選ばれし命
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
こーちゃん、悪いねえ。荷物持ちを頼んじゃって。
いや、もうこの歳になると、重いものが腰にきちゃってね。なかなか踏ん張りがきかないのさ。その点、一緒についてきてくれる人がいると、本当に助かるよ。
特に今日は土選びをしたかったんだ。あの大きい袋に入っているタイプの奴のね。
おじいちゃん、おばあちゃんは自分でいちから作る本格派だったけど、私は趣味というか手慰みというか、楽しめればいいやという考え方なんだ。
別に、これで食っていくわけじゃないからね。できる限り少ない負担で取り組んで、出た成果をありのまま受け入れる……そのようなゆとりが、今更になって身に着いたのかも知れない。
でも、育てて売ることで生きるとなると、姿勢は変わってくる。クオリティーを落とすわけにはいかず、加えて、より良いものを求め続けなければ、周りに置いていかれる。
間引きや挿し木をはじめ、人の手でふるい落とし、本来の姿を曲げて、都合の良いものを引き寄せることはしょっちゅう。
それらの手法のひとつ。品種改良に関する話、聞いてみないかい?
育つ時期や茎の長さなどで仲間同士をくくる、「品種」という概念が出てきたのは、平安時代と言われている。
鎌倉時代に入ると、これらの品種の分類が行われ、じっくりと研究されながらも、本格的に人の手で改良しようと試みたのは、明治時代に入ってからのこと……というのが通説だ。
だが、地域にはそれ以前に、品種改良に着手していたという話が、ちらほらと残っている。口伝えでね。
当時の幕府という組織は、非の打ち所のなさを求める。つけいるすきを見せないことで、統治に安定性を持たせようとするわけだ。その分、公の記録に残されないものもたくさん存在するという。
その村でも、ひそかに当時の幕府から指令が下っていた。
気候の寒冷化。その際にも耐えうる稲を育てよ、という仰せだ。
昨年、実りが悪いとされた地域の中で、無事につくことができた稲穂の、一部のもみがら。そこから寒さに強く、かつ味の優れた稲を生み出し、冷害時にも安定した量の年貢が納められることを、目的としたんだ。
最初の数年間は、件のたねもみから穂になるまで育て、在来種のものと受粉させることに集中。「雑種」を増やすことに専念するわけだ。
そして次の数年間は、稲そのものの強さを鍛える。寒さに強くするために、田んぼの水を冷たくしたり、これまで育てた稲のほとんどが病気にかかってしまった土地に、あえて植えてみて、頑健さを保てるかを試した。
それらの厳しい環境を生き抜いた稲たちによる、蟲毒のごとき生存競争が十年、二十年と続けられ、どうにか数が少しずつ増えてきたけれど、残されたもう一つの課題は、いまだ完了していない。
味だ。いずれの稲も、木でできた舌でもない限り、とても口の中に入れられそうにない、土と鉄が混じったような味がしたのだとか。
ききんの時に、そのようなぜいたくを言っている場合か、と思うかも知れないが、この稲たちはききんの時に「も」安定して獲れることが目標。
平時こそが長く続くべきであり、長く続けんとするのが、時の政を担う者の使命。安定した質を保てなくては、乱の発端に結び付くかもしれない。
味に関しての当たりはずれは激しく、ひとつの世代が交代する時になっても、容易に「これ」と判断できるものは現れない。
ついに幕府からも督促があり、「あと五年以内にできた中で、最良のものを持って、終了とする」という通知。最後の一押しに詰まる大人たちに対し、意外な効果をもたらしたのは、ひとりの子どもの発案だったんだ。
彼は田んぼの中に入れる、腐葉土を作る役目を仰せつかっていた。この土地で先祖代々、葉っぱ拾いに使われている小山。そこにあるケヤキの木々の葉っぱたちを使っていたんだ。
同時に、落ち葉を早く分解するためのミミズも確保するのだけど、その年はミミズが例年に比べて、とても大きかった。胴体が中指二本分か、それ以上に匹敵する極太。それらが落ち葉の裏側から大量に見つかったんだ。
ものは試しとばかり、彼は毎年使っている、腐葉土を作るための穴の中へ、落ち葉と一緒に大きなミミズを放り込み、適度に米ぬかをまぶして、発酵を促していく。
あまりに米ぬかを入れては、高温になってミミズが死ぬ。すでに経験済みだった彼は、その辺の調整も抜かりはない。
その腐葉土を使った田んぼでは、格段に米の味が増したという。すでにどの家の稲の中にも、数十年前に幕府から賜ったたねもみの子供たちを使っている。いわば「血」がつながっており、他の兄弟たちが、今までとあまり変わらない味のつたなさであることを考えると、劇的な変化を与えられたのは疑いない。
事情が聴取され、目立った違いというのが、その極太のミミズだったんだ。
時間は限られている。ものは試しとばかりに、他の村人たちも、時期が来るとこぞって、例の小山に押し寄せた。その思いに応えるかのように、落ち葉も、極太のミミズも大量に手に入れることができたんだ。
そして育てられた腐葉土が、まんべんなく普及した二年後。寒波に包まれた年だったが、昨年とほぼ同じ収穫量を達成。加えて、味に関しても従来の米と遜色ない出来であることが証明される。
実に三世代近くに渡った研究に、ようやっと一区切りがつける、ということで村人たちは歓喜の声を上げた。
残す期限は二年足らず。それまでにこの土地ばかりでなく、他の土地でも扱えるように、調整をしておくべきだろう。
そう判断した彼らは、今回のたねもみと、腐葉土作成に使った落ち葉とミミズを、お上に送り、残り期間で研究を進める許可ももらったとか。
けれども、その翌年。研究用の成果はおろか、正規の年貢すら滞るという事態が起こった。年貢の搬入期限の十日前を最後に、連絡がやってこないんだ。
しびれを切らした幕府の役人たちが、村へと向かう。
そこで彼らが目にしたのは、もふけのからとなった家々だった。だが、それ以上に機会だったのは、この時期には黄金に実っているであろう、田の中の稲たち。
それらが染めたように、真っ赤になっていたんだ。更に田んぼの中からは、稲を刈るための鎌や、村人たちのものと思しき、ぞうりや木綿の服がところどころに落ちている。
そして足跡からして、彼らは田んぼに入ったものの、出ていったものが一つも存在しなかったんだ。
完成目前まで来ていた稲の研究は中止。件のたねもみやミミズたちは、その一切を処分されてしまう。
一部の者の話では、長年に渡る改良実験に嫌気が差した稲たちが、試しに彼らの方を食べてしまったのではないか、とウワサされたそうだよ。