帰り道
授業というのは不思議なもので、授業中は永遠に続く眠い時間だと感じていたのに、終わってみるとやった内容はそんなにも多くもなく、濃くもない。惰性で話を聞いているふりをしていると、案外あっという間だと感じる時もある。それは大抵、授業が終わって振り返っているときに持つ感想だ。
例に漏れず、今日もあっという間だったと感じたのは、みんなが帰りの準備を始める頃だった。
「ヨーコちゃん、帰りに私の家寄っていく?」
「え……いいの? でも、今日木曜日なのに、アヤちゃんこそ大丈夫?」
ああ、そうだった。今日は木曜日。木曜日は……あの人と一緒に帰る日だった。もう、いつからか一人で帰っていたけれど。
ヨーコちゃんには、木曜日は用事があるなんて曖昧なことを言ってきたから、こういう状況になってしまうと、きまりが悪い。
「うん……今日は大丈夫だよ。最近は木曜日、そんなに忙しくなくなったんだ」
ヨーコちゃんは不思議に思うような素振りは一切見せず、微笑んで相槌をうった。この子は、私のずるい嘘に気付いていたのだろうか。もしも気づいていて、その上、今でも私の隠し事を見ないフリしてくれているのだったら……。
「じゃあ、久しぶりに一緒に帰ろう?」
「うん、帰ろっか」
それでも私は、友達に本当のことを打ち明けずに、笑顔を取り繕ってその場を凌いでいる。
ヨーコちゃんと並んで廊下を歩き、今日の授業のことや最近あった面白いことなど、他愛のない会話を交わしていた時だった。隣のクラスの前を通りすがろうとすると、タイミングを図ったかのようにあの人が扉から出てきた。咄嗟に両足が膠着する。今回は対面しなかった分マシかもしれないが、いつも見ていた後ろ姿をこんな複雑な気持ちで眺めている自分が弱く思えて、腹が立ち、もう訳が分からなくなりそうだった。この状況を、この感情を、どうやって対処するのが正解なのか、まるで見当がつかない。
「アヤちゃん……?」
ヨーコちゃんが生気を失った私を心配そうに見ている。はっと気づいて、なんでもないように装うが、自分でも滑稽なほど下手な誤魔化し方だと思った。私、咄嗟の嘘や隠し事がかなり下手みたいだ。
私とヨーコちゃんの間に流れた微妙な空気をがらりと変えたのは、柿谷くんだった。
「福添、そういえばお前、宿題で出されていた数学の問題解けたか? 確か、明日までだったよな」
背後に急に現れて、聞かれると答えに詰まる質問を投げかけてきた。振り向いて一息ついて、柿谷くんから目を逸らしながら、言うのが恥ずかしい回答をする。
「あぁ……やろうとはしたんだけどね。何をやっても無理だったから、もう諦めかけている状態」
その言葉を待っていたかのように、柿谷くんは不敵な笑みを見せた。
「だと思った。せっかくだから、お前ん家行ったときに教えてやる。たぶん五時くらいに着くかな」
この上から目線は少し鼻につくが、その提案はありがたいことこの上なかった。柿谷くんは数学が得意も得意、毎回数学のテストでは上位三人の内に入ると言われている子だから。その代わり、英語が壊滅的らしい。まあ、本人は何も言及していないから、真偽はわからない。
「ありがとう。お世話になります……」
私たちのこんなやり取りを、ヨーコちゃんはずっと傍観していた。私がヨーコちゃんに話を振ろうと思ったところで、柿谷くんが部活の先輩に呼ばれて凄まじいスピードで去ってしまった。
仕方がないので、ヨーコちゃんと二人並んで帰ることにした。
「アヤちゃん、柿谷くんと仲いいよね。まるで幼馴染みたい」
「そうかな? 私はヨーコちゃんの方が仲いいと思うけど……。というか、みんな仲いいと思うよ?」
ヨーコちゃんだってたまに柿谷くんと勉強教えあっているし、そこに私を混ぜてもらうこともある。特定の二人が特に仲がいいとか、そういうのではなく、みんな平等に接していると思うんだけどな。男女三人グループでよくあると言われる、三角関係の欠片も感じられない。
「ふふっ。アヤちゃんらしいね」
その言葉が何に対しての感想なのかはしっかりわからなかった。どうしてヨーコちゃんがここで微笑んだのだろう。
私の家に着くまでの間は、私、ヨーコちゃん、柿谷くんの三人グループについて話していた。いつから仲良くなったっけ、ちょっとした事件があったよね、なんて、ほぼほぼ思い出話に耽っていた。
そうやって笑い合っていると、いつの間にか家に着いていた。『福添文具店』。ここが私の家。私のおばあちゃんが現役で働いている、小さな昔ながらの文房具屋。学校から割と近いため、ここで文房具を揃える子も一定数いる。そういう子は大抵私がここに住んでいることも知っているから、福添おばあちゃんの孫、という意味で福添と呼ばれている。なぜかはわからないが、福添呼びが急速に広まって、もはや本名で呼ぶ人より福添呼びをする人の方が多くなる謎の現象が起こっている。この前は先生にまで福添呼びされた。
「ただいま! ヨーコちゃん連れてきたよ!」
ガタガタ音を立てて引き戸を開き、奥で店番をしているおばあちゃんに大声で伝える。