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交渉という名のディスコミュニケーション

「しかし、いいよな。俺に分けろよ」


場所は校舎の屋上。流れのままに日課となったランチタイムにおいて、忠臣はこれまた定番になっている感想を口にした。


「毎回の申し出は嬉しいけど、わたしは兄さん専用の妹なのさ。こればっかりは頷けないないね」


凪が何かを口にする前に、光理が答えてしまうところまで含めて、もはや恒例となった感がある掛け合いである。周囲では、またやっているという苦笑がちらほら聞こえてくる。


「おそろしい馴染みようだな」


凪は心底呆れたという風に呟いた。なにせ、光理が転校してきてから一週間しか経っていないのである。学校という閉鎖的なコミュニティの性質が骨身にしみている身からすれば、相手を正体を知っているとはいえ、ちょっと信じがたい光景だった。


「光理ちゃんの人徳だろ。美人の上にこれだけ気さくとあれば、文句なしだからな」

「裏で叩かれてなきゃいいけど」

「ほんと、何でそんなに暗い方にしか考えられないの。自分の親戚に人気があるって言われてるんだから素直に喜びなさいよ」


双葉は手にもっていた弁当箱を一度横に置くと、改めて凪に食って掛かった。食事中は喋らないというのが双葉の基本的なルールなのだ。ちなみに、これが原因で入学の当初浮いていた双葉を忠臣がフォローしたのが二人のなれ染めだったりする。


「けど、有名税って言葉もあるだろ」

「兄さんの心配も最もだけど、あんまり問題ないと思うよ。光理ちゃん、愛され系マスコットだから」


その言葉に、カップル二人は合わせたように少しばかり苦い笑みを浮かべた。


凪は内心で話の方向性を間違ったと後悔したが、わざと振った面もある。彼もそうではないかと思ってはいたが、いちおう確認しておきたかったのだ。もちろん、心配しているのは光理のクラスメートの方だったが。


「お前、それでいいのか?」

「良くはないけど、急いては事を仕損じるってやつだよ。別に全員と本当に仲良くなる必要もないしね。無視とかされるより、よっぽどいいさ」

「大人だな、光理ちゃんは」

「むこうでも、ハーフってだけで色々あったからね。それにこうやって吐き出せる場所があれば、意外と何とかなるものだよ」

「うん、わたし達は光理ちゃんの味方だからね。どんどん頼ってくれていいんだから」


またも律儀に弁当を置いた双葉が、両手で光理の右手を包みこんだ。


凪からすると、一番の驚きはこの双葉の態度だった。二度目の対面を果たしたときから、双葉はずっとこのひどく友好的な態度なのである。


凪としては狐に摘まれたような心地で、光理の小細工かとも思ったが、何もしていないという返事だった。残るは、記憶を共有しているという四葉の仕業か、あるいは双葉の演技のどちらかだったが、凪的には後者の可能性はほとんど無いと見ていた。


「双葉さんは、きっといいお母さんになれるね」

「やだ、何言ってんのもう」


両手をほほに添えながら、双葉はちらりと忠臣の方を見た。


わざとらしい。実にわざとらしい仕草である。こんなに自分のことを客観視できない人間に、高度な腹芸を期待する方が間違っているというものだ。


「いや、俺もそう思うよ」

「二人して、からかって、知らないんだから」


双葉はそう言って、首を一度大きく横に振った。


ラノベのヒロインかよ。凪の渾身のツッコミが心の中を駆け抜けたが、口に出たのはおべんちゃらだった。


「ボクもそう思うよ」


ふっ。鼻を鳴らしての失笑である。


”どうして差がついた”のテンプレを思い起こして傷ついた心を誤魔化しながら、凪は当たり障りのない笑みを返す。


「あんまり、兄さんを苛めないでおくれよ。こんなのだけど、わたしの最愛の兄さんなんだから」

「光理ちゃん、肉親を庇う気持ちは分かるけど、嫌だったら、嫌って言っていいんだからね。いつでも、わたしの家に遊びにきて」

「学校でも一、二を争う美人たちの話題に上がるなんて、男冥利に尽きるじゃないか?」


食い終わった弁当を布で包むと、忠臣はデザートとばかりにフリスクを2,3噛み砕いた。先に食べ終えていた凪と合わせて、男陣が先に食べ終わるのはいつものことだ。


手持ちぶさになった忠臣はまだご飯を食べている自分の彼女の枝毛にちょっかいをかけ初める。このザ・青春に当てられるのも近頃の凪の日課である。


「イジメよりイジリの方が性質が悪いって小説あったよね」

「ノブタってのもあったな」

「あった、あった」

「あの作者って他に何か書いてるのか?」

「よく知らないけど、ググれば一発でしょ」


検索で発覚した意外な近況をネタに、男二人でダラダラと話していると、弁当を食べ終えた双葉が無言で立ち上がって、屋上から出ていってしまった。


「ボク、何かしたっけ?」

「お前、気にしすぎ。便所だろ、便所」

「むしろ、そっちが気にしてよ」

「ちなみに、わたしはおへそからいちご味のキャンディーが出る派だから、安心していいよ、兄さん」

「本当だったら、そっちの方が心配だわ」

「誰だっけ、かりんとうが出るって言ったアイドルいたよな」

「あっー、誰だっけ、それ」


そう言って、凪がケイタイをいじろうとした矢先、知らない番号から着信があった。天国と地獄の軽快なメロディが、しばらくの間、よく晴れた空の下に響き渡っていく。


「いや、兄さん、出ようよ」


光理のツッコミで、凪はしぶしぶながら通話ボタンを押した。



正直、知らない番号からの電話にあまりいい思い出はなかったのだが、それならそれで早いか遅いかの差でしかない。


「もしもし、睦月凪さんのケイタイで間違いありませんか?」

「はい。合ってますよ」


先ほどまで電話を通さずに聞こえていた声を耳に納めながら、凪はもしかしたら双葉もキャンディー派なのだろうか、と下らない考えを遊ばせたりした。


「急かすようで何ですが、こちらも遊びではありません。出来れば、そろそろお返事をお願いできませんか」


凪は少し迂闊な返答を選んでみた。


「今すぐにですか?」

「なるほど。その言葉で十分と言えば、十分なのですが、出来ればもう一度お会いしたいですね」

「ボクもそう思っていました」

「でしたら──」


挙げられたのは、学校の最寄駅から三駅の場所にあるという外資系ホテルの名前だった。


高校生が場所は知らないが、外資系であることは知っている、そういうレベルのホテルである。そして、四葉の言葉の通りなら、その世界で何本かの指に入るだろうホテルチェーンは、皇帝派と深い関わりがあるようだった。


「分かりました。放課後にうかがいます」


金持ちって怖い。そう思いながら凪が通話を切ると、二人がそれぞれ違った顔で彼の方を見つめていた。凪の視線の先で、双葉が屋上に戻ってくるのが見える。


ニタニタしながら肩を叩いてくるのが忠臣。

面白そうな顔をして視線だけを送ってるのが光理。

そして、二人に話を聞いて、驚愕の表情を浮かべたまま何も言わないのが双葉。


「兄さんも隅に置けないね」

「まったくだな。男同士でコイバナなんてゾッとするのは否定しないが、一言くらいあっても罰は当たらないだろ」

「いや、違うから。そういうのじゃないから」


ケイタイをポケットにしまいながら、慌てて凪は否定する。よく考えれば、慌てる理由も、否定する理由すらも特に無いにも関わらず。


「聞いたかい、タダオミ、あれだけニヤけた顔して、何が違うって言うだろうね」

「言ってやるな、妹御よ。本人はあれでキリッとした顔をしていたつもりなんだ」


その言葉に、凪は慌てて自分の頬を撫でた。


「ニヤけてた?」

「最低」


双葉のその言葉と表情が、凪の疑問に完璧に答えていたのだった。


         ※


放課後。どう考えても、そこまで言われる理由は何も無いのではないかと思いつつ、凪は一人で地下鉄の振動に身を任せていた。


凪としては光理も連れていこうと考えていたのだが、

<お邪魔はしないよ>

というメールを残して、かの偽妹は放課後さっさと行方をくらましてしまったのだ。


結果、放課後に一人で地下鉄に乗る寂しい学生の図が爆誕したわけだが、凪としてはなるようになるだろうと気楽に構えていた。というより、どう頑張ったところで彼にはなるようにする以外の選択肢が無いのだ。


この時間帯であれば、車内には座れる席がいくらでもあったが、凪は立ったまま扉と椅子の端が作り出す隅っこに体を預けていた。何か、この方が落ち着く性分なのだ。


近頃のやつは駅の間でもつながるんだなと感心しながら、ケイタイで幾つかのサイトを巡っていると、三駅先の駅までの時間はあっという間だった。ホテルの場所もサイトで確認しておいたので、凪は一切迷うことなく、目的地に到着することが出来た。


だが、凪が足を向けたのは見るからに敷居の高そうなホテルの入り口ではなく、ホテルのホテルの内部を外から見えないようにするための鬱蒼とした垣の一角だった。


四葉の言葉通りの場所に、ひっそりと扉があることを確認して、凪は隠すことなくため息をついた。何でも、密かに要人を移動させることを見越して作られた、スイートルームと直結している秘密の通路なのだそうだ。


その金属で出来た扉は、凪が何かをする前に、独りでにカチャリと鍵を外した。間違いなく、どこからかカメラで監視されているのだろう。


凪は再び、ため息をついた。


「俺だ、気をつけろ。機関から監視されている。か」


むろん、凪も健全な男子学生の端くれとして、その類の妄想は嫌いではない。むしろ、学校に乗り付けたリムジンに颯爽と乗り込むといった酷いといえば、あまりにも酷い妄想から距離を置いたのだって、そんなに昔ではない。


だが、それも全て妄想だから良いのだ。


それなのに、凪の目の前にはスイートルームに続く隠し通路なんていう冗談にしか思えないものが、確かに存在しているのだ。これが悪夢でなかったら何だというのだろうか。


帰ろう。凪が決意した、まさにその瞬間を見計らったように、あの軽快なの着メロが彼のポケットから響いた。


「もしもし?」

「出来れば、早く来ていただきのですが。人目につかない場所とはいえ、制服姿の凪さんはさすがに目立ちます」

「すいません。すぐ行きます」


自分の意思の弱さに絶望しながら凪はノブに手をかけた。扉は嫌味なくらいスムーズに開いた。


扉の内側は、凪の想像とは少し違っていた。


彼の頭の中では、エレベーターのある端まで一直線の通路が伸びているというイメージだったのだが、目の前にあったのは通路ではなく地下へ向かう階段だった。ゆっくりと段を降りながら、凪はまだつながったままのケイタイに話かけた。


「なんか、直通のエレベーターとかあるのかと思ってました」

「ご期待にそえず申し訳ありません。ですが、空を飛ぶというのは人を見果てぬ夢の一つです。超高層とはいえ、「選挙」の候補者相手では決して安全ではないんですよ」

「地下なら安全なんですか?」

「比較すればと言ったところですね。究極、候補者相手に安全な場所など衛星軌道上を含めて存在しませんから」


凪の目算で三階程度の深さを降りたところで、階段は終わり通路へと変わった。とはいっても、通路はすぐに金属製の壁によって中断されている。


凪がその壁に到達する前に、それは音もなく右にずれていった。そして、その先には時間差で同じく横にずれようとしている壁がまだ二枚ある。


「厳重ですね」

「気休めですよ。肝心なのは場所を特定されないことです。考えても

ケイタイの声が前から聞こえ始めた。

みてください。レイ・ウィリアム相手に、この壁が何かの役に立つと思いますか?」

「無駄でしょうね」

「そういうことです。ようこそ、凪さん、歓迎しますよ」


リムジンの中で初めて見たときに似た柔らかな笑みを浮かべて、四葉は片手で青いワンピースのすそをちょっと持ち上げてみせた。


「どうも、おじゃまします」


凪の色々なものを押しつぶした無愛想な返事に、彼女はすぐに表情を変えた。


「すいません。浮かれすぎました。ご不快だったでしょうか?」

「いえ、ちょっとビックリしただけです。それと、その、その服似合ってますね」


まるで花のように笑う相手の姿を見て、凪は自分のほほを掴み取りたい気分だった。どう考えても、彼の社交辞令にも劣るような言葉が引き出せるとは思えない反応だったからだ。


「ありがとうございます。この服、とても気にいっているです。仕事柄、あまり着ることもないんですけど」

「それは勿体無い」

「凪さんにそう言ってもらえるだけで、この服を着た甲斐がありました」


凪は案内されるままに、地下にあるとはとても思えない広々とした居間のような部屋に通された。


いまいち自信がもてないのは、部屋の隅の方にダブルベットが置かれているからだが、他にもビリヤード台に、バーカウンター、グランドピアノといった設備が部屋の所々に置かれているところを見ると、寝室と考えるには無理がある。


「凄い部屋ですね」


革張りの赤いソファに腰掛けた凪の第一声がこれだった。


「間取りは最上階にあるスイートルームと同じになっています。機材の関係で生活空間はこの居間だけですけど」


その豪奢な部屋のホストである四葉は、凪の対面にあるソファを通り過ぎると、壁際に置かれていたカートをゆっくりと引いて戻ってきた。


「何をお飲みになられますか?」

「日本茶で」


言ってから、部屋の調度から考えて珈琲か紅茶の二択だったことに気づき、凪は慌てて言い直そうとしたが、よく見ると、給仕をするその手にはしっかりと急須が握られていた。


「やっぱり、日本人は緑茶ですよね」

「ですね」


シャンデリア輝くスイートルームの、落ち着いた光沢を示す木製の長テーブルに、場違いに置かれた茶碗が二つ。凪は勢いのままに、その片方を手に取り一気に飲み干したが、味は全くしなかった。


「えっと、一人でここを使ってるんですか?」


対面に座った相手が何かを言う前に、凪は慌てて言葉を発した。ここで味の感想など聞かれようなら、間の抜けた答えを返してしまうのは目に見えている。


「まさか、この部屋は本当のビップ用です。わたしのような下っ端が使うなんて夢のまた夢ですよ」

「それは何というか、光栄です」

「実際、今の凪さんには千金にも勝る価値があります。お世辞ではありませんよ」


そう言うと四葉は、ソファの近くに置かれたままのカートの側面にある戸へと手を伸ばした。

「いかがでしょうか」


国債だった。カートの中には整然とこちら側に額面が見える形で一つ百万の日本国債がぎっしりと詰まっていたのだ。


「大体、これで二百億円ほどになります。本当に黄金を用意しようという案もあったのですが、これと同じ容量の金はわたしの細腕には余りますから」


凪は度肝を抜かれていたが、前もって用意していた台詞をそのまま口にした。


「すいませんけど、金額の問題ではないので」


では何の問題なのかと聞かれても、凪には特に答えはなかった。精々焦らして、自分にどの程度の価値があるのか、第三者に客観的な評価を下してもらうかなどと思っていただけなのだ。


「もちろん、分かっています。ですが、凪さん、もう一度、よく考えて下さい。皇帝派は貴方にこの国を差し上げる準備があります」

「はっ?」

「正確には、皇帝派が所有する日本国債の所有権の譲渡という形になります。非公式のものを含めますと比率にして全体20%強になりますか。これだけの量を保有すれば、国家の命運を握ったも同然です。頭【トップ】がどのように変わろうと、平伏したまま凪さんの顔を見ることすら叶わないでしょう」

「ちょっと待て」

「あるいは、世界の半分まではいかないまでも飛び飛びで八分の一程度を所有するというプランもあります。主に公海中心ですが、通行料で末代まで安定した収入が──」

「ちょっと待てって言ってるだろ」

「ご不満ですか?」

「不満以前の問題だよ。何でいきなり、そんな話になるんだ」

「だって、凪さん、考えもせずに答えたでしょう。だからです。確かに、この世界にはお金が存在します。だけど、お金で買えるものは、みんな、お金で買えるんですよ。この意味をちゃんと考えてください」


詭弁だな。それが凪の素直な感想だった。


たとえ、四葉の言葉が本当で、凪がそれらの権利を有したとしても、それらは皇帝派の裏付けがある限りのものに過ぎない。彼が欲しかったのはそういう評価ではなかった。


「ボクは皇帝派の配下になるつもりはないよ」


ため息が一つもれた。


「貴方のことを見誤っていたようです、凪さん。この場面では、内心はどうあれ頷いておくべきですよ。そもそも、こちらのお願いを受ける気が無いなら、こんな所に来るべきではない。遊びではないと言いましたよね?」


四葉の目が細まる。


それだけで、彼女がまとっていた柔らかな雰囲気は消し飛んでしまう。その方がしっくり来ている己を見つけて、凪は何ともやるせない気分になった。


「分かってる」

「なら何故ですか?」

「逆に聞くけど、そのお願いを聞いた場合、ボクはどうなるのかな?」

「生命の安全は出来る限り保証しますよ。そのためにも、ことが済むまで軟禁程度は覚悟していただかなければいけないでしょうが」


”出来る限り”、”ことが済むまで”、”軟禁程度”なんとも曖昧で素敵な言葉だなと思いつつ、凪は自分の素直な気持ちを口に出した。


「ボクは取引がしたいんだ。だから、ここに来た。それだけの話だよ」


凪の言葉に、四葉が返したのは失笑だった。


「わたし達は対等であれる者としか取引をしません。そうでなけば、わたし達の値打ちが下がるからです。国すらも左右できるわたし達に、貴方個人が何を与えられるというのです?」

「それは、何も無いんじゃないかな」

「──凪さん、わたしは馬鹿が嫌いですよ」


四葉は力のある視線を凪に投げつけてきた。そこには言葉と裏腹に侮蔑の色は全くなく、怜悧な計算の影だけが存在していた。

まるで詰め将棋みたいだ。凪はそんな風に思った。


「だけど、四葉さん個人になら与えられるものもあると思うんだよね」

「情報源は光理さんですか」

「いや、考えれば分かることだよ。皇帝派が由緒ある組織なら、どう考えたって交渉の席にティーンエイジャーが一人っていうのはおかしいだろう」

「凪さんを安心させるためかもしれませんよ」

「さっきまで札束で人のほっぺた殴打してたのに?」

「流石に苦しいですか。こんなこともあろうかと上司の役の人も用意してはいたんですが、どちらにしても端から疑われいる状況ではごまかしきれなかったでしょうが」

「いちよう、ボクへの対応策が二つに割れてることぐらいは聞いてるかな」

「割れてるというほどのものではありませんよ。今更、キャスティングボードを塗り替えて得をする人間は、皇帝派の中には少ないですからね」


皇帝派は勝者であることを望まないかもしれない。だが、この「選挙」には基本として勝者が必要なのだ。


そこから自ずと彼らの戦略は見える。彼らは敗者ならないために、他の全ての候補者組織に掛け金を投入している。ならば、そこに派閥が生じるのは必然だ。


そこまで考えれば、彼女の立ち位置もまた見えてくる。イーストマンという賭け馬を失った四葉は、皇帝派内の闘争から脱落したのだ。


「この部屋を見る限り、そこまで落ちぶれているようには見えないんだけどね」

「まだ停戦も締結していない段階で、論功行賞をするほど欧州のご老人がたも耄碌してはいないということです。こちらの要請はことごとく無視なされているので、どういうお気持ちであるかは痛いほど伝わってきますが」

ずいぶんと鬱屈したものがたまっていたのか、四葉の口調は吐き捨てるような感じだった。

「四葉さんは「感染」者なんだから、別にイーストマンにこだわる必要もないんじゃないの?」

「皇帝派は欧州に起源を持つ組織ですが、近年はアメリカ支部を中心に回っていました。ですが、イーストマンの消失で組織の主導権はヨーロッパに戻りました。それが何を引き起こしたか分かりますか」

「粛清みたいな?」

「反動と言った方が正しいでしょうね。笑えますよ、色々と、色々とね」


本人の言葉に反して、四葉の口元はピクリとも動いてはいなかった。凪はやぶへびを恐れて話を本題に戻した。


「それでどうかな?」

「確かに、わたし達が担いでいた神輿の飾りは落ちてしまいました。ですが、その飾りは道で似たものを見つけたからって、簡単に付け替えられるものではありません。凪さんは、己の価値を証明することが出来ますか?」

「いちよう、最強の「感染」者を倒したことになってると思うんだけどね」

「論外ですね。神輿に成り代ろうとする人間が、前の神輿を壊したことを誇っても、誰もついてはきませんよ」

「もう答えは分かってるって顔してるけど」


凪の言葉に四葉はその笑み深めた。


「分かってますよ。凪さんにはわたしに与えられるものも何もありませんから」

「じゃあ、そういうことで」

「駄目です。言葉にしてください。そうでなければ、わたしは裏切ります」

「昨日図書館で読んだんですけど、居合いって一撃で決められないと隙が多い技術なんだって」


言葉を濁してみたのは、凪なりの何か抵抗のようなものだった。抵抗する対象が何なのか彼にもよく分からなかったが。


「レイ・ウィリアムに襲われて、まだ生きている凪さんを信用しろということですか──分かりました、その賭けに乗ってさしあげます」


賭けも何も、四葉がレイ・ウィリアムを操作している側に無い限り、どのように転んでもほぼ損の無い申し出である。しかし、彼女の表情はいたって真面目なものだった。


「それでわたしは代わりに何をすればいいんですか?」

「神輿のメッキが剥がれないようにしてくれれば、それで十分ですよ」

「つまり、放っておいて欲しいということですね」


この来る前、凪も色々と考えてみたのだが、叶えたい願いがどうにも思い浮かばなかったのだ。


「予測がついていたって顔ですね」

「「怠惰」の性をもった「感染」者はみな、そういったものだと聞いていますから。それと、神輿のメッキが剥がれないようにするのは当然の配慮です。代価のうちには入りませんよ」

「そうですか」

「ええ」


二人の間に奇妙な沈黙が横たわった。


それを打ち破ったのは、天国と地獄の着メロだった。これ幸いと、その場で立ち上がった凪がケイタイを取り出すと、光理からメールだった。


<ズボンの左ポケット>


その文章に従って、凪が左ポケットを漁ったのは、どこか思考が弛緩していたからに他ならない。通常なら、この時点でどういうものが仕込まれているか察せられる彼なのである。


荒い手つきで探られたポケットから、一つの品物が取り出された。触った時点で、それが何か分からなかった理由は伏せておくが、彼の開いた手の平に置かれたのは、いわゆる一つのゴム用品だった。


今更リカバリーなどしようもないが、凪の最大の失点は、この状況で困ったような緩い笑顔を浮かべたまま、視線を目の前にいる女性に向けたことだろう。


左側から迫ってくる手の存在を感じて、凪は思わず目をつぶった。伊達に少年ジャンプのラブコメで性に目覚めてはいないのである。だが、到来した手の平は衝撃を与えることもなく、凪のほほを優しく撫でるだけだった。


凪が怖々と目を開けると、四葉は恥ずかしそうに微笑んでいた。


「凪さんがここでいいなら、別にいいですよ」


何が、と尋ねるほど凪も朴念仁ではない。言葉にせぬまま、ゴム用品を持った手を取り替えると、四葉と同じようにゆっくりとその白いほほに手を伸ばそうとして、止めた。


伸ばさなかったわけではない。ほほに至る軌道の途中で、四葉が身をすくませたから止めたのだ。


ですよねー。というのが凪の正直な感想だった。騙されてもいいと思った己を恥じつつ、彼はなるべくハードでボイルドに振舞った。


「そういうのは止めた方がいいよ」

「違うんです。これは、そういうことじゃなくて」


凪は言い募ろうとする四葉の言葉を強引に断ち切った。


「いや、分かってるから。そんなことしなくても、ちゃんと約束は守るからさ。けど、ちょっと仕切り直そうか。今日はお開きってことで」


凪がそう言うと、四葉は何も言わずに首で肯定の意を示した。その目の端から零れ落ちそうな液体に、何とも言えぬ罪悪感を覚えて、彼は足早にその豪華絢爛な部屋を後にした。


凪の感覚では、次の瞬間には自宅の玄関だった。


居間からは「しょうりゅうけん」の声が聞こえてくる。ちなみに、凪はリュウ派である。


「おかえり、兄さん、役に立ったかい?」


たまに言ったにも関わらず、毎日めしをたかりに来る相手を凪は無言で睨んだ。何がだよと聞き返して、ナニがだよと返される一連の流れが脳裏に鮮やかに浮かんだからだ。


「そうだな、光理、何か食べたいものあるか?」


冷蔵庫から麦茶を取り出しながら、凪は思わせぶりな質問をしてみた。


「おっ、これは予想外の反応だね。お赤飯と言いたいとこだけど、オムライスかな。アレもご飯赤いし親戚みたいなものだろ」

「それ、レイシストの理屈だぞ」

「嫌だな、わたし達は人間を差別しないさ。その証拠に、こうして黄色人種の傍にいるじゃないか」

「つっこまないからな」

「安心してくれていいよ。これ以上、つっこめなんて酷なことは言わないさ。普段使わない筋肉を使うと色々と大変だって聞くしね」

「言ってなかったけど、ボク、お前のそういうところチョット尊敬してるわ」

「まっ、当然だね」

「だな」

「ところで、兄さん、飯抜きは勘弁して欲しいんだけど?」

「いや、そういうとこ尊敬してるよ。ほんと」

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