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突然、見ず知らずの少女が目の前に現れた撲殺しませんか?

改行など入れてみました。(2/8)

朝の十時二十四分。


GWが終わり全てがもう一度始まりなおす五月のある日、寝巻き代わりの黒のスウェットに身を包んだ睦月凪は自宅のリビングで「極殺兵器」との幾度目かの逢瀬を始めようとしていた。


右には麦茶が入った2リットルのペットボトル。

左には袋を完全に開けられたのり塩味のポテトチップス。

しりの下には連休前に通販で買ったクッションの効いた座椅子。


凪の中では、ゲームを楽しむにこれ以上の配置はなく、必然プレイの質も向上すると言いたいところだが、物事はそれほど単純にはいかないものだ。事実として、今朝の三回のトライの内、最初の二回はこの頃ではついぞしなかったような地点での被弾によって、早々にリスタートがかけられていた。


現在プレイ中の三回目にしても、凪の理想からすれば道程で一機減らし過ぎなのだが、今日はそんなものかと妥協しただけなのだ。自分ではヌルいなと思うし、ネットを見れば実際そうだが、一般人には引かれるレベルでのゲーオタというのが、凪が自分に与えたそこそこ客観的な自己評価だった。


彼の目の前の40インチのテレビの中では、ちっぽけな機体が迫り来る弾幕を小刻みな動きでいなしている。


「三機残しか」


まさに発狂しかからんとする「極殺兵器」を眺めながら、今日の調子を勘案して、凪は少し先の未来を予想した。だが二秒後、その予言は脆くも崩れ去ることになった。


「どうも、御初にお目にかかります」


回避の失敗をつげる効果音が、フローリング敷きのリビングに響き渡った。

ミスの原因は、眼前に何処からともなく出現した人影によって、凪のプレイが完膚無きまでに邪魔されることになあった。


「邪魔」


凪はそう言って片手で目の前のものを振り払うように数ほど回手を動かす。


「これは、今まで経験したことのない反応が来ましたね」


先ほどと同じ効果音がまた発生した。

目の前で浮遊している銀髪の少女めいたものをじっと眺めながら、凪はもう一度口を開いた。


退()け」

「なるほど、取り乱してるんですね。理解します。どうでしょう?ここは一つ大きく深呼吸をしてみては」


凪は大きく息を吐くと、胡坐で痺れた脚をものともせずリビングの扉の方へと歩き出した。


「まさか、無視ですか?それは流石にどうかと──」


扉を開け、廊下に出ると、凪は迷わず玄関の方へと足を向けた。そして、玄関の横に数年来放置されていた金属バットを掴むと、彼は可及的速やかに リビングへと駆け戻った。


「あっ、戻ってこられたんですね」


フルスイング。


潰れた音と潰れたような声を出しながら、それはゲーセンにあるパンチ力測定器のような軌道で、フローリングの床にしたたかに叩きつけられたように見えた。反動で跳ねたそれがゲーム機本体を巻き込み画面をバグらせたのを見て、凪は忌々しそうに舌を鳴らした。


「出来のいい幻覚だな」


凪はゲーム機を守るため、それの肩らしきものぐらいまである銀髪めいたものを右手で無造作に鷲づかみにすると、リビングの端の方まで引きずっていこうとした。しかし、150センチは確実にある人間状の物体はそうそう簡単には動かせなかった。驚いたことに、この「幻覚」には重さがあったのだ。


凪は諦めて一度バットを壁によりかからせると、小刻みに痙攣を繰り返す「幻覚」とフローリングの床の間に手を入れ込み、何も巻き込むものがないリビングのすみまでその「幻覚」を何度も何度も回転させた。


その作業が終了すると、凪は右手で自分の額をぬぐった。思わぬ労働に、軽く汗がにじんでいたからだ。


カーテンの隙間から窓の外を覗けば、五月の太陽が彼を祝福するかのように雲の合間から出ようとしているところだった。


「ごげぇ」


何故か知らないが、凪の足元から奇怪な音が響いてきた。


台無しである。


彼はため息をついてバットを再び手に取ると、大上段から頭によく似た形状をした何かに、

一発、

二発、

三発。

凪はそれが生意気にも脳みそめいたものや液体めいたものを流出させているのを認識して、何かイラついたのでやわらかそうな腹じみた部分を力の限り蹴り飛ばした。


くの字のまま少女風の「幻覚」がピクリとも動かなくなったのを認識すると、凪はそれに吐きかけようと口に唾を溜めたそのうち消えるだろう幻と違って、自分の唾は吐けば自分で拭き取らねばならない。理性的に考えて、これは明らかに馬鹿げた行為だ。ごくりと喉を鳴らして唾を飲む込むと、彼は血液めいたものが付着したバットを玄関に戻すために歩きだした。


やはりと言うべきか、玄関横に置かれたときには、バットには赤色の染みなど何処にも付着していなかった。


「お手玉ってAmazonで売ってるのかな」


自らのゲーム脳に恐怖しながら、凪がリビングに戻ってくると、、床に残っていたのは彼が先ほどの狂行の最中に踏み潰したポテトチップぐらいだった。


そして、それは傷一つない姿でリビングの中央に浮いていた。


「もう少し常識的な対応をお願いできませんか?」

「そんな格好をしたやからがよく言うよ」

「やっと会話が成立しましたね」


全身レザー仕様の、どうやって脱ぐのか見当もつかない黒革のボンテージスーツに身を包んだ浮遊物体が、小さくガッツポーズをするのを眺めながら、凪は足元で倒れていたペットボトルから麦茶をの喉に直接流し込んだ。


自分は発狂したらしい。


喉をすべり落ちる麦茶の感覚を楽しみながら、凪は自分の状態を受け入れることにした。先ほどから、そんな気は薄々していたのである。


「レディの前で、その振る舞いはいかがなものかと」

「人の家で浮いてる存在に、マナーをとやかく言われたくないんだけど」

「地に足を付けろと言うなら、付けてもいいんですが、土足ですよ?」


その言葉通り、それは膝まであるレザーブーツを着用していた。空が飛べる存在が靴を履く理由を考えかけて、凪は自分であまりの下らなさに小さく笑ってしまった。理由などあってないようなものなのだ。


「変なことを気するんだな、妄想のくせに」


しみじみと発せられた凪の言葉に、それはぽかんとした表情を見せた。


「信じられない。わたしのこと妄想だと思っていたのに、あんな暴力を振るったのですか?」

「自分の妄想くらい自分の好きにさせて欲しいもんだけどな。なんか顔がむかついたんだ。今も軽くむかつくけど。しかし、妄想じゃないとすると、譫妄の類か」


精神科って近くの総合病院ならあるよな。凪が思案していると、それは再び彼に話しかけてきた。


「残念ですが、それも正解とは言えません」


それは空中で器用にブーツを脱ぐと、凪が先ほどまで腰掛けていた座椅子の上にゆっくりと着陸した。膝の上にブーツを丁寧に置いてこちらを見てくる自称・非譫妄を見下ろして、凪はいつも自分で切り揃えている髪を両手でかき上げた。


「理屈が合わない。もしも、これが現実だったら、死んでなかったら嘘だろ」

「嘘だろ、って言われましても、アレくらいでは死なない仕様なもので」

「つまり、悪魔だから死なないと、そうおっしゃりたいわけですか?」


揶揄するような意地悪い問いかけを歯牙にもかけず、悪魔と呼ばわりされた存在は小さく頷いた。


「悪魔ですか、大枠では間違っていない言えるかもしれません」

「その格好で天使だと言われたら、そっちが妄想じゃないと認めても良か──」

「じゃあ、天使ということで」


コンマ一秒とかからない即答だった。


「おい、適当だな」

「そもそも、この服装自体があなたのイメージに準拠した適当なものなわけでして」


その言葉を少しばかり思案して、凪は一つの結論に到った。結局、最初の仮説が正しかったわけだ。


「なんだ、やっぱりボクの妄想なんじゃないか」


嘆かわしい。そう言わんばかりに、天使ということになったものを首を振ってみせた。


「そこで自分より高位の存在に想像がいかないとは、話には聞いていましたが、しばらく来ない間に、こちらは随分と様変わりしたものですね」

「ボクにボコられといて高位の存在も何もあったもんじゃない気がするけど」

「それは逆です。あなただって子供が自分にじゃれてきたとき、自分に害が無ければ、されるがままにするでしょう」


凪にはその例えにはいまいちピンと来なかったが、相手が言わんとすることは分かった。そして、遅まきながらに自分に分かりにくい比喩を駆使する目の前の存在に注意を向けた。


「妄想じゃない?」

「どうやら、やっと分かってもらえたようですね。実際のところ、あなたがわたしを妄想だと断じるのも理解できないわけではありません。なにせ、この格好ですから」

「趣味が悪いな」


凪は我ながら負け台詞のようだと思いつつ、短くそう言い捨てた。とはいえ、目の前のものが妄想である可能性を完全に捨てたわけではない。突如、自分の前に悪魔が現れるのと、自分が唐突に発狂したの、どちらかがより受けやすいか考えがまとまらなかっただけの話である。


「それは同感ですが、この格好も本題と無関係というわけでもないので我慢して頂けると幸いです」

「本題、ね。願い事でも叶えてくれるのか?」

にたり。凪の目の前で、それはそうとしか表現できない動きで口の両端を吊り上げた。

「いえ、願いは既に叶っていますよ」

「おまえ──」

光理(ひかり)と呼んでください」


顔をひきつらせた凪を手で制して、光理と名乗った存在は静かに言葉を続けた。


「本来、こういった場合はそちらに命名してもらうのが慣例ですが、あなたに任せると少々困ったことになりそうですから」

「でさ、肥溜(こえだめ)

「ひ か り」


二人はしばらく見つめ合ったが、先に折れたのは凪だった。彼にしても特に相手を罵倒して興奮する趣味があるわけではないのだ。


「分かったよ、光理。で、さっきのはどういう意味だ?」


凪は光理に恫喝めいた視線をぶつけてみた。しかし、次に光理から発せられた声を聞く限り、彼のつつましい努力は無駄に終わったようだった。


「質問に質問で返すようで恐縮ですが、あなたには自らの魂と引き換えにしてまで、叶えたい願いがありますか?」


空から金が降ってくる。ハーレム生活。世界皇帝。次々と脳内にテンプレ的なフレーズが浮かんだが、凪にはどうにもピンとは来なかった。


「正直、よく分からないかな。そりゃ、ボクだって楽して暮らしたいけど、魂を犠牲にする必要があると言われると」

「つまり、それが問題なわけです。”顧客は何を欲しいのか知らない”ですよ。金が全てだと嘯く人間が愛を求め、世界平和を口にする人間が実は圧倒的な力を欲している。付き合わされるこちらはいい面の皮です」

「だけど、取引なんだから、相手の願いを叶えれば、それで魂は手に入るんだろ」

「言ってしまえば、不味くて喰えないんですよ。真の望みを叶えていない魂は」


誤魔化された。凪はそう思ったが、特にツッコミもしなかった。魂についての真偽なんて大そ

れたものは彼の手にはあまる。どんなブラフを掴まされても判断できないのだから、とりあえずは相手の言う任せようという判断である。


「で、それがボクと何の関係があるんだよ」

「いや、特に関係はありません」


光理はそう言いながら、悪戯っぽく笑ってみせた。


「ただね、わたし達はそんな人間に対応するために色々と努力をしてるわけです」


そこまで聞いて、凪の頭の中には一つの可能性が閃いた。彼としては思考を誘導されたようで気に喰わなかったが、ここで躓いても面倒なだけなのは分かりきっている。


「マーケティング?」

「そういう表現も可能でしょうね。わたし達は一定期間ごとに、こちらでは「一次感染」と呼ばれている現象を起こします。この現象に巻き込まれた人間は自らの魂の真なる願いを叶える力を与えられます。そして、わたし達は彼らの営みを観察することによって、今後の参考にするというわけです。さしずめ、DIYの精神とでも言うべきでしょうか」

「そんな便利なことが出来るなら、いちいち手間をかけなくても、全部それで叶えればいいじゃないか」


光理はゆっくりと首を二度横に振った。それだったらどんなに楽か。彼女の仕草は雄弁にそう語っていた。


「あなただって、日々の食事に十万円の金貨を使ったりしないでしょ」


悪魔なのにみみっちいことを言ったものである。かつて触れるもの全てを黄金に変えたという王の説話は何だったのだろうか。その所帯くささが、逆にある種の真実味を感じさせなくもない。


だが、やはりというか、この話は自分に都合が良すぎるというのが凪の正直な感想だった。突如現れた美少女に自分に特別な力があると告げられる。どう考えても夢オチと見るのが現代学生の心得というものだ。


「話から察するに、ボクは既に「一次感染」してるわけだろ。だけど、人の願いを叶えられるようになった覚えなんかないぞ」

「それは単純な理屈です。あなたの魂はいかなる意味でも「感染」などしていませんから」

「は?」


凪はその会話の展開の不可解さに、何かゾッとするものを感じた。それは、やっとのこと彼の認識が「現実」にピントと合わせたサインだったのかもしれない。


「じゃあ、今までの話は何だったんだ」

「嫌だな、言ったじゃないですか。前置きですよ、前置き。それで、ここからが本題です」


そこまで言ったところで、天使だか悪魔だかよく分からないものは一瞬の間を置いてみせた。その間があまりにも絶妙で、凪は完璧にペースを乱されていることを承知しながら、仕草で話の続きを促してしまう。


「でね、わたしと取引して欲しいんですよ。それで貴方の願いは間違いなく叶うから」

「何が、でね、だよ」

「うすうす分かってらっしゃるくせに。まあ、いいでしょう。言葉が必要であると言うなら、全て言語化しても構いません。わたし達は彼らがより多くのサンプルを提供してくれるように、とある余興を提供します。曰く、「謝肉祭」、「闘技場」、「選挙」こちらでの言い方は様々ですが、ルール的には「選挙」という 呼び方が適当でしょうか。「一次感染者」が全員一致でたった一人の代表を選び出し、選ばれた者はどんな願いでも叶えられる権利を有する。ルールは単にそれだけですから」


凪はすぐにその余興の真の意図を汲んだ。伊達に日本製のフィクションに慣れ親しんではいないのである。


「一つ聞くが、参加者の誰かが死んだ場合、どうなるんだ」

「もちろん、死亡者の方の全権利は失効しますよ」

「殺し合いになるんだな」

「そりゃ、殺し合いをしていただくのが目的ですから」

「それを見て、お前らが楽しむわけか」

「は?」


光理の口が真円みたいに大きく開いていた。赤々とした光理の舌を視線の端におさめながら、凪は自分の推測が見当外れであることを悟らずえなかった。


「じゃあ、なんでそんなことするんだよ?」

「だから、余興ですよ。別に参考にできるサンプルが増えるなら何でもいいですが、わたし達が観察した限り、あなた達ほど同族殺しが好きな存在はいませんからね。ウィンウィンというやつです。あなた達に気兼ねなく殺しあってもらうために、色々とインセンティブを弄った時期もあったんですが、結局は今の形に落ち着きました。可笑しな話ですよね。心底からの願いを叶えた後で、まだ叶えたい願いがあるって言うんですから」


光理の瞳の中には侮蔑の色などひとかけらも混じってはいなかった。だから、凪には分かってしまった。本当にそれは余興に過ぎないだ。諸々の条件を取り払って、純粋な殺し合いに興じることが出来るなら、人間にとってこれほど楽しいことはないと目の前の存在は本気でそう考えているのだ。


「人間は自分の心底からの望みが叶ったとき、往々にしてそれに気づかないものだって、小説とかではよくある話ではあるな」

「そうみたいですね。何というか不思議な存在ですよ、あなた達は」

「それで、その「選挙」とやらがどうしたんだ」

「実は今回の「選挙」では半年前にとてつもない問題が発生しまして。「選挙」の終了の日程が、こちらの予定を大幅に超えることになってしまったんです。何というか、余興のルールを根底から覆すような願いを叶えた「感染」者の方がいまして」

「どんな願望を実現させたか聞くべき?」


その合いの手に頭をちょっとだけ下げて、光理は回答を口にした。


「「完全な不老不死」とでも言うべきものなんですよ、その方が叶えたのは」


凪からしても、その答えは予想できないものではなかった。普通に考えて、殺し合いを目的とするこの「選挙」で不死は反則に属する。ただ疑問もあった。


「だけど、不老不死なんて珍しい望みとも思えないけどな」

「もちろん、不死や不老は珍しい願いではありません。ですが一般にそのような願いを持つ方たちが心の中で夢見てるのは、いわば不完全な不老不死なのです」

「人の体は何年かで全て入れ替わるとか、そういうこと?」

「大枠でいうなら、そういうことです。彼らが往々にして望んでいるのは永遠の生に過ぎません。そして、生は常に死を内包せざるえない性質のものです。もし、真に不死を望むなら、五感の全てが刺激を拒むが故に思考は無と化し、肉体は絶対の強度のために1ミリたりとも動かすことが出来なくなるでしょう。そんな状態になりたいと願うものはこの世界の中にはいませんよ」

「だけど、実際にはいたわけなんだろ」

「いた、というのも正確ではありません。結果として、そういうことになった存在がいたと言ったところでしょうか」

「ずいぶんともって回った言い方をするな」

「ここがこの話のキモなんですよ。この「感染」者が叶えた願いは、如何なるものにも認識されないということなんです。時間がかの人を認識しないが故に老いようがなく、空間がかの人を認識しないが故に死にようがない。むろん、誰もかの人を認識することは出来ません。完璧だとは思いませんか?」


光理の言葉をしばし斟酌して、凪はなるほどと思った。時間と空間に認識されないというのは、つまり世界の中にいないということだ。あって、ないもの。そんなものはこの世にいくらでもあるといえばあるが、実際に捉えようとすれば難儀なのは間違い。


「確かにそれは反則だな」

「ええ、今回の余興の勝者は、その願いが発現した時点でこの方に決まりました」

「勝者が決まったなら、それで万事解決じゃないか」


凪は何が問題かを理解した上で、すっとぼけた答えを返した。


「問題は、勝者ではない方たちです。半年前、彼らの一部はとある出来事をきっかけに、自分たちに認識出来ない存在が、この「選挙」に関わっているという結論に達しました。そして、その正体が判明するまで、参加者全員に無期限の停戦を提案したんです」

「賢明な判断に聞こえるけどな」

「参加者同士での停戦や同盟は、一つの判断ですし、観察者であるわたし達がとやかく言うことではありませんが、それが余興の終了を著しく先送りする場合は話が別です」

「どれくらい時間がかかるんだ?」

「最低でも、太陽が爆発して地球が死の星になるまで今回の余興は終わらないでしょう。あるいはこの銀河が死滅するまで続くかもしれません」

「それはまた、ずいぶんと意地の汚いやつらもいたもんだ」

「全会一致の規則は、殺し合いを促す他に、終盤における不死者同士の不毛な持久戦を防ぐという目的もあるんですよ。ただ■■の場合、力の性質上、交渉の余地がありませんし」


■■。その言葉を聞いた瞬間、凪は脳がゴリッという音を立てたような気がした。


「どうせなら、本人と会ってみますか」


光理は凪の顔を愉快そうに眺めると、いかにもな仕草で指を鳴らしてみせた。

突然、凪の周りの風景は変わっていた。既視感があった。そのビニール敷きの廊下と白を基調とした壁の間を、凪は歩いたことがあったし、それ以上に、目の前の大きなガラス越しに見える病室の住人のことを──


「■■■。仮死状態にあるあなたの■ですよ」


そう言った光理の服装はいつの間にか白い看護師の制服へと変わっていた。そのゆったりとした服装は、先ほどの露骨な格好よりも凪の嗜好に近いものではあったが、当の本人はそんなものが眼中に入る状態ではなかった。


「悪い冗談だ。ボクの■はずっと前から植物状態だぞ。そもそも、なんだあの黒いの」


ゴテゴテと存在するチューブ類の中心に、半径1メートルほどの真っ黒な球体が浮いていた。球体という表現は必ずしも正しくないかもしれない。少なくとも凪の感覚は、それが世界に開いた ■ (あな)なのだと告げていた。


「そこまで認識出来るなら、当座のところは問題ありませんね。それは■■の願いによって作られたあなたの認識上の欠損です」


そう言われて、凪はそれを改めて凝視した。そこには人間の気配どころか生命の息吹すら一ミリも感じられなかった。というより、それは代謝を行っていないのだろう。どういう理屈か、 ■ (あな)の外側にある心拍計は72で高止まりし不快な高音を鳴らし続けているのだから。


「六年でしたか。■■が意識を失ってから」

「今日で二千百二日目だよ」


凪は自分の口から自然と零れた言葉に驚きを覚えた。

■がこうなってから忘れることが出来た日など一日もない。朝起きるたび、彼は脳内にあるカウンターを更新し続けてきたのだ。今の今まで思い出しもしなかったが。


「やはり、思い出すきっかけが無いから忘却されていただけで、「一次感染」が起こる前からあった記憶は消えてはいないようですね。いかがですか、忘れていた記憶を取り戻してみた感想は」


聞かれて、凪は愕然としてしまった。自分が何を忘れていたのかが、思い出せないのだ。正直にそう告げると、光理は小刻みに二度頷いてみせた。


「おそらく、忘れさせられていたこと自体を忘れさせられているんでしょう。これがこの願いの唯一の瑕疵といいますか。願いの力が強すぎて、干渉を受けた認識者の記憶の整合が合わなくなってしまうんですよ。その非整合性を認識したところで、非整合の原因そのものはどう逆立ちしても認識できないのだから、大した問題ではないわけですけど。あっ、理屈については説明できません。わたしにも正確なところは分かりかねますから」

「そっちが与えた力なのに、分からないのか」


光理は少しばかり口を尖らせた。凪としては純粋な感想だったのだが、彼女には苦情の類に聞こえたらしい。


「分かるはずがありませんよ。あなた方だって食事中の虫が何を考えているのか推測できないでしょう?」

「つまり、あんた達ぐらい高度な連中には、ボクたち低脳が何考えてるのか分かるはずがないと」

「勘違いして欲しくないんですが、侮蔑の意図はないんですよ。ただ、それくらいの種族差がわたし達の間にあるのは事実ですね。逆にわたしからすると不思議なんですが、何故こんなものをずっと生かして続けていたんです?」


心底理解できないという風に光理は肩をすくめてみせた。さっさとこれを殺しておけば、何も問題は無かったのに。彼女の目はそう言っているようだった。


「可能だから、じゃないかな」


凪にとって■はとっくに死んだ存在ではあった。しかし、幸か不幸か、生命維持のための装置を停止させるに足る外部的な要因は、今まで何もなかったのだ。


ジェスチャーで中に入るかを尋ねてきた光理に、凪は小さく首を振った。もはや関係無いのかもしれないが、彼の記憶ではその部屋に入るには滅菌処理が必要だった。そのルールを破ってまで、凪は何かをしたいとは思わなかった。


光理は何も言わずガラスの前に戻ると、改めて黒々とした穴を眺め始めた。彼女には■はどう見えているのだろうか。当然とも言える疑問が凪の心をかすめたが、口から出たのは全く別の言葉だった。


「疑問なんだけど、「感染」というの本当に菌みたいものがあって、周りに広がっていくものなの?」

「もちろん、比喩ですよ。ですが、そう考えてもらっても問題はありません。「一次感染」を受けた人間達は、多くの場合、なんらかの(ともがら)を求め周囲のものを染め上げていきます。これはわたし達がこれまでの余興で学んだことですが、一般的な人間は個だけでは自らの望みを完全な形で叶えられないからです」

「金持ちになっても、金を使える場所がなくちゃ意味が無いってことか」

「その通りです。地位も名誉も名声も力も、それを行使したり比べたりする対象なくして、成立するものではありません。他者を求める欲望、自らの内だけでは 完結しえない何か、それがある意味ではわたし達が一番観察したいものなのですよ。ですが、一般的な願望と違い、■■にはそういったものは無かったようですね」

「存在してるだけなら、他者なんて必要無い」


凪は奥まった森の中で倒れる樹の音の故事を思い出した。疑うべくもなく、■は筋金入りの独我論者のようだ。


「もちろん、それは一つの形であり、わたし達にそれを否定する資格はありませんが、正直なところ困ってもいます。理論的に言って、■さんはこの度の「選挙」の絶対的な勝者です。ですが、勝者を決めることがわたし達の目的ではない。その過程で示される人の営みこそが、わたし達の求めるものなのです。現在の膠着状態はそれを妨害している」


光理はこれ見よがしにため息をついた。


「本来であれば、その勝者に一肌脱いでもらうのが筋というものですが、それ■■の願いを根底から否定することでもある。そこで凪さん、貴方の出番というわけです」

「ボクに何をしろっていうんだ」

「わたしと取引をしましょう。あなたと■さんなら、魂にパスをつないで擬似的に「感染」と同じ現象を起こすことが出来ます。言うならば、■■の「代理人」 になって欲しいのです。■■の力が開けた世界の穴を、あなたの存在で埋めるんですよ。とは言っても、何か特別な行為をする必要はありません。わたし達の予測では、睦月凪というファクターが存在するだけで、今回の「選挙」はまた確実に動き出しますから」

「それでボクに何のメリットがあるんだ」

「不思議ことを仰いますね。むしろ、メリットしか無いじゃありませんか。忘れていた記憶を取り戻せた上、擬似的とはいえ「感染」によって貴方の心底の願望が叶えられるんですよ。むしろ、擬似的であるからこそ何のリスクを払う必要もないですし、わたしも何も要求はしません。残念なことに真の意味で「感染」者 でない貴方は「選挙」への参加資格を持ちませんが、先ほどの反応を見るに、そこまで参加を熱望されているようにも見えませんでしたし」

「つまり、ボクの願望が叶って、それで終わりだって言いたいのか」


凪は疑わしそうに言った。


「ですから最初に申し上げたでしょう。あなたの願いは既に叶っていると。「何の代償もなく、願いが叶えばいいのに」こればかりはわたし達にも叶えられない、人類普遍の願望なのですから」

「信用できない」

「でしょうね。わたしだって、こんなことを言われたら信用しません」


目の前のガラスを右手でなぞりながら、光理は何気ない口調で言葉を継いだ。


「ところで、最初に言いましたが、わたし達は叶える願いのミスマッチをしばしば起こします。それは何でだと思いますか?」


その問いを聞いた瞬間、凪は直感的に、自分が完璧に嵌められたことを悟った。


「それは、君たちが間違いを起こすからだろ」

「その通りです。つまり、わたし達は悲しいかな、相手の願いを叶える存在ではないのです。正確には、相手の願いだと認識したことを叶える存在なんです。つ ま り?」

「そっちがボクの願いだと認識してしまえば、こっちが何を言おうと──」


関係無い。

先の言葉は凪の喉につまって空気を震わすことはなかった。己に ■(あな)が開いたような妙な感覚が、彼の全身を襲っていた。


「当然、わたしはわたしが嘘をついてないと知っているから。凪さん、あなたの願いようやく叶う。恐れることは何もありません」


妖艶に笑う光理を見ながら、凪の意識は白に溶けていった。


リーダビリティを意識して、前半を組み替えてみたり。

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