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エピソード4:生贄の儀式

不吉な予感はあった

むしろ世界中がそれを感じ取っていたと言ってもいい

欧州はもちろん、世界中でも五本の指に入ろうかという絶大な力を持つ占い師

占星術師リーシャ・ブライト

まだ三十歳になったばかりだというのに、AMM統括本部において占星術において右にでる者はいないとまで言われている

そんな彼女はAMM統括本部でも名の知れている誠也とは二年前の事件を機に知り合いとなっている

その彼女がそれを視たのは昨日、日付が変わってまもなくのことであった

丁度、日本においては千葉は君津市で樟葉たちがケルピーと交戦状態に入った時のことである

リーシャは不吉な降交点、そして天王星と冥王星

ホロスコープに示されたそれらに懸念を示し誠也へと連絡した

樟葉の野外活動における無事を占ってもらっていた誠也だったがリーシャからの知らせは予想を超えていた

出た結果は樟葉の身の安全とは大きく離れた、世界に迫る暗い影であったのだ


占星術、特に西洋占星術の惑星近代式では降交点は悪影響をもたらす、人からエネルギーを流出させる不吉な傾向がある

また近代発見された惑星である天王星、海王星、冥王星は「非個人的な」惑星と考えられている

個人よりも社会での広い潮流や衝撃を表し、世界に影響を与える暗示を大雑把に持っている

とりわけ冥王星は個人では死を、全体では生活の局面の始点と終点を意味する

天王星は反乱や型破り、旧体制の破壊、革新と創意

それは露骨過ぎた、あまりにも何かが起きると言っているようなものだった

リーシャから送られてきた結果を見た誠也はすぐさま極東支部長、山北琢斗に連絡を入れた

誠也からの連絡に琢斗はすぐさま警戒令を発動する

ただの占い師の言葉なら軽く流したであろうが、占ったのがリーシャとなれば話は別であった

正確な事柄まではわからなかったが何かが起こるかもしれない

最近は感じず忘れていた不吉な予感が心ざわつく

同じく誠也は日本においての有力な占い師である風水師、張吏伯に占いを依頼した

不吉な予感は大きくなり、胸騒ぎが大きくなる



「それでね!私がガブリエクラスターをドドーンって撃ってやっつけたの!すごいでしょ!ガブリエクラスターですよ!?幻獣を倒したんですよ!?」

「あぁ、わかったわかった!それもう十回目だぞ」


朝、テーブルを挟んで座る樟葉と誠也の前には朝ごはんである炊き込みご飯と味噌汁が置いてある

その茶碗に入ったご飯を口に運びながら樟葉は意気揚々と野外活動での自分の功績を誠也に語っていた

それは今に始まったことではない。昨日帰ってきてから永遠と続いている

最初は弟子の成長に驚きと喜びを感じた誠也もさんざん聞かされてすでにうんざりであった

なので今は適当にあしらっている


「いいえ、まだ師匠は聞き足りないはずです!そして私はまだまだ褒めてもらいたいです!もっと褒めて欲しいです!」

「はいはい、よくやった。えらいぞー。すごいぞー」

「きゃーん!師匠に褒めてもらっちゃったー…って師匠感情がこもってないです!愛弟子への愛が感じられないです!」

「あのな……もうその話は何回も聞いたし、いい加減その話題ばかりは飽きが来るってもんだろ」

「むぅー……師匠のバカ!女の子の気持ちを全然理解してないです」


むすっとした顔で樟葉は茶碗のご飯を口の中へと流し込む

その様子を見ながら、誠也は考える

樟葉の話ではガス漏れが起こった直後に精霊獣が生れている

どう考えても異常だ。それは魔術師がガス漏れを引き起こしたということ

そして精霊獣は最初から上位の存在たる幻獣に進化していた

しかし現地に魔術師が外部から入り込んだ形跡も気配もなかった

考えられるのはひとつ、内部に強力な魔術師がいたということ

樟葉の話では四人以外で魔術師の気配はまったくなかったという

D級ランクとはいえ、同じ魔術師に存在をさとられないよう気配を消しているのだろう

つまり樟葉の通う中学校にはAMMに敵対する魔術結社の相当な術者が紛れているということになる


「心配だな……」


ボソっと呟いた誠也の言葉を当然樟葉は聞き逃さなかった

今の今までのムスっとした顔はどこかへ吹き飛び目を輝かせて身を乗り出す


「師匠!私のことが心配なんですか!?やっぱり師匠は私が心配なんですよね!?」


口元に米粒をつけて目をキラキラさせる樟葉を見て誠也は溜息をつく


「大切な弟子の心配をしない師匠がいるか?」


言って誠也は布巾を取るとすっと手を伸ばして樟葉の口元についた米粒をふき取る

その動作に樟葉が顔を真っ赤にさせる

そしていつものようにハイテンションとなった


「きゃー!師匠ヤダァー!!愛の告白ですー!やーん!どうしようー!」

「誰がいつ愛の告白をした」

「今さっきですよ!」

「はぁ……はやく食べろよ。遅刻するぞ」

「ぶー!朝の貴重な夫婦の時間を一秒でも味わっていたいのにー」

「いつ夫婦になったんだ?バカなこと言ってないで早く支度しろよ」


時計の針が示す時間を見て誠也は言った、もうそろそろ有紀がベルを鳴らす頃合だ

ちなみに隣に住んでる有紀は誠也が保護者代行であるため、当然一人暮らしであるのだが以前は誠也のところに朝夕とご飯を食べに来ていた

しかし最近めっきりとご飯を食べに来なくなった。理由は朝のこの光景が原因であるのだが

樟葉はそれに気付いていなく、なぜ最近食べに来ないんだろうと不思議に思っている


「では師匠、行って来ますね!」


軍隊で兵隊が行う敬礼の動作をすると樟葉はスキップして玄関の扉を開ける

外では有紀が腕を組んで待っていた

そのまま樟葉は玄関を出ると誠也に手を振ってドアを閉めた


樟葉がいなくなった部屋の中は静まり返っていた

まさに嵐が通り過ぎた後のような静けさ

そんな部屋の玄関で樟葉が登校したのを見送った誠也は溜息を一つついた

やれやれ…そんな思いをつさきほどいた愛弟子に感じ

次の瞬間にはそんな思いも表情も誠也から消えていた

踵を返して、居間へと戻る

テーブルに置かれたノートパソコンを開いてメールを確認する

一通の新着メール。それは風水師、張吏伯からのものであった

メールの内容を確認して誠也は携帯電話を手に取る

電話をかけるとツーコールもしないうちに相手は電話に出た



「うーん、なんだが帰ってきた次の日から学校ってちょっと嫌だよね」


うーんと両手を大きくあげて有紀が言った

確かに昨日までは授業とは無縁だったのに今日からいきなり現実に引き戻される

その感覚はどうも慣れない

それ以前にもっと師匠と向こうであった出来事を話したかった

しかし、強力な魔術を行使した影響もあるのか眠気に勝てず色々話すうちに眠ってしまった

朝、その眠ってしまった分を取り返そうと色々と話そうとしたが誠也の一言ですべてどうでもよくなってしまった

師匠はちゃんと自分を心配してくれるし、大切に思ってくれている

そう思うと心が温かくなっていく

いつしかそれは顔に出てニヤーとした表情となっていた


「随分ご機嫌ね。なんかあった?」


有紀に言われてようやく自分が半笑いになっていたことに気付く

そんな浮かれ具合に樟葉は頭を掻いて。あははと軽く笑った


「わかる?わかっちゃった?」

「あんたのはすぐ態度に出るからわかりやすい」

「やーん、やっぱり幸せというものは押し隠せないのね!実はね」


有紀の溜息と共に樟葉のいつものお惚気話が始まった

見上げれば快晴、いつもの平和な日常がいつもと変わらずここにある

誰もがそう思っていた

誰が思い浮かべるだろうか?突然この平和が壊れるなど

これほど現実というものが脆くはかない物だと



その日の学校はいつもと変わらぬ朝であった

教職員も生徒も皆、誰もがいつもと変わらぬ日常を今という二度とない一度だけの時間を過ごすためその門をくぐる

そこにこの先に起こる非日常など誰も不安がる者はいない

そんな奇想天外なことを誰が想像できようか?誰が予想できようか?

古の預言者たちの残した終末の予言を笑い飛ばす者達がどうして一秒先の破滅を予知できよう

それは不可能な話だ。だからこそ、現代社会はそういった方面に極端に脆い

今ある科学を万能と信じ、科学で測れないことを否定する文明には未来はない

まさに、今現代文明は終末を迎えようとしていた


「あ、あづっち!おはよう!」


教室の扉を開けた樟葉は自分の机に座って友人と話をしていた吾妻に声をかける


「くーちゃん、ゆっきー、おはよう。ぐっすり眠れたみたいね」

「あれ?わかる?」

「そりゃねー。あれだけ呪力を消費したのに人並みに復活してる。よく眠れた証拠よ」


言う吾妻は教室の一角を見る


「まぁ寝もしないでオールしたらすぐわかるけど」


そこではいつもの調子のよさが一切見られない、目の下にクマを作った村正がいた

どんよりとして屍のように動かない。なるほど朝が快適なわけだ


「ま、これで今日一日は大人しくしてるでしょ」


言ってる間にほとんどのクラスメイトが登校を終え、予鈴のチャイムが鳴る

皆、自分の席についた所で担任の教師が入ってきた


朝のホームルームの際はクラス全員が席についていた

担任が教室を後にすると一時限目が始まるまでの数分は自由時間となる

一時限目の国語担当の教師が教室に来るまでの間が友達と、近くの席の子と他愛もない話で盛り上がる

そんな中、クラス内でも存在感のない無口無表情少女である八幡さつきは席を立って教室を出た

それを気にかける者は誰もいない

元より存在感が極端に薄い

加えて誰とも話さず、話しかけられても無視するためクラス内で進んで親しくなろうとする者はいなかった

いつも自分の席で分厚く古い異国語の本を読んでいる

(この本が高度な魔導書グリモアだとは誰も知らない。しかも、毎回変わる本のタイトルの中にネクロノミコン、レメゲトン、エイボンの書など常人が一目見たなら狂乱して脳を破壊され魂ごと後世まで呪われかねない危険な物が混ざっているなど夢にも思うまい。彼女が何を読んでるのか覗こうする生徒がいないことが幸いであった)

そんな彼女の言動を気にする者は誰もいなかった

だからこそ、この時クラス中の誰もが八幡さつきが席を立って教室を出たという事実を

認識できる者はいなかった

唯一、クラス内にいた樟葉たち以外のもう一人の魔法使いという情報で気にかけていた真紀でさえ

八幡さつきが教室を出たことに気付いていなかった


「おーい、早く教室に入れよー」


廊下を歩いていた教師は教材片手に廊下で話し込んだりしている生徒に声をかけ

教室に戻るよう促す

そんな教師は真っ直ぐこちらに歩いてくる八幡さつきを見て、他の生徒と同じく声をかける


「こら!どこ行くんだ!もう授業だぞ、教室に戻れ!」


しかし、言われたさつきは気にした風もなく、教師の言葉を無視してスタスタと歩いている

ちょうど教師の前まで歩いてきた時、教師は今さっきと違って少し怒鳴った


「おい!聞いてるのか!」


言われたさつきはそこで始めて教師を見た

ギロっと鋭い視線で教師を睨む

その視線に教師はたじろいだ

魔術の知識がない教師にはわかるはずもないが、さつきは睨んだ視線に小さく呪力をこめていた

呪力のこもった視線で睨まれたら呪われる、洗脳される

古い言い伝えにはよくある話である

しかし、その言い伝えを知っていても魔術の知識がなければ防げるはずがない

教師は抗うことも出来ず、理解することもできず、さつきに一時的に脳を乗っ取られた


「邪魔です」

「……はい……すみません」


白目を向いて口を開いた、他が見れば明らかにイッてしまった状態となった教師はまるでロボットのようにぎこちない動きで道をあける

さつきは何事もなかったかのように教師の横を通り過ぎた

そのまま階段を登って屋上へとやってくる


屋上の入り口の扉に結界を貼って屋上へ他者が入れなくすると、さつきは屋上のスペースをぐるっと回って見渡せる中心部分にやってくる

そして、そこで片膝をついてしゃがむと首にかけていたペンダントを取る

右手を地面にかざして、左手でペンダントを握ってゆっくりと揺らす

悪魔の翼を模したペンダントが数回揺れた時、さつきは目を閉じて何事が呟いた

するとさつきの周囲に奇怪な紋様が浮かび上がった

それはまるで誰かの血のような鮮血の色を浮かべてさつきがいる場所を中心とした紋章となる

その紋章の中心でさつきは目を開いて立ち上がる


「この空間を仮初めの神殿とします。たった今を持ってこの屋上は生贄の儀式を司る聖なる祭壇…神官たる私に従いなさい」


さつきの言葉には力が宿っていた。力を持ち、意味を成した言葉は自然の精を呼び寄せる

周囲の空気が濃くなったのを確認するとさつきは呪文スペルを唱えだした

その言語は遠い昔、中央アメリカで繁栄したマヤ語のひとつ

その言葉と共に周囲の空間がねじれて行く

古代の神官や神子たちは大掛かりな術式。世界を捻じ曲げるほどのものを定期的に行っていた

それは魔術師達が想いを馳せる神代の時代とも言う「AMMという管理組織がなかった時代」だ

その当時はそれが宗教的意味合いを持ち、作物の豊作を祈る神への奉納でもあったのだ

現代においては世界の理を容易に変える危険性を持っているためAMMが最上級の禁忌術式に指定している大魔術

大地への生贄の儀式

現代においては大小を含め、それは絶対たる禁忌

大いなる昔に消え去った野蛮な文化

それを知っていて、だからこそさつきは行う

生贄の儀式を

この極東の地で

日本の首都、東京で

現代文明の中心で


さつきの呪文スペルによって紋章は意味をなし、術式が起動する

瞬間、世界が揺らいだ

散らばった大掛かりな術式のための術式が起動し、生贄の儀式が始まる

さつきが現代社会に対して行った古の儀式

その儀式にさつきが捧げた生贄…それは東京

東京という堵市そのもの

捧げられた首都は軋み悲鳴を上げる

崩壊の兆しが何も知らぬ東京二十三区に住み、そこに働くすべての人の精気を吸い始めた


生贄の儀式 術式完全起動まで、残り三十分


それは突然大堵市を襲った

地震と間違うほどの揺れが襲い、直後空に異変が起こった

東京二十三区を囲うようにして各地から赤い光が地面から空に向けて放たれたのだ

それは赤い光柱となって空を刺す

その赤い光柱が出現した箇所が八幡さつきと痩せこけた男が刻印を刻んだ場所だと知る者はいない

出現した無数の赤い光柱は上空で集束して巨大な紋章を浮かび上がらせる

鮮血のような赤い光を東京の上空に浮かばせるそれは生贄の儀式の術式

東京全土を上空から覆いつくす巨大な陣

それは東京にいる誰もを空へと釘付けにした


「ちょっ……ちょっと何なのよコレ!?」


突如起こった日常を逸脱した出来事に教室にいた誰もが騒ぎだした

無理もない、地震のような大きな揺れの直後空が赤い光に染まったのだ

正確には空に東京全土を覆う巨大な陣が出現したのだが、それを理解できる者は少ない

その数少ない理解できる存在たる魔法使いの四人は突然のことに一瞬言葉がでなかった


「何よこれ……どうなってんのよ」


空に広がった異変、あれは明らかに魔術が関わっている

しかも自分たちでは到底抗うことすらできないほどの魔術が


「あんなの、日中堂々と行うなんて…一体どこのバカがこんなこと」

「これじゃ目撃者が多すぎる…忘却作用とか隠ぺいなんてできないよ」


樟葉、有紀、吾妻は集まってこの事態を話し合う

戸惑いながらも輪の中に入った真紀は、しかし当然会話にはついていけない


「あのー、あれって一体何なの?」


せめて、空を赤く染めたものの正体を知ろうと聞いてみるが三人の魔法使いは答えられなかった


「あれは、私にもわからない……まったく検討がつかない」

「でも、これだけ巨大な術式、日中堂々と行うなんて…もしかして禁忌術式なんじゃ」


樟葉の言葉に吾妻も同感であった

顎に手を当てて一体何の術式か考える


「確かに……これだけ大掛かりな術式を日中堂々と秘匿も隠ぺいも気にせず行うなんてAMMの名に泥を塗るようなことだし。まったくどこのバカな魔術結社がやてるのよ!」

「何にしてもAMMもすぐに対処に動くはず」

「私、師匠に連絡取ってみる」


樟葉は携帯を取り出して誠也に電話をかける

しかし、電話は繋がらなかった

野外活動の時と同様、強力な呪波が電波を妨害してるのだ


「え?どうして?また繋がらない…師匠~」


電話が繋がらないことに樟葉は慌てて、何度も試すが結果は同じであった

その様子を見て、AMMとの連絡も取れないと踏んだ吾妻は野外活動時同様、何か起これば自分たちで対処しなければと覚悟を決める

一方の有紀は樟葉の電話が繋がらない様子を見て疑問を覚えた


「ねぇ……変じゃない?」

「へ?何が?」

「確かに空一面を覆うほどの術式がどこかで組上げられているけど、それで電話が通じなくなることはないんじゃない?」


有紀の言葉で吾妻がはっとした表情となる。しかし樟葉はいまいちピンと来ない


「どういうこと?野外活動の時も携帯通じなかったよ?有紀も知ってるでしょ?」

「あの時はまさに呪波の中心にいたからね。逆にいえばどんなに強力な術式であっても呪波の中心にいない限りは理論上は電波は妨害されないはず」


そこまで有紀が言って初めて樟葉も気付いた

これだけ巨大な、空を覆い尽くすほどの術式とはいえ、東京のどこかで行使している魔術師の近くにいない限りは呪波の中心に入ることはない

つまりは、今呪波の中心にいるということ

この空を覆うほどの術式がまさにこの学校で組上げられているということだ


「そんな……嘘……だってここには私たち以外には魔術師はいないはず」

「え?」


真紀は自分たち以外に魔術師はいないという発言に驚いた

まさか、樟葉たちは八幡さつきが魔術師だということに気付いてない?

入学式の時、吾妻は樟葉と有紀がそうだとわかった

だからこそ声をかけたのだ

では八幡さつきには?

たとえ彼女に人を寄せ付けない何かがあっても、同業者というだけで声をかけた吾妻がもし気付いていれば

同様に声をかけたのではないか?

そうしなかったということは彼女がそうだと気付いていない

その他と同様、一般人だと思っているということだ

真紀は怖気を感じた。脳裏に嫌な思考が巡る

そういえば野外活動のあの時、彼女は何と言っていたか

所詮あの程度と、そのような発言をしていなかったか

あの発言は、あの騒動を引き起こした張本人が彼女であるという確かな証ではないか?

ここに来て真紀は今更ながら後悔した

なぜあの時、八幡さつきが魔術師だと皆に告げなかったのかと


「どうしよう……」


真紀の言葉に樟葉たちが真紀の方を見る

一体どうしたんだ?といった表情の樟葉たちを見ずに真紀は教室中を見回す


「いない……」

「どうしたの真紀?いないって誰が?」

「八幡さんだよ!八幡さんがいない!!」


突然大声をあげて両肩をがしっと掴んできた真紀の勢いに樟葉は一瞬押された

そして考える、一体誰のことを言ってるんだろうか?そんな人クラスにいたっけ?


「あのー……真紀?誰それ」


言われた真紀は、それは当然かと考えた

確かに、あの発言さえなければ自分も八幡さつきという女生徒がクラスメイトだとわからなかっただろう

真紀は野外活動の時のことを話した



「そのクラスでも存在感のない八幡さんが?」


真紀の話を聞いた有紀は顎に手を当てて考える

もし、その八幡さつきが魔術師だとしたら確かに色々と説明はつく

入学式での不可思議な精霊獣出現、そして野外活動でのガス漏れと幻獣化。外部からの侵入の形跡がないのも頷ける

頷けるが、一つ気掛かりなことがある

それは八幡さつきが自分たちと同じ中学一年ということだ

一般的に自分たちの年齢ではよくてC級ランク、上級魔術師など成りえない

それは年齢的にも肉体、精神、魂すべてにおいて未熟であるが故にどれだけ才能と生まれ持った資質と素質があっても

強力な呪力を煉ることができない、それを煉ろうとすれば魔法に飲まれてしまう

そうでなくても子供が魔術を使用するのは危険な行為、故に樟葉たちはマジックプロテクトを着様して魔法から自分の身を護っているのだ

だからこそ、自分たちと同学年でこれだけの高度術式を組上げるなどありえないはず

もし本当に八幡さつきがこれを行ったとすればそれは……


「何にしても、八幡さんがこれを行ってるのだとすれば止めなきゃ」

「そうだね。一体何の術式なのかわからないけど、ほっとくと取り返しのつかないことになる」


この学校のどこかで術式を起動させているのだとしたら一刻もはやく止める必要がある

もはやAMMがどれだけ手回ししても隠ぺい工作はできそうにない

だとすればできるだけ早く事態を収拾し、混乱が拡大するのを阻止しなければならない


「とにかく八幡さんを探そう。そんなに大きい学校じゃないし、手分けして探せばすぐに見つかるはず」

「そうね、でも手分けして探すってことは戦力が分断されるってことよね。危険じゃないかな?」


有紀の提案に吾妻は異を訂した

相手はクラスメイトとはいえ、実力が不明の格上である

一方の自分たちはD級ランクの下級魔術師。一個人で接触した場合勝てる見込みはない

しかし、有紀は楽観的な考えを示す


「確かにそうかもしれないけど、これだけの術式を行ってるのよ?術に集中しきってて他のことに手が回らないはずよ」


もっともな意見だったが、吾妻はそうは思わない

鋭い洞察力と推察力を持っていながらもあと一歩踏み込んだ考えはしない有紀と違って

吾妻は懐疑主義的な意見を常に持っている

吾妻がそんな有紀のもっともな楽観的考えに対して何か言おうとした時


「お、おい!どうなってんだこれ?」


今更ながら死んだ目から息を吹き返した村正が樟葉たちの輪の中へと入ってくる


「ん?今頃どうしたの?」

「どうしたのじゃないだろ!何だよあの空は!?」


村正は窓を指差す、そんな村正に吾妻は深い溜息をついた後状況を説明した

状況を理解した村正は一言


「なるほど、だとすれば八幡ってやつは屋上にいるんじゃないか?」


めずらしく正確に八幡さつきのいる場所を言い当てた


「え?屋上って」

「だってそうだろ?これだけの術式を例え霊的要素が濃い音楽室や理科室で行ったとして、この強い呪波に押されて校舎の一部が吹っ飛んでるはずだぜ?」

「…言われてみれば確かにそうね。村正、たまにはいいこと言うじゃん」

「たまにはってのは余計だ!」


言う村正を無視して樟葉たちはお互い頷くと教室を飛び出して屋上へと向かう


「お、おい!ちょっと待て!天下無双の村正様を置いていく気か!?」

「あ、ちょっと待ってよ!」


続いて村正は慌てて後に続き、何かできるわけではないが不安から真紀も追いかけて教室を飛び出した


吹き抜け階段が終点たる最上階

各階へのエントランスと違い、そこは三畳ほどの狭い空間に所狭しといつの物か埃の被った潰れた机やらが積み上げられていた

それらは本来屋上への入り口たる扉を塞ぐように置かれているはずだった

だが、それらは今入り口を塞いでいない、横にどけられていた

屋上は転落の危険があるため立ち入り禁止となっている

当然このバリケードをどけたからといって扉には鍵がかかっているため入ることはできないのだが

壊れた机によるバリケードはどけられていた、埃をそのままにして綺麗に横にどけられている

明らかに不自然であった。本来あった場所がはっきりとわかるほどに扉の前の空間だけ床に埃が積もっていない

恐らくは自力でどけたり、扉をこじ開けたりしていない

魔術を使用して屋上へと入ったのだろう


「…」


樟葉は一歩踏み出そうとして躊躇した。怖い

何か、この扉の先へは踏み入ってはいけない気がする

魔術師としての危機感が樟葉の全身にストップをかける

これに近い感覚をついに二日前にも野外活動で感じた

恐らくは屋上はあの時と同じ、もしくはそれ以上に異質な空間となっているだろう

本当に自分たちだけで踏み込んでいいのだろうか?

不安が恐怖が心と体を支配する

やはりAMMの指示を待ったほうがいいのだはないか?

樟葉は無駄と知りながら、しかしすがる思いで今一度誠也に電話をかけた

しかし、当然電話は繋がらない

樟葉は携帯をポケットにしまうと前を見据えた

ちょうど、有紀が屋上への扉を開けようとしている所だったが

やはり何か仕掛けがあるのか扉は開かない


「そう簡単に入らせてはくれないか…」


顎に手を当てて考える有紀の横に、すっと村正が出てくる

常に肩掛けしている黒い筒ケースを手に取ると勢いよく一歩踏み出し


「おらぁぁぁ!!!」


筒ケースで扉を殴りつけた

すると扉は金属製特有の大きな音を立てて屋上側へと倒れた


「へっ!ざっとこんなもんよ!」

「強行突破って…ていうか魔剣にしなくてもそれ威力あるんだ」


有紀が呆れた様子で村正を見て、吾妻が頭に手を当て大きく溜息をついたのを無視して

村正は樟葉へと向き直り、自らに親指を差してニっと笑って見せる


「見てくれたかい?樟葉さん…君に捧げる一撃さ!」


いや、意味がわからん。そんな有紀のつっ込みは村正には聞こえてなかった

同じく樟葉には元より村正など視界に入っても声も届いてすらなかった

ただ扉の向こう、村正が壊して今はない扉の向こう。外の世界から入ってくる空気に呆然とした

それは異様なまでの呪力の渦


「な、何なのこれ?」


有紀も吾妻も屋上の光景に目を疑う

村正も真剣な表情となって屋上を見る

まるで竜穴パワースポットか、もしくはガス漏れが引き起こされた現場かと思うほどの渦巻く呪力

屋上という地上から高い位置にある人工的に作られた場所では絶対にありえない光景


「一体全体どんな術式組上げてるのよ?」


言って緊張からか額には汗を垂れ流しゆっくりと有紀は屋上へと足を踏み入れる

それに続いて、村正と吾妻も踏み出し。最後に樟葉が真紀を背後に隠す形で屋上へと上がった


「何だよこれ?」


床を見回して村正は口にした。そこには誰かの鮮血かと思うぐらい真っ赤な何かで描かれた紋様が描かれている

その紋様は今空を覆う赤い光と同じ光を発している

紋様を中心に呪力は渦巻いていた

そしてその紋様の中心に


「…!あれ」


樟葉たちに背を向けて、天に向かって両手を広げて何事か呟いているクラスメイトを見つけた


「八幡さつき…」


樟葉たちの見つける先、強大な呪力渦巻く中心にその少女は立っていた

樟葉たちと同じ中学一年生でありながら、圧倒的なまでの魔力を秘めて

その彼女が今マヤ語で大地への生贄の儀式を執り行っているなど樟葉たちにはわからない

そもそもメキシコから中央アメリカに至る古代マヤ文明圏の魔術に樟葉たちは出会ったことがないし、知識も知らない

樟葉たちには八幡さつきが一体何を執り行っているのか。床の紋様はどこのものなのか。すべてが謎だった

そして、彼女の魔術系統が今執り行っている生贄の儀式

マヤ地域の魔術とはまた違うことも当然知りはしない


「……予想していたよりも来るのが早かったですね。別段来たところであなた方に何かできるとは思えませんが」


マヤ語での呪文スペルを中断して八幡さつきはゆっくりと樟葉たちへと振り返った

表情に乏しいその顔には当然儀式の途中に入ってこられたというにも関わらず焦りの色はない

むしろ雑魚が何をしに来たといわんばかりに小ばかにしている


「八幡さん……あなた一体どういうつもり!?」


有紀は怒りを顕に強い口調でさつきへと問いかける

さつきは表情をやはり変えず、逆に聞き返す


「どういうつもりとは?一体何をそんなに怒っている?」

「ふざけないで!こんな朝っぱらから隠ぺいも不可能な規模で魔術を行使して!」

「それがどうしたっていうの?」


悪びれた様子もなくただ平然と単調にさつきは答える

その様子に有紀は怒りが頂点に達した


「それがどうしたって……あなた自分で何を言ってるかわかってるの?」

「一体何の術式か知らないけど、これだけの大魔術。AMMは黙ってないよ?」


有紀に続き、吾妻もさつきに嫌悪感と共に言葉を投げかける

しかし、さつきはそんな二人の言葉を聞いて。鼻で笑った


「何がおかしいわけ?」


さつきの態度に怒鳴った有紀に、さつきは変わらぬ乏しい表情で語りだす


「AMMに媚び諂う理由がどこにあるというの?あれは本来、魔術師にとって忌むべき組織…それの定めたルールに従う義理なんてありません」

「なっ…何言ってるのあなた」


きっぱりとさつきは有紀に言い放った。それはAMMに敵対する魔術結社の構成員がよく口にする言葉

下級魔術師故に、今だそういった魔術師と相対したことがないが耳にはしている

しかし、実際それを時下に聞くと衝撃が走る


「あなた…どうかしてるわよ」


驚いた有紀にさつきは変わらず乏しい表情で、しかし意思は強く語る


「どうかしてるのはあなた方のほうですよ?私たち魔術師は他人のことなど気にしない、自分に利益があるかないか、それだけが重要。それが私たちの行動理由。自分の利益にならないことに手を貸す義理はありません。小説や漫画、アニメの中の妄想的な魔法使いじゃあるまいし、正義の味方を気取る意味が魔術師にあるのですか?それこそ偽善というものです。」


有紀は言い返そうにも言葉が浮かばなかった

さつきの言葉には力があり、真実を射抜いていたからだ


「もとよりAMMなんて組織は魔術師を管理、監督するものじゃありません。世界を歪める大魔術の禁止や、世間に存在を隠すのもすべて怖いから…世界を魔術から守るためじゃありません。怖いだけですよ、魔女狩りの再来がね」


AMMの成立には魔女狩りが大きく関わっている

中世欧州のキリスト教会主導のもと行われたグノーシス主義、カタリ派、テンプル騎士団など悪魔と契約した異教徒の拘束と拷問

ローマ教皇直下による異端審問

根も葉もない噂話から陰謀による既成事実の構築まで様々な手を使い、教会の邪魔となる者

害を成す者、裏切り者を捕らえ処刑にしていった中世の悪夢

その影で本来の民衆をあおるためのうたい文句であるはずの魔女とは違う、本物の魔女も捉えられていた

それらの脅威から有力な魔術師は魔術を監視する教会を作り、自らの影響力を生かして他の魔術師達をたしなめ

教皇に睨まれない様、魔術の規模を制限し秘匿する組織を作った

この欧州で起こった組織がAMMの前進となって、その後時間をかけて規模と地域を広げていき現代にいたるのだ


「その様な臆病者の集団の定めたルールなど、魔術師という生き方にはそいません」

「だからって何してもいいっていうわけ?AMMが成立して何世紀経ってると思ってるの?あなたの考えこそ時代錯誤ってもんでしょ?」

「それは魔女狩りを恐れ、魔術の世界から背を向け表社会を常と考える紛い物の考えです」


さつきは力強く語り、AMMの…今や魔術界の憲法とでもいうべきAMMのルールを否定する

自らの方が正しいという

このどう考えても狂っているとしか思えない考えを口にするクラスメイトに有紀は底知れぬ恐怖を感じる

一体どうすればこんな狂信的な考えになるのだろうか?

考える有紀の横、村正が一歩踏み出した

常の彼からすれば珍しく表情が険しい


「てめぇの思考回路がイカレてるってのはよーくわかったよ。話すだけ無駄だ!てめぇは一発ぶん殴る」

「そうね…話通じない相手に論じるだけ気力の無駄ってやつね」


吾妻も一歩踏み出してさつきを睨みつける


「一様話合いによる交渉と思ってたんだけどね」


有紀はやれやれと肩をすくめて見せた

そんな三人をおろおろとした表情で見る真紀を樟葉は下がらせる


「真紀、入り口まで下がった方がいい」

「樟葉…」

「ここからは魔術による交渉になるから」


言って樟葉も腹を決める、決意の眼差しで有紀の横に並び立つ


「これ以上好きにはさせないよ!八幡さん!」


樟葉はビシっとさつきを指差す

四人と一人の間に呪力が錯綜した


「いくよ!」


樟葉は胸に手を添え、ペンダントを握って両手を上げ額や鳩尾を押さえ、祈りの言葉を囁き出す

有紀は両手で印を結び、右人差し指と中指を刀に見立て、九字を切る

吾妻は自らの周囲に塩をまき、神楽を舞う

村正は黒色の筒ケースを勢いよく頭上へと投げ上げ、封印を解除する呪符も投げ上げる


四人が同時に魔術を行使するために必要なマジックプロテクトを装着する術を行使し、四人同時に魔術戦闘時の姿を現した

現し、そしてさつきを見据える

当のさつきはそんな四人を見て溜息をついた


「まさかD級ランク程度の下級魔術師が私を止められるとでも思っているわけですか?頭がどうかしてるのはそちらじゃありませんか?」


言ってさつきは握った悪魔の翼を模したペンダントを頭上に掲げる

瞬間、さつきの目の前の空間が歪んだ

足元には複雑な紋章、悪魔の階級と上級・中級・下級の三隊とを示すシジル(印形)が浮かび上がる


「実力差がわからないほど愚かというわけですね。いいでしょう、取るに足らないハエであっても邪魔するのであれば排除します」


歪んだ空間から異様なまでに禍々しいまでに異質な空気が流れ込む


「我らが聖ならざる主たちよ。我らの魂を喰らいて我らの野望を欲望を切望を叶えたまえ」


さつきの影がその形を異質なものへと変化する

その影を中心として地面から黒いスライム状の何かが染み出てきた

やがてそれはさつきの体を包み込み、その姿を黒を基調とした服装に身を包んだ魔術戦闘時のものへと変化させる

直後さつきの背後の空間が捻じ曲がって水面のように波打つ

その波の中から長い棒が突き出し、その棒をさつきは掴んで水面から引き抜いた

棒が水面から完全に引き抜かれると、その棒先に水面が吸い寄せられるようにくっ付き凶刃な刃となる

そしてさつきがそれを一振りした時、それはまるで死神が持っているような巨大な大鎌へと変化していた


「愚か者に血の制裁を」


一言、さつきは異界の異物を呼び寄せた


生贄の儀式 術式完全起動まで、残り二十分


学校の屋上に異界の異物が舞い降りた

正確には屋上に立つ一人の少女に憑依したという方が正しい

少女を中心として空気の質が変わり、圧迫感が空間を占める

この世界には存在しえない異様なまでの気配に胸が締め付けられる

それを放つのは一人の少女、クラスでは一際存在感がなく、いるのかどうかさえわからないほどの無口無表情少女

少女の名は八幡さつき。十二歳としては異例のS級ランクの上級魔術師

その全身から放たれるオーラの本質に気付き、確固たる決意を固めたはずの樟葉たちは衝撃を覚えた


「嘘……でしょ?」


樟葉は目の前の出来事が信じられなかった


「おいおいマジかよ…冗談だろ?」


村正は珍しく恐れから一歩足を後退させる


「な、なんで…」


有紀は驚き、目を見張って、言葉に詰まる


「やはりそうだったか」


吾妻は苦い顔で相手を睨む


「え?何?どういうこと?」


魔法の知識がまったくない真紀に取って皆が急に顔色を変えた理由がわからない

真紀からすれば八幡さつきも皆と同様に変身したという風にしか見えない

そういう事実しか映らない

しかし、魔術師たちにとっては違う

それは彼女が放つオーラ、その呪力の本質

その魔術系統が問題だった


「あいつ…悪魔崇拝者サタニストだったの!?」


悪魔崇拝サタニズム

この言葉を使うとき、そこには多種多様な意味が生じる

宗教としてのサタニズムを捉えたとき、それはひとつの哲学的な概念なのだ

いうなれば世間の大多数の意見とは違う稀な意見を尊重し、それをたとえ一人でも推し進める

サタニストにとってサタニズムとはそういったある少数派的な精神性と思想を示す言葉なのである

サタニズムはキリスト教やユダヤ教にとっては異教、又は忌むべきエゴだとも言われる

また世界最大の宗教団体としての悪魔教会は崇拝すべき悪魔サタンを存在するとは言っておらず、単にある概念を物質的に代表する名称として「サタン」の名を捉えている

悪魔教会の創始者アントン・ラヴェイが唱える「あらゆる神(サタン含め)を信じない、悪魔の掟にも従わない、自身の考えと向上を重視する」

という論理がサタニズム内での曖昧さ、自己矛盾を示している反面

言葉通り、サタンを崇拝する狂信者も数多く存在し

一般的にサタニストを指す際はこちらが用いられる<

これらサタニストが魔術界において危険視される理由は他人の犠牲はもちろんのこと、自己の生死も厭わない信仰心を持っていることである

特定の年齢に達する前の子供を殺して死体を焼き

その肉を食べたり、男児女児問わず生きたまま性器を体から切り離しホルマリン漬けにして呪物として重宝するなど

一部、その破天荒ぶりが表社会に漏れでようとも気にしない

それ故にAMMから睨まれる術者が数多く存在するが、今だ持って殲滅することはできていない


悪魔崇拝、その魔術の本質は召喚魔術、もしくは喚起魔術

一般的な名称では黒魔術ともいう(とはいえ、この言葉自体古代エジプトのものである)

召喚術とも分類されるこの魔術の定義は全世界的に存在し、多種多様だ

現在の「上位の存在をその身に下ろす召喚」と、「下位の存在を現実に引き出す喚起」

この定義を起こした。かつて魔術結社「黄金の夜明け団」の一員であり、神秘主義結社「銀の星」の開祖でもあるアレイスター・クロウリーは

この二つを巧みに扱い、現在の魔術師たちに多くの影響を与えている

そのアレイスター・クロウリーが最も得意とし、最も絶望したとされる魔術

悪魔と契約し、代償を支払って願いを叶える究極の魔術

その強さは悪魔にどれだけの代償を支払ったか、どれだけ上位の存在と取引したかによって左右される

上位の存在と契約・交渉するために複数の悪魔と契約するものもいれば

上位の存在と複数契約する者もいる

悪魔に代償さえ、支払えば強力な魔術を得ることができる。一見いい響きに聞こえるが

悪魔との交渉は契約し、代償を支払った後にも存在する

たとえ代償を支払っても、気を許せば悪魔は更なる代償を勝手に術者から支払わせるのだ

これがリスクの高い、危険な魔術と言われる所以である

歴史上でも完全に交渉を断ち切り、支配使役できた人物は数少ない

ましてや七十二柱もの強大な悪霊たちを従えた古代イスラエルのソロモン王に匹敵する者はいないだろう

そう、いないはずなのだ……しかし


「まさか、ソロモンを上回ってる!?」


圧倒的な圧迫感と威圧感

この世のものとは思えない異様な空気の密度

八幡さつきという少女の中に、周囲に一体どれだけの悪魔が魔神がいるというのだろうか?

そのことに戦慄を覚える


「どうしました?さっきまでの威勢がありませんよ?」


言ってさつきは巨大な大鎌を軽々と振り上げ


「では、こちらからいかせてもらいしょう」


それを自分の背後に伸びる自らの影に突き刺す

瞬間、さつきの周囲の空間が軋みをあげる

大鎌が突き刺さった影が大きさを増してよろめきながら立体的に立ち上がる

そのシルエットはもはやさつきのものとは異なっていた

立ち上がった影には目と口が白く浮き上がり、笑うように口が吊り上がっている

そして立ち上がった影はムンクの叫びのようなポーズを取ると次の瞬間


「キィィィィィィィィィィーーーーー!!!」


耳障りなほど大きな悲鳴を上げた


「まずい!」


いち早く、その魔法が何であるかに気付いた吾妻が両手を広げ、右手では鈴を鳴らし、左手では白扇を振って

自分を中心とした簡易の境内、擬似的に神社を構築して結界を作る

吾妻から僅か遅れて有紀も素早く反応して懐に隠しておいた手裏剣以外の金属物を前方に投げ当て金属音を出して音が直接届くのを妨げる

本来、逃走用の五遁の術のうちの金遁の術は相手の周囲に金属物を投げまくって複数の場所から金属音を出し

自分の居場所を混乱させた隙に逃走するという用途だ

しかし、今は相手の音が直接届くのを防ぐため

金属音という雑音を混ぜることによって効力を弱めようとしたのだ

当然、それで防げるとは思ってはいない

村正は身動き一つできず

樟葉は真紀を守るようにして背後に真紀を隠して槍を地面に突き立てる

直後、槍が突き刺した地面に魔法円と円の周りに異国の言葉で記された黄道十二宮が現れる

これは星の霊的加護を使った魔術防壁だ

しかし、どれもさつきの攻撃を防ぐには不十分であった

良かった点を上げるとすれば、一般人である真紀だけは護ることができた。それだけだった

悲鳴という音波を真っ先に結界で受け止めた吾妻はその擬似境内を破壊されその場に倒れ付す

金遁の術を放った有紀はその投げた金属をすべて砕かれ脳神経に音波の直撃を暗って地面に倒れる

何もできなかった村正はその音波に耳を押さえて地面に片膝をついて表情を歪めて

あっさりと黄道十二宮の加護を打ち消された樟葉は真紀の目の前で口からゴポっと唾液の混ざった血を吐き出して倒れた


「え?み、みんな……」


真紀は目の前の惨状に恐怖した

たった一言の悲鳴で樟葉が、有紀が、吾妻が、村正が倒されてしまったのだ


「ど…どうしよう…」


ガクガクと震える真紀に、倒れた有紀がなんとか体を起こして真紀に警告する


「はやく、安全なところに逃げて…さっきのを一般人がまともに聞いたら知覚する前に脳細胞が呪いで死滅するわよ」


それは呪音、音波事態が魔術攻撃であり

それを聞いて理解することはできない

理解するということは悪魔という向こうの仕組みを理解することであり、当然そんなものは人間には理解できない

人間がどれだけ知識を身につけ、科学が進歩しようと消して解き明かせない。この世とは存在そのものが違う

それを理解するということは違った世界を脳内に取り入れるという事。それは同時に肉体の死を意味する


「一体何なの?八幡さんは…」


真紀は怯えた表情で八幡さつきを見る


「あいつは…悪魔崇拝者サタニスト

「サタ…ニスト?」

「要は悪魔に魂を売り払った人間ってこと。ゲーテの詩劇で描かれてるファウストと一緒よ」


ファウスト。それは黒魔術を行使し悪魔メフィストフェレスと契約を結び、自分の魂を売り渡した魔術師

そう言われてもオカルトかゲーテの作品に精通していなければ言われただけではわからないだろう

実際、真紀にはさっぱりだった


「簡単に言えば樟葉の扱う天使術とは正反対の魔術ってこと」


天使術が自らの体一つを擬似的な神殿と見立てるのに対し、悪魔崇拝は自らの体を一つの擬似的な魔界(もしくは地獄)に見立てるのだ

そしてその内側に七つの大罪を刻みつけることで悪魔を内側に呼び寄せるのだ

そして心臓を魂を捧げる祭壇と仮定し、心臓に悪魔を取り込むことによって呪力を倍増、強化し悪魔と一体化し力を得る

元々アルマデル奥義書は天使・悪魔の護符(タリズマンの作り方が書かれたものであり

元を辿れば二つの魔術は同じ魔導書(アルマデル奥義書)が起源といえる

決定的に違う点を上げるとすればアルマデルの中に記されている四十五の印形シジルのうち

天使術は神聖な神に愛されたものを使用し、悪魔崇拝は天から堕落したものを使用している点である


「つまり八幡さんは今、悪魔と同義ってこと?」

「そういうこと」


言ってなんとか立ち上がって体勢を立て直した有紀は手裏剣を手に取る


「ほんと、中学生で悪魔崇拝だなんてどうかしてるわよ」


有紀は手に取った手裏剣を軽く上へ放り投げると両手で印を結ぶ

そして落ちてきた手裏剣を取ると素早くさつきへと投げ放った


「甲斐流忍術、忍法”火遁”」


手裏剣が炎を撒き散らしてさつきへと一直線に飛ぶ

しかしさつきは顔色一つ変えず、乏しい表情のままそれを見据えている


「ふんぬっ」


同じく、フラフラながらも何とか魔剣を杖代わりに起き上がった村正は

魔剣を構えると一言


「八目第一眼・焔」


魔剣の刀身に蛇の目が浮かび上がり、炎を帯びた

その魔剣を振りかざしてさつきへと一気に斬りかかる

炎の手裏剣と炎の魔剣に迫られて、しかしさつきは顔色ひとつ変えず一言


「サーヴァント」


ただそれだけ

手に持つ大鎌を振るいもせず構えもせず、魔術の予備動作もしない

なのに、空間が揺らいだ

空気が歪み、軋み、悲鳴を上げるように空間が割れて

この世のものではない何かが這い出てきた

獰猛な獣の異臭を充満させたそれは翼のような何かを広げた

それは炎に包まれた手裏剣あっさりと跳ね除け、村正の一撃を簡単に受け止め、弾き返した


「ちっ!」


有紀は続けざまにもう一撃手裏剣を放とうとするが、弾き飛ばされた村正に正面から激突されそのまま村正共々後ろにこけてしまった


「邪魔ー!」


素早く村正を蹴り上げて起き上がった有紀は、しかし攻撃をさつきへと放てなかった

さつきの左右に魔法陣が宙に浮かぶ形で出現したからだ

その左右の陣からこの世のものとは思えない何かが這い出てきたからだ


「あれは?」


考える間もなく、それらは有紀と村正へと襲い掛かる

あっという間に懐にまで入り込んだ何かの攻撃を有紀は素早く忍者刀を取り出し受け流した

地面を蹴って後方へと跳躍、距離を取る

同じく村正も懐まで入り込まれていたが


「何やってんだガキ!さっさと起きやがれ!起き上がれないなら術を使え!!」


魔剣・八俣遠呂智の怒声に村正ははっとなって柄を握る手に力を入れる


「八目第三眼!!」


すると魔剣の刀身に開いた一対の目の瞳孔が緑色の光を放つ

直後、魔剣を握る村正を中心として竜巻が巻き起こった

竜巻は懐に入り込んだ何かを弾き飛ばし消し去った

すぐさま村正は立ち上がって魔剣を横に振る

竜巻の起点となっていることもあって何十キロもあるような重い鉄の棒のように感じる

しかし顔に青筋を浮かばせて何とか横へと振り、有紀と対峙していたもう一体を叩き潰す


「はぁ…はぁ…はぁ…どうだ!」


息切れを起こす村正は地面に倒れそうになる体を必死で踏みとどまらせる

まだ勝負は終わっていない

まだ本命たる八幡さつきは平然としているのだから

しかし、第三眼を使ったのは失敗だったと村正は思う

魔剣の持つ術式の中で今だ村正は炎の式である第一眼しか使いこなせていない

第二眼以降の術式は今だD級ランクの身では制御が難しいのだ

にも関わらず第三眼を使用した。体にかかる負担は相当なものだった


「ぐっ…今のは…使いアガシオン?でもどうして?」


フラフラしながらも吾妻がなんとか立ち上がる

その表情は激痛に歪みながらも信じられないといったものであった

さきほどさつきが行った術に驚いているのだ

そんな吾妻を見てさつきは小ばかにしたように鼻で笑う


「まさか、使い魔は術者一人につき一体なんて映画か何かの設定を馬鹿正直に思っているんじゃないでしょうね?もしもそんな作り物の法則フィクションを信じているのだとしたら魔術師として致命的ですね」


使い魔、魔法使いにとって従順な僕であり、かけがえのない相棒であり、魔術の媒介ともいえるそれは

小説や映画の影響もあってか魔法使い一人につき一体という考えが一般的だ

しかし、魔術の世界ではそれは正解ではない

魔法使いと使い魔は精神力、感受性、第六感エトセトラと様々な目には見えないパスで繋がっている

これらの感覚が狭い術者ならば使い魔として使役できる数は限られてくる

ましてや魔術系統によっては使い魔といった部類のものが必要ないものもある

よって使い魔を使役するためのこれらの感性に秀でる必要のない者もいる

ゆえに使い魔を多数使役できる器量があっても、使役できる器量がなくても自らの術式に影響がなければ

使い魔を必ずしも使役するとは限らない

その辺りの知識が今だ未熟な下級魔術師の樟葉たちにとって、複数の使い魔を同時に操るという行為は脅威であった

ただでさえ、さつきとの実力差は絶望的だというのに、その上使い魔を複数同時に動かされたら対処ができない


「まぁ子供に現実を見せ付けるのもいいでしょう」


言ったさつきの周囲に今度は四つの魔法陣が浮かび上がる

それら四つの魔法陣からそれぞれ獰猛な獣の異臭を放つ何かが這い出てくる

無数の目を顔中に開き、大きく裂けた口からは鋭利な牙が姿を見せ粘々した粘液のような唾液が垂れる

蝙蝠に似た羽を広げ四本の手を大きく広げて無数の目が標的を定める

それらはそれぞれの標的をロックオンすると人間には理解できない声をあげて跳躍、樟葉たちに襲い掛かった


「子供に現実を見せ付ける?冗談はやめてよね…あんただって同じ年、子供じゃない!」


有紀は忍者刀を振るって使い魔の鉤爪の一撃を受け止める

そのまま重心を低く持っていき忍者刀を持っている右手の下から左手の掌底を放つ

呪力でコーティングした掌底を腹に食らって使い魔は耳障りな奇声をあげて後ろによろめく

その隙を見逃さず、すばやく懐に入り込むと


「はぁ!!」


大人顔負けの強力な突きを浴びせる

その衝撃に体が宙に浮いたその体に有紀は止めのひと蹴りを放つ

呪力によってコーティングされたその蹴りは見事に使い魔を粉砕した


魔術ではなく忍者武術を使って撃退した有紀と違って吾妻は魔術を行使する

周囲に塩をまくと白扇を振って祝詞を唱える

瞬間吾妻の周囲の空気が浄化されていく


「罪と言ふ罪は在らじと、祓へ給ひ清め給ふ事を、八百万の神等共に聞食せと白す事を」


祝詞に呼応するように吾妻の目の前に茅の輪が現れる

それは六月と十二月の晦日に行われる除災行事、大祓で犯した罪や穢れを祓うために唱えられた祝詞

大祓詞

この魔術を前に使い魔は吾妻に攻撃を振るうことなく茅の輪の前にたどり着いた時点でその姿を灰へと変えていた

穢れを祓い去る魔術、その前では異界の異物は姿を保つことすらできない


魔術で退けた吾妻と違って村正は疲労した体に鞭打って剣術で迎え撃つ


「来やがったぜガキ!歯食いしばれよ!」

「わかってらぁ!やってやるぜ!やらなくてどうする!見ろ!樟葉さんに捧げる愛の一撃!!」


第三眼の疲労が抜け切らず、自らの体への負荷も考えれば術式は使えない

たとえマスターした第一眼であっても

ゆえに村正は魔剣を横一閃、振りかざして迫り来る使い魔へと先制攻撃

しかし、村正の剣術は形を成していない

早い話が無茶苦茶。素人であった

魔剣の威力と炎の式で今までその絶望的な弱点を埋めていた

だが、それらが封じられたらどうなるか?

いくら魔剣の威力が凄まじいとはいえ、相手も同じく凄まじい一撃で対抗してきたら?

答えは言うまでもない、村正は間抜けな声を上げて後ろへと吹き飛ぶ

使い魔の方が後から一撃を放ったにも関わらず村正は受け切れずにパワー負けしたのだ

地面に仰向けに倒れた村正に覆いかぶさるように使い魔が追撃をかける

村正が素人だろうが容赦はない。異界の異物にとって、そんなことは関係ない

村正の視界を異端が覆ったまさにその時


「うぉぉぉぉぉぉ!!!」


村正は魔剣を突き上げて使い魔の腹をえぐる


「八目第三眼!!」


体への負担も無視して術式を起動。体の中から爆風を生み出された使い魔はその体を爆散させる

しかし、術式の使用は体への負担が大きすぎた

サウナの中にいるかのような汗を出して村正はその場に倒れこんだ


無理な術式で退けた村正と違って樟葉は冷静に対処する


迫り来る使い魔を見据えて樟葉はフラフラながらも立ち上がる

口元に残る血を左手の甲で拭って使い魔を睨みつける

心配そうに樟葉を見る真紀を背後に隠す形で樟葉は槍を構えた


(あのアガシオンは下位の悪魔…大丈夫、師匠との修行を思い出せば大丈夫、師匠の言葉を思い出せば大丈夫)


心の中で呟いて樟葉は呪力を高める


「ミカエルの剣!!」


樟葉の叫びに呼応して槍の矛の周囲に漂う呪力が集中、黄金の刃となる

サタンをも打ち砕いた神話の神剣を樟葉は横一閃

身を低くして振り払った

瞬間、今まさに鉤爪を振り下そうとしていた使い魔を胴体から真っ二つに切り裂き、消し去った


「この程度の使い魔を使ったって私たちは倒せないよ」


樟葉は八幡さつきを睨みつけて、ミカエルの剣を八幡さつきに向けて言い放った

有紀も、吾妻も、何とか起き上がった村正も同じく八幡さつきを睨みつける

対してさつきは何の感情も顔に見せず、ただ平然と大鎌を持っていない方の手を上げて


「あなた方のレベルに合わせたものを呼び寄せたつもりでしたが、それを倒した程度で粋がるなんて器がしれますね……いいでしょう。少し遊んであげます」


さつきの周囲に再びさきほどの魔法陣が浮かび上がる、しかし今度は四つという一人一体という生易しい数字ではない

さつきの背後左右は地平線の彼方、上は雲に届くまで

気持ち悪いほどに魔法陣がぎっしりと浮かび上がったのだ

そのあまりの光景に樟葉は背筋が凍るような悪寒が走った

まさか、あれら全部から現れるなんて冗談を本気で?


「さきほどとレベルは同じです。すべて排除できたら褒めてあげましょう」


感情のこもらない、虫一匹を殺すような冷たい声でさつきは告げた

それを合図とするかのように、空間全体を獰猛な獣の威圧と異臭が支配した

地平線の彼方まで広がり、上は雲まで届くほど埋め尽くされた魔法陣から異界の異物が一斉に飛び出してきた


埋め尽くされた魔法陣から這い出て来た異界の異物を前に一同は凍結したかのように動きを止めた

いや、動けなかった

そのあまりの理不尽な光景に

魔術師とはいえ中学一年生が目にするにはあまりに絶望的な光景に


「何よ、あれ……」


もはや真紀には目の前の出来事が理解できなかった、理解できる範囲は当の昔に超えていたが、それでもあれはない

空を覆い隠すように黒い群れが襲い掛かる

それらを構成する一つ一つがこの世のものではない異物

「悪魔」であった


「まったく、何の冗談よ」


有紀は迫り来る大群を前に奥歯を噛み締める

たとえ、あの大群の一体一体がさきほどと同じレベルであってもこれだけの数を相手に勝てるはずがない

そしてそれだけの大群を顔色一つ変えず召喚したさつきとの実力差に絶望する

彼女は空一面を覆う謎の大魔術の術式を起動させている最中のはずだ、なのに何故これだけの術が使える?

どうして自分たちを相手にしてるのに集中が途切れて術式が消えない?

それが彼女と自分たちの決定的な差、決して埋まらない溝

八幡さつきは自分たちとは格が違う、一つ上の次元にいるのだ


「何なのよあんたは!!」


叫んで有紀は迫り来る大群へと火遁を放つ

しかし、焼け石に水だ。それはまったく効果を発しなかった

そんな有紀に背後から声がかかる


「有紀どいて!」


有紀は振り返る、すると樟葉が祈りを捧げていた


「汝と護国に使えし我が願いを聞き届けたまえ」


樟葉の足元に天使のシジル(印形)が浮かび上がる

やがて足元のシジル(印形)が赤紫色に輝き、無数の赤紫に光り輝く鎖が飛び出す


「ジャッジメント・チェーン!!」


樟葉は槍を横に振るとシジル(印形)から飛び出した鎖が一斉に迫り来る大群へとミサイルのような勢いで向かっていく

そしてその大群の四分の一を一気に消し去った


「はぁ!!」


続けて樟葉地面を蹴って跳躍、自分の周囲に鎖を巻くような動きで防御用に一つ残して

その他すべてを大群へと放つ

その威力は絶大でみるみるうちに大群が一掃されていく


「そうか!天使と悪魔は相互関係にあるんだった」


そう、天使と悪魔はお互いがお互いを弱点とする相互関係にある

単純に天使術者を手っ取り早く倒したければ、黒魔術をぶつければいい

単純に悪魔崇拝者を手っ取り早く倒したければ、天使術をぶつければいい

そう、それだけのこと…それだけのことが最も難しい

それはお互いが自身が切り札であり弱点であるからだ

もしも実力が同じ天使術者と悪魔崇拝者が戦ったとして、お互いが必殺の術を同時に放ったなら勝者は存在しない

二人同時に倒れるだろう

天使術者と悪魔崇拝者の戦いは諸刃の剣をいかにうまく扱い

相手を欺くかが勝負の決め手となる


(いける!樟葉の魔術を使えば倒すことができる!)


有紀は絶望の中にも灯った希望にすがる事にした

そうと決まれば話は簡単だ


「吾妻!」


有紀の叫びに吾妻も頷いた、吾妻も気付いたようだった

声はかけていないが、村正も頷いていた


「樟葉に攻撃が当たらないように援護するよ!」


そう、天使術を行使している樟葉に悪魔の攻撃が当たらないよう守ればいいのだ

要は樟葉の盾となって、樟葉に術式以外に神経を注がないようにすればいいだけの話


「祓え給え 清め給え 守り給え 幸え給え」


吾妻の祝詞が響き渡り


「甲斐流忍術、忍法”木遁”」


有紀が両手で印を結んで魔術を行使する

有紀の扱う五遁の術が忍者の逃走用のものとかけ離れているのはその甲斐流にこそあった

甲斐流忍術は山梨県に存在する戦国時代から続く流派や新興流派

ありとあらゆる忍術を取り入れ、抜粋し、自分たちにあったもののみを探求することに特化した流派である

魔術を取り入れたのも、それが自分たちの流派に合ったものと踏んだからだ

ゆえに、本来の逃げるための五遁の術は次の一手のための時間稼ぎ、予備動作、直接攻撃へと変化していったのだ

そして、この五遁の術に風水の秘伝を取り入れることによって

方位効果の強い魔術の効果を引き上げることができるのだ


木遁の術、他の五行と違い、木行の性質は形のない方位の性質に従うこと

この五行の中でも独特の性質を持つ木行を使った術は星や方位によって効果が変わる

今行使した方位は南方。九星が一つ「九紫火星」

信仰に携わる場所と融合することによって効果を発する術だ


有紀の木遁の術が吾妻の行使した簡易境内結界と融合して樟葉の周りに強固な結界を生み出す

ジャッジメント・チェーンの猛撃を逃れ、樟葉に襲い掛かるものは、これに阻まれ樟葉に近づくことができない

それらを村正が魔剣で切り裂いて行く


「ふはは!樟葉さんの愛の騎士たるこの村正様がいる限り、お前達は一歩たりともここから先へは行けん!」


何かつっ込みどころが満載の叫びを村正が上げているがとりあえずスルーすることにした


圧倒的なまでの数を占めていた大群はいつしか残り僅かとなっていた

最後の数体を蹴散らすと、樟葉はさつきを睨みつける

深呼吸するとそのまま一気、すべての鎖を一点へと

さつきへと集中して放つ

同時に有紀、吾妻、村正もさつきへと攻勢をかける

形勢は逆転した……かに見えた

しかし


「っ!」


樟葉は言葉がでなかった

さつきの背後には以前、最初に出てきた翼のような何かを広げた巨大な異物がさつきを覆うように鎮座している

それがあっさりとジャッジメント・チェーンをすべて打ち砕いたのだ

のみならず、その衝撃で樟葉を問答無用で吹き飛ばした

恐ろしいまでの勢いで後ろへと吹き飛ばされた樟葉は真紀が隠れる屋上入り口の壁に激突

口から大量の血を吐き出して地面へとうつ伏せに倒れた


「樟葉!!」


一瞬注意をそがれた有紀へも容赦なく巨大な異物は鉄拳を振るう

巨大な拳は有紀を地面ごと吹き飛ばす

砕けた屋上の床の破片をくらいながら、そのまま屋上の金網に激突、金網に血を塗りつけてゆっくりと地面に落ちていく


巨大な異物は尻尾のような何かを鞭のように振るって吾妻と村正を弾き飛ばした

そのまま宙を舞って数秒後、嫌な音を立てて地面へと激突した

受身も何も取れず直接地面に叩きつけられた体は悲鳴を上げる

その衝撃で呼吸が出来ず、地面にのた打ち回る


返り討ちにあった樟葉たちだが、今だ八幡さつきは攻撃の仕草もも、防御らしき構えも見せていない

八幡さつきにとって樟葉たちはそれだけの存在だった

たとえ樟葉の天使術が弱点であったとしてもS級ランクとD級ランクでは弱点を突いたところで話にならない

ハナから樟葉たちはどれだけ足掻こうと八幡さつきには勝てないのだ


「さて、遊びも終わりにしましょうか。私も そろそろ本題の術式へと戻りたいので」


さつきの言葉を聞き取ったのか、背後に鎮座する巨大な異物はその尻尾のような何かを振り上げる

そして尾の先には無数の鋭利な槍の矛


「一様クラスメイトだった仲としてお別れの言葉はあげましょう…さよなら、安らかに逝きなさい」


さつきは感情の篭らない、いつも通りの無表情で告げた

そこに感嘆の想いは何もない、クラスメイトへの感情も何もない

飛び回るハエを振り払うように、魔術を振るう


巨大な異物の尻尾の尾の先から無数の槍の矛が放たれる

一見逆十字にも見える槍の矛を無数に飛ばすその魔術は聖ペトロ十字の磔刑デーモンスピア

本来ならば悪魔崇拝者の儀式である黒ミサを行うことによって生み出される魔術であるが

黒ミサにおける幼児の血を飲み干す行為を飼育室にある水槽の中のメダカを生きたまま食べることで代用し

祭壇に掛ける逆十字を自らの手にある大鎌で代用

暴力をさきほどまでの一方的なまでの樟葉たちへの攻撃で補い

淫行行為を自らの生理状態で代用し儀式の中で繰り返される行為を擬似的にカバーしたのだ

本来の効力からは威力は減退するが下級魔術師を退けるには十二分だろう

その魔術は鋭い勢いを持って屋上全体を恐ろしいまでの爆発音で満たし砂煙で包み込んだ


「……」


砂煙が視界を塞ぐ中、さつきはいつも通りの無表情で

しかし、彼女をよく知る人が見れば少し苛ついた表情で砂煙の見えぬ先を見る


「D級であっても忍者…というわけですね」


樟葉はわけがわからぬまま真っ暗な視界が奪われた世界にいた

聖ペトロ十字の磔刑が発動したと同時、樟葉の肩を誰かが掴んでこの真っ暗な空間へと引きずり込んだのだ

声をあげようにも誰かが口を塞いでいて声が出せない

そんな状況の中、ようやく口を塞いでいた誰かが樟葉に話しかけてきた


(静かにして)

(有紀?ちょっと驚いたんだけど!)


そう、これは忍者の隠れ蓑術を使って屋上のどこかに隠れている最中なのだ

一体、何にどうやって隠れているのか今の樟葉にはさっぱりだが有紀が声を潜めている以上、樟葉も声を上げれそうにない


(樟葉、誠也から槍術や棒術はどこまで教わってる?)

(え?)


樟葉は有紀の言葉に驚いた

槍術、棒術とは日本古来の武術のひとつである

槍術とは現在の銃剣道のことである、同じく棒術は武道の他、祭礼でも古くより扱われる

身分制度が厳しかった武士政権時代であっても棒術はその性質上、身分、地位、文化を関係なく広く伝わっている


(まだ一部の流派の技を教わっただけですべての流派を教わったわけじゃないけど…あと棒術もどっちかというと杖術の割合が強いかも)


棒術は流派によって棒の長さ、太さが統一されておらずバラバラである

よって主流である六尺の長さと違って四尺と短い棒を使う場合は杖術と分類される

まだまだ幼い子供には杖術の方が自然といえば自然だ


(まぁ、扱えるならそれで充分)


言って有紀は忍者刀とは別の腰に掛けてある萬刀を手に取る


(誠也には忍者刀と萬刀という違う二つの武器を使った二刀流を教わった)


言う有紀の真意に樟葉はようやく気付いた


(まさか、体術戦に持ち込む気?)

(今の私たちじゃ百年経っても勝てないわよ。だったら相手に魔術を使わせなければいいだけの話でしょ?あれだけの魔術を扱えるってことは逆に言えば魔術が強すぎるおかげで体術に力を入れなくても問題ないってことなんだから)


ようは強すぎる力は強すぎる故に他の逃げ道を模索する必要性を与えないということだ

魔術師が武道を取得する理由は心技体、精神と肉体を鍛えることで魔法に飲まれないように自身を鍛える目的があるが

それ以外に、万が一自らの魔術を撃破された場合の最終迎撃手段、あるいは防衛手段として体術を習得するのだ

しかし、そもそも撃破されることがないのならば、体術戦を行う必要がないならば武道を学ぶ必要などない

絶大な力は時にそれ以外の術を過信から奪ってしまうのだ


(二人で同時に仕掛けてあいつに魔術を行使する暇を与えなければ勝てるはずよ)


確かに、魔術で勝てないのならば体術で倒すしかもう道はない

しかし、今までの八幡さつきの動作を見る限り、魔術を行使する際予備動作を一切していない

もしかしたら二人同時に仕掛けて考える暇を与えなくても平然と魔術行使するかもしれない

それでも、もう背水の陣で挑むしか道はなさそうだ


(外は今砂煙で視界が塞がれてるはずよ、だから)



砂煙の中、八幡さつきはさてどうしたものかと見た目にはいつも通りの無表情で

よく知る人が見ればめんどくさそうな表情で目だけを動かして周囲を確認する

と、真正面から何か人影が浮かび上がった

いくら視界が塞がれているとはいえ、正面から堂々と来るとは何とも間抜けだなと

さつきが蚊をでも振り払うように大鎌を一閃

しかし、真っ二つに裂かれたそれは丸太であった


「変わり身の術……フェイクですか」


しかし丸太とはなんと古典的で典型的でオートドックスなと 思っていると、同時に左右から人影が迫ってきた


「はぁぁ!!」


右からは初芽有紀が忍者刀を低く構え、忍者刀を持つ方とは別の手には萬刀が握られている

この奇妙な組み合わせの二刀流と言っていいのか判断に困る武器の装備で迫る有紀

反対からは槍を腰の高さに構え、矛とは反対の一番端に右手を、中心点に左手を置いて握り

槍合せの型でも始めるかのような動作で迫る鴇沢樟葉


「なるほど……魔術戦闘を放棄し体術戦に持ち込もうというわけですか」


賢明な判断ですねと言って焦ることなく八幡さつきは大鎌を少し振るうと

大鎌の刃で有紀の忍者刀を受け止め

大鎌の長柄で樟葉の槍を受け止める


「ですが……こちらの方も対した実力とは思えませんけどね」


さつきがそのまま大鎌を少し揺らしただけで、力を跳ね返された有紀と樟葉はバランスを失って体勢が崩れる

その隙を見逃さず最小限の動きでさつきが大鎌の刃を有紀へと振り落とす

しかし有紀も忍者の端くれ、萬刀を横殴りにして大鎌の刃の起動をそらすと開いた刃で大鎌の刃を押さえ込み追撃を避ける

一方の樟葉は体勢を立て直せず地面に倒れてしまった

しかし、そんな樟葉に変わるように砂煙を裂いて村正が魔剣を振りかざして現れる


「おんどらぁぁ!!!樟葉さんには指一本触れさせん!!」


新たに体術戦に参戦してきた村正の一撃を、さつきは大鎌の長柄であっさりと受け止める

そして両手で大鎌を振るって回転させ、有紀と村正を弾き飛ばす

有紀は受身を取ってなんとか着地するが、村正はそのまま頭から地面に激突した

そのまま仕留めようとしたさつきの耳に砂煙の向こうから祝詞が聞こえてくる

シャリィンと響き渡る鈴の音

砂煙で視界が遮られているため確認できないが、恐らくは吾妻が神楽鈴を鳴らして祝詞を唱えている

となれば次に来るのは


「連携としては申し分ないですね」


言ってさつきは大鎌を横へ一振り

砂煙を割って飛んできた弓矢の鏃を切り落した


吾妻の行使したのは「天日鷲翔矢命」

どちらかと言えば浦上雅の扱う弓術が主に扱う魔術である、しかし元を辿れば弓術も神道系魔術から派生しており

八百万の神々をその身に憑依させる神霊憑依術を駆使することによって魔術を扱う巫女術師に使えてもおかしくはないのだ


「なるほど、対した痛手でもないですがハンデとしては丁度いいですね。だとしても少々めんどうではあります」


言ってさつきは魔術で視界を遮る砂煙を吹き飛ばそうとした

別段、相手を視界を遮られても相手を感知する術ならいくらでもある

それこそ、こういった状況で効果を発する悪魔など山ほどいる

だが、そういった術を披露するほどの相手ではない

手っ取り早く視界を良好にして殺せばいい。そうれだけのことだ

しかし、そんなさつきの考えを見抜いてか


「私を忘れるな!」


有紀が忍者刀を手にとって斬りかかってきた


「まだまだ!」


素早く起き上がった村正も魔剣を構えて斬りかかってくる


「懲りないですね」


さつきは大きく溜息をつくと目にも留まらぬ速さで大鎌をふるって迫り来る二人の攻撃を弾き飛ばす

飛ばされながらも有紀は体をひねって回転、着地すると口で忍者刀を加えて

両手で萬刀のそれぞれの柄を握ると大きく刃を広げてそのまま大鎌の刃を切り取ろうかという勢いでさつきへとかかって行く

萬刀は本来が植木職人が持つ剪定鋏である性質上、二刀流には向いていない

ゆえに萬刀メインで戦う際は忍者刀はどうしても邪魔になってしまう

しかし完全にしまう訳にはいかない、そうなると二刀流という本来の動きが取れない

萬刀で迫る有紀にさつきは大鎌を大きく振りかぶると勢いよく刃を有紀へと叩きつける

有紀はそんな一撃を萬刀の広げた鋏の刃で受け止めると右手を離して左手だけで萬刀を自分の右側へと傾け萬刀もろとも大鎌の刃を地面へと突き刺すと右手で口にくわえた忍者刀を掴み

体を傾けて左から右に倒してる形からどうしても左肩を盾にする形でさつきの首元へと忍者刀を突き刺す

しかし、元々刀身が短いのと、無理な体勢も重なってさつきの首にはあと数センチ届かない

しかし、この一戦の中で始めてさつきを傷つけられるかもしれない一歩手前までこぎつけた

だが、反撃はここまでだった


最初の一撃であっさりと戦線を離脱してしまった樟葉は己の体術戦の不甲斐なさに歯噛みしながらも槍を構えてなんとか隙を突こうと考える

そしてふと気付いた。自分は今攻撃されていない、完全にフリーであることに

砂煙に紛れて吾妻が矢を放った、これをさつきは切り落すが攻撃されるまでは気付いていない

つまり魔術を行う時の動作は見逃しているのだ

だとしたら


(悪魔崇拝の弱点は私の天使術、魔術を発動するまで気付かないのなら……!)


さつきは首元で止まった忍者刀を見つめ、しばし無言

そんなさつきの背後を村正は取り、魔剣で背中を切りつけるように振り下ろす、が


「はぁ…」


さつきが溜息をついて一閃

弧を描いて大鎌を振り、有紀と村正を斬りつけた

萬刀によって地面に封じたはずの大鎌はあっさりと引き抜かれて忍者刀を盾に斬撃をガードしたものの右ひじは切られ血が飛び散った

魔剣を振り下ろしたところだったのでかろうじて魔剣でガードできたものの、ガードできたのは急所だけ、肩に傷が走り血が吹き出る

二人は一瞬宙を舞って使い捨てられた人形のように地面に手足を投げ打って倒れる

有紀と村正が地面に倒れたと同時にさつきはさきほど矢が飛んできた方へと大鎌を振るう

空気を振動して衝撃波がかまいたちとなって距離をおいた吾妻を斬りつけた

砂煙の向こうで吾妻が倒れる音を聞いて、もう一人いたかと考えていると


「!」


直後、周囲の空気が一変した

自らの存在を圧迫する気配が頭上から迫ってくる

見た目にはいつもと変わらぬ無表情で、よく知る人が見れば彼女には珍しく驚いた表情で頭上を見上げる


「汝と護国に使えし我が願いを聞き届けたまえ」


空気を割って頭上にミカエルの印形シジルが浮かび上がる、そしてその印形シジルの更に上には

槍をまるで海面から海中にいる獲物へと投げつけようとするかのような体勢の樟葉がいた

樟葉はさつきを睨みつけると落下速度に身を委ねてミカエルの印形シジルを勢いよく槍で叩きつける


「ミカエルバスター!!!」


槍がミカエルの印形シジルに触れた瞬間、爆発的な勢いで呪力が膨れ上がり

ミカエルの印形シジルを起点として莫大な呪力がレーザーとなって発射、さつきへと放たれる

ほぼ並みの魔法使いなら回避不能なこの距離で、しかし八幡さつきは動じなかった

頭上を取られた事こそ驚いたものの、それだけだった

大鎌を握る手に軽く力を加える、すると大鎌の刃に紫電が迸った

そして片手で振り上げると横殴りの容量でミカエルバスターを打ち飛ばしたのだ


「うそ!?」


至近距離で放ったにもかかわらず、あっさりとミカエルバスターを弾かれたことに樟葉は驚き、そして凍りついた

引力に導かれるまま地面へと、さつきへと近づいていく中で樟葉はさつきの表情

無表情とは違った明らかな殺意ある目線で睨まれ全身から竦み上がった

直後さつきの周囲から半透明の黒い影のような何かが飛び出して樟葉を地面へと叩き落した


「がはぁ!!」


地面に激突して樟葉は口から血を吐き出した

激痛にのた打ち回る樟葉を見下ろしてさつきは大鎌を横一閃、砂煙を消し去った

砂煙がなくなって視界が良好となったことでようやく屋上の惨状があらわとなる

さつきに挑んだ幼き魔法使いは皆血を流して倒れている、屋上の金網と一部床はえぐられ、向かいの校舎が一部崩落している

恐らくはさきほどのさつきの放ったミカエルバスターを弾いた後、運悪く直撃したのだろう

そんな惨状に屋上の入り口で隠れてみていた真紀は恐怖で青ざめ、さつきは特に何の感情もなく


「まさかとは思いますが、さきほどの魔術があなたにとって自身最強の術式ですか?」


地面との激突で肺が圧迫され呼吸が困難になっている樟葉は答えられない、ただ苦しそうな呼吸音を繰り返すだけだ


「最後の手段は相手に通じなければ意味はありませんよ?それにあの程度の威力では相手を仕留めるには不十分だと思いますが…」


言ってさつきは大鎌を片手で持って刃をさつきへと向けると、振りかざすことも斬りつける事もなく


「我らが聖ならざる主たちよ。我らの魂を喰らいて我らの野望を欲望を切望を叶えたまえ」


樟葉に見せ付けるように魔術を組上げていく


「七つの大罪は色欲を司る大いなる者よ!激怒と情欲の魔神たる力を我に!ソロモン七十二柱の魔神の中にあり、七十二の軍団を率いる序列三十二番の大いなる王よ!我は請う、我に大いなる秘術と葬るための指輪を与えたまえ!!」


さつきの周囲に禍々しいまでのオーラが満ち溢れていく、見ればさつきの足から伸びる影は異形の

牛と羊のシルエットが顔の左右から出ており、ガチョウのような足に

手にはさつきが持っていないはずの軍旗と槍が、蠢く竜のような影が浮かんでいる

それは大いなる悪魔の影、そしてさつきの目の前には大いなる悪魔「アスモデウス」の印形シジルが浮かび上がる

それは魔法円を基調とした一般的なものと違って記号のような文字のような印形シジルであった


「アスモデウスレーザー」


印形シジルに大鎌の刃が軽く触れただけで莫大な、さきほどの樟葉のものとは比べ物にならないほどの莫大な量の呪力が一気にレーザーとなって樟葉へと噴した


目の前に迫り来る死の危機に、絶望しながらも樟葉には抗うことも逃げることも出来なかった

呼吸が困難になっていることが原因ではない、恐怖で足が震えて動けないわけでもない

底知れぬ絶望が樟葉の心を砕いていた。どれだけ足掻こうと打ちのめされる

自分の精一杯をぶつけてもあっさりと跳ね除けられ、それ以上を見せつけられる

敵うはずがない、そう思ってしまった……天使の加護を受け、その力を借りる自分が

悪魔に魂を売り、悪魔と一体化したような相手に、そう思ってしまった

折れた心は簡単には元に戻らない

そんな樟葉に止めとばかりに魔術が迫ってくる

迫り来る死を前にしかし、樟葉は体が動かなかった

そんな樟葉を傷つき、血を大量に流しながらも必死で体を動かし有紀が庇う


「何やってんのバカ!避けなさいよ!!」


最後の力を振り絞って地面を蹴ってまるで野球選手が必死で一塁ベースへと飛び込むように樟葉へと飛び込み

樟葉を抱きとめ、そのまま勢いに任せて横へと転がる

ギリギリのところでなんとか交わしたが、アスモデウスレーザーはそのまま床を突き飛ばしながら遠く彼方まで飛んでいき、屋上から見える範囲の中では大きなビジネスビルを撃ち抜いて崩壊させた

その光景をなんとかギリギリかわした有紀は悪寒と共に見た


「あ…んた…はぁ…はぁ…何やっ…たか…わかってん…の?」


信じられないといった表情でこちらを見る有紀に対し、さつきはやはり無表情で告げる


「何をそんなに驚いているのです?魔法で何かが壊れたとして気に掛けることもないでしょう。たとえあのビルが壊れたところで、中で何人死んだところで、もう関係ないことなのですから」


「関係…ない?あなたねぇ!!」


怒りで有紀は傷も痛みも忘れ、フラフラと立ち上がる

激痛に耐えながら、それでも止めなければいけない敵を睨む


「これだけの…魔術を…引き起こして…AMM…も関係ない…とか…いうレベルじゃ…ないわよ?」


激痛で意識が飛びそうになりながらも、それでも有紀はさつきを睨みつける

睨みつけて問いただす


「自衛隊も…警察も…機動隊も…ヘタすればどこかの国の…軍隊だって出てくるわよ。表社会と…科学文明と…戦争になるわよ」

「それが何だと言うのです?」

「な…にを?」

「むしろ我々の目的はそこにこそあるのですよ?錆びれた現在の魔術世界だけでなく腐敗した現代文明そのものの粛清……それこそが私の属する魔術結社の目的」


有紀にはさつきが言っている言葉が理解できなかった

八幡さつきは平然と現代文明を滅ぼすと、AMMのみならず科学とも戦争を引き起こすと言ったのだ

もはや正気の沙汰ではない…魔法使いという常識から外れた存在からも外れている


「イカレてる」

「それは心外ですね。本日の科学技術が数多の戦争によって生み出され開発され今に至っているのと同じように、魔術も数多の大戦によってその技術が向上しています。いい例をあげるなら十字軍遠征。この際キリスト教会の魔術は飛躍的進化を遂げました。アルビジョア十字軍の異端審問の拷問術式、騎士修道会の修道法印術、東西交流による中世魔術の脱却と近代魔術の確立。イスラム世界では対欧州術式の飛躍的進化、十字排除と融和の魔術の確立など…最近では太平洋戦争時、日本がアジア各国を侵略する中で神社、寺院を建てていったことで東南アジア、中国の一部地域で神道排除の術式が確立しました。戦争は科学・魔術問わず技術を進歩させるものなのですよ」


突然口が達者になったさつきの言葉に有紀は絶句した

それはもはや魔術師の思考ではない、マッドサイエンティストの部類に入る


「それは…本当に…あなたの考え?」

「私の考えであり、我々の目指すところの概念でもあります」

「戦争を引き起こして魔術を更なる高みに上げるですって?何よそれ」

「それは少し違います。それは一つの通過点であり、仮定でしかありません。我々が目指すところの最終目標はその先にあります」

「最終目標?」


有紀にはとてもついて行ける話ではなかった。中学生に理解するにはあまりに難しく

大人が理解するにはあまりに気の遠くなる話


「我々は自らをかつての栄光を取り戻す使徒と呼んでいます。偉大な夢を体現する者と…それが我ら魔術結社<ティマイオス>」


さつきはまるで自らの意思を示すように大鎌を頭上へと掲げる

同時、衝撃波が有紀を襲い。もはや力を残していない有紀は踏みとどまることもできず仰向けに倒れた

その様子を見たさつきは残る一人、有紀に助けられたことで我を取り戻した樟葉に大鎌の刃を向けようとして

その動きが止まった


「何をしている?我が弟子よ」


どこからともなく男の声が響いた。さつきは自分の背後を振り返りそこにいる男の顔を見るなり片膝をつく


「作業を妨害した者を始末している所です師匠マスター


さつきの先には金髪の長髪を束ねるでもなく惜し気もなく垂らし、顎鬚が特徴的な蒼い目の白人男性がいた

ついさきほどまでいなかったはずのその男は、さつきの言葉を受けてフムと顎鬚を指で弄り


「放っておいてよい、それより術式起動に戻れ。予定通りの時間に発動しなければデモンストレーションとしての意味がないからな」


白人男性の言葉を受けてさつきは返事と共に頭を下げるとさっさとその場から離れ、最初にいた位置に戻ると

背中に巨大な蝙蝠の羽のようなものを纏って遥か上空に展開する東京二十三区を包み込むように展開する術式へと飛び立っていく


樟葉はその光景をぼんやりと霞む視界の中で捉えていた

そして男の顔が視界に入った時、背筋が凍る思いがした

心臓が高鳴り、圧迫され、呼吸ができなくなる

三十代後半とも思えるその男性の顔を樟葉は知っている。いや知りすぎている

そして男の顔と一緒に記憶に浮かび上がる光景は


「いや…」


こんな状況になってようやく樟葉は有紀が、吾妻が、村正が血まみれで倒れていることに気付く

血を流し倒れている、血が、血が、血が


「い、いや……」


二年前、樟葉にとっては決して忘れることのできない。心に決して癒えぬ傷が生れた日

血まみれの彼女の体を抱きしめて泣き叫び、泣き叫び、血が自らの服を体を赤く染めて

彼女からはそれが流れ続けて……


「い、いやーーーーー!!!」


直後黒い雷が迸る霧のような何かに首を絞められて持ち上げられ体が宙に浮く

首を絞められ呼吸が困難となり樟葉を締め上げる何かを必死で引き剥がそうとするがもがいてもビクともしない

そんな樟葉を見て男は口の端を吊り上げる


「こいつは驚きだな。いくら東京とはいえ、まさかこんな所で再会できるとは運命のめぐり合わせとは数奇なものだな」


笑いながら言う男を睨みつけて、樟葉は必死で首を締め上げるものを引き剥がそうとする

そんな樟葉をあざ笑うように男は愉快に声をかける


「お前がいるということはもしや奴もいるのか?フム、それは楽しそうだ」


言う男はニヤっと笑って頭上を見上げた、直後樟葉の頭上から目に見えぬ速度で何かが降ってきた

二つの見えぬ何かが樟葉の首を絞めるものを切り裂き消滅させる

地面に突き刺さったのは棒状の真ん中は柄、上下に槍の刃がついた密教法具「金剛杵」

地面に刺さった二つのうち一つはまるでフォークを思わせる三本の刃の三鈷杵、もう一つは典型的な形である独鈷杵

これらに断ち切られ解放された樟葉はそのまま地面へと落ちていく

しかし、直後まるで樟葉を受け止めるように浮かび上がった曼荼羅に受け止められて、その姿を曼荼羅の中へと沈ませていく

すると少し離れた場所で樟葉はこれまた宙に浮かび上がった曼荼羅から落ちてきた

しかし、地面に落ちることはなかった。曼荼羅から落ちてきた樟葉を誰かが抱きかかえる形で受け止めたからだ

それを見て白人の男は心底楽しそうに口の端を吊り上げる


首を絞められていた樟葉は解放されたことでゴホゴホっと咳き込んでいたが

やがて自分がお姫様抱っこの容量で抱きかかえられていることに気付く

普段なら師匠を除いて誰かが自分にこのようなことをしようものならくずきりアッパーで粉砕することだろう

そう、師匠以外ならば…

樟葉は顔を上げて自分を抱きかかえている者の顔を見る、自然と樟葉の表情が明るくなっていく


「ったく、どこの変態野朗がうちの可愛い愛弟子をいじめてるのかと思ったら…てめぇかよ!」


樟葉を抱きかかえて、樟葉の師匠にしてS級ランクの上級魔術師たる沖山誠也は敵を睨みつける

八幡さつきの師匠たる男を


「ロニキス・アンドレーエ!」


ロニキスは言われて笑いが堪えきれないといった表情となる


「運命のめぐり合わせとは意外と早くやってくるものだな……誠也!」


二年前の事件の因縁の間柄たる二人の魔術師は今ここに火花を散らして再び合間見えた


生贄の儀式 術式完全起動まで、残り九分


それは悲しい記憶

それは名声の記録

それは哀しい結末

それは輝かしい名声


彼にとって二年前の事件とはその二つの意味合いを合わせ持つ

とある魔術結社の陰謀の阻止、とある魔法少女の悲しい結末

あの事件は彼にとって一体何だったのか?

自らの名声を魔術界に知らしめた踏み台だったのか

それとも大切なものを未来永劫失い、決して返ってこない回答を投げかけただけだったのか


彼にはわからない、彼にとってそれは考えても結論のでない問題だった

その答えを一人の少女に求めるのも間違っているような気がした

たとえ、彼女が入れ替わるように彼の元にやってきたのだとしても…

少女はまだ幼すぎる、たとえ血が繋がっていたとしても


だからこそ、彼には少女の真っ直ぐな瞳が

真っ直ぐな想いが痛かった


あの日、あの時、確かに守ると誓った

でも、それは少女にではなく……


樟葉は抱きかかえられる腕の中、顔を上げて嬉しさで表情を満たした


「師匠!!来てくれたんですね!!」


絶望のふち、ヒロインを助けるヒーローのごとく現れた自分だけの王子様を見て

樟葉の瞳がキラキラと輝いていく、もはや今の危機的状況など頭から吹っ飛んでしまったようだ

瞳を輝かせて師匠の顔を見上げる

しかし、その師匠の表情は険しいものだった

それは当然だろう、何せ彼が睨みつける先には

因縁の相手たる、かつて欧州全土にその名を轟かした魔術師。ロニキス・アンドレーエが立っているのだから


「樟葉……友達を集めて後ろに退避してろ」


誠也は樟葉を地面に下ろすとロニキスを睨んだまま告げた

誠也から並々ならぬ呪力のオーラが迸っている

樟葉はいつもとは違う、完全に本気で戦うつもりの誠也のオーラに圧倒される

ここまで呪力が溢れ出ていることは誠也にとって珍しい、樟葉にしても久しぶりに見た

樟葉は真剣な表情になると何も言わず、倒れている有紀の下へと走った

有紀を起こして背負い、吾妻と村正も引きずって真紀のいる屋上入り口まで批難する

大好きな師匠に背を向ける樟葉の表情は崩れそうだった


「樟葉……」


真紀はそんな樟葉の表情から心中をすぐに察した、しかしどう声をかけていいものか悩んでいると


「真紀、有紀たちをお願い」


崩れそうな表情で、切れそうな声で樟葉は言う

真紀は何も言えず、有紀と吾妻をなんとか屋上入り口の中へと押し込む

真紀は心配そうな表情で樟葉を見るが、樟葉は無言で槍を地面に突き立てる

槍が突き刺した地面に魔法円と円の周りに異国の言葉で記された黄道十二宮が現れた

星の霊的加護を用いた魔術防壁を起動させた樟葉は自分の背後に真紀を隠すように真紀の前に座る


「真紀、ここからは一歩もその場所から動かないで」

「え?」

「師匠もあいつも世界でも数えるほどしかいない、最強候補の魔術師だから」

「さ……最強候補」

「その二人が本気でぶつかったら、その余波だけでもただの一般人は正気を失っちゃう……」


真紀は悪寒のようなものを背筋から感じた

樟葉や有紀を見ているせいか、魔法というものに対してそこまでの恐怖を抱いたことはなかった

しかし、さきほどの八幡さつきもそうだし、今の樟葉の話からしても、やはり魔法とは恐ろしいものなのだ

樟葉たちには悪いが、本物の魔法使いが争ったらどうなるか

恐怖で真紀はもう言葉がでなかった


屋上にて互いに睨みあう二人の魔術師は互いに最初の一手を放とうとしなかった

数秒の沈黙と視線の交錯が永遠にも長く感じられる中、言葉を発したのはロニキスだった


「久しいな……二年ぶりか?よもやこんなにも早く貴様と再会できるとは……いや、俺も日本を受け持つ立場上、どこかでこんな日が早く訪れることを切に願っていた」


独り言のようにブツブツと言い出したロニキスに対し、誠也はいまだ睨みつけたままだ

やがて遮るように


「黙れ」


一言発した


「てめぇ、一体何の真似だ?」

「フム、果たしてそれは何に対してのことかな?あの子に対してのことか?それとも…」

「それも含めて全部だ!てめぇ、何を企んでやがる」

「フム、素直に話すと思うか?」


愉快とばかりに不敵な笑みを浮かべるロニキスに対し、誠也はロニキスを睨みつけたまま


「まさか、世界征服だなんてバカげたこと考えてるんじゃないだろうな?」


問いただす

世界征服、あまりに突拍子もなく、あまりに現実的でない

しかし、手段を選ばず本気で行おうとすれば容易にできてしまう

ロニキスほどの魔術師が持てるすべての大魔術を駆使すれば


占星術師、 リーシャ・ブライト

風水師、張吏伯

共に占い・予知に特化し、その方面において絶大なる力を有する魔術師は一つの未来を予知した

世界を覆う災いの影

元は野外活動での樟葉の無事を占ってもらって出た答え、言うなれば樟葉が関わる形でそれは起こるということだ

予知した場所は樟葉が通う中学校校舎の屋上、そこまでわかれば充分だった

急ぎ屋上へ向かった誠也は途中、空一面を覆う術式を目の当たりにしAMMへと連絡を入れた

そしてAMMの情報からこの大魔術に一つの結論を出していた


「この空一面を覆う術式……古代マヤの生贄の儀式の術式だろ?」

「ほう…なぜそう思う?」

「AMMからの上空解析画像見れば一発だろ、ここまで大掛かりなのは流石に地元メキシコでも前例がないそうだが……確かメソアメリカ文明には水晶髑髏クリスタルスカルなんてオーパーツが存在するが…この空を覆う術式、それを作るためのものだろう?」


確固たる断言で誠也は言い放った

聞いていたロニキスの口の端が吊り上がる


水晶髑髏クリスタルスカル

この奇妙な人の頭蓋骨の形をした水晶は考古学的にも学術的にも科学的にも一体何なのか結論がでていない

ルバアントゥンの遺跡で発見されたものは時代を測定した結果十九世紀に作られたものだと判明したり

現代技術では不可能という一方、粗悪品であってもそれらしきものはいくらでも製造可能だ

何より、迷信自体がTVの娯楽番組やかつての侵略者の勝手な妄想日誌が元ネタだったりするあたり信憑性が低い

にも関わらず、今だ結論が出ていないのは高度な科学解析が今だ行われていないことと

近代に多く現れるようになった粗悪な模造品と違って、確かに本物も存在するからだ

本物というのは、話題作りのための、科学者の否定材料のための劣化模造品ではなく

メソアメリカ文明が栄えた時代、もしくはそれ以前より存在するもののことだ


それは神代の時代と呼ばれる、まだごく当たり前に世界の理を捻じ曲げてしまうほどの大魔術が平然と公の場でおこなわれていた時代

作物の豊作と狩りの成功を祈願する神聖な儀式、遥か天空の神に願いを届けるためには莫大な力が必要だった

そこで古代の神官たちは神に、大地に生贄を捧げた

祭壇の石の上に生贄の心臓を生きたまま抉り出し奉納した

人の命の源を捧げることで、その願いの強さを証明しようとしたのだ

しかし、それでは足りなかった…だからこそ、もっと強力な願いを届ける媒介となる奉納物(生贄の肉体)が必要だった

しかし、心臓では足りない。どれだけ遠征し、捕虜をかき集め、生贄を増やそうが足りないのだ

ではどうすればいいのか?

そうした結果、一つの術式が生れた

人間を、動物を生きたまま水結晶にする

強大な呪力のパワークリスタルに変換する術式が……

人が、動物が培った思いや生きようとする本能が凝縮されたその水結晶パワークリスカルの力は作り出した神官たちの予想を遥かに超えていた

だからこそ、彼らはそれを神殿に隠し二度と生み出さないよう封印したのだ


水晶髑髏クリスタルスカルの迷信の中に十三個のクリスタルスカルを集めなければ世界は滅びる、すべて集めて始まりの祭壇に捧げれば宇宙の謎が解けるといったものがある

これはあながち間違っていない

強大な力を有する水晶髑髏クリスタルスカルすべてをもし手にしたとしたら、その絶大な力を持って神と同等の力を、知識を得ることができる

つまりは無限の呪力と完全たる知恵という神のもつ性能スペックを得られるからだ

そしてそんな者がもし、人の世の真の姿を目の当たりにしたらどういった行動にでるか?

それは人を人の身にして神にする甘い果実ではない、人の世に終演をもたらす魔王を生み出すものなのだ


そんな力の誘惑を秘めた水結晶パワークリスタルを作るための術式が東京二十三区を覆い尽くすように展開している……つまりは


「東京中の人や動物をまるごと全部水結晶パワークリスタルに変換するつもりか?」


誠也は怒りに満ちた表情で言い放った

誠也の言葉に樟葉と真紀は心臓が凍りつくかのような寒気を感じる

東京に住むすべての人と動物たちを水結晶に変える、そんなことが起こってしまったら……

ロニキスは愉快そうにニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべている


「東京に住む人すべてをクリスタル化すれば地球を牛耳るなど容易いものだよな?ふざけやがって」

「フム…中々の推理だ、しかし……爪が甘いな誠也」

「なんだと?」


口の端を歪めてロニキスは楽しそうに語り始めた


「たしかに、その推理は間違ってはいないただ……正解ではない。考えてもみろ、いくら俺でもたかだが東京一つで世界を牛耳る力を得られるとは思っていない。そこまで過信はしてないぞ?」


ロニキスは愉しそうに、まるで自分の得意分野の話を意気揚々と語る教師のようにつらつらと述べていく


「それに付け加えるなら生贄の儀式が展開されているのは東京だけじゃない」

「なっ…何だって?」


誠也はロニキスの言葉に衝撃を受けた、東京以外にもどこかの都市が襲撃されている?


「そこまでの情報はまだAMMから得られていないようだな」

「一体どういうことだ!?」

「さて、ここから生きて出られたら知ることもできるだろう…それとも俺と共にこちら側へ来るか?ならば世界のすべてを見せてやってもいいぞ?」


ロニキスはまるで挑発するように言う


「何ならあの日、お前が知りたかった答えを教えてやってもいいぞ?ん?どうなんだ?知りたくないか?あれの最後の言葉を」


「やめろ、それ以上言うな」


怒りに震える声で静かに誠也は告げた

誠也の周囲の空気が一変する


「それ以上彼女を蔑むな」

「俺はただお前の欲しているものを提供ししょうとしているだけだがな」


フムと愉快な表情で顎鬚を弄るロニキスを誠也は憎悪に満ちた視線で睨みつけて言い放つ


「黙れ、この裏切り者!てめぇも、てめぇら魔術結社<ティマイオス>も、これ以上彼女のことを口にするな」

「くくく…そうかい」


ロニキスは本当に愉快に笑い声をあげた

裏切り者の魔術師。元AMM欧州地区総括本部長ロニキス・アンドレーエを睨みつけて、しかし誠也は感情に任せて無鉄砲に飛び掛らない


「しかし裏切り者とは心外だな…我々ティマイオスの同志はAMMのみならず宗教教会、財界、政界、科学、あらゆる分野に構成員がいる。スパイに裏切り者はないだろう?」


滑稽だと言わんばかりにロニキスは笑う、その笑う姿が誠也には不愉快だった


「言っておこう、この生贄の儀式の術式は東京にいる生物にだけを水結晶パワークリスタルにするわけではない、この都市そのものを巨大な水結晶パワークリスタルに変えるのだよ」

「なん…だって?」

「そして、これは始まりにすぎない。これによって得られる莫大な力を使ってやらなければならないことがこの先に待っている」

「なんだよ…それ」

「フム、知りたいか?ならば俺とともに来い。お前の力があればリゾーマタ(幹部席)はおろかクリティアス(首領補佐)の座も狙えるだろう」


不敵に笑い、つらつらと述べるロニキスについに誠也も限界がきた


「ふざけんなよてめぇ……いい加減にしろ、誰かてめぇらみたいな糞野朗の仲間になるかってんだ」

「フム、そうか残念……所詮相容れぬか」


言うロニキスにしかし落胆の色は見えない


「戯言はやめろ、思ってもないこと言いやがって…術式構築の時間稼ぎのつもりか?こっちはもう限界なんだよ!とっとと始めようぜ」

「喧嘩っ早いところは変わってないな…いいだろう、二年前の再戦といこうではないか」


ロニキスは両手を広げて言葉を紡ぐ、その言語はヘブライ語(神の言葉)

紡ぐ言葉は形成の書の一説、三十三の智恵の経路を連ねていく

その智恵の経路、十のセフィラー、隠されたダアト、二十二の小径パス、三の柱。そのすべてに意味を持たせ、形作る

創造神エイン・ソフの十段階の聖性を表現世界たる現実、アッシアーへと顕現させる

ロニキスの足元が神々しく光り輝き、円と線で描かれるシンボルが浮かび上がる

それはロニキスが両手を高がかと天に掲げると、ペラっとまるで机に置いてあった薄いシートが剥がれるように浮かび上がり

ロニキスの背後に巨大な扉のように配置される

そしてドン!っという大きな地響きと共にまるでそこに打ち込まれたように空間に異様な亀裂を作って、そこに固定された

それはセフィロトの樹

ユダヤ神秘主義の表徴にして近代西洋魔術の基盤、神がこの世を統治するための簡略図


背後にセフィロトツリーを置き、臨戦体勢に入ったロニキスに対し、誠也は今だ魔術を行使する気配を見せない

それどころか、今度は誠也がロニキスに対し挑発してかかる


「おいおい、笑わせんな!それじゃまるで新興カバラ聖法じゃねーか!てめぇはあれか?カバリストですか?タロット師ですか?違うだろ!てめぇーはカバラ術者じゃねー!てめぇの本質は認識と知識で神様になろうって知性欲しがり屋だろ?このグノーシス主義者!」


グノーシス主義

それは一世紀から続く古代思想、認識と完全な知性によって神へと到達することを目指した宗派

その性質上、多くの地域で広まったが、そのほとんどが異端とされ排除されている

にも関わらず、今だ完全に消滅しないわけはその考えが多くの文化、思想に影響を与えたことと

道を踏み外した魔術師が必ずその考えにたどり着いてしまうからだ

人の身にして真の神となる。これほどに素晴らしい言葉はないだろう

しかし、当然ながら今だグノーシスの魔術を極めた者はいない

なぜならば、もしもグノーシスの魔術を極めたのならば、その者は生きたまま、人の身にして神となるのだから

当然、歴史上政治的に神だと言った者はいても、真の神となった者はいない

もしもそんな者がいたならば、それこそ世界そのものが変わっているはずだ

ゆえにグノーシス主義者は数多くいても、それを極めた者はいない

しかし、そんな中にあってロニキスはもっともグノーシスを極められるかもしれない位置にいた

グノーシスの魔術の到達点とでもいうべき無限光、アイン・ソフ・アウルに手が届くとさえ言われた逸材

ゆえにAMMでは欧州総括本部長まで上り詰めたのだ


「どうした?使わないのか?アイン・ソフ・アウル(000)はよ?」

「ふん、わざわざ使う必要もあるまい?あれはそのようなものではない」

「どうだかな、ただ単に使えないだけだろ?グノーシスの魔術は提唱だけで確立されてないからな」


言う誠也の言葉を聞いてロニキスは不気味に笑う、そして右手を軽く横へ振るう


「それについて議論する気はない、では始めようか」


振るった先の空間が歪み、呼応するようにロニキスの背後のセフィロトの樹が光り輝く


「タヴ!イェソド(基礎)からマルクト(王国)へ呪力を放流!災いの雨を投下せよ!!」


ロニキスの背後、セフィロトの樹がロニキスの言葉とリンクして光り輝く

セフィロトでも下位のセフィラー、人間社会の領域であるセフィラーが光り輝く

最も下位のセフィラーであるマルクト(王国)へ、その上に位置するセフィラーであるイェソド(基礎)から赤い光が伝っていく

やがて赤い光がイェソド(基礎)からマルクト(王国)へと到達すると二つのセフィラーだけが緋色に変わる

それと同じくロニキスは横に振った右手を頭上へと掲げる

すると上空に空間の歪みが生じ、そこから無数の緋色の槍が豪雨のように誠也目掛けて降り注いできた

その無数の緋色の槍はすべて呪力で生み出された魔法の槍、人の手によって生み出された武器と違い避けたからといって安心できない

エネルギー弾と同じく、地面に衝突すれば爆発する

それらを見上げて誠也は軽く笑った


「ウォーミングアップとして申し分ないってか?」


誠也はこの状況で魔術は行使せず、姿勢を低くすると地面を蹴って全力疾走

豪雨のごとく降り注ぐ魔法の槍を回避していく

地面に落ち爆発を起こす中、達人の域で誠也はすべての槍を回避

足を止めた頃には攻撃は収まっていた


「コフ!ネツァク(勝利)からマルクト(王国)へ呪力を流下!激流を放流せよ!!」


ネツァク(勝利)のセフィラーから最も下位に位置するセフィラー、マルクト(王国)へと赤い光が伝っていく

赤い光は二つのセフィラーを結び二つを緋色に輝かせる

同時ロニキスは右手を真横に振る

同時にロニキスの左右の空間が歪み、そこから恐ろしい勢いで濁流が誠也へと襲い掛かる


「はっ!今度は地上からってか!」


誠也はさきほどと同じく全力疾走でこれを回避、魔法の槍と違って単純な濁流にはさほどの苦労を要しなかった

そんな誠也を見てロニキスは心底愉快に笑う


「どうした?さっきから逃げてばかりじゃないか?まさか魔術が打ち止めになったか?もっと俺を楽しませろ!」


そんなロニキスの言葉に誠也は呆れた表情を浮かべた


「誰が最初から魔術仕掛けるかよ!まずは様子見と魔術強度の解析、戦闘の基本だろうーが!」

「フム、一理あるが兵法ばかりでは理屈っぽくつまらんぞ?」


言ってロニキスは右手を真上へ振るう

再び上空の空間が歪み、無数の緋色の槍が豪雨が誠也へと迫る

それを確認し、また回避すべく地面を蹴ろうとして前方と背後に空間の歪みが生じるのを確認する

そこからさきほどと同じく濁流が前後左右から迫ってくる

完全に退路を塞いだらしい

これでは走って回避することはできない

誠也はふぅ…と溜息をつくとズボンのポケットに右手を突っ込み

そこから黒い珠の数珠を取り出すと手にかけ合掌

両目を閉じて外界と心を絶ちお経を唱える

同時、誠也の周囲に無数の文字が浮かび上がり、誠也が唱えるお経と呼応してそれらは増えていく

誠也が一言発するたびに文字は一字増え、やがてそれらは誠也を包み込む形でドーム状に渦巻き、広がっていく

どんどん膨れ上がっていくそれは中心たる誠也を護るスペースを内側に作る

術者自身を擬似的な仏舎利塔に見立て聖域を形成する秘儀

膨れあがるドーム状の文字の渦巻きに豪雨のどとく降り注ぐ魔法の槍も、濁流も弾かれ効果を失う

誠也はロニキスの攻撃を完全に退けた

そんな誠也を見てロニキスは愉快に笑う


「素晴らしい!完全に退けたか!そして何だその術式構築の速さは?仏教結界は構築するのに、ラオスの僧侶でさえ数分は要するというのに、僅か数秒じゃないか!」


ロニキスは愉しそうに笑う、そこに相手と命の奪い合いをしているといった雰囲気はない


「それになんだ?その奇怪な術式は?上座に部派アビダルマに大乗、チベットも垣間見れるが……フム、ありとあらゆる宗派の特性を取り入れたオリジナルの経典か?基盤となる基礎術式は日本密教の中でも真言宗の色合いが強いが……」


戦闘中であるにも関わらず誠也の術式を解析し始めたロニキスに対し

誠也はお経を唱え終わると無数の文字のドームの中からロニキスを睨みつける


「ごちゃごちゃうっせーぞ、これ(仏教)はてめぇの分野じゃねーだろ」


言う誠也の言葉を聞いてロニキスはニヤリと笑うと、さっきまでと違い左手を横に振る


「関係あるさ!これを使うからな」


ロニキスの背後、セフィロトの樹を形作る三つの柱のうち右側の柱が緋色に輝く


「慈悲の柱!コクマ(知恵)からケセド(慈悲)、ネツァク(勝利)へ呪力を直結!滅する力を!!」


ロニキスが左手を掲げると頭上の空間が歪み、そこから一本の緋色の槍が誠也へと放たれる

さきほどの豪雨の槍と比べるとインパクトにかけるその攻撃を見て、誠也は仏教結界の中でただ敵を睨みつけるだけだ

しかし、すぐにそれが何であるかに気付いた誠也は慌てて仏教結界を解除、素早く印を切って真言を唱える


「おん くろだのう うん じゃく」


誠也の背後に薄っすらと一面六臂、右足を大きく上げて片足で立ち、複数ある手に輪宝や弓矢を持った

髪は火炎の勢いで大きく逆立ち、憤怒相で全ての不浄を焼き尽くすかのような彫像のようなものが浮かび上がる

それとシンクロするかのように誠也が右足を大きく上げて、そのまままわし蹴りを行うと

強烈なまでに灼熱の炎がロニキスの放った緋色の槍へと放たれた

それはロニキスの放った攻撃を迎撃する


「仏教結界を解除、攻撃に転じたか…フム、良い判断だ。何せ慈悲の柱は対仏教用術式だからな。確実に仏教結界を貫いていたはずだ」


誠也はその事実に気付いてすぐに惜しみなく結界を解除、最も状況に適した真言を紡いだのだ


誠也が行ったのは密教における五大明王の中の一尊、烏枢沙摩明王

明王の中でも特に中心的役割を果たすその御技を借りたのだ

烏枢沙摩明王は古代インド神話でこの世の一切の汚れを焼き尽くす炎の神アグニである

仏教に取り入れられてからも烈火にて不浄を清浄し滅する神力を持つことから、心の浄化、現実的な不浄を清める功徳からあらゆる層の人々に信仰されてきた火の仏だ

身近な所ではトイレの汚れを清めことで有名である


屋上入り口で誠也とロニキスの戦いを傍観していた樟葉たちは、息つく暇もなくその戦いに釘付けになっていた

本物の魔術師同時のぶつかり合いに真紀は言葉がでない

一方の樟葉は目をキラキラと輝かせて胸の前で両手を組んで乙女の笑顔を浮かべている


「きゃわーん、師匠素敵!かっこいいー!もう最高!」


真紀はそんな樟葉を呆れた目で見つめた

それはもはや魔法使いではない、一人のミーハー女子中学生だ。もしくは恋する乙女か

邪魔したらまずいかと思ったが、それでも真紀は尋ねてみる


「多分聞いてもわからないだろうけど、あれって何?」

「密教だよ、師匠は密教徒だもん」

「みっきょう?」


きょとんとする真紀に樟葉は得意気に説明し始める


「秘密仏教のことだよ。日本の宗派の有名所は密教なんだよ?空海さんの真言密教、通称東密に最澄さんの天台密教、通称台密。どちらも真言宗、天台宗っていった方が一般的にはわかりやすいかも」


言われて真紀は社会の授業を思い出す。最澄は唐から仏教学を持ち帰ってきた僧で比叡山の方だったか

空海も最澄と同じく遣唐使の留学僧として唐で修行を積み、帰国後は弘法大師として真言宗を開いている高野山の方だったはず

そこまで考えて真紀ははっとなった


「え?ってことは樟葉って仏教徒から天使学を学んでるの?てっきり天使の師匠だから神様の秘儀とか使うかと思ってた!ゴットブレス!とか言って」


真紀のイメージとしては白い衣を身に纏い、木の杖を片手に雲の上に立って

髭からは長い顎鬚、当然白髪

どこか威厳ある老人、そんなオートドックスな神様がゴットブレスと叫んでいる感じだ

そんな真紀の想像に樟葉は


「てか、それ何情報?」


とりあえずつっ込んでみた。今時そこまで典型的イメージはそうそうない

しかし、当の真紀は次にはっと気付く


「ていうか誠也さんってお坊さん?僧侶だったの?どこかの住職さん?こんな格好してないのに?」


こんな格好とはこれまた真紀の脳内イメージ

袈裟を来て、当然草履に手には錫杖、頭に編笠を被り、乞食行を行っているイメージ

漫画でよく見る構図だ

そんな真紀のイメージに対し、樟葉は


「てか、仏教徒全員そんな格好してるわけじゃないよ?」


つとりあえずつっ込んでみた


「真紀は想像してるのは密教僧ね。師匠は密教僧じゃないよ?密教徒だよ」

「えっと……何が違うの?」


そんな言葉遊びのようなものを素人に言われても…という心の声は押し殺して真紀は聞いてみる


「簡単に言えば正式な教えを教授してもらい、修行しているのが密教僧。正式な教えではなく個人単体で独学で経典を極めた者を密教徒って言うの


本来ならばお寺に入り、教えを学び、精神を鍛え、修行に励んで初めて密教を極めることができる

しかし、近年の宗教全般、仏教離れによってお寺に入り修行する者は減っている

ただし、お寺に入ろうとは思わなくても、仏教に興味はある

その教えを、教授を、秘儀を極めたいと思う者はいくらでもいる

そういった者達は独自に経典を紐解き、独自に解読し修行することによって

お寺に入らずともその秘儀を習得したのだ

そういった者達を正式なお寺で修行した密教僧に対して密教徒と呼ばれている


当然ながら、正式に極めた密教僧から比べれば技術も雑で粗悪だが最近ではこちらの方が若者には主流になりつつある

当然、歴戦の住職たちは彼らを見下す傾向にあり、密教術者と認めない者もいる

しかし、それでも中にはそんな歴戦の住職をも上回る者が密教徒の中にはいるのだ

その代表格が沖山誠也なのだ


誠也は現役密教徒の中では最強だろう

密教徒のみならず、密教僧も含めた密教界全体でもトップクラス

いや、密教のみならず仏教界全体で見ても数少ない聖人

現代の十大弟子にも数えられる実力を持っている


「そんな師匠を僻むお坊さんもいるんだから嫌になっちゃうよね!でも師匠はちゃんと誠崔って戒名だって正式にもってるのに」

「え?戒名?それって死んだ人につけるんじゃないの?」

「真紀、日本人たるものそこはいくら若者でも知ってないとダメだよ?」

「いや、同い年…ていうか中学一年生が言うセリフじゃないと思う」

「あのね、戒名っていうのは出家した人に与えられる名前なの、仏弟子となった証明なんだよ。死んだ人につける戒名は成仏するためにつけるものなんだよ、生きている間に仏弟子とならなかった故人を先に逝ったご先祖様たちと共に子孫を護っていけるようにって」

「へぇ…」

「そう、だから戒名には生死は関係ないの。ややこしいから生きてる時は法名っていう場合もあるけど…ていうか戦国武将だったり歴史上の人物を挙げたほうがわかりやすいかも。武田信玄 や上杉謙信、山名宗全に大友宗麟は出家して戒名名乗ってるでしょ?正室の女の人でも出家して○○院って名乗ってたりするじゃない?」


言われて真紀もそれもそうかと思う。大奥なんかじゃなんとか院がやたらといたりするし

そういえば篤姫も天璋院だったかと真紀がなんとな~く大河ドラマを思い出していると


「とにかく、お寺の人たちは形にこだわりすぎなんだよ!いや、それは仕方がないけどそれでも師匠は別格なんだからもっとこう…」


用は誠也が実力もトップクラスなのにお寺に入ってないってだけでやいや言われるのが気に食わないらしい

そんな話をしている樟葉と真紀であったが、当の誠也とロニキスの戦いは続いていた

ロニキスの放った紫電の鞭を、誠也が烏枢沙摩明王の炎で消し去る

そのまま烏枢沙摩明王の炎でロニキスへと追い討ちをかける誠也の攻撃をロニキスは

ネツァク(勝利)、ホド(栄光)、イェソド(基礎)からなる魔術三角形で受け止める

それを見て誠也は舌打ちした


「聖者のセント・イージスか」

「いかにも、元ネタはギリシア神話の主神ゼウスの愛娘アテネへ送った、あらゆる邪悪や災厄を払いさる魔除けの力を持つ防具アイギスだ」

「ったくセフィロトになんでも詰め込みすぎだろ!いいぜ!ギリシア神話の魔除けの盾が古代インド神話の火の神にして仏教におけるこの世の一切の汚れを焼き尽くす炎に耐えられるか試してやる!!」


言って誠也は今まで以上に強力で巨大な炎の弾を放つ

それを見てロニキスは愉快に笑う


「面白いではないか!かつて十字軍遠征時にはアラビア魔術を退け兵を護ったとされるこの術が、今度は仏教術式も退けるか試してやろう!!」


誠也とロニキス、二人の強大な魔術師はその秘術を激突させる

その威力は絶大で一瞬、中学校を中心とした広範囲にわたる一帯が強力な発光によって光に包まれ真っ白な無の世界と化した

樟葉と真紀は手で顔を覆うが、防ぐことはできず、目が数秒やられてしまった

辺りが平常に戻り、視界が回復した時にはすでに誠也とロニキスの魔術戦闘は終了していた


「師匠?」


戻った視界の先には誠也が立っていた

そしてロニキスも…

しかし、無傷というわけではなかった

誠也は右腕に怪我を負い、右手からは血が滴っていた

ロニキスも頬に傷が走り、血が頬を伝っている

見ればわき腹を怪我しているのか、衣服が紅く染まっている


誠也の炎とロニキスの盾が激突した瞬間、互角の力は爆発し、閃光した

その瞬間、閃光で相手が自分の動きを視覚できなくなった瞬間に最後の攻防戦が切って下ろされたのだ


誠也は素早く懐から二本の独鈷杵を取り出して、忍者が手裏剣を投げるかのような素早さでそれを投げ放つ

同時に視界を割って紫電の鞭が振り下ろされる

誠也は独鈷杵を投げた右手でそのまま紫電の鞭をガードする

当然、護符も何もない生身の状態で受け止めたため肉が引き裂かれ、血が飛び散る

激痛に顔を歪ませながらも誠也は確かに手ごたえを感じた。誠也の予想通り、ロニキスも傷を負っていた


閃光が瞬いた瞬間。聖者のセント・イージスを解除、セフィロトから紫電の鞭を取り出すと達人の域の速さで誠也のいる方向へと打ち付ける

手ごたえはあった、しかし同時に視界を割って何かが飛んできた

それが手に握れるほどの大きさの密教法具・独鈷杵だと気付いた時にはもう遅かった

一つは顔を僅かかすった程度であった

少し血が流れた程度かと思ったが

もう一つは確実にロニキスのわき腹を射抜いていた


「なるほど、お互い決定打には欠けたか」


ロニキスは誠也と自分の傷を見比べて言う

そして含みのある笑みを浮かべると


「今日はこの辺にしとかないか?お互い様子見ばかりで本気を出さないだろ?これから再戦の機会ならいくらでもあろう、それよりも…お互い急がなねばなるまい?」


まるで嘲る様に言葉を投げかける


「貴様は生贄の儀式の術式を止めたいようだがもう遅いぞ?たった今術式は完成したようだ」

「なっ!?」


直後、地震かと思うほどの巨大な揺れが起こる


「ぐっ!」

「生き延びたければ直ちに東京を去ることだな、術式の起動場所はここだが水結晶化は東京の中心地から広がるように始まる、パワークリスタル化したくなければ去ることだな」


言ってロニキスは右手を上げると背後のセフィロトの樹が眩しく輝き、その輝きの中にロニキスは飲み込まれるように姿を消した

後には荒れた屋上しか残らなかった


「くそ!ふざけるな!!」


誠也の叫びはむなしく虚空へと響いただけだった

そんな誠也をあざ笑うように地震が起こり、周囲の空気が一変していく


(ちくしょう!まだここが水結晶になるまでタイムラグがあるだろうが、住民を避難誘導してる時間は残されてねぇーぞ?どうする!?)


誠也が焦った表情を浮かべていると途端屋上の入り口で隠れていた樟葉が誠也の胸目掛けて飛び込んできた


「師匠!!」


誠也は樟葉を抱きとめて、しかし樟葉には意識を向けず考える


(冷静になれ!考えろ!まだ住民を助ける術はあるはず)


しかし、そんな誠也の思考を樟葉が打ち消す

抱きとめた樟葉の体はひどく震えていた、よく見れば涙を流している


「師匠!いやだ、だめ!師匠!」


樟葉の様子に誠也は気付いた、右手の傷の出欠が滴るほどに重傷だといういうことに

そしてそんな怪我は過去にトラウマがある樟葉にとってはタブーであった


「大丈夫だ、心配すんな。この通り俺は平気だよ」


そう言って誠也は優しい笑みを浮かべて樟葉の頭を撫でた

そんなタイミングを見計らったように携帯電話が鳴った

それはAMM極東支部からの電話であった

内容は言うまでもない「住民の避難誘導および救助よりも優先して貴殿の東京脱出、生還を優先せよ」

つまりは見捨てろという事だ、住民の命よりも有能な魔術師の命を優先するとAMMは言っているのだ

誠也は歯噛みした。怒りで拳を握り締める


「ちくしょう!くそったれが!ふざけるな!こんなのってありかよ!ちくしょう!!」


誠也は空に向かって思い切り叫んだ、悔しさがにじみ出て仕方がなかった

何がS級ランクか、何が上級魔術師か。誰一人救えなくて何が二年前の英雄か

誠也は怒りのままに叫ぶと吹っ切れたように表情を変えた


「樟葉、そっちの友達と一緒に有紀ともう一人の子を運ぶんだ」

「え?」

「俺は男の子の方を運ぶ」

「はい…」


私を抱きかかえてはくれないのかと樟葉が落胆して、言われた通り有紀を背負う

真紀も吾妻を背負って屋上を後にした

樟葉たちが屋上を去った数十分後、中学校を含めた周辺地域は水結晶へとその姿を変えていた


その日、日本の首都・東京は水結晶パワークリスタルへと変貌した

この時誰が想像できただろうが、これがまだ始まりに過ぎなかったことを


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