エピソード1:卒業式
世の中には表社会に隠されていることが数多く存在する
そんな隠されているものの一つに魔法という概念がある
それは魅力的な響きかもしれない、しかしそんな甘い考えが過ちであると人はすぐに悟る
だからこそ魔法は隠された
だからこそ魔法使いの存在は秘匿された
それでも隠しきれるほど魔法は簡単なものではなかった
それは甘い誘惑となって人々の前に姿を見せる
退屈な日常を打ち壊す力を秘めて
「よし!着替え完了!」
鏡に写る自分の姿を見て一人の少女が万満足気に頷く
着慣れた制服も今日だけはなぜか見栄えて見える
そんな不思議な感覚を抱いて少女は部屋の戸を開けた
「師匠!見て見て~!今日の私いつもより輝いてませんか?」
笑顔満開で少女は居間へと足を運ぶ
そこには一人の青年が机に頬杖をついてノートパソコンを眺めていた
「あぁ、いつも通り輝いてるよ」
青年は少女を見ようともせず棒読みで賛辞を述べた
「きゃーん、やっぱりそうですか~?照れる~…って師匠私のこと見てないでしょ?」
少女は頬を膨らませて青年の隣へとやってくる
ノートパソコンを死んだ魚を見る目で眺めている青年の顔を覗き込んで抗議の声を上げた
「こんな可愛い愛弟子が師匠のためにおめかししてるっていうのに、なんで興味なしなんですか?」
「おめかしって…お前の制服姿なんて毎日見てるだろ、新鮮さの欠片もないね」
青年は鬱陶しそうにそう言うとノートパソコンに映し出された情報にグチグチと文句を付け出した
「大体この霊脈の浄化作業事態俺が直接行く必要は…」
「師匠!!」
少女はドンと手で机を叩いて青年のブツブツ言う愚痴を止めた
呆気に取られた顔で青年は少女を見上げる
「まさか忘れてないですよね?今日私の卒業式だってこと!!」
少女はう~とうめき声を出して青年を睨みつける
そんな少女を見て青年はあっそういえば的な表情をする
「あぁ…あれだ、怒った顔も可愛いぞ」
不意に言われて少女は顔を真っ赤にして両手を頬に当てる
「いや~ん、師匠のバカァ!可愛いぞだなんて、きゃーんって…今誤魔化したでしょ?」
「ははは、というより俺はお前の家族でも親族でもないんだぜ?行けるわけないだろ」
「いけます!師匠なら大丈夫です!」
少女はきっぱりと言い放った、そんな弟子の姿に青年は溜息をつく
「その自信は一体どこから来るんだ」
「師匠の愛です」
「は?」
「師匠が私を想う気持ちがあればそんな壁いつだって乗り越えられます!だってこれは運命の…」
「はいはい、さっさと朝ご飯食べて有紀迎えに行って来い」
青年はゆっくりと起き上がってあくびをしながら台所へと歩いていった
そんな青年の後姿を見て少女はブスっとした
「何よ、今日で見納めなのよ」
ボソっと言うと少女は台所へと後に続く
少女の名は鴇沢樟葉、現在満十二歳の小学六年生である
ただし、厳密に言えば六年生であったが正しい
日付は三月十九日
今日は東京の東、吾嬬の地に立つ東京都墨田区立のとある小学校の卒業式だ
卒業式とはいえ公立の小学校
一部私立の中学校に進学する者を除けばほとんどが同じ公立の中学校に入学するわけで
仲の良い友達や共に学び楽しい思い出を作ってきたクラスメイトと離れ離れになるわけではない
ただ慣れ親しんだ校舎や先生と別れることになるだけだ
先生方からすれば涙を流す卒業式だろうが、生徒かれすれば学び舎が変わる式典でしかない
一部の生徒やクラスによっては担任の先生との別れに涙を流したりするだろうが、ほとんどがそうではない
一種のお祭り、大人へと登る階段の一段を踏み出したようなものだ
そんな卒業式に樟葉は青年に来てくれと頼んでいたのだが
来てくれと言われたからといって素直に「じゃあ行きます」と話は進まない
昨今の子供をターゲットとした事件は多く
関係者以外の立ち入りは当然禁止されている
そして青年は関係者ではなかった
青年の名は沖山誠也、現在満二十歳で世間一般では大学二回生だが、大学には通っていない
そんな誠也は苗字からもわかる通り、誠也と樟葉は家族ではない
そして親戚関係でもない、赤の他人である
そんな樟葉と誠也がなぜ一緒に生活しているのか
その経緯は話せば長くなるので割愛するが、単純に言えば二人は師弟関係にあるのだ
一体何の師弟関係か
それは魔法使いというものである
二人が師弟関係を結び、寝床を共にするようになったのは二年前
その時起きた事件の結果、誠也は樟葉を弟子として迎え入れたのだ
それから毎朝、このような二人の会話がずっと続いている
「ごちそうさまでした」
両手を合わせて言うと樟葉は食器を流し台へと運んでそのまま玄関へと向かった
今まで背負ってきたランドセルは部屋に置いたままだ
昨日の時点で教室に置いてあった私物は全部持って帰ってきていたので今日持って行く荷物はない
制服のポケットにデジタルカメラをしまっているのを除けば手ぶらである
卒業アルバムやら卒業文集、紅白饅頭は学校側が支給する紙袋に入れて持って帰ってくるので別段手さげ袋もいらなかった
玄関で靴を履いて扉を開く前に振り返って樟葉はもう一度誠也に卒業式に来るよう頼んだ
「師匠、絶対に来てくださいよ!」
言われた誠也は頭をボリボリ掻きながらそれに答える
「あぁーわかったわかった。考えとくよ」
「もう!絶対ですからね!」
言って樟葉を扉を開けて外へと飛び出していった
「元気だねー」
そう言って誠也は居間へと戻っていった
「まったくもう!師匠ったら」
樟葉はプンスカと怒りながら通学路を歩いていた
その前後に数名の生徒が歩いている
卒業式とはいえ、普段通り集団登校は変わらない
その隣を一人の少女が苦笑しながら話を聞いて歩いていた
耳が隠れる程度の短髪な樟葉と違って長い髪を後頭部で一括りで纏めている
ポニーテルの少女の名は初芽有紀
樟葉の親友であり、樟葉と誠也の関係を知る数少ない人間の一人である
「まぁ誠也も一様は大学生なんだし、家族でも何でもない女の子の卒業式に出たってなれば回りがうるさいだろ?」
「師匠大学行ってないし、ていうか師匠呼び捨てにするな!」
「うるさいくずきり」
「くずきり言うな!」
「じゃあくずもち?」
「くずもち言うな!」
有紀はこうやって毎朝樟葉をからかっている
樟葉という名前からくずきりだとかくずもちというあだ名がつけられることに樟葉は怒っていたが
実は葛餅は好物だったりする
「まぁ誠也も一様は保護者って立場なんだから来るとは思うよ、それにうちの親戚でもあるしね」
樟葉の親友である有紀と誠也は従兄妹である
また、かつては樟葉が弟子となる前は有紀が弟子だったという間柄でもある
そうした関係から有紀にとって樟葉が誠也に夢中なのが可笑しくてたまらない
なのでいつも面白おかしく樟葉の恋を見守っているのである
「しかしもう卒業かぁ~正直実感ないなぁ~」
言う有紀は理由は無いが空を見上げた、そこには澄み切った青い空が広がっていた
誠也と樟葉が住むマンション、そこに一人の女性が訪れた
入り口の呼び出しボタンを押して部屋番号を押す
『どうした?忘れ物か?』
聞き慣れた誠也の声がインターホンから流れ出す
内容から察するに樟葉だと思い込んでるようだ
そのことに一瞬ムカっときたが仕方ないことだろう
大学に席は置いていてもまったく通っておらず大学での友がいない彼にとって自分の部屋を訪問するのは帰宅した樟葉か自分くらいだからだ
(だからって私がどうして先に思い浮かばないかな……)
溜息をついて女性はインターホンに名乗った
「樟葉ちゃんじゃなくて残念だったわね、私よ」
『あぁ、川本か……どうした?』
誠也の反応に女性は再び溜息をついた
「何なのその反応は……あといい加減苗字で呼ぶの止めて」
『……下の名前何だっけ?』
「もういい!いいから早く開けてくれない?」
怒った口調で言うとすぐに戸が開く
女性はふんと怒った素振りを見せるとそのままマンションの中へと入りエレベーターの上行きのボタンを押した
エレベーターの戸が開いて女性は中に入て五階のボタンを押す
女性の名は川本恵美
満二十歳の女子大生であり、誠也の高校の時の同級生である
そして彼女もまた魔法使いであり、誠也と樟葉の関係を知る数少ない人間の一人だ
「まったく今日はこの時間に来るって言ってたでしょ?」
恵美は怒った口調で目の前の青年に言い寄る
対する青年は目をそらして「そうだっけ?」と他人事のように言ってあくびをした
「あのね……まったく、そんな態度どうせ樟葉ちゃんにもずっと取ってるんでしょ?」
「さぁね」
誠也の態度に恵美は呆れて溜息をついた
「樟葉ちゃんも可愛そう」
言って恵美は立ち上がって台所へと向かった
「お茶もらうわ」
「どうぞご自由に」
台所に向かう途中、ふと樟葉の部屋が目に留まった
戸は開けっ放しで中の様子が窺えた
折りたたみ式の小さな机の横にランドセルが置かれている
「あれ?樟葉ちゃん今日手ぶらで学校行ったの?」
「んー?今日はあいつ卒業式だぞ」
なるほど、確かにカレンダーには十九日の所に赤ペンで丸がつけられて
卒業式と書かれている
「ふーん……で、何時からいくの?」
「行かないけど」
「は?」
「俺には関係ないし」
誠也の発言に恵美は呆れた
仮にも保護者だろうに
「関係なくはないでしょ!一緒に住んでるんだし、先生方だって知ってるんでしょ?」
「まぁ……な」
誠也はいつかの家庭訪問の時のことを思い出す
「あれは家庭訪問というより尋問だったな……」
樟葉の担任の教師がここを訪れ、成績のことや学校での授業態度などについて話したのはほんの数分で
それから一時間近く、一体どういう関係なのか、なぜ赤の他人が同居して保護者なのか
樟葉の両親の承諾は得ているのか、樟葉の両親とは連絡を取っているのか
両親が樟葉が今ここにいることを知っているのか、樟葉とは保護者という立場を護っているのか
やましい考えはないのか、いかがわしい行為は行っていないかなど永遠と聞かれたのだ
「……まぁ普通は聞かれるよ」
誠也の思い出しただけで青ざめた表情を見て、頭の中にその時の光景が浮かんだ
「まぁどっちにしても先生方も知ってるんだし、それに有紀ちゃんの保護者って立場でもあるんだから行かなきゃダメでしょ」
有紀と従兄妹の関係にあたる誠也は有紀が山梨県甲府市から東京に出てきた際の保護者という立場を取っている
家庭の事情うんぬんで実家から一人東京に引越してきたわけだが
実際は誠也のもとで魔法使いとしての修行を積ませるのが目的であった
そうした理由から有紀の家は誠也と樟葉の住むマンションで隣の部屋になる
「とにかく準備して行ったほうがいいよ」
「その間に仕事が舞い込んできたらどうするんだよ」
「今日支部長から休みもらってなかったっけ?」
「……」
「何だかんだ言って行くつもりだったんでしょ?早く着替えて行かなきゃ樟葉ちゃん泣いちゃうよ?」
言われて誠也はボリボリと頭を掻きながら服を探しに居間を出て行った
そんな誠也の後ろ姿を見て恵みは溜息をついた
「私ってば何やってんだが……」
この世界のどこにも属さない異空間に巨大な島が浮いていた
島と言っても草木は生えておらず、すべてが機械と金属で覆われた人工島だ
何本ものつり橋が人工島の周囲に点在する建物や艦体に繋がれ
目を疑うほどの科学力を保持している
魔法使い管理教会、通称AMM(Association of magician management)
ここはその極東支部だ
人工島の中心部に聳え立つ巨大なタワー、その最上階
ここは極東支部の支部長室になっている
そこから数百階下に司令室がある
そこに現在極東支部長である山北琢斗の姿があった
段々畑のような構造の室内の一番高い位置で格オペレーターに指示を飛ばしている
そんな彼の視線の先、巨大な室内の壁一面に浮かび上がるモニターに東京都一帯の地図が映し出されていた
そのモニターに突如異変が起こる
一斉に部屋中にサイレンが響き渡る
「支部長!異常なまでの呪力噴出を確認!」
オペレーターの一人が大声を上げた
すぐさまモニターに呪力噴出があった地点がマーキングされる
「周辺地域への影響は?」
「今のところ不明です。ですがこの呪力の量では精霊獣に変化する危険性があります」
山北はやれやれといった表情で指示を飛ばす
「周辺地域を封鎖、現場に一番近い魔法使いに出動命令を出せ」
言われてオペレーターの一人が手を挙げた
「支部長!」
「何だ?」
「現場に一番近い魔法使いは沖山くんですが応答ありません」
「何!?あいつ通信切ってやがるのか!?」
怒り心頭の支部長をいさめるようにオペレーターの一人が事情を話した
「そういえば沖山くん完全休日取ってましたよね?樟葉ちゃんの卒業式だからって」
それを聞いて支部長もはっとした
背中を背もたれに沈めると遠い目になって天上を見つめる
「そうか……あの子が卒業か……あれから二年、時が経つのは早いな」
思い出されるのは二年前、極東及び欧州支部を巻き込んだ事件
その事件を解決した誠也と仲間達
その事件で多くの大切なものを失った
そして血まみれの体を抱いて泣きじゃくる樟葉
思い出して気持ちのいいことは何一つない
「今日くらいはそっとしておいてやらないとな……あいつ以外で近場にいる魔法使いは?」
支部長の指示でオペレーターは現在活動可能な近場の魔法使いを探す
「一番近場なのは弓術の浦上くんです」
「そうか、あいつに指示を飛ばせ」
街角の一角のコンビニ
その中で雑誌を立ち読みしている青年がいた
そんな彼の来たジャケットのポケットが振動する
マナーモードにした携帯が鳴っているのだ
気付いた青年は携帯を取る
「もしもし?」
『異常な呪力噴出を確認、緊急出動発令です。位置はGPSで確認してください』
「りょーかい」
言って青年は携帯を切った
そして立ち読みしていた雑誌を元に戻す
「やれやれ、急だなまったく……せめて用件伝える前に名乗れってんだ」
言ってコンビニを出た青年は指をコキコキと鳴らす
「さて、一仕事するか」
言って青年、弓術使い、浦上雅はその場を後にした
教室について樟葉は何をするでもなく肘をついて窓の外を眺めた
そんな樟葉の様子を見て有紀はやれやれと思った
「そんなに誠也が来るかどうかが心配?」
「だってさぁ」
そんな樟葉と有紀のもとに一人の女の子が駆け寄ってくる
「樟葉、有紀おはよう」
「あ、真紀!おはよう!」
駆け寄ってきたのはかけた眼鏡が印象的な女の子であった
眼鏡が似合うという理由から学級委員に持ち上げられた経緯を持っている
しかし、本人はそのことを嫌だとは思っていない
青山真紀、樟葉や有紀にとって親友と呼べる存在である
ただし、彼女は二人が魔法使いであることを知らない
まったくの一般人である
普通魔法に関わる人間は考え方や生き方が魔法に関わってしまったせいで一般の人とはずれてしまう
そのため、一般人とは距離を置いたりするが、二人はまだ幼いゆえに周囲との隔たりがない
まだ隔たりを感じるほどに成長していないといったほうが正しいだろう
「どうしたの?なんか浮かない顔してるけど」
「う~ん、家庭の事情ってやつ?」
「家庭の事情?」
真紀が首を傾げると教室の扉が開いた
今日で見納めとなるであろう担任の教師がいつもと変わらない表情でいつもと変わらない歩調で入ってくる
「はぁ~い席に着いてー」
その一言で真紀は自分の席へと向かう、有紀も二席前の自分の机に座る
学校の校門前、多くの保護者たちが我が子の晴れ姿を見るために卒業式と書かれたプレートが置かれた門をくぐって校内へと入っていく
そんな人の波の中、明らかに若すぎる二人の姿があった
成人式用に買って成人式で着たきりの真新しいスーツに身を通した誠也と恵美であった
「まさか当分着る事はないと思ってたスーツをたった二ヶ月で着ることになるとなね……」
「いいじゃない、こういうのは着ないと体に染み付かないよ」
そういって恵美は満面の笑みを浮かべる
そんな恵美を見て誠也は大きく溜息をついた
卒業式を見にくるのは構わないが、なぜこいつまで一緒についてくるのか、まったく持って理解に苦しむ
自分は一様は樟葉と有紀の保護者ゆえわかるが、こいつは完全に部外者だろうに
それに恵美と樟葉は顔を会わせる度に衝突を繰り返す敬遠の仲である
小学生相手に女子大生が何ムキになってるんだと思うが
そういった経緯から誠也は恵美がついて来ることに正直不安があった
ガキ相手にムキになる子供っぽいところがあるからなぁ~という考えが誠也の中にあるからだが
二人が衝突する理由が自分であることにまったくもって気がついていないのは彼以外の誰もが知っていることである
第二東京タワーの建設予定地、そこに奇妙な光景が広がっていた
地面から靄のような何かが漏れだして形を成していたのだ
やがてそれは現実を侵食しべく急速なスピードで拡張していく
異常な呪力噴出、魔法使いたちの言葉でガス漏れである
地球の内側を流れる力の脈動、霊脈
竜欠と呼ばれる地点以外ではまず地表に吹き出ることのない力の源が何らかの原因で地表へと吹き出る現象である
地表に吹き出た力はやがて行き場を失い暴走する
そうなれば地上に多大なる被害が生じる
それを食い止めるのが魔法使いの役目であり義務である
だが同時に自らの力の保持という目的も持ち合わせている
魔法使いが魔法を使うためには呪力を要する
地表に吹き出た力こそ、その呪力であるからだ
正規の魔法使い管理協会通称AMMに属する魔法使いはこのガス漏れ対処を主な仕事とし
ガス漏れの修復、及び漏れ出た呪力を取り込むことによって自らの糧としレベルアップを図っていくのだ
しかし世の中そんな善意で動くものばかりではない、魔法は甘い誘惑の蜜である
力が得られるとわかればAMMと対立するとわかっても故意にガス漏れを起こして呪力を無造作に得る魔法使いもいる
そしてAMMと敵対するように、このような魔法使いは結社を作る
AMMはこのような集団、結社を規定違反集団と認定し、アジトを発見しだい大規模な討伐作戦にでることもある
それが魔法使いのもう一つの仕事である
道を外れし、魔法使いを狩る
世界では人知れずそのような戦いが行われてきた
そして今ここで起きようとしているのは先に述べたガス漏れによる被害の防止と修復である
「ま、楽な仕事ではあるな」
そう言ってガス漏れ地点に足を踏み入れたのは浦上雅、弓術使いである
通常魔法使いはAMMからの指示で現場に向かい、それをこなすことによって報酬を得る
その報酬額は内容次第で変動し、より困難な仕事ほど報酬は高い
規定違反集団討伐の仕事がもっとも高い額であるが
ガス漏れでは平凡であればあるほど報酬は低い
故に上級ランクの魔法使いはガス漏れの仕事は嫌がる傾向があるが
彼は最上級ランクであるS級であるにも関わらず低ランクのガス漏れも請け負う変わり者であった
「さて……さっさと片付けるか」
言って雅が漏れ出た呪力へと近づいた瞬間、異変は起きた
地面から漏れ出ていた呪力が急激に収縮して一個体の形を成したのだ
「な、精霊獣化!?速すぎねぇか!?」
精霊獣
それは呪力噴出が進行すると起こる現象である
ガス漏れにより吹き出た呪力がより集束し密度をなし実体を得る現象
通常精霊獣化するには多くの時間と多大な呪力噴出が必要である
ガス漏れ作業は精霊獣が生まれる前に修復する
精霊獣が生まれること事態、AMMが手の届かない土地でガス漏れが起こるか、規定違反集団の関与がない限りあり得ない
東京の地で精霊獣化となれば何らかの結社が絡んでいるとしか思えない
雅が周囲を警戒して自らの術の代名詞でもある弓を手にした瞬間
「ギィィィィィィィガァァァァァ!!」
精霊獣が雄叫びをあげた
そして雅が反応するよりも早く地を蹴って遠くへと駆け出して行ったのだ
「しまった!」
雅は弓で射止めることよりも追いかけることを選んだ
その判断は正しかった、精霊獣のスピードは速く、あっという間に雅の射程圏内を脱出したからだ
誠也と恵美は小学校内の体育館に設けられた保護者用のパイプ椅子に腰掛けていた
周囲は我が子の晴れ姿を記録すべくデジタルカメラやデジタルビデオカメラを手にした大人たちが今か今かと卒業生の入場を待ちわびていた
そんな体育館の外、入り口では卒業生が担任の教師の指示のもと二列に並んで入場の時を待っていた
「樟葉、元気ないけど大丈夫?」
「平気平気、ただの寝不足だって」
さきほどから言葉数が少なくいつもの元気な姿がない樟葉を心配して真紀が声をかけるが有紀が笑って真紀の肩を叩く
「いや、有紀には聞いてないけど」
「ははは、でも平気だと思うよ。誠也の姿を確認したらむしろ元気になりすぎると思うし」
「誠也さんって保護者代理の人?」
真紀は二人の共通の保護者であるという誠也に関して度々話を聞かされていた
だが、主に樟葉のおのろけ話であり、込入った事情があるのだろうと深くは聞こうとしていない
しかし、気にならないといえば嘘になる
真紀が何か聞こうとした瞬間、担任の号令がかかった
「はい、静かに!入場するからダラダラしない!」
そのまま皆が静まり返り、最後の行事の扉が開いた
紅白の幕が壁に張り巡らされ、館内一杯に置かれたパイプ椅子、そこに座る多くの保護者
壇上には大きな花瓶に色とりどりの花々が添えられている
天上からは第五十回卒業式と書かれた板が吊り下げられていた
卒業生入場と同時に体育館内に優雅な音楽が流れ、保護者や学校関係者からのカメラフラッシュが巻き起こる
そんな体育館の中央に開いた通路を通って卒業生である生徒たちが自分たちの座る席へと行進していく
皆最後の学校行事であることと親の前であるという緊張から硬い表情であったが
一人だけ世話しなくキョロキョロと辺りを窺っている女の子がいた
樟葉だ
不安げな表情で必死に誠也の姿を探している
そんな樟葉の表情がぱぁっと明るくなった
誠也の姿を見つけたからだ、満面の笑みで誠也の方を見る
しかし、その表情がすぐに陰った
誠也の隣に座る人物の姿を確認したらだ
『卒業生の入場です』
司会進行を務める先生の言葉とともに体育館の入り口の扉が開いた
周りの保護者たちが一斉にカメラを向け、あるいはDVDカメラを回して撮影を開始する
「お、入ってきたよ」
しかしそんな中にいて誠也と恵美は別段写真も撮らないし、DVDカメラで録画するということもしない
実際は持ってきており、鞄に入ってはいるのだが誠也はどうにもそれを取り出すのが恥ずかしかった
「う~ん、樟葉ちゃんはどこかな?」
別段カメラを使う必要もない恵美はただ卒業生の入場を見るだけである
そんな恵美もすぐに誠也がカメラを構えていないことに気付く
「どうしたの?写真撮ってあげないと」
「いや……どうにも恥ずかしくて」
「はぁ?何が恥ずかしいわけ?周りの人皆撮ってるじゃん」
「そりゃこの人たちは列記とした親だしね」
そんな誠也の態度に恵美は溜息をついた
ほんと昔からこうなんだから、妙に周囲からの目と体面を気にする
恵美は誠也の鞄からカメラを取り出し誠也に無理やり押し付ける
「はい!撮ってあげる!それに有紀ちゃんの写真も送らないといけないんでしょ?」
そういえばそうだったなと誠也は頭をボリボリ掻きながらカメラを手に取る
有紀の両親は用事で甲府から出て来れず、誠也に娘が超奇麗に最高に可愛く写ってる写真を千枚撮ってこいと無理難題を押し付けられていた
「あ、樟葉ちゃん来たわよ」
言って恵美はあそこと指を差す
その先に樟葉の姿があった
向こうもこちらを見つけたようで満面の笑みをこちらに向けてきたが、すぐに浮かない顔になった
そんな表情を見て恵美もふと気を落とす
「なんか、悪いことしちゃったかな」
誠也の隣にいる自分を見てきっと樟葉は怒っただろうなと恵美は思った
「まぁ、仕方ないか…」
二人は誠也を巡っての恋敵である、そして出会いが最悪だったがために何かにつけて衝突を繰り返している<
その出会いは二年前、まだ樟葉がランドセルを背負って登下校することがずっと続くと思っていた頃
いつものように樟葉は有紀と一緒に学校から帰ってきた
「師匠、ただいまー!」
「はい、おかえり」
元気よく笑顔で玄関に入ってきた樟葉は勢いよく靴を脱ぐとそのまま自室に直行、ランドセルを放り捨てると
居間へと走っていく
そこでAMMから送られてきた紙面に目を通していた誠也の背中へと勢いよく抱きついたのだ
「師匠ー」
「わ!?お前何すんだ!」
ほぼタックルに近いそれに誠也は勢い余って紙面をバサっと宙に舞わせた
「居間では暴れるなって言ってるだろ!」
「だって~一秒でも早く師匠に会いたかったんだもん」
「あのな……まずは手洗い・うがいしてこい、いつも言ってるだろ」
「はぁ~い」
言って樟葉は洗面所へと向かう、その時部屋中にチャイムが鳴り響いた
「あれ?有紀ちゃんかな?」
そう思った樟葉に誠也は今日客人を呼んであることを告げる
「いや、今日はこの資料の分析で高校の時の知り合いを呼んでるから、多分そっちだろ」
「ふ~ん、お客さんかぁ~」
その時の樟葉は高校の時の友人と聞いて別段女性を思い描くことはなかった
当然男だと思っていたし、師匠が自分以外の女性(例外はあったが)と一緒にいることはないと思っているからだ
だから、何の躊躇もなく樟葉は玄関へと向かって相手が誰か確認もせずに勢いよくドアを開けた
「はぁ~い、こんにちわ!お待ちしてました!偉大な魔法使い、沖山誠也の愛弟子の樟葉です!師匠なら中にいますよ!」
ドアを勢いよく開けたと同時にマシンガンのごとくスピードで喋った樟葉であったが
相手もドアが開いたと同時にマシンガンのごとくスピードで喋っていた
「やっほー誠也!元気にしてた?驚いちゃったよ突然電話もらってさぁ!卒業してからまったく音沙汰なしだったから浦上君と心配してたんだよ?」
そこには女がいた…誠也と同い年であろう女が
女……自分以外の女
浮気
そんな言葉が一瞬樟葉の脳内を駆け回った
場が固まる、木枯らしが二人の間をすり抜けた
樟葉は相手が男だと思い込みドアを開けた、その場にいたのは女だった
女もドアを開けたのが誠也だと思い込んでいた、出てきたのは小さな女の子だった
何者だこの女?
そんな空気が二人の間に流れ緊張が高まる
(ど、どどどどどどどういうこと!?ま、まさか師匠がう、浮気!?私が学校に言ってる間にべ、別の女を招きいれてたの!?)
(な、ななななな何なのよこの子?まさか隠し子?ひょっとして幼女誘拐監禁?誠也ったらその手の犯罪に手を染めたの!?)
思考が膨れ上がって動かない二人のもとに元凶たる男の声が届いた
「どうした?いつまで玄関に立ち尽くしてるんだ?」
不思議に思って様子を見に来た誠也の姿を確認した女と師匠の声で振り返った樟葉が同時に叫んだ
「「この女誰!?」」
その勢いに押されて誠也はその場に尻餅をついた
「あの時は本当に驚いたわ」
当時を思い出して恵美は苦笑した
あれがきっかけで以降会うたびに樟葉は自分に対して鬱陶しそうな態度を取る
衝突し、口喧嘩することも日常茶飯事である
「今日くらい譲ってあげてもよかったかな……なんか悪いことしちゃったな」
そう思う恵美は樟葉と八歳も離れ成人してる分大人であった
しかし、不意にいつかの口喧嘩の時の樟葉の言葉が蘇える
「私は師匠と暮らしてるもん、一緒の布団で寝たことだってあるもん、怖い夢を見て魘されて起きたときは落ち着くまで抱いてくれたもん」
一緒の布団で寝たのは樟葉が勝手に誠也の布団に潜り込んだだけだろう
落ち着くまで抱いてくれたというのも、よしよしと子供をあやす行為であってあっちの意味じゃないだろう
でもその時の得意げな勝ち誇った樟葉の顔を思い出し、沸々と怒りがこみ上げてきた
やっぱあのガキには見せ付けるべきね、仲のいい光景を
そう恵美は心の中で呟いていた
前言撤回、恵美は大人ではない
「何よ、あの女」
卒業生の席についた樟葉はブツブツと言い続けていた
その負のオーラを発してる樟葉の周囲は樟葉と少し距離を取っている
そんな樟葉の斜め後ろから有紀が声をかけてきた
「そんなに怒るなって、川本さんに連れられて来たんだろうから一様は感謝しといたら?」
そういう有紀の方に樟葉は振り返る
「あんたどっちの味方?」
「別にどっちでもないけど?」
言って笑いを堪えていた有紀だったがその表情が一変、驚いたものとなる
樟葉もすぐに異変に気付いた
体育館内に漂う空気の気質が突然変わった
そのことに誠也と恵美もすぐに気付いた
「何?」
樟葉が周囲を見回した瞬間、空間が大きく歪んだ
体育館の中が青白い異空間に染め上げられていく
「こ、これは!?」
突然のことに驚く人々であったがすぐにその動きが制止する
この青白い異空間の中では人は行動、思考、すべてが停止する
この異空間で動ける例外は魔法使いのみ
これは魔法使いのためのフィールドなのだ
「一体誰がこんなことを!」
警戒して周囲を見回す誠也と恵美の下へ樟葉と有紀が駆け寄ってくる
「師匠!」
「樟葉!無事か?」
「はい!平気です!それよりこれは一体?」
不安げな表情で周囲を見回す樟葉の背後で何者かが樟葉と有紀に声をかけてきた
「ちょ、ちょっとこれどうなってるの!?」
「真紀!?」
眼鏡をかけた友人の姿を見て樟葉と有紀は驚いた
ここは魔法使いしか動くことができないはず
「真紀どうして動けるの?まさか真紀も魔法を?」
「へ?魔法?何言ってる?」
駆け寄ってきた真紀はわけがわからないといった感じだ
そんな真紀の様子を見て恵美は一発で気付いた
「この子は何も知らない一般人よ、でも霊感が鋭いみたいね、霊媒師の素質があるわ…魔法使い候補といったところかしら?」
「魔法使い?一体何言ってるんですか?」
混乱する真紀を置いて誠也はいつになく真剣な面持ちでこの異空間を見回す
術者の姿はない、だとすれば自然現象か
しかし、これほどの規模の自然現象はありえない
異常な呪力噴出でも起こらない限り
そう考えた時、目の前の空間が硝子が割れたように砕けた
そしてそこから見知った顔が現れる
「あれ?沖山に川本じゃねーか」
砕けた空間から現れたのは雅であった
逃げられた精霊獣を追ってここまできたのだ
「お前、どうしたんだ一体?」
「どうしたも、こうしたも逃げられたんだよ精霊獣に!んでやつの逃げ込んだ先に飛び込めばお前らがいたんだよ」
精霊獣、それを聞いて誠也はようやくこの現象の正体がつかめた
つまりはここは狩場なわけだ
生まれたばかりの精霊獣が更なる進化を遂げるために人の精気を狩るための狩場、体育館はそこに選ばれたのだ
「まったく休日になんだっていうんだ」
そう文句を言う誠也は精霊獣を見てあることに気がつく
「雅、あいつすごく低ランクじゃないか?」
言って誠也は精霊獣を指差す
恵美もその事実にすぐに気がつく
「確かに……あれは弱すぎよね、浦上君どんだけサボってるわけ?」
二人から批判的な視線を受けて雅は焦って言い訳を並べる
「な、別にサボってねーよ!逃げ足が速かったんだよ!」
そんな雅の言葉を誠也と恵美は無表情で聞き流した
「ま、あれなら一瞬で終わるだろうけど」
そういった瞬間誠也の前に樟葉が立った
「師匠!お願いがあります!」
「ん?何だ?」
「あいつは私が倒します!戦わせてください!!」
樟葉の発言に雅と真紀が驚きの表情を浮かべた
「ちょ、ちょっと樟葉!?何言ってるのよ!あんな化け物相手にできるわけないじゃない!」
「おいおい、あれは俺の仕事なんだけど」
仕事を取るなという雅の言葉を無視して樟葉は真紀と向かい合う
「大丈夫!心配しないで!実は私魔法使いなんだ!まだ一人前じゃないけど……魔法使いはあぁいうのをやっつけるのが仕事なんだよ」
「ま、魔法使い?」
驚く真紀の隣で有紀がごほんと咳をする
「樟葉だけじゃ心配ね、私も戦うわ」
「有紀まで」
「私も魔法使いなのよ、正確にはちょっとちがうけど」
言って有紀は真紀にウインクしてみせた
「まぁ、弟子の成長を見るといった意味ではいいかもな」
言う誠也と樟葉を交互に見て雅は溜息をついて両手をあげる
「いいさ、好きにしな……お前の弟子の実力拝見させてもらうよ」
言って誠也、恵美、雅は静観を決めた
真紀はそんな様子にあわあわとしている
そんな四人を背に樟葉と有紀は前に出て精霊獣と向き合う
そんな二人を見て精霊獣が身震いとともに二対に分裂した
その様子に有紀がニヤっと笑う
「へぇ~一対一ってわけ」
「おかげでスケールが縮んだ感じね」
言って樟葉は胸に手を添える
その手が輝きに包まれた
「汝と護国に使えし我が願いを聞き届けたまえ、永久に栄えしその天に祈りを捧げたもう」
樟葉は両手を上げ額や鳩尾を押さえ、祈りの言葉を囁き続ける
その手には先ほどまでかけていた天使の羽を模したペンダントが握られている
「東に火のエレメントを統べしミカエル、西に風のエレメントを統べしラファエル、南に地のエレメントを統べしウリエル、北に水を統べしガブリエル」
まるで神聖な祈りを捧げるかのように紡がれる言葉に答えるように握られたペンダントがより一層輝きを増す
やがて、その輝きは樟葉の足元に複雑な紋章、天使の九階級と上級・中級・下級の三隊とを示すシジル(印形)
あらゆる理を捻じ曲げる神の祝福を浮かばせる
そしてシジル(印形)から発せられる光が樟葉を包み込んだ
樟葉の服が光に溶け込み、形を変えて再び樟葉を包み込む
スカートは短パンに変わり、ジャケットは体にフィットしたタイトな物となる
さらに手にはグローブが装着されその手にどこから引き抜いたのか豪華な装飾が施された槍が握られていた
シジル(印形)が輝きを失った時、樟葉の魔術戦闘時の姿がそこにあった
「変化!」
力強く叫んだ有紀は両手で印を結ぶ
右人差し指と中指を刀に見立て、九字を切る九字護身法
それと同時に有紀の口から印が発せられる
「臨兵闘者皆人列在前 」
切られた九字から光が発せられる
同時に煙が有紀を包み込む
すると着ていた制服が変化、忍装束へと変化する
足は足鉤でガードされ、腰には萬刀が掛けられている
そして手にした忍者刀を構えたとき煙は消え有紀の戦闘時の姿がそこにあった
「へ、へへへ変身した!?」
何事か呟いて光に包まれた後変身した二人を見て真紀は驚愕した
そんな真紀に恵美は理解できる程度に説明する
「まぁ、二人はまだ子供だからマジックプロテクターをつけないと危ないからね」
「マジックプロテクター?」
「そ、ある程度成熟して魔法に飲まれない年齢に達すれば生身でも魔術戦闘を行えるようになるんだけど…」
説明する恵美の隣で誠也は溜息をついた
「まぁ有紀の場合、術の特性からいってずっとあの格好だろうけど」
「まぁ忍者だしね」
真紀は言葉がでてこなかった、今まで親友と思っていた二人の本当の姿
これは何かの夢だろうか?
「しかし天使術なんて珍しい魔術、よく指導できるなお前」
「まぁ、数少ない資料を集めに集めたからな……」
「大学に進学したのにまったく行ってないのはそれでか」
「珍しい?」
二人の変身を見た雅の感想に真紀は首を傾げた
魔法使いの世界を知らない者にとって何が珍しいのか、何がオートドックスなのか検討もつかない
「そうね、有紀ちゃんの忍術は日本固有の術だから日本じゃ珍しくない、むしろメジャーだけど樟葉ちゃんみたいに日本固有の魔術じゃないマイナーな魔術は日本じゃ珍しいの」
恵美は真紀に説明した
魔法といっても世界には多くの魔術系統、異能が存在する
それらすべてを熟知、使用できる者は存在せず
かならずその国固有の魔術が存在する
日本で言えば有名所では陰陽道、修験道、密教である
そして魔法使いは大半が自らの生まれた国の魔術を習得する
これは魔術の特性と思想に基づいており、基本的に宗教と魔術は切っても切り離せない関係だからである
宗教を学ぶこと、それは魔術を学ぶことであり
殆どの魔法使いが宗教を魔術の絶対的な基盤と捉えている
ゆえにわざわざ異教に改宗してまで自国にない魔術を学ぼうとはしないし、知りもしない神の魔術よりも信仰する神の奇跡を人は学ぶのである
だからこそ樟葉の魔術は日本においては珍しいのだ
しかも本場欧州でも今では稀となった天使術であるのだから尚更である
天使術
それはかつて基本方位の「天使」を呼び出し、「四つの高み」を支配する術だった
「四つの高み」を支配するため「四方の霊的存在」を指名するために魔術書「アルマデル」を使用し
色をつけた蝋で作った像を用いて呼び出しを行った
しかし時代の流れの中で様式は変化し、魔術書の加筆化が進み、その効果や様式が序々に変化していった
そんな中でかつての術式に復活させようとする懐古主義者と新しい要素、別の魔術様式を取り入れようとする新興主義者とに別れ
いつしか新興主義が主流となり、それは修道法印術や新興カバラ聖法となった
そしていつしか懐古主義者も姿を見せなくなり、天使術は新しい魔術の中の一部と認識されるようになった
そんな新しい魔術の一部ではなく、稀となった懐古主義
極めてオリジナルに近いが、オリジナルとはかけ離れた天使術
それが樟葉の使う天使術だ
自らの体を一つの神殿と擬似的に見立てて、その四方に四大元素と四大天使を置くことで擬似神殿である体内に天使の力を宿す
そして人の体内に流れる精気に天使の力を溶け込ませ
呪力を倍増、強化し天使とほぼ同等の力を得る
それが樟葉の扱う天使術である
「体内に天使を宿す…ですか」
「そう、だから本来は体に並々ならぬ負荷がかかるから子供には危険な術なんだけど…そういう所も似てるのかな、まったく問題ないのよね」
恵美は説明しながら遠い目で樟葉を見つめた
「私はこっちのをやるわ!樟葉はそっちを片付けて!」
言って有紀は地面を蹴って大きく飛翔、精霊獣の頭上を取った
「甲斐流忍術、忍法”雷臨”」
両手で印を結び、その手に五本のクナイ、両手で計十本のクナイを引き出す
それらを大きく振りかぶって真下の精霊獣へと投げつける
クナイは精霊獣の体に突き刺さり、突き刺さった八本のクナイが八角形の形を取るように突き刺さった
そしてその八角形の中央に残り二本のクナイが突き刺さり雷を引き起こす
やがてそれを目印とするかのように八角形の内部に巨大な雷が降り注いだ
指定した場所に雷を落とす甲斐流秘伝の奥儀の一つである
しかし
「ギィィィィィガァァァァァ!!!」
まだ幼いゆえに威力が弱いのか、精霊獣を一撃で仕留めるのは至らなかった
ばかりか、今の一撃で精霊獣は激怒
雄叫びとともに有紀へと突進してくる
有紀は地を蹴って後方へと跳躍、両手で印を結ぶ
「甲斐流忍術、忍法”火遁”」
有紀は後方へと跳躍する中で手裏剣を精霊獣の目目掛けて投げる
その手裏剣が炎を帯びて精霊獣の視界を覆った
一般的に忍者が使う逃げる為の術、五遁の術
その中の火遁の術だ
しかし、一般の火遁の術と違うところは有紀のこれは完全な相手を仕留めるための準備であった
炎で視界を遮られた精霊獣は動きを止める
その隙に有紀は着地、忍者刀を取り出し素早く精霊獣の背後へと回る
「はぁ!!」
横一閃、有紀は忍者刀で精霊獣の背中を切り裂いた
「グギャァァァァァァ!!!」
悲鳴をあげる精霊獣に有紀はとどめを刺すべく忍者刀をしまい両手で再び印を結ぶ
「甲斐流忍術、忍法”風斬”」
右手から手鉤を出して精霊獣を引き裂く
忍術によって風を纏った手鉤はかまいたちとも見紛う速さで精霊獣を切り裂いた
一瞬にして精霊獣は実体を失い、呪力へと分散する
行き場を失った呪力を有紀は取り込んだ
自らの体内へと宿し自らの魔法の糧とするため
有紀が精霊獣を撃破した時、樟葉はまだ術式を組上げている最中であった
「汝と護国に使えし我が願いを聞き届けたまえ」
樟葉が槍を構え、祈りの言葉を呟いたのと同時に精霊獣は樟葉へと襲い掛かった
樟葉は地を蹴って後方へとジャンプ、精霊獣と距離を取る
祈りに集中すべく距離を取ったつもりだったが精霊獣からすれば逃げたうちにはならない
すぐに精霊獣の凶暴な爪が振り下ろされる
振り下ろされた爪が迫る中、樟葉は一言呟く
「ミカエルの剣」
同時、樟葉の構えた槍の矛先から黄金に輝く刃が鋭く伸びだす
槍の周囲に漂う呪力を結集させ、大天使の指導者であり正義の天使たるミカエルの剣を生み出す
神の武器庫から賜ったとされる鍛え抜かれたその刃にはどんなに鋭い剣も硬い剣も刃向かうことはできない
精霊獣の爪は簡単にはじき返された
しかし、精霊獣はそれに臆することなく何度も爪を振り下ろす
精霊獣の連続攻撃をミカエルの剣で受け止めながら樟葉は祈りを続ける
しかし、ミカエルの剣は爪による攻撃ははじき返しても衝撃までははじき返せない
衝撃が樟葉の体を遅い、受け切れなかった攻撃が樟葉の体を少しずつ切りつけていく
「くっ」
痛みに顔を一瞬歪めるもすぐに祈りに集中する
「ちょ、ちょっと……なんで反撃しないの?」
一方的に攻撃を受けている樟葉を見て真紀は慌てふためく
しかし誠也や恵美、雅は焦りの表情は浮かべていない
「今は祈りに集中して魔法の発動準備中だからな」
「遅くないですか?だってもう攻撃されてるのに」
焦る真紀をたしなめるように恵美がが説明する
「魔法っていっても何でもありってわけじゃないからね、発動するには時間がかかるのよ」
「そんな、それまでにやられたら」
「たしかにその危険性もあるわね、だからって焦って発動できるものでもないわ。魔法はある意味で最も複雑な科学だからね」
「最も複雑な科学…ですか」
「そ、魔法という現実を超越した力を行使するために、科学を捻じ曲げる科学を生み出すからね。公式を打ち消す公式、法則を書き換える法則、理に変わる理、論理を否定する論理、真理を替える真理を構築しなければならない……発動する魔法が強大で現実を超越していればいるほど、その方式を構築するのに要する時間は必然と長くなる」
「科学を捻じ曲げる科学…ですか」
「そう、だから魔法使いは誰よりも科学を理解していないといけないわけ…科学者は魔術をオカルトと言って信じないけど、そのオカルトである魔法使いが最も叡智な科学者であることは皮肉だけどね」
言って恵美は肩を竦めた
「じゃあ、大丈夫ってことなんですか?」
不安そうに聞く真紀に、しかし恵美は安心させるようなことは言わなかった
「それは判らないわね、魔術戦闘は下準備で勝敗が決まるけど、相手が精霊獣となれば魔法使い同士の争いじゃないからね」
「そ、そんな」
言ってる間も樟葉は祈りに集中しながらもただ攻撃を受け止めるだけでどんどんと傷ついていく
それでも樟葉決して投げ出さず祈りに集中する
「本来、天使術はあのような前線で真正面から敵と争う術じゃないからね、有紀ちゃんのような機動性に優れた術である前衛に術を発動する時間を稼いでもらう後衛タイプだから相性が悪いわね」
「え?じゃあ助けないとまずいんじゃ…」
「それをしちゃうと樟葉ちゃん怒ると思うけど、それに樟葉ちゃんたちにとっては苦戦する相手でも私たちだと一瞬だからね」
「ま、本当に危なくなったら助けるけど、それまでは弟子の戦いを見守るさ」
そういう誠也をしかし真紀は不安そうに見つめる
そんな真紀の表情を察したのか、誠也ははっきりと言い切った
「それに、そんな不利を打ち消すだけの絶大な威力が天使術にはある」
誠也が見つめる先、精霊獣の攻撃を受ける樟葉はいまだ祈りに集中している
そうしてるうちも精霊獣の攻撃は止まない
しかし、やがて樟葉の周囲に漂う呪力に異変が生じる
その力が樟葉を包み込むように集まりだしたのだ
やがてそれは天使の霊的加護となる
術式の完成だ
「構築できたな」
「え?」
言った誠也の方を真紀は見た、真剣な表情で見つめる誠也はそのまま押し黙る
代わりに恵美が真紀に説明する
「ようやく魔法が完成したのよ、多少霊感があるなら目を凝らしてみて、見えない?天使の加護が」
言われた真紀はじっと樟葉を目を凝らして見る
かすかに樟葉の周りに鳥の羽根にようなものが舞っている
「あれが…天使の加護」
術式を完成させた樟葉大きく深呼吸する
今まで受けるだけだったミカエルの剣を横一線、精霊獣をはじき返す
それと同時に足元に天使のシジル(印形)が浮かび上がる
「汝と護国に使えし我が願いを聞き届けたまえ…グリゴリを封じしその力、アザゼルをデュダルの洞窟に閉じ込め、シェムハザとその仲間たちを洞窟につなぎ止めしその鎖を、夜の翼の天使ラファエルよ!正義の天使ミカエルよ!我に貸し与えたまえ!!」
足元のシジル(印形)が赤紫色に輝き無数の赤紫に光り輝く鎖が飛び出す
「ジャッジメント・チェーン!!」
叫びとともに鎖が蠢き精霊獣を縛った
「ギカァァァァァァ!!!」
雄叫びをあげ暴れまわるが鎖は解けず精霊獣を拘束する
その隙に樟葉新たな祈りを捧げる
「汝と護国に使えし我が願いを聞き届けたまえ」
樟葉の周囲の空気がより一層濃くなる
足元のシジル(印形)は消え、変わりに樟葉の目の前の宙に新たなシジル(印形)が浮かび上がる
複雑なその印形は赤く光輝いている
MICHAEL、SADAY、ATHANATOS、SABAOTHの文字が輪の中に対極するように書かれ
輪の中には無数の図形やアルファベットが書かれている
その印形はミカエルの印形
その印形を前に樟葉ミカエルの剣を解き槍を構える
同時に別の術式を組上げたことにより効力を失ったジャッジメント・チェーンを打ち破って精霊獣は自由を取り戻し再び樟葉へと襲い掛かる
迫りくる精霊獣を前に樟葉は微動だにせず槍を構える
そして精霊獣がミカエルの印形まで迫った時、樟葉力強く一歩を踏み出す
「天軍の指揮者ミカエルよ!力天使ヴァーチュズの指導者たるその力を!大天使アークエンジェルスの指導者たるその能力を!サタンを打ち砕きしその武勇を!神の御前のプリンスよ、我に貸し与えたまえ!!」
樟葉は槍を大きく振りかぶって勢いよくミカエルの印形へと槍を叩きつける
同時に精霊獣が樟葉へとその凶暴な爪を振り下ろす
その爪が樟葉を無残に切り裂くより早く、樟葉の槍がミカエルの印形に突き刺さり莫大な呪力を生み出した
「ミカエルバスター!!!」
ミカエルの印形から莫大な呪力がレーザーとなって発射し精霊獣を跡形もなく木っ端微塵に粉砕した
実体をなくし行き場をなくした呪力は吸い寄せられるように樟葉の中へと吸い込まれていく
ここに魔術戦闘は幕を閉じた
「す…すごい」
真紀は唖然とした
今にもやられそうだった樟葉が術を完成させた途端別人のような強さを誇ったのだ
あれが自分の親友だとは未だに信じられない
そんな真紀を他所に誠也は冷静に弟子の戦闘結果を分析する
「う~ん、術の構築の遅さと、威力の弱さ…課題が山積みだな」
あれだけの威力を発揮したにも関わらず誠也は威力が弱いと言う
だとしたら本当の魔法使いの、もっと上級の術者が戦ったら一体どうなるのか、真紀は肌寒いものを感じた
これが日常から逸脱した世界、普通の人間が踏み込んではいけない領域
「樟葉!大丈夫!?」
駆け寄ってくる有紀を見て、精霊獣を倒した樟葉は笑顔を見せる
「平気……だよ」
しかし、言葉とは裏腹に樟葉はそのままバタンと倒れてしまった
術を発動するまでに受けたダメージが大きく、傷からの出血がひどい
駆け寄った有紀はしかしすぐには何もしなかった
「時間かけすぎ」
有紀は溜息をつく、それと同時に誠也たちもやってきた
樟葉の状態を見て慌てている真紀を他所に誠也は樟葉を抱き上げる
「もう少し術式の構築を早めないとダメだろ
「すみません…」
誠也の腕の中で樟葉はしょぼんとしながらも幸せそうな顔をしていた
傷ついたおかげで今はお姫様抱っこをしてもらっている形となっている
そんな樟葉に恵美が近づいてくる
誠也にお姫様抱っこされてる樟葉を見て一瞬表情に黒いものが浮かんだが、すぐに元に戻る
そして樟葉に向かって手のひらを向けるとその手から緑に輝く光が迸った
すると次の瞬間、樟葉の体中の傷が完治していた
怪我や病気を治す治癒術、これにより樟葉の怪我は治ったのだ
樟葉の怪我を治した恵美は笑顔で恋敵に忠告する
「はい樟葉ちゃん、もう治ったでしょ?さ、早く下ろしてもらおうね」
できるだけで笑顔で言った恵美を見て、しかし樟葉は
「ち」
舌打ちした
その反応に恵美がイラっときた、笑顔が引きつる
「あぁーまだ目眩がするー」
棒読みで樟葉はより一層誠也につがみつく
「樟葉ちゃん、いい加減下りようね、友達と写真も撮らないといけないでしょ?」
「じゃあ師匠と撮るから撮って」
言った樟葉の表情を見て完全に恵美はキレた
「いいから離れろ!!」
子供相手に怒った恵美とあーだこーだと言い争う樟葉のやり取りを見ながら真紀はこれが夢ではないとほっぺをつねる
踏み込んでしまった世界、それは日常から逸脱した”魔法使いの領域”
そんな世界と関わってしまった自分はこれから一体どうなってしまうのだろうか?
真紀の不安をよそに樟葉と恵美は言い争いを続けていた
その向こうで体育館を覆っていた異空間が消えていく
そして日常は帰ってきた