あの男
「ご飯まだか。何時まで貴方は我を待たせれば気が済むのじゃ。我は貴方を待つためにここに座っているのではない。
…明日は『コックの気まぐれ料理』が食べたいわ。」
アストレアと呼ばれる可憐な少女は静かに口を拭く。
全く。やはりこの國ではなかったようじゃ。
可憐な少女は『ダークマターの肉詰め』を口に運び、せっせと食餌を済ませる。
この國の國民は、やたらと動きが遅い。
短気な我には合わぬ。
…ですが、我には彼との契約があるが故、まだ此処に留まらなせればなりませぬ。
彼は…何時まで我を待たせるのかしら…。
そんな妄想に耽り、彼女はゆっくりと口を開く。
「なんですか、この不味いお肉は。まるで生ゴミを食べている様な気分じゃ。やはり、『前のコック』は不味いですわね。大ハズレじゃ。」
気分を損ねた女王を見兼ね、メイド長のティアは今日も不敵な笑みを浮かべる。
「申し訳ございません。今回のコックは、まだあの様な料理を作ったことがなかった様でございます。私が明日までには、あの体にアストレアお嬢様の好みの味を叩き込ませますので、今日のところはご勘弁を…。」
「…貴女の笑顔は怖いのじゃ。ま、貴女のことですから今日のあいだに笑顔の特訓でもするのでしょう?もう、良い。」
ティアは表情筋をピクリとも動かさず、笑顔のままでいる。正直言って、気味が悪い。
「左様でございますか。それでは、お嬢様の前では素敵な笑顔が出来るよう、努力いたします。」
「ふん。下がれ。」
アリスと話していると、魂を抜かれるような感覚に陥る。
不敵な笑みといい、彼女の行動は昔から全く読めない。
彼女は唯一私の幼き頃を知っている人物で、母親の代から我が家に仕えてきたのである。
メイド長としての実力は流石なもので、我がお菓子を食べたいと思った瞬間にティアはもう持ってきている。
寧ろ、我の心の声が聞こえているみたいに。
…いや、有り得ない。能力者がいるというのは物語の中だけであって、現実にはいない。
そう自分に言い聞かせることで、自分の罪をなかったことにしている我を、誰が罰せられるのであろうか。
誰も私に楯突かぬ。
そう考えることで安心したのか、やっと眠りに堕ちていった。
ーーー死を齎す能力。
それを聞いたのは母からだった。
我の母はある帝国の女王で、国民に平穏な暮らしをさせる為、日々励んできた、偉大な人であった。
しかし、そんな母を壊したのはあの男であった。
我は母に、父親は他界したと聞かされていた。だが、それは嘘であったのだ。
詳しいことは覚えていないが、あの男は恐らく我の父親であるはずなのだが、もう1人私と同じくらいの女の子を連れていた。
今思えば、女の子はあの男の不倫相手との子供なのだろう。
腹立たしいとは思うが、何処か寂しい感情が私の行動を邪魔する。
この感情さえなければ、すぐさま探し出させ、即刻処刑なのだが…。
だが、ある日あの男が我に会いに来たのだ。
それは忘れもしない。
我の誕生日、3月15日に来たのだ。
「お誕生日おめでとう。コランダル。」
その一言を言いに。
コランダル、それはティアでさえ知らない、我の名前である。正真正銘、我の名前である。
衝撃を受けた我は、思わず次に会う約束をしてしまった。
すると彼は、「…いずれここに来る。私が嫌でも来ることになるだろう。その時に、また会おう。」と。
真剣な顔をし、まるで自分の腹を括っていたような表情で我に告げたのだ。
我は嬉しいような、辛いような、寂しいような、期待するような感情に陥った。
我はここで感情が壊れたのだ。
能力の代償。
それは…感情の欠落であった。