桜の木の下で
午前10時過ぎ。
10月だというのにじんわりと汗をかきそうな陽気の中、家を出てバス停へ向かう。
(芳野さん、来てるかな・・・)
昨日は出来たら行くと言ってので、来るとは限らないし、来たとしても何時に来るかわからない。
会えるといいな、そんなことを思いながら歩を進める。
バス停に着き、時刻表を確認する。
(あと7、8分か)
誰も待っていなかったので、バスが出て行ったばかりだと思ったが、そうでもなかった。
休日もたまにバスには乗るが、ここから学校方面のバスは利用者が少ないみたいだ。
数分待ち、時間通りに来たバスに乗り込む。
いつもはたまに座れる程度だが、今日は座席が選び放題だ。
座席から見える景色はいつもと同じだが、休日という空気が新鮮さを感じさせる。
駅前に着いて、いつも通りの道で学校に向かう。
ちょっと歩いただけで、空調の効いた車内が少し恋しくなる季節外れの暑さ。
途中にあった自販機で飲み物を2本買っておく。
そして歩く速度を少し早めて、気を紛らわした。
閉ざされた学校の正門前まで着き、立ち尽くす。
そういえば休日に学校なんて来ることがなかったので、何も考えてなかった。
(裏門なら開いてるかな?)
そう思いつき、再び歩き出す。
よく考えたら学校自体に用事があるわけではないので、別に入る必要はない。
とりあえず、外から校舎裏とその近辺の様子だけ確認できればいいのだ。
校舎裏の近くまで来ると、学校のフェンスと反対側の壁際に見知った顔があった。
芳野さんだ。向こうもほぼ同時にこちらに気付き、声をかけようとしたら芳野さんは人差し指を立てて、静かにしてほしいことを伝えてくる。
銀が近くにいるのだろう。無言で芳野さんのもとに向かう。
「芳野さん、銀はどこにいる?」
「来てくれたんだね。うん、あそこ」
芳野さんは校舎裏のほうを指さすが、見当たらない。
すると直後、銀らしき猫が壁の隙間から飛び出てきた。
そして二人で尾行して、150メートルくらい歩いた先に現れた神社に銀は入っていった。
「ここが銀ちゃんのおうち・・・なのかな?」
「そんな感じだね。やっぱり野良猫っぽいなあ」
二人とも周りを見渡して確認し合う。
「それにしても、こんな所に神社なんてあったんだね。学校から結構近いけど全然知らなかった」
「芳野さんも?俺も知らなかったよ。あ、そこちょっと座ろうか?芳野さんはコーヒーより紅茶だったよね?」
俺は来る途中で買った、紅茶とコーヒーをカバンから取り出した。
「あ、ありがと」
近くにあったベンチに座り、二人で飲み物を口にする。
この神社内は四方に木々があるおかげで、日陰で覆われている。
鳥のさえずりも相まって、とても心地良い。
(・・・)
会話がないまま3分くらい経っただろうか?
不思議とここにいると時間の流れが緩やかに感じられる。
芳野さんも黙ったままだが、チラっと横目で表情を窺うと、気まずいという感じではなさそうだ。
「さて、銀もしばらく起きそうにないな。ここが寝床っていうのも間違いなさそうだし、どうしよっか?」
「うーん・・・もう少しここにいたいんだけど、ダメかな?」
芳野さんの意外な言葉に、驚きと嬉しさが入り混じる。
「え?芳野さんがよければ大丈夫だけど・・・」
「うん、ありがとう」
そう言って再び沈黙の時間が始まる。
風が少し強くなり、木々が揺れる音と鳥のさえずりが、より心地良いハーモニーを奏でる。
(実はさ、俺も同じこと思ってた)
「え?」
「ん?いや、それにしても銀はいい場所に住んでるんだなってね」
平静を装い、咄嗟に思いついたことを口に出す。
(やば。俺、声に出しちゃってたか?)
「そうだね。こんな心地いい場所にいたら、お昼寝したくなっちゃうよね」
優しい声で空を見上げ、目を細める芳野さんの横顔に思わず見入ってしまう。
しばらくして、何かに気付いたように腕時計を確認した。
「あ、もう結構時間経っちゃってる・・・付き合わせちゃったみたいでごめんね」
「全然大丈夫だって。こちらこそ今日は来てくれてありがとう。銀のことはまた来週、白河さんと相談しようか?」
「うん、それじゃあまた来週、学校でね」
お互い手を振り、芳野さんは神社をあとにする。
銀のほうを見ると、相変わらず夢の中だ。
(銀のおかげでいい時間過ごさせてもらったから、今度ちょっといいご飯買ってきてやるかな)
そんなことを考えながら神社を出ようとしたところ、樹の幹に巻かれた表示に目が行く。
(ヤマザクラ・・・へぇ、これ全部桜だったのか。満開の時に来たら綺麗だろうなあ)
桜の見頃までまだ半年くらいあるが、なんだか今から楽しみになってきた。
外に出たあと一度振り返り、気分よく神社を後にした。