エピソード3:野外活動
世の中には表社会に隠されていることが数多く存在する
そんな隠されているものの一つに魔法という概念がある
それは魅力的な響きかもしれない、しかしそんな甘い考えが過ちであると人はすぐに悟る
だからこそ魔法は隠された
だからこそ魔法使いの存在は秘匿された
それでも隠しきれるほど魔法は簡単なものではなかった
それは甘い誘惑となって人々の前に姿を見せる
退屈な日常を打ち壊す力を秘めて
「ねぇ…体操服姿ってやっぱ地味だよね」
肘をついて顎を手のひらに乗せて窓の外を眺めながら樟葉は言った
隣の席でイヤホンを耳につけて音楽を聴きながら寝そうになっていた有紀は鬱陶しそうに樟葉の方を向く
「仕方ないでしょ、学校行事なんだし」
「はぁ…」
有紀の言葉を聞いたのかどうなのか、樟葉は大きく溜息をついた
溜息をつきたいのはこっちだと言いたくなった有紀はイヤホンを耳から外して体を起こす
「そんなの気にしてどうするのよ?行くのは千葉のクソ田舎なのよ、山奥の施設に繁華街なんてないわよ?」
「別にそんなのどうだっていい」
「じゃあ何?体操服の何が気に入らないの?」
言われた樟葉は窓越しに映った自分の姿を見て涙目になった
「だって…だって…」
「ちょ…樟葉?」
突然肩を震わせて泣き出しそうになった樟葉を見て有紀が慌てだす、一体何だというのか
「体操服見ても師匠が何も言ってくれないんだもん!!」
(またそれかよ!)
心の中で盛大につっ込んだ有紀はしかし顔には出さず
樟葉の肩にポンと手を置くと
「体操服姿に興奮するほうが危ないって」
しみじみと語った
そして親指をクイっと後ろに向ける
「それともあぁいう反応がほしいわけ?」
樟葉は後ろを向いて有紀の親指の先を見る
その席には村正が座っており、樟葉と目が合った瞬間
「く、樟葉さん!た、体操服っ!」
絵に書いたような鼻血噴射を行ってぶっ倒れた
そんな村正を見て寒気を感じた
「気持ち悪い」
暦は五月、樟葉たち新一年生は今バスに揺られて東京墨田区から遠く離れた千葉の山奥を走っていた
入学して一ヶ月、互いの親睦と友情を深めるために設けられた学校行事
野外活動だ
東京墨田区から遠く離れた千葉の君津市の野外活動施設で一泊二日過ごすのだが
修学旅行とは違った課外授業という側面を持つため私服は不可である
そして山奥の施設であるため土地が広く、アウトドア活動中心となってしまう
性質上体操服は当然といえた
「く、樟葉さん!!」
バスが目的の施設につき駐車場に止まると皆教師の指示のもと下車していく
そんな狭いバスの通路の人の波の中、村正が樟葉に声をかけてきた
手にはインスタントカメラが握られている
しかし、樟葉サラっと見ただけですぐに前を向いて有紀とともに外へ出るべく歩き出す
「あぁ!ちょっと待ってくれよ!外に出たら一緒に写真撮りたいんだけどさ!」
樟葉は無視して外へと出た
すると背後から何やら不穏な会話が聞こえてくる
「お前そんなに写真撮りたいのか?」
「ツーショットは無理だって!隠し撮りなら問題ないんじゃないか?」
「あーそうそう、いい顔で撮れてたらくずもちも怒らないって」
「何なら大勢で押しかけて団体写真にするフリしてお前ら二人をくっつけて…」
まる聞こえな作戦会議らしきものを行っている男子たちに腹立ってきた樟葉は隣にいた男子のリュックを奪い取ると
振り返って村正を中心とした男子グループに向かって投げつけた
「ぐほぉ!?」
間抜けな声をあげて村正たちは投げつけられたリュックを食らってその場に倒れこんだ
「マジでキモイ…」
こんなことなら公立学校選択制だってあるんだし別の中学にしとけばよかった
樟葉は今になって有紀と真紀も行くし、行き方が簡単という理由だけで学校を選んだことを後悔した
私学入試や高校受験と違って公立学校選択制は選べるんだ
もっと真剣に考えればよかった
少なくともあの変態とだけは違う学校でありたかった
そう思う樟葉の心境をわかるはずもなく、野外活動での村正の行動は樟葉の怒りをより掻き立てるものであった
クラス内で男子、女子とに別れそれぞれ班を作り宿泊室に泊まるわけだが
当然クラスの親睦を深めようという点から仲良しグループで集まるでなく
班はくじ引きで決めたわけだが、樟葉は見事にハズレを引いた
有紀や真紀とは別の班となり、おまけに一度も話したことのないメンバーであった
一人は吾妻の知り合いだったが、吾妻もあの子とは会わないという理由から一度も話したことがない
言うなれば樟葉以外が俗に言う窓際族
存在感がない、男子女子問わずにあまりクラスの皆から仲良くしようとしないタイプであった
そんな彼女らと部屋に入って荷物を置いた樟葉はしょんぼりして、とりあえず一晩寝床をともにする同士仲良くはしといたほうがいいだろうと思い
となりに荷物を置いた女子に声をかけた
「あのさー」
しかし、まったくの無反応であった
同様に他も同じく暗い負の空気が部屋全体を支配する
これ無理…そう思ってると、部屋の外
廊下から不穏な空気が流れてくる
男子の騒ぐ声、男子は別の階だったはずだが
「いやーしかしお前は男だよ和泉!こうして会いに来るんだからな!」
「何言ってるんだ!樟葉さんがどこの馬の骨ともわからぬ陰険負女子と寝床を共にするんだぞ?不安で震えてるに違いない!その恐怖を村正さまが癒してあげるんだよ!」
「いやーお前のその発想、マジで惚れるぜ」
「だろ?樟葉さんもベタ惚れだ!はーっはっは!さぁ!愛しの王子様が会いに来たぜ樟葉さん!」
キモイ…、こいつら超気持ち悪い
村正の言葉通り、樟葉は震えていた
村正の気持ち悪さに
そんな室内へ村正が満開の笑顔で侵入してきた
「樟葉さーん!会いに来たよー!」
はははーと笑いながら勝手に入り込んできた村正を見て怒りが頂点に達した樟葉は窓を開けると村正の顔面に一発パンチを叩き込むと
そのまま胸倉掴んで窓の外へと放り投げた
「ぬほぉぉぉぉぉ!!!」
「次来たら殺すっ!!」
背中から怒りのオーラがにじみ出ていた
それを見て怯えた男子たちは慌てて退散する
そんな退散してる男子たちとすれ違った有紀は何だといった顔で男子たちを見る
そしてそのまま樟葉のいる部屋へと入った
「ねーさっきの何?」
言って樟葉がドス黒いオーラを放っていることに気付く
「…樟葉?」
しかし樟葉は有紀が来たことなど気付かずブツブツと何事か言っている
「ふざけないでよまったく、あのキモ魔剣師!○イ○の真似して手袋してる分際で」
あぁ…なるほど
有紀はすぐに状況を理解した
とりあえず寝るときは警戒した方が良さそうと思い罠を仕掛けておくかと作戦を練る
こういった辺り忍者としての部分が燃え滾るようであった
昼食は野外の炊さん場で各班男女混合でカレーを作るという定番のモノであったが
運悪く樟葉は村正の班と一緒になってしまった
「樟葉さん!俺が最高級のカレーを食べさせてあげるよ」
そういってニっと歯を光らせる村正をうざそうに一瞥するとすたすたと樟葉は有紀の班へと逃げた
そんな逃げてきた樟葉を有紀の班は快く迎え入れた
一方の村正はそんなことはいざ知らず炊き込みの最中の釜の中に何を血迷ったか隠し味と称し
何か具材を入れ始めた
もうあのカレーは食えないだろうなと思って有紀は樟葉を完全に自分の班へと招きいれた
怪しい、惚れ薬の類の何かが混ぜられてたら大変だ
午後からの園内散策
オリエンテーリング用に作られた山の中の数々のコースを回るところでも村正は懲りずに樟葉へと迫っていく
「樟葉さん!この危険な山道をこの男村正さまが守りきってみせるよ!」
「うざ」
そんな村正を一言で切り捨てるとさっさと有紀や真紀と合流してすたすたと行ってしまった
しかし究極のポジティブ少年村正がこれくらいでへこたれることは当然なかった
ことあるごとに樟葉の前に現れては殴られ崖の下に転がっていき
また登ってきては殴られまた崖の下を繰り返す
この野外活動初日で村正は新たに崖を落ちる村正という称号を得たのであった
夜、晩御飯を食堂で済ませた一行は暗くなった外へと出て営火場へと向かった
こういった行事の一種の恒例イベントであるキャンプファイヤーだ
教師側か実行委員の生徒側か、どちらの提案かはわからないが
燃え滾る炎を回ってフォークダンスなどとベタなイベントが最後に待っている
「あ~あ、師匠と踊りたかったな」
「はいはい、だったら帰ってから頼めばいいでしょ」
そんな会話を繰り広げている樟葉と有紀の前に例のごとく村正が現れる
「樟葉さん!今宵のダンスはこの村正さまがエスコートしま…ごほっ」
村正が最後まで言い切る前に樟葉はその顔に拳を叩き込んだ
ヘナヘナと倒れこんだ村正を無視して二人は真紀のいる方へとスタスタと歩き去っていった
「ぐ…ぬ…く、樟葉さん」
倒れたまま村正は歩き去っていく樟葉を見て手を伸ばすが力尽きてバタンと動きを止めた
そんな村正の元に一人の少女が訪れた
吾妻であった
地面に倒れた村正を見て溜息をつく
すると村正が息を吹き返して起き上がった
「ふふふ、まったく……相変わらず樟葉さんの照れ隠しな強烈だな」
その言葉で吾妻は呆れてものが言えなかった、ここまで来るともはや尊敬に値する
「はぁ…そのポジティブさを少しは見習いたいわね」
「は?何か言ったか?」
「別に、何でもないわよ」
言って吾妻は顔をそむけた
村正からではその表情は窺えない
「それより相手いるの?」
言われて村正はよっと言って起き上がるとぐっと親指を自分に向けて
「当然!この村正さまのダンスの相手は樟葉さんと相場が決まってる!」
「くーちゃん女子グループで固まってトイレ行ったわよ、あれはもう終わるまで帰ってこないね」
「何だって!?」
言われてみれば確かにもう樟葉や有紀の姿はなかった
「こうしてはおれん!暗闇の中誰かに襲われたら大変だ!」
「追いかけないほうがいいよ、あんたが襲いに来たと思われるだけだよ」
「ぐぬぬ……」
悔しそうな顔をする村正を見て吾妻は溜息をつく
そして唐突に手を差し出してきた
「ん?何だ?」
村正は意味がわからず吾妻を見る
しかし吾妻は顔をそむけていて表情は掴めない
「踊る相手いないんでしょ?私も相手がいないのよ」
そこまで言われてようやく村正は状況が掴めた
どうやら自分は吾妻にフォークダンスを踊ろうと誘われているらしい
村正はははーんと口元を歪める
「あぁーそうかぁーそうだよなぁーお前って容姿はいいけど腹黒いもんなぁーそりゃ男も逃げるわなぁー」
「なっ!!」
言われて吾妻はカチンときた
「ストーカーに言われたくないわよ!あんただってくーちゃんに逃げられたじゃない!」
「樟葉さんのはあれだ、いわゆる照れ隠しってやつさ、愛情の一種よ」
勝ち誇った顔で堂々と言うもんだから吾妻は手で頭を押さえて溜息をついた
一体この短時間で何回溜息をついたことやら
「呆れた…そこまで現実逃避を正当化するとはね」
「何だと!?」
村正はむっとしたがすぐに全身の力を抜く
「はぁ、何だかお前と口喧嘩するだけ無駄な気がしてきた」
村正はボリボリと頭を掻き出した
昔からそうだ、どれだけこちらが正当性を主張しようと吾妻の前では最後は挫折する
いつも吾妻のいうことと自分のいうことが正反対で衝突した時
必ず自分が負けるのだ
ならばこのまま続けても自分の考えが間違ってるとわかってしまう
そう思うと村正はこれ以上続ける気にはなれなかったのだ
「はぁ…わかったよ」
言って村正は吾妻の手を取る
「え?」
「相手いないんだろ?仕方ないから踊ってやるよ」
「う…うん、ありがと」
吾妻は下を向いてしまって表情が窺えない
一方の村正もなんとなく顔を合わせる気になれなくてどこか遠くを見るふりをして顔を吾妻からそむけた
そのまま二人はキャンプファイヤーを取り囲むようになっているフォークダンスの輪の中へと入っていった
その夜、樟葉は寝付けなかった
いつあの変態が襲ってくるかわからないからだ
戻ってきてから有紀が忍者の侵入者対策の仕掛けをいくつも仕掛けていたが
安心はできない、何せ相手は最強最低の変態野蛮ストーカー男なのだから
そんな中、樟葉自身も仕掛けておいた仕掛けが発動する
呪力感知
村正は魔術師ではないが、魔剣師だ
少なくとも肌身離さず持っている魔剣は呪力を少量は発しており、それが樟葉が仕掛けたセンサーに引っかかればすぐに樟葉に伝わるのである
樟葉は素早く起き上がると周囲を窺うが人の気配はまったくない
それは当然といえた
確かに村正は夜部屋を抜け出して樟葉のもとへ向かおうとしていたが普通に教師に見つかって
皆の就寝を邪魔しない、怒鳴っても影響ない、だだっ広い研修室で一人説教を食らっている
そんなことは知らない樟葉は人の気配がない、有紀の仕掛けも発動した気配がない中緊張の汗を流した
八幡さつきは同室にいる面々が皆眠りについたのを確認するとベットから起き上がって物音一つ立てずに部屋を出て行った
廊下を歩き、外へ出るため階段を目指す
途中、樟葉や有紀の部屋の前を横切ったが顔色一つ変えず
緊張の色も見せず、普段通り無表情で通り過ぎた
部屋の周囲、廊下には至る所に対村正用の侵入者排除の罠が仕掛けられていたが気にしない
罠にはかからず、樟葉のセンサーにひっかかっても何食わぬ顔で通り過ぎ、廊下を抜けて階段を下りていく
宿泊施設の外へ出た八幡さつきは施設の目の前の広場で歩を止めた
そして膝をついて目をつむると手のひらを地面に向ける
手のひらは確かにそこにある力の流れを感じ取った
この地を流れる力の脈動、霊脈を
そのままの体勢で八幡さつきはポケットから携帯電話を取り出す
そしてある番号に電話をかけた
こんな千葉の山奥でも電波は立っており、問題なくコール音が耳につく
ツーコールもしないうちに相手は電話に出た
『あぁ…ごくろうさま…どうですか?』
聞こえたのは少しゆったりとした喋り方の男の声だった
八幡さつきと行動を共にすることが多い痩せこけた男の声だ
「霊脈を見つけました。恐らくは…と繋がっています」
『そうですか…ごくろうさま…では始めましょうか』
「はい」
八幡さつきは携帯電話を切ってポケットに戻すと地面に向けた手のひらに力を注ぎこみはじめる
そして何事かを一言二言呟くと地面に歪みが生じた
ガス漏れを強引に引き起こす行為
霊脈の上に人工的に竜穴を作り出し呪力を抜き取るのだ
AMMに反発、対立する魔術結社、規定違反集団の代表的な行為
故意に抜き取られた呪力は術者に多大な力を与える
同時に本来吹き出るべきではない所に呪力が噴出すため大地に影響が及ぶ
放っておけば漏れでた呪力は形をなし精霊獣となる
「さぁ形を成しなさい、偉大な夢を体現するために」
夜の闇に高密度の呪力の塊たる精霊獣の姿が浮かび上がった
センサーが反応したことから身構えていた樟葉はいち早く異常な呪力反応に気付いた
今まで感じなかった高密度の呪力反応
この施設に来た時霊脈が通っていたことは気付いていたが、しかしだからといって呪力の乱れはなく地盤は安定していた
ならばこの異変は何か
樟葉はすぐに結論に至る、”ガス漏れ”だ
でもなぜ?
考えても結論は出ない、この周辺にそういった類の結社や組織はいなかったはず
とにかく一人では答えは見出せない、樟葉部屋を飛び出して有紀の部屋へと向かった
宿泊施設の外には異様な雰囲気に包まれていた
地面から漏れ出た呪力が渦巻き形を成していく
その前に八幡さつきは立って何事か囁いている
そしてポケットから小さな石を取り出して地面へと軽く放り投げる
石は地面に落ちると赤い光を発してコロコロと同じ場所を円を描くように転がり始める
「この地の霊脈の流れを伝って…とここを繋ぎます。遠隔操作で刻印を刻むには少々時間がかかります。その間、邪魔されぬよう彼らの注意を引いてください」
八幡さつきは渦巻き、形を成した呪力へと語りかける
答えるように形を成した呪力はその姿を無数の角を生やした馬のような何か
精霊獣へと形を変える
大慌てで有紀の寝ている部屋の前まで来た樟葉は勢いよく扉を開けた
宿泊室には有紀以外にも女生徒が寝ているのだが気にせず樟葉は大声で中に入る
「有紀!起きて!!大変だよ!!」
遠慮せずにズカズカと中に入る樟葉にしかし、有紀は怒りもしなかった
「わかってるわよ」
有紀もすでに異変を察知してベットから起き上がっていた
「これってまさか……」
「ガス漏れで間違いないわね」
有紀の言葉で樟葉はすぐさまポケットから携帯電話を取り出す
「師匠に連絡取ってみる。私たちだけじゃ対処できないかもだし」
それは至極当然といえた
ガス漏れが起きたということは何らかの魔術結社、しかもAMMに敵対する結社
それに属する術者がいるということだ
D級ランクと下級魔術師である樟葉と有紀では対処するには荷が重過ぎるし危険すぎる
精霊獣を呪力へと還せても魔術師の方にやられるかもしれない
S級ランクで上級魔術師たる誠也の指示のもと
AMMの動きに従うのが筋だ
すぐさま近場の対処可能な魔術師を派遣してくれるはず
しかし、そんな期待はあっけなく奪われる
「そんな……どうして!?」
「どうしたの?」
「電話が通じない……」
ガス漏れにより強力な呪波が発生し電波を妨害しているのだ
たった今、この施設は完全に外部から隔離された空間となったのだ
「どうしよう……」
不安に押しつぶされそうな樟葉とは裏腹に有紀は考え込んだ後、決意を固める
「私たちで何とかするしかないわね」
有紀の言葉に樟葉は動揺する
「え?有紀、本気で言ってるの?」
「えぇ、本気よ」
「でも私たちじゃ危険だよ!」
「だからってこのままほっとける?精霊獣が出てきたら皆精気を奪われて死ぬのよ?」
「確かに黙って見過ごせない!でも!」
不安で怯える樟葉に有紀はイラっときた
今この場でこの状況を打破できるのは自分たちだけだっていうのに
「もしかして誠也が助けに来てくれると期待してるの?」
「そ、それは……」
図星だった
心の中では確かに淡い期待があった
すぐにでも師匠が現れて自分や皆を助けてくれると
でも、現実はそうじゃない
電話は通じない、東京から遠く離れた、東京湾を挟んだ千葉の山奥にどうやってすぐ来れるというのか
どうやって気付くというのか
わかってる、しかし怖いのだ
師匠が近くにいないと不安なのだ
「まだ怖いの?二年前のこと」
「…っ!!」
樟葉の頭の中にあの時の光景がフラッシュバックする
二年前、大切なものをなくした二年前
血に染まる手が、腕が、体が
何かが壊れそうになった時、樟葉の体を有紀が抱き寄せる
「大丈夫、私はそうならないし、誰もそうさせない、そうでしょ?」
「……うん、そうだね」
有紀の温かさを感じて樟葉は平穏を取り戻した
それを確認すると有紀は樟葉を自分から引き離して上着を着る
「とにかく状況を確認しなきゃ、外に出る前に吾妻とも合流しよう」
「だね、人数は多いほうがいいし」
「気は進まないけどアホ魔剣師の手も借りた方がいいかも」
「それはできれば遠慮したいんだけど」
樟葉は心底嫌そうな顔をしたが有紀もそれは同じであった
だが、状況次第ではそうも言ってられないかもしれない
樟葉と有紀は部屋を出て吾妻の宿泊室を目指した
吾妻の宿泊室には真紀も同室していた
目が覚めたかと思えば、吾妻が険しい顔で窓の外を見ているので真紀は何だろうと窓の外を見た
そして戦慄を覚えた
「な、何?」
「精霊獣ね……でも一体どうして?ガス漏れの気配はなかったのに」
視線を窓の外の精霊獣から離さずに吾妻は考える
「でも魔術師が入り込んできた気配はまるでなかった…どういうこと?」
考えているとドアが開いて外から樟葉と有紀が入ってきた
「くーちゃん、ゆっきーも」
「やっぱ気がついた?」
「気がついたも何も窓の外」
言って吾妻は窓の外を指差す
その先には呪力が濃く渦巻く中に無数の角を生やした馬のような何かがいた
「精霊獣?」
「うそ…だってガス漏れの異変はついさっき」
「そう…ガス漏れの気配はついさっき起こったばかり、こんな短時間での精霊獣化は異常よね」
吾妻は精霊獣から視線を外さずに懐から御札を取り出す
「とにかく外に出るにしても魔除けは掛けておいた方がよさそうね。みんなが目を覚まして万が一目撃してしまっても忘却作用が働くし」
言って吾妻は塩を自分の周囲に撒いて神楽を舞いだす
やがてその格好が巫女装束姿となった
魔除けの御札を張るにしても魔術を行使する
御札はあらかじめ呪力を込めてある即効性の呪物だが、使い方しだいでは再び呪力を行使しなければならない場合がある
吾妻が持っている御札には現在魔除けの効果しかなく、外から来るものしか排除しない
中から外への場合は作用しないのだ
万が一外の出来事を目撃されてしまうと忘却作用があるにせよ
御札の効果範囲の外に出てしまうと忘却作用も無効化してしまう
外には出ない暗示を御札に追加しなくてはならない
吾妻が巫女装束姿になったのを確認すると樟葉と有紀は自分たちも外へ出る準備をする
「真紀はここに残ってて!安全が確認できるまで絶対外に出ちゃだめ!」
「う、うん…私にはできそうなことないし」
念のため吾妻は真紀に護身用の御札を一枚渡す
「それを肌身離さず持っていろ」
「は、はい」
トランス状態の吾妻はまるで性格や雰囲気が違う
真紀はそんな吾妻に気圧されて言われるまま御札を握り締めた
それを確認すると樟葉たちは部屋の外へと駆け出した
宿泊室を出て廊下を走りながら吾妻は神業的な動きで御札を壁に貼っていく
貼りながら吾妻は樟葉と有紀に声をかける
「外に出たら真正面から精霊獣とご対面だ。準備はできてるのか?」
「何言ってるのよ!精霊獣相手に遅れなんて取るわけないじゃない」
有紀の言葉に、しかし吾妻は釘を刺す
「ただの精霊獣ならね…」
ガス漏れ直後に生れた精霊獣、通常のものとは派生からして違う
しかもガス漏れの直後に生れたということは何者かが形作ったということだ
ガス漏れを故意に起こし、そこから精霊獣を作り出す
かなりの術者が裏にいることは間違いない
そうなれば精霊獣も上位の高位な存在である可能性がある
D級ランクと下級魔術師が束になって勝てるかどうか
吾妻が考えていると階段を下りた先で村正の叫び声が聞こえてきた
「おいおい、どうなってんだよ!?」
廊下の先、研修室から走ってきた村正はいつになく真剣な表情であった
どうやら村正もこの異変に気付いたようだ
そんな村正を見て吾妻が足を止める
「どうやら全員揃ったみたいだな」
「やっぱあれも数に入れてたんだ」
樟葉にあれと言われた村正であったが今は別段いつもの反応はない
そんな余裕もない、それほどに外からの威圧感は強烈であった
その威圧感に足がガクガクと震えているのを樟葉は感じた
怖い、できるなら外にはでたくない
樟葉の中で恐怖心が膨らんで、今すぐにでも逃げ出したい衝動に駆られる
しかし、逃げるわけにはいかない
今この状況を打破できるのは自分たちだけだ
唾を飲み込んでグっと拳に力を入れる
「行こう」
ガクガクと震える足で一歩前へと踏み出す
怖い、怖いけど一人じゃない
隣には親友であり戦友であり信頼できる有紀がいる
下級魔術師であっても実力はある吾妻もいる
変態はいてもいなくてもいいが、一様いる
そう、一人じゃない、今はともに戦う仲間がいる
そう思うと恐怖心が占める心の中に勇気が満ちてくる
いつか師匠が言っていた言葉を思い出す
どれだけ魔術を磨こうと結局は一人でできることは限られてる
それでもともに歩み肩を並べられる仲間がいれば不可能も可能にできると
師匠の言葉を何度も心の中で復唱して戦場への扉を開いた
外は酷い有様であった
霊脈が通る地盤を破壊され呪力が大量に漏れ出したその光景はまるで毒の池であった
濃い呪力が地面に漂い、溢れ覆いつくしている
視覚できるまで濃くなった呪力が池のように見える
その呪力の池の上に一頭の馬が立っていた
いや、馬ではない。それはガス漏れによって生まれた高密度の呪力の集合体
知覚できる呪力にして意思を持った呪力体である精霊獣
「あいつ…何?」
有紀は呪力の池の上に佇む精霊獣を見て驚愕した
無理もない、それは今まで有紀が出会ったことのない精霊獣であったからだ
いや、精霊獣ではない
「上位の存在」
吾妻が精霊獣のある一点を見て言った
馬の姿をした精霊獣の背中や額には無数の角を生やしていた
しかし、その足元は常に青白い炎のような何かが蠢いている
たてがみは藻であり、頻繁にナイフのような突起の角と曖昧に入れ替わる
馬の姿であるにも関わらず魚の尾まで持っていた
間違いなくそれは精霊獣という姿形も曖昧な部類に属するものではなかった
精霊獣が進化した姿、神話や伝承にある幻獣そのものだ
「あれが…幻獣」
「あの姿、ケルピーね」
確実に危険すぎる相手だ
ケルピーは人を川や水中に引きずり込む、水車を壊す
湖畔、川の浅瀬、船着場で子をさらい溺れさすといったスコットランドの言い伝えのような生易しいものではない
それは場所を問わず溺死させることができる悪魔だ
ケルピーが現れる所、高密度の呪力が池や湖畔のように生じる
ケルピーが引きずり込むのは水底ではない、呪力の本流
霊脈だ
幻獣は霊脈の負の要素が具現化したもの
霊脈の水の負の精、それがケルピー
D級ランクの樟葉たちが太刀打ちできる相手では到底なかった
「ど…どうしよう」
恐怖で一歩後ろに下がった樟葉の耳に、いつものうるさい声が入ってくる
「はっ!上等だ!相手にとって不足はねーぜ!この天下無双の村正さまの踏み台になるがいいぜ!!」
いつの間にか魔剣を取り出し、その格好も魔術戦闘時のものとなっていた村正が無謀にもケルピーへと斬りかかって行く
「私たちも行くよ!」
有紀の言葉で樟葉はやっとのことで腹を括った
「うん!」
樟葉が胸に手を添えるとその手が輝きに包まれた
「汝と護国に使えし我が願いを聞き届けたまえ、永久に栄えしその天に祈りを捧げたもう」
樟葉は両手を上げ額や鳩尾を押さえ、祈りの言葉を囁き続ける
その手には先ほどまで首にかけていた天使の羽を模したペンダントが握られている
「東に火のエレメントを統べしミカエル、西に風のエレメントを統べしラファエル、南に地のエレメントを統べしウリエル、北に水を統べしガブリエル」
まるで神聖な祈りを捧げるかのように紡がれる言葉に答えるように握られたペンダントがより一層輝きを増す
やがて、その輝きは樟葉の足元に複雑な紋章、天使の九階級と上級・中級・下級の三隊とを示すシジル(印形)
あらゆる理を捻じ曲げる神の祝福を浮かばせる
そしてシジル(印形)から発せられる光が樟葉を包み込んだ
樟葉の服が光に溶け込み、形を変えて再び樟葉を包み込む
体操服のジャージは短パンに変わり、上着は体にフィットしたタイトな物となる
さらに手にはグローブが装着されその手にどこから引き抜いたのか豪華な装飾が施された槍が握られていた
シジル(印形)が輝きを失った時、樟葉の魔術戦闘時の姿がそこにあった
「変化!」
力強く叫んだ有紀は両手で印を結ぶ
右人差し指と中指を刀に見立て、九字を切る九字護身法
それと同時に有紀の口から印が発せられる
「臨兵闘者皆人列在前 」
切られた九字から光が発せられる
同時に煙が有紀を包み込む
すると着ていた体操服が変化、忍装束へと変化する
足は足鉤でガードされ、腰には萬刀が掛けられている
そして手にした忍者刀を構えたとき煙は消え有紀の戦闘時の姿がそこにあった
「あれが二人の魔術系統」
吾妻は樟葉と有紀の魔術を見たことはまだない
これが吾妻への始めてのお披露目であった
「うぉぉぉぉぉぉ!」
村正の斬撃はケルピーに当たることはなかった
村正が魔剣を横に振るのと同時にケルピーの周囲に無数の水玉が浮かび上がってそこから高圧の水のレーザーが発射されたからだ
ただの水の噴射とはいえ、水道管が破裂した時の噴射とは比べ物にならない
最近、精密な部品を作る際などに使われるようになった水のカッター
それと同等、それ以上の切れ味を誇っていた
流石にあの無数の水のレーザーを無傷で掻い潜ることは難しい
「くそ!なめた真似しやがって!」
「おいガキ!お前は正面突破しか脳がねーのか?少しは頭使え!」
魔剣・八俣遠呂智の罵声で村正は少し冷静になって状況を把握できるようになった
「あぁ、そうか!どんなに切れ味抜群でも所詮は水!そんなものは蒸発させればいいんだ!」
「そういうこった!わかったらとっとと行くぞコラ!」
村正は魔剣を頭上に掲げる、すると開いた一対の目の瞳孔が刀身に赤く光り輝いた
その刀身にすぐさま炎が燈る
「八目第一眼・焔」
炎を魔剣に燈して村正が再びケルピーへと斬りかかって行く
すぐさま周囲に浮かぶ無数の水玉から水のレーザーが発射されるが
「おらぁぁぁ!きくかってんだよ!」
魔剣の一振りでその刀身に燈った炎が水を蒸発させ、水のレーザーを消滅させていく
そして一気に村正はケルピーの懐に入り込んだ
「もらった!!」
村正は魔剣でメルピーの体を右上から左下に斜めに斬りつけた
しかし、切り裂かれたケルピーの体はすぐに元に戻る
「なっ…!?」
そして、村正の体を恐怖が縛り付けた
足元に広がる呪力の池、まるで底なし沼のような気味の悪いその水面にケルピーの姿が映る
それは本当のケルピーの姿
呪力の池の上で佇む姿とはまったく違う、恐怖が具現化した姿
そのこの世のものではない姿に戦慄していると自分の足元から無数の網が飛び出してきた
それを何の抵抗もできず村正は見つめた
これがケルピーが水の中に引き込むということなのだろうか?このまま自分はこの呪力の池の中で溺死するのか
そう思っていると後ろから祝詞が聞こえてくる
聞き慣れた、慣れ親しんだ声が村正を現実へと引き戻す
「ぬぉぉぉ!!??」
慌てて魔剣を振り回して網を切り裂いてそのまま後ろに派手に倒れる
直後呪力でコーティングされた手裏剣がケルピー目掛けて飛んでくる
有紀が放った手裏剣、それを見てケルピーの注意がそっちにそれたのを確認すると慌てて村正は呪力の池から脱出する
「死ぬ!マジで死ぬかと思った!」
汗ダラダラの村正を無視して樟葉たちは作戦会議を練る
「ダメだ、ケルピーにダメージを与えられない」
「近づいたら霊脈に引きずり込まれるみたいだし…どうすれば」
お手上げ状態の樟葉とは裏腹に有紀は一つの答えを出す
「もしかしたら本体は別にあるんじゃない?」
「どういうこと?」
「ケルピーに攻撃してもすぐに再生するし、攻撃する時も呪力が動くのはケルピーからじゃない」
「確かに…」
「じゃあもしかして」
「多分、あの周囲に浮かんでる水玉が本体なんじゃ…」
有紀の推測は確かに的確であった
ただし、それは予測の範疇である
実際ケルピーの周囲に漂う水玉は無数にある。では一体どれが本体かと聞かれれば答えようがない
「ま、全部同時に叩かないといけないだろうな」
吾妻は冷静に考えて答えを導き出す
あの手のタイプはどれか一体という生ぬるいものではない
全部が全部本体、すべてを同時に停止させないと効果がない
上位の存在にはそのようなものが多数存在する、ケルピーもそのうちの一体だろう
「でもあれだけの数どうやって同時に?」
当然の疑問を樟葉が口にする、とてもここにいるメンバーでは一斉に攻撃して同時にすべてを破壊することは不可能だ
「確かに無理よね…でも、それを可能にできる魔法を使えるじゃない」
有紀に言われて樟葉は驚いた
まさか、ミカエルバスターで全部ぶっ飛ばせと言うんじゃないだろうか
「あ、あんなの全部ミカエルバスターで落とせないよ」
「ミカエルバスター以外にももっと今みたいな状況向けの魔法があるじゃん」
有紀の言葉で樟葉ははっとなった
でもすぐにやはり否定する
「む、無理!無理だって……あれはまだ一回も成功したことがないし」
「他に手はないのよ、大丈夫!祈りに集中すれば制御できるはずよ」
「それはそうだろうけど…」
樟葉は今ひとつ乗り気ではなかった
自身最高最強の術であるミカエルバスター
D級ランクの下級魔術師ながらミカエルバスターの威力はA級ランクと飛びぬけている
しかし、自身の能力をはるかに凌駕する威力を発揮するために長い時間祈りに集中し術式を構築しなければならない
ミカエルバスターの威力はその費やした時間と祈りの集中によって左右される
ついでに言えば術式の構築そのものに失敗し、祈りに集中できなければ反動が自分に跳ね返ってくる
ミカエルバスターを覚えた当初はこの反動の方が多かった
最近になってようやくミカエルバスターを扱えるようになったというのに、今有紀が求めているのはそれをはるかに上回るものであった
「一回も成功したことがないのなら、今成功させる!誠也がいないと何もできないの?」
有紀の妙な気迫に押されて樟葉はしぶしぶ了承した
そんな樟葉と有紀のやりとりを黙って見ていた吾妻はそこでようやく会話に入る
「話はまとまったか?何をするかは知らんが、とにかく術式構築に時間がかかるならその間は注意を私たちでひきつけよう」
言って吾妻は今だ地面に座りこんでる村正をたたき起こす
「いつまでそうやってる気だ?いい加減立て」
吾妻に急き立てられ、村正は起き上がる
「よし、じゃあ頼んだよ樟葉!」
「う、うん…」
緊張の色を隠さずに樟葉は頷いた
それを見て有紀、吾妻、村正はケルピーへと向き直る
「さて、それじゃ時間を稼ぎますか」
「おうよ!樟葉さんには指一本触れさせねーぜ!!」
村正は拳をぐっと握り締めて宣言した
持ち前のポジティブ精神が樟葉を前にしてさきほど感じた恐怖心をさらっと忘れさせたようだ
さきほどと同じく村正は正面からケルピーへと斬りかかって行く
同時、有紀は地面を蹴って宙を舞い、上空からケルピーへとクナイを投げ飛ばす
二人が同時に動いたのを確認するとケルピーの周囲に浮かぶ無数の水玉が高圧の水のレーザーを放ってきた
「穢れをはらいたまえ」
ケルピーが水のレーザーを放ったと同時に吾妻は吾妻は両手を広げる
広げた右手では鈴を鳴らして、左手では白扇を振っている
吾妻を中心として樟葉を含めた空間が簡易の境内へと変わる
自らを仮初めのご神体に仕立て、擬似的に神社を構築する
しめ縄ほど効果は持続しないが、下界から空間を切り離し少しの間区画内の人間の雑念を振り払うことが可能だ
吾妻は樟葉が祈りに集中できるようこの空間を作ったのだ
(できるだろうか?)
樟葉は自分に問いかける
あの魔法を果たして制御せきるだろうか?
もし失敗すればその反動はミカエルバスターの比じゃない、確実に命を落とすだろう
よくて一生意識不明の重体
それでも、やらなければ
目の前の光景を見る、有紀が戦っていた
吾妻も自分の周囲を境内で包んだ後も有紀の補助を行っている
その他に何か一名もいる
皆が自分の術式構築のため頑張っているのだ
それを思うと何か胸の中が熱くなった
吾妻の擬似神社のおかげで樟葉は冷静になることができた
同時に今までにない力の脈動を感じる
これが勇気が震えたつということなのだろうか?
樟葉は思い出す、大好きな師匠の言葉を
どれだけ魔術を磨こうと結局は一人でできることは限られてる
それでもともに歩み肩を並べられる仲間がいれば不可能も可能にできる
そうだ、皆がいる
共に戦っている、だから安心して祈りに集中できる
樟葉の中で莫大な呪力が膨れ上がり、やがて一つの術式を完成させた
「これでどうだ!」
有紀は手裏剣を無数に浮かぶ水玉の一つに突き刺して破壊する
だがすぐに水玉は復活して間髪入れずに高圧の水のレーザーを放つ
「このぉ!!」
村正が飛び込んできて炎の燈った魔剣を一振り、蒸発させる
いくら攻撃しても結果は同じだった
事ここに至って有紀は手裏剣の手持ちが底を突きかけていることに気付く
(ちっ…手裏剣がなくなったら後は八本だけのクナイ、それを消費すれば接近戦…それだけは裂けないと)
有紀が扱う忍術の中で強力なのは鉤爪に風を纏わりつかせる風斬のみだ
村正のようなただの一撃ですら脅威の魔剣とはまるで違う
ケルピー相手に接近戦だけは何としても裂けなければ
(樟葉は?構築はまだ?)
有紀の中で焦りが生れる
そんな時、上から白い何かがヒラヒラと舞い降りてきた
「あれは」
有紀はそれを手に取る、それは鳥の羽根のようであった
いや、鳥ではない。天使の羽根
まちがいない、これは天使の加護
術式の完成を告げるものだ
「樟葉!」
有紀は振り替える
そこではケルピーの足元に渦巻く呪力の池に負けず劣らず、強大な呪力が渦巻いていた
術式を完成させた樟葉大きく深呼吸する
そして天へと祈りを捧げる
「汝と護国に使えし我が願いを聞き届けたまえ」
樟葉の周囲の空気が濃くなり、目の前の宙にシジル(印形)が浮かび上がり赤く光り輝く
魔法円の上下左右に十字が浮かびADONAY、ELOYM、TETRAGRAMMATON、GABRIELの文字が輪の中に対極するように書かれ
輪の中には無数の図形や三日月が書かれている
その印形はガブリエルの印形
その印形を前に樟葉は槍を目の前に突き立てる
「玉座の左に位置を占める贖罪、約束の天使たるガブリエルよ!智天使ケルビムの支配者たるその力を!大天使アークエンジェルスの指導者たるその能力を!我が力たる神を貸し与えたまえ!!」
樟葉は目の前に突き立てた槍を引き抜くとそのまま印形を槍で貫く
ガブリエルの印形に突き刺さった矛先から莫大な呪力が生また
「ガブリエクラスター!!」
ガブリエルの印形から莫大な呪力がレーザーとなって発射しやがてそれらは無数のエネルギー弾へと姿を変える
その名の通りクラスター弾
しかも散弾したすべてがミカエルバスターとほぼ同等、もしくはそれに近い威力を誇る
ミカエルバスターとは比較にならないほどの制御を必要とする術式であった
「やった!」
無数の水玉はガブリエクラスターによって完膚なきまでに破壊され、ケルピーを取り囲んでいたものはすべて消滅してしまった
それと同時にケルピーもその形を維持できなくなって呪力へと散っていく
「やったじゃん樟葉!」
「さすが樟葉さん!」
有紀は樟葉へと駆け寄る、同じく村正も駆け寄ってきたが樟葉の反射的な一撃によってノックダウンした
その時の反動で樟葉も倒れてしまう
許容範囲を超える術を私用したのだ、疲労困憊であった
だが不思議と心地のよい疲労であった
「終わったか」
遠くで見ていた八幡さつきがボソっと呟いた
ケルピーが消滅したことで呪力の池は消え、ガス漏れも収まっていた
八幡さつきがガス漏れを引き起こした場所では今吾妻が簡易の儀式を執り行って土地を清めている
そんな様子を背に八幡さつきは自分の宿泊室へと帰っていく
八幡さつきは樟葉たちがケルピーと交戦を始めてからしばらくしてすぐに作業を終えて
樟葉がガブリエクラスターを発動させるべく祈りに入った時にはすでに高みの見物をしていた
そんな八幡さつきが抱いた樟葉たちへの感想は「対したことない」であった
幻獣という、精霊獣から進化した上位の存在ではあってもケルピー相手に四人で束になってかからないといけない
その実力に八幡さつきは放っておいても害はない、そう判断したのだった
真紀は異変が去ったことに気付くと待ちきれず部屋を飛び出した
廊下では就寝時間にあるにも関わらず多くの生徒が部屋から出ていた
恐らくさきほどの外での戦闘に気付いて様子を見に行こうと部屋を出たのだろう
だが吾妻の言った通り忘却作用が働いているようだ、皆なんで外に出たんだっけといった感じである
そんな中廊下を走る真紀は帰ってきた八幡さつきとすれ違った
普段誰とも話さず、存在感の薄い無口無表情少女が真紀とすれ違った時
真紀は驚愕した、足を止め驚きの表情を浮かべ振り返る
八幡さつきは何事もなく自分の宿泊室へと入っていった
そんな様子を見て真紀は混乱する
「え?今のって…どういう」
二日間の野外活動を終え、東京墨田区へと帰るため、皆荷物を抱えてバスへと乗り込む
仲の良いグループで写真を撮ったり、仲良くなって携帯の番号を教えあう光景が見られる
そんな輪の中に樟葉たちもいた
樟葉、有紀、吾妻、真紀の四人で写真を撮る中、真紀は笑顔の中にも疑惑の眼差しを一人に向ける
それは誰とも話さず、さっさとバスに入り込んだ八幡さつき
あの時確かに独り言を言っていた
「天使術、忍術、巫女術、魔剣……所詮あの程度か」
あれは一体どういう意味だろうか?
あの戦闘に気がついていたのなら彼女も魔法使いということ
じゃあなぜ樟葉たちを助けなかったのか?
真紀はクラスメイト内にいたもう一人の魔法使いに疑問を抱く
しかし、それを口に出すことはなかった
吾妻の話しだと、吾妻のように自分以外の魔法使いの存在に気付いて名乗り出るのは異例らしいからだ
自分はそこまで魔術の世界に足を踏み入れるべきではないだろう
その時はそう判断したのだった
この判断が結果東京をあのような惨状にするとはこの時の真紀は思いもしなかった
薄暗い森の中を八幡さつきは歩いていた
やがて古びた洋館が姿を現し、何の躊躇もなく八幡さつきは古びた洋館の中へと入る
異様な空間の歪みが周囲を取り囲み、どこまでも無限に上空へと突き抜ける石柱がいくつも立ち並んでいる
地面に敷かれた奇妙な紋様の絨毯の上を八幡さつきは堂々と歩き、やがて歩を止めた
すぐ横の石柱の影から一人の男が姿を見せる
痩せこけた男であった
「あぁ…お帰り…そしてご苦労様」
「結果は?」
「あぁ…完璧です…遠距離操作での刻印は見事成功」
言って痩せこけた男は隣に佇む狼の鬣を撫でる
「あの地域はAMMの息がかかっていたからな。AMMに協力する魔術結社、AMM直轄の研究機関…現地で直接刻印を刻むにはリスクが高すぎる」
聞こえてきた声に八幡さつきは反応してすぐさま片膝をついて敬意を表する
「遠くはなれた千葉の霊脈からの遠距離操作による刻印。連中は気付くまい、よくやった我が弟子よ」
「ありがたきお言葉……光栄です師匠」
いつの間にか無限に続くかと思える回廊の先に一人の男が立っていた
金髪の長髪を束ねるでもなく惜し気もなく垂らしており
顎鬚が男のワイルドさを引き立たせる
蒼い目を鋭い眼差しに光らせ、八幡さつきの師匠たるロニキス・アンドレーエは威厳を持ってそこに立っていた
かつて欧州全土にその名を轟かせた偉大な魔術師は辺りを一瞥する
それを合図としてか立ち並ぶ石柱の影から数名の魔術師が姿を見せた
それを確認するとロニキス・アンドレーエは声を大きく語りかける
「諸君、今日これまでの活動ご苦労だった。東京に刻むべき刻印はすべて刻んだ。来るべき日に間に合ったこと共に分かち合おう!」
ロニキスは言って踵を返す
「私はこれより総本部へ向かう。変更がない限り決行は明日の朝だ。諸君、よき変革前夜を」
歩き出したロニキスは次の瞬間には別の空間にいた
ここにあってここにない空間
AMM統括本部や支部と同じ、この世界のどこにも属さない異空間
そこは真っ暗な闇のみが存在する無の空間
そこに足場が生れる
その足場は巨大な世界地図
欧州を中心とした世界地図、その地図の東の端
極東の地である日本列島の上にロニキスは立っていた
やがて世界地図の上に次々と人影が生れていく
それぞれの国を担当する隊長たちだ。ロニキスもそんな中の一人、日本担当の隊長であった
やがて世界地図が描かれた床だけという空間に多数の人影が現れると、その巨大な世界地図を見下ろす形で宙に浮かんだ椅子が姿を現す
まるで中世欧州の王侯貴族の玉座の椅子を思わせるそれに一人の男が足を組んで座っていた
影に隠れて顔全体を見ることは叶わないが、口元からはかなりの美男子を想像できる
そんな青年が、世界地図とそこに立っている隊長たちを見て口を開く
「揃ったようだね」
一番最後にブエノスアイレスに刻むべき刻印を刻み終えたばかりのアルゼンチン担当の隊長が現れたのを確認して青年は微笑を浮かべた
「同志諸君、今日この日をどれだけ待ちわびたことか…数千年のながきに渡り行ってきた活動はこの時のためにある」
青年はしみじみと語り、そして紡いでいく
「先代、先々代、そのまた先代が準備の準備を行ってきた。世界の闇のさらなる影に隠れ、来るべき日のために血を流した。それも今日で終わりだ!今日からは準備ではない、始まるのだ!取り戻すのだ!かつての栄光を!同志諸君、共に叶えよう!偉大な夢を体現しよう!世界中の愚民どもに知らしめるのだ!我らの存在を!我らの意義を!忘れ去られし我らの文明を!」
青年は両手を掲げた、それに釣られるように隊長たちが力強く拳をあげ猛った
「さぁ行こう!さぁ始めよう!我らは歩を止めない!見せ付けよう!我らティマイオスの真髄を!」
遠い遠い昔、一つの文明が跡形もなく消滅した
忘れ去られし亡霊が今度は現代文明を滅ぼそうとしているなど、この時は誰も知る由もなかった
運命の朝を迎えるまでは