クラスにぶっちぎりの美少女が編入してきたら、色々と秩序が乱れそうですよね
ここからが本編というか、光理ちゃんを書きたかったというのが唯一の執筆の動機なので。
全体的に改行(2/8)
意識が浮上し、世界の輪郭が定まっていく。
凪が目を開けると、そこは勝手知ったる自宅のリビングで、座椅子に腰掛けた彼の前には、ゲームオーバーを告げるテレビの画面が存在するだけだった。
「夢か」
常識に考えれば、そうとしか捉えられない。凪の意識の片隅では、ペットボトルの中の麦茶が夢とシンクロするように減っていることを知らせていたが、そもそも麦茶の量を的確に記憶していたわけでもない。
凪はのっそりと立ち上がると、テレビを直操作でゲーム画面からテレビ放送に戻してみた。そこでは十時四十分という時間と共に、便利なミキサーが替え刃付きでお買い得であることが告げられていた。
自分は気が狂っているのだろうか。
凪はそう自問したが、狂っている人間は己が狂っていることを自覚できないというのはよく聞く話である。
「学校だな」
時刻はまだ昼前、家から自転車で二十分の距離に位置する高校には四時間目の前に到着できる計算である。
凪は二階にある自室に上がると、昨日の内にアイロンをかけておいたズボンを履き、Tシャツの上に学ランを直接羽織った。別に急ぐわけでもないので、窓の鍵や火元をちゃんと確認したのち、彼は玄関の扉に手をかけた。
外に出てみれば、気温は上々。そんなものがあるとするなら、遅めに学校に行くには最高に天気だと言えた。
凪はサドルに腰掛けたところで自分がカバンを忘れたことに気付いたが、めんどくさいのでそのまま自転車を発進させた。どうせ、カバンの中に入れるべきものは全て学校の机に納められているのである。
シルバーのボディと普通より底が深い籠が特徴の彼の愛車は、軽快なパフォーマンスを発揮し、予定通り二十分で校門の前まで凪を運んだ。校門前までなのは、変質者の類に備えて授業の間は学校の門という門は閉められているからである。
凪は生徒なのだし、インターフォンを押せば、全ては解決するのだが、つい三時間ほど前、三十七度五分の熱が出たと連絡を入れた関係上、大手を振って中に入れる立場でもない。
「とはいえ、学校が終わるのを待つのも間抜けな話だよな」
そもそも自分の正気を確認しに来たのだから、多少の生活上のトラブルは歓迎すべきではないか。凪はそう結論すると、インターフォンを続けざまに二回押した。
「はい?どなたですか」
校内で何度か聞いたことのある警備員の声が、機械越しに響いた。凪としては職員室に連絡がいくだろうと思っていたのだが、名前と学年を告げると、詰め所から出てきたのだろう警備員の男は、校門の脇にある勝手口の鍵を開けてくれた。
「案外、簡単に開くもんなんですね」
「君、うちの制服着てるしね。基本的には、見るからに変な人を中に入れないのが目的だから」
「なるほど」
どうやら、自分は見るからには変ではないらしい。貴重な情報に一礼すると、凪はサッカーの授業が行われている校庭の横をこそこそと通って駐輪場へと向かい、乱雑に自転車の列の中に自分の愛車を詰め込むと、鍵も掛けずに校舎の中に入った。
時間は計ったように三時間目と四時間目の間の休み時間で、凪は日常の風景に抵抗なく溶け込んいく。カバンを持ってこなかった自分の才能を絶賛しながら、彼は自分の教室である2─Dに向かった。
とは言え、教室のドアを開けた瞬間、中の視線が一気に凪に集中することは避けられない定めだ。しかし、それも彼が小さく会釈するまでの話である。何事も、日ごろの行いがものを言うのだ。ちなみに、凪のクラスでの日ごろの立場はいわゆる空気である。
今回もそれが適用されたところを見ると、あれは単なる夢オチだったらしい。凪が一人で小さく頷いていると、四時間目の教師であるハワイが入ってきた。
ハワイの本名は後藤というが、近年のクールビズの風潮を受けて、六月を過ぎるとアロハで授業をするので、表ではハワイと呼ばれている。裏ではアロハの半そでから出ている体毛にちなんでウデゲ、そこから転じてゴリラなどとも呼ばれているが、顔立ちはどちらかという狐目の四十二歳。
数学の教師であるハワイは、出席の最中に凪のところで一瞬止まったが、特に何も言わずにそのまま通り過ぎた。よく言えば自主性を重んじ、悪く言えば放任というのが、凪のクラスの担任でもあるハワイの特徴で、出席日数を数えるタイプの生徒である凪からすれば、ありがたい存在ではあった。
ベクトルをめぐる教師の声は、凪の頭をスルリと通り抜け、彼の意識の中では流れるように昼休みに至った。そこに悪魔や「一時感染」などが入る余地はどこにもない。今や凪の頭にあるのは、売店まで昼飯を買いに行くのめんどくさいなという平々凡々としたものだけだ。
「不老不死ってどう思う?」
だからこそ、凪は授業が終わり自分の席に寄ってきた本田忠臣にそんな話を振ってみたのだった。
「そうだな、俺は遠慮したいね。俺、結構生きてんの好きだし」
忠臣は怪訝な顔一つせず、さらりとそう答えた。
「相変わらず、かっこいいことをおっしゃる」
「いやいや、数年前に通った道ですよ。死を先駆するとか、そういうね」
二人してわざとらしくニヒルめいた笑いを浮かべていると、クラスメイトの木下双葉がこちらの机の方に近づいてくるのが凪の目に入ってきた。
凪の通っている高校は昔からの学ラン/セーラー服を何十年来守り通しているため、どうしても古臭い印象があるのだが、双葉のような腰まで髪がある美少女が着ると、一種のオーラのようなものが作り出されるから不思議である。
これほど多くの黒髪を頭の上にのせているとなると、普通はどこか野暮ったい印象を与えてくるものだ。だが、木下双葉という少女にただよっているのは、どこか深遠な雰囲気だった。これは彼女の顔の配置がほぼ正確な対称性を保っていることに起因している。とはいえその効果も、双葉が口を開けるまでの話ではあるのだが。
「何の話してんのー?」
「人間、死にたいときに死ねるのが一番カッコいいだろって話かな」
双葉の髪の先を自分の指にまきつけながら、忠臣は己の彼女をけむに巻こうとしたが、その試みは完全に失敗に終わった。
「意味分かんない。どうせ、ゲームか何かの話なんでしょ」
「双葉さ、お前、俺と凪がゲームの話しかしないと思ってるだろ」
「違うの?」
「木下さんは実に正しいと思うよ」
「なんだよ、凪、俺たちのペダンティックな会話を全否定か」
ガキ大将のようにこちらに闊達な笑みを向けてくる忠臣と、その後ろで冷たい視線を向けてくる双葉の間に挟まれ、凪はいいかげんに慣れたとはいえ、気まずい思いを味わった。
本田忠臣といえば、サッカー部の時期キャプテンであり、成績にも優れ、凪の学年どころか全学年で三本指に入るだろう美少女の木下双葉と付き合うほどのイケメンである。
それが凪のような、帰宅部で、成績は並かつ出席は悪く、童貞を腐らせてるような生徒と接点がある方がおかしい。そういう旨のことを双葉はかつて本人がいる前で忠臣に言ったことがあったし、凪もその意見に特に異論は無かった。
実際、忠臣の凪への興味は、彼が同人系シューティングにはまっていた時期に生じたものに過ぎず、熱しやすく飽きやすい彼のこと、しばらくすれば自然消滅するはずのものだったのだ。
しかし、双葉がそんなことを言ったものだから、女に男の友情の何が分かると意固地になった忠臣は、彼女に見せ付けるように凪との友人関係をかれこれ一年以上続けている。続けてしまえば、シューティングくらいしか趣味がなく帰宅部で時間に余裕のある凪は、忠臣の薦める品々を享受して、趣味が合う友人もしくは舎弟というポジションにいつの間にか収まってしまっていた。
「今日だって、ゲームしてて午前中の授業出なかったんでしょ。睦月くん、おかしいよ。そんなにゲーム好きなら、ずっとゲームしてればいいじゃない。どうせ──」
「どうせ?」
凪は手のひらを机に軽く叩きつけると、口をひきつらせた双葉に続きを言うように促した。だが、双葉は凪の方をきつく睨み付けると、それ以上は何も言わず教室から出ていってしまう。
「追わなくていいの?」
「あれは双葉が悪いだろ。とはいえ、俺の彼女を脅すなよ」
「うん。ごめん」
「双葉にはお前が顔を真っ青にして謝ってたって伝えとくよ」
「土下座して靴を舐めんばかりの勢いだったと伝えて下さい」
「お前な、双葉のこと、どんだけ馬鹿だと思ってんの」
「馬鹿って、そんな、むこうの方が明らかに成績いいし」
忠臣の目がすっと細まった。
「真面目なとこよ。真面目なとこ」
「よく惚れた方が負けっていうでしょ」
「師匠、その手のゲームもおやりになるのですか」
「ヘイ、兄弟、かまととぶるなよ。なのに敗者の役やってるから、馬鹿だなって思うわけなんだけど」
「童貞乙」
「実はボク、もう魔法が使えるんだ──」
「負けてますかね、魔法使いさんから見るに」
凪は何も言わなかった。
「ところで、一年のクラスに転入生が入ってきたらしいぜ」
「へえ、五月ってちょっと半端だね。帰国子女とか、そういうのかな」
「ずばり、それよ。日本と北欧系のハーフだったかな」
「女?」
「何だよ、魔法が使えなくなるぞ」
「そっちこそ、木下さんに愛想つかされるんじゃないの」
「いや、まあね」
忠臣は自分の彼女が出ていった扉の方に少しだけ視線をやった。十中八九で演技なのは分かっているが、それでも万が一を考えたくなる無駄な演技派。それが本田忠臣という男だった。
「すいません」
「いや、謝られても。しかし、お前知らないのか。紹介してもらおうと思ったんだけど、あてが外れたわ」
「普通に考えて帰国子女とボクに接点とか無いと思うんだけど」
「いやな、睦月って苗字らしいんだよね、その子」
知ってる、そのパターン知ってると凪の脳内は半狂乱に陥ったが、冷静な方のもう半分は更なる情報を求めた。
「へえ、下の名前は何って言う──」
「言うまでも無く、光理ちゃんさ。」
先ほど双葉が去ったドアからババンという感じのポーズで登場したのは、凪の予想通り、先ほどの夢に出てきた銀髪の少女だった。
「いやぁ、はとこ君、挨拶が送れてすまないね。とはいえ、ローマでは、ローマ人のようにというやつさ。周囲の人間が良くしてくれてるのに、それを断って、はとこ君に会いに来るにも違うかなと思ってね。」
周囲がざわつくのも気にせず、光理は凪たちの方に近づいてくる。ちなみに、凪の席は廊下の側から二列目の最後尾なので、逃げる余裕は全く存在しない。
「なんだよ、やっぱり知り合いなんじゃねえか」
凪は忠臣に小突かれながら、無駄な努力なのだろうと予期しつつ、目の前まで来た少女に抵抗を示してみることにした。
「いや、ボクにハーフのはとこがいたなんて初耳だよ」
というか凪としては、キャラがさっきと違うだろとよっぽどツッコミたかったが、そんなことをしたら墓穴なのは分かりきっている。ここは他人の振りをするのが最善の策だと彼は判断した。
「貴方の魂に処置を加えた際、色々と流れ込んできましたよ。たとえば、そこのご友人のこととか」
耳元で囁かれた言葉に、凪はすぐさま方向転換を敢行した。
「ぶっちゃけ、ボクの知り合いが無いじゃない方がいいかなと思ったんだけど。いらない気遣いみたいだったね」
「お前、それは流石に卑屈過ぎんだろ」
忠臣は顔をしかめたのを見て、凪はそれ以上は何も言わせないまいと、即席で設定をでっちあげる。
「それだけじゃなくて、ボクを窓口にして、みたいなのもめんどくさいというのもあるわけですよ。実際、ボクと血縁があるとは思えないレベルでしょ」
初めて見たときは、思わず凪にバットを取らせた光理の容貌ではあったが、落ち着いてみれば、その白く透き通る肌に、確かな意志を感じさせるパッチリとした茶色の瞳。西洋の血を感じさせるながらも何処かに柔らかさを残す彫りを備えたその小さな顔は、まず間違いなく見目麗しいものだと言えた。とはいえ、それは美的観点であって、凪の好みはまた別のところにある。
「お褒めにいただき光栄だけど、そろそろ、はとこ君、君の友達を紹介しておくれよ」
「これは失礼。俺の名前は本田忠臣、運動部系にはそこそこ顔が利くから、何かあったら相談してよ」
「これはご丁寧に。睦月光理です、はとこ君とは、はとこの関係に当たります」
そういう光理は、いかにも外国人がしそうな変なお辞儀をした。両手を前で合わせながら、頭を下げるというアレである。
「帰国子女って聞いてたけど、日本語はほぼ完璧だね」
「そう言ってもらえると嬉しいけど、はとこ君には駄目出しされるし、変だったら正直に指摘してくれた方が嬉しいかな。本田さんが良ければだけど」
「分かった。それと忠臣でいいよ。結構、好きなんだよね、下の名前で呼ばれんの」
「確かに、美しい響きだ。改めてよろしく、タダオミ」
「いい娘じゃんか、凪」
「否定はしないよ」
「はとこ君は、わたしに厳しいな」
「えっと、睦月さん、そのはとこ君っていうの、ちょっと変かな」
「光理でかまわないよ。同じ苗字が二人いると紛らわしいだろ。しかし、そうすると何と呼ぶべきかな」
「呼び捨てでいいじゃないの。親戚なんだし。凪もそれでいいだろ?」
「別に何でもいいよ」
「じゃあ、兄さんって呼んでもいいかい。昔はそう呼んでたわけだし」
「おい、何だよ。そのハートフルなイベント。俺にも分けろよ」
一人で盛り上がる忠臣をよそに、凪は光理を殺すつもりで睨んだが、笑顔でいなされるだけだった。
今まで誰からもそんな風に呼ばれた記憶はなかったが、逆に言うなら何の思い入れもない呼称ではある。妙に嫌がるのも変な話だし、周囲から聞こえてくる男陣のざわつきが少しばかり優越感をくすぐりもする。
「好きにすればいい」
「で、兄さん、お昼まだだよね。一緒に屋上で食べない?」
「クラスのやつと食べればいいだろ」
「ここにいる時点でもう背水の陣というやつなんだけどね」
何のつもりだ。そう凪は相手の耳元で囁いた。
「正直、殿方のアプローチが少々露骨でして。クラスの力関係を見るに、わたしが席を外すのが最良と判断しました」
人外のくせに空気が読めるんだなと妙に関心してしまったこともあって、凪は屋上に付き合うことにした。別に光理が調子に乗って買い過ぎたと自称するやきそばパンに買収されたわけでは、決してない。本当に。
「こういう日は、屋上で食べるに限るよ」
忠臣は横どころか先頭を切って昼食を共にする気満々という按配だった。
屋上への扉を開けると、そこには四,五人のグループがちらほらと陣取っていた。人口密度の薄さからすると、屋上はあまり人気の無いスポットにも見えるが、実際は逆である。
一年は暗黙の内に利用を制限されているし、二年でも先輩から認められた人間しか使えない雰囲気だし、三年になったからといって急に利用し出すのはダサいのである。結果として運動部の中心選手、生徒会の関係者、もしくは人気のある生徒しか利用出来ない場所、それがこの学校の屋上だった。
忠臣は慣れたもので、すぐに知り合いを見つけると、二、三会話を交わし、手に新聞紙をもって凪たちのところに帰ってきた。
凪はともかく、女子生徒である光理は地面に直接座るのは抵抗があるだろうという配慮である。これじゃあ双葉の気苦労も耐えないはずだと思いながら、凪はありがたくその一枚を尻の下に引いた。
「どう、馴染めそうな感じ?」
忠臣は、いかにも運動部という感じの大ぶりの弁当箱の中身をガツガツ食べながら、光理に質問を向けた。
「ちょっと男子の勢いに押されちゃったかな。ハーフが珍しいことなんだろうけど、うちの国ではそこまでグイグイ来る人はいなかったから」
「それは意外だな、光理ちゃんほどの美人なら、むこうでも人気者なんだと思ったけど。それとも美人過ぎて浮いちゃったとか?」
「褒めてくれるのは嬉しいけど、北欧は美人の産地で有名だからね。わたしの位の顔はいくらでもいるのさ」
自分が美人であることは否定しないのだなと、凪はやきそばパンを頬張りながら内心でツッコミを入れた。とはいえ、隣でやきそばパンを小動物のように小さく食べる人外が、一般的な見地からすると可愛らしいものであることには凪も異論は無かった。
「そいつは凄いな。光理ちゃんなら日本で読者モデルくらい余裕だと思うよ。是非とも言ってみたいね。その国に」
「今の言葉、木下さんが聞いたら怒るじゃないの。二重の意味で」
「お前な、いきなり内輪ネタを振るなよ。ああ、木下っていうのは俺の彼女で、いちよう駆け出しの読者モデルやってるんだ」
「いや、内輪ネタっていうか、そっちの背後から木下さんが来るんで、軽く関係性を説明しとこうかと思ったんだよね」
実際、双葉は不機嫌さを隠しもせずにやってきていたのだから、凪からしてみれば根拠の無い発言ではなかった。むろん、その機嫌の悪さの原因は、忠臣の発言ではなく凪の存在であることくらいは察してはいた。
「何してんのー」
双葉は忠臣の首に手を回し、その背中にしなだれかかった。これが先ほどまで「兄さん」発言で悶えていた男の実態なのだから、日本における「妹」病の根は深い。
凪は忠臣の死角からこちらにガンをくれて来る双葉という過酷な現実から逃避するため、そんなことを思った。ある種の人間なら金を出すシチュエーションなのかもしれないが、そこら辺、凪はノーマルな性癖だった。
「見れば分かるだろ。飯食ってんだよ。転入生への歓迎会も兼ねてな」
「転入生?」
双葉は不思議そうな声でいった。おそらく、この瞬間まで忠臣をのぞけば、凪しか目に入っていなかったのだろう。
「挨拶が送れて申し訳ない。今日、一年C組に転入してきた、睦月光理だ」
彼氏の背中から一度離れると、双葉は光理の方に目を向けた。そして、その表情は一瞬のうちに怪訝そうなものへと変化する。
「睦月?」
「凪のはとこだよ。北欧からの帰国子女だそうだ」
「何かの冗談でしょ?」
双葉は確かめるように凪の方に言葉を向けた。これは凪たちが二年に上がってから始めての出来事にあたる。
よっぽど意外だったらしいと思いながら、凪は適当に答えた。誠実に答えたくもあるが、突如、家に現れた悪魔ですと言ったら更に嫌われるだろうから、仕方が無い。
「ボクもこないだまで知らなかったけど、いたらしいよ。北欧に親戚が」
凪の回答を聞いているのか、双葉はぶつぶつと小声で何かを呟いていたかと思うと、光理の方へと近づいていった。
「その髪、どうやって染めてるの?」
「地毛なんだ。父から遺伝したのはこの髪くらいで、後はいかにも東洋系だから、そう思うのも当然だろうけど」
光理はそう言うと、無造作に自分の髪を一本抜いて双葉に渡した。渡された方はその毛を凝視したままピクリともしなくなった。
「おい、何してんだ、双葉」
忠臣の声で我に返った双葉の目には、何故か涙が溜まっていた。
「だって本当に地毛なんだもん」
「そりゃ、嘘付く必要無いだろうよ」
「うん、そうだよね。ごめんなさい、わたしちょっと用事思い出しちゃった」
それだけ言うと、双葉はそのまま三人の元を離れて屋上から出て行ってしまった。
「何だ、あれ?」
「彼氏に分からないことがボクに分かるはずないと思うけど」
「悪い。今度はちょっと気になるわ。光理ちゃんも御免ね」
忠臣は一気に残りの弁当をかきこむと、双葉を追って足早に屋上を去っていった。
「どうやら、怪しまれてしまったようだね」
「むしろ、今まで怪しまれなかった方が驚きだろ」
「人間は、自分の信じたいものを信じる。わたし達からすれば、好ましい形だよ」
「食べ終わってからでいいよ。そういう話は」
「了解」
ペースを上げて光理はパンを頬張りはじめたが、いかんせん一口あたりが小さい。凪は雲などを眺めながら、今頃あっちはキスとかしてるんだろうなとか下世話なことを思った。
「どこから話そうか」
取り出したティッシュで手を拭きながら、光理は改めて会話をスタートさせた。
「その制服は、悪魔パワーか何かでちょろまかしたと考えておけばいいの?」
「悪魔パワーね。そういう呼び方は始めだけど、概ね間違ってはいないよ。とは言っても、わたし達に出来るのは誰かの願いを叶えることだけなんだけどね」
「誰だよ、そんな迷惑なことを願ったのは」
「誰って言うより、全校生徒の”退屈な学園生活を吹き飛ばすような何かが起こればいいのに”って願いの隙間に入り込んだのが、今のわたしって感じかな。そういう意味で今の世界は便利だね。一昔前は名だたる宗教施設の中でしか、ここまでの具現化は出来なかったから。逆にいえば、それだけ個々人の願いの質が深まったとも言えるんだけど」
「パスとやらはもう通ったと考えた方がいいんだよな」
「モチの、ロンさ。しっかりきっかり、兄さんと■■の間にはパスがつながってるよ」
「もうボクの願いも叶ってるわけだ」
「そういうことになるね。だけど出来ることなら、願いについての詳しい言及は避けさせて欲しいんだ。「感染」によって叶えられる願いというのは移ろいやすいものでね。特に最初の一回目は不安定なのさ。こっちの発言で、兄さんの願いの形をゆがめてしまうのは本意ではないし」
「こっちだって全体的に本意じゃないけどな」
「願いが叶っているのにかい?」
凪はその質問を無視した。話合っても無駄なことは先の会話で分かりきっている。
「まったく先の展開が読めないんだけど」
「近日中に、「選挙」の参加者から何らかのアプローチがあるんじゃないかな」
「何らかのアプローチって、要は殺しに来るってことだろ」
「その可能性はゼロじゃないけど、兄さんがすぐに殺される可能性は低いと思うよ」
凪としては一厘でも可能性があるなら、そんなものに関わるのは辞退したかったが、ここは飲み込むことにした。
「そもそも、その「選挙」の参加者からするとボクはどういう風に見えるんだ?」
「うーんと、もしスカウターを兄さんに向けたら、爆発するって言ったら理解してもらえる?」
「それはまた物騒だな」
「「感染」者は魂が願いを叶えていく内に変質するものなんだけど、その性質を利用して参加者を探索したり、力の強さを測ったりするポピュラーな技法があるのさ。だけど、擬似的な「感染」者である兄さんに使うと測定不能って出る感じかな。タネが割れない限り、兄さんが自身の力で探索を避けてるように外からは見えると思うよ」
「いやな予感がするんだけど、それは一般人と結果が違うってことか?」
光理はその質問に小さく頷いてみせた。凪には、その首のかすかな動きが、ギロチン台の刑吏に処刑を促す上官のそれのようにすら思えた。
「たぶん、今頃は発見されて、今後の対策が練られているんじゃないかな。彼らが悪夢にまで見た最後の「感染」者がついに舞台に上がってきたわけだから」
「どう考えても、死亡フラグだろ、それ」
光理は肩を落としている凪の様子を見て、理解出来ないという風に首を振った。
「そんなに嫌なら、ケイタイで今すぐどっかの掲示板に、■■の居場所の情報でも書き込むといいよ。五分後には世界各所から核ミサイルが病院めがけて発射されるはずさ。その後処理で三ヶ月ぐらいは時間が稼げるだろうし」
「スケールが急に大きくなり過ぎだろ。っていうか、核で死ぬの。不老不死なのに」
「一般的には死ぬね。さっきも言ったけど、多くの場合、不老不死と言ったって生命活動の長期化程度の意味しかないのさ。彼らは人間のまま永遠に生きたいと望んでるだけで、核の直撃にも耐えられるような存在になってまで生き続けたいかと問われれば否と答える。「感染」はそこら辺の機微を捉えるからね」
「だけど、何事にも例外はある。「完璧な不老不死」か」
「まっ、そういうことだね。「いと深き怠惰【スリーピングビューティー】」なんてお洒落な呼び方もあるみたいだけど、うちの■の力は前代未聞だよ。おそらく、ビッグクランチにすら──おっと、兄さんが能力を発現させるまでは、こういう話は避けるべきだったかな」
光理は右手の親指と人差し指をくっつけ、それで己の口の右端から左端までをさっとなぞった。いわゆる、お口にチャックのジェスチャーである。
「うぜぇ。どっちみち、ボクのそれだって想像はつくさ。魂からパスを通して云々って言うんだ。能力とやらだって依存するに決まってる」
「それについては答えられないということにしておいてよ。お試しになりたいというなら、あえてお止めはしませんが」
遠慮しておくとジェスチャーで返すと、凪は一番気になっていたことをたずねた。
「それで、君は何でそういう形でここにいるんだ?君のような存在に兄さんって呼ばれて、愉快な学園生活を送るのがボクの願いって訳じゃないんだろ」
その問いに光理は苦笑を浮かべた。
「これはまた、答えにくい質問だね。そう聞かれたら、答えられないとしか答えられないよ」
「まあ、いいけどね。どうせそっちの言うことを信じる気もないから」
「それは残念。わたし達は人間に害を与えるように出来てはいないんだけどね」
凪は光理の方に白けた目を向けた。その「害」の定義が人間とズレれていたら何の意味もないのだ。
「ボクのこと、どんだけ馬鹿だと思ってんの?」
凪は伝わらないと知りつつ、先ほどの忠臣と同じ質問をしてみた。
「それもまた答えるのが難しい質問だね」
「だろうな」
心底興味無さそうな凪の返事を聞いて、光理は小さくため息をついた。いつの間にか、元々まばらだった屋上の生徒たちは更に数を減らしていた。昼休みの終わりが近いのだ。
「──わたしのこと嫌いかい?」
「少なくとも、顔は好みじゃないかな」
それだけ言うと凪は立ち上がり、尻に敷いていた新聞紙を四つ折りに畳むと、光理の方に改めて視線を向けた。
しょんぼり。そんな形容詞があまりにもぴったりはまる光理の姿に、凪は自分の髪を両手でかきむしった。
「こんな馬鹿げたこと、さっさと終わって欲しいな。どれ位かかるか知らないけど」
「もしかしたら、もう終わるかも」
「えっ?」
太陽が雲に隠れたようだった。
── |I committed my soul and spirit into the forging and tempering of the steel(我、この魂を鋼に捧げる)
凪の脳内に何かが過ぎった次の瞬間、屋上にソレはいた。
凪に理解できなかったことは複数ある。まず、ソレは明らかについ先ほどまでいなかったにも関わらず、彼の前方1メートル弱に見間違えようもなく立っていたということ。
次に、ソレの頭には金髪碧眼の中年男性の顔が乗っているにも関わらず、着ているのが時代劇で侍が着ているような茶色の着流しであるということ。
加えて、この椿事を一緒に共有してしかるべき、屋上に残っていた生徒たちが光理をのぞいていつの間にかいなくなっていたこと。
そして何よりも、その右手にはむき出しの直刀が無造作に握られていた。にぶい光沢を放つその刀を見た瞬間、凪は激しく勃起していた。全身が生命の危機を感じ取ったからだ。
──|Its cold blade(そこに生の息吹はなく)
「兄さん、気をつけた方がいいよ。ここまで「感染」が深化すると、「切れないもの」を数え上げた方が早いから」
立ち上がった光理を庇うようにしながら、凪は搾り出すような声で問いかけた。
「何だよ、あの変質者」
「分かってるだろ。「選挙」の参加者だよ」
「お前、俺が殺される可能性は低いって言わなかったか」
「可能性は可能性だよ。原発だって酷いことになっただろ」
──|its matchless edge(何もそれを妨げはしない)
相手を刺激しないように小声で会話を続けながら、凪たちはジリジリと入り口の方へと向かお
うとする。幸いなことに、右手に刃物を掲げたままソレはこちらをぼんやりと見つめるだけで、何かをしてこようとはしなかった。
凪たちが後退を始めて三分が経った。凪たちの一メートル先には相も変わらず、ソレが立っていた。ソレが凪たちとの距離を詰めたのではない、凪たちがいくら後退してもソレとの距離が変わらないのだ。
「こりゃ、詰んだね。どういう理屈か知らないけど、完全に空間が断裂している。相手が許してくれないと、離れることすら覚束無いよ」
「どうすればいい」
「戦うしかないんじゃない。見るからに一騎打ちが好きそうな姿じゃないか。攻撃してこないのも、そういうことなんだろうし」
「無茶言うなよ。こっちは素手だぞ」
「それなら、何か出そうか?」
「そんなことしていいのか」
「相手への直接攻撃は流石に出来ないけど、それくらいなら別に問題無いよ。わたしと兄さんの仲じゃないか」
「じゃあ、あいつに勝てる道具を出してくれ」
「あの侍もどきに勝てる道具であれば何でもいいのかい?」
「ああ、何でもいいさ」
「じゃあ、なるべく、兄さんのイメージに沿って、タングステン合金棒にしとこうかな」
「棒?拳銃とかの方がいいんじゃないか」
「銃の訓練を一度も受けてない兄さんが、相手に当てられる自信があるなら、それでもいいけどね」
「──棒でいい」
「懸命な判断だと思うよ」
そう言いながら光理がどこから取り出したのは、30センチほどの長さの棒状の物体だった。
「重いから気をつけてね」
光理が片手でもっているのだからたかが知れている。そう思って、棒を片手で受け取った凪は、その予想外の重さに、慌てて両手でそれを掴み直した。
「何だこれ、凄い重いぞ」
「だから言ったじゃないか。金と同じくらいの重さだからね。それでいわゆる金塊の半分くらいの重さかな。」
悪魔パワーの存在を忘れていた自分に舌打ちをしつつ、凪はそれをしっかりと握り直した。そうしてみれば、その重さが逆に心強くもある。
「これを使えば、あいつに勝てるんだな」
「何せ、それは世界一硬いと言っても過言ではないタングステンからなる合金だからね。兄さんが上手く使えば、あの侍もどきにだって勝てるさ」
その言葉を信じて、凪は目の前にいる化け物と向かい合う。問題になるのは、両者の間に横たわるリーチの差だ。ソレの右手の刃物はおよそ凪の棒の三倍の長さを持っている。つまり、凪が攻撃可能になる遥か以前から、一方的に攻撃出来るということだ。
これをどうにかしないと凪の勝利は絶対にありえない。そこまで考えたところで、彼は一つの解答にたどり着いた。
凪は両手で持った棒を、頭上付近まで持ち上げ、いわゆる上段の構えを取った。その動きに呼応するように、ソレもまた右手の刃物を天高く掲げる。
まずは一歩測るように右足を前に出すと、凪はそのまま両腕の力を込めて、握った棒をソレ目がけて投擲した。
そもそも剣術の真似事をするなどという発想が間違いなのだ。相手が何であれ、凪より剣に親しんでいることは疑いようがない。ならば、同じ土俵の上に乗るなど愚の骨頂である。この発想の果てに、銃は刀を戦場から排斥したのだ。
「さすが、というべきかな」
光理は関心したというように、くるくると回転しながら飛んでいくタングステン棒に視線を投げた。棒のゆく先には、天高くに刃物を掲げたままピクリとも動かない化け物が待っている。
「もう切らなくても、切れるらしい」
──the curve of its back, uniting exquisite grace with utmost strength(切り結べ、鬼丸)
凪はまた脳内に何かが通り過ぎたと思った。
それが間違いだと気づいたのは、自分の視点が左右でずれ始めたときだった。つまり、何かが通り過ぎたのは脳内ではなく、彼の身体を一つの斬撃が通り過ぎていたのだ。
世界一硬いはずの合金が宙で二つに斬り分けられるという不条理。
それが凪が死ぬ前に認識した最後の現実だった。
呪文って、何だよ。自己暗示説とか信じてるわけでもないだろと自意識が囁いていたのですが、無いと無いで間抜けなので、武士道など加筆してみました。




