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リリーは目を閉じて、パニックになりそうな自分を宥める。
女王や彼らの話していた内容はよく分からないが…、この場で自我を持って動いているのは女王と勇者達四人…そして自分の六人だけだということは分かった。
…話しかけるなら今だ。
見てきた事を女王へ伝えなくては…
女王に会いに来た理由を思い出し、リリーは意を決して壷の陰から出て女王の部屋に向かう。
室内の誰もリリーの存在に気付いていないようだ。
リリーは女王の部屋の扉を潜ると、扉の横に立つ宰相に頭を下げる。
宰相は微動だにせず、ただ虚ろな目で空を見つめていた。
そんな宰相の前を過ぎ、視線を奥に向ける。
台座に座る女王の姿は青年達の背で遮られていてリリーには見えない。
リリーは口を開く。
「…あの、女王様…お伝えしたいことが…」
しかし緊張で掠れた小さい声は、近い場所に立つ青年達すら気付かなかった。
リリーは自分の情けなさに俯きたくなるのを我慢して、クッと顔を正面に向けてもう少し前に進む。
「そこを通してください。女王様にお伝えしたいことがあります!!」
真後ろから急に現れたのリリーの気迫に、思わず三人が脇に退く。
ようやく奥の台座に女王の姿が見えた。
獣人と何か話をしていたようだったが、リリーの存在に目を止め首を傾げて暫し考えた後に台座から立ち上がる。
「あら、あなた…確か、カフェ店員のリリーね」
初めて会うはずの女王に自分の名前を呼ばれたリリーは、驚きに目を見開く。
女王がプシナの住民全員の顔と名を覚えているという噂は本当だったらしい。
「あらあら、そんなに見開いては紅い宝石が落ちてきそうよ」
「あ…」
リリーは慌てて、両膝を床に着くと手を胸に交差させ女王から視線を外す。
「失礼いたしました」
王族御用達のカフェ店員として行儀作法の一環で学んだ王族への敬礼の型なのだが…はたして合っているのか…不安に押し潰されそうになりながらリリーは女王の言葉を待った。
「リリーありがとう。
でも、こんな異常事態ですもの、あなたも普段通りにしてちょうだい」
女王が優しく微笑んでも、リリーは動かなかった。
『女王が許しても、宰相に許可を貰うまで動くな』と教えられていたからだ。
膝を着いたままで立ち上がる気配をみせないリリーに、女王はその理由を察したようだった。
「リリー、待っていても今の宰相では許可を出すことも出来ませんよ。
今のわたくしとあなたは、自我を持っている仲間として身分や立場など関係なく、話し合いをする必要があるのではないかしら…
何かを伝える為にあなたは王宮まで来たのでしょう?」
女王の言葉を受けて、リリーは気付いた。
自分がこうやって立場に拘っている事で、話し合いを妨害することになるのだ
「女王の言う通りだな。
今はお互いの立場より、現状把握と話し合いが先だ」
獣人が声をかける。
その言葉に脇に退いた三人がピクリと反応するのが見えた。
「…分かりました」
リリーは顔を上げて、立ち上がっる。
そんなリリーの姿を見て、女王は目を細める。
「では、リリー。あなたの目にした街の状況を教えてください」
「はい…」
リリーはカフェで起きたことを思い出しながら言葉を重ねる。
「今から1時間ほど前にカフェのテラスで空間に色を感じました。
全体にトーンが1段階暗くなり靄の中にいるような…
その直後空に光が現れて、王宮に向かい落ちていくのが見えました」
リリーは光の話をした。カフェの同僚の変化や街の変化も…
「街からは、かなり多くの人々も消えています。その行方は分かりません」
そこまで一気に畳み掛けるように話すと、
「ご苦労でした。
リリー、頑張りましたね」
女王が労いの言葉を掛けてくれた。
安心して緊張が一気に解け、身体中の力が抜けるのを感じた。
視界が白く染まり膝から崩れ落ちる。
だが、覚悟した床との衝突による痛みはない。
それどころか、一瞬体が浮いたようだった。
「大丈夫か?」
右の耳元で男性の声に囁かれ、リリーは薄れかけていた意識を取り戻す。
「ありがとうございま…え!?」
リリーは自分の視界がいつもより高いことに驚いた。
「あいつ、なんか役得?」
「羨ましい!リア獣ってやつか?」
「ナイル、その変換間違ってるよ…多分」
さっきは壁のように見えた三人の目線が自分とあまり変わらない。
リリーがそっと右側に首を動かすと、そこには毛皮と人間の肌の境目が見えた。
「本当に大丈夫か?」
すぐ目の前で、声に合わせて喉仏が動くのが見える。
背中に程よい弾力と熱を感じていた。
リリーは、崩れ落ちる直前に獣人の腕に抱き上げられていたらしい。
一瞬で近くに?
確か彼は三人よりも遠く、女王の傍にいたはずなのに…
移動距離を目測していると、その向こうに、このハプニングに驚き口許を押さえている女王が見えた。
気のせいかもしれないけれど、その顔は同僚のマリアが空想の恋愛を語る時の様に上気していた。
「あ!!」
そこでリリーは自分が、お姫様抱っこ状態であることに気付く。
「あらあら、リリーってば今頃ですの?」
気のせいではなかった。
遅れてその事に赤くなるリリーに、女王がからかいの言葉を掛ける。
この手のことの対応が下手な事を自覚しているリリーは失礼を承知で女王の言葉に反応するのは止めて、助けてくれた獣人にお礼を言うことにした。
「ありがとうございます。
もう大丈夫ですので、下ろして貰えますか?
え…と…」
「カムラだ」
「カムラさんですね。…リリーです」
床に下ろして貰い、リリーもカムラに名乗る。
「リリー、よろしくな」
カムラが片手を伸ばして、リリーの頭頂部から肩甲骨の間までを撫でた。
「ふえ!!」
「あ、すまん。
挨拶が違うんだな…この世界ではどうするんだ?」
カムラがリリーに謝る姿を見て、さっきまで離れて様子を見ていた三人が近付いて来た。
「なんだ、獣人って言っても俺らと変わらないんだな」
「避けて悪かったよ」
どうやら三人は、同じ世界から来た仲間だと思っていた獣人が別人だと知り、どう対応すれば良いのか困惑していたらしい。
「サー…いや、カムラだったな。改めてよろしく。クラウドだ」
クラウドが右手を差し出すと、カムラも真似て手を出す。
クラウドはその手をガシッと握るとニヤリとした。
それを見たカムラの目がキラリと光る。
そしてクラウドの腕をブン!ブン!と音がするくらいに激しく上下させた。
クラウドも負けじと腕を振る…
「クラウドさん止めてください。カムラさんもそれ、違いますから!!」
リリーが挑発しあう二人に声を上げると、ぴたりと二人の腕が止まった。
「あー、止めちゃダメだよ」
「面白かったのに」
残りの二人が不満気に呟くが、リリーは気にせずクラウドとカムラの握り合う手を解いた。
「二人とも変なところで張り合わないでください。
女王の前ですよ!!」
「あ、つい力比べを…。カムラ悪かった」
クラウドが素直に謝ったのでリリーはそれ以上の事は言わずに、カムラにザーブでの正しい握手を教える。
「握手は…はい。こんな風に、手は軽く握り返してください。
ザーブではブンブン振ってはいけないんですよ」
カムラの右手に自分の右手を添えて優しく握ると、カムラもそっと同じ強さで握り返してきた。
「俺も〜♪賢者ナイルだよ〜よろしくぅ」
ナイルが二人の手の上下から両手を被せて来る。
「なら、僕も…魔道師クルスです。よろしくお願いします」
「あ、俺もやり直したい。よろしくなカムラにリリー」
クルスとクラウドも手を重ねて、また変な握手になってしまった。
リリーが困り顔をしていると、女王がアースでの挨拶の1つであると話してくれた。
「我が国の挨拶は一対一の握手が基本ですが…アースには多様な挨拶があるようです。
これは…円陣ですか?」
「うーん、ちょっと違うけど。
俺はこっちの方が仲間って感じがして好きだな♪」
ナイルが嬉しそうに言うと、カムラが感慨深そうに中央で重なりあった手を見た。
女王はそんな5人のやり取りを微笑ましく眺めていた。
「さぁ、名乗りあって仲良く握手もしたのですから…そろそろこちらに…」
女王の前に円卓が出現した。
「立ち話もなんですし」
にっこり微笑む女王の言葉に、全員が席に着く。
「私の見解からよろしいかしら?
カムラから聞いた話とリリーが光を目撃した時間から…
王宮の者や民にゲームの様な奇怪な言動を繰り返すという変化が現れたのは、あなた方四人が王宮に現れた直後のようですね」
女王の考えを聞かされ、クラウドとクルスが真剣な顔で聞いている横で、ナイルが眉間に指を当て考え込んでいたと思ったら、いきなり立ち上がった。
「そうだよ…思い出した!!
クルス、大変なんだ!
さっき俺、ログアウトが出来なかったんだよ!!」
焦るナイルを横目に、クルスとクラウドは何やら呟いていた。
「…出ないな。
クラウド、お前のステータスどうなってる?」
「…出ないし見れない。マジか…」
その様子に女王が苦笑する。
「だから、ゲームの中ではないと言いましたでしょ?」
「俺達、戻れないの!?」
オンラインゲームとかオフ会って分かるのかな?」
「ええ、わたくしはアースの存在を学んでいましたので、一応は。
リリーはどうですか?」
「あの…オンラインとは?」
分からない事に申し訳なく思っているリリーの隣で、カムラが情けない声で言った。
「クラウド、俺には何の事やらさっぱりだ」
「だよね〜。電気の概念も無さそうだしね」
クルスの言う電気って何だろう…とリリーが考えていると、隣でカムラは益々理解不能だと首を捻っていた。
「クルス、やっぱ説明頼んでいいか?
俺には説明出来る自信がない」
「え、僕だって出来ないよ」
「俺もっと無理〜!!」
リリーやカムラの反応に、アースの三人は解説役を押し付け合う。
そんな三人をリリーがハラハラして見ていると、女王がダン!と円卓を分厚い本で叩いた。
三人はビクッと動きを止める。
リリーはその分厚い本の出所が気になったが、黙って成り行きを見守ることにした。
「オホホ…やだわ。
本が重すぎて落としてしまいました」
女王の白々しいセリフに円卓上はシーンと静まり返る。
カムラはそっと目をそらしていた。
「仕方ないですわ。
カムラとリリーには王家秘伝の魔道補助具を貸し出しましょう」
女王はそう言うと、円卓の脇の引き出しから小さな鞄を取り出した。
指環を外し掌に乗せると、アンティークな鍵になる。女王はその鍵で、鞄を開いた。
「ちゃんちゃちゃーん♪翻訳コンタク〜ン♪」
変わったメロディを口遊みながら女王が取り出したのは、どう見ても灰色の狐耳のカチューシャだった。
「今のメロディ…」
「しかも語感は翻訳コン○○ク」
「なんで日本のアニメを女王が知ってるんだよ!!」
ダン!という音が響き再び円卓上は静かになる。
「重い本はダメねぇ…」
そう言いつつ女王はカチューシャの様な魔道補助具を持ち、カムラに近づいた。
「カムラこちらに頭を向けてくれる?。
コレはこうやって使うのよ……あらやだ、意外と可愛いわね」
自分に近いカムラを見本に、リリーに魔道補助具の使い方を教える。
カチューシャの端を両側の耳骨に当てることで、狐耳で聞いた言葉が近いものに翻訳されて脳に入ってくるらしい。
リリーは早速カチューシャを装着した。