?」

「今年度で4才になる学年です。1月産まれで……背が高いから、もう少しお兄さんに見えるでしょう」

 慎一くんが答えてくれた。

「確かに。5才の長男と同じくらいかと思ったわ。え、じゃあ今3才?それであんなに素晴らしい演奏を……ため息だわ。あっ!」

 なんだなんだ?と二人が振り返った。

「私、お聞きしたいことが!旦那さんは……おいくつなんでしょうか?」

 私はずっと知りたかったことを、こっそりと聞いてみた。旦那さんは笑った。

「俺?……るり子には、教えたこと内緒な。……この夏で五十路だ」

「ついに判明!……え?今49才ですか?若っ!お若いとは思っていましたが、本当にお若かったんですね!」

「慎一が産まれた時は23だった。慎一も同じ年でパパだもんな。しかし46で孫ができるとは……俺も驚いたけど」

「わあ~運動会とか、慎一くんがお兄さんで旦那さんはパパですね!」

 私は想像してしまった。

「あ、それが……」

 慎一くんが笑った。

「幼稚園に入れなくて」

「え?」

「このあたりは公立の幼稚園がないから、お受験するんだ。それが全部ダメで」 

 慎一くんが言った。

「そう。慎一は国立大学の附属幼稚園に合格したからそのまま高校まで通えたんだけどね。くっくっ……」

 旦那さんが言った。笑ってるし。

「お受験では両親と子供一緒の面接があって、『大変素敵なお父様とお母様ですね』って言われた後、『仁くんはお母様と一緒に過ごされた方がいいかもしれませんね』と言われて、仁が『はい。僕もそう思います』って言っちゃったんだ。ペーパーも満点なのに!」

 慎一くんも旦那さんも可笑しそうに笑った。えー!笑っていいことなの?

「だから、一日中かおりと仲良く遊んで過ごしてる。かおりは出産直前から大学を休学していたけど、ついに退学したよ。トップで入って、入学式で『頑張ります』みたいな文章まで読んでいたのに」

 慎一くんの言葉に、えー!

「お母さんになりたかったんだってさ。毎日楽しそうにヴァイオリンのお稽古見てあげてるよ。かおりはヴァイオリンは全くわからないから、かおりが自分でやってみて、仁がそれを見てやり方を覚えて、さも自分はできるとばかりに奪い取って弾いてる」

 旦那さんの言葉に、あぁ~と納得した。


 旦那さんは、何か思い出したみたいだ。

「そういえば、仁のヴァイオリンの先生の……マヤちゃんのいとこのみかちゃん、さやかちゃんと同じ学年だったよね?」

「あ、はい」

「平山みかちゃんの伯父……お父さんのお兄さんの結婚相手が、小石川ミヤ子先生っていうんだけど、仁はその先生にヴァイオリンを習っているんだ。その娘さんはかおりと同級生で、孫も同級生なんだよ」

「えっと、えっと……」

 

 旦那さんが紙に書いてくれた。家系図!

 るり子先生が戻ってきて、笑顔で続けた。

「そうそう。みかちゃん!みかちゃんとも連絡とってね。お見合いしたって言ってたわ?お子さんもいるわよ、女の子。もう大きくなったはずよ」

「小石川先生は結婚して平山なんだけど、その娘さんと、僕の門下の後輩の高橋が結婚したんだ」

 慎一くんも説明してくれた。複雑だけど、いろいろと繋がっているんだなぁ。


「泊まれるの?帰りの新幹線は大丈夫?」

 旦那さんが優しく聞いてくれた。

「あっ、そうだ。帰らなきゃ。また来ます。ありがとうございました」


 私は、帰りの新幹線でみかちゃんにメールをした。直ぐに返信が来て、お互いの子供の写真や、家族の写真を送りあった。みかちゃんの旦那さんは、多分少し年上のような、優しそうな人だった。るり子先生の旦那さんの年齢をつきとめたことも知らせた。案の定、「なにそれ若すぎる!」と即返信が来た。


 私は新幹線でみかちゃんとのメールを読んでは返信し、笑ったり泣いたりした。


 早く家に帰って、今日のことを夫に知らせたい。

 可愛い息子たちは、きっともう寝ているだろう。いや、寝かせられたかな?明日からまた追いかけ回して世話をして、生徒達のレッスンをして、それから自分の練習もしよう。


 来年、産休がもらえたら発表会に出られるように。

 何の曲を練習しよう。


 私は、清々しい気持ちで新幹線を降り、地元への最終電車に乗り換えた。




 







本編である槇慎一の物語はこちらです。

https://ncode.syosetu.com/n0534gw/

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