異世界100日目 7月9日(火) ①事案です
昨晩は痛みと発熱で一睡も出来なかった……食欲も無く、スライム経口補水液を飲むのが精一杯であり、結構辛い。皆の為にと作っておいたのだけど俺しか飲んでいない件……まあ、飲まないに越した事は無いんだけど。
昨日のルーミィの夕食はイリアさんが作ってくれたようだ。食事の後は二人とも部屋に来て添い寝の権利を言い争っていた。
散々否定していたルーミィも最終的には参加してたし……。もちろん丁重にお断りさせて頂いた。しかしなぜ本人の前で揉めるのだろうか……。
もうすっかり夜は明けて園児達が登園してくる時間となっており、ルーミィには事情を話して園児達には帰宅して貰うようにお願いしてある。
「初めて保育園休んじゃたな……やっぱ神力使った方が迷惑かけずに済んだかも……」
小さく声に出して気持ちを吐き出してみた。だが、ルーミィの気持ちを裏切る訳にもいかない。
「和也先生、入るね?」
ノックとともにルーミィの声が扉の向こうから聞こえてきた。はて? ノックされるのなんて初めてだ。しかも和也先生って……。
扉が開くと同時に三人の園児が飛び出して来た……なるほど、だから先生付けで呼んだのか。
「カズヤせんせ~お怪我ひどくなったの!? おからだつらいの!?」
ケモミミをしょんぼりさせているアメリアちゃん。明らかに不安がっているのが見て取れる。
「旦那様、番になる約束破ったらダメっ!」
ソフィちゃん、なんか死にそうな人にかける言葉みたいになってるよ? あと呼び名が旦那様がデフォになりつつあるね。
「ううぅ……サラの……サラのせいだぁ……」
既に泣いていらしゃる!? サラちゃんのせいじゃないから! おっさんのどんくささが招いた事だから!
「ルーミィ……先生、みんな連れて来ちゃたんですね」
別に風邪では無いのでうつったりする事は無いから大丈夫ではあるが。弱ってるおっさんを見せても不安を煽るだけである。
「うん、どうしても行きたいって……さあ、和也先生にご挨拶したら今日はみんなお家に帰ろうね」
しかし園児達に心配をかける訳にはいかない。ルーミィには申し訳無いが神力で傷を治させてもらおう。
神ブックを取ろう体を起こそうとした時、サラちゃんが俺の前に歩いて来た。
「カズヤ先生……お手て出して」
サラちゃんから手を出すようにお願いされたのだが……何だろうか、何か貰えるのかな? 千羽鶴的な? とりあえず体を起こしてと……ふう、やっぱり体のだるさが取れてないな。
「違うの、お怪我している方のお手て」
左手を差し出したのだがどうやら違うようだ、首を横に振り右手の方を指差している。骨折した時にギブスに『早く良くなれよ!』みたいなメッセージを書いたりしてくれるけど、そんな感じの事をしてくれるかな?
でも骨折のギブスならまだしも傷口の包帯に書かれるのはちょっとなあ……まあ、とりあえず出しておこうか。
「こうかい? サラちゃん?」
「サラちゃん、和也先生はお手て痛いから触っちゃ――」
ルーミィが言葉を言い切る前に、サラちゃんはその小さく綺麗な両手で俺の右手を強く握ってきた。
不意な痛みに少し顔をしかめてしまったが、必死に声を堪えた。おっさんの意地だ。これ以上園児達に心配をかけたくない。
目の前のサラちゃんは俺の苦痛の表情を見て驚いたのであろう。体が強張って一瞬手の力を緩めたのだが、再び強く握りしめて俺の顔を覗いて来た。
その碧色の瞳には力強い意志のようなものを感じる。何かをするつもりのようだが……。
「和也先生、サラがお手て、治してあげる!」
……なんとまあ、異世界チックなお話だ事。
サラちゃんのお父様は世界記憶と呼ばれる魔法のプロフェッショナルであり、お母様もそれに準ずる力がある、との事を暗黒魔王こと、牧場のおじいさんから教えて頂いている。
その二人の娘であるサラちゃんは超が付く程のサラブレッドと言う事になる。しかしながら現在に至るまで何故か魔法を使えた事が無いらしい。
そんなサラちゃんが真剣な眼差しでこちらを見つめ、初めての魔法を使おうとしてくれている。少々の痛みなど気にしている場合では無い。
頑張って覚えてきたのだろう、呪文の中身は全く分からないが、一生懸命に拙いながらも何らかの呪文を詠唱して右手に力を込めてくる。
だが、二度、三度と繰り返されるが痛みの変化は見られない。
その様子を部屋に居る全員が固唾を飲んで見守っている、アメリアちゃんの尻尾なんて真っすぐ伸びきっている。いやはや、本当に状態が分かりやすい子だ。
サラちゃんはそのまま詠唱を続け俺の右手に力を込め続けている。額には汗が滲み出しており、一心不乱に呪文を詠唱している。
しかし四度、五度、相変わらず変化は無い。ただ、幼児の力とはいえ、ずっと傷口を押さえられている状態であり包帯から血が滲み出してきている。傷口が開いたのは確実だな。
ルーミィがそれに気付き、サラちゃんに声をかけようとしたのだが、咄嗟にアイコンタクトを送り首を左右に静かに振った。
やらせてやりたいのだ。たとえ失敗したっていい。こんなに一生懸命なのだ。邪魔をしたくない。ただ、後でイリアさんに怒られるだろうなぁ……。
六度、七度、やはり変化は無い、傷口には。
「サラ! がんばって~!」
「サラ、集中する、肩の力を抜く!」
傷口には変化は無いのだが、園児達に変化が生まれた。アメリアちゃんとソフィちゃんが応援し出したのだ。ルーミィもその光景に止める事が出来なくなったのだろう。戸惑いの表情をこちらに向けている。それにそっと首を縦に振って答えておいた。
八度、九度、包帯の血は広がり、潤いすら出始めている。だが構わない、サラちゃんに好きなだけやらせてあげよう。
「ううううぅぅ……」
低く唸り声をあげるサラちゃんの額からは汗が滴り落ち、その汗は首筋を伝い襟元に染み込んできている。アメリアちゃんとソフィちゃんも声援も変わらず続けられており、ルーミィもエプロンの端を握り、唇を噛みしめてこちらを見ている。
十度、十一度、とうとう包帯が真っ赤に染まり血が滴り出した。痛みと共に冷や汗が流れ出て意識が朦朧とし始めてきた……貧血だな。視界が狭くなっていく……だが意識を失う訳にはいかない。
サラちゃんの瞳には涙が溢れているものの、決して諦めているようには思えない……頑張れ……サラちゃん。
十二度目、サラちゃんは今まで一生懸命唱えていた呪文の詠唱をやめ、血だらけになった俺の右手を小さな両手で自分の胸、心臓の位置辺りに強く押し当ててきた。
その瞬間に血が染み込んだ包帯が園内着に溢れ付いた。激痛と共に、ぬるりとした感覚が襲った。
「治ってぇ……カズヤ先生のお手て治ってよぉぉ!!」
サラちゃんの叫びと共に優しい光が浮かび上がり、俺の体を包み込んだ。光の色の種類はどう表現したらいいのか分からない。白色のような暖色のような。神力とはまた違ったとても暖かい光であった。
光が収まった途端、あれほどの激痛が嘘のように無くなった。体のだるさも一切無い。
「えへへ……和也先生、な、治ったよぉ~♪」
サラちゃんの小さな手は俺の血で染まっており、胸には血の跡がべったりと付いている。血の付いた包帯をほどくと切り裂かれていた傷口が綺麗に消えていた。
「やったあ~! サラ、すご~い!」
「凄い、サラ。ソフィには出来ない」
アメリアちゃんもソフィちゃんも大興奮だ。二人で手を取り合って飛び跳ねている。いつぞやかと違って同じタイミングで。ソフィちゃんも自ら飛び跳ねているようだ。
「サラちゃん、ありがとう! 初めて魔法成功したね!」
「うん! カズヤ先生、もう痛くな~い?」
「痛くないよ! ほら!」
手の平を閉じ開きして治り具合を見せてあげる。完璧だ。ルーミィは……少し微妙な顔つきをしてる?
何故だろう、サラちゃんを見ているようだが……ああ、そういう事か。
ルーミィが先程から怪訝な表情を浮かべて見ているその先には、サラちゃんの服にこびりついた血の手跡があった。
その形、場所共に胸を触った感が非常に強調されている仕上がりとなっている。これは確かにやばい。いろんな意味で……。
≪≪≪
怪我は治ったものの、やはり出血が多かったので今日は安静にする方が良いと判断し、園児達には帰宅してもらった。
尚、流石に血の付いた園内着で帰す訳にはいかなかったので神力で替えを用意し、サラちゃんの手も綺麗に洗ってもらった。あのまま帰られては大惨事になる。
ルーミィは園児達を見送り再び部屋に戻って来てくれ、血の付いた包帯などを片付けてくれている。
「ありがとうございます、ルーミィ」
「和也って……ほんっと胸が好きだね。サラちゃんにまで手を出しちゃうなんて」
ちょっと待ってルーミィ!? 違うから! あれ、俺から触った訳じゃないから! てか感触なんて自分の血のドロリとしたものしか無かったし!
「違いますよ! あれは!」
「分かってるよ、ちょっと意地悪言っただけだよ。でも……下手したら犯罪だからね?」
真顔で感情無く伝えられた最後の言葉に震えた……。




