タイトルをモジったり
次の休日、凪たちが足を踏み入れたのは、家から電車で一時間ほどの距離にある地域最大のショッピングモールだった。
光理の度重なるオファーに負けて、荷物持ちくらいはしてやるかと覚悟して出てきた凪だったが、その盛況ぶりに一瞬にして心が折れた。
「提案なんだけど、5時にここに集合ってことにしないか?」
「却下だね。何情けないこと言っているんだい。何回か来たことあるって言ってたじゃないか」
「いつも来るのは、学校終わりの平日の放課後なんだよ」
凪としても多少の混雑は予想していたのだが、目の前の人だかりはそれを大きく上回っていたのだ。
服なんて基本として身体を適温に保てれば用をなすという考えの彼からすれば、休日に遠方から服を買いにくる行動パターンは、話としては知っていても、現実味のあるものではなかったのが敗因だった。
「それはご愁傷様というしかないけど、今日は兄さんの服を見立てるのも目標の内なんだから、別行動したら意味が無いだろ」
「あのな、何度も言ってるけど、自分で着る服くらい自分で買えるぞ」
心底めんどくさそうな凪の言葉に、光理は冷たい視線を送った。
「別に、わたしだって、黒とか茶オンリーのTシャツに、青いジーパンって格好が悪いというつもりは無いんだよ。ファストファッションだって馬鹿にしたものではないしね。その無駄にゴツい靴はどうかとは思うけど」
凪は自分の茶系のスニーカーに視線をやると、何を責められてるのか分からないという顔をした。
「駄目か?」
「山でも登るなら悪くはないと思うけどね。まっ、基本こっちが毎日毎日、黒か茶のTシャツで過ごしる兄さんに耐えきれなくなっただけの話だからさ。こっちの自己満足だと思って、二、三時間付き合ってよ。太っ腹なスポンサーさんもいることだしね」
そう言って光理が取り出したのは、凪にも見覚えのある金色のカードだった。
「個人的な希望としては、そのカードには関わりたくないんだけどな」
あの戦いから一週間、四葉の方からのアプローチは無かったが、凪としては自分から連絡を取ろうともしていなかった。
「気持ちは分かるけど、これからも好い関係を続けていきたいなら、多少は使わないと信頼されないと思うよ。兄さんの価値体系を考えると、服ならいざってときにもダメージが少ないし、うってつけってわけだよ」
確かに自分が服のブランドに拘るようになる未来はありえないなと思い、凪はちょっとだけ光理を見直した。
「意外と考えてるんだな」
「褒めるのは、光理ちゃんの超絶コーデ力を見てからにして欲しいね」
光理は意気揚々と人ごみの中へと足を踏み入れていく。凪は力のない笑みを浮かべると、その二歩後ろについていくのだった。
二時間後。
「兄さん、着終わったかい?」
更衣室の外から聞こえてくる楽しそうな声とは裏腹に、鏡で己の服装を見ている凪は憂鬱そのものだった。
「どう考えても、遊ばれてるよな」
最初こそ凪の意見なども聞きつつ、服を吟味していた光理だったが、30分ほど経つと、彼女の言うところの「新しい可能性の模索」が始まってしまったのだ。
毎回、それはそれは楽しそうな顔をしている光理に免じて、八軒の店で着せ替えショーを行ってきた凪の精神はそろそろ本当に限界域に達していた。
これで最後にする。そう決意を固めると、凪は試着室のカーテンを開けた。
「兄さん、なかなかカッコいいじゃないか」
「ですね、このアウターならけっこう着まわしできますし、おすすめですよ」
毎回苦笑いの一歩手前みたいな顔をして、こちらを褒めてくるのはショッピングモール共通の接客マニュアルなのだろうか。益体のないことを思いつつ、凪は諸悪の根源に問いかけた。
「ちなみに、この服の意図は何だ」
「えっ、リアル・ファイナルファンタジーだけど?」
「おい」
服のいたるところにファスナーがゴテゴテとついた白い革ジャン(定価・二万四千円)とこれまた沢山ファスナーが付いたよく分からない材質の細めのボトムス(特価・八千二百円)を着せられた凪の声音は低かった。
商品を自信をもって販売しているはずの店員が、光理の言葉を聞いて、かすかだが口の端を震わせているのも、凪としては色々な意味でポイントが高かった。
「ふむ、どうやら兄さんはあまり気にいらなかったようだね。すいませんけど、さっきのやつだけお会計してもらえるかな」
立ち直った店員が凪の知らないところで購入が決められたらしい商品をもって、カウンターの方に消えると、彼は改めて光理に話しかけた。
「別に買うなとは言わないが、着ないぞ」
「あっちは兄さんの趣味から、そこまで外れないと思うよ。ちょっとワンポイントにチェック柄入れてみましたって感じのやつだし」
「それなら別にいいけど、分かってるなら着せるなよ。これは流石にどうかと思うぞ」
「うーん、別にそこまで似合わなくはないと思うんだよ。兄さんの身体って、日本人の平均身長にそこそこ筋肉乗せましたみたいな按配だからさ。頭さえすげかえれば、こういうのも着こなせるはずなんだよね」
「さらりと無理な仮定を入れるなよ」
「兄さん、新しい顔よ」
地味にクオリティの高いモノマネだった。
凪はそれ以上は何も言わず、更衣室の中に戻るとゆっくりと着替え始めた。光理のカードの手続きが終わる前に店の中に戻ると、店員からのプッシュがキツいことを一軒目で学んだためだ。
「兄さん、先に行ってるよ」
苦笑ぎみに光理が声をかけてきてから、ジャスト十秒後、凪は直線を意識して店の中を歩き出した。一方、光理は買った商品を店員に持たせてゆっくり歩いていた。くしくも両者が店の外に出たのはほぼ同時だった。
「そんなドヤ顔を向けられてもね」
凪からの視線に少し困惑しつつも、光理は商品を受け取るとよどみなく歩き始めた。
時刻は正午過ぎ。休日のショッピングモールの人ごみがフードコートに流れて、少しだけ落ち着きを見せる時間帯だ。
とは言っても、待ち時間を避けて昼食の時間をずらす者や、昼からやってくる者も当然いる。凪からすれば、気乗りしない人工密集度であることには変わりはなかった。
「これで終わりでいいんだな」
「めぼしいところは回ったしね。兄さんの許容範囲も大体把握できたから良しとするよ。これだけ買えば、着まわしに困ることもないだろうし」
会話を交わしながら、二人は要所に設けられた商品搬入のための横道の一つに入った。誰もいなかったが、凪は念のため自分の身体で光理の周りに死角を作り出した。
「さっさと済ませろよ」
「わたし、初めてだから上手くできないか──」
自然と密着する形になった光理が最後まで言葉を言い切る前に、凪のデコピンが炸裂した。
「アウチッ」
天然ものでは絶対にありえない奇声を上げると、光理は空いた両手で顔全体を覆った。もし目撃者がいたら、いかなる手品かと思ったことだろう。
なにせ、光理が一瞬前まで手にもっていた商品の袋が忽然とその場から姿を消していたのだ。
「しかし、便利だよな」
「変則的な使い方だけどね。”印”さえ付けられれば、どれほど多くあろうと見つけ出せるとはいえ、効率はよくないし」
凪は光理の説明を適当に聞き流した。かつて詳しい説明を求めて、「四次元ポケット」の類だと考えておけばよいという結論に至ったからだ。
二人は横道から抜け出すと、特に行く先も決めずに歩き出した。
まっすぐ進め続ければ、フードコートにたどり着くが、途中で曲がれば女性向けの店が密集するエリアにも行ける。そんな道行きである。かなりガッツリと遅めの朝食を食べてきた二人だったが、軽食なら入らないでもない。凪としては、そこら辺も含めて光理に任せるつもりだった。
「それで、そっちはどんな服買うつもりなんだ」
「大まかに言うなら、男性受けより同姓受けを意識した感じの服だね」
「”昇天ペガサスMAX盛り”みたいな?」
「それ服じゃなくて髪型だよね」
冷静にツッコミを入れられて、凪はちょっと凹んだ。
「けど、近からずも遠からずかな。たぶん、兄さんの感覚からしたら、ちょっとキツい感じのする服だよ」
「それが女性受けするのか。もっと可愛らしいのかと思ったけど」
「兄さんが言ってるのは、男性から見た女性の可愛らしさだろ。別にそれが全てじゃないけど、そういう異性からどう見られるかを意識した服というのは、ちょっと同姓から見ると鼻につくものだったりするのさ。だから、そこをあえて外すことによって、ある種のアピールが成立するわけだよ」
「わたしは男を狙ってませんって?」
「そういうこと。もちろん、センスが悪かったら馬鹿にされるし、まったく異性受けを狙ってないというのもアレなんで、微妙なさじ加減が必要だけど」
「めんどくせっ」
凪は心からそう言ってるのを見て、光理は小さく首を横に振った。
「鳥にだって美しい外見で異性にアピールする種類があるのに、兄さんときたら」
「進歩だろ」
「ただの怠惰だと思うけどね」
「まっ、お前のカードだ。好きに買えよ」
「いや、ある程度の縛りは設けるつもりだよ。金に飽かしてとか、そういうのはやっぱり、野暮のすることだしね」
ドヤ顔でそう断言した光理の足がぴたりと止まった。その首がゆっくりと90度横に曲がると、彼女の視線はショーウィンドウに中にあるマネキンの一体に釘付けになった。
「何これ、超かわいいんだけど。フードが猫になってるとか正気の沙汰とは思えないよ」
光理が絶賛している黒のパーカーを見ながら、凪は内心で首をかしげた。別に自分の服のセンスに自信があるわけでもないが、その服は普通に考えて「無い」だろうと思ったからだ。
なにせ、光理が褒め称えた猫の顔を模したフードは顔の全面を覆えるほどの代物で、そう利用することを前提として猫の目部分に長方形に切り取られたのぞき穴が設けられているのである。
もちろん、そのフードを使わないという手はあるだろうが、それではわざわざこのパーカーを買う理由もないだろう。
「これ、どこで着るんだ?」
凪の率直な疑問に、光理は視線を服から逸らさないままうめき声をあげた。
「部屋着?それに一万超えは、ちょっと。夜の散策って言っても限度があるし」
「別に迷わず買えばいいだろ」
「ちょっと黙っててよ。こっちは年15万に、ボーナス4万って計算なんだ。ここで1万使ったら、後々に響いちゃうんだよ」
自分の決めた枠に自縄自縛しているらしい光理を見て、凪は隠すことなく鼻で笑った。
「兄さんは女の敵だね」
凪は光理の眼光から逃げるように歩き出すと、店頭で陳列品を直している店の店員にぼそぼそとした声で話しかけた。
「ほらっ」
しばらくして、ショーウィンドウの前に張り付いている光理に、凪は無造作に紙袋を差し出した。光理は自分が眺めていた店のロゴが入った袋を見ると、凪の方に困ったような表情を向けた。
「あのさ、兄さん。別にそういうつもりじゃなかったんだけど」
「分かってるよ。何だかんだで世話になってるしな。これぐらいしてもバチは当たらないだろ」
改めて言葉にするとあまりにも照れくさく、凪の口調は自然と早口になった。
「そういうことなら貰っておくよ。要所要所で兄さんの顔を立てるのも、よく出来た妹の務めだからね」
光理は凪から紙袋をひったくると、先ほどまで進んでいた方向に歩き出す。
「戻った方が横道近いぞ」
横を歩きながら凪はそう忠告した。
「実は、ショッピングモールにいて、いつまでも手ぶらっていうのも不自然な気がしてたんだよね」
「なるほど」
沈黙。
次に二人が言葉を発したのは、五分後フードコートで見覚えるのある顔に話しかけられたときだった。
「偶然ですね。お二人でお買い物ですか?」
パンプスに、落ち着いた色合いのふんわりとしたスカート、上品にレースが施されたブラウスに薄手のカーディガンという木下四葉の私服を見て、光理は小さく一つ頷いてみせた。
「兄さん、こういう服好きだろ?」
”分かるだろ、これが男受けってやつだよ。”光理が言外にそう言ってるのを感じとって、凪はなんとなくどちらとも取れる答えを返した。
「ボクの好みはさておき、四葉さんには似合ってると思うけど」
凪の言葉にわずかに四葉の表情が緩んだのを見て、光理は大げさに首を横に振ってみせた。
「プレゼントも貰ったしね。ここは気を使って退散するよ。じゃ、がんばって」
右手の親指を握り込んでみせると、光理は二人が呼び止めるのも聞かず、フードコートの外へ歩いて行ってしまった。
「お邪魔してしまいましたか?」
「どっちにしても、ここで解散することになったと思いますよ。女性向けの店に男がいるのも気まずいし」
「それを聞いて安心しました。立ち話も何ですから、店に入りませんか」
四葉が指指したのは、誰もが知ってる外資系のコーヒーチェーンだった。しかし、見たところ、その店は現在営業していないようだった。そこで凪は一つの仮説にたどり着いた。
「もしかして、もしかします」
「ご想像の通りかと」
四葉の誘導のままに、店員用の勝手口から店内に入ると、いくつかの扉が並ぶ通路を抜けて、店のカウンターの内側に出る。長ったらしい名前の商品を作るための道具を、凪がキョロキョロと眺めていると、四葉はおかしそうに聞いてきた。
「作ってみますか?」
「いや、食べ物を粗末にしそうなんで」
「そうですか。わたしがご指導できればよかったんですが、申し訳ありません」
凪は深々と頭を下げようとする四葉を慌てて制した。
再び導かれるままに店内を進むと、奥まったとこにあるテーブルの横にチェーン店には不釣合いな銀のカートが置かれているのが見えた。
「また買収だったり?」
「いえ、今回は純粋に給仕用です」
促されるままにソファに座ると、四葉はカートの中からカップや魔法瓶などを取り出すと、手早くセッティングを完了させた。
紅茶に砂糖を入れながら、意外に略式なんだなと凪は思ったが、ここで素直に感想を口にしたら、すぐさま執事がやってくる可能性も否定できない。何も言わずに、黙って紅茶をすすった。
「美味しい──」
味というよりも、口の中で広がる匂いがとてつもなく豊かなのだ。美しい宝石を口の中で噛み砕いたら、こんな心地がするのではないか。そんな益体のない妄想を凪に抱かせるほど、その紅茶は芳醇だった。
「気に入られたら何よりです。無理を言った甲斐がありました」
「野暮なことを聞いても?」
「値はつきません。無理に飲もうとすれば、皇帝派を敵に回すことになると言えば、分かってもらえるでしょうか」
凪はそれを聞いてギョッとしたが、覚悟を決めてもう一口飲んだ。完全な騙し打ちではあった。だがそれ故に、これは四葉からの信頼の証なのだ。
「カードを使ったことへの返事ですか」
四葉がここに現れたのは偶然のはずがない。ならば、答えは自ずから出る。
「ええっ、ちょっと凪さんに甘えてみました」
今日一番の笑みを浮かべた後、四葉は自分の紅茶を口をつけた。
この程度なら、許してくれますよね。
凪は四葉たちの富を頼りにし、四葉たちは凪の情を頼りにする。四葉が示したのはそういう構図だった。
「それは皇帝派の総意と取っていいんですか?」
「はい。今回の件を受けて、皇帝派は睦月凪を「感染」者の最上位である「王」と同等に処すことを決めました。他の「王」に協力することはあっても、皇帝派として凪さんに敵対することはないと理解していただいて結構です」
「それは何とも嬉しい知らせですね」
凪はかつて読んだ嘘を吐き続けて最後には死んでしまう少女の物語を思い出していた。
そもそも凪は「王」どころか「感染」者ですらないのである。この道の果てが何処に行くつくのか彼には全く想像がつかなかった。
「アメリカの残党を筆頭に、主流から零れ落ちた構成員に声をかけています。今はまだ微力ですが、お力沿いを頂ければ、悪いようにはならないかと」
少なくとも四葉の目には前のときより光が宿っている。それを自己正当化の道具にして、凪は彼女を茨の道へと後押しした。
「ボクも出来る限りのことはするつもりです。勝ちましょうね、この「選挙」」
「ありがとうございます。、そうだ、これを受け取ってください」
そう言って四葉がカーディガンのポケットから取り出したのは一枚の金属製のしおりだった。
何だろうと思ったまま受け取ると、凪の中に一つのイメージが走った。
──
それは何処までも鋭く、どこまでも剛い、一振りの刀の幻想だった。
「これは?」
「鬼切の尺を詰めるときに出た屑、うちの人間が溶かして再構成したものです。あれほどの力は望めませんが、意識するだけで普通の銃弾くらいは容易く切れるかと」
生き返りしか能がない凪からすれば僥倖そのもののようなアイテムである。
「ありがたく、頂いておきます」
「凪さんの力を考えると、あまり使い道がない道具かもしれませんが、今回の勝利の記念品のようなものだっと思っていただけると幸いです」
四葉の手には、凪が今まさにジーパンのポケットに収めたのと同じ栞が握られていた。少し顔を赤らめた彼女の笑みは、今日一番のそれと遜色がなかった。
四葉はあのとき自分の身に起きたことについて一切言及しなかった。
その上で鬼切を、彼と四葉のつながりを示す品にしてしまう彼女のセンスに、凪は光理の忠告を思い出さずにはいられなかった。だが、毒を食らわば皿までという言葉もある。凪はごくりと唾を飲み込んで、ここ数日、練習していた言葉を口にした。
「いや、肌身離さず大切にするよ。四葉のとお揃いだし」
「じゃあ、わたしもそうしますね」
少しばかりの沈黙が二人の間に流れた。
凪としても、ここで先に口を開くと自分が不利になることは何となく分かったが、じっと見つめてくる四葉のプレッシャーに完全に押し負けた。凪は一度髪の毛をかき上げると、覚悟を決めて呼びかけた。
「えっと、四葉」
「何でしょうか?」
はにかみながらも視線を外さない四葉を見ながら、凪は彼女が自分のことを好きなのだと、そう「信じる」ことにした。
四葉の瞳がゆっくりとつぶられる。当たり前のことだが、まつげの生え方が驚くほど彼女に似ていた。
顔と顔が近づいてゆく。
そして、二つだったものが一つになった。
どこかで悪魔が嗤ったような気がした。
この後もキャラ立てと全体の整合性のために手は加えるつもりですが、基本的な物語としてはこんな感じとなります。最後までお付き合いしていただいた方には最大級の感謝を。
もしご縁があったら、次話「転校生は中国の紅い男の娘」か「ロリ吸血鬼はアラブ系」でお会いしましょう(書かない