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異世界96日目 7月5日(金) ②イリアさんの気持ち


 闇夜の川のせせらぎが妙に大きく聞こえる程の静寂の中、イリアさんから投げかけられた言葉に正直戸惑いを隠せないでいた。


 最初の頃は正直早く元の世界に帰りたかった。でもこの異世界に来てから時が経つにつれて気持ちが少しづつ変化しているのが自分でも分かる。

 園児達や村の方、みんなが俺を変えてくれたんだと思う。そのおかげでこの異世界に残りたい気持ちが生まれた。反面、元の世界に帰りたいという思いも強い、いや強くなってしまった。


 この異世界が嫌で帰りたい気持ちから、この異世界で経験した事を持ち帰って元の世界で試してみたらどうなるだろう。そんな考え方の変化が出来てしまったのだ。


 答えを出せないでいる俺にイリアさんは続けて重い口調で言葉を続けてきた。


「後……何日だ?」


 その言葉に答えるように腰に付けた神ブックを取り出し、残りの残日数を問いかけるイメージしながら開いた。淡く白い光が発光し、文字が浮かび上がった。


「今日を除けば……あと998日ですね……」


 そうか、もう1000日を切っていたのか……そう考えると悠長に過ごしては居られないな。幸い神ポイントは順調に溜まっているが。


「……ルーミィは強いな。カズヤを元の世界に帰す為に一緒に頑張っているんだろ?」


 厳密に言うと協力してくれているのは再研修の一環からではある。しかしそれ以上に親身になって尽力してくれているのは十分伝わっている。食欲旺盛過ぎるのが玉にキズではあるが。


「はい、ルーミィにはどれだけ感謝しても足りません」


「ふふ、あの子には敵わないかもな……」


 イリアさんの今の表情は笑顔に分類されると思う。だがそれはとても悲しげなものであった。そんな表情を浮かべたまま、ランタンを地面に置きこちらに近寄ってきた、手を伸ばせば簡単に触れられる距離まで。


「イ、イリアさん少し飲み過ぎでは? 少し落ち着きましょう」


「……大丈夫だ、あたしは酒は飲んでいない。食堂で飲んでいたのはただの葡萄ジュースさ」


 なんと……と言う事は今は素面ですか。道理で足取りもしっかりしていた訳だ。


「ルーミィとの約束は『酔った勢いで』だったろ?」


 なるほど、酔っていない勢いなら合法ですね。ってなりませんから! そんなトンチを利かせてせもダメですよ――って、か、肩を掴まれた!? み、身動きが取れない。抑え込まれただと!?


 でもイリアさん、これって男女が逆じゃないですかね? これではおっさんが可憐な少女役になってないかな?


 うん? 様子がおかしい。肩を掴んだままイリアさんがずっと下を向いている。小さく聞こえるすすり声……も、もしかして泣いてる!?


 なんで? 迫って来たのはイリアさんですよね? 端から見たらこの状況、俺が完全に悪者になっちゃいますよ? 


「あたし、毎日が怖い……怖いんだ……」


 力無く漏れた言葉とともに力も共に抜けてしまったように崩れ落ち、その場に座り込んでしまった……こ、これは一体。


「カズヤが……居なくなる……消える……。それを考えると毎日怖い……あたしはルーミィみたいにはなれない、居なくなる手助けなんて出来ない。でも手伝わなければカズヤは消えてしまう……どうしたら、どうしたらいいんだ……」


 そこまで俺の事で悩んでくれていたのか……確かにイリアさんの言う通り、どちらにしても俺がこの世界から消える事には変わりは無い。


「カズヤの世界、異世界に行く方法も散々調べた……でも見つからない、そんな方法、存在しないんだよぉ……」


 そうなのか……やはり世界を跨ぐその行為は神のみぞなせる技なのだろう。しかしどうする、今の状態のイリアさんに安っぽい言葉なんて何の役にも立たない、でも俺の為に悩んで泣いているのだ。何か、何かないのか……。


 気付いた時には涙を流して座り込むイリアさんに後ろから優しく抱きしめていた。自分でもどうしてそんな行動を取ったのか分からない。今まで彼女も出来た事も無いおっさんが大胆極まりない行為である事だけは分かるが。


「え……カズ……ヤ?」


 今までの人生で一番安心出来た言葉を探すもののロクな言葉が思いつかず、言葉を諦めて体験した事に枠を広げて考えた所、ルーミィが抱きしめてくれた事が頭に瞬時によぎり、咄嗟に体が動いていた。


「大丈夫です……勝手に居なくなったりはしませんから」


 イリアさんはそのまま静かに頷き、しばらくすると鳴き声は止んだ。


 嘘は言えない、自分の中で結論はまだ出ていないのだから。元の世界に帰る、もしくは当初一番考えていなかった可能性である『この異世界に残る』という選択肢が。

 まさかこの二択に迷わされる日が来るとは夢にも思ってもいなかったな……。



≪≪≪



「大丈夫ですか? 少しは落ち着きましたか?」


「あ……うん。えっと……その……」


 あれからしばらく後ろから抱きしめたままなのだが、イリアさんの口調がまだいつもの姉御口調に戻っていない。何か妙に女の子っぽいというか、いやそれは失礼な話だ。イリアさんは立派な女の子だもんな。


「そ、その……カズヤ、む、胸……が、ずっと……」


 ふぁっ!? 後ろから抱きしめた感想としては、女の子って柔らかいな、とは感じていましたが……すみません! ずっと胸も一緒に抱きしめてしまってたんですね!?

 こ、これがお胸の感触……人生初体験です……。


 そんな事よりも、もっと早く言って下さいよぉ! こっちからは見えてないんですから! さっきの言い淀んでいたのはこのせいだったんですね!?


「す、す、すみません! あの! こ、これは! そのっ!」


 急いでイリアさんから手を離したのだが、途端全身から汗が噴き出してきた。今、俺の行った行為に関して冷静に判断が出来たからだ。


 や、やってしまった……い、いや、これは事故だ! いや違うな、え、冤罪! でも無いな、出頭するか……交番、お巡りさんは何処にいらっしゃいますか?


「ううん……いいんだ。ありがとう、カズヤ」


 焦るおっさんに向けられたのは落ち着きを取り戻した優しい笑顔であった。本当にこの人のギャップは心を鷲掴みにされる。こんなに露出の高い服を着ているのに意外に恋愛は奥手なのかも知れない。


 まあ、俺ほどでは無いとは思うけどね。素晴らしい容姿をしているのだ、言い寄ってくる男などいくらでもいるだろう。

 俺は無かったからね、そんなの。


「でも、胸触られちゃったなぁ……誰にも触らせた事なかったのに……あたしは飲んでないのにさ。まさかカズヤから……これはルーミィに報告しないとな」


 ちょとおおおおっ! いつものイリアさんに戻ってくれたのはいいんですが、それはほんっとうに困るっ! 冗談抜きで磔で済まなくなりますから!?


「イ、イリアさん!? 何でもしますから! さ、さっきの事は内緒でお願い致します!」


 その言葉にイリアさんはかつてルーミィに向けた同じ怪しい笑みを浮かべ、二本の指を突き付けて来た。


「条件をふたつ飲むなら内緒にしてやろう。まずひとつは元の世界に帰る前に必ずあたしに伝える事、も、もうひとつは、キ、キスマークをつ、付けさせ……」


 誠心誠意の正座を行い、なんとかふたつ目のお願いは取り下げてもらった……それじゃあ結局、結果は変わりませんから……。


 しかし、確かに結論を出す時は必ず来る。だがその為には神ポイント達成は最低条件だ。


 帰るか、残るか……。


 今はその選択が出来るようになる為にしっかりと保育園を運営しなければならない。後、お願いだから黙ってて下さいね……その場で消滅と同義の死を迎えますから。



≪≪≪



「ただい――」


「遅いっ!! さあ、洗いざらい吐いてもらうよ! 一字一句、文言全部!」


 イリアさんと別れ、園に戻ってきて秒でルーミィが突っかかって来た。いや、大分早く帰って来た方だとは思うんですけど。それと、ずっと玄関で待っていたんですか? 腕を組んで仁王立ちのままで……。


「す、すみません。でもまだ時間は――」


 言葉を言い終わる前にルーミィが詰め寄りシャツのボタンをひとつ外してきた。かと思うと、両手で襟元を掴み上げて顔を近づけてきた。その行動に一切の躊躇は無かった。


 な、何!? いきなり! 近いってば! おっさんね、いい歳なの! 夏場だからいっぱい汗かいてるし、加齢臭とかも気になるからそんなにお顔を近づけないでぇ!


「……無いね。ふう……良かった」


 ううぅ……セクハラですぅ。そしてパワハラですぅ……。女神様とはいえ酷いですぅ……。


「ル、ルーミィ? 一体どうしたんですか? いきなり……それに、ち、近いですよ!?」


「あ……ご、ごめんなさい!」


 ルーミィが俺から飛び退いた。まさか可憐な美少女に襟元を掴まれるとは……人生分からないものである。


「あ、あのね、キ、キスマークが付いていなかって……その確認したくて……イリアさん、興味持ってたし……」


 危ねえっ!? あの場でイリアさんに許して貰わなければ俺は今頃……考えるだけでも恐ろしい。へ、平常心だ、平常心を保たないと。


「約束した通りご飯とお酒を飲んで来ただけですよ」


「うぅぅ。でもきっと何かあったでしょ!? 白状しなさい!」


 何故だ、何故キレられるのだろう。しかし抱きしめてしまった事を言う訳にはいかない。そう、絶対にだ。


「い、いへ。な、何も無いですよ?」


「へえ……もう一度聞くね? な・に・も・な・か・っ・た・の・ね?」


 俺ぇ……どうしてそこで噛んじゃうかなぁ? 一瞬でバレたじゃん。俺、実は隠し事が出来ないタチなの。後、少し酔っているのかな? ルーミィの綺麗な瞳が黒く、そしてその奥に赤いものが見えるような気がする。




「そっか。イリアさんそんなに思い詰めていたんだ……」


 女神様のダークサイドを垣間見た俺は簡単に白状した。ただただ怖かったの……命が惜しかったの……。


「でも、抱きつくなんて一体どういう事!? 破廉恥だよ! 女性の敵だよ!?」


「す、すみません……私の人生の中で一番の安堵感が得られたのがルーミィにして頂いたものでして。落ち込むイリアさんを見てると体が勝手に……」


「い、一番!? そ、そうなんだ……ま、まあ、それじゃあ仕方無いね……私のが一番かぁ……」


 もちろんイリアさんが泣いていた事や、胸を触ってしまった事はイリアさんのプライドと俺の命に関わるので極秘だ。こればかりは譲れない!


「それにイリアさんは今日はお酒を飲んでいませんでしたし、約束は守ってくれましたよ」


「う……ん。でもぉ……ぅぅ……やっぱりなんか……」


「でもこれでルーミィもBBQに参加出来ますよ! 水着も楽しみですしね!」


「誰の?」


 ……口は災いの元とは良く言ったものである。


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