エピソード5:横浜
全世界への同時攻撃から数週間、ティマイオスの攻勢は激しかった
アメリカやヨーロッパでは次々と首都周辺の大都市が水結晶へと変換されられていき
首都を水結晶にされなかった国々は首都や重要拠点に攻撃をくらい、まともに政治機能を維持できなかった
地球上に悲鳴と不安が木霊する中、AMMはティマイオスに対抗するための作を練り始めていた
「で、これがその秘策ってか?」
詮索と達筆な朱の文字が書いてある御札をひらひらと振りながら青年は言った
いまいち乗り気でないのか、その表情はどこか退屈そうだ
そんな青年の目の前を歩いていた女性が振り返って青年を睨みつける
「うるさいわね、文句があるなら支部長に言ってよね。私だってこんなアナログなやり方でどうにかなるとは思ってないわよ」
女性はどこか不機嫌であった、理由は至極簡単
組まされたペアがこの青年だったからだ
「まったく…なんで浦上君となわけ?誠也とだったらこんな地味な作業もどれほど楽しかったことか」
女性はその癖毛がかった長い髪を揺らしながら溜息をついた
彼女の名は川本恵美、東洋では名の知れた魔術師である
「へいへい、悪かったな誠也じゃなくて」
そう口を尖らせる青年の名は浦上雅、川本同様に彼もまた名の知れた魔術師であった
この世界には太古より神の奇跡を扱う者たちがいる 魔法使い、魔術師、魔道師、奇術師、異能者…
呼び名は様々だが彼らに共通していることはその力が危険極まりないということだ
ゆえに彼らを管理・監督する互助団体がある
その組織の名を魔法使い管理協会という
Association of magician management、俗に言うAMMだ
そのAMMが全世界に存在する魔術師たちの能力・危険度・力の大きさを段階分けして格付けしたものがある
その格付けは五段階にわけられ、強大なものからS級、A級、B級、C級、D級となっている
とりわけS級はA級以下とは雲仙の差があり、その階級に指定されるという事は人の身にして最も神の身に近い者達と捉えられているのだ
そんな最も畏怖されるS級ランクに川本と浦上は指定されていた
しかし、当の本人たちからはそんな空気は微塵も感じられない
無理もない、たとえ能力的に人の身にして最も神に近いといっても所詮は人
魔術を扱う実力に関してのみの話だ
普段生活している彼らは周りの人と何も変わらない
「それにしても本当に反応するのかよコレ…俺には理解不能なんだが」
「さぁね?私に言われても知らないわよ。でも連中が生贄の儀式を発動される際には予兆として補助術式が起動する、その補助術式も事前に起動させて置かないといけないようだから、その補助術式を探り当ててそこを破壊、あとは本命の生贄の儀式の術式を破壊する、それしか方法はないでしょ?」
「その補助術式探しがアナログだって言ってるんだけどさ。無駄に街中を練り歩いて探し当てろだなんて無茶だっての」
さきほどから二人は市内を練り歩いているがこれといった成果は果たせていない
補助術式を探し当てるといっても詮索範囲が広ければ骨が折れるというものだ
「大体、次に狙われるのがここなのかどうかも怪しいってのに」
「確かにそうよね…でも狙われそうな場所っていったらもう関東じゃここしかないわけだし」
ティマイオスによる全世界同時攻撃、その幕開けで日本は首都東京を水結晶に変換させられてしまった
その後、古都・鎌倉を筆頭にさいたま市、前橋市、宇都宮市、水戸市、千葉市、横須賀市が水結晶に変換されてしまい
関東の玄関口である成田は霊脈を流れる呪力の逆流によって人が近づけない土地へと変貌してしまった
この連続する攻撃に魔術の知識が皆無である表社会は混乱の極みにあった
政治家や経済界の重鎮が仮初めの代行首都を横浜に置くことによりなんとか国家としての貞操は保っていたが
それとて、いつまで持つか不鮮明であった
何せ、関東で残っている主な大都市がもはや横浜しか残されていないからだった
それ故にAMMは次にティマイオスが攻撃を仕掛けてくるのが横浜と睨み、市内各地に魔術師を派遣、巡回させているのだが
「でも今のところ当たりはなし…か」
すでに数時間歩きまわっているが、今だ反応はなかった
「横浜以外でも攻撃されそうな都市もまだあることにはあるんだしさ、それこそ関東平野一帯が世界でも類を見ない大都市街郡なわけだし」
「……その考えで行くなら関東平野全体が水結晶化しないといけなくなるわね」
「だな、でもそこまでやれるほど連中も人数はないはず…ん?」
言う浦上の御札に反応があった
朱の文字の詮索が探知という文字に変わったのだ
それを見た浦上の表情が真剣なものとなる
「どうやら敵さんが動き出したみたいだぜ」
探知の文字を見た川本も真剣な表情となって頷く
川本と浦上が生贄の儀式の補助術式の起動を感知した場所から少し離れた桜木町駅
横浜都心部再開発の目玉でもある横浜みなとみらい21
その中でも中核を担う日本一の高さを誇る高層ビル、横浜ランドマークタワーが聳え立つ沿岸部
そこに一人の男がいた、行き交う人々の中でぽつんと立ったままただ空を見据えていた男はやがて口の端を吊り上げて狂気に顔を歪ませる
「あぁ…そろそろ頃合いかな~?」
ひどく痩せこけた印象の男だった
まるで生きていないように血の気の引いており、着ている服もボロボロの布切れのようなコートだった
見るからに生きる目的を失ったようなそのなりに、しかし絶望感というものは見られなかった
痩せこけた男は体中から狂気を放ち高らかに笑い始める
その様に行き交っていた人たちは怪訝な表情となって痩せこけた男に注目した
やがて笑い終えると痩せこけた男はギョロっと目玉を動かして自分を怪訝な表情で見つめる群衆を見やる
そして両手を広げて空に掲げる
「ぐふふふ…お集まりの皆さん~開演の時間ですよ~楽しい楽しい、恐怖と絶望に満ちた死のアクロバティックショーのさ~」
言う男の周囲の空間が歪み、目には見えないこの世のものではないものが身近にいたサラリーマンに襲い掛かった
「ぐわぁぁぁ!!」
サラリーマンは抵抗することもできずに体中を切り裂かれて血吹雪をあげて地面に倒れる
それを見た群衆の中の一人が悲鳴をあげた
そこでようやく自らに迫った危機を理解した人々は一斉に我先にと痩せこけた男から離れるため逃げ出す
一瞬で周囲は大混乱となった
そんな喧騒を見て痩せこけた男は片膝をついて右手を地面に当てる
すると逃げ惑う人々の足元の地面にひびがはいり、一気に崩壊した
直後、崩壊した地面から赤い不気味な光のカーテンが現れ人々の退路を断ってしまう
「逃がさないよ~?君たちには生贄の儀式が発動するまでの間退屈しのぎになってもらうんだからさ」
狂気に満ちた表情を浮かべる痩せこけた男を見て人々は恐怖した
その時だった、周囲を取り囲んでいた赤い光のカーテンがガラスが砕けたようにパリンと割れる
「あん?」
痩せこけた男が間抜けな声をあげてしまうほどにそれは唐突の出来事だった
砕けた赤い光のカーテンの向こうに一人の男が立っていた
茶髪にロンゲ、腕や指にはシルバーアクセサリーを装着しており、服装はブカブカの長袖シャツに際どいところまでズボンを下ろしている腰パン
口元はくちゃくちゃと動いており、すぐに噛んでいたガムを吐き捨てる
誰がどう見ても、街中を徘徊しているゴロツキだった
しかし、そんなゴロツキは痩せこけた男と怯えきった人々の様子を見るとひどく真剣な表情となる
「シロウトに手出すとはどういう神経してんだ?あぁ?一回死んどくか?このクソ野朗」
「はて?随分と行儀がよろしくないみたいですが、もしかしてAMMの方ですか~?」
「そういうテメェはなんなんだよ?どうせティマイオスのクソなんだろうけどよ」
「だったら、どうするつもりなんですか~?」
「決まってるだろーがよ、ぶっ殺す」
二人の間で空気の流れが変わった、殺気と殺気がぶつかり合う
そんな緊張感の中、いまだと言わんばかりに人々がこの場から逃げ出していく
「あぁ…まったく逃げられた、どうしてくれるんだよ」
「気にするな、すぐにそんなことも考えられなくなる」
ゴロツキのその自信に痩せこけた男は苦笑した
「まぁ、せいぜい楽しませてくれ」
言った直後、痩せこけた男のとなりに巨大な狼が現れる
「お気に入りだよ、食い散らかせ」
痩せこけた男の命令に従い巨大な狼が動こうとした瞬間、二人の間に巨大な岩石が落下する
「!?なんだ?」
ゴロツキは驚いて一歩下がり、痩せこけた男は忌々しそうに上を見上げる
直後、巨大な岩石の上に上空から一人の巨漢が着地した
見るからに筋肉質なその体に、ツンツンに立てた髪の毛、顔には絵に描いたような傷跡が鼻から右頬にかけてついている
蒼い目をした白人だった
巨漢は痩せこけた男の方を見ると呆れた表情となる
「おいおい、何やってんだ?さっさと補助起動させてこい。でないと俺が本式起動をできねーじゃねーか」
「言われなくてもすぐにやるさ」
「だったらさっさと行け、ガキんちょがいなきゃ仕事もできないのか?」
「まさか…残念だけど、そいつの片付けはじゃあ任せるよ」
痩せこけた男はガックリと肩を落とすとスーっと姿を消した
それを確認すると巨漢はゴロツキの方を見る
突如現れた相手にゴロツキは身構えて様子を窺う
そんな様子を見て巨漢が喜悦な表情を浮かべる
「ほう、相当な手練れのようだな…あいつが楽しもうとするのも無理はない」
「貴様もティマイオスか」
「知れたことを…お前、名前は?」
「…唱門師、萱島啓太」
その名前を聞いて巨漢は高らかに笑い上げる
「萱島啓太!そうかお前がそうなのか!噂には聞いてるぞ!渋谷で若者に絶大な人気を誇る陰陽崩れだろ!確か東京攻撃の際にはまんまと天皇家や閣僚を郊外へ逃がしたやつだったな!」
萱島啓太は沖山誠也や浦上雅、川本恵美同様にAMM極東支部では上位の魔術師だった
特に浦上雅とは親友と呼べる仲であった。ランクはA級、二十一歳だが中年層からの慕われている
しかし、その内面や実力を知らない者からすれば外見から判断されていらぬ誤解を受けることもしばしばだった
「そういう貴様は名乗らないのか?」
言われた巨漢は笑いながら萱島啓太を見て一言
「ルー・ガルー」
それだけ言うと巨漢は腕を振って首をならす
一方の萱島啓太は巨漢が名乗った名前に違和感を覚える
「ルー・ガルーだって?それは名前じゃなくて総称じゃないのか?」
「んなことはどうだていい、さぁ始めようぜ!!」
言って巨漢ルー・ガルーは岩石から飛び降りると再び腕を振るって岩石を持ち上げる
それを見た萱島啓太は身構えながら思考をこらす
(あいつ、見たところ呪力で自身の筋力やパワーを上げる肉弾戦タイプだな、だとしたら接近戦は禁物。だがあぁいった魔術を肉弾戦の糧に使うタイプには呪力を充填するという動作の時に一瞬隙が生れる…そこをつけば一撃だ)
その隙はコンマ0、何秒という時間にもならない時間だ
それでもその一瞬の隙をつける実力が萱島啓太にはあった
逆に言えばそれ以外では彼は絶対に仕掛けない、それが彼の戦術だった
臆病者の戦い方、自らそう自覚しているほどに萱島啓太の戦術は慎重だ
外見とは裏腹に思考に思考を重ね、検証を経て初めて攻めるタイミングを計る、そして確実に勝てる場合のみ攻勢に出る
それがA級ランクの彼の戦い方だった、格上のS級に対抗する手段であり、格下のB級相手であろうと絶対に負ける戦いをしないための処置だ
ゆえに、彼が攻める場合は確実に勝てる場合のみ、自信過剰でも何でもなく絶対に勝てる時だけだ
もし、それが覆るとしたら…それはもはや思考や検証で得られた弱点のデータなど関係ない相手ということになる
そして、萱島啓太はそんな相手に生涯で初めて出会った
そして、それを知った時にはもう彼の生涯は終わっていた
(バ…バカな!このタイミングでどうして魔術が発動でき……)
口に出すことも、心の中で言い終わる間もなく彼の頭と胴体はそれぞれに今生の別れを告げる
痛ましいまでの血の量が辺り一面にブチ撒けられ、鮮血で地面が染まる
「なんだ、対したことなかったな」
ルー・ガルーは失望したと言わんばかりに嘆息する
切断された頭が地面に落ちて転がり、胴体が自らの血で染まった鮮血の大地に倒れ伏した時
魔術師、萱島啓太は絶命した
この世界のどこにも属さない異空間に巨大な島が浮いていた
島と言っても草木は生えておらず、すべてが機械と金属で覆われた人工島だ
何本ものつり橋が人工島の周囲に点在する建物や艦体に繋がれ目を疑うほどの科学力を保持している
そこは魔術師達の根城。AMM極東支部
そんな人工島の中心部に聳え立つ指令室のある巨大なタワー、そこから少し離れた所に待機指令を受けている魔術師達が寝泊りする寮がある
寮と言ってもここに拠点をおいて暮らしている者は少ない
ここに暮らしているのは常時支部に勤務する者くらいで、ここを利用する用途は主に極東支部に数日間滞在する用事がある場合の宿舎の意味合いが強い
にもかかわらず、この1ヶ月というもの、ここで暮らすようになった魔術師が多数いる
ティマイオスの東京攻撃以降、関東地区で都市水結晶化による拠点を失った者達だった
彼らは関東で別の拠点を探すよりはティマイオスとの戦争が落ち着くまでは情報収集がすぐにできる極東支部での生活を選んだのだった
そんな魔術師たちでごった返し始めた寮のすぐ近くにトレーニングセンターがある
通常ならば、新たに魔術に目覚めた者のための研修施設として機能しているはずだが
今現在、ここを使用しているのは新人ではなく戦力外通告された小さな魔術師達だった
「う~~~~~~退屈だぁーーーー!!!!!」
課せられたトレーニングノルマも半分の所で少女は声を上げた
バタっと床に倒れこんでジタバタと手足を振る
しかし、そんな彼女の行為に周りの者は見向きもしない
ただ黙々と自らに課せられたトレーニングノルマをこなしている
少女はそんな皆の態度がつまらない、なので近くにいる友人にちょっかいをかけてみる
「えい!」
「ひゃん!」
少女は隣の友人の横わき腹をつねってみる。そこが弱点だと知っているからだ
「”ひゃん!”だって、有紀かわいいー」
「いきなり何すんのよ樟葉!!」
少女の頭に見事な肘チョップが炸裂する
膝が崩れて少女はそのまま床に突っ伏した
「まったく、ちょっとは集中しなさいよね」
嘆息する少女の名は初芽有紀。中学一年生ながら忍術という分野で才能を開花させようとしている魔術師だ
「ぶーいきなり肘鉄はないんじゃないの?」
言って頭を押さえる少女の名は鴇沢樟葉。天使術という日本では稀な術を扱う魔術師だ
そんな二人の幼い魔術師は今、能力強化のための瞑想修行中なのだが
どうにも幼さゆえか、集中できないのだった
「瞑想もできないようじゃ、精神を鍛え上げることもできないわよ?これじゃいつまで経ってもD級ランクのまま…AMMの提示する最低C級ランクからの作戦参加にこぎつけないわよ」
「う~そ、そうだけど」
有紀に言われて樟葉は言い返せなかった
現在二人のランクはD、魔術師ランクとしては最低ランクである
しかし、それは彼女たちの年齢を考えれば当然ともいえた
子供にとって魔術の使用は危険極まりないものだ
たとえ天性の才能や素質があったとしても高度は魔術は扱えない
それは肉体的にも、精神的にもまだまだ未熟であるがゆえに魔法に飲まれる危険性があるためだ
一般的に上位の魔術師へと開花していく時期は16、7歳と言われている
彼女たちはまだ12歳、どれだけ修行したとして上位ランクへは到達できない
「今のままじゃ作戦参加は不可能。誠也にも合えないわね」
「そ、それは困るよ!このまま師匠と離れ離れなんて孤独死しちゃうよ!」
有紀に痛い一言を浴びせられ樟葉は慌てた
現在彼女たちはAMMから戦力外通告を受けているのだ
ティマイオスとの戦争における一切の作戦参加を認めず。作戦に参加する魔術師との接触も禁ずる
そう言い渡されたものだから樟葉は錯乱した、見かねた極東支部の作戦指揮官の提示したものは「ランクを上げろ」だった
当然樟葉たちのようなD級ランクに世界の命運をかけた戦いなど背負えるわけもない
しかし最低C級ランクならば前線は無理でも後方支援くらいならできる
そんなわけで、樟葉すぐにもC級ランクへとランクアップするため修行に入ったのだが、彼女の集中力は短かった
今だ修行行程の3分の1もクリアしていない状態なのだった
「誠也にはやく会いたいんだったらランクを上げるしかないでしょ。だったらさっさと修行再開!わかった?」
「…有紀はなんだか焦ってる感じがしないんだけど?」
そりゃ別にそこまで誠也に会いたいわけじゃないし、ここで修行してたら雑用という仕事をしなくて済むしなぁーという本音は声に出さず
いたって真剣な眼差しで友人を思いやる気持ちが篭った声で有紀は告げた
「こういうのは焦ったって何もいいことはないんだよ?一歩一歩確実に強くなって成長した姿を見せたほうが誠也は喜ぶはずだよ」
それは魔法の言葉だった。誠也が喜ぶと聞いて樟葉の態度が変わる
「そうだよね!修行をちゃんとこなして強くなれば師匠も褒めてくれるし、頼りにしてくれるよね!」
「そうよ!だからサボってる暇なんてないんだよ!」
有紀は樟葉の肩を掴んで力説する
ちょろいもんね。そう思った直後、しかし樟葉は有紀の思い通りにはいかなかった
「うーん、でもやっぱり師匠に会ってパワーを充電してもらわないと。愛に勝る力はないって言うしね!」
「は?何言ってるの?誠也にはまだ会えないでしょ、忘れたの?作戦参加中の魔術師との接触は禁止って」
「大丈夫大丈夫!愛の力がそんな障害吹き飛ばしてくれるって!」
言うや笑顔で上機嫌の樟葉は鼻歌なんかを口ずさんでトレーニングルーム出口へとスキップしていく
さすがに有紀もこれにはキレた
「コラー!連帯責任でこっちまで怒られるんだぞ!自重しろーーー!!」
怒って樟葉を追いかける有紀だったが、第三者がこの光景を見た場合遊んでるようにしか、見えないのが現実だった
「師匠、今会いに行きま……ぶはぁぁ!」
樟葉が今まさにトレーニングルームの入り口扉をスライドさせようとした瞬間
扉が勢いよくスライドされ、外から誰かが猛烈な勢いで中へと入ってきた
「樟葉さーーーーーん!!!!愛の戦士、村正が姫に愛という名のエナジーを注入しにきましたよ!!ってうぉぉ!?」
外から猛烈な勢いで入ってきた少年と中から猛烈な勢いで飛び出そうとした少女は互いに勢いそのままに激突
お互いに後ろにころんだ
「いたたた…何よいきなり」
言う樟葉は自分にぶつかった相手を確認すると途端に不機嫌になる
「何でコイツがここにるのよ、ていうか人にぶつかってくるとか何なの?サイテー」
「さ、サイテー!?」
言われた少年はそのままひびが入った石像になった
少年の名は和泉村正。魔術師ではないが神代の時代の魔剣「八俣遠呂智」を扱える将来有望な魔剣師である
この少年魔剣師は樟葉に対して一方通行の恋心を抱いており、どれだけ樟葉がぞんざいに扱おうが諦めることはない
そういうわけで毎日のようにこうして樟葉が鬱陶しがっているにもかかわらずハイテンションで会いに来るのだった
どうしようもないストーカーである(樟葉談)
「やっほー!くーちゃん、ゆっちー。ごめんね、このバカ止められなくて」
現れたのは樟葉たちと同年代の少女であった
少女の名は橘吾妻。将来有望な巫女術者である
そんな巫女さんは横目でチラっと石像と化した村正を見ると顔は笑顔で周囲に負のオーラを漂わせて
恐ろしい勢いで蹴りつけ、踏みつけている
「いやー、ほんとバカの面倒は手間がかかって嫌よね」
あははと笑いながら吾妻の蹴る力はパワーを増していく
さすがに心配になった有紀が止めに入る
「吾妻、いい加減止めた方がいいんじゃない?」
「なんで止めるの有紀!あづっち、もっとやっちゃえ!」
吾妻の村正いじめに調子をよくした樟葉がそう言ったところで吾妻もようやく蹴るのを止めた
「で、何か急いでるようだったけど用事?」
「うん、修行に専念する前に師匠に会って元気を注入してもらおうと思って」
「へ?会うって」
吾妻は有紀のほうを見た、有紀は肩を竦めるのみだ
吾妻は「はぁ」と溜息をつく
「くーちゃん。誠也さんに会うために修行してるんでしょ?だったら会うための修行成功のために会いに行くって変でしょ。ていうかそもそも私たちじゃ作戦区域はおろかここから出ることも」
「そーだ!ねぇ!あづっちも来ない?ていうか有紀も来るんだし、真紀も誘って皆で行こうよ!たまには外の空気も吸わないといけないしさ!」
聞いちゃいねー
暴走特急と化した樟葉の勢いは収まらず、吾妻が言い返す前に強引にその手を掴んで有紀もろとも引きずってトレーニングルームを後にした
残されたのは散々踏みたおされ、蹴りつけられて転がった村正だけであった
AMMの各支部はそれぞれ異空間に存在している。各支部間を繋ぐゲートは存在するが、しかしそれぞれが独立した異空間に存在しているため直通ルートというものは存在していない
一見、支部間を行き来しているように見えるワープゲートも一旦は地球の霊脈を経由しての移動であるため
異空間、地上、異空間というプロセスを瞬時にこなすわけである
この概念を理解している者はAMM内であっても意外にも少なく
故に空間支配系の魔術を駆使する者が自らが作り上げた異空間からAMM支部へと直接移動しようとしてよく事故を起こすのである
現在も、極東支部長である山北琢斗はその事故報告を耳にしていた
「なるほどな…内容はわかった。まったく、この大事な時に余計な手間をかけさせおって」
椅子に深く腰掛け、報告を聞いて溜息をつく
つい先ほど横浜で術式探知に反応があったという吉報から臨戦態勢に入ろうとした矢先の報告である
出鼻を挫かれたような術者の失態に頭を痛める
しかし、失態を犯した空間支配系の術者は今回実行しようとしていた作戦の要でもあった
さて、どうしたものかと山北は頭を痛める
極東支部から地上に戻るためには人工島の最深部にあるゲートを通過しなくてはならない
当然、今は戦時のためおいそれと自由に出入りできなくなっているのだが、そういった事情を知らない者も中にはいるわけで
「だから、なんでゲートフロアに入れないわけ?」
「ここから先は許可書がない方は通すことはできません」
「もう!許可書許可書って!だから許可書は師匠が持ってるから師匠に会えば問題ないんだよ!」
地団駄を踏む樟葉とは対照的に有紀と吾妻は後ろで他人のフリのつもりか視線をそらしている
ここにいる時点で他人のフリをしても無駄なような気もするが、同じと思われると恥ずかしいのは確かであった
そんな彼女達をたまたま近くの通路を通りかかった一人の少女が発見する
「あら?あれってもしかして」
長く伸ばした髪を頭の後ろに持ち上げてまとめて髪留めで止めてあり、前髪には真鍮に金めっきが施された簪が差してある
服装はやや古めかしい着物で手には成金趣味の黄金の扇子が握られている
そんな和服少女はゲートの前で騒いでるのが樟葉だとわかるとニヤーと服装に似つかわしくない行儀の悪い笑みを浮かべる
そしてズカズカと樟葉の方へと歩いていく
「おーっほっほ!どうしたのですか?こんなところでギャーギャー騒いでお行儀がよろしくないこと……一体どこのがさつ者かしら?」
後ろから投げかけられた声に反応して樟葉は後ろを振り返る
そして、そこにいる人物の顔を見てあからさまに嫌そうな態度を取った
「げっ!なんであんたがここに」
言われた和服少女は成金扇子で口元を隠しながら声高らかに笑い声を上げる
ただし、口元を隠しているつもりだろうが、笑うたびに下品な口元はあらわになっていた
「おーほっほ!ここは私の散歩道ですのよ?極東支部内のすべての施設・設備にアクセス可能な許可書保持者にとって、通行許可に規制がかかってる場所など関係なくってよ」
どうやら樟葉が許可書がなくて歯噛みしているのを馬鹿にしたかったようだが、樟葉はそれを聞いてニヤリと笑った
何か悪いことを考えついた時によくする表情だ
「へぇ~くみちゃん許可書持ってるんだ~ふ~ん」
「えぇ、そうですわよ?羨ましくて?極東支部内すべてにアクセス権限を持っているこの法善寺組子が羨ましくて?」
言って和服少女・法善寺組子はより一層笑い声を上げる
樟葉はそんな法善寺組子の様子を見て「かかった」と思った
自尊心の高い、この和服少女は気分が高ぶると自分に酔いしれて周りが見えなくなる
この瞬間を狙って樟葉は法善寺組子から許可書を奪い取ろうとしたが
「させませんわよ!」
樟葉の手を法善寺組子の黄金の扇子が払う
「ちっ!もう少しだったのに」
樟葉の態度に法善寺組子は呆れた様子で言い放つ
「ほんと、手癖の悪いこと……品位を疑いますわ」
「うるさい!成金のあんたに言われたくないわよ!」
「なんですって?」
「大体、なんでくみちゃんが許可書を持ってるわけ?くみちゃんもランクはDじゃない」
「あら?それは私とあなた方とでは同じDランクでも重要度が違うということですわよ」
胸を張ってふんぞり返った法善寺組子だったが、これには樟葉ではなく今まで黙って様子を見ていた吾妻が指摘する
「というか、元よりどこで何してようが、対してかわらないからでしょ?」
法善寺組子の体を見えない何かが貫通した、思わず「ぐはぁ!」と声を上げてしまうぐらいに
「あー、そういえば、法善寺さんって霊能力者だもんね。しかも使える力って確か」
「お黙り!!」
有紀が言おうとした瞬間、法善寺組子は叫んで制するが、樟葉は意地の悪い笑みを浮かべて一言
「霊視と微妙な除霊ができるだけだもんね」
はっはっはと笑う樟葉に法善寺組子は怒って指を突き刺す
「霊視とて立派な霊能力!私の除霊によって助かった人だって数多く存在しますのよ!」
「数多くって…ご近所さんだけじゃない、しかも除霊って根本的な解決じゃないでしょ?」
除霊、それはその場から霊をどけるだけの技術であって
別の場所に移し変えただけで霊自体はまだ健在の場合が多い
その場から霊を散らすのではなく、完全に消滅、もしくはあの世に送り届けるのは浄霊の方だ
こちらは成仏させるために仏教系なら読経によって力ずくであの世に送ったり
神道系なら神界から氏神の波動を転写して浄化するなど上位ランク者でなければ難しい技術だ
「うるさい!お黙りなさい!大体私が極東支部内全域に通行可能な許可書をもっている事実に変わりはありませんわ」
自分が対したことないというのは認めるんだというのは声には出さず、吾妻は指摘する
「霊能力は人外にしか効力を発しないからね。魔術結社との戦争、同じ人である魔術師が相手だと一般人とほぼ同じだからいてもいなくても変わらないでしょ」
「今は強い恨みの念を持って成仏できない悪霊が台頭してるって話も霊業界じゃ聞かないしね」
吾妻と有紀の言葉で法善寺組子は完全に地面に突っ伏した
それを見て樟葉は言い気味だと思うわけだが、法善寺組子は糸が切れたように不気味に笑い始める
「あはっあはは……霊能力が対魔術師には無効ですって?」
すらーっと立ち上がった法善寺組子はきっと目を見開くと大声をあげる
「あんたら私に真紀を弟子入りさせておいてよくそんな口が聞けるわね?何?友達もどうせ霊能者と馬鹿にするつもりだったのかしら?」
言われて樟葉たちは互いに顔を見ると法善寺組子の方を向き
「真紀は霊媒能力でしょ。それに真紀が弟子入りしているのはくみちゃんじゃなくてお姉さんの良子さんの方でしょ」
さらりと否定した
霊媒能力は霊能力と同一視されているが、若干の差異がある
霊媒はその身に霊や魂、実体無き者の意思を降ろす霊体質のことである
言うなれば人ならざるものとのコンタクトツールなのだ
そして霊能力よりも霊媒能力の方がより実戦向けに以降する可能性は高い
欧州においてはダイモーン魔術に交霊術もしくは降霊術
アフリカやカリブではブードゥー教
アメリカではシャーマニズム
日本においては口寄せ
そして世界中でもっとも代表格といえば死霊術だろう
「良子さんは霊媒師としては一流って聞くしね。自動書記とかすごいって有名だし」
「噂じゃ招霊からの物質化現象、果てはポルターガイストを誘発させたりして対魔術師でも気後れしないって。まっきーもそうなったら一緒に戦えるじゃない?」
後者のようになれというのはかなりハイレベルなものを要求しているが
同じ霊能力者が対魔術師戦争に参加するにはそういうレベルでないとダメなのだ
たとえば相手が呪いや精霊獣、悪霊を行使するタイプだと活躍の出番もあるだろうが、そういったタイプばかりではない
有紀の忍術のような、自身の身体能力に呪力を上乗せするタイプには生身同然だ
しかし、すべての魔術が霊的なものから切り離せないのもまた事実である
魔術は宗教に由来し、基盤としている。そういった霊的なものを信仰する宗教も世界には数多く存在する
キリストやイスラム、ブッタのような世界宗教と違い主に小さな地域での民間信仰などでは先祖の霊魂などが崇められる対象のケースがほとんどだ
太陽信仰や星信仰、海信仰や山岳信仰も大差はない
黄泉の国、あちら側との境界に神秘性を求めるからこそ、霊とのコンタクトが重要となる
その力を向けるべき対象が今生きる生者か、死して道標を失っている死者かの違いだ
そして、それは巨大宗教においても通じる
「な、何よさっきから私をコケにするような言い方して!確かに姉さまにはかなわないわ、当然ですわ。けどね……それはあなただって同じことではなくて?樟葉?」
「!」
法善寺組子の言葉に樟葉はムカっとした
構わず法善寺組子は続ける
「あなたのお姉さまも有名な修道女でしたわよね?でもあなたはそれほどの力をお持ちかしら?」
「っ!」
直後、パァンと音が響いた
下品な笑みを浮かべる法善寺組子の頬を樟葉は無言で叩いたのだ
樟葉の表情は怒りに満ちていた
叩かれた法善寺組子も怒って樟葉の胸倉を掴み上げる
「何すんのよ!」
「お姉ちゃんのことを言うな!!」
「はっ!何なんですのよ!あなたのお姉様は東洋一優れたシスター、卓越した修道法印術師だった。霊業界でも有名よ。姉様も言ってたわ、極東最強の祓魔師にもなれるんじゃなかってね。で?あなたは?そんな祓魔師の才能もないから悪魔に負けたんじゃないの?」
樟葉は歯噛みする、そう自分は悪魔に負けた
悪魔崇拝者八幡さつきに
修道法印術に祓魔術もしくは悪魔祓い(エクソシスム)は共にキリスト教会の魔術だ
しかし2つは同じキリスト魔術でも対する相手がまるで違う
祓魔術は主に洗礼の際、悪霊追放の役目を担っていた
それ以外には救世主の力が揺らぎ、サタンの目覚めを促す日陰者から邪を滅する儀式や、現世に縛られた霊魂の解放
死後も現世を跋扈する悪霊の滅却、悪魔の討伐
対して修道法印術は主の祝福によって己を加護し、主に歯向かい、逆らう者(異教徒)を討伐し排除するための魔術
様は異教徒という人間を殺すための術式なのだ
この修道法印術が発展したのは中世。何度かあった聖地回復運動
欧州各国が連合軍を編成してエルサレムを支配するイスラム世界に戦争をしかけた十字軍遠征時代だ
主に使用したのは修道騎士会。主の教えを広め、主と敵対する者を排除するため進んで異教徒を斬っていった者の術
修道騎士は異教徒を倒す以外にも祓魔師のような悪霊や悪魔と敵対する時もある
異教徒のみが異端とは限らないからだ
たとえ同じクリスチャンでも宗派が違えば異端だと罵り合う
そして異端者を改心させる(自宗派に取り込む)ため、異端者の心に救った悪魔を斬らなければならない
キリスト教における天使=神の御使いたちは宗派によって天使にも悪魔にもなりうる
それは敵対する宗派の守護天使を堕天使=地獄に堕ちた悪魔として相手の宗派の者に自らの方が天にいる主から正式に加護を受けているんだと主張するためだ
それゆえか、キリスト教の同じ魔術であるにも関わらず、ある天使の力を借りて邪を滅する術があれば
別の天使の力を借りて、ある天使の力を相殺する術があるという矛盾が生じている
しかし、これは巨大になりすぎて世界宗教となってしまった上の回避できない結果といえよう
故に修道騎士はたとえ相手が同じクリスチャンでも宗派が違えば戦う場合もある
しかし、同胞で殺しあったとなれば最後の審判において天国へとは昇れないだろう
そこで苦肉の策として、同じ人が相手であっても祓魔師の真似事をして相手の守護天使を悪霊と仮定して悪魔祓いを行なうのだ
そうすれば同じクリスチャンを斬ったことにはならない
こういった言い訳めいた理由から修道法印術にも祓魔師的な要素が備わっている
そして樟葉の扱う天使術の場合、この祓魔師的な要素の方が多いのだ
樟葉の扱う天使術は一概にキリスト教の魔術とは言いがたい側面がある
キリスト教が主体であっても天使信仰の割合も多く含まれているし、樟葉が今だ四大天使の加護を借りる術しか知らないだけで
広い意味での天使術で扱える天使はユダヤ教やイスラム教にまで広がる
元よりユダヤ教がキリスト教やイスラム教の原典となっている分、ユダヤに重点を置いたほうが術は安定するだろう
かつては天使の力を純粋に受けて悪魔を祓っていた、それが天使術
樟葉が扱う懐古主義と呼ばれるものだ
やがて時代の多様化により、悪魔と呼ばれるものの定義が広い意味で犯罪者や組織、国家、教皇を揺るがすものと拡大していくにつれて
単純な天使と悪魔の均衡を保てなくなったが故に修道法印術や祓魔術、新興カバラ聖法に取り込まれていった経緯がある
そういった意味合いでは懐古主義の天使術を扱う樟葉は最も対悪魔の色合いが強くなくてはならない
「……勝てなかったわよ」
樟葉はボソっとした小さな声でいった
前髪で隠れて表情は掴めない
「お姉ちゃんなら確かに倒せたかもね」
その言葉は先ほどと同じく小さく聞き取りにくかった
かつて、極東支部に東洋最強と言われた布陣があった
今後これに勝るパーティーは現れないんじゃないかとまで言われた面子は驚くことにまだ若い五人の少年少女だった
都内のとある公立高校に全員一緒に通っていた五人の少年少女の当時のランクは限りなくS級に近いA級
その最盛期いや黄金期とも言っていいほどに彼らが名を轟かせたのは二年前
彼らを一躍有名にしたのはあの事件
樟葉にとっては始まりとも言える事件
二年前、まだ世界中の首都が水結晶化するなど誰も思っていなかった頃
魔術結社「ティマイオス」という名がまだ噂話の域を出なかった頃
当時、魔術界を席巻し、最も危険視されていたのは魔術結社「邪蛇の牙」だった
その魔術結社「邪蛇の牙」が彼らの野望を遂行する最終地点として都内のある廃工場を選び
結果、当時としては魔術界を命運がかかった「邪蛇の牙」との最終決戦を極東支部が背負うハメとなったのだ
無論、AMM総括本部も任せきりではなくAMM欧州総括本部長ロニキス・アンドレーエを派遣したのだが、支援はそれだけだった
いや、それすらもこの事件でロニキスが裏切ったことを考えれば果たして適切だったかどうか
何にしても、支援なくとも当時の極東支部はそれだけ五人の少年少女の実力を信じて疑わなかったのだ
真言密教
修道法印術
ルーン魔術
神道系弓術
陰陽道
これらの魔術を駆使する彼らは見事、魔術結社「邪蛇の牙」を壊滅させるに至った
とりわけ、少年密教徒・沖山誠也はこの事件を機にその名を魔術界全土に英雄として知れ渡らせた
しかし、すべてがうまく行ったわけではない、失うものもあった
今後100年、これに勝る布陣は現れないだろうと言われたパーティーはこの事件を最期に未来永劫失われてしまったのだ
もう二度とあの最強布陣は見られない
「私は確かに弱いわよ。お姉ちゃんの足元にも及ばない……だから八幡さつきにも勝てなかった、手も足も出なかった……けどね!私は絶対に強くなって見せる!師匠の隣に立てるだけの力を身につける!師匠の隣に立つに相応しくなってみせる!八幡さつきだって倒してみせる!あいつだって……ロニキスだって絶対に倒してみせる!」
言って樟葉はキっと目を見開くと法善寺組子を指差す
「だから私は前へ進む!許可書を持ってる程度で満足してるくみちゃんとは違うんだから!」
この言葉には法善寺組子もすかさず反論する
「私が許可書で満足ですって?冗談じゃありませんわ!私の気も知らないで!!いいですわ!なら力づくで奪ってみなさい!私だって霊能者と言えど浄土宗の端くれ、観経疏の一説くらいなら唱えられますわ!阿弥陀如来の加護とて少しなら受けられます!私の力が魔術師に通じないか、その目でごらんなさい!」
二人の少女は対峙する、それを有紀と吾妻は止めなかった
呪力が錯綜し、二人は共に魔術を放つ
結果は言うまでもなかった
法善寺組子は目をグルグルと回して地面に仰向けに倒れている、着物が乱れ、表面からはうっすらと煙もたっていた
樟葉はそんな法善寺組子から許可書を取り上げる
「これで許可書も手に入ったし、ゲートへ向かおう!」
樟葉は笑顔で有紀と吾妻に言葉をかけるが、二人の顔は引きつっていた
「く…樟葉?ゲートに向かうも何も、警備の人の目の前なんだから経緯丸見えじゃん」
「へ?」
樟葉は横を見るとそこでは無言で警備の人が立っていた
表情はさきほどと変わっていない
樟葉は特に怯むでもなく
「はい!先ほどは持っていませんでしたが許可書です!いやー、すぐに手に入ってよかったー」
樟葉の恐ろしいまでの空気の読めなさでついにゲートフロアの警備員は切れた
「奪えばいいってもんじゃないだろー!」
警備員が怒ったと同時、樟葉驚いてついうっかり許可書を落としてしまった
許可書はICチップ状の者で何らかの思念を練りこむタイプらしく、所持者にしか使えないわけだが
まだ意識を失ってなかった法善寺組子が渡すものか!と強い念を送り
ゲートフロアの扉ではなく、扉前にある非常用入り口
扉が開かなかったとき用のゲートフロア内に落ちる用に作られた非常扉(落とし穴)を開けてしまう
「へ?」
「ん?」
「あ」
樟葉、有紀、吾妻の三人は間抜けな声を上げて
そしてこれを引き起こした当の法善寺組子は
「あれ?」
目をパチパチさせて、最期に警備員が顔を真っ青にして五人全員が落とし穴に落ちた
「のぉぉぉぉぉぉわぁぁぁぁぁぁ~~~~!!!!」
驚くべき高速スピードで落ちていき、すぐ目の前に光り輝く湖面が現れる
警備員は何度か経験したことがあるのか、体をひねって軌道をかえて湖面ではなく硬い岩の地面に落下する
受身は取ったが頭を強く打ってそのまま気を失ってしまった
一方四人の少女はそのまま湖面に突撃、水しぶきを上げる
湖面に波がたち荒々しい音を立てるが、やがてされらも納まっていく
そして、湖面が再び静かな落ち着きを取り戻したとき、四人の少女の姿はなかった
厳密にはAMM極東支部内からは姿を消していた
極東支部長、山北琢斗は頭を抱えていた
ただでさえ作戦の要であった空間支配系の術者の通行事故で行動開始が遅れているというのに、追い討ちをかけるように面倒が起こったのだ
「本当に申し訳ありません!私の不注意でございます」
頭を下げるゲートフロア警備員を見ずに山北琢斗は溜息をつく
「もういい、下がってよし」
今だ肩を落とし消沈している警備員が出て行くのを確認すると山北琢斗はどんよりと暗いオーラをその肩に乗せる
「まったく……何を考えているんだ、あのガキどもは」
報告ではD級ランク数名が強引にゲートフロアから地上へと飛び出したという
飛び出したのは鴇沢樟葉、初芽有紀、橘吾妻、法善寺組子の四人
この面子が飛び出したということは行き先と目的は予想がつく
「保護者にきっちりと叱ってもらうとするか……こういう手間を避けるための接触禁止だったというのに」
それよりも、D級ランクの少女四人に易々と突破されてしまう警備体制に問題があるかと山北琢斗は人事再編を検討しだす
雑事に頭を悩ませる山北琢斗の苦悩などまるで知らず、状況は刻々と変化していく
「のぉぉぉぉぉぉぉ」
凄まじい絶叫と共に樟葉たちは地面に叩きつけられた
本来なら装置で位置情報など調整しなければならないところを無理やりゲートを通過してきたのだ、無理もない
それ以前にここがどこなのか検討もつかない
もう夕陽も傾いており、夜の気配がすぐそこまで来ており、人もまばらだ
ざっと見回した感じだと周りはマンション郡に囲まれているがどこかの公園だろうか?
噴水があり、公園の中央に歩行者ルートのような道があり、それを分断点として芝生エリアとアスファルトエリアに分かれている
とりあえず、携帯電話を取り出しGPS機能を起動させる
「えっと……みなとみらい、高島中央公園って横浜じゃん」
携帯電話を見ながら有紀が言う、今だ地面に頭を打って気絶したままの法善寺組子をほっといて樟葉も起き上がって周囲を窺う
「横浜か~そういえば一度も来た事ないな」
「私も、神奈川には祭事の用事で何度か来た事はあるけど横浜には縁がないな」
「へぇ~あづっちもなんだ。有紀は?」
「樟葉に出会う前には何度か来た事あるわね」
「ふーん、もしかして師匠と?」
樟葉の視線がジトっとしたものになる
有紀は溜息をついて片手を振ると
「違う違う、家族旅行よ。と言っても幼稚園の頃と小三くらいの時の二回だけだから記憶に鮮明に覚えてるわけじゃないけど」
「そっか……にしても、意外と隣の県なのに来た事なんだね」
「まぁ、最近まで小学生だったわけだし、電車で行くような所まで友達同士で遊びには行かないでしょ」
「東京に住んでるって言っても、都心にすら縁がなかったんだし」
「はは……それもそうだね」
東京の東の地である墨田区民である彼女たちは墨田区内で遊びまわることがしばしばだった
中学になって行動の幅が広がったわけでなく、魔術師という特殊性もあって遊びに行くという概念が同年代の中学生と比べると著しく低い
第二東京タワーでもある東京スカイスリーが建設させていることもあって、観光客の数も膨れ上がってはきていたが彼女達には都会にいるという感覚があまりないのだ
「さて、場所がわかったのはいいけど、これからどうするわけ?なんで横浜に出たのかはわからないけど、当てもなくふらつくわけにもいかないでしょ?」
有紀の言葉で樟葉はうーんと考えたのち
「とりあえず師匠に電話してみる」
何も考えていない返事が返ってきた
そもそも、無断で外に出たこと、ゲートを勝手に開けたことを考えると極東支部に戻ったとき一体何が待っているか想像したくもなかった
「うーん……あれ?繋がらない?」
樟葉が携帯に耳を傾けていると、横で法善寺組子がようやく目をさました
「あいたたた……あれ?ここは一体?」
乱れた着物も気にせず法善寺組子はよっこらしょと立ち上がる
周囲を見回し、彼女の動きがピタリと止まった
「あの……よろしくて?」
法善寺が現在地を聞いていると思った有紀は先に場所を告げる
「あぁ、ここは横浜だけど。ていうか法善寺さんのびてる時間長すぎ」
「いえ、そうではなくて……あれ」
法善寺の言葉で有紀は法善寺の見ている方向を見て唖然とする
「な……」
驚き、絶句する有紀の様子に樟葉と吾妻も同じ方向を向いて驚愕した
「え?何これ?」
「一体どうなってるのよ」
彼女達の視線の先、公園の一部が大きく空間ごと歪んでいた
それだけではない、歪んだ空間を起点として周囲の呪力の濃さが膨れ上がっていく
「これってガス漏れ」
吾妻の言葉に一同は戦慄した、四人がそれぞれの背中を合わせあう形で三百六十度すべてを見渡せる形の隊形を取り警戒する
ガス漏れがこんな都会で起こったとなれば考えられることは一つ、AMMと対立する既定違反集団の関与
このガス漏れ発生が自分たちが無理にゲートをくぐったことも原因として考えられるが
そもそもAMM支部への出入りは霊脈を利用しているため、本来なら地上に出るときは竜穴に出るはずである
それがこんな横浜の都会の只中に出たということは、ここでガス漏れが起き
結果、その故意に開けられた穴から放りだされたと考えるのが妥当だ
AMMに対立する既定違反集団、そして現段階で最も考えられるのが全世界を席巻し戦争している相手でもある魔術結社<ティマイオス>
極東支部を飛び出して早々、そんな相手と接触するとは思いもしなかっただけに何の準備もしていなかった彼女達は緊張する
「ど、どうしますのよ?私は霊能者、対魔術師となればお任せするしかありませんわよ?」
この場で最も役に立たないであろう法善寺はそれでも臨戦態勢を崩さない
一方の有紀も緊張で気が狂いそうだった、掌は嫌な汗でぐっしょりと濡れている
「お任せなんて勝手に押し付けないでよね。ここにいる全員がD級なのよ?全世界に戦争ふっかける連中に敵うわけないでしょ」
言う彼女たちを取り巻く環境が一変する
濃くなった呪力が飽和状態となり、それでも霊脈から漏れ出る呪力は止まらず
行き場を確保するため、呪力が密集し、凝縮し、形をなす
「精霊獣化したわね」
吾妻の睨む先で呪力の集合体たる精霊獣が生れた
ただし、その個体は一体だけではない
「な…何よこれ」
驚く樟葉の視線の先、精霊獣が次々と生れていく
漏れ出た呪力は留まることを知らず、この場に留まろうと形を成す
あっという間に四人の少女は精霊獣の群れに取り囲まれてしまった
「なんて数よまったく…くぅちゃん、ゆっきー……どうする?」
焦った表情で吾妻は言葉をかける
しかし、有紀とてどうしたらいいかわからなかった
「こいつら片付けるしかないでしょ。極東支部へのゲートじゃないから逃げ戻れないし、連絡取っても応援が来るまで時間かかるだろうし」
「うん、逃げ場はない。ティマイオスの魔術師が近くにいるとしても、こいつらを倒さないことには逃げ道もないし」
樟葉、有紀、吾妻の三人は戦う意思を固める
そんな会話を聞いて法善寺も生唾を飲み込んで意を決する
「そ、そういうことでしたら私も戦いますわ。幸い、精霊獣が相手なら私の霊能力も効果を発揮できると言うもの!目に物見せて差し上げますわ!」
しかし、法善寺の言葉を三人は聞かずそのまま魔術戦闘時の格好へと移行し精霊獣の群れへと切りかかって行く
「って、私を無視するとはどういうことですのよ!」
法善寺は怒鳴って自らも霊能力を行使する
精霊獣は対した強さではなかった
かつて、野外活動で戦った幻獣ケルピーには劣るし、八幡さつきの召喚した悪魔にも遠く及ばない
しかし、それでも少女たちはその圧倒的な数に苦戦していた
「甲斐流忍術、忍法”雷臨”」
有紀は上空へと飛翔し、クナイを投げて精霊獣の群れへと雷を落とす
雷は広範囲へと落ち、落ちた場所の精霊獣が消滅し、その地点に穴が開いたようなスペースが生れる
しかし、ガス漏れは収まっておらず、溢れ出続ける呪力はすぐさま新たな精霊獣を産み落とす
倒しても倒してもキリがなかった
「ちっ!ガス漏れ自体を何とかしないことにはどうしようもないじゃない」
言いながらも有紀は新たに印を切り懐から無数の金属片を取り出し周囲へとばら撒く
「甲斐流忍術、忍法”金遁”」
ばら撒かれた金属片は地面に落ちるとまるで爆弾のように閃光を放って爆発する
その爆発は連続して次々と起こり精霊獣を消滅させていく
金遁の術は本来、忍者が逃走する際いくつもの貴金属をばら撒き、音によって相手をかく乱
自分の居場所を分からなくした上で逃走する術である
しかし有紀が扱う忍術は複数の流派と魔術を組み合わせた甲斐流だ
その効果は本来のものとは大きくかけ離れている
有紀の放った金遁は五行思想の相剋は金剋木に由来する
五行思想の相剋とは木、火、土、金、水のそれぞれ五行がお互いに優位劣位をつけあっているという思想だ
今回有紀が使用した金剋木は金は木に勝るというものだ
ガス漏れによって漏れ出た精霊獣を大地から生え出る木々に見立て、ばら撒いた金属片に優位性を立たせる
その効果は絶大だった、一気にさきほどとは比べ物にならないほどの空間が精霊獣の消滅によって生れた
「吾妻!浄化は任せた!!」
有紀が言うより先にすでに吾妻は動いていた
両手で緋袴の端を掴んで一気に走り出す
向かう先は有紀がさきほど金遁を放って生れた精霊獣のいない空間
走りながら吾妻はすぐに浄化を行なえるよう祝詞を唱える
しかし、そうしているうちに精霊獣は次々と生れだす
開いたスペースを埋めんとするように
「援護は任せて!!」
走る吾妻をサポートすべく樟葉は槍を構えて吾妻の道を確保すべく魔術を放つ
生れ出てくる精霊獣が吾妻の障害とならぬよう
しかし
「私の力をとくとごらんなさい!はぁ!!」
すっかり忘れていたが、法善寺組子も一様戦っていたようで、しかし彼女は霊能者
しかも扱える技が除霊だけという寂しいもので、そして除霊とはどけるだけの技術であって……
「のわぁぁ!!いきなり目の前に!?」
吾妻をサポートしようとしていた樟葉の目の前に法善寺組子に除霊された精霊獣が現れたのだ
「ちょっと!くみちゃん邪魔しないでくれる?こっちに飛ばすな!!」
「な!?ふざけないでくださる?あなたが勝手に除霊先に移動しただけでしょ?」
「使えない子だね、くみちゃんは!もう大人しくして邪魔しないで!」
「お黙り!この状況下で動きを停止する馬鹿がどこにいますの!」
二人は言い合いながら法善寺が除霊で樟葉の前に精霊獣を転送、それを樟葉が叩くという連携を披露している
ある意味で抜群のコンビネーションだった
結局は吾妻のサポートは有紀が黙々と行なっている
そして吾妻がガス漏れの発生ポイントに到達した時、まるで防衛本能のごとく無数の精霊獣が集結、融合し巨大な獣へと姿を変えた
融合により上位の存在、幻獣へと進化したのだ
その姿は九つの首を持つ怪物ヒュドラー
「っ!」
ヒュドラーの出現に吾妻は一瞬身構えたが、すぐさま意識をガス漏れの浄化へと戻す
ヒュドラーが動く前にガス漏れを浄化すれば終わりだ
吾妻は榊と神楽鈴を振って大地へと浄化の禊の儀式を行なう
ヒュドラーは自らの危機を脱するべく吾妻へと攻撃を仕掛ける、それを防ぐべく有紀の攻撃がヒュドラーへと仕掛けられるが
「わ!?」
有紀の攻勢をヒュドラーの九つあるうちの頭の一つが受け流す
一方で別の首が吾妻を引き裂こうと牙を向ける、が
「のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ ま ろ しゃだ そわた や うん たらた きゃ かん まん」
空気が一変し、その変化を巻き起こしたかのような真言、その中でも長い仏教呪文である陀羅尼が響き渡る
その声に樟葉の表情がパァーっと明るくなり、有紀が声のする方を向いた時
視界全体が鮮烈な炎の輝きで染まった
言葉を発するまもなくヒュードラーは消え去り、輝きが失われた後には平穏を取り戻した暗くなったばかりの公園に戻っていた
「浄化完了!」
そうこうしてるうちに吾妻は浄化の禊の儀式を完成させ、ガス漏れを正し終えた
場を清め終えた吾妻も有紀と同じ方を見る
そこには背後に五大明王の中心たる大日如来の化身、不動明王を携えた沖山誠也が立っていた
「師匠~~~~~~~~~会いたかったぁぁぁぁぁ~~~ん」
そんな沖山誠也の胸目掛けて樟葉が笑顔で飛び込んだ
樟葉が誠也に抱きついたと同時に誠也の背後に佇んでいた不動明王が消える
「わ!いきなり抱きつくな!」
「だって~~ずっと会ってなかったんだし~~愛の力が枯渇しかけてたんだし~~」
お腹のあたりに顔を埋めてグリグリと頬擦りする樟葉に誠也は困ったように頭をボリボリとかく
「ったく何考えてんだか、おかげで支部長に小言言われたじゃないか」
誠也は集まってきた面子を見て溜息をつく
「有紀、なんでこうなった?」
言われた有紀はむすーっとして横を向く
「私は樟葉の御守りじゃないよ」
言った横で法善寺組子は我関せずといった表情をしていたが
「君も、お姉さんが心配してたぞ」
「え?私?というかお姉様が!?」
言われて一気に慌てふためく
「さて、どうしたものかな」
誠也はやれやれと溜息をつく
「このまま極東支部に連れ帰るべきなんだろうけど、そうすると戦線を離脱することになるんだよな……もうじき生贄の儀式が起動してしまうかもしれないし、どうしたものか」
顎に手を当てて誠也はうーんと唸る
「補助術式は別働隊が潰しに行ってるにしても生贄の儀式の本式起動予測地点はすぐ目の前だってのに」
誠也の見つめる先にはここからは少し距離はあるが、一つの建造物があった
日本一の高さを誇る高層ビル、横浜ランドマークタワー
とある政党に属する女性衆議院議員、山川みりは魔術師だ
若い女性で「美しすぎる」と評されるほどの美人である彼女がなぜ魔術師であるにも関わらず議員をやっているのか
そこには魔術界の事情が絡んでいる
日本全国に存在する霊地や霊装、竜穴それらはAMM極東支部やその土地の魔術結社、宗教団体が管理している
それは魔術のことを何も知らない一般人から遠ざけるためでもあるのだが、実はすべてをまかないきれているわけではない
そして、そういった土地は心霊スポットとして若者たちの間に話が広まるか。ならず者たちのたむろする場となるわけだが
魔術界にとって最も好ましくないのは何も知らない企業や国に土地を購入され、開発されてしまうことだ
一旦開発が進んでしまい、施設が出来てしまうと色々と面倒なのだ
ご神木が切り倒されたりしたら土地神の力が弱まったりするし、悪霊や怨念を供養している呪物を破壊されたら呪力暴走が起こる
乱雑な道路開発はその土地の霊脈を乱すし、場所を考慮しないダム開発は山神の加護をなくし、その土地の活力を疲弊させる
困るのは土木関係だけではない、国の政策や施策も魔術界に大きな影響やダメージを与えることがある
それらを防ぐためにも政界に紛れ込み、魔術界に影響が出ないよう調整する必要があるのだ
そんな魔術界における政争担当である魔術師こそ山川みりであるのだが、彼女は今そんな政治の現場にいない
魔術結社ティマイオスとの戦争の最前線にいる
「な……なんで私がこんなことを」
言う山川みりの声は震えている、震えているのは声だけではない
全身が誰が見てもわかるほどにビクビクと震えていた
右手にリボルバー式の拳銃を握って周囲に銃口を向け、左手でスーツケースを抱えている
抱えられたスーツケースには無数の呪符が貼られており、中の霊装が封印されている
封印を解き、スーツケースを開けて中の霊装を解放すれば強力な破壊の魔術が発動するわけだが、今の彼女にはそれができない
彼女のランクはB級、しかも補佐役の魔術師がいて初めてまともな術式が発動できる
つまりは一人では魔術を発動できないのだ
衆議院議員としての山川ゆりは私設秘書として補佐役の魔術師を擁立し、国会にて魔術界にとって好ましくない法律の成立を魔術で回避している
これは秘書という形で補佐役の魔術師に手伝ってもらって始めて可能となっているわけだが、逆に言えば私設秘書がいなければ何もできないことも意味している
そして、現在彼女は補佐役たる私設秘書と合流しようとしてるのだが
「まったく、あいつどこにいるのよ!先行しすぎだって!こっちの身にもなりなさいよ!」
戦闘向きの魔術師でない山川ゆりにとって、いつ戦闘になるかもわからないこの状況は苦痛以外の何者でもなかった
拳銃を周囲に向け警戒しながら慎重に進む
彼女が今いるのは横浜港の歴史建造物でもあり、観光名所でもある横浜赤レンガ倉庫
本来ならここに空間移動系の術者が待機ポイントを作る予定だったのだが
術者は支部長に連絡のあった通り事故にあっている
しかし、実際はティマイオス側からの奇襲を術者が受けたとの情報が入ったので調査しに来たわけだが
「まさか……すでに接触して戦闘状態に陥ってるってことはないよね。この静かさだとまだ戦闘なんて」
言って山川みりは血なまぐさい臭いが鼻にこびり付くのを感じる
拳銃を握る手に力が入る、グリップがすでに汗でべっちょりと濡れていた
進行方向の先に人影が見えた、山川みりはそとらに銃口を向ける
よく見ると、それは彼女の私設秘書だった。しかし瞳に生者の活力はない
「っ!!」
その私設秘書からはボタボタと赤い液体が垂れ流れていた
よく見ると足元は赤黒い水溜りが広範囲にわたって出来ている
鉄分の血なまぐささが鼻をつく
赤い水溜りにはぶよぶよとした何かが多数浮いていた
思わず山川みりは一歩後ろに下がる
「ひっ!」
見れば私設秘書の体には手足がなかった
断面からボタボタと赤い液体が垂れ流れているが、手足はどこにいったのだろうか?
赤い海にはぶよぶよとした何か以外にも無数の手足や誰かの首や胴体が浮かんでいてどれが誰のパーツかわからない
私設秘書を含め、無数の人間のバラバラの遺体がそこにはあった
「お、おぇぇ……がはぁ……」
顔をそむけ、思わず吐いた山川みりはそこで何者かの視線を感じる
顔を上げると、そこには一人の女性が立っていた
「あーら、温室育ちね……こんなくそったれな世界(魔術界)に住んでいて死体すら見たことないの?よっぽど、血なまぐさいところには縁のない場所にいたのね。そんな箱入り娘すら最前線に出さなきゃいけないなんて……いよいよ極東支部も底が見えてきたかしら?」
言った女性の姿は胸元を大きく開けた漆黒のドレス
豊胸をまざまざと見せ付けて、体のラインをまじまじと見せ付けるその衣装は世の男性の視線を嫌でも釘付けにするだろう
褐色の肌と掘りの深い顔立ち、その外見から恐らくは東南アジアの人間だろう
右手には東南アジア独自の波打った刃の短剣「クリス」が握られている
そのクリスの柄で女性はトントンと自分の肩を叩くと
「で?あなたで最後かしら?いい加減雑魚ばっかりで飽きてきたんだけど」
山川みりは恐怖心を押さえてガクガクと震える足に力を入れてゆっくりと銃口を女性へと向けて、抱えているスーツケースに意識を集中させる
恐怖心を押さえるためと、スーツケースの封印を解く時間稼ぎとして女性に質問する
「あなた、出身はどこかしら?日本語は達者でも日本が活動拠点ってわけじゃないでしょ?ティマイオスは地域ごとにその地域の魔術師を配してるってわけじゃないの?」
「あら?日本にロニキス・アンドレーエがいる時点でその地域ごとの魔術師じゃないって予想できないかしら?まぁそれを知ったところで何になるっていうのは知らないけど」
「……」
「まぁ冥土の土産に教えてあげてもいいけど、私はインドネシア出身ね。はい、満足かしら?」
女性はつまらなそうに言うと持っているクリスをくるくると手の先で回す
山川みりは時間をいま少し稼ぐため、口を開く
「インドネシア……あなたの持ってるその短剣はクリスね?確か東南アジアは精霊信仰が盛んだったはずだけど、あなたが扱うのはインドネシア民話を基にした精霊魔術かしら?」
言われた女性は「はっ」と小馬鹿にした声を上げる
「あぁん?時間稼ぎのつもりか?やめとけって箱入り娘。あなた自分でわかってないのかしら?この血まみれの海と肉塊を見て吐いた時点であなたの精神はすでに恐怖と悪寒で支配されてるのよ。時間稼いだてろくに魔術を発動できないだろ」
女性はクリスの矛先を山川みりの抱えるスーツケースに向けると
「しかも、その霊装。確実にあなただけじゃ扱えないね。扱えるならとっくに使ってるはずだし、実戦も経験してるはずだ。そいつは処女に扱える代物じゃないね」
山川みりは悔しさで歯噛みする、拳銃を握る手に力を込めて引き金に指を置く
「無駄ね、やめといたら?銃ですら使ったことないでしょ?まぁ撃ちたきゃ撃てばいいけどさ」
直後、山川みりは両目をつぶって引き金を引く
「あぁぁぁぁ!!!」
叫びながら何度も引き金を引く
銃口からパァンと何度も音がして、火薬の臭いが飛び散り、反動が腕に何度も跳ね返ってくる
やがてリボルバーが回りきり、装填された弾丸を全部吐き出した拳銃からは引き金を引いても手ごたえが返ってこなくなった
恐る恐る両目を開けた山川みりの視界に映ったものは傷一つない女性の姿だった
「そ…んな」
「あら意外?まぁスッキリ死ねるように教えといてあげようかしら。あなたの言う通り私はインドネシア民話の精霊魔術を使うわ。でもね、それだけじゃないの」
「それだけじゃ…ない?」
「東南アジアという地域性を考えたら自然と答えは出てくると思うけどね。東南アジアはあらゆる国からの侵略・支配を受けてきた場所。それと合わせてヒンドゥー教に仏教、イスラム教に道教や儒教そしてキリスト教と様々なアガマ(宗教)が上陸し、融合・共存している複雑な地域なのよ。特にインドネシアは大小無数の島々で成り立ってる分余計にね」
女性はクリスの刃の先にかるく指を添える
「ヒンドゥー文化だったり、イスラムが主力だったりするのもそのため。そしてそれは扱う魔術にも当然影響する」
その言葉でようやく山川みりは女性の魔術の正体に気付く
「まさか……そういうこと?」
「やっとわかったのかしら?日本の風土で言うなれば神仏融合ってところよ」
言って女性はクリスの刃の先から波打った刃をなぞるとボソボソと何かをつぶやいた
日本語ではなくアラブ語でつぶやかれた言葉の意味は
「炎で造られた高貴なる我が、黒泥を捏ねて作った低俗な人間などにひれ伏すことができようか!」
それはイスラム教の聖典「コーラン」の一説
イスラム最大最強の悪魔たるアル・シャイターン。堕天使イブリースの言葉
イスラム教徒の信仰を妨げる九人の邪悪な精霊を従える魔王
女性は自らの精霊信仰で崇めるジン(精霊)をイブリースの眷属に見立てることでイブリースの力を強引に借りたのだ
「さよなら、箱入り娘」
女性が言ったと同時、山川みりの体はバラバラに引き裂かれた
女性は山川みりだった肉片をつまらなそうな顔で見るとクリスをくるくると手の中で回してその場を後にする
「さて……ここは片付けたし、本式の手伝いでもしに行こうかしら」
血の海を横切って女性は横浜ランドマークタワーへと歩いていく
誠也は少し考えた後、携帯を取り出し電話をかける
かける相手を一瞬考え、チラっと樟葉の顔を見る
女の勘というやつなのか、樟葉はむすっとしてこちらを見ている
仕方なく誠也は電話の相手を男にすることにした
浦上雅と川本恵美はみなとみらい最大の緑地公園たる臨港パークにいた
すでに日は落ち、夜の帳が支配する黒い海面を眺めながら浦上雅は携帯電話を手に取る
「どうした沖山?一人じゃどうにもならんから手を貸して欲しいってか?」
笑いながら言う浦上雅の姿は所々傷を負っていた
『もとより一人でどうにもならんだろ。そっちは今大丈夫か?』
「手が離せない状況なら電話に出ないよ」
『そりゃそーか』
「で?用件は?」
『預かって欲しい案件がある』
浦上雅は誠也の言い回しで何が言いたいか大体の予想をつける
「お守なら遠慮するぜ?こっちも相当ハードなんだ」
『補助術式の方にも強力な術者がいたのか?予想の範囲内だが』
「予想の範囲内でもこれはないなって組み合わせだ」
『?』
「補助術式を守護してた術者だが……理解に苦しむ組み合わせだ。まぁそれを言ったら俺らだって相当なもんだろうが」
『特殊な魔法使いだったのか?』
「まぁ……まず日本じゃ滅多にお目にかかれないレア術師だな。アステカの魔術師にバラモン教徒だ、レアすぎて対処に困ったぜ」
言って浦上雅は川本恵美の方を見る
彼女は今、倒した術者から何か情報を得れないか調べている所だ
『確かにアステカの魔術師なら案外いそうな感じはするけど、バラモン教は日本じゃそうお目にかかれないだろうな…で、捕らえたのか?』
「いや、潰した。正直、俺は古代インド宗教なんて専門外だから捕虜にしても大丈夫か判断がつかなかった」
浦上雅は潰したと表現したが、要するに死体がぐちゃぐちゃになるような倒し方をしたのだ
それは相手がどのような呪術を使ってくるか不明な分仕方がなかっただろう
魔術によっては、捕らえられても呪詛という方面で攻撃が可能だったりするし、他者の死体に自らの意思を移し変え
まるで自分自身のように他者の死体を動かせる術もある
全貌が掴めない希少な魔術の場合、そういった可能性を残す捕虜という対処は危険なのだ
特にバラモン教の場合、古代インドの民族宗教たるヴェーダの宗教である故に油断ならない
ヒンドゥー教における死体を操る餓鬼であるヴェータラの力を利用するヴェータラ呪術という屍を扱う魔術だった場合厄介以外の何者でもない
一方でアステカの魔術も人身御供の神事をベースにした術が多い分油断ならない
これはメソアメリカにおける終末信仰の根強さ故の特殊性とも言えるが
世界各地に存在する人身御供の儀式の中でも特異な儀式を持つアステカの儀式は
生贄の心臓を黒曜石のナイフで生きたまま抉り出し祭壇に捧げるものだ
現在ティマイオスが世界中で使用している生贄の儀式とほぼ同系列の儀式ではあるが
(アステカ文明がマヤ文明を引き継いでいる分当然ではある)
最大の違いはアステカの場合、神官が生贄から剥ぎ取った生皮を着て踊り狂い、生贄の姿を再現できる点にある
その応用として、生皮を剥ぎ取った生贄を操れる魔術がある
アステカの儀式は生贄が生きたままの状態で心臓を抉り出し、生皮を剥ぎ取る
その時点では儀式は終わっておらず、まだ生贄の心臓は神に捧げられていない
よって、まだ魂は肉体、ないし心臓に宿っている状態なのだ
生皮を着て踊りくるい、そんな生贄のこの世への未練を払拭し、送り出すわけだが
生皮を被った時、神官と生贄の体は呪力で繋がる、それを応用して繋がった生贄の体を操る術がある
その術を使っていたとしたら、捕虜として捕らえても術者が生贄の死体との繋がりを絶てばそれまでだ
「ったく何で日本の戦線にいるのかは知らないが勘弁してほしいな。こちらにジャイナ教徒でもいれば楽に倒せたんだろうが……」
『それこそ極東支部じゃありえなだろ、対バラモン教対策っていうそこまでピンポイントなレア術者、極東支部ではありえない』
「だな」
浦上は自分で言って苦笑する
ジャイナ教はバラモン教と同じく古代インドの宗教で仏教と起源を同じくし、今なおインドにおいて多くの信徒と影響力を保っている
ジャイナ教はインドの身分制度であるカースト制度を否定しており
すなわちカーストの頂点である司祭階級たるバラモンを排除する術を持っている
現在、カースト制度は廃止に従ってそのバラモンという権威もヒンドゥー教では失墜しているが
古代のカースト制度を崇拝する術式や応用する術式、バラモンが権威を示していた時代の術を行使するバラモン教術者にとって
ジャイナ教の術者は天敵とも言える存在なのだ
『まぁ、バラモン教徒なんて何人も日本には来てないだろう。ティマイオスの世界規模さを窺える一件ではあるが』
「まぁ、次にもし遭遇したらそっちにパスするよ。仏教でも同じことはできるだろ?」
『どうだろうな、確かに仏教もジャイナ教と同じくバラモン教と敵対したし、ブッダもバラモンの優位性を否定してるが。マハーヴィーラには負けたって話だしな』
ま、これはジャイナ教の信仰上の話しだがと誠也は付け加える
仏教の開祖ブッダとジャイナ教の開祖マハーヴィーラは同じ時代、同じ道(反ヴェーダ=バラモン)を歩んだ同志だった
この時多くの反バラモン教が生れたが、現在まで続いているのは仏教とジャイナ教だけだ
ジャイナ教ではマハーヴィーラより前に二十三人の祖師がいたとされマハーヴィーラを含めて二十四祖としている
そしてブッダとマハーヴィーラは二十四番目を争い、ブッダは負けたというのだが、これはあくまでジャイナ教内での話だ
『何にせよ、同じ仏教でもこっちは真言密教だ。日本国内で日本人のために発展した宗派だし、対バラモンの気質は備えてないな』
「要するに、相性や弱点とか気にせず圧倒すりゃいいって話か。英雄の言う事は違うな」
『その呼び方は止めろ』
浦上雅が鼻で笑うと、川本恵美が調べ終わってこちらへと歩いてくる
浦上は誠也との会話を一旦中断し、川本に話しかける
「結果はどうだった?」
聞かれた川本は首を振ってお手上げと両手を挙げる
「ダメね、補助術式を起動させてはいたみたいだけど、肝心の補助術式がどこにあるかの情報が汲み取れない」
「そうか……空間の歪みに隠してるとしたら現状ではどうしようもないな」
浦上は少し考えた後、川本に目配せする
川本は言わんとしてることを察して頷く
「誠也、今どこにいる?」
『高島中央公園』
「そうか、今からそっちに向かって合流するよりお互いランドマークタワーを目指したほうが距離は同じだな。合流地点はクイーンズスクエアという方向でいいか?」
『わかった。本式がいつ起動するかわからない、急ぐぞ』
「わかってるよ」
言って浦上は通話を切る、そして呆れた目で川本を見る
「今更おめかししてどうするんだ?」
言われた川本はギクっとして手鏡を持つ手と携帯用の折りたたみ式の櫛で前髪を梳いている手を止める
「やだなぁ、さっきの戦闘で髪の毛が乱れたから整えてるだけだよ」
ハハハと笑う川本だが、明らかにセットされた髪形が浦上と補助術式を探すため市内巡回していた時と気合の入れようが違う
明らかな好きな男に会うための最低限の身の整えように浦上は溜息をつく
「そんな小手先、あいつは気付かないと思うけど」
「うるさい!こういうのは小さいな所まで取り繕ってないとダメなんだよ!」
言う川本を無視して浦上は横浜ランドマークタワーへと歩いていく
通話を切って携帯をポケットに直して誠也は樟葉たちの方を向く
「今から俺は横浜ランドマークタワーに向かう。そこが横浜市全域に展開してる生贄の儀式の起動本式がある場所だ」
誠也の言葉を聞いて樟葉の表情が不安に満ちていく
「師匠!行っちゃうの?置いていかないで!」
樟葉は誠也に抱きつくと服の裾をギュっと握る
誠也はやれやれと溜息をつくと、そんな樟葉の頭を撫でる
「置いていくわけないだろ…心配でしょうがない、ただし今回限りだからな。子供には荷が重過ぎる戦いだ」
ついてきていい。その言葉で樟葉が顔を上げる
「ほんと!?やったぁー!」
「ただし、安全なところに隠れていること、いいな?」
「うん!わかった!」
樟葉は満面の笑みで答えるが誠也には不安で仕方なかった
有紀の方を見て無言で指示を送る
誠也の視線に気付いた有紀はさきほどと同じくむすっとすると横を向いた
「だから私は樟葉のお守りじゃないって」
ボソボソっと不満を口にする
そんな有紀を見て吾妻は苦笑した
法善寺組子はなんて厄日だと肩を落とす
横浜ランドマークタワーへと急ぐ道すがら樟葉は考えていた
師匠からは大人しくしてろと言われているが、やはり師匠の役に立ちたい
自分だってD級とはいえAMMの魔術師だ。ティマイオスとの戦争に参加できないのは何とも歯がゆい
何より、自分のクラスメイトだったティマイオスの魔術師は戦争の最前線にいたではないか
魔術界の常識として年齢が幼いうちはよくてC級ランクが限界だ、B級ランク以上の上級ランクの魔術師になりうることはありえない
それは肉体が魂が精神がまだ成熟していない発展途上ゆえに、上級へと突き進もうとすれば魔法に呑まれてしまうからだ
(でも、例外はある)
まさにそれが樟葉のクラスメイトだった
八幡さつき。魔術結社ティマイオスの悪魔崇拝者
そのランクは最上級のS級ランク。最下級の樟葉とは天と地ほどの差がある
(どうして八幡さんはS級ランクになり得た?サタニストだから?それは違う気がする)
八幡さつきがサタニストだからS級ランクと言うなら樟葉だって天使術者である。そこに明確は違いは意外なほど存在しない
だとしたら
(八幡さんは複数の悪魔と契約してる。一方で私は四大天使の力しか借りてない…違いはそこ?)
樟葉は考えながらも期待のような確信を得ていた
たとえ年齢が一定の成熟期を迎えていなくても上級ランクに達する術はあると
顔を上げて樟葉は誠也に聞いてみる
「ねぇ師匠。例えばの話だけど、私の年齢でS級ランクへと至る方法ってあるの?」
聞かれた誠也は樟葉の顔を一回見ると視線をすぐに前へと戻し
「上級ランクへと開花していくのは年齢的に見てまだ先だな。才能は充分にあるから今は焦らないこと」
「私は今すぐの話をしてるんですけど」
「あのな…その歳じゃどんなに頑張っても上級は無理だ」
誠也は溜息をついて樟葉の方を向く、そして誠也は驚いた
樟葉の表情がいつもと違ってものすごく真面目だったのだ
「八幡さんはS級ランクだった。それは私の歳でもS級に達する術があるってことでしょ?」
「……」
樟葉の言葉で誠也は東京とさいたまで生贄の儀式本式を起動させた少女のことを思い出す
確かにその少女は樟葉のクラスメイト、本来なら上級ランクに達していないはずである
「私は悔しい!悪魔に負けたのもそうだし、同じ歳なのに、同じ魔術師なのに同じ場所に立てないなんて」
樟葉の後ろで同じく無言で話を聞いていた有紀と吾妻も苦い顔になる
確かにあれだけの実力差を見せ付けらたのだ。悔しくないわけがない
四対一という数的優位も関係なく惨敗したのだ
「もし、上級へと至る術があるなら…」
「あるならどうする?」
樟葉の言葉を遮るように誠也が問う
樟葉はそんな誠也に臆することなく答える
「上級へと至る術を使いたい」
迷いなく答える樟葉に誠也は再び問う
「使ってどうする?ティマイオスとの戦争に参加するのか?」
誠也の問いかけに樟葉は押し黙る、少しの沈黙の後
「私はティマイオスと戦いたいわけじゃありません。ティマイオスと戦う師匠の支えになりたいんです」
樟葉は誠也の顔をはっきりと見て言う
自分の想いを偽らず
「今のままじゃどうやっても届かない。師匠の隣には立てない…だから強くなりたい、隣に立てるだけの力が欲しい…そんな力を八幡さんが持ってるというなら、八幡さんと同じS級ランクの力を手に入れる、彼女を倒せるだけの力を絶対に得る!そして師匠の隣に立つに相応しくなる!」
樟葉は堂々と言う。その真っ直ぐな想い。角度を変えれば告白に誠也は頭を悩ませる
(ったく、いつの間にやら大人になっちまったな)
溜息をついて誠也はしかし、言うか言うまいか迷う
(これだけの意思があるなら、自分で到達するような気もするが、問題は自力で間違った開花方法に至ってしまう危険性か)
下手に隠して、本来とは違った方を見出してしまっては元も子もない
誠也は観念して話すことにした
「そうか……わかった」
過った道に堕ちてしまわぬよう過った方法のみを
「確かに、抜け道は存在する」
誠也の言葉に樟葉のみならず有紀や吾妻、法善寺も聞き入る
「考えてもみろ、世に名を残す偉人はいずれも幼少より、その異能を発揮している。現世の魔法使いじゃ考えられない規模だよな」
それは神話だったり、伝記だったり、歴史書だったり、経典だったりと様々だ
「うん、でもそれは脚色が入ってるって」
「そりゃそーだ。もとよりそんな幼少から力が使えるなら晩年は力がありあまって地球をひっくり返すくらいになってなきゃおかしいだろ?」
「うん」
「とはいえ全部が全部、作り話ってわけでもないんだ。幼少期から神秘性を持たせることによって成長した時、信者集めの道具として使えるよう、権力者の加護の元にあった偉人は幼少期に開発を受けてる」
「開発…?」
「ようは人体を弄るのさ。今で言うなら手術だな。もっとも手っ取り早いのは脳、創造を司る部分だからな」
「それって…もしかして」
「そう、別の人間の脳と自分の脳を入れ替える。一部の記憶と人格を司る部分を残してごっそり大人の脳と入れ替えることによって成熟した肉体を一部だけでも得られるわけだ」
「でも、そんなのって…」
「あぁ、成功する確率のほうが少ないさ。何せ大昔の医療技術なんて現在じゃ考えられないほど幼稚なものだ、ほとんどの者が死に一部が生き残った。故に怪物になりえたんだよ」
誠也の話を聞いて樟葉は言葉を失った
構わず、誠也は話を続ける
「それ以外にも秘薬によって一時的に瞑想状態を活性化して呪力を膨らませるという術もあるが…これは今じゃ禁忌に近いな」
「禁忌?」
「俺の分野で言うなら弘法大師がある秘薬を使ってたって話があるんだが、それが晩年の病状の原因じゃないかとも言われてる」
弘法大師=空海は即仏身となるための修行に入り、今も修行中のため生きているとされている
よって彼の没した日というのはなく入定した日が記録されている
そういった理由から彼が病気から没したのかは定かではないが、晩年の病状と生涯使用していた秘薬から想像はつく
「それは朱砂だ」
「すさ?」
「わかりやすく言うなら水銀。今でこそ劇薬、有毒だが古代じゃ驚くぐらい頻繁に使われていて危険なものとは認識されていなかったんだ」
古代の宮殿や仏閣の鮮やかに塗られた朱色はすべて水銀だ。
その他顔料にも使われていたり、殺菌による防腐効果が即身仏のミイラに使われたりもした
その水銀が最も魔術と密接に関係しているのは中国は道教だろう
道教における煉丹術では水銀は丹砂と呼ばれ丹薬と呼ばれる不老不死の薬を生み出す原料だった
丹薬を使用すれば肉体にかかる練成の力が絶大な力を発揮する
その効果は驚くべきもので最も弱い秘薬である「一転丹」ですら服用して一週間で仙人になり、火を盛れば黄金となるとまで言われている
それだけではない、丹薬を用いて造られた黄金は自然にある黄金とは比較にならないほどの呪力を秘めており
古代中国ではこれで造る器を飲食に用いれば、器から染み出た呪力が食に力を与え、それを食する人間に長寿を授けると信じられていた
そのため古代中国では権力者や豪族、皇帝が挙って丹薬をあるいは丹砂を求めた
空海が遣唐使として唐に渡った時代でも歴代皇帝はもちろん愛用していた
空海は唐で様々な教え(宗教)を学んでいる。そして道教についての知識も持っていた(それは著書「三教指帰」でも窺える)
入定の地に選んだ高野山では多くの朱砂が産出されていたことからも服用していたことは確実といえよう
朱砂の最も魅力的な点はその向精神作用にある
朱砂の正体、硫化水銀の毒性が確認され、恐ろしい副作用が認められても止めるものがいなかったのにはそれがある
言うなれば使えば頭が冴えて軽くなり、瞑想しやすくなるのだ
「それだけじゃない、五石散なんかもそうだな」
「五石散?」
五石散。それは石鍾乳、石硫黄、白石英、紫石英、赤石脂の五つの鉱物を主成分にヒ素をも含有した薬物
その作用は現代における覚せい剤と同様である
精神を快活にし、頭を冴え冴えとさせて長時間にわたって昂揚した精神状態を持続させる
それ故に、効き目が切れたときの再びの欲しようは恐ろしいものがある
そして、最も恐ろしいのが劇薬のヒ素を含んでいる点だ
当時はまだ危険だという認識はなく劇薬とは知らず、不老長寿を求めて使用し、毒死した皇帝や権力者が後を絶たなかった
しかし、中国において哲学論議や宗教はこの薬物なしには考えられないといったほど
薬物を使用して得られた教義が多かった
今では中毒と称されるその状態での思案が古代ではいかに神々しかったが窺えよう
そして、幼くして台頭し、若くしてこの世を去った偉人にはその服用の傾向が多い
「かく…せいざい?」
誠也の話を聞いて樟葉は恐怖した
そんなものを使わなければ、使って命を削らなければ上級には至れない?
「樟葉……仮にもしそんな薬を使って力を得ようとしたら破門だ」
「っ!」
樟葉は両手を胸の前で握るとグっと胸に押し付けた
師匠に嫌われて、破門されてまでやるようなことじゃない
しかし、それでは師匠のそばにいることはできない
樟葉は俯いてそのまま喋らなくなった
そんな樟葉の心情を察してか有紀が隣に並んで肩に手を置く
「今はまだ焦らなくてもいいんじゃない?」
「強くならなくちゃいけないのに……強くならなくちゃ師匠のそばにはいられないのに……」
ボソボソと樟葉は誰に言うでもなく言う
そんな言葉を聞いて有紀は樟葉の親友として、誠也の親戚として言葉をかける
「強くなくちゃそばにはいちゃいけないわけ?弱いと誠也は樟葉を拒絶するわけ?」
聞いているかどうかはわからない、それでも有紀は話を続ける
「違うと思うけどな。誠也は強くなろうとして間違った方向に進まないよう助言したんだよ。だから危険な術だけを伝えた……そうなってほしくないから」
つまりと、有紀は樟葉の顔を覗き込んで告げる
「そんな危険な術に頼らなくても強くなれる方法はあるってことだよ」
それを聞いて樟葉は顔を上げる、不安げに有紀を見つめる
「とにかく焦ってもいい結果は得られないよ。今は自分にできる最善を尽くすことだけ考えよう」
有紀の言葉で樟葉はいつもの元気を取り戻した
「そ、そうだよね!焦っても切羽詰った答えしか出てこないもんね!それに私には師匠という愛の薬だけで充分だよ!」
鼻息荒く樟葉を見て有紀はやれやれと心の中で思う
(本当はこうやって励ますのも師匠の務めじゃないの誠也?私はお守りじゃないって何度も言ってるのに)
一歩下がった所で樟葉と有紀のやりとりを見ていた吾妻は微笑ましい微笑を浮かべる
「いいわね、支えあう友がいるって」
「そう?」
隣では興味なさそうに法善寺が適当に答える
そうこうしてるうちに一行は目的地にたどり着く
横浜ランドマークタワー、その隣接するビル。クイーンズスクエア
ショッピングモールにオフィスビルがあるここで浦上雅、川本恵美と合流することになっている
「お、沖山ご一行のご到着か」
既に到着していた浦上が誠也たちの姿を確認すると手を振って居場所を知らせる
ほどなく小走りでやってきた誠也を見て、浦上は呆れた顔となる
「極東支部に帰す時間がなかったからとはいえ決戦場に連れて来るか普通」
「仕方ないだろ、置いていくわけにもいかなかったし」
話し合う誠也と浦上の輪の中に入ろうとした川本だったが、ふと樟葉の様子がいつもと違うことに気付く
常とは違っておとなしく、面持ちも険しい
川本はニヤーとした表情を浮かべると樟葉の前に立ち
「どうしたのかな樟葉ちゃん?ひょうっとして緊張で体がガチガチだったりして?」
言われた樟葉はギクっと一瞬肩を強張らせると、できる限り冷静を装って
「な、何言ってるのかな?私はいつも通りだよ。師匠がそばにいるんだもん、平気平気」
「ふーん、そーなんだー」
「むしろ武者震いしてるぐらいだよ。それに師匠に悪い虫が寄らないよう目配りしないといけないしね!」
言って精一杯のつよがりで川本を睨みつける
そんな樟葉の様子に川本は苦笑を浮かべる
「素直にビビってるって認めたら?」
「ビビってない!」
「あっそ、まぁ足は引っ張らないようにね。本式を起動させるほどの術者なんだから相当の術者のはずよ」
言って川本は空を見上げる
聳え立つランドマークタワー、そこから漏れ出す異常な呪力の歪み
恐らくは本式を起動させる術者以外にも数は不明だが護衛の者がいるはずだ
ここから先は強力な術者でも命の保障はできない、戦争の最前線
その最前線へと踏み込んでいく
「目指すは術式起動予想地点の屋上、みんな準備はいいな?」
誠也の確認に全員が頷く
「よし、じゃあ突入するぜ。わかってると思うけど、誰一人死ぬなよ」
言って一行はクイーンズスクエアに突入
そのまま施設内を突っ切ってクイーンズスクエアからの連絡通路を渡って横浜ランドマークタワーへと踏み込んだ
横浜ランドマークタワー内部は渦巻く呪力の奔流に晒されていたのだが
このことが樟葉たちの進行を容易にさせていた
横浜ランドマークタワー内部がどう変貌しているのか情報が掴めなかったため、即座の突入は躊躇われたのだが
術式起動が迫っていたこともあり、調査する時間も策を練る時間もなく
とにかく突入と同時にかく乱と誘導を起こすことによって手薄となった場所から攻めて行き
屋上への移動経路を確保するという即興策であったが
かく乱するまでもなく、内部は渦巻く呪力の奔流のおかげで上層階までは敵に気付かれる心配はしなくて済みそうだ
一行は苦労するでもなくあっさりと上層階までたどり着けた
罠ではないかと疑いたくなるような進み具合だ、当然このまま最後までいけるとは思えないが、それでも不自然すぎる
「どうなってやがる?敵はおろか、人っ子一人いやしねーじゃねーか」
通路を走りながら周囲を窺う浦上はこの異常な状況に警戒を強める
「まぁ、大抵こういった状況の場合。いきなり強敵が出てくるのがセオリーだろうが」
「バカなこと言わないで、それで本当に出てきたらどうするのよ?」
警戒しながらも冗談を言い合えるのは沖山、川本、浦上の上級魔術師だけだ
樟葉、有紀、吾妻、法善寺の下級魔術師は緊張で言葉を発する余裕がなかった
横浜ランドマークタワーは日本一高さを誇るタワー棟を中心としたオフィス、ホテル、ショッピングモールなどに
展望フロア、多目的ホール、かつての石造ドックを復元利用した広場など多彩な施設を併設している
現在彼らがいるのはタワー棟、高さ296メートル70Fを誇るその中でも客寄せの目玉である69Fにある展望フロア「スカイガーデン」だ
常ならばそこから見渡せるのは横浜の絶景だろう
しかし、今は美しき夜景とは言えぬ異様な闇の蠢く様が見渡せる
「術式発動が近いんだ……補助術式が起動して赤い光柱が各地から立ち昇れば勝ち目はないのよね」
展望フロアから見える夜景を見て、有紀が言った
忍者という特殊性から移動しながらでの状況変化へと目を配る
「今はまだただの夜景だけど、赤い光でこの夜景が包まれたら最後ね」
言って吾妻はすぐにでも魔術を発動できるよう走る中でも神具の確認を怠らない
樟葉も無言ながら意識を師匠から外し、周囲への警戒へと集中力を注ぐ
法善寺だけはビクビクしながら必死に皆についていくだけである
そんな一行の行く先、壁の向こうから薄っすらと人影が現れる
沖山、川本、浦上は足を止め臨戦体勢にはいる
「やっぱ簡単に最後まで行かせてはくれないか」
「みたいだな…まぁ、こっちの方が敵の懐に入り込んだって気がして気が引き締まるけど」
「まぁ、罠の心配を考えて精神すり減らすよりはよっぽどマシかもね」
言い合う上級魔術師三人はすでにいつでも開戦可能であった
一方の下級魔術師四人はそんな三人の先に現れた人影を見て驚く
「ちょ…何なのよあれ?」
樟葉は思わず口に出し、有紀は忍者刀を構えて「さぁね」と適当に言う
吾妻は現れた人影とその向こうを睨みつける
「一人だけじゃない」
吾妻の言葉に「え?」となった一同は人影の現れた方を向いて奥歯を噛み締める
人影は一つではない、その後から続々と音もなく増えていく
そして暗い影から月明かりに照らされた通路に姿を現し、大きな目をギョロっと動かし、誠也たちや樟葉たちを見る
本当に大きな目だった。いや、むしろ大きな目しかないと言うべきか
大柄な体に髪の毛は長く伸び、表情はない
顔にあるのは一つだけの大きな目玉だ
「サイクロプス……」
忌々しく川本が口にした
サイクロプス、ギリシャ神話における単眼の巨人族だ
卓越した鍛冶技術を持ち、主神ゼウスや海王神ポセイドン、冥王神ハデスに武器を献上したことでも知られる
そんなサイクロプスの手には巨大な棍棒のようなものが握られている
続々と現れるサイクロプスもそれぞれが棍棒を手にしているが、その動きはどこかぎこちない
「ガス漏れで作った幻獣ってわけじゃなさそうね」
言って川本は太ももに撒いていたホルスターからディンテージ物のホイールロック式のドラグーン・マスケット銃を引き抜く
同じく浦上も異空間に収納していた弓を引き出して、その手に掴む
「あぁ…ありゃ神話上の単眼巨人とは似ても似つかない粗悪な出来だな。ガス漏れから作ったとは思えない」
浦上の意見に頷いて誠也はポケットから黒い珠の数珠を取り出す
「ありゃ術者の呪力から精製されてるな。錬金術におけるフラスコの中の小人か、カバラ魔術におけるヘルメス学の人形か…どっちにしても人造人間の集団ってことは」
「あぁ、精霊獣と違ってある程度の意思と製造者の知識が詰まってる」
サイクロプスの集団は前触れもなく一斉に棍棒を振り上げ襲い掛かってきた
怒涛の勢いでなだれ込んでくる群れに浦上は弦を引き、的を集団の中心に絞って矢を放つ
放たれた矢は集団の中心にいたサイクロプスの目玉に当たるとそのまま烈風を巻き起こしてサイクロプスの体を破裂させる
その勢いは周囲にいた連中も巻き込んでいく
川本はドラグーン・マスケット銃を右手で握って迫る集団へと向ける
左手には新たにホルスターから引き抜いたドラグーン・マスケット銃があったがそれを同時に敵へと向けることはしない
二挺拳銃を使わないのは新たに引き抜いたドラグーン・マスケットがフリントロック式と単に点火方法の違いというわけではない
それは彼女の扱う魔術の、彼女の使用の仕方の問題でもあるのだが
「とりあえずぶっ飛んじゃいなさい!」
川本が引き金を引いたと同時、ドラグーン・マスケットが一瞬輝き、恐ろしいまでの火花を放つ
直後、サイクロプスの集団が最も密集している地点が恐ろしいまでの火力の爆炎に苛まれた
浦上の烈風と川本の爆炎によって生じたサイクロプス集団の混乱に追い討ちをかけるように誠也が集団へとつっ込み両手で印を切り真言を唱える
「おん しゅちり きゃらろは うん けん そわか」
真言を唱えたと同時、駆ける誠也の背後に六面六臂六脚で水牛に跨った仏の姿が浮かび上がる
それは大威徳明王。五大明王の中で西方の守護者。阿弥陀如来の戦う面たる仏
誠也が右手を横に突き出すとその手に大威徳明王の三昧耶形たる宝棒が出現する
それを握り締めると誠也は走りながら宝棒をグルグルと振り回して風を巻き起こしサイクロプスをなぎ倒していく
その攻撃を逃れたサイクロプスが誠也へと棍棒を振り上げて襲い掛かってくると誠也は素早く動いてその手に持つ宝棒を突き出す
瞬間、宝棒は矛へと変化しサイクロプスの腹を貫く
矛にサイクロプスが刺さった状態でそのまま矛を振り、新たに背後から襲い掛かってきたサイクロプス二体へと投げつける
後ろへと吹っ飛ばされた二体と入れ替わるように新たに三体が襲い掛かってくるが、今度は宝棒でこれらをなぎ倒す
そのまま振り返って武器を弓矢へと換え飛び出そうとした個体の目玉を射抜く
直後、真横から襲ってきた固体に、今度は弓矢から長剣へと武器を換え斬撃を加える
大威徳明王は六本の手にそれぞれ武器を所持しており、大威徳明王の力を借りている間の誠也は
自分の意思で自由自在にその武器を変換することができるのだ
誠也は基本、前線での肉弾戦・接近戦を好む傾向にある
よってこの大威徳明王の真言は誠也がよく使用するお気に入りの一つなのだ
しかも元来の密教僧と違い、誠也は密教徒だ。六本の武器はデフォルト状態こそ仏像や明王像通りの武器を使用するが
相手の規模や相性によって誠也の呪力で創造できる範囲で武器を自由に変更できるという新術式も編み出している
今現在の相手はデフォルトで充分と判断したか、はたまた呪力温存のためか武器の変更を行なってはいない
圧倒的な勢いでサイクロプスの集団を蹴散らしていく誠也たちを遠くから見ていた樟葉は歯噛みする
自分もあの中に入って師匠の手助けができたら……
そう思って、改めて上級へといたる術を考える
(秘薬に頼らない術をはやく見つけないと……いつまでたってもあそこに立てない)
強く拳を握り締める樟葉の様子を視界の隅に置いて、有紀は吾妻に質問する
「ねぇ…あの単眼巨人私達でも何とかできないかな」
言われた吾妻は考えるまでもなく即答する
「無理でしょ。あの人たちはなんなく倒してるように見えるけど私達D級ランクじゃ多分立場が逆転するわ」
言ってしかし、吾妻は妙な違和感を覚える
(それにしてはやけにコントロールが甘いような?)
そう思った吾妻の思考を今までビクビクして一言も発してなかった法善寺の一言が遮る
「あの、よろしくて?」
「どうしたの?」
法善寺は死角となっている通路の壁を指差す
「あそこに誰かいるようですけど、ひょっとしてあの単眼巨人を操っている術者じゃありませんこと?」
樟葉たちは法善寺の指差した方を見る、そこには確かにサイクロプスとか明らかに身長が違う、小柄な影が伸びていた
死角となっているせいか、姿は確認できないが影だけ出ているとはなんとも滑稽であった
「…ねぇ有紀、どうする?」
「どうするって言われてもね、あんたの大好きなお師匠様に何て言われた?」
「それは…」
樟葉は言葉に詰まる、誠也からは少し離れた安全なところで傍観しているよう言われている
危険な場所に自ら飛び込むなと念押しされているのは当然だろう、もとよりD級ランクにどうこうできる局面ではない
しかし、それでも樟葉は別の局面を考える
「でも、師匠からはやむおえない場合はって」
「……」
有紀はボリボリと頭を掻く、それはこちらが攻撃を食らって静観できない事態に陥った場合に適応させると思うが
しかし、今誠也たちに伝えるのも至難の業だ
叫んで伝えるか?術者がそれを妨害するために攻撃を加えてくるのと、誠也たちが気付いて術者に攻撃を加えるのとどちらが先か
考えて有紀は博打に打って出た場合を考える
「術者の系統は不明…でも、サイクロプスを操るのに集中してて他に手が回せない状態だとしたら?放って置いて問題ないと踏んでこちらに攻撃を加えてこないのか、気付いてても集中が途絶えるから攻撃できないか…後者の場合だと勝機はある」
「私はあまり賛成できないわね」
最後の最後で楽観的な考えが入る有紀と違って吾妻は懐疑主義的考えの持ち主だ
それでも今回ばかりは吾妻も博打に打って出ることにそこまで反対ではない
「でも場を掻き乱せれば、沖山さんたちの誰かがこちらに加勢することはできるんじゃないかな」
「それまで持ち堪えられるかだけど、相手に反撃の余裕を与えない奇襲を行なう必要があるわね…吾妻、神道結界で回避できそう?」
「相手のランクにもよるわね」
奇襲の方向で話が進んでいく中、人間相手では足手まとい以外の何者でもない法善寺が頭を抱える
言わなきゃよかった……今更ながら後悔に苛まれる
「よし、それじゃあ襲撃開始だね!」
言って樟葉は槍を持つ手に力を入れる
気を引き締めて、有紀と吾妻と目を合わせて頷き合う
「くみちゃんはここにいて!」
言って頭を抱える法善寺を残し三人は死角に潜む術者へと奇襲を仕掛ける
薄暗い通路にミーシャ・L・メイザースは立っていた
小柄な彼女の足元にはナイフで地面を刻んで描かれた魔法陣が光り輝いている
ミーシャは全身がスッポリと覆われるほど大きな紫色の法衣を着込んでおり、深々とフードを被り込んで顔を隠しているため表情は覗けない
しかし体調がよくないのか、時折息を荒くして胸に手を当てる
それでも、必死に単眼巨人の集団を制御する術式を安定させている
それ故に術式にしか集中できていない
だからこそ気付かなかった
複数のクナイが自分の足元目掛けて飛んでくることに
「っ!?」
気付いたときにはもう遅く、クナイが法衣を貫いて地面に突き刺さり動きを封じられる
「Oops!」
一瞬意識がクナイへと向けられた瞬間、今度はしめ縄が周囲から延びてきてミーシャの手足を縛りあげる
「!?」
完全に動きが封じ込められた直後目の前に槍を構えて詠唱を唱える少女が現れる
「っ!!」
「ミカエルバスター!!!」
少女は容赦なく莫大な呪力からなる攻撃魔術をミーシャへと放った
「やった!?」
必殺の魔術を放って、樟葉はミカエルバスターを放った方向を見る
相手の実力は未知数、最下級であるD級ランクの魔術師たる樟葉たちは全力で奇襲攻撃を仕掛ける以外に選択肢はない
生半可な攻撃で相手を驚かせただけだった場合、返り討ちにあるうことはほぼ確定だからだ
有紀が忍術で動きを止め、吾妻が神道結界で封じ込め、樟葉が天使術で叩く
完全に策はうまくいった、後は倒れてくれていることを願うだけだが
「そううまくはいかないってわけね」
ミカエルバスター直撃の寸前、樟葉と術者の間に単眼巨人が一体割って入ったのだ
よって樟葉の放った一撃は単眼巨人によって阻まれていた
「一体護身用にそばに置いてたってわけね」
忌々しく言って有紀は忍者刀を構える、樟葉も槍を構えて敵を睨みつける
彼女たちが視線を向ける先、単眼巨人に護られた術者はしかし無傷ではなかった
単眼巨人も制御を怠ったか、もとより強度が弱かったのか。樟葉の一撃を食らって右肩が擡げていた
そんな単眼巨人の後ろから術者が法衣についた埃を払いながら前へと出てくる
深々と被っていたフードを両手で外して素顔を見せる
目の上を先ほどの攻撃で切ったのか目の上から頬を血が伝っていた
フードを外したことにより晒されたのはウエーブがかかった銀髪と碧眼
幼さが今だ抜けない西洋の顔立ちの少女の素顔だった
「……油断していたことは否めないけど、今の一撃で僕を倒せないとは、一体どこの雑魚がしゃしゃり出てきたんだ?」
幼さがやはり残る僕っ子な少女の声を聞いて樟葉たちは驚いた
「まさかこの子私達と同年代?!?」
まさかこの子も八幡さつき同様、特定の年齢出に達していないにも関わらず上級魔術師になっている例外なのだろうか?
しかし、違うだろうとすぐに気付く
今の彼女が纏うオーラの質も量も明らかに自分達とそう変わらない
恐らくはC級ランクのものであったからだ
「それにしては妙ね……C級ランクであの数をどうやって制御してるわけ?」
「どっちにしても、今は消耗しきってるみたいだけど?かろうじて術式を起動継続してるだけって感じだし」
「ようするに、攻めるなら今ってわけよね!」
言って樟葉は槍を素早く突き出す
それをミーシャはイニシエーション儀式用のナイフを取り出し、これで受け止める
そのナイフを見て、有紀が驚いた表情となる
「そのナイフ!まさかあなた…」
彼女が手にするナイフ、その刃にはある魔法名が刻まれていた
そして、その魔法名を引き継ぐ者。それが意味するものとは
「あなた、もしかしてあのマクレガーの血筋?」
言われた少女は樟葉の槍を弾き返して地面を蹴り、距離を取るように後ろに下がると
ナイフを構える手を下げて不敵に笑う
「あぁ、そうだよ……僕はミーシャ・L・メイザース。確かにマクレガー・メイザースの血は受け継いでるね」
少女の言葉に樟葉は引っかかりを覚える
「ミーシャ・L・メイザースだって?メイザースの血を引くものはA∴O∴(アルファ・オメガ)系の結社か黄金の暁会分派の結社にいるはずじゃなかったっけ?」
「確かに、近代魔術界にとって偉大な功績を残した者の血を引くものがAMM側にいないのはおかしいね。僕だってそう思うよ、でも考えてもみなよ…偉大な曾曾爺様が黄金の夜明け団でどういった末路を辿ったか」
魔術師マクレガー・メイザース
彼は近代西洋魔術において多大なる影響力を誇った創始者である
現代の近代魔術結社、または魔術師は遠からず少なからず彼の影響を受けており、その亜種とも言われるほどだ
それは彼を含めた三人で創設された最も有名な近代魔術結社「黄金の夜明け団」での多大な功績からきている
多くの魔道書を翻訳した彼はまさに近代魔術の礎を作ったわけだが色々な抗争や内部分裂によって黄金の夜明け団の首領を解任され追放されてしまう
その後は新たな魔術結社「A∴O∴」を設立し、黄金の夜明け団内のマクレガー派の合流もあって彼の功績はその後も続く
ゲーティア等高度なグリモワールの現代翻訳は実は黄金の夜明け団時代よりもA∴O∴(アルファ・オメガ)時代の方が多い
彼が最も得意としたのは魔道書「術士アブラメリンの聖なる魔術の書」を基に行なう天使と悪魔を使役するアブラメリン魔術
その魔術は弟子であるアレイスター・クロウリーの召喚・喚起魔術や妻のモイナ・メイザースのイシスとの邂逅儀式や黒猫の憑依使役術に引き継がれ
現在のゴールデンドーン式魔術に受け継がれている
「ダイアン・フォーチュンだったり、黄金系でもA∴O∴系、曙の星系でもAMMでも重宝された術者はいっぱいいたはずだけど?そんなに古代・中世の魔術形態を好んで近代魔術形態を嫌うAMM上層部が憎いわけ?」
「別に、曾曾爺婆様のAMMから受けた嫌がらせなんて僕にはまったく関係ない。ただ単に僕の属する結社がティマイオス傘下なだけ」
言ってミーシャはナイフを地面に突き刺すと床を削って魔法円を刻む
「だからティマイオスと行動を共にする、メイザース家の因縁なんて関係ない!」
ミーシャが言い終わると同時、魔法円が光り輝く
それに呼応して右肩が捥げていた単眼巨人が動き出す
棍棒を振り上げ樟葉たちへと襲い掛かる
単眼巨人は振り上げた棍棒を樟葉に向けて振り下ろす
樟葉は地面を蹴ってこれを回避、単眼巨人の振り下ろした棍棒はさきほどまで樟葉がいた
今は誰もいない床を叩く、攻撃は空振りに終わったかに見えた
しかし棍棒は床を砕き、飛び散った瓦礫が礫となって樟葉を襲う
「っ!」
槍を横薙ぎ、これらを叩ききるがすべてを回避できるわけがない
無数の弾丸を浴びたような激痛が体中を駆け巡る
「樟葉!」
有紀が動こうとした瞬間、単眼巨人が恐るべき速さで地を蹴って移動
有紀の目の前に現れる
「な!?」
咄嗟に腕を十字にクロスさせ防御の姿勢を取ると直後単眼巨人が強力な拳を放つ
身代わりの術を使う暇も与えられずパンチを食らった有紀は勢いよく後ろへと吹っ飛ばされる
「有紀!」
叫んで吾妻は榊を振る
直後に来るであろう攻撃に供え神道結界を張ろうとしたが
単眼巨人は棍棒を地面に突き刺しそのまま棍棒を吾妻に向けて引きずっていく
そうすることによって地面に食い込んだ棍棒の前に瓦礫がドンドン溜まっていく
そして単眼巨人溜まった瓦礫を吾妻に向けて放つべく地面に食い込ませた棍棒を勢いよく前に出す形で抉り出す
そうすることによって恐るべき重量を秘めた礫が吾妻へと放たれた
「っ!!」
それは恐ろしいまでの重量を持って吾妻を巻き込み壁へと激突、地面を揺るがす振動と轟音を響かせた
砂煙が漂い辺り一面を覆う
視界が悪くなったその空間でミーシャはニヤリと笑った
視界が砂煙で遮られる中ミーシャは懐から小さなプラスチック製のケースを取り出す
「向こうの制御は維持してるけど、流石にこれ以上の消耗は危険か」
ミーシャが取り出したプラスチック製のケースを開けようとしたその時、砂煙の向こうから複数の手裏剣が飛んできた
「っ!」
咄嗟に横に移動してこれをかわすが一つは頬を掠める
血が飛び散る中、ミーシャは取り出したプラスチック製のケースを手放してしまう
「しまった!」
慌ててこれを取ろうとするが、今度は違う方向から勢いよく槍の矛が突き出てくる
「ち!」
ミーシャは舌打ちしてイニシエーション儀式用のナイフでなんとかこの攻撃を凌ぐ
直後、背後から忍者刀を持った有紀が一気にミーシャへと迫ってくる
「はぁ!」
「さすが忍者、視界がぼやけりゃやりたい放題ってわけ?」
ナイフを押して槍を弾き返すとミーシャは有紀へと振り返り、これを迎え撃つ
「忍者を何だと思ってる!」
有紀は目にも止まらぬ速さで忍者刀を振るい、ミーシャへと斬りつけていく
しかしミーシャも素早い動きでこれに対応、ナイフで忍者刀を受け止めすべての斬撃を防御する
互いが目にも止まらぬ速さで得物を振るい、二人の間で刃物と刃物がぶつかり合い火花が散る
そんな攻防を繰り広げる中、ミーシャは一瞬の隙をついて一気に後ろに下がると単眼巨人に指示を出す魔法円を刻もうとする
しかし
「残念でした♪それはもう使えないよ?」
砂煙が引いて視界が元に戻ると、槍を肩に置いている樟葉がその足元に赤紫色の印形を輝かせて立っていた
印形からは赤紫に輝く魔術の鎖が複数飛び出し、近くにいた単眼巨人を縛り上げていた
「そっちの切り札はすでに押さえてあるよ」
鎖で縛られて身動きが取れない単眼巨人を見てミーシャは忌々しそうに舌打ちする
「なるほど、奇襲は陽動だったってわけ。でもその程度の鎖で僕の駒を押さえつけられるかな?」
ミーシャはナイフを構えながら足元に転がっていたプラスチック製のケースを軽く蹴り上げてナイフを持っていないほうの手でキャッチする
そんなミーシャの背後で新たに人影が生れる
「っ!」
ミーシャが振り返ると、そこには誇りまみれになった巫女がいた
「な!?バカな!?」
背後に現れた吾妻を見てミーシャは驚きの声を上げた
樟葉に有紀は生きていても不思議ではないが、この巫女は即死の重量の瓦礫をまともに食らったハズだ
「どうやって防いだ!?」
問われた吾妻はニヤリと笑うと口を開く
「驚くことかよ。岩根さえも裂く剣の威力を使えば軽いもんだろ?」
口を開いた吾妻の口調は今までとまるっきり違うものになっていた
口調だけではない、表情、態度、仕草に至るまで男っ気全開であった
「そうか…心霊憑依術!」
ミーシャは神道系魔術の特徴を思い出し歯噛みした
神道系魔術の中でも特に巫女術者が行なう神がかりの儀式
トランス状態となってその身に神を宿す魔術
吾妻が今、その身に宿したのは磐裂神
イザナギが、妻イザナミ死因の原因となったカグツチを十拳の剣で殺した際、その死体や血から複数生れた神の一柱
カグツチの首を切り落した時、剣の先についた血が岩について化生した神であるが故に岩の神であり、岩根さえも裂く剣の威力を持つ
「でも、それがどうしたっていうんだ?僕の駒はあんな鎖ごときすぐに砕く」
言うミーシャを見て、吾妻は再びニヤリと笑った
「じゃあ、そのご自慢の駒を消し去ってやるよ」
「何だって?」
ミーシャは怪訝な表情となるが、直後驚愕に染まる
「あらぶるかみよ、しずまりたまえ」
吾妻が祝詞を唱え、そして呼応するように鎖に縛られていた単眼巨人が光に包まれて消えた
単眼巨人が消えたことにより、それを縛っていた赤紫の鎖が地面に落ちる
それと同時に魔術の鎖も呪力へと飛散して消えた
「ば、バカな!僕の駒が!?」
祝詞を唱え終えて吾妻はふぅと溜息をつく
「魂鎮め…と言ったらわかるか?」
「魂鎮めだって!?」
それは審神者が扱う魔術であった
古代の祭祀において、巫女は神の声を皆に伝える神託を行なっていた
古神道と現代では分類されるこれでは琴を引き神の声を伝えた、それが審神者
神の声を伝える審神者だが、人畜無害というわけではない
神の声を伝えるために神を下ろすわけだが、すべての神が人に友好的ではない
なぜ日本神話には、日本書紀には、古事記には人が神を殺す逸話が存在するのか?
それは人々が圧倒的な人為を超えた力を神として崇め、恐れ、畏怖を抱いたからだ
ゆえに人にとっては危険極まりないものも神として祭られているのだ
そんな神を審神者が下ろしてしまったら?荒ぶる神は人に牙を向くだろう
そんな時、審神者はその荒ぶる神を鎮め、神界へと帰す祝詞を唱える
それこそが魂鎮め
「ふざけるな!魂鎮めが効果を発揮するわけがあるか!僕の駒はギリシャ神話を基に生み出したサイクロプスだぞ!」
「確かにそうだな、サイクロプスはギリシャ神話の神族、日本の神じゃない。いくら七福神のように外国の神を祭る習慣があるにせよ無理があるな」
「なら何をした!?日本神道でギリシャ・オリンポスの神々は扱えないはずだ!」
「そうかな?日本神話とギリシャ神話って意外と似てる部分が多いぜ?そこを応用すれば問題ない」
「何!?」
「サイクロプスは卓越した鍛冶技術を持っていた。日本神話にも同じく単眼で鍛冶の神がいる」
それは天目一箇神。アマテラスが隠れ、世界が闇に包まれた岩戸隠れの際に刀斧・鉄鐸を造ったことで知られる
「それに重ね合わせて魂鎮めを行なえば威力は減退するが問題ない」
「だとしても、それだけで僕の駒が消えるわけが」
叫ぶミーシャが新たに人数が一人増えていることに気付く
「それを補ったのが私の霊能力ですわ!私の助力あっての勝利、私に感謝なさい!オーホッホ!」
扇子を広げて高らかに笑い出す法善寺を見てミーシャ以外の全員が呆れた目で法善寺を見る
魔術師相手だとビクビク震えてさっきまで頭抱えて端っこで覚えてたくせに
「妖怪の一つ目小僧と同じと考えれば恐れるにたりませんわ!」
高らかに笑い声を上げる法善寺、それを呆れた目で見る樟葉たちを見てミーシャは奥歯を噛み締める
「僕が…こんな三下どもに負けるわけがないんだ!」
言ってミーシャはナイフを地面に突き刺す
それを見て、樟葉、有紀、吾妻は即座に身構える
再び単眼巨人を生み出すつもりなのか、しかし今度は法善寺も自信満々の表情で臨戦態勢に入り
四人がミーシャを取り囲む形となる
取り囲まれた形となったミーシャはナイフに地面を突き刺したはいいが、魔術を発動させない
いや、発動できないのだ
(今ここで新たにサイクロプスを作ったら、向こうの制御に支障をきたす)
誠也たちが戦っている無数の集団を制御するための大方の呪力を使用してしまっているため、自分の護衛に一体しか割くことが出来なかったのだ
大方の呪力を向こうに割いているため、こちらで新たに一体作れば呪力が底を突き、制御自体ができなくなる
それ以前に呪力を割いての遠隔制御はC級ランクのミーシャには自身のキャパシティーを大幅に超えた技術だ
ゆえに彼女にとっては危険を承知で護身用一体だけを身近に置き、制御だけに集中する術を取ったわけなのだ
そして、それだけでは補えない下級と上級の壁を取り払うべく、彼女が使用した方法は
「これ以上の使用は体を潰すことになるが、背に腹は変えられない!」
手に取ったプラスチック製のケースを開けて、中から取り出した一粒の錠剤を服用することだった
「!」「なっ!?」「まさか、あれって!?」
驚く樟葉たちの目の前でミーシャは摂取した錠剤の影響によって莫大な呪力を生み出す
「あなた…秘薬を使っていたのね」
言われたミーシャは高揚した表情のまま、人格が変わったように笑う
「HAHAHAHAHA!サイコーだね!僕は今サイコーにノッてるよ!そうさ!薬だよ!ドラッグだよ!MDMAって言ったらわかるかな?」
明らかに様子が変わったミーシャの口から飛び出した言葉に有紀は舌打ちした
「何がサイコーだよ。サイテーだ、この大馬鹿!」
「ほんと、どうかしてるぜ」
「まったくですわ。馬鹿の一言に尽きますわね」
吾妻と法善寺も軽蔑の眼差しでミーシャを見る、だが当の本人はこれっぽっちも気にしていない
「A-HA?どうした?羨ましいのか?悔しかったらテメェらも薬やってラリっちゃえよ!サイコーにすこぶる気分であらゆる感覚が手に届くぜ!」
言うミーシャの言葉に、今まで黙っていた樟葉が口を開く
「黙れ」
言う樟葉は肩が怒りで震えていた
これが、秘薬によって得た上級と下級の垣根を取り払った姿だって?
そう思うと怒りで頭が沸騰してどうにかなりそうだった
一瞬でも、力を得るためには避けられない手段なのか?と思った自分にも怒りを感じ、それを平然と使用し胸を張るミーシャに憤る
「ふざけるな」
「あぁ?」
「ふざけるなって言ったんだよ!!」
怒声を放って樟葉がその手に構えた槍を一気にミーシャへと突き出す
恐るべき速さの突きは周囲の呪力を巻き込んで雷光の矛となる
ミーシャもナイフでこれを受け止めようとしたが雷光の矛はミーシャのナイフを砕き、彼女の脇腹を一気に抉った
「ぐはぁ!!」
その凄まじい勢いに押されてミーシャが後ろへと吹っ飛ぶ
樟葉は放った槍を構え直すと追い討ちをかけるべく詠唱を開始する
「汝と護国に使えし我が願いを聞き届けたまえ」
天使術の詠唱
絶対たる主、天にましますわれらの父、唯一絶対の存在
その使い、天使への祈祷
しかし、直後ノイズが走る
空間が歪み、呪力が歪み、言葉が歪む
世界と世界の理を繋ぐ柱に亀裂が生じる
そこから滲み出てくるのは異質な何か
異様な存在感
絶対に相容れぬ莫大な力
果たして気付いたのは一番付き合いの長い有紀だけだったか
ノイズが走ったと同時、樟葉の詠唱が歪んで変わる
「……の子、……の…星よ。どう……あなた…天から………?……を打ち破……よ。……してあなた…地………倒され……?」
驚いた表情となった有紀の目の前で樟葉が莫大な呪力を放つ
詠唱を終えた樟葉の背後に光り輝く印形が浮かび上がる
その印形は眩しいくらいの光を帯びており誰の印形か確認できなかった
その眩しい光を帯びた印形が樟葉の背後でまるで光り輝く天使の翼のように変形する
圧倒的な光り輝く呪力の翼を背負う姿はまさしく天使そのものだった
ただし、背負う翼は異様そのもの
翼は無数の鎖で形成されている、しかもその一つ一つの鎖に鎌や矛や棘や鉄玉など得物がついていた
「ジャッジメント・チェーン」を進化させた術式。「アサルト・チェーン」
その身から溢れ出る呪力の総量も増した樟葉の表情はいつもとどこか違う
まるで表情をなくしたような樟葉の様子に有紀が声をかけようとした瞬間
樟葉の背負う翼のような鎖が一気にミーシャに向かって放たれた
それは怒涛の勢いでミーシャへと襲い掛かる
そして圧倒的なまでの破壊力でミーシャを飲み込んだ
砂煙が立ちこめる中、しかし樟葉はいまだ正気には戻らない
そのまま衝突地点まで歩いていくと
攻撃をモロにくらって法衣が破け、ボロボロの下着姿に血だらけの状態になったミーシャの腕を掴んでそのまま後ろへと投げ飛ばす
悲鳴を上げて地面に叩きつけられた彼女の喉元に槍の穂先を突きつける
立ちこめる煙に咳ごみながら有紀が慌てて樟葉の元へと駆け寄る
「ちょっと!樟葉!?」
がしっと肩をつかまれた樟葉はそこで初めて我に返る
はっとした樟葉の目には正気が戻る
直後、彼女の周囲に漂っていた異様な呪力は拡散し消滅、普段の状態を取り戻す
ただし、D級ランクの呪力総量に戻ったわけではない。驚くべきことにその総量はC級ランクのものへと上がっていた
「あれ?私今何を…?」
「樟葉…もしかしてさっきの覚えてない?」
さきほどの記憶がないのか困惑する樟葉を見て、ミーシャはチャンスとばかり一気に横へと転がってその場を回避する
ミーシャの動きに樟葉と有紀も問題は後回しにして即座に構える
しかし、それも無用であった
すでにミーシャが負ったダメージは巻き返し不可能なものであった
その場から横へ逃れたのが精一杯、もう立ち上がる気力も残っていなかった
「くそ、クソ!クソッタレが!僕がこんなところで!!」
泣きながら地面を叩き、それでもミーシャは最後の抵抗とばかり再び施錠を服用しようとするが
「がはぁ!!」
施錠を飲んだ直後、右腕が吹き飛んだ
負傷し、体内の呪力を制御できない状態になっての薬による呪力増加
コントロールしきれない体内の力が暴発したのだ
それ以前に薬の乱用によって肉体、精神共にすでにボロボロだった彼女にはもう自身の崩壊を止める手立ては残っていなかった
「こんな…こんなところで終わるのか?僕は…まだ何も…」
そんなミーシャを見て樟葉たちは言葉を失った
下級魔術師が力を求め、秘薬に手を出した末路……それは破滅
ミーシャは憎しみを込めた目で樟葉たちを睨む
「くそったれ…AMMの尖兵どもが」
そんな言葉に有紀は哀れみの目でミーシャを見る
「何だかんだ言って、やっぱりあなた。メイザース家を貶めたAMMを恨んでたわけね」
「うるさい、黙れ」
「ティマイオスにいれば復讐できると思ったわけ?で、これがその結果?ティマイオスからも薬漬けで捨て駒のような扱いじゃない」
有紀の言葉を聞いてミーシャは不気味な笑みを浮かべ笑い出した
「何がおかしいわけ?その通りでしょ?」
「まるで自分達は違う。関係ないとでも言うような言い草じゃね?」
ミーシャの言葉に樟葉たちは怪訝な表情となる
そんな彼女達にミーシャは語る
「これだけ世界規模の作戦行動、本当に上級ランクだけで遂行できると思ってるわけ?どれだけの人数がティマイオス構成員だと思ってるわけ?本当にそんな大規模組織の全員がA級超えだったらティマイオスがAMMに悟られず全世界同時攻撃なんて出来るわけがなかっただろうな」
ミーシャの言葉で樟葉たちはミーシャが言わんとしてることを悟った
もちろん、彼女がでたらめを言っている可能性もある
だが、この情勢下でそれを言って彼女に何の得があるのか
「冥土の土産だ、教えてやる。ティマイオスの構成員の大半は僕やお前達のような下級魔術師だ。そしてあらゆる禁忌を使って上級へと進化している。僕のような上級になりきれない落ちこぼれも多いけどね」
ミーシャの言葉に樟葉は歯噛みする。なんだそれは?そんなことが許されていいのか?
「だからティマイオスに底はない。減れば補充すればいい、誰でもいいんだよ。奪って、さらって、魔術師に目覚めさせさえすればいい」
ミーシャの言葉で樟葉の頭が怒りで沸騰していく
さらって魔術師にすればいいだって?
そんな傲慢が押し通っていいものか!
正当化されていいものか!
自分自身が体験した二年前の事件の記憶も重なって樟葉の中で怒りが倍増していく
「ふざけるな!!そんな横暴許されてたまるか!」
「横暴だ?現実だろ?事実を見ろ!現実を見ろ!それが今を支えている!」
「わけわかんねーことぬかしてんじゃねーぞ!」
樟葉は再び槍を瀕死のミーシャへと向ける
樟葉の感情に呼応して、再びさきほどと同じく空間の揺らぎが生じる
まずいと思った有紀が慌てて樟葉の槍を押さえつける
「待て樟葉!もう勝負は決してる!」
そんなやり取りを見て鼻で笑い、ミーシャは最期に決定的な事実を告げる
「真実から視線を逸らすのは結構だが、これはティマイオスだけの問題じゃないだろ?AMMでもいずれ起こりうる話だ」
「何?」
「だってそうだろ?今世界中で僕たちとの戦争で上級の魔術師が死んでいってる。いずれ、前線でまともに戦える魔術師がいなくなった時、戦線を維持するために、今は作戦行動参加を禁止してる君たち下級魔術師にも戦線に参加してもらわなくてはならなくなる。そうなった時、AMMが配るのは戦死しないために降参するよう白旗を持たせるか?それとも薬でも何でも持たせて戦えるようにするか?答えは聞かずともわかるだろ?」
ミーシャの言葉は確信をついていた、それはいずれ起こりうる現実
もちろん、そうなる前に戦争に決着がつくかもしれない
だが、いずれにせよ。AMMは勝ち続けない限り、将来はミーシャの言った通りになるだろう
そして、現在の世界情勢はティマイオス優勢だ
「この先、君たちがどうなるか……先に逝って高みの見物させてもらよ」
言うやミーシャの体は体内の呪力暴走によって内側から粉々に砕け散った
大量の血や肉塊が飛び散り、一帯を赤黒く染め上げた
大量のサイクロプスの群れと戦っていた誠也たちであったが、そのサイクロプスが突如動きを止めると次々と呪力へと霧散し、消えていく
それを見て誠也が振り返ると所々傷を負って埃まみれとなっている樟葉たちが駆け寄ってきた
「師匠、ごめんなさい。でも、そこに単眼巨人を制御してる術者がいたから……」
「一様、私は止めたわよ?まぁ全員一致で奇襲は仕掛けたけど」
有紀は一様の断りを入れておく、しかしそれで許されるとは思えない
結局は下級魔術師であったが危険な賭けであったことに変わりはない
誠也は溜息をつくと
「じっとしていられることはできんのか」
呆れた様子で言うが、しかし樟葉と有紀の頭に手の乗せて頭を撫でる
「まぁ、とにかく無事でよかったよ。それとありがとうな」
そう言われて樟葉の顔が真っ赤に染まった
やがて抑え切れなくなったか、いつも通りそのまま誠也に抱きつく
「やぁん!師匠だぁ~い好き!」
「わ!だからいきなり抱きつくなって!」
そんな樟葉と誠也のいちゃつきっぶりを冷めた目で見ていた川本の短い我慢の限界が到来、怒りの拳を樟葉に放つ
「はよ離れんかい!このガキァ!!」
「痛あー!何すんのよ!この怪力魔女!!」
「何ですって?ちょっと聞いた誠也?口の悪さばかり成長していってるんですけど、どういった教育を施していらっしゃるんですか?」
「って俺!?」
「そうだよ、師匠に振るなんて最低!どういう神経してんの?」
アーダコーダ言う樟葉を見て有紀はぷっと吹き出して笑う
後ろでは常の状態に戻った吾妻が同じく笑い、隣で法善寺が呆れた目で見ている
いつもの樟葉であることを確認し、しかし心中穏やかではなかった
さきほどのミーシャとの戦いで見せた力の片鱗、あれは異常だ
一時的ではあったが、確かに樟葉の呪力総量は上級ランクに届いていた
秘薬に頼らない上級へと至る術を発見したとも言えるが
(どうしても、あれだけはやらせちゃダメな気がするのよね)
有紀が気にしているのはある一点。あの力が発動した時、空間が歪んで別の何かが樟葉に干渉した感じがあったこと
そしてその歪みが発生した時、樟葉にあったのは強い感情。怒り、憎しみだ
(記憶が飛んでるってことは、憎悪で感情が高ぶったときに意識、肉体何もかも乗っ取られているってことよね)
一体誰が樟葉の体を一時的に使用していたのか?
天使術者は体内に天使を宿すことによって魔術を発動することから、普通に考えれば何かしらの天使
基本方位の四大天使の力を借りる術を使うことから。ミカエル、ガブリエル、ラファエル、ウリエルの誰かが入ったことになるが
どうにも、あの薄寒さは何かが違うような気がする
それにもっとも気になる点は結局判別できなかったあの光を帯びた印形と空間が歪んだ時に変化した詠唱の内容
(あれは確かにイザヤ14-12だったような。でもまさかね)
考え込む有紀の横に吾妻が歩いてきて並ぶ
「どうしたの?」
「何でも、ちょっと気になることがあっただけ」
「……そう、なら行こうか」
言われて気がつく、すでに樟葉、川本の言い合いは終わっており、先へと進んでいる
吾妻は別段気にした風もないし、一旦このことは保留にしておくかと有紀も思考を断ち切る
吹き荒ぶ突風はそれが地上から296メートルの高さであるためか、それとも渦巻く呪力の奔流の起点であるためか
いずれにせよ。横浜ランドマークタワー屋上は渦巻く呪力と密度の濃い溢れでた呪力によって悲惨な状態となっていた
かつて樟葉、有紀、吾妻の三人は学校の屋上でこれと同じ光景を目撃したことがあるが
状況の悪さで言えば今回の方がひどいだろう
「さて、本式はまだ発動していないようだが術者はどこだ?」
誠也は屋上を見回すが人一人誰もいない
樟葉たちも周囲を見回すが、人の気配はない
しかし、突如空間全体を圧迫するような気配が上から訪れる
「!?」
見上げた時、空一面を巨大なコンクリートの塊が覆った
避けることも逃げることも許されない、絶対なる死を前になす術はない
吾妻はその身にさきほどと同じく磐裂神を宿すが、所詮はD級ランク。この場全員を護ることはできない
そんな圧倒的理不尽を前に、しかし川本はドラグーン、マスケットを引き抜いて
「ったく開戦告知にしてはえらくやっつけ感バリバリね」
引き金を引く。ただのディンテージ物のマスケット銃では破壊すことなど不可能だ
実際、川本の持つドラグーン・マスケットの銃口からは弾丸一つ飛び出さない
しかし、銃は眩しいくらいの閃光を放って輝き、特大の火花を放つ
直後、空一面を覆う巨大なコンクリートの一箇所に何かの記号が浮かび上がり、大爆発を起こした
巨大なコンクリートは粉々の木っ端微塵に砕け散り、その欠片が屋上に舞い落ちる
灰の雨の中、誠也たちは巨大なコンクリートがあったその先、上空に視線を向ける
そこから一人の屈強な大男が舞い落ちてきた
否、落下してきたと言うべきか。屋上に着地したと同時、足が地面に食い込む
恐ろしいまでの重量を携えて降りてきたその男は見るからに筋肉質な体に
ツンツンに立てた髪の毛、顔には絵に描いたような傷跡が鼻から右頬にかけてついている蒼い目をした白人だった
「ほう、あの一撃で臆しもしないか。これは戦いがいのある連中が来てくれたな、おい!」
地面に食い込んだ足を引き抜いて落ちてきた巨漢は笑いながら言う
臨戦態勢でもないだろうに、すでにその体からは恐ろしいまでの呪力のオーラがにじみ出ていた
「へぇ…これは強敵だな」
「でも、こんな乱雑そうなやつが生贄の儀式を起動させられるのか?」
挑発するように言う誠也と浦上の言葉にしかし、巨漢は乗らない
「まぁ、あんなのは俺の苦手なところだが、それを補佐すんのが周りの連中の仕事だろ?」
巨漢の言葉にまだ、他に術者ががいることを悟った誠也は川本に目配せする
川本はその意味を理解して、やれやれと溜息をつく
そんなやり取りを知ってか知らずか、巨漢は顎に指を添えるとニターとまるで強い相手を見つけたガキ大将のような笑みを浮かべる
「お前ら、名前は?」
巨漢の質問に、誠也は相手の腹を探るべく質問しかえす
「聞いてどうする?それに聞くならテメェも名乗れよ」
「これから殺しあう相手の名前を知ってはいけないルールでもあるのか?まぁ、名乗らないつもりはないがな。俺はルー・ガルー」
「ルー・ガルー?偽名か?」
「本当の名を捨てて忘れ去っただけだ」
「あっそ、そりゃ何があったか聞かなきゃならんのか?」
「ガッハッハ!そんなつまらん話で戦いの興を冷ますつもりはない、それより俺は名乗った、さぁ名乗れ!」
ルー・ガルーと名乗った巨漢の言葉に誠也は特に裏がないと思い名乗る
「沖山誠也だ」
同じく浦上と川本も
「浦上雅」
「川本恵美よ」
ルー・ガルーは三人の名を聞いて、歓喜の表情を浮かべる
「沖山、浦上、川本だと!?おいおい、そりゃ二年前の英雄の名じゃねーのか!そうかそうか!ロニキスの旦那が再戦を楽しみにしてるあの沖山か!」
ルー・ガルーは一息つくと、ゴキゴキと腕を鳴らし始める
「こりゃ楽しめそうだ!久々に全力で暴れられるぜ!何せさっきのAMMの魔術師ときたら名前の割りに張合いがなかったからな」
「さっきの魔術師だって?」
自分達よりも先に誰かがここに到達したのだろうか?
そんな疑問にルー・ガルーが答える
「ここからはちょっと向こうにはなるが、地上で唱門師の萱島啓太と戦ってな。期待外れの瞬殺だったぞ。お前たちはそうならないことを祈るぜ」
萱島啓太。その名を聞いて浦上の表情が一変する
浦上と萱島は親友であった
今でこそ浦上はS級、萱島はA級だが出会った当初はランクの階級順は逆だった
魔術に目覚めて一通りの作法を身につけた浦上はC級、すでに若くして頭角を現しだした萱島はB級だった
神社と寺が隣り合う境内で二人は共に志を持ち、共に修行し、共にAMMの仕事をこなしてきた仲だ
そんな親友を戦友を瞬殺した?しかも侮辱までした
許せるわけがない。浦上の中で怒りが込み上げ、闘争心に火がつく
「おい!ルー・ガルーとか言ったか?」
「あん?」
「そのくだらねぇー減らず口が漏らした言葉忘れるなよ。すべてが終わった時、お前がそれを言われてるぜ」
浦上の様子を見た誠也は萱島啓太と彼との関係を思い出し、無言で隣に立つ
ただ一言
「始めるか」
それだけ言った、それが横浜の存亡をかけた最終決戦の火蓋の幕開けの合図となった
地上から296メートルの高さにある屋上に爆風が吹き荒れた
浦上が素早く弓を構えると溜めることなく一気にルー・ガルーへと放ち、放たれた矢が荒れ狂う風となったからだ
同時、誠也も大威徳明王の真言を唱え背後に大威徳明王が浮かびあがる
その手に宝棒が握られたと同時、爆風を切り裂いてルー・ガルーが突撃してきた
「さぁ!俺を楽しませろ!!」
ルー・ガルーは拳を握り締めて呪力を一点集中させる
呪力が集い禍々しいオーラを纏った拳をルー・ガルーは誠也へと放つ
「オォォォォォォォラァァァァァ!」
「!」
宝棒でこれを受け止めようとした誠也であったがすぐにデフォルト武具を変化させる術式を発動
宝棒をガード一点に集中させるべく体全体を覆えるほどの大きさの盾へと換える
直後、ルー・ガルーの拳が盾へと放たれ、腕が痺れるほどの衝撃が伝う
「ぐっ!なんて威力だ。盾に換えて正解だったぜ、この威力宝棒が折れてたな」
「ほう、この程度では砕けんか…なら!!」
ルー・ガルーは再び拳に呪力を集中させると連続して盾へと拳をはなっていく
誠也はただ盾を構え凌いでいるだけだ
この様子に屋上入り口近くで隠れて様子を窺っていた樟葉が慌てだす
「え?なんで?どうして師匠防戦一方なの?あんなのわざわざ盾で凌がなくても仏教結界で充分なのに!盾を構えてちゃ術式も組めないじゃない!」
取り乱す樟葉に有紀は冷静になるよう促す
「バカ!声が大きい!見つかったら私達じゃ逃げることしかできないわよ!」
「でも師匠が!」
「普通に考えてごらんよ!誠也が攻撃を惹きつけてるってことは浦上さんに川本さんはフリーってことでしょ?」
「あ、そうか!」
樟葉の見つめる先、戦場では今まさに有紀の言った通り誠也にのみ攻撃を加えているルー・ガルーの両横から浦上と川本がそれぞれ弓矢とドラグーン・マスケットを構えてルー・ガルーへと攻撃を加える
川本のドラグーン・マスケットが弾丸を発射しない爆炎を放ち、浦上の弓が烈風を巻き起こす矢を放つ
その威力は絶大で二人の魔術がルー・ガルーへとぶつかる直前にその場から離脱した誠也を除いて、一帯が圧倒的な破壊の渦に晒される
「うわー……相変わらずすごすぎ」
そんな光景に感心する有紀の横で、吾妻がいつにもなく興奮した様子を見せる
「ほんと、いつ見てもすごいわ浦上さん。天之返矢をベースにした術式なんだろうけど、威力が伝承と桁違いじゃない」
吾妻の言葉に樟葉も反応する
「そりゃ師匠と共に二年前の英雄の一人として数えられてるくらいだもん!でも実際に浦上さんの戦闘って見たことないんだよね」
「弓術自体があまり神道系に限らずメジャーじゃないからね。呪術の原点である原始宗教においては祈祷師の道具だったし、ギリシャ神話やヒンドゥー教では神だったりしたけど、現在でそれを主流に扱う術者が数少ないから」
「それでも、浦上さんは神道系ではトップ5に入る実力でございましょう?」
法善寺の指摘に吾妻は頷く、羨望の眼差しで浦上を見つめ語りだす
「私も矢の神で言えば天日鷲翔矢命は扱えるけど、それ以外はからっきし」
かつて中学校の屋上で八幡さつきと戦った際に行使した魔術
しかし、それは威力も精度もまったくと言っていいほどだった
「でも浦上さんは巫女術者でもないのに弓矢に関わる複数の神を自在に扱える。弓矢神…応神天皇の別名である八幡神のことだけど、これを筆頭に天若日子の力を借りた天の麻迦古弓、天の波々矢。山幸彦に賀茂別雷命などなど他にも色々……巫女の私でもまだ扱えない神を扱える」
吾妻の話を聞いて一同は改めて上級と下級の実力差を噛み締める
「今使った天之返矢って天の麻迦古弓、天の波々矢よね?なんだが別次元」
その圧倒的な威力の攻撃をくらい、しかしルー・ガルーは平然としていた
「おいおい、いきなり両サイドからとは容赦ないんじゃね?」
余裕の表情を見せるルー・ガルーに対し浦上も川本もそれぞれ弓と銃を向けたままだ
そんなルー・ガルーを捕らえるように距離を取った誠也が盾からデフォルトに換えた武器「竜索」を放つ
「ほう」
感心するルー・ガルーは抵抗することなく竜索に囚われた
直後、浦上と川本が再び容赦なく攻撃を加える
さきほどと同じく圧倒的な威力に今度はルー・ガルーも無傷ではなかった
「ぐ…なるほど、これが竜索か」
攻撃を食らって地面に膝をついたルー・ガルーは体中から血を流していた
その表情はしかし激痛など気にすることもない愉悦に満ちた笑みだった
「いいね!やるじゃないか!肉体に施した呪力の鎧を取り払ったわけか!こりゃーいい!これを看破するとは驚いたぞ」
「そりゃ大威徳明王の六面は視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚、霊感を示してるからな。大威徳明王の力を借りてる間は鋭いぜ」
誠也は竜索を引っ張り、再び呪力を通してルー・ガルーの呪力の鎧を崩す
直後、浦上と川本の攻撃がルー・ガルーを襲う
今度こそルー・ガルーは力尽き地面に倒れ伏した
「はん、言うほどじゃなかったな」
倒れたルー・ガルーを見て浦上は弓を下ろす
川本も警戒はしながらも銃を一旦は下ろす
誠也は竜索を手元に戻し、ふぅと一息つく
しかし、その時だった
「ぐふふ……やるねぇ、そうでなくてはこちらも本気になれん」
ふらーっとルー・ガルーが立ち上がった
誠也、浦上、川本はそれぞれ得物を構えるが動けなかった
ルー・ガルーがその体から発する異常なまでの呪力に圧倒されたからだ
「今宵はいい夜空だ。雲ひとつない…俺にとっちゃー申し分ない」
言うルー・ガルーの体から溢れる呪力がドンドン膨れ上がっていく
否、呪力をその体に集めているというべきか
呪力が膨れ上がるたびにその肉体に変化が現れてくる
彼の背後には夜の闇に浮かぶ雲ひとつない満月
「満月が発する呪力を体内に取り込んでる?」
「月を力の象徴、もしくは変化の起点と捉える魔術……まさか」
誠也たちの目の前でルー・ガルーは取り込んだ呪力で自らの体を変貌させていく
輪郭、骨格、肉体すべてが変貌し、獣のような体毛が体を覆っていく
目はするどくなり、口は裂け牙が鋭く光る
手の爪が長く伸び鋭利な刃物のような鋭さを持ち、足の筋肉は異様なまでに発達していた
怪人と呼ぶに相応しい容姿へと変貌したルー・ガルーはその獣の口から涎を垂らしてグルルルルとうなる
そして大きく口を開けて夜空を仰ぐと特大の咆哮をあげた
「ガァァァァァァァ!!!!」
その異形の咆哮と同時、屋上に配置されていた生贄の儀式の本式が起動した
地響きと共に横浜市内に施された補助術式から赤い光柱が天へと昇っていく、それらは夜空に横浜市内を赤く照らし覆う巨大な術式となる
生贄の儀式が起動し始めた証であった
その光景を見て、誠也は舌打ちする
術式の赤い光に照らされて、赤い輝きに染まる異形を見つめ川本に声をかける
「川本、頼めるか?」
聞かれた川本は一瞬ためらったが
「まぁ、この局面じゃ仕方ないか」
「だな」
浦上も同意して頷く
川本は意を決して誠也や浦上に背を向けると隠れている樟葉たちの方へと向かう
それを視界の隅で確認して、誠也は異形へと向き合う
人が異形へと変貌する。それは世界中で多く見られる獣人伝説における獣化
土俗信仰やシャーマニズムにおける人狼症
そして動物の精霊が憑依して獣化する獣憑き
それらの中で最も有名な獣人、それこそ人狼症という名前からも分かるとおり人狼。ヴリコラカスだ
わかりやすく言えば狼男
イングランドではワーウルフ。ドイツではヴァラヴォルフ
そしてフランスではルー・ガルー
「ったく……ルー・ガルーとはまんま名乗りやがって」
言って誠也はその手に宝棒を構える
浦上も弓をルー・ガルーへと向ける
そのルー・ガルーはゆっくりと視線を誠也に向けると口を大きく開いて雄叫びをあげて地面を蹴り、一気に誠也へと襲い掛かる
あっという間に距離を詰めたルー・ガルーに対し誠也は宝棒で攻撃をかろうじて受け止めるにとどまった
(こいつ、速っ!)
「この姿での最大の欠点は魔術を思い通りに扱えないんでな。獣の力しか振るえんのよ!」
言ってルー・ガルーは鋭利な刃物と化した爪を恐るべき速さで振るう
誠也は慌てて宝棒を盾へと変換する
鋭利な爪が盾にぶつかり金属が擦り切れる嫌な音が響く
「調子に乗るなよ!」
誠也へと攻撃を加えるルー・ガルーの横に浦上が弓矢を引いて現れる
ルー・ガルーへと一気に矢を放つ
「ふん」
しかしルー・ガルーはちらっと見ただけで攻撃を加えていない方の手を矢へと向けると閃光を放って矢を弾く
矢を弾かれた浦上は舌打ちして再び矢を射る
「何が魔術を思い通り扱えないだ。ふざけやがって」
毒づく浦上は無作為に矢を連射で射る
それらをルー・ガルーは閃光を放って防いでいく
人狼は世界各地に存在する神話や伝承、民話に登場する狼のような激しい戦い方をする戦士だ
呪いによって狼にされたものや、神の怒りに触れ狼の姿となったもの
魔術によって狼の力を得る狼憑き
悪魔との契約の証など様々だが、やはり戦士というイメージが強いのは
北欧神話において主神オーディンの神通力を借りて戦うウールヴヘジンやベルセルクの影響だろう
「くそ!オーディンのご加護ってか?」
閃光による防御を崩せない浦上は弓に三本の矢をあてまとめて射ろうとするが
直後、その矢をあてるまでの一瞬のタイムラグのうちにルー・ガルーが浦上へと詰め寄る
「何!?」
振り上げられた拳は浦上に矢を射る時間を与えることなく浦上の頭部へと振り下ろされる
「皆、今すぐここから脱出するわよ!」
戦線を離れ、屋上入り口近くから様子を窺っていた樟葉たちのもとに川本が駆け寄ってくる
周囲を窺いながら言う川本に樟葉が怪訝な表情を見せる
「はぁ?何言ってるの?師匠がまだ戦ってます」
「樟葉ちゃん、これは誠也が言ったことでもあるのよ」
川本は周囲を警戒しながら皆を促す
「あの狼男、相当の手練よ。負けないにしても生贄儀式が完全起動するまでに打ち破るのは多分不可能ね」
「だから先に私達を逃がすと?」
「そういうことね。多分術式の起動補佐にまだ魔術師が潜んでる可能性があるから私からは絶対に離れないでね」
川本の言葉に有紀と吾妻は頷き、法善寺もおっかなビックリといった感じで頷く
しかし一人、樟葉は納得していない
「私は残る。師匠がまだ戦ってるもん」
ダダをこねる樟葉に川本は「はぁ」と溜息をつくと樟葉の襟首を掴み
「はいはい、気持ちはわかったからとっとと行くわよ」
「何すんのよ離せ!師匠がまだ戦ってるんだよ!置いてなんていけないよ!」
ジタバタする樟葉に川本は手を焼きながらも屋上を後にする
「樟葉ちゃんが残ったところで何もできないわよ。はい、もう暴れない」
「やだ!師匠のそばにいる!師匠と一緒じゃなきゃやだ!」
いつまでも駄々をこねる樟葉に流石に有紀や吾妻も苦笑して川本に聞いてみる
「川本さんはあの狼男倒せないんですか?銀製の銃弾が有効ってよく言いますけど」
「それは映画における架空の設定。そんなもの通用しないわ」
川本はあっさりと否定する
実際のところ少数民族の民話の中には「満月を見て狼に変身したが銀の弾丸を食らって死んだ」という逸話は存在するし
信仰の強さとは真意に関わらず、その敬謙さで変わってくる
そういった意味では銀の銃弾や銀の十字架もあながち通用しないとは限らないが
「あいつ、北欧に東欧、ギリシャにアジア、アメリカと世界各地の獣人伝説を取り込んでる。局地的な弱点は弱点になりえないだろうね」
川本は太ももに撒いたホルスターからドラグーン・マスケットを引き抜いて非常階段の入り口へと銃口を向ける
そして引き金を引いた
しかし銃口から弾丸が放たれることはなく、ドラグーン・マスケットが眩しい光を放っただけであった
同時、非常階段入り口の扉に記号が浮かび上がりガラガラと音を立てて扉の向こうの構造が造り変えられていく
数秒であっという間に非常階段は高速で地上へと下る対魔術用のエレベーターとなった
「さて、それじゃ下りるわよ」
言って乗り込もうとした瞬間、川本はくるっと振り返ってドラグーン・マスケットの引き金を引く
さきほどと違い、火花が散って空中で大爆発が起こる
「わ!?」
「なんですか!?いきなり!?」
驚く有紀、吾妻、法善寺は突然のことに呆気に取られるが
樟葉は元より川本とは犬猿の仲であり、無理やり連れてこられたという不満が爆発する
「何とち狂ってるのよ怪力魔女!さっさとここを出るんじゃなかったの?」
怒って詰め寄る樟葉の言葉を川本は聞いていない
たださきほど銃を撃った方向を睨んでいる
そんな川本の態度に樟葉はさらに腹が立った
「ちょっと!聞いてるの?」
樟葉が川本の顔を覗き込もうとした瞬間、川本はドラグーン・マスケットを持っていない方の手で樟葉を押して、横へと突き飛ばす
同時、川本も樟葉を突き飛ばした方とは反対方向に横飛びする
「わ!?ちょっと何すんのよ!!」
樟葉が叫んだと同時、さきほどまで二人がいた場所に強烈なつむじ風が巻き起こる
その威力はかまいたちのようで、あの場にそのままいれば体中が切り裂かれ最悪バラバラになっていただろう
それを見て樟葉は口を開いたまま川本の睨みつけている方を向く
暗い影の向こうから人影がこちらへとゆっくりと歩いてくる
女性的なシルエットを見せる人影の手がすぅーと動く
手にしているのはナイフだろうか?
その刃を指先でそっとなぞる。ボソボソとつぶやくのが聞こえた
「樟葉ちゃん伏せて!!」
人影の行動に川本は慌てて樟葉に叫ぶと目にも止まらぬ速さでドラグーン・マスケットを人影に向けて撃ちつける
人影と川本の間で呪力と呪力が衝突し衝撃波が周囲に撒き散らされる
「きゃ!」
咄嗟に伏せたものの、衝撃波を交わしきれずに樟葉はそのまま川本が作ったエレベーターの中へと吹き飛ぶ
「樟葉!」「大丈夫?」
有紀と吾妻、法善寺が慌てて樟葉が吹き飛ばされたエレベーターの中へと駆け寄る
エレベーターの壁に頭をぶつけた樟葉は頭を抱えて悶絶
痛みをなんとか押さえて顔をあげる
「あいたたた…何なのよ」
「ティマイオスの魔術師ね」
有紀の睨みつける先、暗がりから姿を見せたのは女性
胸元を大きく開け豊胸を強調する漆黒のドレス
褐色の肌と掘りの深い顔立ち、その外見から恐らくは東南アジアの人間
右手には東南アジア独自の波打った刃の短剣「クリス」が握られている
女性はニヤっと笑うとクリスの柄でトントンと肩を叩く
「あれを防ぐなんてさすがは英雄の一員ってことかしら。ようやくまともに張り合える相手にめぐり会えたってわけね」
女性の言葉で川本は相手の意図を悟る
「へぇー。自分で言うのも何だけど私が誰だが知ってて挑んでくるってわけ?」
「英雄の一員と煽てられて自信を持つのはいいことだけど、調子には乗らないことね。あなたレベルの魔術師、世界には大勢いてよ?」
「はん、言わせておけば」
川本は銃口を女性へと向ける。しかし向けられた女性はそれがどうしたといわんばかりの様子だ
「ミス・カワモト。それが私に通用しないとさきほどの一撃で理解しなかったのかしら?マスケット銃を使用しているのは術式を安定させるため、でもそれは下級魔術師のような未成熟な魔法使いのための処置。あなたのようなS級ランクが使用する術じゃないのではなくって?」
言われた川本は表情を一切変えず言い返す
「別段、S級が銃を使っちゃいけないってルールはないわ」
川本の返答に女性は苦笑する
「それもそうね。失礼、あなたがどれだけ幼稚な方法を使っていようとあなたの勝手よね」
「挑発してるつもりならやめたほうがいいわよ?時間の無駄」
「ふふ、それもそうね。では邪魔者の排除の時間にさせてもらうわ」
言って女性はナイフを持っている手を地面に平行するように伸ばす
「私はサリナ。混成宗教を用いて世界を正す者」
サリナと名乗った女性は自らの周囲に呪力をかき集めていく
その様子を見た川本はちらっと背後を見る。エレベーターの中に樟葉たち四人が乗っていることを確認すると
「あなた達は先に行ってなさい」
言ってサリナに向けているマスケット銃とは別のもう一丁のマスケット銃を引き抜きエレベーターの壁を撃つ
「わ?」
驚いて地面に伏せた四人は、そこでエレベーターが稼動したことに気付く
「ちょ…これって!?」
「川本さん!!」
慌てる四人に川本は振り返って笑顔を見せる
「D級ランクには背伸びしてもしきれない戦場よ。さっさとここを脱出して横浜から離れるのよ」
川本の言葉に樟葉たちは言い返す間 もなく恐るべき速さで地上へと降下していく
そんなやり取りを黙ってみていたサリナは
「いいのかしら?下級魔術師でも盾にするくらいの使い道ならあったと思うけど?」
小馬鹿にした調子で言ったが
「うるさいわね」
川本の周囲を包み込む空気が一変したことによってサリナの表情も引き締まった顔となる
「あんまりうるさく騒いでると、二度と舐めた口が聞けない顔になってしまうけど別にいいてわけね」
再びサリナの方を向いた川本の表情は樟葉たちに見せた表情とはまるっきり違っていた
ひどく冷たい魔女の表情
魔術師、川本恵美が自らに施していたリミッターを解除した瞬間だった
浦上の目の前へと詰め寄ったルー・ガルーは拳を振り上げ浦上の頭部へと振り下ろす
並の魔術師なら頭部を潰され絶命していただろう
しかし
「おしてはるさめ」
浦上は短く祝詞を唱える
矢を引いて射る時間もないほどの至近距離で矢を射ることをやめ
祝詞とともに弓の弦を弾く
それはまるで琴を奏でるように音を響かせる
直後、異変が生じた
「!!」
拳を振り下ろしたルー・ガルーが衝撃波に拳を弾き返されたのだ
浦上が弾いた弓の弦を始点として音の波長が輪のように広がっていく
その波長がルー・ガルーの拳を弾いたのだ
「何だ!?」
驚くルー・ガルーは地面を蹴って大きく後ろに下がって浦上から距離を取る
怪訝な表情をするルー・ガルーに浦上はニヤリと笑う
「驚いたか?弓矢を用いた魔術は矢の威力を変えるだけだとでも思っていたのか?」
浦上の言葉でルー・ガルーはようやくさきほどの攻撃の意味に気付く
「そうか…神音!」
神音、それは神々へと捧げる神聖なる祈り
音を神に捧げる、もしくは神々が奏でる音を賜る行為は神道に限らず民間信仰や民族宗教では欠かせない祭事だ
とりわけ神道では巫女が神楽舞を披露する際に鳴らし、邪を清める神楽鈴
祭事の際に穢れや邪を境内に入れぬよう魔除けに鳴らす梓弓など音に関わる儀式が多い
浦上が使用したのはその中でも鳴弦の儀と呼ばれる弓に矢をつがえずに弦を引いて音を鳴らして邪気を祓う退魔儀礼だ
元は平安時代、出産の際の魔気祓いとして始まったとされ
それが発展し病気の治療、天皇入浴の際に外敵を近づけさせない音結界と発展していった
「なるほどな、さすがは英雄というわけか……一筋縄ではいかないな」
ルー・ガルーは愉悦に満ちた笑みを浮かべると再度、恐るべき速さで浦上へと襲い掛かる
しかし、ルー・ガルーが体勢を立て直すために距離を取っていたことで浦上にも体勢を立て直す時間が生じていた
今度こそ浦上は弓に矢をつがえる
今度はさきほどの鳴弦の儀と違い鏑矢を用いた儀礼である蟇目の儀
高い音を鳴らす鏑矢は風を切り、音を発しそれによって魔障を退散する効果があり
今でも弓道大会では無事を願う祓の蟇目に京都・下賀茂神社の葵祭りの前儀として勅使の通る楼門を祓う屋越の蟇目
懐妊、出産の際に胎児の健康と成長を祈り、畳の裏と天井の裏の最も汚れた魔障の巣を祓う誕生蟇目などがある
浦上は迫り来るルー・ガルーへと矢を射る
人狼たるルー・ガルーにとって、飛んでくる矢をかわすことなど取るに足らない動作だ
しかし射られたのは退魔儀礼の鏑矢だ
驚くほど高い音を立てて飛んでくる鏑矢をルー・ガルーは避けられない
音が奏でる呪力がルー・ガルーを縛りつけ、退魔儀礼へと磔る
一瞬動きが止まったルー・ガルーへと誠也が一気に畳掛ける
「おらぁぁぁぁぁぁ!!!!」
その手には状の頭部に複数の棘を備えた殴打用合成棍棒、モーニングスターが握られている
誠也はさらに檀陀印を結び呪力をモーニングスターに集結させて恐るべき破壊力を生み出す
渾身の破壊の打撃がルー・ガルーへと振り落とされた
横浜ランドマークタワー一階
高速で地上へと舞い戻ってきた樟葉たちは皆一様に目を回し、フラフラとおぼつかない足取りで出口を目指す
ランドマークタワー入り口の扉を開けると皆そのままドミノ倒しのようにドバァっと外へと倒れこむ
川本が魔術で組み立てた高速降下エレベーターの速度があまりにも速すぎたのだ
なんとか立ち上がるもまだ感覚がおかしい
流石にこれでは生贄の儀式が完全起動するまでに横浜を出れそうにない
吾妻は懐から霊符を取り出し
「霊符を使って感覚を戻すわ、皆近くに来て」
吾妻の言葉で皆が吾妻の傍に集まる、それを確認して吾妻は霊符を掲げた
すると霊符が輝き皆を光で包みこんだ
あまりの眩しさに目を閉じた樟葉は、次に目を開けたときにはなんともなくなっていた
「これって」
「酔いをさます霊符ね。本来なら祭りの際、境内で酔いつぶれて倒れてしまう人対策の代物なんだけど」
言って吾妻は霊符を懐にしまう
そもそも何故酔い覚まし効果の霊符を今もって持っているのか疑問なのだが、そこはつっ込まないようにしよう
「それじゃ、とにかくここから遠ざかって」
「というより、横浜市内から出ないとまずいんじゃありませんこと?でも市外ってここからどれくらいあるんですの?」
法善寺の言葉で樟葉たちはそういえばといった顔になった
頭をひねって考え、出た結論は
「とりあえず海に飛び込めばOKじゃない?」
超安易な考えだった
とはいえ四人の中で高速で移動できる手段を持った者はおらず、生贄の儀式が起動を開始した今横浜市の上空全域を術式が覆っている
もはや電車やバスといった公共の移動手段は麻痺しているだろう
となれば海まで全力疾走し飛び込むしかない
それでも横浜市領域から出たことになるかどうか
「とは言っても立ち止まってちゃ水結晶の一部にされるだけね、とにかく急ごう」
四人は海岸めざし走り出す
走り出してからかなり走ったところだった
まだランドマークタワーは後方に大きく見えている
そんなランドマークタワーの最上階付近で大きな爆発が起きた
大きな音と振動に驚いて走りながらも四人は振り返る
黒い煙がもくもくと壁から立ち上がる
位置的に考えて恐らくは…
「まさか…川本さんが負けたってことはありませんわよね?」
法善寺の言葉に吾妻と有紀は黙って何も言わなかった
「はん、もしそうならライバルが減ってせーせーするわ」
樟葉が言うとどうにも冗談に聞こえないが、誰にも真相を今確かめる術はない
自分達下級魔術師があの戦場でやれることは何もないのだから
ひたすらに走り続けて体力も限界に近づいてきた時、道路の向こうに人口の海岸が見えた
術式が完全起動し、街が水結晶化するのも時間の問題だ
はやくあそこまで行き海に飛び込まなくては
そう思った直後だった
「そんなに急いで…どうしたんですか~?」
どこからともなく声がした
いきなり声が響いたことに四人は足を止め周囲を窺う、直後ゾクっと背筋が凍るような感覚に見舞われた
「何?今の」
四人はそれぞれが背中を合わせてすべての方位を警戒する
「ここまで来て、またティマイオスの魔術師?」
「こんなところにまでいるって何なのよ」
警戒していた吾妻はふと道路の先に立っている信号機の上に人影を発見する
「あそこ!」
吾妻の言葉に皆が信号機の上を見る
四人の視線を浴びて、信号機の上に立った人影は不気味に笑う
その人影はひどく痩せこけた印象の男だった
まるで生きていないように血の気の引いており、着ている服もボロボロの布切れのようなコート
そんな見るからに生きる目的を失ったようなそのなりに、狂気が渦巻いている
「あぁ…ひどく退屈していたところにいい退屈しのぎがやって来たねぇ」
痩せこけた男は何もない空間へと手を伸ばし、まるで動物の頭を撫でるような動作をする
ただの一般人が見れば不可解な言動も魔法使いにとっては別の光景に見える
すなわち痩せこけた男のとなりに巨大な狼が鎮座しており、その狼の頭を痩せこけた男が撫でていたのだ
「さ~て、餌になってくれるのは誰かな~?」
痩せこけた男の言葉で樟葉たちは身構える
ただし、誰しもが勝てるとは思っていない
痩せこけた男の周囲に漂う呪力は異常だ、どう考えても相手はS級ランク
身構えながらも動けない樟葉たちを見下ろして痩せこけた男は巨大な狼に命令する
「餌の時間だ。食い散らかせ」
即座に巨大な狼は樟葉へと襲い掛かる
「っ!」
(速っ!?間に合わな…)
槍を突き出す間もなく巨大な狼が口を開き鋭利な牙でもって樟葉の喉を噛み切ろうとした時だった
「樟葉さんには指一本触れさせん!!」
夜空を染める赤い術式の光を割って上空から謎の輝きが降り注いでくる
何か魔術にでも当てられたか、巨大な狼は樟葉の手前で空中静止している
有紀、吾妻、法善寺が何だ?と見上げ、さきほどの声に嫌な予感がした樟葉が恐る恐る顔を上げる
すると上空に水の壁が出現する
まるで水槽の中に作った通路の天井を見上げているような感覚を持った次の瞬間
上空の水の壁からポタポタと水が滴り落ちてきて、やがて決壊したかのように一気に水が押し寄せてくる
しかしそれは渦巻いて一点に渦巻いて集束し巨大な狼へと突き当たる
膨大な量の水で形成された水流の一撃を受けて巨大な狼が遠くへと流される
「うそ」
「すごい」
有紀と吾妻は感心した声をあげ法善寺は開いた口が塞がらない
一方助けられた樟葉は、しかし胡散臭そうな顔を上空へと向ける
そこには
「見たか!俺様の真骨頂!!」
一つの人影が無駄に空中でクルクル体を回転させながら落ちてきて地面に着地すると無駄にポーズを決めて振り返る
「愛する妻を護るため、天下無双の村正様降臨!!もう安心ですよ樟葉さん!この村正様が来たからには強姦魔の一人や二人どうってこと…」
「誰が妻か!!ていうかお前が強姦魔だろ!このストーキング変態ヤロー!!!」
無駄に意識した登場を決めた村正のセリフを最後まで聞くことなく樟葉の飛び蹴りが村正のお腹にクリーンヒット
「ぐふぉぉぉぉ!!!!敵は俺じゃないよ樟葉さん!!」
「黙れ!地に帰れ!!消え去れ!!!」
樟葉の右拳が綺麗に村正の顎にクリーンヒット
言うまでもなく村正はしばらくの間宙を舞って2メートルほど向こうに落下
「敵がすぐそこにいるっていうのに援護に来た味方をぶっ飛ばすとは、さすが樟葉」
「くずきりアッパー恐るべし」
「どっちが敵だがわかりませんわね」
ぞれぞれコメントを送る三人は息が荒く肩を呼吸をしている樟葉にぶっ飛ばされた村正の哀れな姿を見る
というか今の技は何だったのだろうか?とても村正一人で行なったとは思えない
「水を扱っていたってことは八目第二眼…水の式なんだろうけど」
「あれだけの威力、彼単体で出せるはずが」
言った直後、再び上空に謎の輝きがまたたく
これを痩せこけた男が忌々しそうに見つめ、立っていた信号機から大きく後ろに跳び下がる
直後上空からどこから落ちてきたのか、マンションの工事現場などでよくみかける骨組みとなる巨大な鉄筋コンクリートが恐ろしいスピードで落ちてくる
それはついさきほどまで痩せこけた男が立っていた信号機へと突き刺さり意図も簡単に破壊した
そんな光景を痩せこけた男は忌々しく見つめる
「法善寺良子め」
痩せこけた男の見つめる先、空から二人の人影が落ちてくる
一人は和服を着こなした大和撫子な雰囲気を醸しだす女性
法善寺良子。霊媒能力において絶大なる力を持ち、霊能系であるにも関わらず魔術師相手でも気後れしない
法善寺組子の姉である
もう一人は眼鏡をかけた少女で、樟葉たちのよく知る人物
現在、法善寺良子のもとで霊媒能力の修行を受けている青山真紀
二人の登場に樟葉たちは何が起こったのかといった表情となる
とりわけ法善寺は姉の突然の登場に開いた口が塞がらない
そんな一同を置き去りに法善寺良子は痩せこけた男を一瞥すると
「あら?見ないうちにまた一段と痩せこけたんじゃない?津村淙庵」
「ほう、言ってくれるね~そういう君は見ないうちにまた太ったんじゃないのかい~?」
「あらあら、女性にそのようなことを言うなんて…これは死刑確定ね」
「出来ることならやってみたら~?メス豚」
「あらあら言葉の悪い、誰がメス豚だって?」
「お前以外に誰がいる?」
「ふふ、本当に……コ・ロ・シ・テ・ア・ゲ・ル」
負のオーラを纏った笑顔なのにブチ切れてる法善寺良子は霊符を取り出すと
「南無阿弥陀仏」
唱えて霊符を掲げる
法善寺姉妹は霊能者。しかしAMMの系統識別表においては仏教宗派・浄土宗系の魔術師とされている
浄土宗、それは日本仏教の代表的な宗派
宗祖である法然上人の阿弥陀如来を信じ 「南無阿弥陀仏」と唱え信仰し続け、良き行いを行なえば極楽浄土に往けるという教えのもと
魔術的側面では阿弥陀如来の加護を一身に受けるものである
法善寺良子の周囲に辺りに散乱している自転車や、生贄の儀式発動での異変で恐怖で我を忘れてどこに逃げるでもなく
ここから逃げ出さなければという恐怖に煽られた者がパニックのうちにガードレールなどに車をぶつけて動かなくなり乗り捨てた自動車など
多くの鉄製のものがまるで竜巻のように渦巻きだす。そしてその渦を痩せこけた男、津村淙庵へと放つ
「まったく…容赦ないね~」
津村淙庵はニヤリと笑うと自身の周囲の空間を歪ませる
歪んだ空間から大小様々な異形が出現し、法善寺良子の放った攻撃を受け止める
それを見た法善寺良子は傍らにいる弟子に指示を飛ばす
「真紀!阿弥陀経の準備を!」
「はい!」
返事をすると真紀は懐から経典を取り出す
阿弥陀経と書かれた表紙を手に取り、さっと中身を一気に開きバトンを舞わすようにクルクルと自身の周囲に長い一続きの紙を展開していく
それを見た法善寺良子は今だ開いた口が塞がらない妹にも指示を飛ばす
「組子!観無量寿経の準備を!」
「へ?」
言われた法善寺組子は一瞬わけがわからないといった顔をしたが
「とっととする!」
法善寺良子の怒鳴りで慌てて懐から経典を取り出し姉の下へと駈けて行く
良子を中心として真紀とは反対の位置に立つと、真紀と同じく経典を広げて自身の周囲に展開する
最後に法善寺良子が無量寿経と書かれた経典を取り出し二人と同じ容量で展開すると一気に呪力が倍増
恐ろしいまでのオーラを放つ
浄土宗の教えである浄土三部経を同時展開することによって弥陀三尊(阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩)の力を一気に引き出す秘術だ
莫大な呪力は法善寺良子の持つ霊符へと集束し、それを解放するキーとして法善寺良子は浄土宗の宗歌を唱える
「月かげのいたらぬさとはなけれどもながむる人の心にぞすむ」
宗歌と共に霊符を掲げる
すると津村淙庵を襲っていた自動車や自転車、バイクなどの産業廃棄物の渦に新たに退魔儀礼の効果がプラスされる
「何!?」
驚いた津村淙庵の周囲から異形が次々と光に包まれ消えていく
「浄霊効果を付加させやがったなメス豚!!」
今までにない怒りに満ちた声をあげ津村淙庵がその場から飛び去る
直後、異形の妨害を打ち消した産業廃棄物の渦が恐るべき重量と破壊力を持って、さきほどまで津村淙庵がいた場所を押しつぶす
法善寺良子はすぐに別の場所へと霊符を向ける、そこには津村淙庵が立っていたが
「あぁームカつくね~ムカつくけどタイムオーバーだ。すぐにここは水結晶になる。決着は次に持ち越すとしよう」
津村淙庵は言って自身の周囲を歪ませる
今度はその歪みから異形を呼び出すのではなく、歪みの中に自身の体を沈みこませその場から姿を消した
「逃げたか」
法善寺良子は霊符を懐に戻す、そして今だ緊張で体がガチガチの真紀の頭にポンと手を置く
「初陣にしては上出来だったわ」
「は、はい!ありがとうございます!」
頭を下げる真紀を見て弟子の上達振りを嬉しく思い、顔がほころぶ良子だった
逆に今だ上達の気配がないトラブルメーカーの妹の頭にはゲンコツを飛ばす
「あ痛!痛いですわよお姉様」
「痛いじゃないでしょ!突然極東支部を抜け出したって聞いてビックリしたわよ!何考えてんのかしらこの子は!?」
「痛い痛い!痛いですわよお姉様!連続で叩くのはなしですわ!暴力反対ですわ!」
「うるさい!人様に心配かけておいてこの程度で済むわけありません!」
じゃれてるようにしか見えない姉妹を他所に真紀のもとに樟葉が駆け寄ってくる
「真紀~~~~!」
「樟葉!無事でよかった!」
「すごいじゃない!数週間であんな術使えるなんて!」
「別にすごくないよ、私は良子さんの補助を行なっただけだし」
「それでもしっかり術を安定させてた、数週間でここまでこなせるのはそういないよ」
「吾妻にそう言ってもらえるとなんだか照れるな」
わいわいとしゃべっている樟葉たちを見て法善寺良子は懐からさきほどの戦闘で使用したのとは別の霊符を取り出す
「皆、とりあえず近くに来てくれるかしら。霊符で横浜から脱出するわよ」
法善寺良子の下へと樟葉たちは集まる、だが
「あの、良子さん。ちょっと待ってくれませんか?師匠がまだ…」
樟葉の切実な表情を見て法善寺良子は樟葉の肩に手を置く
「本当に沖山君のことが好きなのね鴇沢さんは」
「当然です!師匠がいなきゃ今ここに私はいません!」
「そうよね、命の恩人でもあるのよね。二年前の事件…あれは最悪だったわ」
法善寺良子は少し思い出すように言う
樟葉は当時を思い出して寂しい表情となった
二年前の事件、沖山誠也が英雄と称されるに至った事件
沖山誠也、川本恵美、浦上雅、その他二名の計五名。
当時東洋最強と言われた布陣が、当時最凶と言われた魔術結社「邪蛇の牙」を壊滅させた事件
当時欧州統括本部長だったロニキス・アンドレーエがAMMを裏切った事件
鴇沢樟葉が天使術に目覚め、家族を失い、沖山誠也と出会った事件
色々な意味合いを持つ、樟葉にとってはまさに始まりとも言えるあの事件
その当時を思い出させて法善寺良子は言う
「でも、そんな事件であれだけの成果をあげた沖山君がこんなところで負けると思う?」
「そんなことない!師匠が負けるわけないもん!」
「だったらここで待つより外で待ちましょう。もしかしたらもうとっくに脱出してるかもしれないでしょ?」
樟葉は何だか言い返せなくなった、そんな樟葉の様子に法善寺良子は頷くと
「それじゃ行くわよ」
脱出のための霊符を起動させる
光に包まれた一同はその光ごとはるか上空へと飛び上がっていく
やがて夜空に光る一筋の光となった時
生贄の儀式が完全起動し横浜市全域を呪力が飲みこみ巨大な水結晶がまたしても関東平野に出来上がってしまった
日本政府が仮初めの首都として暫定的に政府機関を置いていた横浜はここに魔術結社ティマイオスの手に落ちたのであった