エピソード2:入学式
世の中には表社会に隠されていることが数多く存在する
そんな隠されているものの一つに魔法という概念がある
それは魅力的な響きかもしれない、しかしそんな甘い考えが過ちであると人はすぐに悟る
だからこそ魔法は隠された
だからこそ魔法使いの存在は秘匿された
それでも隠しきれるほど魔法は簡単なものではなかった
それは甘い誘惑となって人々の前に姿を見せる
退屈な日常を打ち壊す力を秘めて
「よし!着替え完了!」
鏡の前で樟葉は今日から着る事になる新しい制服
中学の制服に身を通した自分の姿を確認する
そして昨日までは春休みのため休止していた朝の恒例行事を敢行する
「師匠!見て見て~!今日の私いつもより輝いてませんか?」
笑顔満開で少女は居間へと足を運ぶ
いつも通り素っ気無い返答(樟葉はこれを愛情の裏返し、つまりは照れ隠しだと思っている)が来るかと思ったが
意外にも誠也からの返答はなかった
訝しく思って樟葉が誠也の顔をのぞく
「師匠?」
のぞいた誠也の顔は口を大きく開けて驚愕の表情で固まっていた
見れば何かが書かれたファックス用紙を持っていた
樟葉はそのファックス用紙を覗き込む
「個別履修時間割?」
それはいわゆる大学の時間割であった
小中高と違って各自で受ける講義を選べる大学生にとって、授業がまったくない日もあるわけで
履修登録を済ませ、履修可能となった授業を書き込んだ時間割表は授業に真面目に出席するしないに関わらず学期初めには必需品だ
誠也は日本ではレアな天使術の資料や魔術書を集めるため極東支部や古本屋を訪ね歩き
得た資料を研究するため部屋に引篭もり気味なため大学には通えていない
とはいえ、席は置いており本人は退学するつもりはない
なので時間を見つけては大学に時折通っておりレポートなどを提出している
もっぱら履修登録は出席日数を重視しない授業を選んで登録しており専門科目を重視していない
そう問題はそこであった
専門科目の中で唯一出席重視ではない授業に履修登録したのだが
専門科目の履修不足、及び最初に終わらせておくべきカリキュラムが終わっていないため
履修除外となったのだった
「なんってこったーー!!!これって実質留年じゃねーかよ!!」
誠也はファックス用紙を投げ捨てると頭を抱えて発狂した
そんな師匠の姿を見て樟葉は言葉を失い
誠也の肩をぽんと叩いて一言
「どんまい」
それだけ言って朝食の席についた
卒業式から二週間あまり、短い小学生最後の春休みを経ていよいよ桜咲く校門をくぐり
中学生としての一歩を踏み出す
卒業式の時と違って入学式には誠也はすんなりと出席をOKを出した
用事で卒業式には来れなかった有紀の両親が今回は甲府から出てきたというのもあったのかもしれないが
樟葉にとってはどうでもよかった
あの目障りな女が無理やり引っ張り出して誠也の隣にくっ付かない分上機嫌なのだ
そんな樟葉は今体育館の外で真新しい、これから毎日着る事になる制服に身を通した生徒達の中で小学校からのグループでもある有紀と真紀と一緒にいた
正式なクラスは入学式の後に発表され、入学式の間はそれぞれの小学校別の組み合わせで入場する
そんなシステムもあってかまだ入学式だが小学校の頃のメンツで固まっているのだ
そんな雰囲気も入学式を終え、新入生クラス発表の時には皆ワクワクしながら廊下に張り出されるクラス分けの表に釘いった
張り出された紙、配られるクラス名簿を見て皆様々な反応を見せる
同じクラスえであることに喜び、離れたことに気を落とし
廊下がにぎわいを見せる
そんな中に混じって樟葉、有紀、真紀の三人もクラス発表を見て互いに喜んでいた
「よかった~また三人一緒だね!」
配られたクラス名簿を見て樟葉は笑顔で二人のほうを向く
真紀はそうだねと言って同じく笑顔を見せた
「いや~ここまで三人一緒だとなんだか運命を感じるね」
言う有紀も上機嫌な様子だ
そんな三人の後ろの方から威厳のある声が響く
「コラ!いつまでも廊下で騒ぐな!クラスを確認したらそれぞれのクラスの教室に行け!」
体育会系の体格と格好をした四十代後半には差し掛かっていそうな男性教師が声を荒げて新入生を急き立てる
それをスイッチとしたかのように誰しも自分がこれから一年学業を学ぶ部屋となる教室へと向かっていく
そんな流れの中に樟葉たちも入り込む
「担任の先生どんな人だと思う?」
言う有紀に真紀は少し考えて
「まぁ悪い先生でなければどんな人でもいいけど」
と言って苦笑した
小学校の時はどの担任も自分を委員長っぽいという理由で学級委員にしてきた
別段それは構わないが、どうにもっぽいというのが引っかかる
中学ではできればそれは遠慮したい
そう思っていると樟葉がぽんと手を叩いて
「できれば師匠との仲を公認してくれる人がいい」
と真顔で言った
またかと有紀は溜息をついて教室へと足を踏み入れる
教室の中はざわついていた
出席番号順で決められた自分の席を探して、また友達と話して賑わいを見せていた
そんな賑わいの中で友人たちと笑い話をしている少女がいた
腰まで伸びた長い髪を括るでもなくそのままなびかせている
その美しさはとても中学一年生とは思えないほどであった
たとえ大人であってもすれ違えば一度は振り返るであろう美少女
そんな彼女は友人達と笑顔で話をしていたが急にはっとした顔になる
その視線の先には教室に入ってきた樟葉たちがいた
三人をじっと見つめるなり美少女には似つかわしくないニヤーっとした笑みを浮かべる
そして話をしていた友人たちに一言謝ると樟葉たちの下へと駆け寄っていく
「ちょっといかな?」
声をかけられた樟葉たちは目の前の美少女を見て驚いた表情となった
その周囲から発せられる呪力の濃さ
その力に驚いたのだ
「あなたたち、魔法使いでしょ?」
言われて有紀は目の前の美少女を睨んだ
樟葉も今までの表情から一点、真剣なものとなる
いつでも魔術戦闘に対処できる格好だ
そんな突然流れた穏やかじゃない空気に真紀は慌てふためき
オロオロとして美少女と樟葉、有紀を交互に見る
そんな空気を破ったのは声をかけてきた美少女であった
「やーね、もう!そんな怖い顔しないでよ!」
言って笑顔で樟葉と有紀の肩を叩く
「まさか学校で同業者に会えると思ってなかったから声かけただけだよ」
呆気にとられる樟葉と有紀を尻目に美少女は勝手に握手をしてくる
「橘吾妻っていうの、皆は吾妻って呼んでるわ、よろしくね」
そんな勢いに押されて樟葉と有紀も自己紹介する
「私は鴇沢樟葉」
「初芽有紀ね」
「青山真紀です」
互いに自己紹介した直後、吾妻と名乗った少女は三人を品定めするようにじろじろと見つめる
「で、あなたたちの魔術系統って何?」
「はぁ?そんなの初対面の人に言うわけないでしょ!」
言った有紀の言葉は正しい
敵か味方かわからない相手に手の内を明かすなど馬鹿げた話である
ことさら魔術界においては相手がどのような魔術結社に属しているかもわかったものではない
もしもAMMが定めた規定違反集団の者だった場合、争いになるのは当然で
相手の魔術が不明な時点で自らの魔術を明かすなど自殺行為同然である
ただでさえ、名前を名乗る行為でさえ魔術においては危険である
相手が呪術に長けた術者であれば名前を知られた時点で何らかの呪いがかけられる危険がある
今は先に相手が名乗ったからその危険性は低いと判断して同じく名乗ったが
(それ以前に学校でクラスメイトに名前を名乗らないのも不自然であるため)
そこまでサービスは旺盛ではない
「まぁそれもそうね」
そこまで期待はしてなかったか、吾妻はあっさり言うとしかし真紀に顔を近づけ
「でも真紀さんだっけ?あなたはわかるわ、ずばり霊媒師ね!」
どうだ!といった顔で吾妻は真紀にビシっと指をつきつける
言われた真紀はドヨンとした
またかと言った顔になる
(私って霊媒師な雰囲気出てるわけ?)
肩を落とす真紀を見て苦笑しながら有紀が否定する
「真紀は違うわよ、霊感が強いってだけ、魔法なんて使えない」
そんな会話をしている四人とは違う扉から三人組みの少年たちが入ってきた
真面目そうな外見、律儀にも学生服のすべてのボタンとフックを止めている眼鏡少年
そして学生服の上二つのボタンを外したまぁ普通な少年と
学生服のボタンを全開、下にはカッターシャツは着ず青色のTシャツを強調するように見せている少年
この奇妙な三人組はバカ話をしながら教室内に入ってきた
「まぁ、なんてったって俺は天下無双の村正さまだぜ!」
言って自らを親指で指す青色のTシャツ少年は意気揚々と教室に入って周囲を窺う
カッターシャツを着ず、学生服をオシャレに着こなしていると思い込んでいる彼は
薄く髪の毛を茶色に染めており、目にはグリーンのカラーコンタクトを入れている、なぜか革の手袋を常にはめてたりもする
そして背中には肩掛けで黒色の筒ケースを背負っている
ショルダーバンドで肩掛けしたその筒ケースはポリプロピレンの材質で出来た七段式の伸縮機能付きの伸縮図面ケース
社会人や学会の人が書類やポスターを入れている物をなぜかこの新中学一年生である少年は持ち歩いているのだ
背中に掛けたその筒ケースとは別に空いた手には学校の鞄が握られている
変わったところはその鞄にもある
鞄の外側にあるポケット、そのポケットの中に呪符が貼られており、一部が外に飛び出ている
少年の名は和泉村正、その見た目から一部からは不良、一部からはロック系とも言われている
しかし、その村正の隣にいる友人はそんな村正とは正反対な格好と印象であった
ボタンをきっちり止め眼鏡がやけに似合い典型的なガリ勉少年である赤坂と
赤坂ほどではないにせよボタンを二個外してるだけでスポーツもやってなく興味なく塾に毎日通ってなんとなく勉強してる岡崎
この奇妙奇天烈な組み合わせ、仲がいいのが謎なくらいだが実は三人とも同じ小学校出というわけではない
赤坂と岡崎は同じ塾に通っていたという経緯があるが、そんな二人と村正の出会いは少々複雑である
そんなわけで考え方が違い、出身校が違えど三人は意気投合して他の出身校同士で固まってるのとは違い
仲良くグループを結成して教室に入ってきたわけだが
そんな村正に衝撃の出会いが待っていた
声を張り上げて大声を出す村正はふと教室の入り口
自分たちが入ってきた後ろ側ではなく、黒板と教卓のある前側を見た時、体中に電撃が迸った
そこで仲良く何かを話している女子四人組
一人は小学校も一緒で五年、六年とクラスが一緒だった腐れ縁たる間柄な吾妻
その吾妻が見たことない女子生徒と話している
恐らくは同じクラスになった子なのだろうが、そのうちの一人がふいにちらっとこちら側に振り向いた
流れる短髪、くりくりっとした眼、醸しだす雰囲気
どれもが村正の心を奪っていく
村正の心の中で何か軽快なラッパ音が鳴り響き、目に見えぬ何かに矢で射抜かれた気分となった
その少女、鴇沢樟葉に完全に一目惚れしたのである
そんなこととは知らず突然動きを止めた村正を不審に思った二人が声をかける
「どうした村正?」
「ついに頭の血管が破裂したか?」
そんな二人の言葉を無視して村正は樟葉を指差し二人に問う
「なぁ…あの子誰?」
指差す先の少女を見て岡崎はあぁ…といった声を漏らした
「くずもちがどうかしたか?」
「同じ小学校だったの?」
「そうだけど」
「くずもちというのか…美味しそうな名前だな」
真顔でうんうんと頷く村正を見てもしやと思い訂正する
「いや、あだ名だぞ、あの子は鴇沢樟葉」
「ときざわ…くずはさん?そんな名前いたっけ?」
言ってガリ勉赤坂は眼鏡を指で持ち上げる
「あぁ…難しい漢字だからな」
と言ってクラス名簿の鴇沢樟葉の文字を指差す
「へぇ~これでときざわくずはか」
「てかお前東大目指してるなら普通知ってるだろこの漢字の読み名くらい」
「僕は早慶狙いだよ」
少し焦った表情となった赤坂を見て、ぷっと笑いを堪える
そんな二人を他所に村正はクラス名簿の樟葉の文字をおぞましい表情、大半の人が見たら引きそうな表情で凝視し、ふうと流した汗を片手で拭く
「よし、漢字は暗記したぞ。これで俺は間違いなく鴇沢樟葉速書き選手権優勝だな」
「いや、言ってる意味がわからないよ」
つっ込む岡崎に赤坂はさきほどのくずもちについて聞く
「ところでなんでくずもちなの?」
「あぁ、それな…くずはって名前だから」
「うわ~ひねりないね」
「そう言うなって、後はくずきりってあだ名もあったけど、くずもちが圧倒的だな、何せあいつの好きな食べ物くずもちだし」
なんともなあだ名だと赤坂が思っているとそれを聞いた村正が突然拳をグッと握り締める
そして力強く宣言した
「よし!俺も今日から好きな食べ物は葛餅だ!何個でもいけるぞ!どうだ見ろ!これで共通の話題が生れたではないか!」
もはや呆れるしかない赤坂は言葉がでなかった
一方の岡崎は頭に手を当てて溜息をつき、暴走しそうな村正を止めようとする
「おい、もしくずもちに惚れたんなら止めとけ、あれはな…」
そんな友人の言葉を最後まで聞かず村正はツカツカと樟葉の方へと歩いていく
自分と樟葉との間に障害のごとくいる生徒を邪魔だと押しのけ樟葉たちの前に立つ
そんな危ない少年に前に立たれて四人はなんだ?と振り向く
吾妻はそこに立っていたのが村正であることに反応した、残りの三人は誰だ?といった表情
そんな少女たちに向かって、実際には一人に向かって村正は
「鴇沢樟葉さん!!」
大声を張り上げた
その声に教室中の誰もが村正と樟葉に視線を向ける
なんだなんだといった空気の中、再び大きな声で
「一目見て完全に惚れた!俺と結婚を前提に付き合ってほしい!!」
教室中が騒然となった
入学式、いわば登校初日に決まったばかりのクラスでいきなりの告白
まだ互いをあまり知らない新クラスで公開告白だ
誰しもがヒューヒューと言ったりキャー素敵などと野次を飛ばす
目の前で起こったこの告白に真紀は言葉を失い眼鏡がガクンとずれ
有紀は目が点となり
吾妻はイラっとした表情となった
告白された当の樟葉は表情が前髪に隠れて窺えない
だが肩が微妙にガクガクと揺れている
「うわー、これまたストレートだな、男だね」
感心する赤坂とは裏腹に岡崎は溜息をついた
「やめろっていってるのに…どうなっても知らないぞ」
「どうなってもって?どうなるの?」
「見てろ、今にわかる」
岡崎の反応に首を傾げる赤坂に岡崎はそう言って友人のこれから辿る末路に哀れを感じた
そんなこれから自分の身に降りかかるであろう不幸などいざ知らず村正は俯いたままの樟葉の両手を勢いよく握り締めると
「今日から俺が君の愛しの王子様になるぜ!俺のマイスイートプリンセス!!」
そんな言葉を村正が両手を強引に握り発した瞬間、樟葉の怒りのボルテージが頂点に達した
強引に握る両手を振り払うと一歩踏み込んで村正の懐に入り込み
右手の拳を力強く握り締めて突き上げる
「誰がお前みたいな安っぽい男と結婚を前提に付き合うかぁぁぁ!!!!」
教室中に響き渡り、廊下や隣の教室にまで聞こえそうなくらいの怒鳴り声とともに樟葉の拳が奇麗に村正のアゴに直撃
見事村正を突き飛ばしたのであった
その壮絶な場面に教室中は一気に静まり返る
そして教室内の樟葉と小学校時代クラスが一緒だった男子生徒たちは
「あぁ~あれマジで痛いんだよね」
「くずもち手加減知らないから」
「またしても犠牲者が生れたか」
「くずもち伝説は中学でも語られるか」
などと言ってそそくさと自分の席へとついていく
樟葉のことを知ってる小学校が一緒だった生徒はすぐに日常へと帰還したが、それを知らない生徒はいまだ先ほどの光景が鮮烈すぎて日常に帰って来れなかった
そんな中の一人、赤坂はだから言ったのにという岡崎に慌てて問いただす
「な、な、何あれは?」
「え?くずきりアッパー」
「く、くずきりアッパー?」
「そう、あいつ容姿は可愛いからもてるのよ、だから小学校の時も告白するやつ多かったんだけど…」
「もしかして、あれ?」
言って赤坂は床に鼻血を出して倒れている村正を指差す
そんな哀れな友人を見て岡崎は頷く
「そう、あぁやって来る男全員殴り飛ばしてるわけ…あらゆる意味で玉砕した男は数え切れず」
「……怖い」
「そう、通称告白キラー、あいつにフラれると心の傷だけでなく体にも傷がつく、そのせいで何人もの告白恐怖症者を生み出したって言われてる」
たしかに、そうだろうなと赤坂は思った
勇気を出して告白したのに殴り飛ばされたんじゃ自分じゃ立ち直れないだろう
「して毎回毎回奇麗に決まるわけだから告白された時に使うあれをくずきりアッパーという技に認定したわけよ」
「認定?誰が?」
「ん~PTA?もしくは校長?」
「いや、ないでしょ」
「……とにかくあいつに告白すること自体無謀なんだよ、まぁ故意にやってる集団もいるんだけど」
「故意に?」
「ん~、あまりに奇麗に決められて吹っ飛ばされるから失恋の傷を負うよりもMに目覚めてしまう連中がいてさ…あの吹っ飛ばされたときの感覚が忘れられなくて何度も告白してわざと殴られてる人たちがいるのよ、彼らはくずきりアッパーを崇拝してて」
「いや、それ以上は聞きたくない」
なんだが危険な感じがしたので赤坂はそこから先を遮った
「そうか…まぁ何はともあれ数多のMを生み出す生産機でもあるわけだよ。村正も目覚めなきゃいいが」
言う岡崎の視線の先で村正はゴホっと血を吐くとゆっくりと身を起こす
そして右手で口元と鼻の血を吹くと
「まいったな…こんな照れ隠し初めてだぜ」
まったく効いてなかった
「うわー、村正ポジティブ」
「普通そんな結論には至らないだろ」
呆れる赤坂と岡崎など気にせず、村正は再び樟葉に詰め寄ろうとする
そんな村正に有紀が村正にとってくずきりアッパーですら砕けなかった心を砕く言葉を発する
「樟葉の心にはもう先客がいるから止めといた方がいいよ」
それを聞いた村正の動きが止まった
心の先客→樟葉の心に根付く想い人→好きな人
脳内で流れた文字に完全に村正の心が砕かれた
「う、嘘だー!樟葉さんに俺以外にそんな人なんているわけがない!」
「……その発想が一体どこから湧いて来るんだ?」
さすがの有紀も呆れたが、しかし村正はまだ止まらない
「だ、誰なんだ!一体どこのどいつだ!まさかリトルリーグでイケメン投手などとおだてられてた西藤か?それとも俺らと同い年でゴルフがプロ級なせいでテレビの取材がきたイケメンゴルファー石田か?まさかジャ●ーズジュニアに入ってるっていう山本なのかぁー」
とりあえず新入生の中でイケメンで有名な三名
もっぱら女子の中で話題を独占してる三人の名前を挙げたが樟葉の反応は「誰それ?」な顔だった
「あぁー樟葉の好きな人は年上だからさぁ、多分同級生に興味ないと思うよ」
もはや会話を拒絶してる樟葉の代弁として有紀が村正に説明した
年上、その言葉に村正の心は完全に砕かれた
ここに村正は今度こそ玉砕したのだった
玉砕した村正を見て誰もが興味をなくして自分の席へと散っていく
そんな中にあって元よりそんな騒動に興味を持っていない一人の少女がいた
クラス発表にも興味がなく、誰とも関わらず物静かに席についている
周囲のざわつきなどどこ吹く風で席に着き、無表情で机の上に本を開いて読んでいる
読んでいる本も分厚く古びた異国語の本である
一般人には見たところでわからないがかなり高度なグリモア「アルバデル」
出版された魔術書ではもっとも完璧とされる魔術書だ
そんな魔術書を涼しい顔で読んでいる彼女は傍から見れば変わってた子にしか写らない
「アルバデル」を読んでいるにしても魔法使いが見れば一般人の前で、しかも学校という公共の場で堂々と読んでること自体
魔法使いの常識からも外れている
それは彼女がもとより学校という環境に興味がないことに由来するが
もっと根本的な部分で言えばすぐに消えてなくなる環境に配慮する必要などないという思想があるからである
そんな少女に前の席についた女子が振り返って話しかける
「ねぇねぇ、本ばっか読んでるけどさ。さっきのあれに興味ないの?」
さっきのあれとは当然、村正による樟葉への公開告白のことであったが
「別に……興味ない」
女子の顔を見もせず淡々と答えた
その素っ気無さブリにこれは仲良くなれないと諦めて女子は前を向いて別の席の子に声をかける
そんな様子を気にもせずただ魔術書に読み耽る
少女の名は八幡さつき
彼女もまた樟葉たちと同じく魔法使いである
そんな彼女は吾妻と違い自ら進んで他の魔法使いと接しようとしない
皮を被って一般人と仲良くなろうともしない
そんなものが魔法使いにとって無意味だとわかっているからだ
まだ周囲と隔たりを作ることのない樟葉たちと違って彼女は魔法使いとして成熟しているといえるだろう
そんな彼女に話しかけようとする者や仲良くなろうとする者は誰もいなかった
教室に渦巻く熱気も担任の教師が教室に入ってきたと同時に引いていく
皆誰しもこれから一年自分たちに大きく関わってくる教師の顔を見る
その担任の教師が最初の挨拶ともいうべき言葉と自己紹介を終わらせる
その最中妙な違和感を樟葉は感じた
(なんだろう?)
そう思って周囲を窺う
その時有紀と目が合った
同じことを有紀も感じ取ったのだろう、その目は真剣であった
思念を飛ばして意思を伝達する
魔術の中でも初歩ともいうべきコンタクトツールであるこの術は最低限の呪物があれば可能である
科学が進歩し、携帯電話というもっとも便利かつ最適なツールがある現代において
このような呪物によって呪力を高め、思念を相手に飛ばして相手の呪力と共鳴させ
その思考に自らの思念を割り込ませて自分の内なる言葉を伝えるという小難しくややこしい術を使う者はまずいない
そんな時間と手間をかけて実際相手に伝わるか不明な行為をするよりも携帯電話で電話をかけたり、メールを送る方が早くて確実だからだ
しかし、このような携帯を公に使えず、かつ隠れて操作していると疑われることもなく意思を伝えるにはある意味で最適といえた
(何か変な感じしない?)
樟葉の思念は有紀に正しく伝わり、有紀もすばやく思念を送り返してきた
互いに信頼し、呪力相性がよいほど思念の伝達は早く正確である
よって樟葉と有紀の思念による意思の伝達は携帯電話によるメールのやり取り以上に素早かった
(確かに、何か異質なものが紛れ込んでる…これは)
思った有紀の手前、担任教師がクラス全員の名前を覚えるため出欠の確認も兼ねて点呼を取り始めた
その瞬間、違和感は非現実の異質な姿となって現実を侵食すべく姿を現した
「え?」
最初に名前を呼ばれた少年が返事をしようとした瞬間
その目が白目となり、仰け反り返って口から泡を吹きはじめたのだ
腕は本来曲がるはずのない方向へと曲がり足も本来ならありえない位置まで曲がっている
全身がありえないほどに痙攣し、この世のものとは思えないような悲痛な叫び声をあげる
その異様な光景に教室中の誰もが驚きに目を見張る
その直後腹の中から何かが突き出てきた
「な、何!?」
「きゃーー!!!」
「うわぁぁ!!」
異様な光景に誰しもが恐怖する中、突き出た何かが発光して教室中を光に包む
次の瞬間、教室の中の誰もが動きを止めていた
見れば教室の中は青白い異質な空間に変貌していた
「有紀!」
動きを止めたクラスメイトを見て樟葉は立ち上がって有紀の方を向く
同じく有紀も立ち上がっていた
「うん!間違いない、精霊獣だわ」
精霊獣
地球の内側を流れる呪力の流れたる霊脈
そこを流れる呪力が何らかの原因で本来地上へと循環するための通気口たる竜穴ではなく
イレギュラーな場所から漏れ出る現象である通称「ガス漏れ」
その現象を放置しすぎた結果として精霊獣は生れる
本来霊脈から漏れることのない高密度な呪力が実体をなした姿なのであるが
元来はこの現象を阻止すべく魔法使いを統括管理、監視しているAMMが精霊獣化する前に現地に魔法使いを派遣するのだが
「でもどうして?呪力が漏れで出てる感じはまるでなかったのに」
言った有紀の言葉通り、ここで突如精霊獣が出現するのは不自然だった
この教室は校舎の三階に位置しており地上からは距離がある
漏れ出た呪力は地上付近に留まり、たとえ施設内であっても上層へは吹き上がらない
そんな中で地上から離れた三階でいきなり精霊獣化するだろうか?
そもそもここには霊脈すら通っていない
霊脈が通っているのは学校から遠くはなれた所だ
「一体どういうこと?」
樟葉はいつでも変身できるよう胸に下げたペンダントを握るが、不安でいっぱいだ
まだ一人前でない樟葉は師匠である誠也がいない魔術戦闘を行ったことがない
師匠がいるからこそ、不安もなく安心して戦えた
また魔術戦を見ていられたという面がある
つまり、これが樟葉にとって初めての実戦といっても過言ではない状況だった
そんな樟葉の元に吾妻がやってくる
「ちょ、ちょっとこれって…」
「うん、不安だけど倒さなきゃ」
言って樟葉は変身しべく呪力を高めるべく集中する、同じく有紀も印字を切ろうと構える
それらを見て吾妻も自らの魔術を発動すべく懐に手を入れた瞬間
三人にとってまったく予期せぬ声が後ろから響き渡った
「ちょいと待ちな!」
振り返った三人は呆気に取られた顔となる
そこには机の上に立ってポーズを決めている少年
さきほど樟葉に告白して見事玉砕した村正がいた
ショルダーバンドで肩掛けした黒色の筒ケースをまるで背中に刺した剣を抜き取ろうとするかのように右手で持って
左手は盾を構えるようにポケットから呪符が少しはみ出た鞄を持っている
「この天下無双の史上最強の魔法使い、村正様が我が愛する妻のために貴様を倒す!!」
言い放って村正はニッと歯を見せて樟葉にウインクする
どうやら村正はまだ樟葉のことを諦めていないようだ
そんな村正に樟葉は冷めた顔で
「キモイ……」
一言で切りつけた
村正の心に何かがひび割れる音が轟いたが、すぐに平静を取り戻して精霊獣を指差す
「さぁ覚悟しな!樟葉さんには指一本触れさせないぜ!!」
威勢良く嘆かを切った村正を、精霊獣の近くの席から隠れながら逃げて
ようやく樟葉たちの下に辿りついた真紀が呆気に取られた顔で見る
世界は広いんだが、狭いんだか……
確か有紀の話では魔法使いは稀でその存在を秘匿してるはずだが
村正がそうであったのだからクラス内に四人も魔法使いがいることになる
稀な存在が普通の公立中学の一クラスに四人も集うものだろうか?
意外と稀と思ってるだけで魔法使いは大勢いるのではないか
真紀がそう思ってると背後で気味の悪い、何かが生え出てくる音が聞こえてきた
恐る恐る振り返ると、精霊獣の体から数多の触手が生え出ていた
その触手はヌメヌメといた液体を纏わりつけており、その動きが非常に危険なものを感じさせた
「な…何あれ気持ち悪い!」
真紀は真っ青な顔で有紀の背後に隠れる
触手に襲われるという、そういった類の知識はまったくない真紀であったが
あれは危険だと本能が囁きかけてくる
そのヌルヌルとした何かを連想させる精霊獣から生えた数多の触手がターゲットを捉えるべく一気に襲い掛かる
果たして数多の触手が捉えたのは女性陣ではなく、嘆かを切った村正であった
「ちょ……待て!おかしいだろ!なんで女の子じゃなくて俺なんだ!?」
釈然としない村正はしかし、その羞恥な縛り上げに顔を真っ赤にさせる
(ま、まずい!こんな姿樟葉さんに見られたら)
思う村正は縛り上げられる中で、そんな自分を引いた目で見る女性陣を垣間見る
「あいつあんな趣味あったんだ……気持ち悪っ」
有紀は軽蔑する目で村正にはっきりと聞こえるように言った
違うぞと叫ぼうとした村正だったが次に樟葉の放った言葉によって石化する
「変態だね、あれ」
変態、ヘンタイ、HENTAI
村正の頭の中で樟葉の放った一言が無限ループする
終わった…そう思い村正はガックリとうな垂れる
うな垂れて、しかしすぐに村正は復活する
「この程度の攻撃で史上最強の魔法使いは崩せねーぜ!!」
最強のポジティブ精神の持ち主たる村正は樟葉が自分に対して変態と発言したのではなく
自分を触手で縛り上げた精霊獣に変態と言い放ったものと(強引に)解釈したのだ
そう考えれば、まったくもって心の傷は瞬時に回復し、本来の村正の状態に復活したのだった
「とっとと離せ!マジうぜーんだよ!」
周囲に漂う呪力を集めて腕の力を強化、触手を破り捨てる
「よくも俺に羞恥プレイを要求したな、ガチで潰すぞコラ!」
言って精霊獣を睨みつけた村正は肩掛けの黒色の筒ケースを素早く肩から外すと勢いよく頭上へと投げ上げる
同時に鞄のポケットから無数の呪符を掴み取るとそのまま筒ケース同様頭上に投げる
同時に投げられた呪符から異常なまでの呪力が行き場を失って周囲に発散する
それを確認すると村正は素早く右手で印を切る
「封印解除!」
村正の切った印と言葉を合図として頭上で散らばった呪符が周囲に発散した呪力を一つの緑色の球状のエネルギー体へと変化させる
そして呪符は一斉に落下してくる筒ケースに吸い寄せられるようにくっ付いていく
すべての呪符が筒ケースに貼りついた時、筒ケースは緑色の球状のエネルギー体の中へと入り込んだ
同時に村正はお立ち台と化していた机から頭上に浮かぶ緑色の球状のエネルギー体に向かってジャンプした
「来い!魔剣・八俣遠呂智!!」
右手を突き上げて緑色の球状のエネルギー体の中から筒ケースを取り出す
しかし中から取り出された筒ケースはその姿を大きく変えていた
その姿は筒ケースだった原型をとどめず蛇のような湾曲を見せる蛇の剣となっていた
蛇のような剣「魔剣・八俣遠呂智」を取り出したと同時に緑色の球状のエネルギー体はガラス玉が床に落ちて割れるように砕け散った
砕け散った緑色の無数の破片はそのまま村正の体へと吸い寄せられる
それは村正の自慢のグローブを強化させ、靴に足枷をつけ
青のTシャツの上にボディーアーマーを装着させる
最後にボタン全開ではだけさせていた学生服が呪力を秘めたジャケットに変わり
村正は再びお立ち台たる机の上に着地する
そこには村正の魔術戦闘時の姿があった
机の上に着地したと同時、村正は魔剣・八俣遠呂智を大きく一振りする
すると魔剣の刀身に呪力が集い、無数の八対の蛇の目が一瞬浮かび上がる
それを合図として魔剣・八俣遠呂智が完全に稼動しだす
「いくぜ相棒」
そんな村正の一連の動作を見ていた女性陣は真紀を除いて皆呆れた表情であった
「ねぇ……あれ魔剣だよね?」
「うん、そうだね」
無感情な樟葉の問いに有紀も同じく無感情で答える
「史上最強の魔法使いとかほざいてたよね?」
「うん、そうだね」
どこまでも無表情の樟葉が一瞬村正を鼻で笑った
「何が史上最強よ、魔法使いじゃないじゃん」
完全にバカにした樟葉の言葉に唯一魔法使いではない真紀が驚きの声を上げる
「え?違うの?」
「うん、全然違う、まったく別物」
「あいつは魔法使いじゃなくて魔剣使いね」
もはや表情が誰が見てもキレてる樟葉に変わって有紀が説明するが真紀にはさっぱりわからない
「え~と……何が違うの?」
「私たちは魔法を使う、あれは魔剣を使う」
「……違いがさっぱりわからないんだけど」
困惑する真紀も無理はない、一般人からみればどちらも同じだ
だが、そこには確固たる違いがある
昆虫と蜘蛛が違うように専門的に見れば決定的な違いがある
魔法使いはそれぞれ様式ややり方は違えど大筋では自らの体内を流れる精気だったり体外の呪力を使って魔術を駆使する
魔剣使いは自らは呪力を使っての魔術は行使できない
つまり個人で見たら一般人と変わらないわけだ
魔剣使いは文字通り、魔術を駆使する作業を魔剣にやらせる
つまり魔術を使える意思を持った剣を扱うわけなのだ
意思を持った魔術を扱える武器を従える、それが魔剣使い
自らが魔術を行使する魔術師とは概念が違うのだ
「だから魔術師じゃなくて魔剣師…ですか」
有紀の説明を聞いて、真紀はわかったようなわからないような感じであった
とにかく魔術を扱う者が人か意思を持った武器かの違いというわけであるらしい
しかし、意思を持った武器とはなんだろう?
そんな真紀の疑問が伝わったのか、有紀が魔剣についての説明を話しだす
「まぁ、私たちの年齢で魔剣を制御下においてるってのは素直にすごいって認めるけど」
「そうなの?」
「そこはね、魔剣っていうのは基本邪念の塊だからね」
意思を持った武器、魔剣の正体
それは人間が長い時間かけて生み出した歴史の負の遺産である
元は意思などなかったただの武器が戦場で多くの人の血を吸い
憎しみを吸い、嫉み、憎悪、欲望といった使い手の負の感情を浴びたことによって
そういった邪の思念が一つの意思を武器に生み出した
それが魔剣なのだ
日本の他、中国・韓国といった東アジアでは妖刀とも呼ばれる
この魔剣は武器である分、単体ではその威力を発揮できない
自らを振るう人の肉体あってこその力であるがため、魔剣は人を求める
そして強大な力を与える変わりにその肉体を乗っ取るのだ
故に魔剣使いとなった者はほとんどが魔剣に意識を犯された廃人となってしまう
魔剣を手にした後も自我を保ち、魔剣を制御下において完全に支配してる者は稀であり
彼らこそを真の魔剣使いというべきであろう
「だからそういった意味ではあいつはすごいんだろうけど」
言って有紀は村正を見る
聞いた話から魔剣に飲まれていないクラスメイトを真紀も見る
そんな有紀と真紀の話を隣で聞いていた吾妻は少し微妙な表情で村正を見る
そんな女性陣の視線の先で格好良く魔剣を構える村正は果たして次の瞬間
魔剣の放った言葉によってすべては総崩れとなった
「何が行くぞ相棒だガキ!侵蝕すんぞコラ!」
魔剣から発せられた挑発的な言葉に村正は素早く魔剣を机に突き立てるとその前に正座、頭を下げる
「マジすんませんでした!調子こきました!」
その様子に女性陣は静まり返った
「何イキってやがんだガキ?テメェーは黙って俺の言うとおり動いてりゃいいんだよ!いい加減立場わきまえやがれ!」
「ガチですんませんでした!二度と言いません!ガチで」
突き立てた魔剣に頭を下げ続ける村正を見て
有紀も真紀もあっさりと唯一の評価していた事柄を取り下げる
魔剣を制御下になど置いていない、完全に支配されてる
あれは下僕だ
そんな情けない村正を見て吾妻が溜息をつく
「魔剣を紹介したのは私だけど、まさかここまで支配できてないとはね…やっぱ適正だけではダメだったってことかな?」
「え?紹介って」
魔剣を紹介など聞いたことがない
魔法使いではない人間に魔剣を紹介するなど、それこそ犯罪結社めいた行為だ
まだ吾妻の正体を看破できてない有紀の心中で吾妻に対する猜疑心がふくらむ
そんな有紀の心中とは裏腹に状況はいつの間にか動き出していた
さきほどまで突き立てた魔剣に土下座していた村正はいつの間にか立ち上がって魔剣を引き抜き精霊獣を睨みつけていた
「さぁショータイムの時間だ化け物!この天下無双の村正様がてめーを八俣遠呂智の錆びにしてやるぜ!」
挑発的な笑みを浮かべて村正は魔剣を振り上げて机を蹴って精霊獣へと斬りかかった
かくして教室は魔術戦闘の舞台へとその姿を変えたのであった
今や教室は戦場と化していた
青白い異空間へと変貌した室内に呪力と呪力の衝突による衝撃が走る
魔剣を振りかざし精霊獣へと襲い掛かる村正を精霊獣は体から生やした無数の触手で迎え撃つ
高密度の呪力の集合体たる精霊獣と何百年と負の感情を溜め込んできた魔剣の衝突はいとも簡単に教室を悲惨な有様に変えていく
村正の振るう魔剣の一振りはただそれだけで精霊獣の触手を一瞬にして葬り去った
触手がなくなり丸腰となった精霊獣へと村正は一気に詰め寄る
しかし、相手は精霊獣、生き物という概念には縛られていない
高密度の呪力の集合体、言うなれば知覚できる呪力なのだ
周囲に漂う呪力を取り込み、すぐに触手を再生させる
「ちっ」
舌打ちして後方へと下がって距離を取る
すぐさま触手は村正を追いかけるように無数に伸びていく
「うざいんだよ!この触手!」
「何雑魚相手にてこずってやがるんだガキ!さっさと畳み掛けるぞこのノロマ!」
村正の戦い方に苛ついた魔剣・八俣遠呂智が罵声を飛ばす
そしてその刀身に一対の目が開く
「飛ばしていくぜクソガキ!パーティーに乗り遅れるんじゃねーぞコラ!」
「おうよ!今夜はダンスナイトってな!」
不敵な笑みを浮かべて村正が魔剣を頭上に掲げる
すると開いた一対の目の瞳孔が赤く光り輝く
すると、その刀身に炎が燈る
「炙られちまいな!!八目第一眼・焔」
炎を燈した魔剣を迫り来る触手へと振り下ろす
たちまち刀身に燈った炎が巨大な刃となって迫り来る触手をすべて切り裂き焼き尽くす
再生不可能なほどの斬撃を繰り出した後、村正は樟葉に視線を送る
「村正様に切れないものはないぜ」
ニっと笑って白い歯を見せて光らせる
その直後、別の触手が村正を背後から豪快に殴り飛ばした
「ぬほぉぉぉぉぉ~~~~~」
情けない声を上げて村正は黒板に大の字の形でぶつかりそのまま床に滑り落ちた
そんな村正を樟葉と有紀は冷めた目で見つめた
「魔性のアホだね」
「アホの帝王だ、あれ」
そんな二人の横で吾妻は右手で頭を押さえて溜息をついた
「何やってんのよ、あのバカ」
腕を組んでしばらく考えた後、溜息交じりに一歩前に出る
「仕方ないか、魔剣を紹介したのは私だしね」
「へ?」
「どうしたの?」
不思議そうな顔で自分を見てくる樟葉と有紀に吾妻は頭を掻きながら
「ちょっとバカの手伝い」
なんでそんなことするんだという表情の樟葉と有紀を尻目に吾妻は懐に手を入れる
そこから小さな木製の四角い箱を取り出した
その箱は塩かご、主に相撲力士が土俵入りの際まく塩を入れている箱だ
元は相撲とは神道の神事だ
健康と力に恵まれた男性が神前にてその力を捧げ、神々に敬意と感謝を示す行為であり
そのため神社では祭の際、相撲は天下泰平・子孫繁栄・五穀豊穣・大漁等を願い行う神事なのだ
その神事を行う土俵を清める塩は当然神道を重んじる者にとっては高度は呪物となる
塩をまくことによって場を清め、体を清め、神と対面するにふさわしくするのだ
「おいでませ」
塩を自分の周囲にまいた後、吾妻は目を閉じて囁く
両手を広げて大地に祈祷すると、その身を自然へとゆだねる
その体は自然と動き、神聖な神への舞と変わる
回っては回り返し、また回っては回し返す
それを繰り返しながら舞い、周囲の呪力をかき集める
かき集めた呪力とさきほどまいた塩でその身を清めてからその身に神を降す準備をする
やがて吾妻の姿が白い小袖に緋袴を履いた姿に
巫女装束に身を包んだものへと舞の中で変化する
右手には鈴をつけた御幣が、左手には榊が握られ
両手の採物を使い、より一層舞が優雅となる
順周り・逆周りに交互に回りながら舞い、その身に神を憑依させる
舞が終わった時、吾妻はトランス状態であり、それはその身に神を宿した証であった
「さて、やるか」
口調と目つきが変わった吾妻は左手を横にふると握っていた榊が白扇へと変化する
「あれって……」
「巫女神楽…」
「巫女術ってわけね、そうか…だから魔剣を紹介なんてできたのね」
吾妻の格好を見てぽかーんと口を開ける真紀の横で樟葉と有紀はそれぞれ納得する
巫女術、それは日本固有の宗教である神道における最もポピュラーな魔術系統だ
代表的なものとして占い・神遊・寄絃・口寄を行うが、それは数ある巫女術の中でも一部にすぎず
多くの神道諸派にそれぞれ固有の術が存在する
多神教である神道において、宿す神や奉る神、ご神体によって術式が違うのは至極当然であり
故に巫女術と一言で言っても多種多様なのだ
これら統一性がないように思える神道系魔術をまとめているのが神道神社を総括する神社本庁であり
表向き宗教法人の本庁に所属する巫女術師たちである
「へ、へぇ~そうなんだ」
有紀の説明を聞いて真紀は頭が混乱しそうになった
今まで神社でおみくじを売ってくれる人程度にしか思ってなかった巫女さんの実体がそんなものだったとは
そう思って見つめる先で吾妻は堂々と精霊獣へと歩を進める
そんな吾妻を黒板に激突して倒れていた村正がやっとの思いで上体を起こして睨みつける
「おいおい、ジャマすんじゃねーよ」
そんな村正を吾妻は鼻で笑い飛ばす
「ふん、そんな格好でよくぬかす」
「何を!?」
「このガキが!テメェーが情けねーからこの嬢ちゃんが着たんじゃねーのかよ!?」
魔剣に言われて村正が苦い表情となる
そんな村正を見て吾妻は無言で一歩前に出る
そして背中越しに村正に語りかける
「あの精霊獣を一時的にしめ縄で封じ込める」
「はぁ?お前何言ってんだ?しめ縄って結界作る気か?」
しめ縄、それは神の領域とそうでない領域とを隔てる結界を作るための紙垂をつけた縄だ
元来は結界とは仏教用語であるが、神道における同概念においても適用できるため同一視される
神社の周りや、ご神体を縄で囲い、その中を神の領域とする
つまりはしめ縄で囲まれた場所は神聖な神の領域であって穢れは踏み込めない
退魔の空間となるのだ
「あれは精霊獣だぞ!?あんなの神の領域に閉じ込めるのか?」
「その逆だ、やつ以外をしめ縄の中に入れるのだ」
「な……」
それはつまり、世界から精霊獣を孤立させること
言うのは簡単だが、それは世界すべてを神の領域に包み込むという行為であり
まだ中学に入学したばかりのひよっこができるはずもない
「いくらなんでも無理だろ!」
「あぁ、そうだな…一瞬しか持たない、だから一瞬で決めろ」
言って吾妻はすっと白扇で精霊獣の頭
唯一触手が生えていない場所を指す
「あそこがやつの弱点だ、やつの動きが止まってる一瞬であそこを貫け」
言われて村正は精霊獣の頭を見つめる
そして溜息をついて魔剣を杖代わりに立ち上がる
「やれやれ……一瞬の隙にあそこを貫けって?そんなの、この天下無双の村正さまにかかわれば朝飯前だぜ!なぁ?相棒!」
言って村正は魔剣・八俣遠呂智を掲げる
だが、魔剣から発せられた言葉は村正のやる気を引き立てるものではなかった
「あぁ!?誰が相棒だこのガキが!マジで侵蝕すんぞコラ!」
「すんません、マジですんません」
村正は再び魔剣を地面に突き刺し、魔剣へと平謝りを始めた
そんな村正を溜息交じりに見ると吾妻は右手を振って鈴を鳴らす
「いつまでやってる気だ?いくぞ」
言って吾妻は両手を広げる
広げた右手では鈴を鳴らして、左手では白扇を振っている
そして囁くような声で祝詞を唱えだした
たちまち周囲に渦巻く空気の質が変わる
とても濃く息苦しい圧迫感にさらされながらも、何か神聖な者の気配を感じる
同時に精霊獣の周りに取り囲むように柱のような岩が現れる
そしてそれらをしめ縄が繋いでいく
世界を包み、精霊獣を孤立させる結界の完成だ
「よっしゃぁ!行くぜ!!」
結界が完成した瞬間、村正は地面を蹴って跳躍
動きの止まった精霊獣の頭上をあっさりと取る
「脳天ガラ空きだぜ!!この触手野朗!」
魔剣の剣先を真下の精霊獣の頭上に向けるとそのまま村正は精霊獣を串刺しにすべく、そのまま落下する
「おらぁぁぁぁぁ!!!」
そのまま精霊獣は村正に頭上から突き刺され、雄叫びをあげてその姿を呪力へと拡散させた
同時、吾妻がしめ縄を解く
相当力を消費したようで、息は切れ、全身汗だくだ
そんな吾妻の体に拡散した呪力が、同じく魔剣・八俣遠呂智に吸い込まれるように消えていく
「へ、ざまーみろってんだ」
言って村正はガクっと倒れた
床に倒れて笑顔で目を閉じる
(やったぜ、樟葉さん)
しかし、当然ながら樟葉が村正を気遣うことも、駆け寄ることもなかった
樟葉と有紀に真紀は村正を無視して吾妻へと駆け寄る
「平気?」
フラフラな吾妻を見て心配する真紀であったが、言われた吾妻の方は笑って答える
「平気平気、心配しなくても平気だよ」
口調や目つきから神が憑依したトランス状態からは元に戻っているようだ
見れば服装も巫女装束から制服に戻っている
「平気って……あれだけ許容範囲を超えた魔術を行使したのに平気なわけ」
心配する有紀の言葉に吾妻は息を整えると懐から小さい神木を取り出す
「これが依り代となってある程度の補助を行ってくれるから負担はすべて自分にかからないんだ」
「へぇ~」
感心する有紀は横の樟葉を見る
同じく樟葉も感心した表情で吾妻を見ていた
「はぁ……そんなもの持ってるなら心配損したかな?魔剣を紹介したっていうのも巫女術使うなら納得かな、神社にはそういった類のものが奉納されてたり預けられたりするもんね」
「そういうこと、納得してもらえた?」
「うん、変な魔術結社の人じゃないってわかった」
「ははっ…まぁ私の方はまだ二人がどんな魔術系統なのか知らないわけだけどね」
言われて樟葉と有紀は顔を見合わせる
どうするかと迷っているようだ、そんな二人に吾妻は笑って否定する
「別に言いたくなかったら言わなくていいよ。そのうち見る機会もあるだろうしね」
言って吾妻は二人に手を差し出す
「まぁ、そういうわけだから改めてよろしくね」
「うん、こちらこそ」
「えぇ」
樟葉と有紀も笑って差し出された手に握る
握手を交わしたと同時に教室を覆ってた異空間は消えていった
先ほどまでの異常事態がなかったかのように世界は動き出す
教室の誰もが、生徒の一人の腹から得体の知れないものが突き破って出てきたことなど忘れていた
そうして戻ってきた日常の中、まださきほどの非日常から帰還できていない少年が一人いた
樟葉も有紀も真紀も吾妻も完全に村正のことなど忘れていたため、村正は日常が戻ってきた後もさきほどまでと同じ場所で倒れていた
不運にもそこは女子生徒の席の椅子の下
はっと気がついた女子が下を向くとそこには村正が豪快に倒れていた
そしてその村正はたっと目を開ける
「う…しまった、気を失ってたか」
そのまま起き上がった村正は自分が椅子の下に倒れていることなど気がつかず、豪快に女子生徒ごと椅子を倒してしまう
「へ?」
状況がさっぱり掴めない村正に教室中の視線が集束する
「え、え~っと…」
村正が何か言おうとした時、椅子ごと倒された女子が声をあげた
「痛っ~何なのよ!」
椅子ごと倒されたため股を豪快に開けてスカートも完全にはだけている
そんな女子を位置的に真正面から見下ろす形となっている村正は見たままの感想を述べ
「あ、パンツ丸見え」
「っ!!!」
次の瞬間視界を女子の靴底が覆った
「このド変態っ!!!」
素早く起き上がって羞恥で顔を真っ赤に染めて涙目になった女子に村正は見事に蹴り飛ばされたのであった
こうして村正は中学生活の第一歩として…
公開告白玉砕男、くずきりアッパー中学被害者第一号、パンツ覗き込み変態男という三つの称号を得たのであった
「魔性のアホだ」
「アホの帝王…」
そんな村正を樟葉と有紀は無表情で
「…ほんとバカなんだから」
吾妻は溜息をついて哀れんだ
入学式も終わり、皆一同に帰路へと着く
そんな中にあって、一同の中に紛れていながらも、誰からも話しかけられないし相手にされない少女がいた
教室ではずっと魔術書「アルバデル」を読んでいた八幡さつきだ
クラスでの自己紹介でも名前しか言わずすぐに席についた彼女は、解散になるやいなやすぐに席から立ち上がって教室を出た
実は彼女はさきほどの教室での精霊獣との戦闘時もずっと自分の席で何食わぬ顔で魔術書を読んでいたのだ
そのことに樟葉たちが気がつかなかったのは彼女がまったくといっていいほど呪力も何も放出しなかったのと
まったくもって読書以外に興味を示さず微動にしなかったためである
そんな彼女は誰にも興味を示さず黙々と帰路を歩く
やがて周囲に学生の姿も人の姿も消え
彼女は暗い不気味な森の中を歩いていた
目の前に佇むのは古びた不気味な洋館
暗い森の中に突如として現れたそれに八幡さつきは何の躊躇いもなく踏み込んでいく
ノックもせず何十年、いや何百年と手がつけられていないかのように埃とクモの巣がはるドアノブを掴んで扉を開ける
嫌な音を立てて普通の人が見たらお化け屋敷と見間違う屋敷の中へと入っていく
中は外見と同じく廃墟と化した有様であった
埃まみれの赤絨毯にクモの巣だらけの天井
そんな屋内を堂々と八幡さつきは進んでいき、やがて異変が起きた
空間が歪んで誇りまみれの廃墟が姿を消したのだ
変わって異様な空間の歪みが周囲を取り囲み
どこまでも無限に上空へと突き抜ける石柱がいくつも立ち並び、どこまで続くのか目を疑いたくなるような遠くまで立ち並んでいる
壁や天井はなく、異様な空間の歪みが支配する中
地面に敷かれた奇妙な紋様の絨毯と石柱だけが唯一ここが人が活動できる場所だと認識できる空間
そんな場所をここが自分の家だと言わんばかりに堂々と八幡さつきは突き進んでいく
そして、一つの石柱から人影が出てきた
「お帰り…どうだった?入学式は?」
石柱から姿を見せたのは痩せこけた男であった
深々とフードを被って痩せこけて精気のない顔を隠している
その彼の横は異様なまでに空間が歪曲している
普通の人が見れば奇妙な光景であるが、魔法使いである八幡さつきには彼の隣にはただ大きな狼がいるだけである
「別に…そのようなものに興味はありません」
「あぁ、そういうと思ったよ……でも、少し遊んでたようだけど?」
痩せこけた男の言葉に八幡さつきは表情を変えることなく答えた
「遊んでたわけではありません。この前の刻印を刻む際に使った精霊獣の残骸がまだ残ってたので消費したまでです」
八幡さつきの答えに痩せこけた男はふうんと笑った後、指で顎をなぞる
「まぁ、別段計画に支障のないことです。遊ぶ分には誰も文句は…言わないでしょう」
そう言って痩せこけた男は隣の大きな狼の頭を撫でる
「師匠はどちらに?」
そんな彼に八幡さつきは聞く
痩せこけた男は狼の頭を撫でたまま、笑いを堪えて答える
「隊長なら今は総本部に行ってますよ…いよいよ計画も佳境へと突入する頃合ですからね」
言う男の顔は狂気に歪んでいた
まだ誰も知らぬ所で、すぐそこまで迫っている恐怖と混乱が潜伏しているなど
平和な国に生きる者達には知るよしもなかった